遠隔地からの手話通訳に関する-考察 聴覚部デザイン学科 松井 智、伊藤 三千代 聴覚部電子情報学科電子工学専攻 内藤 一郎 要旨:近年、テレビ電話やテレビ会議システムを利用した遠隔地同士での手話会話が可能になってきた。将来的には、こうした技術を活用した遠隔地からの手話通訳支援サービスも可能になることと思われる。しかし、実際に遠隔地から講義や講演などの手話通訳を行なう場合には、現在指摘されているような画像品質以外にも、重要な問題を考慮する必要があると考えられる。我々は、実際の授業の中で模擬的な遠隔地からの手話通訳を行ない、こうした問題の可能性を検討した。本稿では、その結果について報告する。 キーワード:手話通訳、テレビ会議、テレビ電話、遠隔地通信 1.はじめに  近年、データ伝送量の大きいコンピュータ・ネットワークやISDN回線の普及、ならびに画像圧縮技術の進歩に伴い、テレビ電話やテレビ会議システムを利用した手話の遠隔地通信が可能になってきた。将来的には、こうした技術を利用した広範囲の遠隔地手話通訳支援サービスが可能になってくるものと思われる。  一方、現在行なわれているいくつかの試行的な実験では、こうした手話の遠隔地通信に対する不満やストレスの高さが報告されている。これは、現在のテレビ電話やテレビ会議システムでは十分な画像品質(画質やフレーム数など)が確保されていないために会話が不自然なものになってしまうためであると考えられている1)。  しかし、健常者がテレビ会議を利用する際にも臨場感の伝達を考慮することが重要であると指摘されており2)、空間を利用して会話を行なう手話では、必ずしも画像品質だけでは解決できない問題が残る可能性が高い。特に、1対多の通訳場面となる講義や講演などでは、1対1の通訳場面に比べて状況が複雑になるため、リアルタイムで通訳を行なう場合には新たな問題が起こる可能性が予想される。そこで我々は、こうした問題を調べるために、実際の授業の中で模擬的な遠隔地からの手話通訳を実施した。今回、その結果について報告する。 2.実施内容  今回実験を行なった授業は次の通りである。 日時:1995年11月13日 場所:113講義室 科目名:メディアデザイン演習 担当教官:赤川 司 氏 (非常勤講師、テレビ朝日美術製作センター)  授業内容としては、テレビ番組での美術制作に関するもので、テレビ美術の歴史や制作組織、実際の制作行程などを、制作現場の立場からビデオ映像やコンピュータのオーサリング・ソフト(HyperCard)の画面を交えながら説明がなされた。手話通訳の方式としては、午前中の授業時間(2時限目:約80分)には手話通訳者は講義室内の学生の後方に位置し、通訳内容をモニタ画面に映す方法で授業を行なった。また、午後の授業時間(3,4,5時限目:約240分)には講師の脇に手話通訳者が位置して通訳を行なう通常の方式で授業を実施した。モニタ画面を通した通訳では、通常のビデオ信号を使い表示しているため、画像品質の問題は除去され、午前と午後の内容を比較することで新たな問題点の有無を議論することができる。  講義室内の配置図を図1ならびに図2に示す。ビデオ映像(図中の「映像」)と手話通訳者の映像は33型のモニタ画面に、コンピュータ画面(図中の「文字」)は36型のモニタ画面に映して提示した。ただし、学生の配置は午前と午後では変更を行なっている。実際の授業の様子を図3ならびに図4に示す。 3.実施結果  今回の実験の評価を行なうために、授業終了後、学生には簡単なアンケート調査を実施した。アンケートの設問内容は、「手話通訳の読み取りやすさ」や「内容が良く分かる」などで、それぞれの設問に対して5段階で評価し、何らかコメントがあれば自由に筆記できる形式で行なった。  また、通訳者には実際に通訳を行なった際の感想を聞き、通訳する側の評価も行なった。  図5に「手話通訳の読み取りやすさ」、図6に「内容が良く分かる」に関する評価の結果を示す。どちらの場合も午後の授業の方が高い評価の傾向を示している。特に、「手話通訳の読み取りやすさ」に関しては明らかな差異が見られた。  なお、自由筆記のコメントの内容は、モニタ画面を通した通訳に好意的な内容としては、 ・画面の方が通訳者の上半身が大きく見えるので読み取りやすかった。 ・通常の通訳の場合には、通訳者が場面によっては身体の向きを変えるため読み取りにくい場合があった。 ・画面での通訳の場合には、通訳者が講師やその提示物を遮るようなことがなく良かった。 などであった。  