高等教育における手話通訳実施のための体制及び養成に関する一考察 ─ ギャローデッド大学における実態調査報告 ─ 石野麻衣子 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 障害者支援研究部 要旨:聴覚障害学生支援のニーズが高まりを見せる今,高等教育場面における手話通訳を実現するための体制,及び手話通訳者養成に必要なプログラムを明らかにすることは,我が国にとって急務である。このため,先進的な取り組みを行う米国ギャローデッド大学の手話通訳体制,及び通訳者養成カリキュラムを調査した。この結果,専門分野における手話通訳を実現するためには,専門分野の知識の習得と,専門分野における訳出技術の習得の両方が重要であることが明らかになった。 キーワード:聴覚障害,ろう・難聴,障害学生支援,手話通訳,高等教育 1.はじめに 現在我が国では,1,951名の聴覚障害学生が高等教育機関(以下,大学)で学んでいる。聴覚障害学生が在籍する495校のうち,72%の大学等でノートテイク等何らかの形で授業支援が行われており,15.6%の大学で手話通訳による支援が行われている[1]。 法律の面から見ると,2016年に施行された「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(いわゆる「障害者差別解消法」)では,不当な差別的取扱いを禁止し,国立大学を含む行政機関等については,合理的配慮の提供の「法的義務」,私立大学を含む事業者には「努力義務」を課している。つまり,聴覚障害学生が合理的配慮として手話通訳を求め,それが合理的配慮を構成する要素(過重な負担にならないこと,本質的変更をともなわないこと,等)を満たす場合は,それは提供されなければならないものとなる[2]。 よって,聴覚障害学生が手話通訳を必要としたときに対応できるよう手話通訳の体制を整え,また高等教育に対応可能な手話通訳人材を養成することは,我が国にとって急務であると言える。 高等教育レベルで必要な手話通訳スキルとして「話者の論理や態度の伝達」が重要であることがすでに明らかになっている[3] [4]。しかし,どのような通訳体制があればそれが実現するのか,またどのような養成を行えばそのスキルが身につくのかは,明らかではない。 そこで,大学内の手話通訳体制が充実し,かつ手話通訳者養成カリキュラムを持つ,米国ギャローデッド大学の実態を調査し,どのように専門的な分野の通訳を実現しているか,また手話通訳養成をどのように行っているかを明らかにすることとした。 2.調査概要  今回の調査概要を以下に示す。 ・期間  平成30年3月3日~3月13日(移動日含む) ・調査地  ギャローデッド大学(米国ワシントンD.C.) ・ 調査内容 ①ギャローデッド大学の情報保障担当部署(Gallaudet  Interpreting Service ; GIS)における調査 対象者:ディレクター Mr.Jeffrey Hardison    手話通訳者 Ms.Loriel Dutton Ms.Kari Bahl Ms.Diana Markel ②ギャローデッド大学 手話通訳学科における調査 対象者:Dr.Keith Cagl(手話通訳学科 学科長) ③手話通訳学科授業見学 他 ・ 調査担当者 筆者 3.大学内における手話通訳の実施状況 3.1 体制 ギャローデッド大学における情報保障は,Gallaudet Interpreting Service (以下,GIS)が担っている。GISはディレクター1名,マネージャー1名,スケジュール調整担当者6名のスタッフで運営されている。手話通訳者は,常勤通訳者(Staff Interpreter)37名,GISに登録し,依頼があった場合に通訳を行う通訳者(Freelance Interpreter,以下登録通訳者)60名~80名,計100名前後である。特に,常勤通訳者のうち7名,登録通訳者のうち5名はろう通訳者である。 3.2 手話通訳者の選抜と更新 GISの手話通訳者の応募要件は,RID(Registry of Interpreters for the Deaf;手話通訳者登録協会)発行の資格を保有していること,及びRID資格取得後5年以上学外で手話通訳経験を積んでいることである。以前は後者の条件は設けていなかったが,資格取得直後に同大で手話通訳を行っても質的に十分な通訳を行うことが難しい状況があったため,5年以上の経験という条件を設けたとのことである。 選抜にあたっては,ペーパーテストおよびパフォーマンステストが行われる。ペーパーテストでは,手話通訳の歴史,通訳理論,コミュニティ通訳の必要性等が出題される。パフォーマンステストは,①ろう者への対応 ②聞き取り通訳 ③読み取り通訳が行われる。 上記試験に合格し,その後も継続して同大の手話通訳者として手話通訳業務を行う場合は,4年ごとの更新が必須であり,その際には最低100時間以上通訳を行ったことの証明が必要になる。 3.3 通訳派遣状況 GISに依頼される通訳は年間80,000時間であり,常勤通訳者,登録通訳者で派遣可能か調整し,調整が難しい場合は学外の通訳派遣会社に依頼する。依頼内訳は,授業や研究に関するアカデミック通訳が80%,学内行事等のノンアカデミック通訳が20%となっている。 アカデミック通訳のうち70~80%は,手話学習中の聴覚障害学生に対する授業の通訳である。このような学生に対する情報保障は,以前は文字通訳と読み取り通訳(残存聴力の活用が期待できる学生の場合)の併用が多かった。ただし,この方法を採用すると,学生が手話を見る機会がなく,学習を遂行するための手話の力が身につかないことが課題となっていた。