特別支援学校(聴覚障害)の美術指導と学習環境から見た立体造形教育の現状と課題 伊藤三千代1),山川未那巳2) 筑波技術大学 産業技術学部 総合デザイン学科1) 大阪教育大学 特別支援教育 特別専攻科2) 要旨:中学・高校の美術教育は授業時間数が減少する中で,絵画やビジュアルデザインなどの表現形式の他に,写真や映像,CGなどの情報化社会に対応した新しいメディア表現と伝達技法が加わり,教育内容が多様化している[1-3]。その一方で,材料加工や制作時間を要する立体造形の題材が減少している[4-6]。このような変化に伴い,立体造形を苦手とする学生が本学科に入学するケースが以前に比べて増えている。今後の立体造形の教育やカリキュラムを検討するにあたり,特別支援学校(聴覚障害)教員に実施した美術指導と学習環境に関する調査から現状を把握し課題を提起する。 キーワード:聴覚障害,美術教育,指導方法,学習環境,立体造形 1.はじめに 立体造形や工芸,製品デザイン演習など,聴覚障害学生が刃物や電動工具を使用し材料を加工する授業では,教員が技術(実演)を見せながら同時に手話が出来ないため,指導方法に何らかの工夫が必要である。教員の説明が十分に伝わらなかったり誤って理解したりしたまま作業を進めることで,学生が加工方法や工具の使い方を間違えることがある。その要因の一つには個別指導の説明や注意内容が他の学生たちに聞こえず,修正や確認となる情報が入らないことにある。 また,電動糸鋸やバンドソーの使用中に異常音が聞こえず作業を続けたことにより刃が折れることがある。この時,教員が学生の脇についていない限り瞬時に止めることが出来ず,作業中は教室内の学生全員に常に注意を要する。 このように聴覚障害学生が刃物や電動工具を使う立体造形の授業では健常学生以上に危険が伴い事故に繋がる恐れがあり,指導方法と学習環境に多くの工夫と配慮が不可欠となる。 本研究では,特別支援学校(聴覚障害)の美術教員が指導と学習環境について普段感じている問題と,実践している工夫や配慮に関する調査結果をもとに[7,8],教育現場の現状を把握し課題を提起する。 2.調査概要 対 象:全国の特別支援学校(聴覚)中・高等部美術教員 方 法:記述式アンケート調査 調査期間:2017年6〜7月 回収率:61校中31校(51%) 内 容:以下の通りである。 調査1:指導上の問題及び工夫・配慮(授業内容別) (1)デッザンや絵画,デザイン等の平面作品制作 (2)彫刻や彫塑等の手工具を使用する立体作品制作 (3)木工や金工等の電動工具を使用する立体作品制作 (4)講義や鑑賞,見学等 調査2:学習環境(美術室内)の問題及び工夫 調査3:収納・保管の問題及び工夫(授業内容別) 3.結果:指導について(調査1) 3.1 絵画,デザイン等の平面作品制作(以下「平面」という。) 3.1.1 指導上の問題点 平面を指導する際の問題点は,「技術を見せながら手話ができない」「制作工程や素材についての説明と理解」「教員自身の手話能力」といった教師側の情報伝達の問題が大きい。生徒側では,「生徒の理解力や発想力,技能,やる気の不足」「色の塗り方,混色の間違い」といった問題が多い。その他に「デッサン時に光量調節ができない」「備品老朽化と教材の不足」「座学と制作時間の確保」といった授業時間数や設備面での問題が明らかになった(表1-1)。 3.1.2 指導上の工夫・配慮 情報伝達の問題に対する指導の工夫や改善は,「映像と字幕でポイントをおさえる」や「視覚的教材を多用する」であった。生徒側の問題に対しては「題材や手順,授業の導入の工夫」「授業中の言葉がけなどのアドバイス」など,生徒のやる気や作品完成度を高める指導の工夫を試みている(表1-2) 。 表1 平面作品による指導の問題点(表1-1)と工夫点(表1-2) 3.2 彫刻や彫塑等の手工具を使用する立体作品制作(以下「立体A」という。) 3.2.1 指導上の問題点 立体Aを指導する際の問題点は,「専門でない」「経験がない」といった教員の技術面の問題と,「彫刻刀や万力など生徒数に必要な工具がない」「工具や材料の購入費」「刃物の手入れ」といった備品や予算不足の問題がある。さらに「生徒の安全のため手元を見る必要がある」「生徒が作業に集中している時に細かい説明ができない」等の誤作業や事故への注意に関する問題があった(表2-1)。 表2 立体Aによる指導の問題点(表2-1)と工夫点(表2-2) 3.2.2 指導上の工夫・配慮 指導上の工夫について,教員の技術面では「教員自身が指導できるよう教材研究を行う」「参考作品を制作して自己研修する」等の改善を試みている。また,「説明と制作の時間をはっきり分ける」ことで生徒の安全に配慮し,廃材や安価な材料で,用具がなくても制作できる素材や柔らかい材料の工夫がみられた(表2-2)。 3.3 木工や金工等の電動工具を使用する立体作品制作(以下「立体B」という。) 3.3.1 指導上の問題点 立体Bを指導する際の問題点は,「教員自身が専門ではない又は生徒に危険性が高いため実地しない」という回答が多い。同様に「教員が一人のためケガが心配」「糸のこの危険性をわかっていない生徒がいる時」という安全面に関する問題が大きい。