施灸による抗体産生の昂進-黄色ブドウ球菌免疫ウサギ血清中の抗体価- EnhancedAntibodyProductionlnducedbyMoxibustion -SerumAntibodyinRabbitlmmunizedwithStaphy1bcoccusaureus- 筑波技術短期大学附属診療所 山下 仁,丹野 恭夫 筑波技術短期大学鍼灸学科衛生・公衆衛生学 一幡 良利 要旨:灸の免疫学的効果を明らかにするため,施灸したウサギに黄色ブドウ球菌Smith株を用いて免疫を行い,血清中の抗体価を酵素標識免疫定量法(ELISA)により測定した。その結果,施灸の時期や期間によって差はあるものの,同株に対するIgMおよびIgG抗体は無施灸対照群よりも上昇していた。今回の実験から,古来より疾病予防を目的として用いられてきた灸に免疫学的根拠があることがわかった。 キーワード:灸,抗体,免疫,黄色ブドウ球菌,酵素標識免疫定量法 1.はじめに 灸は,ヨモギの葉の繊維を乾燥きせ精製して得られた艾を一定の大きさに分割して皮膚上で燃焼させる東洋医学系の温熱刺激療法である。灸が東洋,特に日本において古来より疾病予防を目的として用いられてきたことは周知の事実である。しかし生体の感染防御能に対する効果の実験的根拠は充分とはいえない。1930年代以前に灸の免疫学的効果に関する研究報告が幾つか発表されているL21。しかしこれは灸が結核の治療法として期待された時期があり,その臨床応用の可能性を実験的に検討したものであったため,抗生物質が普及した後にはこのような研究論文は皆無となった31。1970年代以降は予防医学の観点から灸の感染防御能に対する効果を免疫学的に検証する研究が徐々に行われるようになった'-61。しかしこれらの研究では実際に微生物を用いた検討は行われていない。 我々は,施灸したウサギに黄色ブドウ球菌を用いて免疫を行い,血清中の抗体価を酵素標識免疫定量法(ELISA)により測定して灸の抗体産生に対する影響を検討し,一連の報告を行ってきた9,101。今回,施灸の条件を変えて更に詳しく検討したので報告する。 2.材料と方法 2.1実験動物と施灸方法 実験動物にはウサギ(日本白色種,雌)を用いた。施灸は,腰部の体毛をバリカンで刈り,腰部第4および第5腰椎鰊突起の左右外方1cmの部位(ヒトにおける大腸命および関元命の経穴(ツボ)に相当)4ケ所に米粒大(約2mg)の透熱灸を10壮ずつ行った。文は釜屋特選最上点灸用文を使用した。実験は施灸の時期を変えて,以下の方法に準じた。 (1)全過程を通して週1回施灸: 全過程施灸群(4羽)に初回免疫開始4週前より初回免疫後12週にわたり週1回施灸し,無施灸対照群(4羽)と比較した。 (2)免疫から5日間連続して施灸: 免疫後5日連続施灸群に初回免疫直後から5日間連続して施灸し,無施灸対照群(4羽)と比較した。 (3)免疫前および免疫後に施灸(セッションl): 免疫前施灸群(2羽)には初回免疫の4週前から週1回施灸し,免疫後施灸群(2羽)には初回免疫の4週後まで週1回施灸し,免疫前後の施灸群および無施灸対照群(2羽)と比較した。 (4)免疫前および免疫後に施灸(セッション2): 免疫前施灸群(2羽)には初回免疫の4週前から週1回施灸し,免疫後施灸群(2羽)には初回免疫の4週後まで週1回施灸し,両群を比較した。 なお無施灸対照群のウサギは,施灸群のウサギと同様に腰部の体毛を同様に刈り,また免疫も同様に行った。 2.2使用菌株と免疫方法 使用菌株は莱膜保有代表株である黄色ブドウ球菌Smith株を用いた。抗原の調整は本菌株をBrainHeart lnfusion培地で37℃,18時間培養後,菌体を洗浄し,121℃,15分間加熱処理したものを真空凍結乾燥器(FD型,日本テクノサービス(株))を用いて加熱死菌ワクチンを作製した。免疫スケジュールは滅菌生理食塩水(生食)lmlにつき40mgの加熱死菌ワクチンを浮遊させ,生食と等量のFreund,sincompleteadjuvant(DIFCO社製)を添加し,05mlすなわち1羽につき10mgのワクチンを各群のウサギの腰部正中に皮下接種し,2週後同様に追加接種した。血液を定期的に耳動脈より採血し,血清を分離して測定時まで-80℃の冷凍庫にて保存した。 2.3血清抗体価の測定方法 採取したウサギ血清中の黄色ブドウ球菌Smith株に対するIgMおよびIgGの抗体価をELISAにより測定した。 ELISAはIchimanらの方法''1に準じて行った。すなわち,ポリスチレン製マイクロプレートの各ウェルに前述の加熱死菌ワクチン1mgを生食lmlで溶解後,各々50/dずつ分注し,4℃で一昼夜静置してから0.1%Tween20含有phosphatebufferedsalineで洗浄(以下洗浄)した。