聴覚障害学生のwater safetyに関する知識と実際 聴覚部一般教育等保健体育 齊藤 まゆみ・及川 力 要旨:聴覚障害学生のwater safetyに関する知識と実際について,アンケート調査と着衣泳を含む水中での自己保全能力に関するテストを実施し,water safetyの観点からみた水泳指導の在り方について検討した。その結果,聴覚障害学生は,着衣泳を含むwater safetyに関する知識や実技経験が乏しい現状が示された。その一方で自己の泳力を過信・過大評価する傾向があり,事故に遭遇したときにとる行動パターンと10分間泳距離との間には負の相関が認められた。これらの結果から本学においては着衣泳を含めたwater safety教育を実施する必要性が高いことが示唆された。 キーワード:water safety 水泳 自己保全能力 聴覚障害学生 1.目的  年間に約3000件も発生する水難事故であるが;その90%以上はプール以外の場所で発生しており,約1500人もの命が失われている2)。そのうちの60%以上が衣服を着たままの状態で溺れている。つまり,泳いでいてまたは泳ごうとして水に入ったわけではなく,釣りや磯遊び,ボート遊びや散歩・通行中などに「水に落ちて」しまった結果溺れてしまうケースが多いのが日本の水難事故の特徴である。  最近のアウトドアブームに加え,周囲が海,また河川や湖沼,池などが多い環境にあるわが国ではこういう水難事故にいつ自分が巻き込まれてもおかしくはない状況にある。しかしわが国の水泳指導は主にプールで行われ7)8)9)プール以外での水難事故については関心も,知識もそして実技においてもそのレベルは低いのが現状である。  本学においても学生敵橡にwater safetyに対する知識と関心の程度を調査したところ,特に着衣泳に関する関心の低いことが示された4)。そこで本研究は着衣泳を含む水中での自己保全能力に関するテストを実施し,water safetyの観点からみた水泳指導の在り方について検討することを目的とした。 2.方法  保健体育Ⅱ,Ⅲの水泳選択者21名を対象とし,水泳技能と水の事故に関するアンケート調査(図1)および2種類の泳力・自己保全能力テストを実施した。対象学生には事前に自己の泳力レベルを5段階で評価させた。実技テストは「10分間持続泳(以下10分間泳とする)」および「自己保全(着衣)浮漂」を用いた。自己保全浮漂では,学生を着衣のままプールに飛び込ませ,呼吸を確保し,衣服や浮遊物の持つ浮力や保温性を最大限いかして体力を消耗しない程度に浮漂したりゆっくり泳ぐことのできる時間を測定した。なおテスト時間は最大5分間とした。また10分間泳距離と自己保全浮漂時間をそれぞれ得点化し,総合得点から客観的な泳力レベル評価を5段階で行った。さらに学生の自己評価泳力レベルと実技テストをもとに評価した客観的泳力レベルを比較検討した。 Fig.1 水泳技能と水の事故に関するアンケート調査 3.結果 3-1アンケート結果  泳力評価結果は図2に示したとおりである。自己評価において66.7%の学生が5段階評価の5(泳力に自信がある,100m以上は連続で泳ぐことができる)と回答しており,5段階評価の4(やや自信がある)が9.5%,3(25m位なら泳ぐことができる)が14.3%,2(あまり自信がない)は9.5%,1(全く泳げない)はいなかった。選択種目の授業のためか泳力に自信のある学生が多かった。  着衣泳に関しては,「全く知らない」と回答したものが全体の90.5%で最も多く,次いで「言葉は知っているが経験したことはない」の9.5%であり,「授業や講習会などで経験した」と答えたものはいなかった。  衣服を着たまま川に転落した場合どのような行動をとるかについては,「何か浮くものを探してつかまり救助を待つ」が最も多く33.3%,以下「体力を消耗しない程度に浮いたり泳いでみる」28.6%,「服を脱いで泳ぐ」23.8%,「着衣のまま必死で泳ぐ」14.3%であった。  