学生実験報告書に見られるグラフ記述の誤りとその原因の推察 土田 理 聴覚部・一般教育等 要旨:一般教育で開講している物理学における学生実験報告書を見ると,独立変数と従属変数が連続量である場合,グラフ作成において特徴的な間違いが見られる学生が多くいる。この間違いの特徴は,実は健聴な中学校生徒においても見受けられ,初等・中等教育段階における理科の実験・観察でのグラフの捉え方が深く影響していると予想される。そして,これらの間違ったグラフは,各学生がどのように自然現象を観察し,把握しているのかを,ノン・バーバルな面から如実に示していると考えられる。 キーワード:グラフ化技能,実験・観察学習,現象把握過程 1.はじめに  全学科1学年の必修科目「物理学」は講義科目であるが,講義だけでは理解が深まらないため,演示実験や演習の他に学科に応じて,各学期に1度の学生実験を行っている。この学生実験は,2~3人のグループで力学を中心としたテーマの実験を行い,翌週には各実験毎の課題に従って各人が実験報告書を提出することになっている。  この報告書の評価の際,毎年必ずみられる間違いとして,グラフの記述間違いがあげられる。ここでは,特に独立変数(以下,実験値)と従属変数(以下,観測値)が連続量である関係を折線,直線,散布図などで表すグラフ(以下,座標グラフ)注)の記述に関する間違いとその原因を探る。 2.グラフ記述の数値間隔設定における間違い  実験課題の一つに,鉄球とコルク球の落下実験がある。これは,落下距離を変化きせたときの落下時間を測定する実験である。それらの測定結果より,落下運動の運動形態を調べて,もし加速度のある運動であれば,その加速度を求めることが課題となっている。  この実験報告書において,物理学報告書の中で記述されていた座標グラフの例を図2-1から図2-2に示した。  この実験では,落下させる距離が等間隔ではない。しかし,図2-1から図2-2では,これらの実験値を等間隔に横軸にとっているため,座標グラフとしては不適切となる。  実は,このようなグラフ記述における様々の間違いは,健聴の生徒にも同様に存在していることが判明している3)。  図2-3は,筆者が平成6年度に茨城県公立A中学校の協力のもと,理科と数学のグラフ記述の実態調査を行ったときに記述されたグラフの一つである(被験者数236人)。ここでは,質問紙法と面接法を用いた実態調査を行った。質問の内容は,表2-1のように区分される。この中から,質問で与えられている数表の数値間隔が不連続である質問について座標グラフ記述者の横軸・縦軸の数値間隔設定を抽出すると,図2-4のようになっていた。図2-4より,質問で与えられている数値間隔が不均等であり,かつ,物理の内容である質問2においては,座標グラフを記述した被験者(1年19人,2年52人,3年85人)のうち,1学年の58%,2学年の50%,3学年の35%が,軸の数値間隔を不適切に設定しているといえる。  さらに,「各学年間で,座標グラフを記述した被験者について,数値間隔の設定には差が無い」という帰無仮説をたて,2学年間でのカイ二乗検定を行った(df=1)ところ,記述された座標グラフの軸の数値間隔の設定には,一般的に有為差があるとされる5%未満では差が無かった。この際,度数が5以下のセルについては,Yatesの修正を行った。  これは,中学校入学までのグラフ記述に関する学習において,座標グラフにおける軸の数値間隔の設定を正しく把握できなかった被験者は,中学校入学後もその傾向を保持していることを示している。  つまり,本学学生の場合,グラフ記述の間違いが聴覚障害の影響を受けたのではなく,現在までその間違いを保持していることに聴覚障害の影響を受けていると推察した方が適切と考えられるのである。 図2-1:学生の描いた座標グラフ(その1) 図2-2:学生の描いた座標グラフ(その2) 図2-3:健聴の中学生2年生の描いたグラフ 表2-1:質問内容 図2-5:座標グラフ記述者の数値間隔設定の学年変化(質問2) 3.物理実験で間違ったグラフ記述を生む原因 3-1.初等・中等教育段階でのグラフの扱い  理科において,「なぜ,このグラフは直線でプロットを結び,あのグラフはなめらかな曲線でグラフを描くのか?」「どうして,このグラフは折線グラフで描き,あのグラフは棒グラフで描くのか?」などの基本的な疑問を解決するためには,自然現象を観察・測定する立場からグラフ作成の意味や方法を学ぶ学習活動力必要である。  しかし,現実問題として,普通学校・特殊学校の区別無く,座標グラフの基礎は,学習指導要領改訂前後とも小学校4年生の算数科で行われているが,小学校・中等学校段階の理科においては,観察・実験におけるグラフ作成の意味や方法に目的を絞った内容は取り扱われていない2)3)4)5)6)7)。  理科と算数・数学科とのグラフ利用の違いについて平田8)は,「理科においては資料,つまりデータを整理して表示するだけに留まっていることはできず,得られたデータを解釈し,そこから自然現象の規則性,法則性を帰納する活動を期待している」としている。これは,理科におけるグラフは単に数値をプロットするだけではなく,その過程を通して自然を見る必要があることを示している。外見が同じ正比例のグラフにしても,それが描かれるに至った過程が,算数・数学科と理科では異なるため,グラフの捉え方も違うはずなのである。  本報告で取り上げた本学学生のグラフ記述時の数値間隔設定の間違いは,座標グラフ記述のときに実験値を連続量として把握していないことを示している。