消毒用エタノールの常在細菌に対する形態変化と生菌数の変動 筑波技術短期大学鍼灸学科衛生学・公衆衛生学 一幡 良利、浅賀 久美、池田 尚弘、木村 佳代、竹谷 恵美 要旨 皮膚表面に常在する細菌に対するエタノールの消毒効果と持続性を検討した。消毒回数と生菌数の減少ならびに出現は一致しており、消毒回数の多いほど生菌数の減少が著しく、持続性も長かった。皮膚表面から分離した表皮ブドウ球菌の消毒薬に対する効果を形態学的に観察したところ、細胞壁の断裂ならびに細胞質内のタンパク変性が顕著で確実に死滅していた。以上の事実から、消毒用エタノールの細菌に対する効果は、殺菌的に働く故に的確に用いれば、持続性もあり有効な薬剤であることが判明した。 キーワード 消毒、常在細菌、感染予防、鍼灸 1.緒言  鍼灸臨床1)及び医療分野2)3)では消毒用エタノールは皮膚消毒に最もよく用いられている。従来から、施術においては感染症の予防に的確な消毒法がなされなければならないことは当然である。しかしながら、忙しさのあまり疎かになりがちであると同時に、的確な消毒方法を理解してない事実が多い。過去に鍼灸治療後に発症したとみられる感染症の報告4-7)があるのはそれらの例を裏付けている。感染症の病態は原因となる微生物の種類により多岐に亘ることと、その病態をよりよく把握することも忘れてはならない。特に、皮膚感染症による化膿性疾患は的確な消毒法により未然に防御することが可能である。しかし、鍼治療による消毒薬として最も繁用されている消毒用エタノールにおいてさえも、その効果とメカニズムについての報告は少ない。事実鍼灸臨床についてその消毒形式ばかりが問題となっていた時期もあり、細菌学的根拠に基づく考えは少なかった。唯一、山下ら8)はエタノール消毒の根拠を細菌学的に検索し、消毒形式よりもむしろ的確な消毒法と常在細菌叢の多い部位については消毒用エタノール綿(酒精綿)を適宜取り替えることの重要性を指摘している。今回、酒精綿による消毒により常在細菌数の消長と出現時期を時間的経過と共に検索すると同時に、消毒用エタノール作用時の細菌の形態変化を電子顕微鏡にて観察した。 2.材料と方法 2.1消毒法:  健康成人(男性1名、女性3名)の右手孔最部を消毒用エチルアルコール(エタノール;76.9~81.4 Vo1%含有)をカット綿に浸し、酒精綿として1,3および5回清拭後、5分、15分、30分、1時間および2時間後に消毒部位の残存生菌数を求めた。このとき、3および5回の清拭では1回ずつ酒精綿を取り替えた。 2.2生菌数の測定法:  フードスタンプ培地(日水製薬)を用い各時間経過後に各健康成人の皮膚から常用9)10)により採取し、37℃の孵卵器で24時間培養した。培地表面(10㎠)に発育したコロニー数を算定し、生菌数を求めた。 2.3形態学的観察:  電子顕微鏡による形態観察は既報1)の方法により行った。消毒前に健康成人の皮膚から分離した表皮ブドウ球菌をBrain Heart Infusion(Difco)培地で37℃、24時間培養した後、集菌し、リン酸緩衝生理的食塩水で菌体を洗浄後、消毒用エタノールを30秒間作用させ直ちに遠心洗浄を行い、前固定は2.5%グルタールアルデヒドを用い、四酸化オスミウムで後固定をした。ついでアルコールで脱水、エポン812で包埋した。切片の作製は、Porter-Blume microtome(TypeNT-1, Ivan Sorval Inc.,)を用い、電子顕微鏡(JEOL,Model 100-B,日本電子)で観察した。 3.結果 3.1消毒効果:  酒精綿での1回の清拭では5~15分後までは消毒効果が認められたが、30分後には消毒前に近い生菌数の出現がみられた(図1)。3回の清拭では15分後まで顕著な減少(p<0.05)が見られ、30分後まで効果が持続したが、1時間後には新たにコロニーの出現がみられた(図2)。5回の清拭では1時間後まで消毒効果が認められたが、その効果は2時間後までであった(図3)。このとき、消毒後15分後までに認められた菌種は何れも、芽胞形成で非病原性の枯草菌であり、その検出率は1回清拭群では5分後に2名(50%)、3および5回清拭群では1名(25%)であった。これらの結果から、清拭回数と消毒効果の持続性は比例していた。 