聴覚障害のある競技者とスポーツとの関わり─ 一般校にインテグレートしたある女性選手の事例に着目して ─ 門脇 翠,小林洋子,大杉 豊 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 障害者基礎教育研究部 要旨:聴覚障害のある競技者がスポーツと関わる中で自身やスポーツに対する意識を変容させていく過程が存在することは門脇(2017)で明らかにされている。本研究では,その意識変容過程の詳細を検証する試みとして,一般の学校教育を受け,一般スポーツとデフスポーツの両方に競技経験を有する聴覚障害女性へのインタビュー調査を行い,そこで得られたデータを時系列に分析した。その結果,意識を変容させていく具体的な表れとして,「デフスポーツから一般競技スポーツへの逆導入」「聴覚障害のある自分に対する価値観の変換」の2点が存在することを見出した。 キーワード:聴覚障害者スポーツ,デフリンピック,インテグレーション, 意識変容 1.はじめに 国際ろうスポーツ委員会(以下,ICSD)の憲章は,聴覚障害者が行うスポーツを“Deaf Sports”と定義している[1]。本研究ではその“Deaf Sports”を片仮名表記の「デフスポーツ」と表記する。デフスポーツは年齢や性別,職業の他に,障害の状態や失調年齢,学校歴などを含めた,多様な背景のある聴覚障害者が参加しているスポーツ活動であり,「デフリンピックはデフスポーツ実施者にとって重要な位置づけにある」[2]とされている。しかし,デフリンピックの国内認知度は,2014年に行われた日本財団パラリンピック研究会の調査によると11.2%であり,パラリンピックの98.2%に比べると大変低い数字である[3]。その背景として,聴覚障害者は,「一般的にコミュニケーション的には障害者であっても,身体的には障害者ではなく健常者という見方」[4]があるように「他との違いが見えにくい」[5]との指摘があげられる。また, 齊藤(2012)によるアダプテッド・スポーツに関心のある体育専攻学生を対象とした調査[6]では, デフリンピックを自分たちがやる一般スポーツと「同じスポーツ」として捉えていることから,競技の魅力について疑問視する声もある。そのデフスポーツ活動の意義について,聴覚障害のある競技者を対象とした門脇(2017)の調査によって,デフスポーツ活動において「競技者として聴者と対等でありたいと願う」「デフリンピックという共通目標」「デフスポーツが持つ社会的価値の確信」の3つの共通意識が存在することが示唆された[7]。さらに,一般校に通うインテグレーション経験者にとって,ロールモデルとの出会いは重要だとする指摘がある[8-10]。また,門脇(2017)により,デフスポーツはインテグレーション経験者にとってはデフコミュニティの入り口であり,手話言語によるコミュニケーションとデフリンピックでの経験を通しての自己成長や競技者意識の変化が見られたことが報告されている[7]。さらに,「ろう者の中には聴者と競い合うことと,ろう者同士で競い合うことの意味の違いと重要性」[11]についても,デフスポーツは聴者とのつながりを持つ動機の1つにもなりうることが示された。そのように,聴覚障害者がどのようにデフスポーツと関わっているのかについては,五町(2010)と齊藤・荒川(2014),門脇(2017)の研究にて散見される程度であり,筆者は競技者を対象としたデフスポーツの意義についてさらに深く検討する余地があると感じている。そこで本研究は,インテグレーションを経験しており,一般の競技スポーツとデフスポーツを両方経験している聴覚障害のある女性競技者1名の事例を取り上げて,門脇(2017)によって示唆された3つの共通意識の存在を検証するものである。 2.方法 2.1 対象者 インテグレーション経験者で,プロ選手として活動しながら5年以上デフスポーツと関わりを持つ選手のうち,同意を得られた1名の女性選手A氏を調査対象とした。 2.2 調査方法質問項目(表1)を提示し,自由に話してもらい,対象者同意のもとに,ビデオ撮影を行った。 表1 質問項目 1. 聴覚障害の原因と内容について 2. 受けた学校教育について 3. 家庭でのコミュニケーションについて 4. 現在の競技スポーツを始めた動機について 5. 聴者との競技中のコミュニケーション方法について 6. デフスポーツを始めた動機について 7. デフスポーツのイメージについて 8. 手話はどのように身につけたのかについて(手話を 習得して変わったことについて) 9. 一般の競技スポーツとデフスポーツを両方経験して 感じたことについて 10. デフリンピックに4大会出場しての変化について 11. A氏にとってのデフスポーツとは? 12.聴覚障害者協会との関わりについて 13. 