このことから,近年は文字通訳とろう通訳を併用するパターンが増加傾向にある。ろう通訳者は,教員のASLを見ながら,同じ内容をゆっくりわかりやすい手話で通訳する。そうすることで,聴覚障害学生は手話を習得し,徐々に手話を見て授業を理解できるようになるとのことだった。 3.4 手話通訳者の専門性維持・向上の取り組み GISの手話通訳者の技術向上のための取り組みは,以下4段階となっている。 ①RID発行の手話通訳資格維持の推進 ②個人研修の受講 ③全体研修の受講 ④メンタリングプログラムへの参加 個人研修は,GISで個人研修を目的とした予算を確保しており,これを使った業務遂行上必要な分野の講義の受講や,司法通訳資格取得のための学外研修の受講が可能となっている。 全体研修,及びメンタリングプログラムで重要な役割を担っているのが,GIS内に組織されているProfessional Development Committeeである。常勤通訳者4名で構成され,研修計画の立案や,メンタリングプログラムの運営を行っている。 全体研修のテーマは多岐に渡るが,通訳者からのリクエストが多いのは,手話言語学やパブリックスピーチとのことだった。 メンタリングプログラムは,科目ごとに目標を立て,一年ごとに手話通訳に対する自己評価を行い,自らの成長のために必要なことを整理,実践する取り組みとなっている。メンターからの指導の他,自己評価も行う。この際には,GISに登録する際に受けた試験の通訳映像や,自己評価用に自らが撮影した手話通訳映像を用いる。評価時はGISで独自に作成したルーブリックを用いており,メッセージに一貫性はあるか,メッセージは正確で完璧であるか,起点言語から目標言語への翻訳の際メッセージのトーンや内容はきちんと伝えられているか,等の7つの目標が定められている。 4.手話通訳専攻における手話通訳者養成 ギャローデッド大学では手話通訳専攻が設けられており,手話通訳者の養成を行っている。今回は,高度専門領域に対応するための取り組みを中心に,調査を行った。 4.1 入学基準 手話通訳学科では,入学時に求める手話の技術として,ASLPI 3以上を求めている。ASLPIはAmerican Sign Language Proficiency Interviewの略で,同大が実施する手話の技術を測るテストである。ASLPI3は,一般的な話題もそうではない話題もASLでディスカッション可能であり,ただし,深い話題や詳細な理解・表現を求められた時にエラーが起きるレベルである [5]。 4.2 カリキュラム 同大の手話通訳専攻は,学士課程,修士課程,博士課程が設置されている。 学士課程のカリキュラムを以下に示す(表1)。1年次は一般教養を学ぶため,専攻の授業を受講するのは2年次以降となる。 表1 手話通訳専攻カリキュラム(学士課程) 学期 科目名 2年秋学期 Introduction to Interpreting  Sign Language and Sign Systems 2年春学期 Interactive Discourse Analysis Introduction to the Structure of ASL  Introduction to Human Biology 3年秋学期 Fundamentals of Interpreting Dynamics of Oppression 3年春学期 Interpreting Interaction: Translation and Consecutive Interpretation  Interpreting Interaction: Medical Discourse and Field Application Ⅰ 4年秋学期 Interpreting Interaction: EducationInterpreting Interaction: Business-Government Discourse and Field Application Ⅱ 4年春学期 Senior Seminar Project and Portfolio Senior Internship 表2 手話通訳専攻カリキュラム(修士課程 CIPR) 学期科目名 1年秋学期 History of Interpreting Structure of Language for Interpreters: American Sign Language and English  Discourse Analysis for Interpreters Fundamentals of Interpreting 1年春学期 Interpreting Legal Discourse Interpreting Mental Health Discourse Professional Practice Ⅰ  Research Methods in Interpretation 2年秋学期 Interpreting the Discourse of Education Interpreting Business and Government Discourse  Professional Practice Ⅱ Guided Research Project Ⅰ 2年春学期 Interpretation Medical Discourse Guided Research Project Ⅱ  Field Potation 2年夏 Internship 手話通訳専攻の修士課程のカリキュラムは表2の通りである。なお,同大の手話通訳専攻の修士課程は,主として手話通訳者の養成を目的としたコース(CIPR)と,主として手話通訳研究を目的としたコース(IR)に分かれており,本稿では手話通訳者養成の示唆を得るため,前者を掲載する(表2)。 