聴覚障害生徒・学生の代数の理解に関する質問紙による調査研究 筑波技術短期大学聴覚部一般教育等 森本 明 宮城県立ろう学校高等部専攻科 中村 好則 筑波大学附属聾学校中学部 西本 公英 要旨:本稿の目的は,聴覚障害生徒・学生の代数の理解の様相を明らかにするために,彼らが代数で使う方法に焦点をあて,その方法の一部を同定することである。そのために,Englandで実施されたCSMSプロジェクトで開発された質問紙を用い,国立大学附属聾学校中学部生徒(2,3年生),県立ろう学校高等部生徒(1~3年生),国立短期大学聴覚部の学生(1年生)を対象とした調査が実施された。  その結果,生徒及び学生の代数の学習に伴う困難性と彼らが使う方法の一部が同定された。特に,中学部・高等部,大学で,共通して学校で正式に教えられていないインフォーマルな数の関係を適用すること,丈字のとる数の範囲を限定し考えること,問題に与えられている条件や式に対する直接的な印象が考えに反映することが確認された。 1.はじめに  学校数学で扱われる算数・数学の学習内容は,学年が進行するにつれ,形式化・抽象化が増す。それに伴い,算数・数学の学習は,学習者にとって難しいものとなる。聴覚障害生徒の場合にも,健聴生徒と同様その傾向がみられる。  代数領域に関して,算数では自然数,分数,小数などの数が,計算や考察の対象であるのに対し,中学部以降の数学では,文字式が計算の対象や考察の対象に含まれる。そのため,中学部以降の代数領域の学習には困難性が伴うことが知られている。  実際,文字式が導入される中学部の数学学習には多様な困難性が伴うことが指摘されている。中学部の数学学習では,小学部までの算数学習からの飛躍が鍵である。例えば,算数では等号について,その左辺を「答えを求めるための式」,右辺を「答え」として多くの生徒は認知する。しかしながら,中学部以降の数学では,等号を同値関係を表す記号として認知する必要がある。この例のように,小学部までの算数学習からの飛躍が,必要であり重要であるにもかかわらず,中学部生徒にとっては難しい。  また,高等学校においても,同様な問題を指摘することができる。高等部では,代数の基礎的な内容を小・中学部で学習したにもかかわらず,十分にその内容や意味を理解しないまま学習を進めている生徒が少なくない。また,授業では,深層的な代数的意味の理解よりも,表層的な形式的な手続きの記憶に偏りやすく,扱われる内容を十分に理解しているとは言いがたい。  大学生に関しても,同様な問題がある。小学部から高等部での代数領域についての理解がある程度定着している学生もいる一方で,不十分な学生も少なくない。もっとも,小学部から高等部にかけて算数・数学科で実際に扱われる内容は,個々の学校が抱える様々な事情により多様であり,一様に捉えることはできず,学生の理解の不十分さが指導きれていないことによる場合や指導されているにも関わらず不十分な場合がある。  このような状況に対して,代数についての生徒・学生の理解を促進するような手だてを講ずる必要がある。そのために,生徒.学生の代数の理解の様相(state)を明らかにし,指導と評価のありかたやカリキュラムのありかたについて検討する必要がある(Romberg&Wilson,1995)。  本稿の目的は,聴覚障害生徒及び学生の代数の理解の様相を明らかにするために,彼らが代数で使う方法に焦点を当て,その方法の一部を同定することである。そして,聾学校中学部,高等部と大学における代数の指導と評価のありかたや代数カリキュラムのありかたについて検討するための基礎資料とする。 2.調査の概要と調査結果の分析 2.1調査の概要  調査対象は,国立大学附属聾学校の中学部第2,3学年に在籍する生徒(27名),県立ろう学校高等部第1学年から第3学年に在籍する生徒(20名),国立短期大学聴覚部1年次に在籍する学生(37名)である。  調査は,質問紙による。質問紙による調査は1996年11月に実施された。中学部生徒に対する調査は,数学の授業時間に国立大学附属聾学校中学部で実施され,高等部生徒に対する調査は,同じく数学の授業時間に県立ろう学校高等部で実施された。また,大学1年生に対する調査は,数学の演習の時間に国立大学聴覚部で実施された。  質問紙による調査では、学生の理解の様相を把握することが意図された。解答には,50分間の制限時間を設け,時間中質問は基本的に受け付けないこととした。 2.2銅査問題  採用された調査問題は,SESMプロジェクトで開発され利用されたものである(Hart&Johnson,1980)。