今後の活動について 2.3 分析方法 記録した手話と音声をもとに逐語文字化されたデータより,競技スポーツ,デフリンピック,女性,そして3つの共通意識[7]に関係すると思われる内容を時系列に抜き出して,当時の社会的背景も合わせてエピソードとして整理した。そこからA氏が一般スポーツとデフスポーツの両方を経験する中で,どのように精神的価値の変化を経験したのかを検討した。なお,プライパジー配慮から名前はローマ字で表記する。 3.結果 3.1 対象者の概要 A氏は30歳代の聴覚障害のある女性で,競技スポーツ歴は22年目となる。本調査で明らかになったA氏の略歴を整理した(表2)。 表2 A氏の略歴 1984年(0歳)B県に生まれる。 1996年(12歳)現在の競技スポーツと出会う。 2000年~2002年(高校)初の地区大会優勝,全国大会出場に貢献。第19回夏季デフリンピック競技大会(イタリア・ローマ)の誘いがあったが,部活動優先で出場を断念。 2003年~2006年(大学)レギュラーメンバーとして活躍。1部昇格に貢献。4年生の時に第20回夏季デフリンピック競技大会(オーストラリア・メルボルン)に初参加(1回目)。 2007年(23歳)2つの実業団チームからオファーを受けて,Cチームに入団。 2009年(25歳)怪我に悩まされCチームを退団,実業団を引退。第21回夏季デフリンピック競技大会(台湾・台北市)に参加(2回目)。 2010年(26歳)Dチームのオファーを受けて実業団復帰。 2012年(28歳)Dチームを退団し,地元のクラブチームに入団。 2013年(29歳)第22回夏季デフリンピック競技大会(ブルガリア・ソフィア)に参加(3回目)。 2017年(33歳)第23回夏季デフリンピック競技大会(トルコ・サムスン)に参加(4回目)。 3.2 エピソード群 エピソード①【夢中になれる競技スポーツとの出会い】 A氏は1歳3ヶ月で聴覚障害が判明し,小学校に入るまで,口話の勉強で聾学校の幼稚部に通い始める。「小さい時に母が私に手話を教えてくれたようですが,私が嫌がったので,それからはずっと口話で生活してきました」と話していることから,当時の我が国の聴覚障害児教育は,手話や指文字を使わず,音声言語を主なコミュニケーション手段とする聴覚口話法が主流であった[13]ために,聾学校では口話法のみによる教育を受けてきたことがうかがえる。その後,小学校は「聴覚障害者だけでなく,視覚障害者,肢体不自由者,知的障害者も集まって一緒に学ぶクラス」(特別支援学級)に通い,個別指導を受ける。家庭内でのコミュニケーションも口話で行うが,「家に帰ると母は兄2人と喋るんですけど,私は喋らないんです」と,高校生の時まで基本的に母親以外の家族(兄2人)と家の中で会話することはほぼ無かった。それについてA氏は自身を人見知りだったと分析しているが,他の家族が彼女とどう関われば良いのか分からなかったことが推察される[14]。スポーツについては,小学生の時は様々なスポーツに挑戦した。“きこえないからチームスポーツなんかできない”という母親の障害観により,クラスメートが所属しているスポーツチームの誘いを2度断っていた。ここで,聴覚障害児のスポーツへの参加においても「親の聴覚障害の身体状況を見ている視線」[15]が関与していることが,確認できた。A氏は競技スポーツを始めることになった動機について,「一度見学に行った時に,監督さんから障害のあるないは関係ないからという話をしてくださって,母は嬉しくなって,そのクラブチームに入れさせてもらいました」と話している。その競技スポーツの面白さにA氏は初めて夢中になる。才能が開花して,大学までレギュラーメンバーとして活躍し,実業団選手にまで成長するのである。 エピソード②【一般競技スポーツとコミュニケーション】 高校生の時は「(監督から)ビンタを受けて聴力がさらに下がりました」と回答していることから,部活動における体罰が現在ほど大きく問題視されていなかった頃,厳しい指導を受けていたことがうかがえる。しかし,平手打ちによる聴力低下は大抵が回復すると報告されている[16]ため,精神面のストレス等見えない要因が他にあったことが推測できる。また,A氏は「自分の持っている力を出し切れば良い」と自分のプレーに自信を持っており,周囲もA氏のプレーに合わせてくれていたため,A氏は「困ったことも悩みもなく」思い切ってプレーができていたのではないかと考えられる。プレー中のコミュニケーションについて,A氏は「声が聴こえるか聴こえないかというよりも前に,声をかけてもらう前にボールが来ると思ったら,私からサインをもう出しています」と述べている。このことから,卓越した瞬時の判断力が備わっていることが考えられた。聴覚障害のある選手の動体視力について,「健聴者よりも日常生活のうちから瞬間的に視覚を通して,より多くの情報を得る習慣が無意識的のうちに備わっている」と元選手の増山(2008)は述べている[17]。