ボストンにおけるアクセシビリティ公演ならびに舞台芸術手話通訳に関する視察報告 萩原彩子1),三澤かがり2)3) 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 障害者支援研究部1)特定非営利活動法人 シアター・アクセシビリティ・ネットワーク2)一般社団法人 日本手話通訳士協会3) 要旨:舞台芸術活動に特化した手話通訳技術に関する研究の一環として,アメリカ合衆国ボストン市を訪問した。本視察では舞台芸術における手話通訳(以下,舞台芸術手話通訳)に着目し,視察ならびにインタビューを実施した。その結果,ボストンにおける舞台芸術手話通訳には各劇場・劇団によって取り組みに差があるものの,定期的に取り組んでいるところが多数存在することが明らかになった。また舞台を専門とする手話通訳者等へのインタビューからは,舞台手話通訳に必要な技術として高い翻訳技術はもちろん,舞台芸術に関する経験・技能が役立つことが推察された。 キーワード:手話通訳,舞台芸術,アクセシビリティ 1.はじめに 第 32 回オリンピック競技大会および東京 2020 パラリンピック競技大会に向け,障害者文化芸術法1)が整備されるなど,文化芸術面でのアクセシビリティ施策が徐々に充実してきた。しかしながら手話通訳に関して言えば,文化芸術場面を想定した技術指導システムがまだ充分でなく,現在は個々の手話通訳者の技能や努力に依存していると言っても過言ではない。特に舞台芸術における手話通訳(以下,舞台手話通訳)はまだ実践も少なく,各手話通訳者が試行錯誤している状況である。筆者(萩原)が2016年に実施したイギリス視察2)では,イギリスにおける舞台手話通訳の視察および舞台手話通訳を専門に担当している手話通訳者へのインタビュー調査等を実施した。その際,舞台手話通訳に求められる手話通訳技術として,主に3つの技能(ロールシフト,役者の動きを取り入れた通訳,視線の誘導)が重要であることが明らかになった。今年度,さらなる情報を収集するため,アメリカ合衆国ボストンに注目し,ウェブサイトを中心とした情報収集及び,視察調査を行った。本稿ではそれらで得られた知見について報告する。 2.ボストンにおける舞台芸術に関するアクセシビリティ状況 音楽の街,芸術の街として知られるボストンにはBoston Theatre Districtと呼ばれる地区がある。Boston Theatre District には,Boston Opera House3)(1928年) やCutler Majestic Theatre4)(1903年)など古い歴史を有する芸場が集まり,ボストンの舞台芸術の中心地となっている。また,Boston Theatre District以外にも,大学や劇団の所有する劇場が点在しており,舞台芸術が盛んな地域であることがうかがえる。本項ではボストンの舞台芸術におけるアクセシビリティ状況について,代表的な劇場及び小劇場のウェブサイトに掲載されている情報をもとに,聴覚障害とその他の障害とに分けて述べる(劇場名後の( )内数字は開場年)。 2.1 Boston Theatre District地区 2.1.1 Boston Opera House(1928年) ①聴覚障害者へのアクセシビリティ ・すべてのブロードウェイ作品にASL通訳およびオープンキャプションによる字幕を付与。各アクセシビリティ公演のスケジュールはウェブサイトに掲載。 ・ASL通訳付公演では,熟練した有資格の手話通訳者がASLでストーリーや会話,その他の要素を通訳する。座席はオーケストラ席で,利用者がステージと手話通訳者両方が見られる場所を確保している。 ・オープンキャプション付き公演では,ステージの横の電光板に舞台上の会話や音情報が字幕に示される。 ・ 赤外線補聴システム(ヘッドホン貸出無料) ②その他のアクセシビリティ ・ 車いす専用席あり。申し込みは予約時にチケット売り場で受け付ける。 ・ バリアフリートイレがあり,エレベーターで行くことができる。 ・ 視覚障害者のための音声ガイド対応座席あり。オンラインまたはオペラハウスチケット売り場にて対応。 2.1.2 Emerson Colonial Theatre5)(1990年) Emerson大学所有の劇場で,「芸術はあらゆる人のためにあるものである」という考えのもと,アクセシビリティ対応を行っている。 ①聴覚障害者へのアクセシビリティ ・ウェブサイトに詳しい記載はないものの問い合わせ先アドレスの掲載あり。 ②その他のアクセシビリティ ・車いすに乗ったまま,あるいは劇場の座席への移動のどちらも可能。