鍼灸臨床における効果的な手指消毒剤に関する検討 筑波技術短期大学附属診療所 山下 仁 筑波技術短期大学鍼灸学科衛生学・公衆衛生学 一幡 良利 社会福祉法人桜雲会(前:筑波技術短期大学) 高橋 昌巳 summary  鍼灸臨床において効果的な手指消毒剤を検討する目的で,パームスタンプ培地を用いて各種消毒洗浄剤および消毒剤の効果を比較・評価した。ヒビスクラブ,ウエルパスおよびヒビスコールは,タイサリートや消毒用エタノールに比較して顕著な生菌数の減少を認めた。またヒビスクラブを用いた手洗いにより,少なくとも一晩は手指の消毒効果が持続していた。以上の結果から,鍼灸臨床においては診療開始前にヒビスクラブを用いて手洗いを行い,施術(刺鍼)直前にヒピスコールを噴霧することが現時点で最も効果的な手指消毒法であると結論した。 keywords 鍼灸,消毒剤,手洗い,細菌感染,パームスタンプ培地 1.緒言  鍼灸臨床においては施術による感染症の防止に留意する必要があることは周知の事実である。過去に鍼灸施術に起因すると思われる感染症の症例1-6)や調査結果7,8)が報告されている。これらの報告では鍼施術との因果関係は証明されていないものの,施術者と被施術者との間で菌の受け渡しがあることを示唆する報告9)があることから,鍼そのものの滅菌・消毒の不備だけでなく術者の手指から細菌感染を起こした可能性も否定できない。近年はB型肝炎ウイルスやヒト免疫不全ウイルスに関する知識が普及してきたため,鍼灸業界においてもオートクレーブによる鍼の滅菌やディスポーザブル鍼の導入,およびその啓蒙活動10)などが徹底しつつあるが,手指の消毒に関しては未だ徹底しているとはいえないのが現状である。 野口ら11)の調査では,茨城県内の鍼治療を主体とする開業鍼灸師が用いている手指の消毒剤は,エタノールが98.3%,ヒビテンが34.5%,逆性石鹸が29.3%であった。これらの消毒剤が実地の鍼灸臨床においてどの程度の効果を発揮するのかは明らかとなっていない。また視覚障害者をもつ鍼灸師は触察によって施術部位や施術器具の位置を認知する場合が多いため,施術直前に適切な消毒剤を用いて手指消毒を行うことは必須である。  そこで我々はパームスタンプ培地を用いた手指の常在細菌数の変動から,鍼灸臨床において用いるべき適切な手指消毒洗浄剤および消毒剤の効果について検討したので報告する。 2.実験1:消毒洗浄剤を用いた手洗いによる消毒効果 2.1 方法  本学職員,附属診療所研修生および学生のボランティアを被験者とした。まず手洗い前に滅菌水によって手指を濡らしたのち,パームスタンプ培地旧研生物医学研究所,一般細菌・真菌用)に手掌を密着させ更に爪を立てさせた。次にトリクロサン配合石鹸液(タイサリート)およびグルコン酸クロルヘキシジン含有手指用殺菌消毒剤(ヒビスクラブ)を用いて,それぞれ5名ずつ手洗いをさせ,清潔なペーパータオルで軽く水分を拭き取った後,同様にパームスタンプ培地に密着させた。これらの培地を37℃で48時間培養した後,培地上に発育したコロニー数を測定した。評価は便宜的に次のように行なった。すなわち指腹部についてはコロニー数がOcolony forming unit(cfu)を0,1~10cfuを1,11~30cfuを2,31~50cfuを3,51cfu以上を4とし,母指から小指までの平均値とした。また掌部については1㎠あたりの平均コロニー数を指腹部と同様に評価した。なお例数が少ないため統計解析は行わず,個々の例における前後の変化を観察した。 2.2結果  写真左に示すように,培地上に発育したコロニーは掌部および指腹の全体に認められた。特に爪を立てた部分すなわち爪と指尖の間のコロニー数は他の部位と比べて著しく多かった。また被験者や消毒剤によって差はあるものの,全般的には写真右に示されるように,手洗い後の生菌数は明らかに減少する傾向が見られた。タイサリートを用いた手洗いでは,指腹においてコロニー数の減少が1例,増加が1例,不変が3例であり,掌部において減少が2例,不変が3例(うち1例は手洗い前から0)であった(図1)。一方ヒピスクラブを用いた手洗いでは,指腹において減少が4例,不変がl例であり,掌部において減少が3例,増加が1例,不変が1例(但し手洗い前か らO)であった(図2)。 3.実験2:消毒剤による手指の消毒効果 3.1 方法  被験者5名に消毒用エタノール綿花による手指の清拭,4名に塩化ベンザルコニウム含有エタノール溶液(ウエルパス)の手指への擦り込み,2名にグルコン酸クロルヘキシジン含有エタノール溶液(ヒビスコール液A)の手指への噴霧を行わせて,消毒前後のコロニー数を測定した。