また,齊藤(2011)の研究でも聴覚障害者の横方法動体視力が極めて高いことが報告されている[18]。よって,A氏も高い視機能,動体視力を有していることが推測された。 エピソード③【デフスポーツに初めて参加して…】 A氏は高校2年生の時に,一度デフリンピック出場のオファーを断っていた。その当時,「辞退は許されない」ほどの高校にとって大事な大会を控えていたためである。大学生の時に,海外にチャレンジしてみないか?と再び代表監督に誘われて,代表合宿に初めて参加する。初めてのデフリンピックの印象について,「技術面では勝っている自信があったが,ほとんど手話で会話をしており,衝撃を受けた」とA氏は話している。代表合宿でのことについても,「(手話を)理解しようと思わなかった」「初めは同じ障害ではないと自分の中では思っていた」「普通に健聴者として,障害は持っているけど,壁を自分から作っていた。コミュニケーションも全く取らなかった。」と話しており,コミュニケーション方法の違いから,障害を否認し,健聴者に同一化することで心理的な適応をはかろうとしていたとみられる[19]。しかし,当時のチームメイトとのコミュニケーション方法について「相手の口をずっと見ながら読み取ってきました。大変でした。」と回答していることから,口話法は大変だという認識も持ち合わせていたことが確認できた。同障者の印象について,「諦めが早い」「思ったことを言わない」「メンタルが弱い」とA氏は指摘する。そのような特徴を裏付ける先行研究は見られなかったが,前述したように,聴覚障害者は年齢や性別,職業の他に,障害の状態や失調年齢,学校歴などを含めた多様な背景があるため,個人差はあるのではないかと筆者は考える。 エピソード④【デフリンピックが変えたもの(1)】 A氏はこれまでに4度の夏季デフリンピック競技大会を経験したが,その中で自分が変わる要因となったのは,2009年の台北大会と2013年のソフィア大会の時だという。2005年のメルボルン大会までは手話を覚える気が無かったA氏は,「どうしたら強くなれるか考えていたけど,手話ができなくてコミュニケーションが取れなかった」と代表合宿参加に消極的だった。ようやく,メダルを取りたいと思えるようになったのが台北大会の時であり,その当時のチームメイトが実業団の試合にも足を運んで自分を応援してくれたことから,その感謝の気持ちから手話を覚えてコミュニケーションを取りたいと思うようになった。2013年のソフィア大会に向けて代表監督がE氏に代わり,もとより実業団の時からの知り合いであったことから,E氏の為にも代表チームをまとめたいという責任感を持つようになった。藤巴(2002)が「難聴者の場合は,難聴者としての生き方のモデルとなる同障者との出会いだけでなく,理解ある健聴者との出会いが非常に重要である」[19]と述べているように,A氏にとってE氏は良き理解者であったようだ。そこから,A氏は手話を使って積極的にチームメイトとコミュニケーションを取り,ソフィア大会に引き続き,2017年のサムスン大会でも「自分が持てる力を全て出そうという気持ちがあったので自分の技術をみんなに教えることもしました」と話しているように,時には代表チームのキャプテンの支えとなり,チームをまとめるようになった。さらに,A氏は実業団チームとデフスポーツの両方での経験について,両方のプレーに変化が表れた,メリットをもたらしたという話もしてくれた。実業団でプレー中も声だけに頼らないで顔を上げてチームメイトと目を合わせることを提案したら,チームが1つにまとまったというのである。これはデフスポーツにおいてどんな状況でも顔を上げてアイコンタクトを取らなくてはいけないことから思いついたのだそうだ。また,デフスポーツにおいても,A氏の提案できこえなくても声を出すことで自分の気持ちを奮い立たせることを実践しているとのことで,これも代表チームでは非常に強い効果があったようだ。このように,お互いのスポーツの良いところを取り入れて工夫していけば,みんなが気持ち良く活動できることをA氏はデフスポーツから学んだのだ。 エピソード⑤【デフリンピックが変えたもの(2)】 A氏はデフリンピック出場を契機に,同障者のみならず,他の障害者にもスポーツを指導するなど関わりを持つようになった。また,幼稚部の時にお世話になった聾学校の広報紙をチェックするようになり,聾学校の先生をしている知り合いがいるから連絡を取ってみたいとの回答が見られ,他の同障者との交流にも前向きになったことが確認できた。依頼が増えたという講演活動についても,「デフリンピックの知名度をもっと上げるために考えていきたい」「耳が聴こえなくて聴者と一緒に生活をしていたという人がいるかもしれないので,その人もスポーツをやっていたら,少しでもデフリンピックと関わってもらいたい」と話しており,当初はデフリンピックや手話に興味を持たなかったことから,ここにA氏の最大の変化が見てとれた。