(必要な配慮についてチケット購入時に申し出ること) 2.1.3 Cutler Majestic Theatre(1903年) Emerson Colonial Theatre同様,Emerson大学所有の劇場。Boston Theatre Districtの中で2番目に古い。 ①聴覚障害者へのアクセシビリティ ・ASL通訳付き公演あり。演目や日程等の詳細はメールで問い合わせる。チケット予約は通常と同様,チケット売り場や電話申し込み,あるいはウェブサイトから申し込みができる。 ・劇場内のどの席からも手話通訳を見ることはできるが,特に手話通訳者に近い席を希望する場合は,「SIGNLANGUAGE」と入力して申し込む。 ・ALD(補聴援助システム)あり。赤外線補聴システムはすべての座席で使用可。IDカードを提示すれば,ヘッドホン(T回路内蔵補聴器に対応)を無償貸与。 ②その他のアクセシビリティ ・音声ガイドつき公演あり。演目や日程等の詳細はメールで問い合わせる。 ・ 車いすユーザー対応あり。二階席,バルコニー席,ボックス席を含め,劇場内すべて車いすでのアクセスが可能であり,施設すべてがADA法の基準をクリアしている。劇場内には車いすスペースもあるが,車いすや歩行補助器使用者,または階段の昇降が困難な人はチケット購入時にその旨伝えれば,移動のアシストを受けられる。 ・介助犬同伴可。同伴の場合には予約時にその旨を伝えることで,利用者と動物双方にとって居心地の良い場所を確保できる。 2.1.4 Commonwealth Shakespeare Company6) 高い芸術性の追求と共に,あらゆる身体的・経済的・文化的障害を取り除くためのアクセシビリティ向上,演劇の教育性を追い求めている。毎年7月に3週間,野外劇場でシェイクスピア劇を無料で上演し。10万人以上の観客を魅了している。 ①聴覚障害者へのアクセシビリティ上述した野外劇場での公演期間中数回,ASL通訳付の公演が用意されている。 2.2 Boston Theatre District以外の劇場 2.2.1 Wheelock Family Theatre7)(1981年) Wheelock大学のキャンパス内にある650席の小劇場。家族向けの作品を上演している。 ①聴覚障害者へのアクセシビリティ ・上演作品のうち数回にASL通訳あり。スケジュールはチケット売り場もしくはEメールにて問い合わせる。 ・すべての演目にオープンキャプションがあり,FM補聴システムも使用可。 ・要望に応じて音響拡張機器を準備する。 ②その他のアクセシビリティ ・ 劇場のあらゆる施設が車いす対応となっている。 ・上演作品のうち,数回に視覚障害者のためのライブ音声ガイドが付く。 ・要望に応じて,点字プログラムや拡大文字プログラムの対応有り。 ・多くのコミュニティー団体と連携し,正規のチケット代を支払えない家庭に対する割引チケットや無料チケットを用意している。例:ボストンParents新聞がスポンサーとなり,マサチューセッツ州図書館カードの提示で一枚のチケットに対して二枚目は無料。 2.2.2 Boston University Theatre8)(1952年)&Huntington Theatre Company Boston University Theatreは,ボストンの最も大きなカンパニーであるHuntington Theatre Companyのホーム劇場である。 ①聴覚障害者へのアクセシビリティ ・ASL通訳付公演あり。予約はカンパニーのアクセスコーディネーター宛にEメールで問い合わせる。 ・ALD(補聴援助システム)あり。 ・ろう学校や難聴学校の生徒を招待する学生マチネーシリーズの企画がある。公演にはASL通訳が付き,事前学習の場も提供する。 ・Huntington Theatreが運営しているウェブサイトBostonTheatreScene.com9)では,Boston University TheatreやCalderwood Pavilionで行われている公演のチケットを販売しており,アクセシビリティに関するページからはASL通訳付公演を検索することが可能。 ②その他のアクセシビリティ ・音声ガイドあり。 ・施設アクセスマップあり。 ・拡大文字プログラムあり。 2.3 ボストンにおけるアクセシビリティ公演まとめ 今回ボストン市内の劇団・劇場におけるアクセシビリティ状況を調べた結果,劇団・劇場の歴史や規模に関わらず,それぞれがアクセシビリティに取り組んでいることが明らかになった。