SESM(Strategies and Errors in Secondary Mathematics)プロジェクトとその前身であるCSMS(Conceptsin Secondary Mathematics and Science)プロジェクトでは,中等学校生徒の誤りに焦点を当て,筆記テストと個人インタビューによる調査により,生徒の使う方法を同定する試みが実施された。これらのプロジェクトは,生徒の使う方法を肯定的に認めることで生徒の方法に関する情報をより詳細に収集することを可能にした注3)。  学校数学では,学校で正式に教えられる方法を生徒が習得することが期待される。しかしながら,生徒は必ずしも学校で教えられる方法を使うとは限らず,生徒は生徒の見方に依存した方法を使う。この正式に学校で教えられる方法と生徒の方法のずれに関して,生徒の方法を肯定的に認め,それを生徒が発展できるよう支援するという考え方に基づく研究がある。この種の研究では。生徒の方法を把握することが第一の目標である(参考:Booth,1981;1988)。  生徒の方法を把握するためには,学校で正式に教えられる方法により把握するのでは十分ではない。仮に,そうする場合,学校で教えられる方法の範囲において生徒の方法を把握することになる。その結果,本来把握すべき生徒の方法の多くを見落とすことになる。  例えば,Kuchemann, D.(1978,1981)は,中等学校生徒が文字を多様に解釈することを指摘する。Collis, K. F.が同定した,代数で生徒が文字を解釈するいくつかの方法をもとに,彼はそれを発展させ,次の6つの方法で生徒が文字を解釈することを,中等学校生徒を対象とした調査結果の分析に基づき示している。 (a)数値化された文字 始めから数値が指定されている文字 (b)使われなかった文字 存在は認められるが|可の意味も与えられない文字 (c)ものとしての文字 略記やものそのものとする文字 (d)特定の未知数としての文字 未知数として扱われる文字 (e)一般化された数としての文字 少なくとも1つ以上の値をとり得る文字 (f)変数としての文字 特定されていないある範囲の値を表す文字  仮に学校で正式に教えられる定数,未知数や変数としての文字の使い方の範囲において,生徒の文字の使い方を把握する場合,Kuchemann, D.(1978,1981)が指摘した生徒の文字の使い方のいくつかは見いだされない注意2)。  本研究では,聴覚障害生徒及び学生の代数の理解の様相を明らかにするために,彼らが代数で使う方法に焦点をあて,その方法の一部を同定する。そのためにはいくつかの限界があるものの,SESMプロジェクトで開発された問題(図2.1)を使い調査を実施することは有効であると判断し,これを採用することとした。 図2.1調査に用いられた問題 2.3調査結果の分析 2.3.1分析のための資料と分析の視点  本稿の分析では,上の調査問題に対する聾学校中学部生徒,ろう学校高等部生徒と聴覚障害学生(大学1年次生)による解答を分析のための資料とした。  分析では,代数で生徒・学生が使う方法を同定するために,以下の3つの視点が設定された。 視点1 問題1から21までの正答率の検討 視点2 正答率の低い問題項目に対する生徒・学生の与えた解答の多様性の検討 視点3 正答率の低い問題項目に対する中学部生徒,高等部生徒,大学生の与えた解答のもつ共通性の検討 (視点1,2に関しては,2.3.2から2.3.4述べられ,視点3に関しては,後章(3)で述べられる) 2.3.2中学部生徒が与えた解答の分析  各問題に対する中学部生徒が与えた解答について,正答率を調べると,正答率が八割以_この問題項目は,文字を含まない数のみの計算問題(予備2-1,予備2-3,予備2-4,1-1,4-1,4-4,8,16-2),1つの文字を含む計算問題(4-6,12-1),文字が特定の値をとる或いは文字に特定の値を代入する問題(予備1-1,予備1-2,5-1,6-1,10-1,10-2),数の大小比較の問題(問題2-1,2-2),式の指示内容を答える問題(問題19)であることがわかる。他方で,正答率が四割に満たない問題項目は,3,6-2,13,14-2,15,16-1,17-2,18,20であることがわかる。  問題3「2nとn+2のどちらが大きいですか」に対して,正しい解答を与えた生徒は27名中2名である。多くの生徒は2nの方が大きいと答えた(n+2と答えた生徒は1名のみ)。この問題では,2nとn+2の大小関係をnのとる値の範囲によって決定することが要求される。生徒は「かけ算のほうが足し算よりも大きくなるという理由」で(12名),また「nに特定の数を代入し比較する」ことで(4名),あるいは「それら両方」で(2名),2nとn+2の大小関係を決定することがわかる(図2.2)。 