茨城県下に開業する鍼灸・手技治療院における消毒の実態 野口 栄太郎 一幡 良利* 西條 一止 上野 敬太** 大嶋 真由美** 菊池 幹樹** 栗山 龍太** 林 徹** 前田 徳彦** 鍼灸学科鍼灸科学 *鍼灸学科衛生学・公衆衛生学 **鍼灸学科3年生・卒業研究斑 要旨:1996年度の鍼灸学科卒業研究の一部として,茨城県下に開業する鍼灸・手技治療院経営についてアンケート調査を行う機会を得たので,鍼灸器具や手指の消毒についての項目を追加して,実地治療院における衛生概念の現状についても調査した結果,以下のことが解った。1)鍼の消毒方法について,治療院全体では,オートクレーブの普及率が1978年の調査と比較して倍増していた。2)デイスポーザブル鍼は,現在約半数の治療院で用いられていた。3)治療院の収入と消毒器具にかかる費用との関係が深い。 はじめに  医療スタッフによる院内感染が,近年数多く報告され社会的な問題になっている。鍼灸治療における過誤の調査として,1990年以前の15年間の事故の発生件数1)では感染事故と思われる「化膿」は,18件(5.6%)で,他の「折鍼(58件36.0%)」「気胸(36件22.3%)」と比較すると発生件数は少ない。しかしながら,感染事故は適切な消毒法により未然に防げるものであり,発生してはならないものである。  前回の本レポートで高橋ら2)が述べているように,鍼灸・手技療法は,直接患者の身体に触れる事によって施術がなされるので,皮膚表面の常在細菌である黄色ブドウ球菌等により化膿や皮膚炎を起こす可能性が考えらる。その対策として,器具の消毒だけでなく術者の手指の消毒および被術者の消毒も適格に行わないと交差感染の危険性も潜んでおり,常に手洗い消毒の概念を念頭に置く必要がある。  しかし,現実に鍼灸臨床の場で消毒がどのように実施されているかについては,1978年にアンケートの報告3)があるのみで,近年ではほとんど実施きれていない。  1996年度の鍼灸学科卒業研究の一部として,茨城県下に開業する鍼灸・手技治療院経営についてアンケート調査を行う機会を得たので,鍼灸器具や手指の消毒についての項目を追加して,実地治療院における衛生概念の現状についても調査したので報告する。 方法 1.調査対象  茨城県職業別電話帳の鍼灸・あん摩マッサージ指圧業のページに記載のある701件にナンバーを振り,乱数表から得たナンバーにより等間隔で350件を調査の対象として抽出した。  調査方法は,アンケート冊子を郵便にて送付・回収し,その期間は1カ月間とした。アンケートの回収率は36.6%(128件)であった。 2.調査内容  アンケートにおける質問は,1)利益と支出,2)来院患者,3)治療院内施設・周辺環境,4)業務,5)開業状況についての質問事項に選択回答を付した計36項目について行った。  治療院内施設の質問項目に追加した,消毒の項目は下記のとうりである。 (a)理療施術前後の手指・皮膚の消毒には何を用いていますか? 1.エタノール 2.ヒビテン 3.ヒビスコール 4.ウエルパス 5.逆性石鹸 6.流水のみ 7.その他 (b)鍼治療を行っている方にお聞きします。鍼の消毒・滅菌について,以下のどれを用いていますか?該当するものすべてに○をつけてください。 1.ディスポーザブル鍼 2.オートクレーブ滅菌 3.アルコールによる清拭 4.ガス滅菌器 5.乾熱滅菌器 6.煮沸消毒器 7.紫外線消毒器 8.その他 結果  今回の解析対象者は,23才~81才(平均年齢:51.8才),開業歴:1年から65年(平均19.3年),ベット数平均:2.3台,再診患者数平均:7.1人/日で,主たる治療内容は,鍼治療が58人,手技治療が55人(あん摩:27人+指圧:21人+マッサージ:7人)であった。(図-1) 図-1 各治療院で行われている治療方法 図-2 鍼の消毒方法 1.鍼の消毒方法  鍼灸・手技治療院全体では,オートクレーブ(高圧蒸気滅菌器)使用者は48.4%,ついでデイスポーザブル鍼(使い捨て鍼)は43.0%で約半数の治療院で用いられており,従来よりのアルコール清拭は24.2%であった。(図-2)  鍼灸治療を主な業務とする治療院では,オートクレーブが最も多く22.4%で紫外線消毒器17.2%,ついでデイスポーザブル鍼13.8%とアルコール清拭12.1%で,オートクレーブと,ディスポーザブル鍼の利用率は治療院全体の利用率より低かった。(表-1) 表-1鍼の消毒方法 2.手指の消毒法  手指の消毒方法を全治療院(鍼:n=58,手技:n=55)でみると,(1)エタノール83.2%,(2)ヒビテン56.6%,(3)逆性石鹸52.2%であるが,手技を主体とする治療院では,(1)ヒビテン80.0%,(2)逆性石鹸76.4%,(3)エタノール67.3%,また鍼を主体とする治療院では,(1)エタノール98.3%,(2)ヒビテン34.5%,(3)逆性石鹸29.3%とエタノールの使用率の順位が入れ替わる事がわかった。  