しかしながらボストン市内のアクセシビリティ公演を一挙に検索できるようなウェブサイトがないため,観客は自分が求めるアクセシビリティが整った作品を探すのに若干の手間がかかることもわかった。一方で,問い合わせ先はきちんと明記されており,要望に積極的に応じる姿勢が感じられた。 3.ボストン視察 3.1 視察概要 続いて,ボストンにおける舞台手話通訳およびアクセシビリティ公演の現状を調査するために実施した視察について報告する。まず,その概要を以下に示す。なお本稿では視察内容のうち①~③を中心に報告する。 ・ 視察期間2018年4月14日(土)~4月20日(金)(移動日含む) ・ 視察地アメリカ合衆国 ボストン市 ・ 視察内容 ①舞台手話通訳付公演(Cabaret)視察および手話 通訳担当者へのインタビュー ②舞台手話通訳者へのインタビュー ③Northeastern大学授業見学およびASL Program ディレクターへのインタビュー ④Boston Opera House視察・ 参加者および日英通訳者 萩原彩子(参加者)・三澤かがり(日英通訳者) 3.2 舞台手話通訳付公演視察 3.2.1 作品および劇団の概要 今回視察した手話通訳付き公演「Cabaret」はMoonbox Productionsがプロデュースしたもので,2018年4月14日~2018年4月28日にCalderwood Pavilionにて上演された10)。そのうち,手話通訳が行われたのは4月15日(昼公演)と4月20日(夜公演)の2公演であり視察では15日の回を訪れた。なお,視覚障害者向けのオーディオディスクリプション付き公演も4月28日(昼夜2公演)に実施されていた。 Moonbox Productionsは日頃から障害のある観客へのアクセシビリティ対応に取り組んでおり,アクセシビリティコーディネーターを雇用して,障害のある観客からのリクエスト対応などにあたっている。今回視察した「Cabaret」でも,手話のできるアクセシビリティコーディネーターKara Kelly-Martin氏が手話通訳の手配や聴覚障害のある観客への対応(事前および当日の対応)を担当していた。 3.2.2 手話通訳の体制 本公演では,Kelly-Martin氏が手配した手話通訳者(男女2名)の他,手話通訳のチェックのためのASLコーチと呼ばれるスタッフ(ろう者)が置かれていた。ASLコーチは事前の指導やアドバイスを行うとともに,公演当日のチェックを行っていた。また手話通訳は時間交代ではなく登場人物により担当を決める形で,時には1名,時には2名で通訳にあたっていた。なお,担当はASLコーチの指示で決められたとのことで,登場人物の性別に限らず,登場回数等を考慮したものと思われる。舞台の形状は,客席から舞台が額縁のように切り取られて見えるよう構造物(緞帳など)が設置されたいわゆるプロセニアムステージであったが,手話通訳者は舞台上にはあがらず,上手のステージ下にて通訳を行っていた。さらに最前列のうち2席を手話通訳担当者の待機席として使用し,ASLコーチはその脇に着座していた(図1)。手話通訳ユーザーと思われる観客は5名程度見受けられ,手話通訳担当者およびASLコーチの座席の後ろあたりに着座していることが多かった。しかしやや中央寄りの座席になると手話通訳が見づらかったようで,途中休憩の際,上手寄りの席に移動する手話通訳ユーザーの姿も見られた。席の移動にあたっては,アクセシビリティコーディネーターやASLコーチが間に入り,他の観客との調整を行っていた。さらに開演前にはASLコーチから作品および役名の手話表現,作品のバックグラウンドなどがASLで説明された。 舞台芸術では作品特有の用語も多く,手話表現等についての事前説明は,物語の理解を助ける有効な手段であると感じた。 図1 Cabaretにおける手話通訳位置 3.2.3 手話通訳者へのインタビュー 公演終了後,Kelly-Martin氏の協力のもと,本公演で手話通訳を担当した手話通訳者へのインタビューを短時間ながら実施することができた。 ①手話通訳者としてのバックグラウンドについてそれぞれのバックグラウンドについて質問したところ,1名は演劇学の学位を持つ元役者で,その後手話通訳の資格を取得し,舞台手話通訳の分野で活動しているとのことであった。またもう1名は手話通訳の資格や学位はないものの,フリーランスとして手話通訳活動を10年ほど行っており,ろう俳優が出演する舞台の稽古での手話通訳の経験があった。アクセシビリティコーディネーターにスカウトされ,今回が初舞台手話通訳とのことであった。 ②本公演に向けた事前準備について事前準備としては,台本を事前に入手し,6週間ほどの準備期間を経て本番に臨んでおり,稽古は喫茶店や手話通訳担当者の自宅などでASLコーチも含めて行われたとのことだった。また役者との「合わせ」は1回のみで,そのほか前日の公演を見学したとのことであった。 3.2.4 舞台手話通訳付公演視察まとめ 役者との「合わせ」が1回のみと,実際の動きを確認しながらの練習が少なかったためか,公演中役者の向いている方向と手話通訳者の見ている方向が異なって話者が誰なのか観客が混乱しそうな場面が何度か見受けられた。このことについて3.3に登場する舞台手話通訳者Cassie Lang氏に意見を求めたところ,やはり役者の向いている向きと手話通訳担当者の向きは合わせるべきで,異なる方向を向いてしまうのは手話通訳担当者の稽古不足と言えるだろうとの見解であった。また,手話通訳者2名のうち1名が演劇学の学位を取得しており,もう1名もろう俳優への通訳経験があり,どちらも演劇の世界に深く精通している人物であった。演劇や演劇関係の手話通訳経験があることが舞台手話通訳では非常に役立っていると両者ともに語っていた。 3.3 舞台手話通訳者へのインタビュー 次に,ボストンで舞台手話通訳を中心に活動しているCassie Lang氏にインタビューを行った。 3.3.1 インタビュー概要 まず,以下にその概要を記す。 Q/手話通訳者としてのバックグラウンドと現在の活動について。 Lang氏/現在フリーランスで,手話通訳の資格を取得した10年ほど前から舞台芸術関係(舞台演劇のステージ,ろう俳優が出演する作品の稽古通訳,コンサート等)の手話通訳を行っており,1年に3~4回で多い時は1ヶ月に1回の頻度だったこともある。もともと大学で演劇を専攻し,役者・ミュージシャンでもあった。その後ギャローデッド大学等複数の養成校で手話通訳を学び,資格を取得した。舞台手話通訳について専門の教育は受けていないが,舞台好きのろう者との関わりの中で学んできたことと,ミュージシャンの経験が役立っている。 Q/舞台手話通訳の依頼ルートについて。 Lang氏/フリーランスのため,公演ごとに劇場や劇団と契約を結んでいる。アメリカでは舞台手話通訳に特化したエージェントはほぼなく,ボストンには存在しないため,自分からアピールして個人的なつながりで依頼を受けている。ただし,舞台手話通訳に限らずすべての手話通訳はろう者・ろうコミュニティのニーズにもとづいて行われるべきであり,その点には注意している。 Q/舞台手話通訳ではどのような事前準備を行っているか。Lang氏/台本とともに,稽古の様子を撮影した映像をメール等で受け取って行うことが多い。大きな劇団や劇場にとっては稽古の映像は非常にセンシティブなものなので,取り扱いは特に慎重に行っている。Q/舞台手話通訳とコミュニティ通訳の違いについて。 Lang氏/まず言語的,政治的なふるまいの違いがあると思う。コミュニティ通訳ではろう者との距離が近いが,舞台手話通訳では距離があり,ろう者の反応を見ることができず,例えば通訳でわかりにくかった部分などを確認できないところが大きく違う。また,舞台はチケットを買って見るものであるので,それに見合った手話通訳を提供しなければならないという点も特徴的だと思う。その意味でも舞台手話通訳の担当者を予めろう者・こうコミュニティに明らかにしたうえで選択してもらうことも大切であると思っている。 Q/舞台手話通訳に求められる技術とは。特に3技能(ロールシフト,役者の動きを取り入れた通訳,視線の誘導)についての見解について。 Lang氏/ロールシフトはもちろん重要で,役者の向きと合わせる必要がある。できていないということは,手話通訳担当者のミスということ。また,役者の動きを取り入れることも重要で,例えば子ども役のセリフであればやや上を見る,女性であれば女性らしく,など,注意して表現する必要がある。視線については,ろう者に視線を向けて手話を表現するのはエネルギーを送るということと同義である。逆に視線をはずすということはブレイクと同じ意味を持つ。手話通訳においては視線を向けることもはずすことも双方重要であり,どちらも慎重にしなければならない。 Q/舞台手話通訳者に求められる資質について。まず演劇経験がある人。もう1つは「自分を見せること」にクリエイティブであれる人。普通の手話通訳では詩的に見せる必要はないが,例えば歌では1つの言葉を少し長めに表現したりすることで詩的に見せる場合がある。そういった技法をクリエイティビティにできることが重要であると思う。 