図2.2中学部生徒が問題3の理由欄に与えた解答の類型  つまり,「足し算よりもかけ算の方が大きくなる」という正式に学校で教えられていないインフォーマルな数の関係を適用したり,文字を特定の数に限定し考える生徒がいることがわかる。  問題6-2「b+2=2bのとき,bについてわかることを答えなさい」に対して,正しい解答を与えた生徒は33%(n=27)である。この問題は,問題6-1「a+5=8のとき,aについてわかることを答えなさい」とは異なり,両辺に文字を含む方程式を処理することが要求される。問題6-1では,85%(n=27)の生徒が正しい解答を与えるのに対し,問題6-2に対する正答率が低いことから,一方の辺にのみ文字を含む方程式以上に,両辺に文字を含む方程式を処理することが難しい生徒がいることがわかる。  問題13「r=s+t,r+s+t=30のとき,rについてわかることを答えなさい」では,無答が多い。この問題では,3つの文字を含む式を処理することが要求される。つまり,3つの文字を含む式を処理することが難しい生徒がいることがわかる。  問題15「c+d=10でcがdより小きい場合,cについてわかることを答えなさい」に対して正しい解答を与えることができた生徒は7%(n=27)である。この問題では,cと。の大小関係を考慮し,cのとる値の範囲を決定することが要求される。生徒は,c,dを自然数(6名),正の整数(4名),正の数(5名)に限定し,cの範囲を決定していることがわかる(図2.3)。 図2.3中学部生徒が問題18-1に与えた解答の類型  つまり,文字のとる値の範囲を限定し考える生徒がいることがわかる。  問題16-1「…wとhの関係式を書きなさい」に対して正しい解答を与えた生徒は33%(n=27)である。この問題では,2つの文字の関係を式に表現することが要求される。この問題よりも,具体的な金額を計算する問題16-2の方が正答率が高い(81%(n=27))ことから,具体的な数が与えられた問題場面で計算はできるものの,関係を一般化し関係式で表すことが難しい生徒がいることがわかる。  問題17-2「L+M+N=L+P+Nは正しいか」に対して正しい解答を与えることができた生徒は26%(n=27)である。  問題17-1「A+B+C=C+A+Bは正しいか」に対する正答率が高い(74%)ことと比較すると,文字が異なる場合,それらが同じ値をとる場合を考慮しない生徒がいることがわかる。  問題18「a=b+3で,bが2倍になるとaはどうなりますか。 f=3g+1で,gが2倍になるとfはどうなりますか」に対して正しい解答を与える生徒は,15%,22%(n=27)である。この問題では,bを2b,gを2gとみることとその結果をもとの場合と比較すること,つまり文字式に対する構造的な見方が要求される注3)。生徒は「増える」(9名)や「2倍になる」(4名)など,問題に与えられている条件や文字式についての直接的な印象を用いることがわかる(図2.4)。 図2.4中学部生徒が問題18-1に与えた解答の類型  つまり,数のもつ関係を式を使って調べるのではなく,問題に与えられている条件や文字式についての直接的な印象を用いる生徒がいることがわかる。  問題20「方程式(x+1)3+x=349は,x=6のとき成り立つなら,方程式(5x+1)3+5x=349は,xの値がいくつのとき成り立つか」に対して正しい解答を与えた生徒は,26%(n=27)である。この問題では,文字式を1つの数とみることが要求される。つまり,文字式を1つの数とみることは難しい生徒がいることがわかる。 2.3.3高等部生徒が与えた解答の分析  各問題に対する高等部生徒が与えた解答について,正答率を調べると,正答率が八割以上の問題項目は,文字を含まない数のみの計算問題(予備2-1,予備2-3,予備2-4,1-1,4-1,8),1つの文字を含む計算問題(12-1),文字が特定の値をとる或いは文字に特定の値を代入する問題(予備1‐1,1-3),最大と最小を選ぶ問題(問題2-1,2-2),9-1であることがわかる。他方で,正答率が四割に満たない問題項目は,3,4-3,4-5,5-2,5-3,7-4,9-4,12-2,12-3,12-5,12-6,12-9,13,14,15,16,17-2,18,19,20であることがわかる。  問題3「2nとn+2のどちらが大きいですか」に対して,正しい解答を与えた生徒はいない。この問題では,2nとn+2の大小関係を文字nのとる値の範囲によって決定することが要求される(図2.5)。 図2.5高等部生徒が問題3の理由欄に与えた解答の類型  理由欄の記述からは,生徒は「かけ算のほうが足し算よりも大きくなる」という理由で(12名),また「、に特定の数を代入し比較する」ことで(1名),2nとn+2の大小関係を決定することがわかる。