3.2電子顕微鏡的観察:  皮膚常在細菌のなかで最も分離頻度が高い、表皮ブドウ球菌の形態変化は未処置では細胞壁及び細胞質に変化がなく、細胞表層も無構造の像がえられた(図4)。しかしながら、生菌細胞に消毒用エタノールを処理したところ細胞壁は断裂しており、細胞質内のタンパク変性が顕著に認められ、エタノールが細胞壁面より、細胞質内へ十分に浸透し細胞障害を与えて、死滅せしめたことが判明した(図5)。 図1 酒精綿による消毒効果と時間(1回のみ消毒) 図2 酒精綿による消毒効果と時間(3回消毒) 図3 酒精綿による消毒効果と時間(5回消毒) 図4 表皮ブドウ球菌の電子顕微鏡像(無処置)スケールは500nmを示す。 図5 表皮ブドウ球菌の電子顕微鏡像(消毒用エタノール処置)スケールは500nmを示す。 4.考察  酒精綿による消毒効果はエタノールが皮膚表面に十分に拡散・浸潤することにより、皮膚常在細菌に作用し、顕著な消毒効果を発揮することは報告8)してきた。過去に消毒用エタノールによる清拭が施術部位の消毒方法10)として簡便で適切であることも確認している。今回の結果でも1回の清拭で15分後までは生菌数の著しい減少を認め、新たな出現までの時間は30分後で、その効果は持続することが判明した。この事実は、山下ら8)が腰背部での消毒効果の判定で示した消毒効果とも一致している。更に3~5回清拭ではその効果は30分後まで持続し、皮膚表面に十分量行き渡っていれば消毒効果は更に持続することが判明した。一定経過後の生菌数の検出には皮膚深部よりの常在細菌の出現あるいは外来性より付着したかによるが、外来性ではエタノールが揮発後には効果が少なくなり、細菌の付着も高まるので、これを防ぐには頻回消毒によるしかない。しかしながら、皮膚深部に潜んでいる細菌に対しては十分に浸透していなければこの経過時間では出現してくるものと考えられるので、これらの持続性を十分考慮の上消毒せねばならないことがよくわかる。また、皮膚の常在細菌として最も検出率が高く、日和見感染菌として注目されている表皮ブドウ球菌に対して、常用濃度での形態変化を観察したところ、細胞壁の断裂より、エタノールの浸透が細胞質に及び細胞質内の主要成分であるタンパクの変性が起こり菌が死滅している像がえられた。この事実は黄色ブドウ球菌および大腸菌でみられた形態変化での報告12)とも一致しており、的確な消毒法により生菌の死滅は容易であり、エタノールは良好な消毒薬と考えられる。しかしながら、芽胞形成菌にはエタノールは比較的効果が少なく11),本菌を大量に含有する個体ではより丹念に消毒を繰り返えせねばならない。このことは今回の結果でも枯草菌の除菌ができない症例があり、たとえ非病原性であっても丹念に消毒するか、あるいは他の消毒薬との組み合わせ(例えばグルコン酸クロルヘキシジンなどの含有製剤)10)12)を考えねばならない。近年鍼施術後に発症したとみられる劇症型A群レンサ球菌感染症6)7)や黄色ブドウ球菌感染症4)5)の化膿性疾患の原因菌はエタノールで十分な消毒効果を示すが、消毒する際には、徹底的に行いその他の感染症に対する知識をも十分に知る必要があると考えられる。医療分野では医師の使用するボールペンの細菌による汚染状況を調べ13)、かなりのボールペンの汚染を認め、これらが院内感染の原因になっている証拠はないが、筆記用具に至るまでの消毒を検討する時期が来ていることを指摘し、その徹底した消毒法がなされようとしている。これらの事実から、鍼灸臨床分野でも消毒に関する考え方をあらゆる方面から十分検討する時期にきていることを痛感する。 参考文献 1)野口 栄太郎,一幡 良利,西條 一止ほか:茨城県下に開業する鍼灸・手技治療院における消毒の実態.筑波技術短期大学テクノレポート,4,pp47-50(1997). 2)高橋 幸代:アルコール綿の皮膚消毒効果について.クリニカルスタデイ,16(11),pp35-40(19995). 3)一幡 良利:消毒.衛生・公衆衛生学用語事典,医学出版社,pp215-224(1997). 4)Hadden, W. 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These findings suggest that alcohol is the most rapidly active against cleaning skin.