Q/ろう者との協働について。 Lang氏/前の質問でも述べたとおり,手話通訳はろう者・ろうコミュニティのニーズに則ったものでなければならない。そのためにもろう者との協働は重要である。ほとんどの依頼の場合ろう者のコンサルティング(手話の指導やアドバイス等を担う)がついているが,もし不在の場合は自分で直接雇用してでも意見を聞くようにしている。また最近ではろう通訳者が舞台に立ち,健聴の手話通訳担当者がフィーダーになることもある。 3.3.2 舞台手話通訳者へのインタビューまとめ Lang氏へのインタビューでは,イギリス視察時の舞台手話通訳者へのインタビューと共通した回答が多く見られた。例えば,演劇の経験を重視する点,自身が役者でもあった点である。また,イギリス視察で見いだされた3技能(ロールシフト,役者の動きを取り入れた通訳,視線の誘導)についても舞台手話通訳において重要な要素である点が改めて確認された。 3.4 Northeastern大学授業見学およびASL Programディレクターへのインタビュー 3.4.1 Northeastern大学の概要 ボストンのFenway–Kenmore地区にあるNortheastern大学では,人文社会学部異言語・異文化学科に手話通訳専攻(American Sign Language Program)が位置づけられ,手話通訳者の養成に取り組んでいる11)。Combined Majors(Dual Majors)と呼ばれるいわゆる兼専攻を推奨している点が特徴的であり,その中に手話学・演劇コース(ASL Studies and Theatre)も設けられている12)。後述するDennis Cokely氏によれば,手話学・演劇コースの卒業生は劇団・劇場のアクセシビリティコーディネーターとして就職する他,少数ではあるが舞台芸術関係の手話通訳者として活動している者もいるとのことであった。 表1 Northeastern大学における手話通訳専攻編成 <手話通訳専攻> コース ASL/English Interpreting ASL Studies and Psychology ※ ASL Studies and Theatre ※ ASL Studies and Human Services ※ ※兼専攻として推奨しているコース 3.4.2 授業見学 ASL Programディレクターであり,アメリカで手話学の権威であるDennis Cokely氏が指導する授業1コマを見学することができた。見学したのは「Performing Interpreting」という,演劇のトレーニング方法を用いて行われている授業で,学生自身が選定した課題(歌や詩,物語等,音声で表現されたもの)を手話に翻訳して発表するという内容だった。3名の受講生のうち2名は課題として歌を選び,残り1名は物語を発表した。発表方法はその場で表現して撮影するか(撮影した映像は授業後教員に提出),事前に撮影した映像を投影するかのどちらかを選択することができる。授業後には指摘された点を改善して再度撮影し,映像を提出することになっていた。歌の翻訳の指導内容が大変興味深く,歌詞のイメージを的確に表現するための語彙の選択や歌詞にこめられた感情の理解,リズムの伝え方,間奏部分でのふるまいなどについて指導がなされていた。 3.4.3 Dennis Cokely氏の見解とまとめ 授業見学の後に,Cokely氏に舞台手話通訳者に求められる資質や技術に関する見解をうかがったところ,以下のように述べていた。Cokely氏/舞台手話通訳はいわゆる「通訳」ではないと思っている。事前に翻訳してのぞむものであり,厳密には「通訳」ではない。個人的にはsimultaneous rendition(事前に翻訳したものを公演に合せて表現するもの)だと考えている。舞台手話通訳者は,「多くの人に見られること」に抵抗がないことが前提となる。自分に自信があり,存在感のある人物に向いているが,舞台を「盗んでしまう」ほどの存在感があるのもよくない。舞台手話通訳者は自信を持ちつつ謙虚であることが必要である。また,舞台手話通訳では役者を的確に描写する必要があり,役者に表現力がなければその通りに表現する必要がある。つまり,「描写力」が求められる。Cokely氏が述べた「simultaneous rendition」とは,舞台手話通訳を表す非常に的確な言葉であり,そこにまた舞台手話通訳の専門性が潜んでいるように感じた。 4.まとめ 本稿は,ボストンにおける舞台芸術での手話通訳について,ウェブサイトや現地視察による情報収集の結果をまとめたが,以前実施したイギリス視察で得られた知見との共通点を多数見いだすことができた。