門脇(2017)は,聴覚障害のある競技者はデフスポーツとの関わりが深くなるほど,デフスポーツの社会的価値を確信するようになることを示唆しており,本研究におけるA氏からも同様のことが見られた。さらに,A氏は「中学校の時にお世話になった監督にも連絡をして,こういう耳が聴こえない選手がいるという話をしてほしいとお願いをした」ということだが,これは障害が人間的な価値の低下に繋がらないという,価値観の変換であり,従来の健聴者をモデルにした価値観から脱却し,自分なりの価値観を見いだしていったという杉田(2000)の研究[20]を裏付けるものである。最後に,A氏にとってデフスポーツとは何か?という問いに対して「生きがい」という答えが返ってきた。今後について,聴者だけでなく,同障者ともっと関わっていきたい,次のデフリンピックも目指せるものなら目指したいと,A氏はデフスポーツと関わりのある未来を見据えていた。 エピソード⑥【女性アスリートとして】 A氏は30歳代であることから,筆者は,競技を続けて行く上での聴覚障害のある女性の特有の課題があるのではないかと推察し,これから女性としてどのように生きたいかについて追加で質問してみた。答えは「考えているが,結婚は意識していない」とのことであった。「自分がやりたいようにやって自然に任せてきたのだから,結婚や出産を気にしながら生活するのは面白くない」と話すA氏はどこか清々しそうであった。したがって今回は,ジェンダーに関する先行研究も含めて十分なデータが得られず,聴覚障害のある人たちのジェンダー研究が遅れていること,特にデフスポーツの場面におけるジェンダー分析は弱いことが改めて確認された。 4.考察 本研究で確認された1)デフスポーツから一般の競技スポーツへのプレースタイルの「逆導入」(エピソード④),2)聴覚障害のある自己の価値を認識して広報する「価値観の変換」(エピソード⑤)の2点は,門脇[7]の研究では得られなかった新しい発見である。後者については,A氏が「(難聴者に)少しでもデフリンピックと関わってもらいたい」とデフスポーツと関わることを勧めているように,デフスポーツは難聴者をも受け入れるアイデンティティの存在を限定しない幅広いコミュニティを有しており,インテグレートした聴覚障害のある競技者の自己肯定と自己形成を助ける役割を持つことが本研究でも明らかにされた。この2点はA氏のみならず,他の聴覚障害のある競技者にとっても同様である可能性があり,一般化しうる仮説として提起する。 5.終わりに 一般の競技スポーツとデフスポーツの両方の経験をしている,聴覚障害のある女性競技者へのインタビュー調査で得られたデータを分析した結果,門脇(2017)で示唆された3点の共通意識が全て観察されただけでなく,その具体的な表れとして「デフスポーツから一般競技スポーツへの逆導入」「聴覚障害のある自分に対する価値観の変換」と見られる新しい発見があった。この索出された2点を仮説として提起し,さらに多くの事例研究を重ねることで,聴覚障害のある競技者に共通する意識に対する理解がより深まると思われる。 謝辞 本研究にご協力いただきましたA氏に心から感謝いたします。 参照文献 [1] ICSD-The International Committee of Sports for the Deaf. Constitution, DEAFLYMPICS Recognised by International Olympic Committee, (2018年8月7日), https://www.deaflympics.com/icsd/constitution. [2]五町歩美.聴覚障害者の生涯スポーツにおける「デフスポーツ」の役割.筑波大学大学院体育系修士研究論文集.2010;32:p.45-48.[3]日本財団パラリンピックサポートセンターパラリンピック研究会.国内外一般社会でのパラリンピックに関する認知と関心 調査結果報告,(2018年8月7日), http://para.tokyo/2014/11/survey.html. [4]及川力.国際ろうスポーツ委員会が国際パラリンピック委員会を離脱した要因について.スポーツ教育学研究. 1998;18(1):p.49-54. [5]中村有紀.デフリンピック選手候補の競技環境と意識に関するアンケート調査報告書.筑波技術大学障害者高等教育研究センター報告書.2009. [6] 齊藤まゆみ.デフリンピック競技映像を視聴したアダプテッド・スポーツに関心のある体育専攻学生が指摘する競技の特徴.筑波大学体育系紀要.2012;35:p.103-109. [7] 門脇翠.聴覚障害のある競技者とスポーツとの関わり-デフスポーツにおける意識変容過程に着目して-. 筑波大学大学院, 体育系修士論文, 2017. [8] 坂田浩子.聴覚障害者の自我同一性形成について.