家族や友人が川に転落した場合どのような行動をとるかについては,「何か浮くものをさしだす,投げ込む」が最も多く57.1%,「服を脱いで泳いで助ける」23.8%,「服を着たまま泳いで助ける」9.5%,「周囲の人に助けを求める」と「脚の届くところまで水に入って助ける」が4.8%であった。 3-2.実技テスト結果  10分間泳では最高440m,最低250m,平均泳距離は369mであった。  自己保全浮漂時間は最大5分間,最低は20秒であり平均浮漂時間は3分01秒であった。図3~5は自己評価による泳力レベルと客観的評価(図3),10分間泳(図4)および自己保全浮漂時間(図5)との関係を示したものである。いずれも正の相関が認められたが,客観的評価に対し学生の自己評価は高い傾向があった。とくに客観的泳力レベルが低い学生にその傾向が強く,最も高いところ(5/5)では自己評価と客観的評価が一致する割合が高かった。図6は自己保全浮漂時間と10分間泳距離の相関を図示したものである。相関係数はr=0.890(p<0.001)であり高い正の相関を示し,10分間泳が泳力評価の有効な指標となりうることが示された。  次に10分問泳距離とアンケート結果から得られた事故に遭遇したときにとる行動パターンとの関連を検討した。図7は,10分間泳距離と自分が水に転落した場合,図8は10分間泳距離と家族・友人が水に転落した場合をプロットしたものである。事故が自分の場合がr=-0.550(p<0.05),家族・友人の場合がr=-0.446(p<0.05)といずれも負の相関が認められた。 Fig.2 対象の泳力評価 Fig.3 客観的評価と自己評価の関連 Fig.4 10分間泳距離と自己評価の関連 Fig.5 自己保全能力と自己評価との関連 Fig.6 10分間泳距離と自己保全能力との関連 Fig.7 10分間泳距離と自分が事故に遭遇した場合にとる行動との関連 Fig.8 10分間泳距離と家族.友人が事故に遭遇した場合にとる行動との関連 4.考察  アンケート調査より,「着衣泳」に関する知識については,90%以上の学生が,「全く知らなかった」と回答しており,着衣泳を授業や講習などで実際に体験したことがある学生はいなかった。斉藤は「水の事故に関する知識」のアンケート調査を実施し,聴覚障害学生は,健聴の工学系大学生に比べ平均正解数が有意に低く,とくに着衣泳に関する項目では正解数が14.7%と健聴学生(59.0%)に比べ有意に低い結果であったことを報告したい。このことは過去に着衣泳の経験がまったくなく,その言葉すら知らなかったものが聴覚障害学生では90%にも達する現状から考えると相応の結果であると思われる。現在学校体育で行われている水泳のカリキュラムを検討7)8)9)してみると,水慣れとクロール,平泳ぎの習得がその目標ときれており,特にクロールから指導が展開される傾向にある。したがって本学学生においてもクロール習得率はかなり高い。そこで着衣のままクロールを泳ぐとどうなるかを想像して回答してもらったが,学生の認識ははるかに実際とはかけ離れて,着衣でも簡単に泳げると考えていることがわかった。着衣の特徴として,陸上においてぬれた衣服は乾いた衣服の2~10倍の重量になる5)が,水中では衣服も浮力の作用をうけるのでほとんどの衣服は水に浮くということがあげられる。したがって,衣服を着たままでも数倍の重りを引きずって泳ぐようなことはないが,これは水中での場合であり,クロールのように腕を水上でリカバリーする動作では実際の動作がかなり制限され,負荷もかかることになる。  また,衣服の浮力が加わることにより水着だけの時とは異なりバランスがとりづらくなる。このような条件が重なるため,着衣の状態で水に転落したときには衣服の持つ浮力と保温性を最大限活かして,体力を消耗しない程度に浮漂する,ゆっくり泳ぐ能力が重要である。