「足し算よりもかけ算の方が大きくなる」という正式に学校で教えられていないインフォーマルな数の関係を適用したり,文字を特定の数に限定し考える生徒がいることがわかる。  問題4-3「3nに4を足しなさい」と4-5「n+5に4をかけなさい」に対して正しい解答を与えた生徒は,それぞれ40%,15%(n=20)である。この問題では,単項式と定数項の足し算をすること,二項式と定数項のかけ算をすることが要求される。生徒の解答からは,それぞれ7n,4n+5と解答する生徒が多く,係数にだけたし算,定数項にだけかけ算を施すことがわかる。つまり,単項式と定数項の足し算,二項式と定数項のかけ算をするとき,係数にだけ足し算,定数項にだけかけ算を施す生徒がいることがわかる。  問題5-3「e+f=8のとき,e+f+g=」に対して正しい解答を与えた生徒は,30%(n=20)である。この問題では,e+f+gのうちe+fの部分について与えられた式e+f=8を代入することが要求される。生徒が与えた誤答では,8+gを8gとして解答している生徒が多い。つまり,定数項と文字項の和を,その演算を表す記号である+を省略し表す生徒がいることがわかる。  問題6-2「b+2=2bのとき,bについてわかることを答えなさい」に対して,正しい解答を与えた生徒は30%(n=20)である。この問題は,問題6-1「a+5=8のとき,aについてわかることを答えなさい」とは異なり,両辺に文字を含む方程式を処理することが要求される。問題6-1では,75%(n=20)の生徒が正しい解答を与えることができたのに対し,問題6-2に対する正答率が低いことから,一方の辺にのみ文字を含む方程式以上に,両辺に文字を含む方程式を処理することが難しい生徒がいることがわかる。  問題7-4「縦が5,横がeと2の部分からなる長方形の面積を求めなさい」に対して,正しい解答を与えた生徒は35%(n=20)である。この問題では,定数項と文字を含む二項式と定数の積で面積を表すことが要求される。  つまり,定数項と文字を含む二項式と定数の積で面積を表すことが難しい生徒がいることがわかる。  問題9-4「1辺が2で、辺をもつ図形のまわりの長さを求めなさい」に対して,正しい解答を与えた生徒は20%(n=20)である。この問題では、辺をもつ図形を想定しまわりの長さを考えることが要求きれる注1)つまり,n辺をもつ図形を想定しまわりの長さを考えることが難しい生徒がいることがわかる。  問題13「r=s+t,r+s+f30のとき,rについてわかることを答えなさい」では,無答が多い。この問題では,3つの文字を含む式を処理することが要求される。つまり,3つの文字を含む式を処理することが難しい生徒がいることがわかる。  問題14(3を引くことで一点からの対角線の数をもとめることができると与えられているときに)「57辺からなる図形の一点からの対角線の数は_本です」「k辺からなる図形の一点からの対角線の数は_本です」に対して,正しい答えを与えた生徒はそれぞれ35%,30%(n=20)である。この問題では,与えられた例にならって辺の数が大きい場合や文字で与えられる場合に同様に計算することが要求される。問題9-4と同様,辺の数が大きい場合や文字で与えられる場合の計算は難しい生徒がいることがわかる。  問題15「c+d=10でcがdより小さい場合,cについてわかることを答えなきい」に対して正しい解答を与えた生徒はいない。この問題では,cとdの大小関係を考慮し,cのとる値の範囲を決定することが要求される。半数の生徒は無答で,その他の生徒はcの数の範囲を限定し,cの範囲を決定していることがわかる(図2.6)。 図2.6高等部生徒が問題15に与えた解答の類型  つまり,文字のとる数の範囲を限定し考える生徒がいることがわかる。  問題16-1「…wとhの関係式を書きなきい」に対して正しい解答を与えた生徒は5%(n=20)である。この問題では,2つの文字の関係を式に表現することが要求きれる。この問題よりも,具体的な金額を計算する問題16-2の方が正答率が少し高い(20%(n=20))ことから,具体的な数が与えられた問題場面で計算はできるものの,それを一般化し関係式をかくことが難しい生徒がいることがわかる。  問題17-2「L+M+N=L+P+Nは正しいか」に対して正しい解答を与えた生徒は10%(n=20)である。問題17-1「A+B+C=C+A+Bは正しいか」に対する正答率が高い(75%)ことと比較すると,文字が異なる場合,それらが同じ値をとる場合を考慮しない生徒がいることがわかる。  問題18「a=b+3で,bが2倍になるとaはどうなりますか。 