「制作時間や進み具合に差が出る」「予算と道具がない」「騒音」等の問題もあった(表3-1)。 表3 立体Bによる指導の問題点(表3-1)と工夫点(表3-2) 3.3.2 指導上の工夫・配慮 指導上の工夫について,安全面では「事前に注意点を伝える」「木工,粘土作品や紙工作品といった電動工具を使わない内容にする」という回答であった。「作業の進み具合に差が出る」という問題に対しては一つの工具に使用が集中しないように調整するなど工夫している(表3-2)。 3.4 講義や鑑賞,見学等(以下「鑑賞」という。 3.4.1 指導上の問題点 鑑賞に関しては,「テレビやパソコン等の視聴覚機器が美術室にない」「良い資料や教材がない」「DVD教材に字幕がない」という回答が多い。また,「教員自身の手話能力」も含め「専門用語の説明」等の情報伝達を問題としている(表4-1)。 表4 講義による指導の問題点(表4-1)と工夫点(表4-2) 3.4.2 指導上の工夫・配慮 視聴覚機材の問題は別の教室に移動するか借用して解決している。字幕のないDVD教材については「要約して手話で伝える方法」や「ホワイトボードとテレビを併用」の工夫がみられた。情報伝達の問題については「文章の視覚化で解りやすい解説」「印刷物の同時提示」等の指導がみられた。同時に,校外学習や美術館に行く方法やインターネットの画像活用等の回答があった(表 4-2)。 4.結果:学習環境について(調査2) 4.1 学習環境(美術室内)の問題 学習環境の利用しやすさについて以下の4項目で尋ねた。 (ア)教室内什器のレイアウト (イ)作業スペース (ウ)棚・台・壁・ロッカーなどの収納・保管 (エ)黒板や提示装置など指導教材・機材 この結果,(ウ)棚・台・壁・ロッカーなどの収納・保管に関して13名(42%)が「やや利用しにくい」と回答した。この割合は他の3項目(ア,イ,エ)と比較して高い(図1)。 図1 美術室の利用しやすさ (ウ)収納・保管が利用しにくい理由は,「棚等備品の絶対数が足りない」「収納スペースがない」という回答が多く,「大きな作品・制作途中の作品の保管棚や場所がない」という回答が次に多い。「大型のスチール棚しかない」「古くて壊れている」という回答もあった。反対に,「利用しやすい」と回答した理由は「備付けの棚がある」「準備室がある」「部屋が広い」であった(表5)。 表5 美術室の収納・保管に関する利用と工夫・配慮   4.2 学習環境(美術室内)の工夫 「工夫している」「やや工夫している」の回答では,(ア)レイアウトの18名(60%)が一番高く,次に(ウ)収納・保管の16名(50%)であった(図2)。 図2 美術室の工夫につて 4項目の中で一番利用しにくいと回答された(ウ)収納・保管の具体的な改善策は,「種類別,教材別,学年別,個人別に分類する」「生徒に何が収納されているか一目で分かるように透明なケースに入れる」「名前ラベルを貼る」「使用頻度の高い用具はすぐに取れる場所にまとめて設置する」など,様々な工夫がみられた(表5)。反対に,工夫していない理由は,「時間がなく片付けられない」「過去の美術教員の積み重ねを処理しきれない」であった。 5.結果:収納・保管について(調査3) 調査2で一番利用しにくいと回答された「収納・保管」についてさらに詳しく調べ,授業で使用する材料と道具の収納・保管の問題点と工夫について授業内容別にまとめた。 5.1 平面(デッザンや絵画,デザイン等の授業) この授業における材料や道具の収納・保管の問題点は,「完成作品,制作途中の作品,材料や道具等の収納・保管場所が少ない」という回答が最も多い。生徒の片付けや作品に対する意識についてもあげている(表6-1)。 表6-1 平面作品制作の材料や道具の収納・保管(問題点) 工夫の回答では,「生徒の作品返却」が多く「デジタル保存の併用」でスペースを確保している。また,整理整頓としては棚収納の改善や小物入れの活用をあげている(表6-2)。 表6-2 平面作品制作の材料や道具の収納・保管(工夫) 5.2 立体A(彫刻や彫塑等の手工具を使用する授業) この授業における材料や道具の収納・保管の問題点は,「制作途中の作品の保管場所の不足」が一番多い。次に,材料や道具の不足,立体制作に不向きな教室環境や購入予算面から「材料が限定される」という回答があった(表7-1)。 表7-1 手工具を使用する立体作品制作の材料や道具の収納・保管(問題点) 工夫の回答では,持ち帰り可能な材料や小さくまとまる材料の使用,整理整頓で保管場所の確保をしている。また,「刃物,キリ,ノコギリ等は施錠可能な棚に整理して保管する」安全面での配慮がみられた(表7-2)。 表7-2 手工具を使用する立体作品制作の材料や道具の収納・保管(工夫) 5.3 立体B(木工や金工等の電動工具を使用する授業 この授業における材料や道具の収納・保管の問題点で特徴的な回答は「使いやすさと安全面の両立」である。「刃物類のメンテナンス」「備品の劣化」「予算不足」,「立体作品の制作に不向きな教室環境」があげられた(表8-1)。 表8-1 電動工具を使用する立体作品制作の材料や道具の収納・保管(問題点) 工夫の回答では,「電動工具や工作機械が美術室になく,各部で調整して使用」している。