米国東部研修への参加を通して感じた盲ろう学生への支援体制のあり方における一考察 森 敦史1),小林洋子2),白澤麻弓3),白石優旗4),佐藤正幸3) 筑波技術大学 大学院技術科学研究科 情報アクセシビリティ専攻1)筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 障害者基礎教育研究部2)筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 障害者支援研究部3)筑波技術大学 産業技術学部 産業情報学科4) 要旨:平成29年度に本学大学院情報アクセシビリティ専攻に入学した先天性視覚障害と聴覚障害を合わせ有する学生が,自身のこれまでの経験を元に,我が国における盲ろう学生の支援のあり方を検討するため,自身に対する事前学習と位置づけ,米国東部研修に参加した。研修中はギャローデット大学及び周辺の視覚障害者向け施設等を訪問し,米国における盲ろう者支援の現状の考察と盲ろう当事者との交流を行い,盲ろう者支援のみならず,我が国と米国の盲ろう者に対する一般学生や支援者の意識の違い等を自ら感じることができた。本レポートでは研修中に記録された筆者のノートを用いて,本研修での体験のフィードバックを行う。 キーワード:盲ろう,ギャローデット大学,海外研修,支援 1.はじめに 筆者自身は先天性盲ろう者として日本で初めて本学の大学院に入学した。自身のこれまでの経験を元に,我が国における盲ろう学生の支援のあり方を検討するため,自身に対する事前学習と位置づけ,米国東部研修に参加し,ギャローデット大学及び周辺の盲ろう者支援の現状についての考察を行った。連絡の行き違いや研修のスケジュールの都合上,盲ろう者に関する専門的な情報の収集及び当事者との交流を深めることはできなかったが,日本とアメリカの違い等について考えさせられるきっかけとなったことから,研修中に記録したノートの一部を編集した上で紹介し,自分に対する支援のフィードバックを行うこととする。 2.研修を通して得た知見 2.1 入国時の印象 研修を通して得た知見の詳細については後述するが,米国入国後の第1印象としては,ワシントンDCの街中の歩道は車道との段差があるものの,全体的に段差が少なく,歩道の幅も広いため,バリアフリーの観点でも歩きやすい設計になっていると感じたことであった。また博物館の展示物の説明書きや駅の券売機などに点字表記も多数見られ,盲ろう者のみならず,視覚障害者における情報アクセスへの配慮の工夫が各所で見られた。特に情報アクセシビリティという面では,点字や触図による表記,触れる模型の導入など,博物館側の視覚障害者への配慮の工夫がなされていることがわかり,改めて障害者への配慮の進展度合いを実感した。一方で歴史的背景から現在に至っても日本と同様なバリアフリーの課題(段差の解消の困難性など)もあるようにも感じたことから米国においてもバリアフリー上の課題は皆無ではないことも理解できた。その代わりに車椅子使用者が段差に戸惑っても,自然に誰かがサポートをするなど,日本とは異なる国民性もあるのではないかということを感じた。そのように現在の日本の福祉が確立されている背景には,アメリカの福祉の先行事例があり,日本にとってお手本のような存在であったことを改めて学ぶよい機会となった。 2.2 プロ・タクタイルの体験 本研修では,盲ろう学生支援関連という視点で,手話通訳者養成専攻の盲ろう者に関する講義「盲ろう通訳(Deaf Blind Interpretation)」1を見学する機会を得ることができた。見学時はプロ・タクタイル(Pro-Tactile,略してPT)と呼ばれる盲ろう者向け情報保障システムの解説が行われていた。PTという言葉は以前から知っていたが,本研修を通して具体的にどういう方法なのかを詳しく知ることができた。PTとは日ごろ情報入手が著しく困難な盲ろう者に対し,通常の会話の通訳に加えて,本人の周囲の人の表情や反応等の状況説明を同時に盲ろう者に伝達する支援手法の一つである。触手話や弱視手話だけでは通訳者一人が触手話や弱視手話だけですべての情報を伝達することが困難であることからこれで漏れた情報などを,背中や肩,腿などに触れたり,叩いたりしてさまざまな合図を伝えて負荷情報を伝達する方法とのことであった。今回の講義では盲ろう者の背中や肩などに「反応している(相槌)」,「笑っている」,「悲しんでいる」などのその場の周囲の人の状況や表情を示して伝える方法の説明があった。また,研修中に交流した現地の弱視ろうの学生によれば,PTだけでなく,Pro-Tactile American Sign Language(以下,PTASL)という一般的な手話を活用してPTと同等の容量で必要な情報を伝達する情報システムもあるとのことであった。