f=3g+1で,gが2倍になるとfはどうなりますか」に対して正しい解答を与えるた生徒はいない。この問題では,bを2b,gを2gとみることとその結果をもとの場合と比較すること,つまり文字式に対する構造的な見方が要求される。生徒は「増える」(1名)や「2倍になる」(4名)など,問題に与えられている条件や文字式についての直接的な印象を用いることがわかる(図2.7)。 図2.7高等部生徒が問題18-1に与えた解答の類型  つまり,数のもつ関係を式を使って調べるのではなく,問題に与えられている条件や文字式についての直接的な印象を用いる生徒がいることがわかる。  問題19「ケーキは一個c円で,パンは一個b円です。ケーキ四個,パンを三個買います。4c+3bは何を表しますか」に対して,正しい答えを与えた生徒は,15%(n=20)である。9名が無答である。この問題では,二項式が1つの数(合計金額)を指示することをよむ必要がある。つまり,二項式が1つの数を指示することをよむことは難しい生徒がいることがわかる。  問題20「方程式(x+1)3+x=349は,x=6のとき成り立つなら,方程式(5x+1)3+5x=349は,xの値がいくつのとき成り立つか」に対して正しい解答を与えた生徒は,10%(n=20)である。この問題では,文字式を1つの数とみることが要求される。つまり,文字式を1つの数とみることが難しい生徒がいることがわかる。 2.3.4大学1年生が与えた解答の分析  各問題に対する中学部生徒が与えた解答について,正答率を調べると,大学一年生では,ほとんどの問題項目に対して,ほぼ七割以上の学生が正当を与えることがわかる。他方で,問題3,16,19では,正答率が六割に満たないこともまたわかる。  問題3「2nとn+2のどちらが大きいですか」に対して,正しい解答を与えた学生は11%(n=37)である。この問題では,2nとn+2の大小関係を、のとる値の範囲によって決定することが要求される。学生は「かけ算のほうが足し算よりも大きくなる」という理由で(15名),また「nに特定の数を代入し比較する」ことで(9名),あるいは「それら両方」で(4名),2nとn+2の大小関係を決定することがわかる(図2.8)。 図2.8大学1年生が問題3の理由欄に与えた解答の類型  つまり,「足し算よりもかけ算の方が大きくなる」という正式に学校で教えられていないインフォーマルな数の関係を適用したり,文字を特定の数に限定し考える学生がいることがわかる。  問題15「c+d=10でcがdより小さい場合,cについてわかることを答えなさい」に対して正しい解答を与えることができた学生は24%(n=37)である。この問題では,cとdの大小関係を考慮し,cのとる値の範囲を決定することが要求される。学生は,式変形をするだけでの解答を与えたり(6名),c,dを自然数(3名),正の整数(1名),正の数(9名)に限定し,cの範囲を決定していることがわかる(図2.9)。 図2.9大学1年生が問題15に与えた解答の類型  つまり,文字のとる数の範囲を限定し考える学生がいることがわかる。  問題18「a=b+3で,bが2倍になるとaはどうなりますか。f=3g+1で,gが2倍になるとfはどうなりますか」に対して正しい解答を与えた学生は,六割に満たず,59%,54%(n=37)である。この問題では,bを2bと,gを2gとみて,その結果をもとの場合と比較すること,文字式に対する構造的な見方が要求される。学生は「特定の数増える」(5人),「増える」(4名),「2倍になる」(1名),「半分になる」(1名)など,問題に与えられている条件や文字式についての直接的な印象を用いることがわかる(図2.10)。 図2.10大学1年生が問題18-1に与えた解答の類型  つまり,数のもつ関係を式を使って調べるのではなく,問題に与えられている条件や文字式についての直接的な印象で考える学生がいることがわかる。 3.議論  上の分析で,問題3,15,18で,共通して中学部生徒,高等部生徒,大学1年次生の正当率が低いことがわかる。問題3で,生徒及び学生が理由欄に与えた解答からは,「かけ算のほうが足し算よりも大きくなる」という理由や「nに特定の数を代入し比較する」ことで,2nとn+2の大小関係を決定することがわかる(図3.1)。 図3.1生徒・学生が問題3の理由欄に与えた解答の類型  つまり,中学部,高等部,大学と共通して「足し算よりもかけ算の方が大きくなる」という正式に学校で教えられていないインフォーマルな数の関係を適用したり,文字を特定の数に限定し考える生徒及び学生がいることがわかる。また,問題15で,生徒及び学生が与えた解答からは,式変形をするだけでの解答を与えたり,c,dを自然数,正の整数や正の数に限定し,cの範囲を決定していることがわかる(図3.2)。 