つまり,実験対象である物理現象を連続したものして捉えているのではなく,別々のものとして捉えていると考えることができるのである。その結果,演習問題のグラフを描くことができても,実験を行った測定結果から関連性を探し出し,それを説明することができなくなるのである。 このような現象把握過程は,通常の記述された文章だけからはその推測が難しいが,「グラフを描く」という通常とはことなるコミュニケーション手段を用いることで,表面化する可能性がでてくるのである。 3-2.グラフ記述に関する文脈依存性  グラフ記述と課題内容の関係についての問題指摘は米国においてもなされている。Brasell9)は,日常的言葉で説明された文章をグラフ化する場合は,数学的言葉で説明された文章をグラフ化する場合に比べて間違いが多く見られると報告している。またKaur10)は,グラフの解釈を「グラフを絵としてとらえる」立場で行っている学習者が多くいたことを報告し,数学のグラフは解釈できる学習者でも,数学の内容から離れるとまったく別の考え方でグラフを解釈していたとしている。これらは,授業.講義や実験場面において教授者が学習者にグラフ作成を求めるときは,教授者が提示するグラフ作成課題の内容によって,学習者が最初にイメージするグラフ作成の過程も異なってくる可能性があることを示している。 この学習者の想起するイメージによって,各人の頭の中にある算数・数学概念領域,物理概念領域といった各領域に最初の考察トリガーが立てられた場合,各概念領域間で情報共有がなされていないと,ある領域では上手に解釈できるのに,他の領域では解釈ができないという状況が生まれる可能性が考えられるのである。 4.グラフ記述に関する推察と思考モデルの可能性 4-1.グラフオブジェクトとシーケンス  筆者は,先に述べたことと,これまでの実験や講義の経験などを照らし合わせてみて,中学校卒業以上の学力をもつ学習者の場合,グラフ記述の各段階に対する処理方法や目的を伴った個々の手だて(Graphing Objects)はある程度まで保持されていると考えるのである。そして,このObjectsの選び方と並び方(Sequence)を変えて,様々な文脈(Context)に対応していると推察するのである。つまり,おなじ学習者でも例えば理科的文脈におかれた場合と,数学的文脈におかれた場合で,グラフのObjectsの並び方(Graphing Objects Sequence)が異なっているのではないかと,推察するのである。  図4-1では,単純化するために直線的なモデルを提示しているが,現実的には,各Objectsが非線形のSequenceやNetworkを形作っているのである。  さらにGraphing Objectsも,それが学習きれた状況や文脈に応じて,Objectsが持っていた処理方法も微妙に変化して個々の学習者の中で蓄積されることになる。 4-2.Graphing Objects SequenceのClass化  学習者は,自分の保持しているGraphing Objectsを用いて,直面している状況を処理するため,その状況に対応したGraphing Objects Sequenceを構成する。構成したGraphing Objects Sequenceを文脈の各相(Phase)に対応させながら,そのSequenceに接続可能な既存の知識体系(Knowledge)を検索するのである。この接続可能性の判断は個々の学習者で異なり,接続が可能であると学習者自身が満足した段階で検索を終了し,その時に接続された知識体系へと思考の中心が移ることになる。  このとき,Graphing Objects Sequenceは,その状況を説明するに至った方法も含めて処理体系(Class)として保持される。また,Sequence構成と比較の過程を経て,個々のGraphing Objects自体もその目的に付加や欠落が生じ,個々に微妙に変化して学習者の中で蓄積されるのでる(Property Alteration)。  学習者にとって,Graphing Objects Sequenceは完全なものである必要はなく,すでに保持している知識のいずれかに対応したClassが生成されれば,それで満足感が得られることになる。  当然,同じ知識につながるためのClassは,個々の学習者で異なることになる。汎用性を持ったClassもあれば,特化したClassもある。 4-3.Classの再利用  このモデルでは,グラフ化の文脈依存性は,Classの生成と再利用で説明することが可能となる。毎回,直面する状況に対してClassを生成しているのではなく,生成の前に再利用が行われていると仮定する。例えば,ある学習者がContext Bに対してClass Aの再利用を試みたところ,幾つかのPhaseの一致により,Knowledge Aに到達したとする(図4-4)。  同様に,Context C,Dと回を重ねてもClass Aの再利用が成功していく。Class再利用が強化され,Class再利用を決断する閾値(Threshold)が下がる。つまり,対応きせるContextのPhaseが少なくなるのである。その結果,Class生成をすべきかもしれないContext Xに対しても,Class再生を行い同じKnowledgeへと接続することになる(図4-5)。 4-4.教授者の介入  当然,得られたKnowledgeから逆向きにClassを通してContextを見ることで,Class生成と再利用の妥当性が検証されるべきなのである。