ヨーロッパでは水泳技能獲得段階で,発達状況に応じた着衣泳,自己保全のための水泳プログラムが実施され6),子供の水難事故死者数は日本に比べるとはるかに低いという現状がある1)。この点から考えるとクロールを中心とした近代泳法の指導だけでなく,身長よりも深いところで泳ぐ,水中でのボディコントロール,物につかまって浮く,着衣で対応できる泳法の習得など自己保全能力を高めることに観点をおいた水泳指導を進めていく必要性がある。  本学学生の特徴として,泳力に関して自己評価が高い傾向がある。とくに客観的泳力レベルが低い学生にその傾向が強く,最も高いところ(5/5)では自己評価と客観的評価が一致する割合が高かった。これは,浅いプールでの水泳しか経験していないことやゆっくり長く泳ぐ機会をもたなかったことが一因として考えられる。限定された範囲での経験だけが自己評価の基準となっていることが原因であると思われる。スイミングクラブに通ったので水泳には自信がある学生も,深いプールや流れのあるところでは本当に泳げるであろうか。今回の結果から自己保全能力に深い関連が認められたのは10分間泳距離であった。つまり最低10分は継続して泳ぎ続けられる能力,距離にして400m以上が備わることも自己保全能力評価の有効な指標となりうることが示唆された。  事故に遭遇したときにとる行動パターンを10分間泳距離との関連で検討したところ,事故が自分の場合がr=-0.550(p<0.05),家族・友人の場合がr=-0.446(p<0.05)といずれも負の相関が認められた。このことは,泳距離が短い,つまり自己保全能力の低いものほど泳いで救助する,無謀な行動をする傾向があることを示唆するものである。  水泳レベルが高いものほど救助の難しさを理解し,無理をせず,慎重な行動をとり,レベルが低いものほど水難事故の怖さを知らない行動をとるという傾向がみられた。健聴学生を対象にした調査結果3)では泳力の低い学生の自己評価と客観的評価は一致しており,救助や自己保全に対しては「自分の安全を第一」に考える傾向を示していた。このことから自己の能力を過大評価する傾向は聴覚障害学生の特徴ではないかと思われ,救助に際しての無謀な対応はwater safetyに対する知識不足に起因するものではないかと推察される。本学学生の現状では実際に水難事故の場面に遭遇したときに自らが対処できないばかりでなく,無理に救助しようとして二次災害を引き起こしかねない。新聞記事や講習会,授業などを含めた着衣泳の経験が全くなく,water safetyの認識も技能も低いという現状は,特に本学においては着衣泳を含めたwater safety教育を実施する必要性が高いことを示している。また,本研究結果で示きれた自己認識のズレを改善するためにも大学就学以前の教育レベルでwater safetyに関する知識や実技を含む水泳指導が実施きれることが望まれる。 4.文献 1.荒木 昭好:水の事故に関する知識.水泳指導法研究Ⅱpp30-36.1991. 2.警察白書.1992. 3.大山 康彦ら:水泳運動能力習得過程の分析.茨城キリスト教大学紀要.vol.28.pp51-66.1994. 4.斉藤 まゆみ:聴覚障害学生のwater safetyに関する知識.筑波技術短期大学公開講座テキスト.pp18-20.1993. 5.佐野 裕:濡れた衣服の陸上での重き.水泳指導法研究会発表資料.1992. 6.The Royal life saving society:Swimming&Lifesaving. The mamual. 1987. 7.梅本 二郎:新旧学習指導要領対比と考察(小学校体育科編).明治図書.1989. 8.浦井 孝夫・山川 岩之助:改訂中学校学習指導要領の展開(保健体育科編).明治図書.1989. 9.浦井 孝夫・山川 岩之助・金子 明友:改訂高等学校学習指導要領の展開(保健体育科編).明治図書.1989.