また,最近普及しつつあるラビング法(擦式法)による消毒薬(ヒビスコール;エタノール+グルコン酸クロルヘキシジン,ウエルパス:エタノール+塩化ベンザルコニウム)の利用率は低かった。(図-3,表-2) 3.収入と鍼の消毒方法の関連  月収と使用している鍼の消毒方法の頻度を表-3に示した。  アルコール清拭は,各層において普及しているが,オートクレーブ,デイスポーザブル鍼の利用頻度はおおよそ収入に比例している。ディスポーザブル鍼の利用頻度が低かった,80-100万円台の層では逆にオートクレーブの利用頻度が高くなっていた。(図-4) 考察  1978年当時の調査3)結果と比較すると,鍼の消毒方法について治療院全体では,オートクレーブの普及率が23.7%から48.4%と倍増している,しかし一般の医療機関においては常備されているオートクレーブの普及が全体の半数を割っている。特に,鍼灸主体の治療院においての21.0%の普及率は,1978年の26.0%よりさらに低い結果であった。また当時77.4%であったアルコール清拭と30.6%の煮沸消毒は減少を示している。  ディスポーザブル鍼は,現在約半数の治療院で用いられており,ディスポーザブル鍼が普及しつつあることがわかる。ディスポーザブル鍼は滅菌の必要がない点で優れているが,ランニングコストがかかることから,収入とディスポーザブル鍼の使用頻度は相関する傾向にあり,収入の低い治療院では使用頻度が減っている。この傾向は,オートクレーブの使用頻度にも認められる。また,1978年当時のオートクレーブの使用率の調査結果でも同様であり,患者数16人以上/日の治療院では41.5%であるのに対し,15人以下の治療院では19.3%と顕著な差がみられることから,治療院の収入と消毒器具にかかる費用との関係が深いことが示唆される。鍼治療には旧来より「銀鍼(銀製の鍼)」がよく用いられるが,オートクレーブで銀鍼を高頻度に滅菌した場合金属の劣化や銀鍼の表面が変色するなどの理由4)で治療家には敬遠されがちである。また,ディスポーザブル鍼の場合は,銀鍼仕様の製品が販売きれていないこともあり,「銀鍼」を主に使用する治療家にはオートクレーブやデイスポーザブル鍼の普及が遅れているものと考えられる。  鍼灸主体の治療院では,鍼灸器具の消毒は重要な問題であり,現在最も有用と考えられるディスポーザブル鍼やオートクレーブが普及することが望まれるが,その根底には使用鍼の種類,治療院の収入,器具の価格など多くの問題が在ることが示唆された。  手指の消毒方法を全治療院でみると,エタノールがもっとも普及しているが,手技を主体とする治療院では,(1)ヒビテン,(2)逆性石鹸,(3)エタノール,また鍼を主体とする治療院では,(1)エタノール,(2)ヒビテン,(3)逆`性石鹸とエタノールの使用率の順位が入れ替わる事がわかった。  このことは,エタノールは鍼灸主体の治療院では被施術部位の皮膚消毒に用いられるため,高率となったものと考えられる。しかし,最近普及しているラビング法(擦式法)による消毒薬(ヒビスコール,ウエルパス)などの利用率はともに低かった。すくなくとも現在,医療の現場での手指の消毒に広く用いられているラビング法(擦式法)がないことは,感染事故発生の可能性もあり得る。今後,実地治療院において本方式の早期普及が望まれる。 図-3 手指の消毒方法(全治療院の利用率:%) 表-2 手指の消毒方法(鍼:n=58,手技:n=55) 表-3 月収と鍼の消毒方法(n=128) 図-4 収入と鍼の消毒毒方法 まとめ 1.鍼の消毒方法について,治療院全体では,オートクレーブの普及率が1978年の調査と比較して倍増していた。 2.ディスポーザブル鍼は,現在約半数の治療院で用いられていた。 3.治療院の収入と消毒器具にかかる費用との関係が深いことが解った。  鍼灸・手技治療における感染事故の対策として,医療の現場で広く用いられている,オートクレーブ・ラビング法が実地治療院において更に普及することが望まれる。 参考文献 1)小林 寛伊:鍼灸治療における感染防止の指針,鍼灸治療における安全性ガイドライン委員会,1992,p70-71,京都 2)高橋 昌巳:理学的検査前後の手指の常在菌の変動と消毒について,筑波技術短期大学テクノレポート,No.3,p45-48,1996 3)出端 昭男ほか:アンケートの集計結果,医道の日本,38(11),p9-45,1979 4)平井 高広ほか:走査型電顕による鍼尖と鍼体表面の観察,関西鍼灸短期大学年報,3,p65-71,1987