ろう教育科学.1990;32(2):p.61-81. [9] 坂田浩子.聴覚障害者の自我同一性形成について(Ⅱ).ろう教育科学.1990;32(3):p.109-125. [10] 山口利勝.聴覚障害学生における健聴者の世界との葛藤とデフ・アイデンティティに関する研究.教育心理学研究.1997;45:p.284-294 [11] 砂田武志.ろう者とスポーツ.In:現代思想編集部. 現代思想1996年4月臨時増刊号:総特集=ろう文化. 青土社,1996;p.152-155 [12] 齊藤まゆみ,荒川歩美.日本における成人聴覚障害者のスポーツ活動に対する意識とその現状.筑波大学体育系紀要.2014;37:p.93-99. [13] 我妻敏博.聾学校における手話の使用状況に関する研究.上越教育大学研究紀要.1998;17(2):p.653-664. [14] 佐藤正幸,小林倫代,小田侯朗,他.聴覚障害児をもつきょうだいへの教育的支援に関する考察-聾学校及び難聴学級の担当教員への聞き取り調査から-.国立特別支援教育総合研究所研究紀要. 2008;35:p.89-98. [15] 上農正剛.障害「受容」から障害「認識」へ.九州保健福祉大学研究紀要.2000;1:p.141-149. [16] 村上順子,近芳久,笹森史朗,村井和夫, 他.鼓膜破裂の臨床的検討.Otology Japan. 1994;4(2):p.155-161. [17] 増山光洋.聴覚障害バレーボール選手におけるスポーツビジョンの研究-デフ全日本男子バレーボールチームの事例-.育英短期大学研究紀要.2008;25:p.57-66. [18] 齊藤まゆみ.聴覚障害者の体力・運動能力と視機能. 障害者スポーツ科学.2011;9(1):p.3-14. [19] 藤巴正和.難聴者の障害受容過程に関する一考察. ろう教育科学.2002;44(1):p.13-23.[20] 杉田律子.普通学校にインテグレートした聴覚障害者の自我発達に関する研究.ろう教育科学.2000;42(3):p.145-158. Sports and Athletes with Hearing Impairments —A Case Study of a Female Athlete with Experience of Integration— KADOWAKI Midori, KOBAYASHI Yoko, OSUGI Yutaka Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Impaired,Tsukuba University of Technology Abstract: Deaf sports refer to all sports in which the deaf and hard of hearing persons with various backgrounds including disabilities, age of hearing loss, education, participate. Worldwide, Deaflympics is the most important sports event for deaf athletes. Therefore, this research aimed to expand on Kadowaki’s (2017) research on the significance of deaf sports for athletes with hearing impairments, who also participate in other regular sports. I interviewed a female athlete with a hearing impairment, integrated in a general school, and analyzed the data obtained in the conversation with her. The results showed that deaf sports has elements that prove that a wide community has accepted hard of hearing persons and newly confirms the change of values in disability affirmation. It also suggested that there is a positive influence in the regular sports that she is involved in. Keywords: Deaf sports, Deaflympics, Integration, Consciousness change