さらに全盲ろうのみならず,弱視ろうの場合にも会話通訳は必要としないが,PTの通訳(支援)は必要だという方もいるとの説明もあり,ニーズに応じた情報保障(通訳支援)が行われていることが伺えた。日本にはまだそのような情報保障システムが少ないため(相槌を肩などに伝える程度),新しい情報保障システムとして検討する必要もあるのではないかと考えた。一方で日本の場合,盲ろう者も支援者も人に「触ること」や「触られること」に抵抗がある人が多いため,導入が難しいところでもある。アメリカの場合は手話を応用することで見出された実用的な方法であったが,日本文化や日本における事情(手話通訳者の不足など)を考慮しつつ,PTの考えを踏襲するとするならば,手話に限らず,Information and Communication Technology(以下,ICT)などの他の手段も有効的に活用することで,同様の効果を持ったコミュニケーション手段を生み出すことが可能になるかもしれない。こうした手段を検討していくことは,情報の少ない盲ろう者に対して大きな活路を見出すきっかけにもなり得るため,今後の我が国における課題と言えるだろう。 2.3 障害者を一人の人間として見るということの意味 本研修では講義のみならず,様々な企画が用意されたが,入国時の第1印象で述べたアメリカの国民性に関連してなのか,次のような事象が見られ,自分の過去を振り返る意味で貴重な経験となった。それは,昼食交流の際ペアとなった現地の学生(聴覚障害)が盲ろう者に対する知識を持っていて,初心者ながらガイドなどにも慣れている様子が伺えた点である。ペアの学生は,非常に「自然」にガイドをしてくれて,食堂でもメニューの代読をしてくれた。日本の場合,盲ろう者に初めて接する人は,たいていどうすればいいのかわからず,緊張しているか,もしくは誘導もぎこちない場合がほとんどであるように感じる。本学においても,手話ができる人は多く,触手話もコミュニケーションとしては成り立つはずであるが,黙って歩いていても声をかけられることはほとんどない。それに対して今回の場合は,前述の学生が積極的に声をかけてくれて「一緒に昼食に行きましょう」と自然に私の手を引いてくださったことは大変印象深かった。彼曰く,「(実際に接した経験は少ないが,キャンパス内に)盲ろう学生が多いので慣れている」とのことで,仮に自身がギャローデット大学の学生だったとしたら,近所の人との会話ように,たとえ知らない人でも気軽に「今日は寒いですね。」となどと話し掛けてくれるのではないか,という期待が高まる出来事であった。以上のような経験は,本研修における体験の一部に過ぎないが,それだけ日本人とアメリカ人の国民性の違いを自分の目で実感することができた体験であった。実際学外においても,地下鉄の座席を積極的に譲られるなど,初対面の人に声をかけられる場面は頻繁に生じた。そこから考えると,介助が「上手か下手か」の問題ではなく,障害者を一人の人間としてとらえ,いとも自然にかかわれるのがアメリカの社会の大きな特徴なのではないかと感じた。このような共生社会を本学や我が国で実現するためには,どうしたらいいかということが今後の日本における課題であると考える。また共生社会とは別に,「ろう文化」と同様に,「盲ろう文化」を感じられる場面があった。本研修中,学外の盲ろう者とも数名遭遇したが,そうした方々の多くが,私が白杖を持っているだけで,「盲ろう者ですか?」と尋ねてくれた。ここから,他人への声かけに対しては,ろう者のみならず,盲ろう者に対しても積極的な様子が伺えた。我が国の場合,盲ろう者は引きこもりがちであり,また盲ろう者に対する認知度が低いため,知り合い同士でなければあまり声をかけることはないように感じる。そのような環境の中で,アメリカにはろう文化と同様に盲ろうにおける独自の文化が存在しているのではないかと感じた。我が国でも現在少しずつ盲ろう文化が生まれ,確立しつつあるが,他のアジアの国々では,まだ盲ろう者の情報ネットワークすら確立しておらず,お互いに他の盲ろう者の存在や生活状況を知らないことが多いのが現状である。そのため文化や福祉の意味でも改めてアメリカの盲ろう者の存在の強さを実感させられた。 2.4 デフ・スペースと盲ろう者 これまでソフト面,人的関係について述べたが,ギャローデット大学見学中にはハード面での気づきもあった。ギャローデット大学には,デフ・スペースと呼ばれるろう者の利用を意識した設計やデザインが研究され,実際にこれに基づいた建物がいくつか作られているが,それらのデザインは盲ろ う者にも通用する部分があると感じた。