被験者,使用培地,培養法,評価法,観察法は実験1と同様である。 3.2結果  消毒用エタノール綿花による清拭では,指腹において細菌数の減少が4例,不変が1例(但し清拭前からO)であり,掌部において減少が3例,不変が2例(うち1例は清拭前からO)であった(図3)。ウエルパスによる擦り込みでは,指腹において減少が4例であり,掌部において減少が2例,不変が2例(但し擦り込み前からO)であった(図4)。ヒビスコールの噴霧では,指腹において減少が1例,不変が1例(但し噴霧前から0)であり,掌部において不変が2例(但し噴霧前からO)であった(図5)。 4.実験3:ヒピスクラブを用いた手洗いによる消毒効果の経時的観察 4.1 方法  まだ臨床活動を行っておらず消毒用剤を常用していない本学附属診療所研修生新人7名を被験者とし,初めて臨床業務を開始する日(1997年4月最初の水曜日)の朝の手洗い前,同日朝の手洗い直後,同日夕方の臨床業務終了時,および1週間の臨床業務(但し土・日曜は業務なし)を経た翌水曜日の朝の手洗い前,の計4回,パームスタンプ培地を用いて実験1と同様に付着した菌を培養した。評価は便宜的に次のように行なった。すなわち指腹部のコロニー数を測定し,0cfuを0,10cfu以上10の1条cfu未満を1,10の1条cfu以上102cfu未満を2,10の2条cfu以上を3として母指から小指までの平均値とした。なお統計解析はWilcoxonの符号付順位検定を行なった。 4.2結果  指腹の評価は,朝の手洗い前には平均1.83であった。手洗い後には7例とも生菌数が減少し平均0.46となった。同日夕方の臨床業務終了時には3例がさらに減少,3例が増加,1例が0のまま不変であり,平均0.37であった。1週間後の朝の手洗い前には平均0.83であった。最初の朝の手洗い前と比較すると,後の3回はいずれも有意(p<0.02)に減少していた。 写真 パームスタンプ培地上のコロニー(左:手洗い前,右:ヒビスクラブ手洗い後) 図1 タイサリートを用いた手洗いによる消毒効果 図2 ヒビスクラブを用いた手洗いによる消毒効果 図3 消毒用エタノール清拭による手指の消毒効果 図4 ウエルパス擦り込みによる手指の消毒効果 5.考察  一般に鍼灸臨床では,診療開始前に細菌以外による汚染も含めて手指の洗浄を行うべきであるが,洗浄後に水道の蛇口や患者の身体に接触することにより再び細菌を受け取ることになる9,12)。このため鍼を刺す直前にもう一度手指の消毒を行う必要がある。我々は既に医療の現場において汎用されている種々の消毒洗浄剤および消毒剤の効果について評価し,クロルヘキシジン製剤であるヒビスクラブが非常に優れた消毒効果を有することを確認している13)。今回は鍼灸臨床で用いられる頻度の高い11)消毒用エタノール,クロルヘキシジン製剤,塩化ベンザルコニウム(逆性石鹸)製剤に加え,トリクロサン配合石鹸液も対象として,実際の手洗いおよび手指消毒操作による消毒効果および持続効果を比較検討した。  診療開始前に用いるべき効果的な手指消毒洗浄剤を検討したところ,いくつかの例において培地上のコロニー数が増加したものがある。これらは手指を濡らしてから時間が経過するにしたがって指紋や角化層の鱗片に潜在している細菌が浮き出てきたものと思われる。しかし全体としては手洗い後および消毒後には手指の細菌数は減少する傾向であった。タイサリートすなわちトリクロサン配合石鹸液は,いわゆる家庭用薬用石鹸としてもよく用いられているが,相対的に除菌効果が悪く鍼灸施術の際に用いるには不十分であるように思われる。特に指腹部の細菌数が減少しなかったのは,被験者個人の手洗いの技術にもよるが,爪と指尖との間にある細菌が十分に除菌または殺菌されなかったためと思われる。一方,ヒピスクラブすなわちグルコン酸クロルヘキシジン含有手指用殺菌消毒剤は効果が優れており,指腹部においても細菌数が減少している。このことから診療開始前の手洗いにおいてはヒビスクラブを用いるのが適当であると考えられる。  次に,施術直前に用いるのに効果的な手指の消毒剤を検討したところ,消毒用エタノール綿花による清拭によって指腹部の消毒効果は十分とはいえなかった。消毒用エタノールは数秒間で強力に殺菌効果を発揮する14)が,清拭の技術によっては爪と指尖の間の消毒が不完全になると思われる。過去に消毒用エタノールによる清拭が施術部位の消毒方法としては適当であることを確認している15)が,揮発後に付着した細菌に対しては消毒効果が認められない16)ことから,施術者の手指消毒剤としては効果が一定期間持続するものの方が望ましい。