まず1点目として,いずれのインタビューでもイギリス視察で指摘された3技能の重要性が語られており,これらが我が国の舞台手話通訳においても重要な要素となり得ることが改めて示唆された。2点目として,今回会うことのできた舞台手話通訳者は全員なにかしらの演劇に関するバックグラウンドを持っており,その経験が役立っていると誰もが述べていた。演劇がどのように作られているか,演劇の舞台でどのようにふるまう必要があるか,など演劇の「作法」を知っていることが舞台手話通訳では重要であるとの見解が共通して語られていたのである。文化の違いもあり,日本では演劇に関するバックグラウンドを持つ手話通訳者はあまり多くないと思われる。しかしながら,手話通訳者に演劇に関するワークショップ等を通じて演劇の経験を積んでもらうことなどの方法が考えられるのではないだろうか。冒頭で述べたように,2020年に向けて我が国では障害のある人々の芸術分野への参加を促進するための施策が進行している。今後さらに増加するであろう,さまざまな芸術分野での手話通訳に対応するためには,舞台手話通訳に特化したトレーニングが必要であろう。現在,日本では手話通訳の登録・試験制度の見直しが進められ,より専門的な分野への対応を視野に入れたカリキュラム,登録・試験体制になることが期待されている。舞台手話通訳を含む文化芸術場面での手話通訳も専門分野として位置づけられるよう,今後も研究を続け,舞台手話通訳に特化した手話通訳技術を明らかにしていきたいと考える。 5.付記 本研究はJSPS科研費16K16740の助成を受けたものである。視察にあたっては,Moonbox ProductionsのKara Kelly-Martin氏,Cassie Lang氏,Lang氏を紹介してくださったKristina Miranda氏,そしてNortheastern大学のDennis Cokely氏に大変お世話になった。大変残念なことに,Dennis Cokely氏が2018年8月に急逝されたとうかがった。心よりご冥福をお祈り申し上げる。 参照文献 [1] 文化庁.障害者による文化芸術活動の推進に関する法律の施行について(通知).(cited 2018-8-17),http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/shokan_horei/geijutsu_bunka/shogaisha_bunkageijutsu/1406260.html [2] 萩原彩子.イギリスにおけるアクセシビリティ公演ならびに舞台芸術手話通訳に関する視察報告.筑波技術大学テクノレポート.2017;24(2):39-44. [3] Boston Opera House “Accessibility”(cited 2018-8-10),https://www.bostonoperahouse.com/buying-tickets/accessibility.asp [4] Cutler Majestic Theatre “Accessibility”(cited 2018-8-10),https://cutlermajestic.org/Online/default.asp?doWork::WScontent::loadArticle=Load&BOparam::WScontent::loadArticle::article_id=5F444AC9-8C86-4AE0-AD0F-F0CEB80416B9&menu_id=90444127-EB3B-4453-A75F-10888EDE9166&sToken=1%2C946c057d%2C5b73f1aa%2C223BBA9A-8F17-4B76-94A8-5CC1D5F73A30%2C9wwwtFPgxsDbGpTqVUm81XlPwOA%3D [5] Emerson Colonial Theatre “Accessibility”(cited 2018-8-10),https://cutlermajestic.org/Online/default.asp?doWork::WScontent::loadArticle=Load&BOparam::WScontent::loadArticle::article_id=5F444AC9-8C86-4AE0-AD0F-F0CEB80416B9&menu_id=90444127-EB3B-4453-A75F-10888EDE9166&sToken=1%2C946c057d%2C5b73f1aa%2C223BBA9A-8F17-4B76-94A8-5CC1D5F73A30%2C9wwwtFPgxsDbGpTqVUm81XlPwOA%3D [6] Commonwealth Shakespeare Company(cited 2018-8-10),http://commshakes.org/ [7] Wheelock Family Theatre“Accessibility”(cited 2018-8-11),https://wheelockfamilytheatre.org/about-us/accessibility/ [8] Boston University Theatre “Accessibility”(cited 2018-8-11),https://www.huntingtontheatre.org/visit/accessibility/ [9] BostonTheatreScene.com [10] BostonTheatreScene.com”Cabaret”(cited 2018-8-11),https://www.bostontheatrescene.com/season/Cabaret/ [11] Northeastern Univercity “American Sign Language Program”(cited 2018-8-11),https://cssh.northeastern.edu/asl/ [12] 白澤麻弓・蓮池通子・中島亜紀子.Rico Peterson先生来日特別講義報告書「米国ノースイースタン大学における手話通訳者養成」.筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター,2011. Report on Accessibility and Sign Language Interpretation in Performing Arts in Boston HAGIWARA Ayako1), MISAWA Kagari2)3) 1)Division of Research on Support for the Hearing and Visually Impaired,Research and Support Center for Higher Education for the Hearing and Visually Impaired, Tsukuba University of Technology 2)NPO Theatre Accessibility network, 3)The Japanese Association of Sign Language Interpreters Abstract: The researchers visited Boston, Massachusetts, the United States of America, to conduct a research on the study of sign language interpretation specialized in performing arts. The research was accomplished through inspection and interviews focusing on the sign language interpretation of theatrical performance. It is clear that even though there are some differences in their approaches, a lot of theatres and theatre companies offer sign language interpretation on a regular basis. From the interviews with the theatre sign language interpreters, we conclude that not only high translation skills, but also practical experience and skills in theatre performing arts are useful. Keywords: Sign language interpretation, Performing arts, Accessibility