実際ろう者に配慮したデザインの説明の際に,手話を使って話しながら歩く場合に,足元への注意がそがれるために段差が危険であることが話されていたが,自身は盲ろう者であり,気がつかないうちに段差に躓くことが多いため,段差が危険であることは盲ろう者にもろう者にも共通することに気がついた。一般的に,段差をなくすことは車椅子使用者のためと考えがちであるが,ろう者や盲ろう者のためにも必要であり,段差解消は多くの人にとってメリットがあることがわかる。しかし,さらに安全な歩行を考えた場合,点字ブロックも必要であると考えるが,点字ブロックの発祥地は日本(岡山)であり,アメリカでは駅や歩道には多少敷設されているものの,まだ少ない印象があった。一方で階段の地面の材質をざらざらにするなど,視覚障害者への配慮がなされていることが伺えた。 2.5 盲ろう者におけるICTの活用支援と歩行時の環境について 本研修の目的の一つでもあった盲ろう者におけるICT活用の支援については,ギャローデット大学の場合,情報保障としてICTを積極的に利用している盲ろう学生はほとんどいなかったことから,有益な情報が得られなかった。しかし,ワシントンDCの視覚障害者向けのライトハウス(訓練施設)2を見学した際に,ICT活用の支援について話を伺うことができた。ライトハウスでは視覚障害者のみでなく,盲ろう者の訓練も受け入れているとのことであり,触手話通訳ができる全盲の職員が見学の対応をしてくださった。日本にも点字が使える全盲の通訳者や支援者はいるが,ほとんどの人は手話は使えないため,彼女との出会いは貴重な経験となった。現場では盲ろう者にパソコン指導や歩行指導をされているとのことであったので,盲ろう者が使えるICTの機器や歩行時の用具を見せていただきながら,盲ろう者のICT活用について質問をさせていただいた。盲ろう者も使えるICTの機器に関しては,日本でもすでに取り入れられているものも多く(韓国製のブレイルセンスなど),日本で使われている機器はおそらくアメリカでの事例が参考になって導入されたのであろうことを改めて実感した。一方で,iPhoneとの接続用の小型点字ディスプレイ(American Printing House)や盲ろう者用のチャットシステムなど,わずかながらも新しい機器に関する情報を得ることができた。一方,日本ではこうした機器が存在するにも関わらず,盲ろう者へのパソコン指導の機会が限られていることから,アメリカ(ワシントンDC)におけるパソコン指導やICT活用のための支援体制の充実ぶりには驚いた。歩行指導に関しても同様で,日本では限定的であるが,アメリカのライトハウスでは盲ろう者に対しても行われているとのことであった。特に手話ができるスタッフがいることによって,盲ろう者も触手話を用いて直接パソコンや歩行の指導を受けられることは,特徴的な部分であると感じた。そのようなことから,日本に新しいこと(取り組み)を取り入れようとする場合,パソコンなどの機器の技術の進歩は一つの課題であるが,それ以上に,機器の活用状況や活用できるようになるまでのアクセス(指導や故障やトラブル時の支援など)等,ソフト面での体制が重要であり,アメリカの取り組みが参考になるだろうと実感した。また,アメリカでは自立を重視するために,単独歩行をされている盲ろう者が多いという情報を以前から得ていたので,単独での歩行環境(健常者とのコミュニケーション方法など)に関してもお話しを伺った。この結果,課題解決には,特殊なコミュニケーション機器や用具を用いているわけではなく,むしろ周囲の人たちの盲ろう者に対する理解が単独歩行を可能にしているのではないかということを改めて感じた。すなわち自然な手引きやコミュニケーションができることが,周囲の人たち(健常者)に求められることなのではないかということであった。 2.6 盲ろう者との交流を通して 本研修中ワシントンDCに在住の盲ろう者及びSupport Service Provider(以下,SSP,日本の通訳介助者に相当)との交流及び情報交換をさせていただくことができた。どちらも支援に関しては経験と知識が豊富な方であり,興味深い内容となった。盲ろう者の場合,コミュニケーション方法は触手話がメインであり,手話ができない健常者とのコミュニケーション際には手のひら書き(手のひらに指で文字を書くやり方)などを使用しているとのことであったが,ICTに関しては点字のパソコンやiPhoneも使用されているというお話しを伺うことができた。