一方,ウエルパス擦り込みおよびヒビスコール噴霧による手指の消毒消毒効果は,被験者の消毒操作に個人差があると思われるにもかかわらず消毒用エタノール清拭に比べて消毒操作後の残存菌が著しく少なかった。ヒピスコールを用いた被験者は2例と少ないが,既にヒビスコールの優れた消毒効果については確認がなされている9,17,18)。このことから施術直前の手指の消毒剤としてはウエルパスまたはヒピスコールを用いるのが効果的であると考えられる。特にクロルヘキシジン含有エタノール溶液はin vitroおよびin vivoの実験において短時間および長時間の殺菌効果に優れている19)ことから,今回の検討対象となった消毒剤の中ではヒピスコールが最も手指消毒に適していると思われる。  更に,ヒビスクラブを用いて手洗いを行なった際の消毒持続効果を検討した。その結果,手指の細菌数は手洗い直後だけでなく,当日の夕方,さらには1週間後の朝の手洗い前にも実験開始日の手洗前と比較して有意に減少していることがわかった。実験開始以降,被験者である研修生は臨床業務に従事していたため,1日に数回以上ヒビスクラブによる手洗いを行っている。しかしながら1週間後の朝(手洗い前)にも手指の細菌数が減少していることは,少なくとも前日の臨床業務終了から幾らかの消毒効果が残存していることを示唆している。また連日ヒビスクラブによる手洗いを反復することによって,手指の一過性および常在菌叢に影響を与えていることも考えられる。  既に述べたように,鍼灸臨床における手指の汚染除去および消毒については診療開始前の手洗いと刺鍼直前の手指消毒の2段階が必要である。ウエルパスはヒビスコールに勝るとも劣らぬ消毒効果を示したが,普通石鹸類とは荷電が逆性であるため,第1段階でヒビスクラブを用いて手洗いを行うならば,その後は同系薬剤であるヒビスコールを噴霧した方が確実であると思われる。但しヒビスコールには引火性があり,また粘膜面への使用はショック症状を起こす危険性があるため禁忌である20)。故に灸施術の際の火気,および患者の粘膜面からは遠ざけて使用するよう注意が必要である。  今回の実験結果から,鍼灸臨床においては診療開始前にヒピスクラブを用いて手洗いを行い,施術(刺鍼)直前にヒビスコールを噴霧することが現時点で最も効果的な手指消毒法であると結論した。 (本研究に被験者として御協力頂いた本学の職員,附属診療所臨床研修生,および鍼灸学科学生の皆様に心より感謝を申し上げます。) 図5 ヒビスコール噴霧による手指の消毒効果 図6 ヒビスクラブを用いた手洗いによる消毒効果の経済的観察 参考文献 1)Hadden, W. 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For the purpose of determining an effective detergent and disinfectant for acupuncture therapists' hands, several products were tested,and viable cell counts were detennined according to the palmstamp method. The result showed that the effectiveness of Hibiscrub, WELPAS and Hibiscohol for reducing the viable cells of the subjects' hands surpassed the effectiveness of TAISALITE or Ethanol for disinfection. Handwashing using Hibiscrub showed a continuous antiseptic effect which lasted at least overnight. Considering the present result, we conclude that the most effective methods of disinfestion for acupuncture therapists' hands available is to scrub the hands with Hibiscrub before treatment followed by spraying with Hibiscohol immediately before inserting needles.