同一の教材で全盲と弱視という異なる視覚障害に対応する教育支援システムの開発 村上佳久 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 障害者基礎教育研究部 要旨:全盲と弱視という学習メディアの異なる視覚障害を有する生徒らが,同一の教材で学習を行うための教育支援システムの試作を行った。従来,全盲は点字,弱視は拡大文字と言った別々の学習メディアが用意され,全盲と弱視を同時に教育するには,各々に対応した教材を用意する必要があった。また,様々な弱視の見え方,個々の障害に対応するため,様々な補償機器を組合せる必要があった。今回試作したシステムによって,1つの教材で全盲と弱視という学習メディアの異なる視覚障害者に対応出来ることが示唆された。 キーワード:視覚障害,障害補償,全盲,弱視,同一教材 1.はじめに 視覚障害者が利用する学習メディアは全盲と弱視で異なり,全盲は点字を利用し,弱視は拡大文字を利用する。更に弱視は,視覚障害の状況が個々に異なるため,拡大文字の大きさや字形も様々であり,さらにルーペや拡大読書器のような補償機器を併用する場合も多い。一方で中途失明者等は,点字の読み書きの習得に多大な時間がかかるため,点字による学習が困難となり,点字ではなく音声を利用した学習となる。実際,中途失明者が多く在籍する視力障害センター等では,音声教材だけで学習できるように工夫している。つまり,視覚障害者の学習メディアとしては,点字・拡大文字・音声の三種類の教材が混在している。これを教員側から考えると,学習者の要求に従って,点字・拡大文字・音声の三種類の学習メディアを用意する必要があるということである。また,拡大文字の場合は,学習者の状況により様々な文字サイズを用意する必要がある。教室で教員が「教科書の5ページを開いて下さい」と言っても,点字・拡大文字・音声の各教材では,開くページが異なるため,「点字は,16ページ。12ポイントの文字は5ページ。18ポイントの拡大文字は,12ページ。音声は,8番目の初めから」と言うように,教材ごとに参照頁を指定しなければならない。これをもしも,情報機器を活用し,リアルタイムで各々の障害補償を行い,1つの教材から,三種類の学習メディアに対応し,さらに弱視の個別対応も可能であるならば,このような問題は解決する。さらに,教材作成にかかる時間を生徒の学習理解度の把握に当てることが出来るため,最適な学習教材を提供することが可能になるであろう。 そこで本研究では,1つの教材で,視覚障害者の様々な障害に対応する教育支援システムを構築し,様々な教育場面で利用できるようにすることを目的とした。 2.視覚障害補償 視覚障害補償する方法としては,画面拡大と合成音声と点字の3種類がある。 2.1 画面拡大従来,画面を拡大する方法には2種類あり,ディスプレイを大きくする方法とソフトウェアで対応する方法であった。ところで近年,Tablet PCなどの発達から,指で操作するタッチパネルを利用する方法も可能となった[1]。ソフトウェアで対応させるためには,パソコンのグラフィック機能(GPU)に大きな負荷がかかるため,それなりのスペックが必要である。それに対して,ディスプレイそのものを大きくする方法は,弱視の視野の問題もあるので,大きさそのものをあまり大きく出来ない。そこで,今回は,タッチディスプレイを採用し,指で大きさを自由に変更できるようにし,場合によって,ソフトウェアでの文字拡大を用意することとした。 2.2 合成音声全盲や強度弱視がパソコンを利用するためには,画面読み合成音声ソフトウェアは,不可欠な存在である。そこで,最初にOSやOfficeとの相性を考慮し,次いで様々なソフトウェアに対応し,広範囲に利用可能な状況が得られることを考慮した。さらに,ハードウェアに対して大きな負荷が掛からないことも考慮に入れた。 2.3 点字点字を出力するためには,1行だけ点字を出力できる点字ディスプレイを利用する。従来の研究[2]から1行当たり40マスが最低必要なマス数であることが判明している。今回は,拡大画面と合成音声と同時に,しかもリアルタイムで点字出力を行うため,高速性と安定的に動作させることが最大の課題となる。 3.支援システムの試作 3.1 求められるPCのスペック今回の支援システムでは,拡大画面出力と合成音声出力と点字出力の3つを同時に行うため,パソコン側にも高い能力が要求される。そこで,どの程度のスペックが要求されるかを検討することとした。従来の研究[3]では,Windowsに標準で搭載されている"Windows Experience Index"を指標としていたが,今回の場合ではかなり大きな負荷が予想されるため,別のベンチマークソフトを指標として,検証を行った。