また,安全面では「電動糸鋸の刃を使用時以外はずしておく」「刃物,キリ,ノコギリ等は施錠可能な棚に整理して保管する」など配慮している。刃物のメンテナンスの問題に対しては「修繕費等の計画的予算措置」を行なっている。また,大型作品の制作については「別教室で制作する」であった(表8-2)。 表8-2 電動工具を使用する立体作品制作の材料や道具の収納・ 保管(工夫) 5.4 鑑賞(講義や鑑賞,見学等の授業) この授業における材料や道具の収納・保管の問題点であるが,「PCにデータを入れるので保管には困らない」という回答があった。収納・保管の問題点よりは提示機材や字幕付き教材の不足と購入費についての回答が多い(表9-1)。 表9-1 講義や鑑賞の材料や道具の収納・保管(問題点) この授業では,収納・保管面での工夫というより,備品教材不足に対して,教員自ら教材を作成したり購入したり,学外見学等で工夫をしていることが分かる(表9-2)。 表9-2 講義や鑑賞の材料や道具の収納・保管(工夫) 6.考察 指導,学習環境,材料や道具の収納・保管に関して,美術教員が普段感じている具体的な問題点が明らかとなった。調査別に立体造形教育の現状と課題を記す。 6.1 指導(調査1) 授業で共通する一番の課題は,やはり教員が技術(実演)を見せながら同時に手話が出来ないという教師側の情報伝達に関することである。同時に生徒側の理解力,発想力,技能,モチベーションに対する指導の工夫も課題となる。この2点は私自身も日々感じることである。それぞれの生徒や学生に合わせた適切な指導方法と,「伝わる,分かる,引き出す」授業の展開が常に求められている。専門用語や制作工程の覚えやすい説明や,学生の理解と安全のための視覚的な伝達方法を今後も検討していく。 立体造形の指導では,教員の技術面,道具や制作時間の不足, 作業環境の不備など多くの課題がある。刃物を扱う危険性から立体の授業をしない学校もあり,中学・高校において立体造形教育が十分でないことが分かる。大学の授業でも立体造形を苦手としている学生が以前に比べて増え,指導に困難を感じることが多くなったことからも容易に推測できたが, 立体造形教育の現状は想像以上に厳しいと言える。 6.2 学習環境(調査2及び3) 学習環境に関わる教室レイアウト,作業スペース,収納・保管,指導教材・機材のうち,大きな課題は「収納・保管」である。多くのジャンルの題材を教えようとすれば,美術室内の用具,材料,作品と必然的に物は増え,棚などは不足し老朽化する。小型の道具・材料の収納・保管については,生徒にも教員にも整理しやすい工夫が多くみられた。使用頻度別,種類別,教材別,学年や個人別に分類整理することや,収納物が一目で分かる透明ケースの使用,道具と収納場所をラベルで明示するなど具体的な方法がわかり参考になった。 美術室の収納・保管については平面,立体,鑑賞の授業内容別に特徴がある。平面の授業では,完成作品や制作途中作品,材料や道具の収納・保管場所の不足が問題として多く,その対策として生徒への作品返却と作品のデジタル保存の併用でスペースを確保している。 立体A及び立体Bの授業でも同様の問題があるが,一番の課題は,木材などの材料,大型立体作品,刃物類の収納・保管場所である。他にも備品の劣化,予算不足,刃物類のメンテナンス,作業環境,大型材料の収納スペースなど様々な問題は様々で,指導面だけでなく学習環境から見ても立体造形が敬遠される原因がわかる。解決策として紙粘土や持ち帰り可能な小型材料を使用するなど教材の工夫がみられたが,このことから立体造形の教育内容が簡単な素材で時間をかけずに制作できる題材に移行しているのではないかと解釈する。 授業内容に関わらず,整理整頓と作品返却の徹底が最も有効である。今回の調査で,材料や道具の分類方法や「見える化」など具体的な整理整頓のコツが明らかになった。このような収納術や安全対策を参考に,学習環境の改善を図るとともに,教員と学生が常に整理整頓と安全への意識を持つといった基本的なことが大切であると言える。 7.まとめ 学習指導要領の改正に伴い,中学・高校の美術授業時間数が減少する中で,従来からある絵画やビジュアルデザインなどの表現形式の他に,写真や映像,CGなどの情報化社会に対応した新しいメディア表現と伝達技法が加わり教育内容が多様化した。一方,立体造形の表現や技法にかける時間や題材が減少し,生徒の材料加工や作品制作の経験が不足している。 調査結果から,美術指導と学習環境の具体的な問題点を知ることで,入学時点の学生が実際にどのような教育を受けてきたのか,何ができないのか把握することができた。立体造形の授業を実施しない学校も多く,立体造形教育が十分におこなわれていない理由が明らかになった。 この現状を踏まえ,今後どのような造形力をつける教育をおこなうべきかを見極め, 大学での立体造形教育に結びつけていくことが求められる。また同時に,聴覚障害学生が安全に作業する為の指導方法の工夫,安全管理と学習環境の整備改善を目指したい。 8.謝辞 美術室の見学及びアンケート調査の回答にご協力いただいた特別支援学校(聴覚)中・高等部の美術教員に心より感謝申し上げます。 