図3.2生徒・学生が問題15に与えた解答の類型  つまり,中学部,高等部,大学と共通して,文字のとる数の範囲を限定し考える生徒及び学生がいることがわかる。問題18では,生徒及び学生が与えた解答からは,「増える」,「2倍になる」,「特定の数増える」など,問題に与えられている条件や文字式についての直接的な印象を用いることがわかる(図3.3)。 図3.3生徒・学生が問題18-1に与えた解答の類型  つまり,中学部,高等部,大学と共通して,数のもつ関係を式を使って調べるのではなく,問題に与えられている条件や文字式についての直接的な印象を用いる学生がいることがわかる。  このように,問題3,問題15,問題18で要求される,「n+2と2nの大小関係を文字のとる値の範囲によって決定すること」,「2つの文字の大小関係を考慮し,文字のとる値の範囲を決定すること」と「文字式に対する構造的な見方を適用し,数のもつ関係を式を使って調べること」は,中学部・高等部生徒,大学1年次生に共通して難しいことがわかる。と同時に,インフォーマルな数の関係を適用すること,文字のとる数の範囲を限定し考えること,問題に与えられている条件や文字式についての直接的な印象が考えに反映される生徒及び学生がいることがわかる。 4.まとめと今後の課題  本稿では,質問紙による調査結果を分析した結果,生徒及び学生の代数学習に伴う困難性と彼らが使う方法の一部が同定きれた。特に,中学部・高等部,大学で,共通して学校で正式に教えられていないインフォーマルな数の関係を適用すること,文字のとる数の範囲を限定し考えること,問題に与えられている条件や文字式についての直接的な印象が考えに反映されることが確認された。  代数では,具体的な数やその関係を一般化し抽象化した対象や関係を扱うため,生徒及び学生の代数の学習には様々な困難性を伴う。特に,聴覚障害生徒・学生にとって,こうした一般化され抽象化された概念についての意味を構成することは難しいことが知られている。しかしながら,一般化され抽象化された対象や関係を,感覚的・経験的な対象や関係と相互に関係づけることで,代数をより効果的に学習することができるだろう。今後は,個々の生徒及び学生が代数で使う方法について,本稿で述べた質問紙による調査結果に基づき抽出した生徒及び学生に対して個人インタビューによる調査を実施することで,より詳細な,情報を得ることが課題である。と同時に,代数で使う生徒及び学生の方法の変容を促すための,より効果的な代数の指導法を構築することが課題である。  具体的には,次の2点である;1)聴覚的情報を他の感覚的・経験的情報で補償する教材の開発,2)感覚的・経験的情報から,それが内包する諸特性を分離し,数学的意味を,生徒及び学生が一般化し定式化することを促進するための多様なコミュニケーション手段の検討,である。 註 1)CSMSプロジェクトは,1974年から1979年にかけてEnglandで実施された。このプロジェクトの後継として,SESMプロジェクトが,1980年から1983年にかけて実施された。両プロジェクトとも,も,SSRC(the Social Science Research Council)により,Chelsea大学を中心として実施された。CSMSプロジェクトの目的は,Englandの中等学校生徒(11歳から16歳)が共通にする誤り(error)を同定することである。それを受け,SESMプロジェクトの目的は,共通になされる誤りの原因を研究すると同時に,その成果をもとにして生徒が誤りを避ける(avoid)よう援助することにねらいをおいた教授プログラムを開発することである(Booth1981;1983)。 2)この部分についての詳細は森本(1996)を参照のこと。 3)構造的な見方は概念を“対象としてみること”である。抽象的な数学的概念は,基本的に2つの見方で考え得るという(Sfard,1991)。 1つは操作的な見方であり,もう1つが構造的な見方である。この操作的な見方が概念を“過程として解釈すること”であるのに対し,構造的な見方は,“対象としてみること”である(森本,1995) 4)この部分に関しては,同様な問題について中学部生徒に対して西本(1992)が調査を行った研究を参照のこと。 引用・参考文献 Booth,L.R.(1981)Child-Methods in Secondary Mathematics Educational Studies in Mahematics, 12, 29-41. 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