メモリは,従来の研究から8GB以上とし,HDDよりも高速な,SSDを採用することとした。最近のCPUでは,グラフィック機能(GPU)も搭載されているが,基本となるのは,CPU単体でのスペックである。そこで今回は,MAXON社が自社の3D CGソフトの為に開発した"CINEBENCH R15"を利用する。このベンチマークでは,CPUの1コア当たりの評価とCPUのマルチコアの評価を同時に行うことが出来るため,分かり易い指標となりうる。表1に最近のIntel CPUのCinebenchのスコアを示す。 表1 Cinebench R15 Pentium Gを基準として価格で比較すると,Core i3で倍,Core i5で3倍,Core i7で4倍程度となる。一方で,従来の研究[3]では,Core 2 DuoやCore 2 Quadなどのより古いCPUの機種も利用してきた。実際にCore 2 DuoのCPUを搭載した旧式の機器で検証を行ったが,拡大文字と音声と点字出力の3つを同時に行うことは極めて困難であった。3つの中で,最も負荷が大きいのが,点字出力で,次いで画面拡大であった。リアルタイム出力を断念し,ある程度の遅延を容認すれば,利用は不可能ではないが,実際の利用を考慮すると,旧式のCPUでは断念せざるを得ない。今回のシステムの場合,3つのリアルタイム出力が想像以上に負荷が大きいことが,判明した。そこで,Cinebenchを利用して,様々な場面から検証すると,最低でもSingleスコアが140以上,Multiスコアで330以上が必要であった。これよりも数値が悪いと,拡大画面出力と合成音声出力と点字出力の3つの同時出力が行えなくなる。また,コストパフォーマンスも考慮して,最も安価なPentium Gを採用し,SSDには,速度を重視して,より高速なM2:SSDを採用した。確定したスペックは, CPU:Intel Pentium G4600 SSD:M2 SSD PCIe x4 120GB RAM:DDR4 2400 8GB Chipset:Intel H110 OS:Windows 10 Proである。このスペックで,画面拡大と合成音声出力と点字のリアルタイム出力を満足するものとなった。 3.2 視覚障害補償ソフトウェアここでは,本システムで利用する視覚障害を補償するソフトウェアについて概略する。 3.2.1 画面拡大ソフトウェア 様々な画面拡大ソフトウェアがあるが,”Zoom Text Magnifier”, ”Zoomlt”, 「拡大鏡」などである。”Zoom Text Magnifier”は,有償であるが,画面色反転機能など高機能である。”Zoomlt”は,無償で非常に軽く負荷が少ないが,拡大が滑らかでない欠点がある。「拡大鏡」は,無償ではあるが負荷が少し大きい欠点がある。今回は,タッチパネルを利用するため,指による拡大が可能であるが,場合によって「拡大鏡」を併用することとした。 3.2.2 合成音声ソフトウェア今回は,最も多く利用されている,PC-Talker10を採用した。視覚障害補償では,ほとんど事実上の標準と言うべき存在である。しかし,負荷が大きいのでメモリは,4GBでは不十分なため,今回は8GBのメモリが必要となった。 3.2.3 点字変換ソフトウェア普通文字を点字に変換する点訳ソフトは,2種類ほどあるが,ここでは,点訳ソフトを点字変換エンジンとして利用した。通常は点字に変換するものをCOMポートにリダイレクト して,点字ディスプレイに出力した。この部分がCPUの速度に最も影響するため,性能の低いCPUでは対応できない。事実上,表1のようにIntel社製の第7~8世代のCPU相当が必要となった。 3.3 点字ディスプレイ点字ディスプレイとPCとの接続方法に,COMポート接続,USB接続,無線接続の3種類がある。前項で述べたように点字変換はCOMポートにリダイレクトしているため,COMポート接続となる。しかし,最近のPCにはCOMポートがないため,USB-COM変換機器を利用して,対応する。無線接続は不安定なため,今回は採用を見送った。 4.試作システムの性能 試作したシステムで,その性能を精査した。 当初予定していた通りの,画面拡大出力・音声出力・点字出力が,遅延なくリアルタイムに行えることを確認した。 また,この状態で「拡大鏡」でさらに画面拡大を行っても,動作遅延などの問題が起きないことも確認できた。実際にMicrosoft Word 2016で文書を開いている場面を図1に,指先で画面を拡大している様子を図2に,従来のWindows Experience Index"との比較を表2に示す。 図1 試作したシステム 図2 指で拡大している様子 表2 Windows Experience Index 5.