なお,表1,表2は,同大ホームページ[6][7]から得た情報,及び調査時に提供されたカリキュラムに関する資料をもとに,調査で得られた情報を付加し,筆者が作成した。 通訳トレーニングのカリキュラムは,通訳に関する入門的な内容を取り扱ったあと,ディスコースの分析を身に付け,そのあと実際に通訳トレーニングを行う流れになっている。手話通訳におけるディスコース分析とは,手話通訳者を介した両者の言葉のやりとりや会話のプロセスを分析することである[8]。通訳を介してろう者と聴者がどのように会話を始め,どのような過程を経て終わるかを分析することは,通訳を行う上で重要であるとした。 また,実際の通訳トレーニングでは,以下の3段階を踏んで進んでいく。 ①翻訳(Translation) ②逐次通訳(Consecutive Interpretation) ③同時通訳(Simultaneous Interpretation) 翻訳の段階では,文章を読んでどのように表現するか考える。または,手話を見て文章を書く。 逐次通訳は,聞いて考えてから表現する。または,手話を読み取ってから発話する。 同時通訳は,聞くことと表現することを同時に行うか,または,手話を見るのと発話を同時に行う。 実際の通訳場面では翻訳を行うことはないが,分析し通訳する力をつける上で重要なステップであるとのことだった。 4.3 専門テーマ別の授業 高度専門領域での手話通訳に対応するためのプログラムとして,同大では医療,司法,教育等場面別の授業を設けている。いずれの授業でも,専門分野の知識の教授と,実際の手話通訳場面を想定した通訳技術を並行して学ぶ内容になっている。 4.3.1 医療通訳に関する授業 医療通訳については,学士課程及び修士課程に授業を設けており,医学の知識を学ぶとともに,医者と患者の間に通訳者が入った際のやりとりを学ぶ。修士課程の授業での取り組みとしては,例えば学生一人につき一つの臓器を割り当て,その臓器に関して調べたことを手話でプレゼンテーションする。その際,教員が事実の修正や追加の説明を行い,手話での訳出についてもアドバイスする。学生は,他学生のプレゼンテーションを聞くことで,自分が割り当てられた臓器以外の臓器についても知識を得,訳出を学ぶことができるため,一通り学ぶことができる。 希望する学生は,医療現場でのインターンシップも可能であり,その際は経験豊富な手話通訳者とペアになり実施する。 4.3.2 司法通訳に関する授業 司法通訳に関する授業は,修士課程にのみ設置されている。授業では,司法に関する知識を習得するほか,実際に裁判所に行って通訳の様子を見学することも可能である。医療通訳に関する授業ではインターンシップが可能だが,米国の場合司法場面で通訳を行うためには,司法通訳の資格が必要になるため,インターンシップは難しい。このため,大学内で模擬的に裁判の通訳を行っている。 4.3.3 教育場面での通訳に関する授業 教育に関する授業では,教育学的な視点や文化,歴史,教育が目指すものなど概要を学ぶ。さらに,教育場面での通訳を介したやりとりを分析する力を身に付け,逐次通訳,同時通訳を技術的にステップアップしていく。 5.まとめ 本調査は,高等教育場面の専門性の高い手話通訳を実現するために必要な取り組みを,通訳体制と通訳者養成の両面から明らかにすることを目的に,先進的な取り組みを行うギャローデッド大学において調査を行った。 まず,学内の通訳体制については,もともと5年以上の通訳経験を持った通訳者を雇用している上に,さらに個々のニーズに合わせた研修,通訳者全体への研修,メンタリングプログラムを組むことで,高度専門領域に対応していた。個々のニーズに応じた研修は,その時受け持っている内容と関連する講義の受講や,司法通訳者を目指す通訳者はこれに関連した外部研修の受講など,専門分野の知識の強化を目的としていた。同時に,通訳者全体への研修やメンタリングプログラムに参加することで,技術的な向上も期待することができる。 手話通訳者の養成プログラムにおいては,特に医療,司法,教育等の専門分野の授業が設置されており,各分野の知識の習得とディスコース分析に重点が置かれている。手話通訳者が入ることによるダイナミクスの変化を知り,さらに,どのように訳出するべきなのかを知識と関連づけながら考えることができるプログラムとなっている。 高等教育のような高度専門領域の手話通訳では,話者の論理や態度を正確に手話通訳者がつかみ,伝達することが求められる。これを実現するため,ギャローデッド大学では,学内の通訳体制,通訳者養成プログラムともに「専門知識の習得」と「専門分野における通訳技術の取得」が両輪となって運営されていると言えるだろう。 我が国は,大学における手話通訳者養成はごく一部を除き行われておらず,そのほとんどが地域コミュニティで行われている。また,一般的な様相として,一定程度の通訳技術を習得したあとの手話通訳者向け研修は,通訳技術について取り上げられることが多い。同大との単純な比較はできないが,我が国においても専門分野における手話通訳ニーズが高まりを見せる今,専門分野の知識の習得と,その分野のディスコースを理解し訳出する技術を並行して学ぶ研修のあり方が,今後検討されるべきだろう。 6.附記 本調査は,JSPS科研費 16K16870の助成を受けたものである。調査にあたり,ギャローデッド大学手話通訳学科長Keith Cagle氏,GISディレクターJeffrey Hardison氏,常勤通訳者Kari Bahl 氏,Loriel Dutton氏,Diana Markel氏,そしてASL-日本手話通訳者に多大なるご協力をいただいた。