また前述の「自立」という観点で,米国では日本のように公的なサービス(通訳介助サービスなど)に依存せずに,単独で行動することが推奨されており,その技術を身につけるために様々な指導やサポートを得ているのではないかと考えがちである。しかし「現在は単独歩行はされていないが,以前は単独歩行をされており,事故などの様々な課題があった」とおっしゃっており,単独歩行に不安を感じる人や高齢化により単独歩行が困難な人もいるという意見もあった。SSPの方は,長い間盲ろう者の通訳介助の他,ろう者向けの手話通訳,盲ろう者キャンプの運営など様々な活動をされているとのことであった。手話通訳問題研究にも携わっていたとのことで,筆者自身の主観であるものの,手話はベテランの手話通訳者並みであり,盲ろう者への状況説明等も非常に的確に行われていた。会話の中では,①以前は手話通訳における政府の理解がなく,手話通訳者の手話レベルの低さなどの問題が議論されていたこと,②そのため手話通訳者養成コースも当初は1年間と短かったが,次第に 2,3,4年間に延長され,現在のように大学の学科として認められるようになったという経緯があること,③教会の支援等を受けて盲ろう者キャンプが設立されたことなどをお話ししてくださった。私からも日本の盲ろう者の現状をお話しし,情報交換をさせていただいた。このように日本とアメリカの歴史の違いについて知ることができ,有意義な交流となった。日本でも盲ろう者の福祉や支援体制が整いつつあるが,そのほとんどがアメリカをモデルにしていると言われている。実際,日本の盲ろう者協会からもアメリカに留学や視察で訪れる日本人は多く,日本とアメリカでは相互に情報交換が行われていると言える。そのような環境の中で,アメリカの盲ろう者福祉の初期段階と言える部分,すなわち盲ろう者福祉の歴史的背景を知る方に出会うことができ,様々な課題や問題があったからこそ現在のアメリカや日本の盲ろう者福祉が成り立っていることを学ばせていただいた。日本の場合,通訳介助者派遣などの人的支援の体制は充実しているという説があるが,手話通訳学科が大学に存在しないなど,様々な課題が残されている。このため,今の日本の盲ろう者福祉はあくまで初期の段階にあることも学ぶことができ,改めて日本における盲ろう者支援の発展の必要性を感じた。今後も日本の発展に期待するとともに,日本における支援者の技術向上に向けた活動も頑張らなければならないと考えた。本研修の目的であった盲ろう学生との出会いは少なかったものの,今回出会った方々は,盲ろう者支援に関する議論を始めれば,話が尽きることはないのではないかと思うほど,経験・知識が豊富な方々であり,今後の人脈作りという意味では大変よい収穫となった。 3.おわりに 日本帰国後,知人などに前述した研修での経験を話すと,たいていの人は「アメリカはそうだ。そこが日本より優れている点だ」と共感してくれる一方,「アメリカの盲ろう者にも消極的な人は多い」「盲ろう者向けの通訳介助者派遣の体制は,日本の方が進んでいる」など,日本の方がよい点もあるという意見を言われることがある。実際アメリカに住んでみなければわからないことも多く,今回印象に残った経験は,本研修の研修先の一部に過ぎないであろう。しかし,盲ろう学生として本研修に参加することができたおかげで,研修先で様々な経験をし,盲ろう学生の支援のあり方について考えることができたという点で,有意義な研修となった。その中で一つ感じることは,障害者だから支援が必要という考えではなく,障害者を一人の人間として見ることが重要だということである。自身は海外への渡航経験を多く持ち合わせているが,日本では手引きや触手話などの介助を明らかにマニュアル通りにやっているとしか感じられない場面があり,丁寧さゆえに動きが遅かったり,過剰な手助けがあったりして,イライラさせられることがある。また初対面の人は「失敗したら責任が持てない」と考えるのか,触手話や手引きなどの対応に戸惑うことが非常に多いと感じている。一方でアメリカの場合,そのようなことはあまり感じられず,初対面の人にも自然にかかわっている人が多かったように感じている。中には周囲の人から見ると,サポートが雑なように見える例もあったようだが,むしろ筆者自身としては「見えないならとりあえず手引きすればいいか。」と自然に手引きしてくれているように感じた。何も言わなくても自然に階段の前で止まったり,「もうすぐ階段ですよ!」と注意してくれたりしてくれることもあった。アメリカでは空港などで「お手伝いしましょうか?」と言われても,必要がなければ気兼ねなく断ることができるという話をどこかで聞いたことがあるが,逆に言えば自身に合わない支援だった場合,「こうしてほしい」と気軽に言えることが,アメリカの自然な(ありのままの)環境なのではないかと考えられる。