試作システムの活用 このシステムは,どのような場面に利用できるのであろうか。いくつかの場面が想定されるが,最も期待されるのが,自学自習システムのプラットフォームである。1種類の教材を用意すれば,全盲と弱視の両方に対応が可能となる。したがって,予習や復習などの自学自習に最適と考えられる。視覚障害者向けのe-Learningシステムは,一般の晴眼者向けのシステムの転用では,学習者の対応が,十分ではなく,画面拡大や音声出力,点字出力などを行うことが難しいが,今回のシステムでは,単純にメモ帳やWordで書かれた教材で十分対応できるため,単純な知識の反復練習に最も効果を発揮するものと考えられる。また,3種の教材を1つにした電子黒板への応用も同様である[4][5]。そのことを検証するためにも,盲学校や視力障害センター等の協力を得て,検証を進めて行きたい。 6.おわりに 同一の教材で全盲と弱視という異なる視覚障害に対応する教育支援システムの試作を行った。試作機は,予定の性能を示すことができた。今後は,盲学校や視力障害センター等での試行と,電子黒板などへの展開を検討する。このシステムが,教育に役立つことを願う次第である。 7.備考 本研究は,平成30年度科学研究費「同一の教材で全盲と弱視という異なる視覚障害に対応する教育支援システムの開発」研究代表者:村上佳久 によるものである。 参照文献 [1] 村上佳久,書見台型学習支援システムの試作.筑波技術大学テクノレポート.2017; 25(2): p.12-16. [2] 村上佳久,電子メディアを利用した視覚障害者の家庭学習システムの試作.筑波技術大学テクノレポート.2017; 25(1): p.1-4. [3] 村上佳久,パソコン再生プロジェクト まだ使えませんか?.筑波技術大学テクノレポート.2015; 24(1): p.10-15. [4] 村上佳久,電子黒板と手元型電子黒板の活用.筑波技術大学テクノレポート.2015; 22(2): p.1-6. [5] 村上佳久,視覚障害者のための電子黒板.筑波技術大学テクノレポート.2013; 20(2): p.29-33. Fabrication of a Learning Support System for Blindness and Low Vision with a Unified Teaching Medium MURAKAMI Yoshihisa Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Impaired,General Education Practice Section for the Visually Impaired, Tsukuba University of Technology Abstract: A prototype of an educational support system that employs the same teaching materials for students with blindness and low vision was developed. Traditionally, separate learning media have been prepared for people with blindness and low vision, such as braille for blindness and enlarged letters for low vision. However, in order to educate people with blindness and low vision simultaneously, it is necessary to prepare teaching materials that correspond to both groups. Additionally, low vision requires different combinations of compensating devices, since the appearance varies depending on individual obstacles. This prototype suggested that a single teaching material can be used both for people with blindness and those with low vision. Keywords: Visually impaired, Disability compensation, Blind, Low vision, Identical teaching media