また,筑波技術大学障害者高等教育研究支援センターの白澤麻弓准教授,小林洋子助教には,調査先のアドバイス等有益な示唆をいただいた。この場を借りて厚く御礼申し上げる。 参照文献 [1] 日本学生支援機構.平成 29 年度(2017年度) 大学、短期大学及び高等専門学校における障害のある学生の修学支援に関する実態調査結果報告書,障害のある学生の修学支援に関する実態調査.(cited 2018-11-20),p.34. https://www.jasso.go.jp/gakusei/tokubetsu_shien/chosa_kenkyu/chosa/__icsFiles/afieldfile/2018/07/05/h29report.pdf [2] 内閣府.障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律,内閣府ホームページ.(cited 2018-11-26).http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/law_h25-65.html [3] 石野麻衣子,吉川あゆみ,松﨑 丈,他.学術的内容の高度専門化に伴う聴覚障害者の手話通訳に対するニーズの変化.日本特殊教育学会発表論文集;2011-9-25(弘前).2011;p.363. [4] 吉川あゆみ・石野麻衣子・松崎丈,他.高等教育における手話通訳の活用に関する研究―学術的内容の高度化に対応するための手話通訳の技術的ニーズに着目して―.日本社会福祉学会第59 回秋季大会報告要旨集;2011-10-8(千葉).2011. [5] Cynthia B. Roy.Interpreting as a Discourse Process. OXFORD UNIVERSITY PRESS,2000; 3. [6] GALLAUDET UNIVERSITY. B.A. IN INTERPRETATION Courses,ACADEMIC CATALOG.(cited 2018-11-20). https://www.gallaudet.edu/academic-catalog/undergraduate-education/departments-majors-minors/department-of-interpretation-and-translation/interpretation [7] GALLAUDET UNIVERSITY.MASTER OF ARTS IN INTERPRETATION: COMBINED INTERPRETING PRACTICE AND RESEARCH Courses,ACADEMIC CATALOG.(cited 2018-11-20). https://www.gallaudet.edu/academic-catalog/graduate-education/departments-and-programs/department-of-interpretation-and-translation/master-of-arts-in-interpretation-combined-interpreting-practice-and-research [8] ASLPI Proficiency Levels,American Sign Language Proficiency Interview (ASLPI).(cited 2018-11-21) https://www.gallaudet.edu/the-american-sign-language-proficiency-interview/aslpi/aslpi-proficiency-levels Sign Language Interpreter Education in Higher Education: A Survey of Gallaudet University’s Educational System ISHINO Maiko Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Impaired, Tsukuba University of Technology Abstract: In recent years, the need for support for Deaf or hard-of-hearing students is increasing. It is therefore important to clarify the system of sign language interpreting and interpreter education in higher education. I researched the system of interpreter education at Gallaudet University in the United States, which is doing advanced work in this regard. It became clear that both the mastery of expert knowledge and the acquisition of interpretation technique in specialized fields are important. Keywords: Hearing loss, Deaf and hard-of-hearing, Support for students with disabilities, Sign language interpreter, Higher education