次に1%のbovineserumalbuminを分注し,室温で1時間静置してから再び洗浄した。このプレートに100倍希釈した被検血清を分注し室温で1時間反応させた後,洗浄した。 IgM測定用プレートには1000倍希釈したalkaline phosphataselabeledgoatanti-rabbitlgM(Southern BiotechnologyAssociates社製)を,IgG測定用プレートには4000倍希釈したalkalinephosphataseconjugategoat anti-rabbitlgG(BioMakor社製)を酵素標識抗体として室温で1時間反応させ,洗浄した。最後に酵素基質としてAlkalinePhosphataseSubstrateKit(p-nitrophenylphosphate,BIORAD社製)を用いて発色させ,EIA READER(MODEL2550,BIORAD社製)で30分後のopticaldensity(0,,405,m)を測定し,これを抗体価の指標とした。 なおサンプル数が少ないため,統計解析は行わず,目視によって各群の抗体価の変動傾向を観察し相対的比較を行った。 3.結果 実験の全過程において週1回施灸した場合,施灸群のIgM抗体のOD値は初回免疫後4週目頃より増加し11週月頃まで高値を保ったが,無施灸対照群では著明な変化がみられなかった。IgG抗体のOD値は,両群とも初回免疫後2週目頃より徐々に増加して11週目頃から一定の値で安定したが,一貫して施灸群の方が高い値を保っていた。(図1) 初回免疫から5日間連続して施灸した場合,施灸群のIgM抗体のOD値は平均では無施灸対照群よりも高かったが,個体によるばらつきが大きく,増加しているようには見えなかった。IgG抗体のOD値は,施灸群の一部が6週目において高値を示し8週目頃からやや高い値を保ったが,無施灸対照群においては観察期間を通して増加傾向は認められなかった。 免疫前および免疫後に施灸した場合,セッションlでは,IgM抗体のOD値は免疫前施灸群が6,8,9,10週目において免疫後施灸群と無施灸対照群を上回っていた。 IgG抗体の0,値は,免疫後施灸群が0週目から高値でありウサギが実験前より感作されていたことを示していたため免疫処置の影響を読み取るのは困難であったものの,免疫前施灸群は低値から徐々に増加して6,7,9,10週目においては無施灸対照群よりも高値を示した(図3)。一方,セッション2では,IgM抗体のOD値は免疫後施灸群の方が2,3週および5週目以降に免疫前施灸群を上回った。IgG抗体のOD値は両群とも大差なく徐々に増加した(図4)。 図1実験の全過程において週1回施灸した場合 図2初回免疫から5日間連続して施灸した場合 図3初回免疫前および初回免疫後に4回(週1回)施灸した場合:セッション1 4.考察 時枝Uはチフス菌の加熱死菌ワクチンで免疫したウサギを用いて,施灸したウサギでは同ワクチンに対する抗体産生が増進することを報告している。しかし75~150mgの文柱を用いて広範囲の火傷を起こしているため,臨床的には灸療法の範蠕と言えるものであるか疑わしい。これに対して,今回行った米粒大(約2mg)の透熱灸は,瞬間的に温度が約160℃に」二昇するものの45℃以上の温度持続時間は約10秒であるため1町,日常行われている灸治療に近い。この程度の施灸刺激によっても,今回の実験結果から,黄色ブドウ球菌Smith株に対する抗体産生が昂進することがわかった。またIgM抗体,IgG抗体ともに無施灸対照群よりも抗体価が」二昇している場合が多いことから,長期間感染防御能を持続する可能性がある。また黄色ブドウ球菌Smith株免疫ウサギIlll情はマウスに対する被動性感染防御活性を有しており,特にIgM抗体が関与していると考えられていることから':Ⅱ,我々の実験で得られた施灸ウサギ血清もマウスにおける感染防御活性が非施灸ウサギ血清より高いと考えられる。 今回,施灸の時期を変えて抗体産生の状況を比較検討した結果,初回免疫から5日間のみ施灸した場合は,全過程を通して週1回施灸した場合よりも抗体価の上昇が著明でないことがわかった。しかし免疫前と免疫後の施灸の効果の比較においては,2回のセッションの結果に食い違いが生じたため,ワクチン接種後に施灸をするのと接種前に施灸をするのとではどちらが効果的かという疑問については結論が得られなかった。今後サンプル数を増やして更に検討する必要がある。今回の結果から少なくとも,長期間定期的に施灸を行った方が短期間のみの施灸よりも抗体価の上昇が著明であることは明らかとなった。ただし同一部位の皮膚に強刺激で反復的な熱刺激を行うと,局所の病的な免疫反応を惹起する可能性がある'Ⅱ。故に臨床的観点からはより小さな灸による反復刺激が望ましいと思われる。 