また、通常の通訳方式に好意的な内容としては ・モニタ画面では空間が限定されているため、手話動作が小さくなり読みづらかった。 ・通訳者が必ず講師の近くにいたので同時に見ることができ読み取りやすかった。 ・通常の通訳の方が通訳者のノリが良く、微妙なニュアンスが伝わっていたように思う。 ・画面を通した通訳は、何となく冷たく感じた。 などがあった。  最後に、通訳者の感想であるが、 ・講師が提示物を指さすときに、空間のどこを指さして通訳をすればよいか分からずに困った。 ・学生が通訳している内容を理解しているのかの判断ができなかった。 など、画面を通した通訳の難しさが指摘された。ただし、同一講義室内の学生の後方から通訳した関係もあり、 ・午前の通訳の場合には、講師やその提示物を正面から見ることができ、通訳する際の内容の把握は容易であった。 という好意的な意見もあった。 図1 午前の授業形態 図2 午後の講義形態 図3 午前の講義場面 手話通訳はモニタ画面に映し出されている 図4 午後の講義場面(1) 手話通訳はモニタ画面の横に座って通訳を行っている 図5 手話通訳が読み取りやすい 図6 内容が良く分かる 4.考察ならびに今後の課題  今回の実験では、学生にも通訳者にも通常の方式の通訳の方が全体的に評価が高かった。  手話通訳者は、通常、講義などの通訳を行なう際には、学生などの反応や表情を見て、学生達が理解していないような場合には、手話表現を変えて提示してみたり、内容をかみ砕いた形で提示したりする場合がある。しかし、画面を通して通訳を行なう場合には、通訳者のコメントにあるように「学生が理解しているのかの判断ができない」ため、講師の説明をそのまま通訳する形となった。その結果として、学生の「通常の通訳の方がノリが良く、微妙なニュアンスが伝わっていた」や「画面を通した通訳は何となく冷たく感じた」などの感想になっているものと思われる。  また、通常の方式の通訳の場合には、講師が提示物を指さして説明するときには、通訳者も同じものを指さして通訳することができる。(図7)さらに、講師の動きにあわせて通訳者も場所を移動させたり(図8)、同じ動きを行なって通訳することができるので(図9)、こうしたことも「ノリの良さ」や「冷たさ」などの評価の中に含まれているものと思われる。  こうした違いは、遠隔地から通訳する場合には、通訳者がどうしても講師や学生達と同一の空間を共有することができないために起こるものと考えられる。今回のこうした結果は、遠隔地からの手話通訳に関してこれまで指摘されていたような画像品質だけではなく、それ以外にも重要な問題があることを示しているものと考えられる。  実際に遠隔地から通訳を行なう場合には、図7~図9に見られるような通訳は困難である。しかし、講義室内の全体の状況や学生達の表情などを遠隔地にいる通訳者に伝達することで、講義空間の臨場感を少なからず伝えることは可能であると思われる。また、そうしたことがより効果的な遠隔地通訳を可能にするものと考えられる。  今後、今回の結果を基に、遠隔地からの手話通訳を実施する際に通訳者に提示する情報として、講師の表情や音声だけではなく、こうした臨場感を伝達するような補助画面情報の付加の必要性や効果的な提示方法などをさらに検討していく必要がある。  また、今回、通常の通訳の場合にも、「通訳者が講師や提示物を遮って見にくかった」という指摘もあったことから、通常の通訳を行なうような場合にも、より効果的な講義室内の配置なども検討していく必要があると思われる。 5.謝辞  今回、快く実験に協力してくださった非常勤講師の赤川 司氏、ならびに手話通訳を担当していただいた長田 繁子さん、高城 規子さんに心から感謝いたします。また、実験後のアンケート調査に協力してくれた学生諸君にも心から感謝します。 図7 午後の講義場面(2) 通訳者が講師と同じものを指して通訳を行っている場面 図8 午後の講義場面(3) 通訳者が講師の移動に伴い立ち上がって通訳を行っている場面 図9 午後の講義場面(2) 通訳者が講師の動きに合わせて通訳を行っている場面 参考文献 [1]山下 真希,赤松 享,鎌田 一雄,“テレビ電話の画像品質と手話会話に関する検討”,信学技報,HCS96-44,pp1-6,1997 [2]井上 智雄,岡田 謙一,松下 温,“空間設計による対面会議と遠隔会議の融合:テレビ会議システムHERMES”,電子情報通信学会論文誌,J80-D-IL9,pp2482-2492,1997