参照文献 [1] 文部科学省.中学校学習指導要領(平成29年告知)解説美術編.日本文教出版,2018 [2] 文部科学省.高等学校学習指導要領解説芸術編・音楽編・美術編.教育出版, 2012: p.47-105.p.166-195 [3] 文部科学省.中学校における各教科等の授業時数等の変遷.文部科学省ホームページ(cited 2018-11-8) http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/029/siryo/attach/1401113.htm [4] 福本謹一,村上尚徳.中学校新学習指導要領の展開 美術編.明治図書,2017 [5] 日本文教出版編集部,茨城県造形教育研究会編.美術資料 茨城県の美術.集英社 [6] 北浦肇.中学校高等学校における美術教育の現状.文化学園大学 文化・環境学研究所報 vol.7. 2018.3;p.3-7. [7] 山川未那巳,伊藤三千代, 特別支援学校(聴覚)の美術室の使い方と指導について(1)美術教育指導上の問題点とその工夫.第56回大会(2018年大阪大会)日本特殊教育学会発表論文集, 2018-9-23;p.106.(P3-24) [8] 伊藤三千代,山川未那巳, 特別支援学校(聴覚)の美術室の使い方と指導について(2)収納・保管に関する問題点とその工夫.第56回大会(2018年大阪大会)日本特殊教育学会発表論文集, 2018-9-23;p.106.(P3-25) The Present State and Problems of Three-Dimensional Model Education: A Study of Art Teaching Methods and the Learning Environment in Special Support Schools (Hearing Impairment) ITO Michiyo1), YAMAKAWA Minami2) 1)Department of Synthetic Design, Faculty of Industrial Technology,Tsukuba University of Technology2)Course for Special Needs Education Teachers,Osaka Kyoiku University Abstract: In art education in junior high school and high school, as the length of lessons is decreasing, new media expression and communication techniques springing from our information society has been increasing, such as photographs, videos, and CGI, in addition to paintings and expressive forms of two-dimensional design. The content of education is diversifying. However, subjects of three-dimensional modeling, which require material processing and production time, are decreasing. Along with these changes, this department also has more students who are not skilled at three-dimensional modeling and product design than previously. In considering future education for three-dimensional work creation and curricula, we investigated the current state of special support schools. In this paper, we report on the problems that art teachers in special support schools usually encounter regarding teaching methods and the learning environments of art departments, and we discuss the results of surveys on practical ideas and considerations. Keywords: Hearing impairment, Art education, Three-dimensional modeling, Teaching methods, Learning environments