しかし,検証がされなかったり,またなされても再利用の時と同様に検証の閾値が低下していた場合,得られたKnowledgeが間違っているということは,学習者自身,最後までわからないことになる。  授業においては,表向きは教授者がこのClassの生成と再利用の指示を行っているのである。したがって,Class生成と再利用の指示がない状態では,学習者自身がもつClass生成と再利用の方略が用いられることになる。  理科的内容においてグラフ利用が自分自身の判断から可能である学習者の場合,このClass再利用のThresholdが高いため,わずかな文脈の違いを敏感に受け取り,その度にClass生成を行っていると仮定できる。  物理実験などにおいて「測定・観測する物理量を決定する段階」を毎回避けて通り,例えば算数・数学的な技法(算数・数学のGraphing Class)を用いて実験値と測定値を規則的に独立変数と従属変数に置き換えて解釈することを繰り返した場合,算数・数学の解釈に用いてきたGraphing Classの再利用や,ある特定の理科的文脈での解釈に用いたGraphing Classのみが強化されていると考えることができる。  そして,別の理科的文脈に対応させたときにも算数・数学の解釈に用いてきたGraphing Classの再利用が可能であった場合,別の理科的文脈への同様の再利用を考えるであろう。理科的文脈のPhaseに対応したObjectsがそのClassに存在しないとき,新しいClassの生成や他のClassの再利用を行わない限り,「この理科の状況は,わからない」という状態が続くことになる。  また,たまたま理科的文脈のPhaseに対応したObjectsがあって,それを通してKnowledgeが検索できた場合,そのKnowledgeは理科には対応してはいない可能性がある。つまり,教授者が予想していたのと異なるグラフが記述されことになるのである。 図4-1:Graphing Objects Sequenceの違い 図4-2:Classの生成 図4-3:個々に修正されたGraphing Objects 図4-4:Classの再利用 図4-5:新しくClass生成するべきかもしれない再利用 5.まとめ  先に述べた,Graphing ObjectsやGraphing Class生成と再利用のモデルは,これまで得られたグラフに関する情報と構成主義的概念変容過程の可能性をObject Oriented Programing(OOP)の理論に適応してみた,まったく筆者オリジナルのモデルである。したがって,その妥当性は今後検討していかなければならないのであるが,OOPの少ない資源(Resource)を効果的に活用するという元来の考え方は,児童・生徒にみられる問題解決過程における代替フレーム(Alternative Frame)の利用とうまくかみ合うようであるので,理科などの学習とその応用の場面にも適応できると筆者は考えるのである。特に具体的手順と各方法が明示きれやすいグラフ記述においては利用が可能であると思われる。  この報告書で述べたグラフ記述に関する推察と思考モデルの可能性については,現在,モデルを検証するための調査問題と課題を作成し,それらの適応例を調査研究により探し求めているところである。  今後,このモデルが適応した場合,聴覚障害学生ではモデルにおける各科学概念領域形成,並びにClass生成,再利用,共有の過程にどのように聴覚の障害が影響しているのか探究を進める計画である。 6.注釈  米国などでは,“Graphs”は,曲線,折線,直線,散布など連続量に対する座標軸を有するグラフのみを示している。棒グラフ,円グラフは,米国ではそれぞれ“Bar Chart",“Pie Chart”であり,“Graphs”ではない。“Graphs”は連続量を座標軸としているので,“Cartesian graph”(デカルト・グラフ)とも呼ばれている。本論文では,これらの曲線,折線,直線,散布などの“Cartesian graph”を座標グラフと名づけ,棒グラフ,円グラフやその他のグラフと区別した。 7.参考文献 1)土田 理,長洲南海男:「物理実験指導におけるグラフ作成過程に関した中等学校学習者の実態-『グラフの特定』及び『横軸・縦軸の特定』を主にして-」,日本科学教育学会20周年記念論文集,103-113,1996 2)文部省:「小学校学習指導要領」,明治図書,1977 3)文部省:「小学校指導書理科編」,大日本図書,1978 4)文部省:「小学校学習指導要領」,大蔵省印刷局,1988 5)文部省:「小学校指導書理科編」,教育出版,1988 6)文部省:「中学校指導書理科編」,大日本図書,1978 7)文部省:「中学校指導書理科編」,学校図書,1989 8)平田 邦男:「理科教育の立場からみた小学校算数と理科との関連」.理科の教育,9,24-29,1980 9)Brasell, Heather M.: 「Graphs,Graphing,and Graphers.」,The Process of Knowing,6,p.76, 1990,NSTA 10)Kaur, Berinderjeet.:「Graphs in the Eyes of Secondary Students.」,Journal of Science and Mathematics Education in Southeast Asia, 15(2),25-32,1992