実験動物の抗体価の上昇は,電子灸(3.6mgの文柱に相当)によっても観察されている`71。故に,灸が抗体産生を昂進させるメカニズムについては,文の成分151よりも熱刺激の要素が重要ではないかと考えられる。我々は施灸後少なくとも一過性に末梢、のT細胞サブセットのバランスに変動が生じることを観察している'61.よって今後は刺激量と刺激時期による違いとともに,細胞機能のどのプロセスに関与して抗体産生が昂進するのかを明らかにしてゆきたい。 (本研究の一部は平成9年度筑波技術短期大学教育研究特別経費によって行われた。また本論文の要旨は,第39回ブドウ球菌研究会,第46回日本東洋医学会学術総会,第47回日本東洋医学会学術総会,第4回世界鍼灸学会において発表した。) 図4初回免疫前および初回免疫後に4回(週1回)施灸した場合:セッション2 文献 1)時枝薫:灸の実験的研究(第三報告)血清の変化.日本微生物学雑誌,20,pp3895-3920(1926). 2)原志 免太郎:萬病に効くお灸療法.第1版,ppl57178(1933),實業之日本社. 3)山下 仁:米粒大透熱灸に関する追試結果と新知見一作用温度,抗体産生への影響など-.鍼灸OSAKA,12(3),pp218-221(1996). 4)五十嵐 宏,丹野 恭夫,光藤 英彦,代田 文彦:免疫機構に及ぼす針灸の効果1.施灸家兎およびマウスにおける抗体産生能.日本東洋医学雑誌,26(2),ppll7-l21(1975). 5)丹野 恭夫:灸の家兎末梢リンパ球幼若化現象に及ぼす影響.日本東洋医学雑誌,28(1),ppl8-22(1977). 6)渡辺 信一郎,伯田 宏,松尾 敬志,原 寛,原志 免太郎:電子灸の施灸後の免疫機能への影響(1).全日本鍼灸学会雑誌,31(1),pp42-50(1981). 7)渡辺 信一郎,松尾 敬志,原 寛,広瀬 勝美,原志 免太郎:電子灸の施灸後の免疫機能への影響(2).全日本鍼灸学会雑誌,32(lLpp20-26(1982). 8)奥野 英子,篠原 昭二,宇都宮 由美子,咲田 雅一:マウス免疫能の灸刺激後の変化について.明治鍼灸医学,15,pp47-52(1994). 9)山下 仁,高橋 昌巳,西條 一止,一幡 良利:黄色ブドウ球菌免疫ウサギ血清中の抗体産生に及ぼす灸の効果.日本東洋医学雑誌,47(3),pp457-464(1996). 10)Yamashita H,Ichiman Y.,Takahashi M,and Nishijo K:Effects of Moxibustion on the Enhancement of Serum Antibody in Rabbit against Staphylococcus aureus. American Journal of Chinese Medicine,26(1),pp29-37(1998). 11)Ichiman,Y, Suganuma, M、,Takahashi, M・and Yoshida K: Relation of human serum antibody against Staphylococcus epidermidis cell surface polysaccharide detected by enzymelinked immunosorbent assay to passive protection in the mouse Journal of Applied Bacteriology, 71, 176-181, 1991 12)山下 仁,江川 雅人:透熱灸の温度と燃焼時間-艾柱の密度および高さの影響-.全日本鍼灸学会雑誌,45(3),203-207,1995 13)Yoshida,K.,Ekstedt,R: Antibody response to Staphylococcus aureus in rabbits: Sequence of immunoglobulin synthesis and its correlation with passive protection in mice. Journal of Bacteriology,96(5),1540-1545,1968 14)金武 悟,山下 仁,西條 一止:灸の副作用に関する文献調査.臨床鍼灸,12(2),pp15-19(1997). 15)西谷 郁子,植田 伸夫:灸の過酸化脂質低下作用(Ⅲ)モグサ・タール成分による皮膚化酸化物の低下.帝京医学雑誌,7(3),pp263-267(1984). 16)山下 仁,丹野 恭夫,一幡 良利,西條 一止,高橋 昌已:米粒大透熱灸がウサギおよびヒト末梢血の白血球動態に与える影響.日本東洋医学雑誌,48(5),pp599-608(1998).