日本では断ったりお願いしたりすると,「責任が…」と言われて失敗を怖れることが多くあるが,サポートが雑であるか上手であるかよりも,積極性(自然にかかわること)や相手に対する意識(相手に何が必要なのかを考える余裕)があること,すなわち「マニュアルより相手への気持ち」が重要だと自身は考えている。本研修を通して,このように「雑であっても人間の一人として自然にかかわってくれる」環境,すなわち「共生社会」を作っていくために,障害者として相手に何を求めるべきかそのためには健常者として何が必要なのかを考えていくことが,今後の日本にとって大きな課題だと再認識させられた。 Ways to Support a Congenital Deafblind Student Attending a Short-term Overseas Study Tour MORI Atsushi1), KOBAYASHI Yoko2), SHIRASAWA Mayumi3), SHIRAISHI Yuhki4), SATO Masayuki3) 1)Division of Information and Communication Accessibility, Graduate School of Technology and Science, Tsukuba University of Technology2)Division for General Education for the Hearing and Visually Impaired, Tsukuba University of Technology3)Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Impaired, Tsukuba University of Technology4)Department of Industrial Information, Faculty of Industrial Technology, Tsukuba University of Technology Abstract: A student with combined congenital vision disorder and hearing loss joined the Division of Information Accessibility Major in the fiscal year 2017. Based on his experience, we examine how to support the deafblind students in our country. Through preliminary learning and understanding his position, we participated in a short-term overseas study tour in the Eastern United States of America. During the training, we visited Gallaudet University and surrounding facilities for the visually impaired and examined the current state of deafblind support in the United States of America. Further, we interacted with the deafblind participants and observed the support given to not only deaf people but also Japanese students in general. I was able to feel the difference in the consciousness of general students and supporters of deaf people in the United States of America. In this report, we give feedback on the experiences of this training, using the author's words recorded during the training. Keywords: Deafblind, Gallaudet University, Short-term overseas study tour, Support