弱視の視認に有効な色弁別領域の検討 巽 久行1),村井保之2),中田一紀3),小林 真1),関田 巌1),宮川正弘1) 筑波技術大学 保健科学部 情報システム学科1) 日本薬科大学 薬学部 医療ビジネス薬科学科2) TDK株式会社 市川テクニカルセンター3) 要旨:本研究は弱視者の色度弁別能力を分析するための新たな視感測色手法を構築することを目標としている。環境内での弱視者の視感を評価するには,彼らの許容限界色度を知ることが大切である。即ち,事前に色差を分析することで,視認支援を画像処理で行うことが可能となる。具体的にはマクアダムの楕円のように,弱視者の視線追跡データから推測された色弁別領域を求めて,その分布結果から弱視でも色差を感知できる色変換を考察する。弱視は通常,医学的弱視と社会的弱視に分類されるが,本研究で対象としているのは,矯正や回復が不可能な視力障碍を有する社会的弱視の色差弁別問題であり,その弁別能力は色覚異常に見られるような色弱の近似モデル(色盲から正常までの線形性を有する)が適用できない。そこで,等色実験は連続な表色系ではなく離散的な表色系で色弁別が可能か否かを検討した。これまでの弱視者の分析から,弁別が可能な色相では明度が決定的な役割を担うこと,さらに,明度が高ければ彩度に差があることで色弁別能力が高くなることが認められた。この結果から,視認できる色相と明度の対応が分かれば色弁別領域の推測が可能であり,色差を視感できる色変換を行うことができると考えている。 キーワード:弱視,オブジェクト認識支援,色弁別,視感測色,マクアダム楕円 1.はじめに  正常な色覚と比べて色を感じる仕組みが異なっている色覚異常は,色覚以外の視機能には問題がなく,その異常は両眼性である。人の網膜や視神経には色を区別する組織があるので,それらが正常でない弱視もまた,色を感じる仕組みに異常が見受けられるが,その所見は複雑である。例えば,点字を使用する程の低視力でも色の区別ができるものがいる一方で,拡大した墨字を読める程の視力があっても色の区別ができにくいものもいる。  本研究は弱視の色度弁別能力を数値化するための視感測色手法を構築することを目標としている。即ち,事前に各人の色差を分析することで,物体色を感知しやすい光源色で暫定的に変化させて分光分布を変えることや,偏光効果を限定的に与えることにより,シーンカメラで環境を視たときの視感や視認を向上させる支援を,カメラに接続したPC上の画像処理で行うことが可能となる。  本報告はその前段階として,マクアダムの色弁別楕円の定義を参考に,弱視者の視線追跡データから推測された個人ごとの色弁別領域を推測し,その領域の分布結果から弱視でも色差を感知できる色度座標上の色変換を考察する。   2.研究の背景  人はRGBの3種受容器で色を知覚するというヤング・ヘルムホルツの三原色説を色体系の前提としてRGBの波長を定めて(この定義をCIE RGBと呼ぶ),等色実験(三原色を混色して等色に見えたときの各混色量を測る)から等色関数を定義した。しかし,CIE RGB表色系の等色関数は440nm~545nm(青紫~黄緑)の色で負の値が生じる[1](この色域の単色光を正確に表現できない)という問題が生じた。その回避として考え出されたのがXYZ表色系である(表色を実在しない色,即ち,虚色XYZで定義した)。  各X, Y, Zは概ねR, G, Bに対応した色と考えられるが,XYZ表色系は定量表示を目的としたため,(1)試料を照明する光源の分光分布,(2)試料の分光反射率,(3)色の見え方(眼)の標準的感度(測色標準観測者の等色関数),の積で定義している。即ち,項目(1)と(3)を一定にしたときに,項目(2)の試料色の分光反射率からそれと同じ色になる混色量で色を表示する(但し,XYZは虚色なので,その混色量からどのような色であるかを判断するのは難しい)。そのため,通常は混色量の比率(混色比)による色度図で表現される。この色表示は混合比(比率を小文字で記すと,x+y+z=1, 但し,U=X+Y+Zのとき,x=X/U,y=Y/U,z=Z/U)なので,色度図上(もしくは,色度座標上)ではzを用いずに,xとyの2つの比率で表示したxy色度図を使用している。このxy色度図は,xを横軸に, yを縦軸にした釣鐘形で,主波長(色相に相当)と刺激純度(彩度に相当)の2つから表現され, 明るさ(明度に相当)は表されていない(Yは明るさを表す刺激値となるので,xy色度図で色を表す場合は,Yxyの三要素で明度・色相・彩度の情報を示すことができる)。  米国の物理学者であったMacAdam博士はxy色度図上で等色実験を行い,ある色(25個の点)を楕円の中心として区別できない色の範囲をxy色度図上に表現した色弁別楕円を提唱した[2]。図1に色弁別楕円を示す(説明上,同図内は10倍の楕円で強調している)[3]。この色弁別楕円は,xy色度図上の色差には不均等性があることを表しており,晴眼者でも色差の区別がつかない領域が存在している。 図1 xy色度図上のMacAdam楕円  例えば,右下の赤色系の部分では楕円が小さいことから見分けられる色差が小さく(即ち,人は赤色の色差に関しては敏感),一方,左上の緑色系の部分では楕円が大きいことから,色差が大きくなければ見分けられないことを意味している。この特質は人の眼に共通であり,当然,弱視者もこの傾向にある。  RGBによる測色は,CIE RGB以外にも幾つか提唱されているが,本報告ではテレビ放送の色域として使われてきたNTSC RGB(NTSC:全米テレビジョン放送方式標準化委員会の定義)を採用する(本報告では弱視に対するモニタの視感実験が主である)ことから,以下の式 (数式) で,RGB表色系とXYZ表色系との対応をとっている。 3.弱視者の視感測色について  最初に,色覚異常と弱視との違いについて述べる。色覚異常は,その原因によって先天性と後天性に分類できる。網膜に存在する色を識別できる錐体細胞には,赤の光に反応するL錐体,緑の光に反応するM錐体,青の光に反応するS錐体の3種類が存在するが,先天性色覚異常は多くの場合,L錐体(赤錐体)とM錐体(緑錐体)の異常により赤や緑の見分けがつきにくい。また,色覚以外の視機能には問題がなく,その異常は両眼性である。  これに対して後天性色覚異常は多くの場合,白内障や網膜病変,緑内障などの眼科疾患で発症する。例えば白内障の場合,加齢現象として水晶体が濁って透光性が低下することにより,通過し難い波長の光が生じる(青色の光が通過し難くなって,赤みがちに見える)ことが原因となる。この様な色覚異常については色弁別閾値を基準とした色弱補正に関する研究がある[4, 5]。これはMacAdamの楕円を利用し,健常者と色弱者とが同じ色感覚を与える補正基準を求めて,リーマン幾何に基づく補正方法を提案している(本来は円であるべき色弁別楕円が,観測者の色空間の歪みを表現しているという考えをもとにリーマン幾何上で考察し,補正の色変換を与えた)。これに対して弱視は視機能に問題があり,その異常は両眼性ではない(左右の眼で状況が変わる)。一般に弱視は,矯正や回復が可能な医学的弱視と,不可能な社会的弱視に分類できるが,本報告は後者の,社会的弱視の色差弁別を考察する。この社会的弱視の色弁別閾値の測定は,通常の等色実験が不可能なので(そもそも視認できているか否かも分からない),研究方針として,取り敢えずは弱視者の視認を追跡し,視認が行われた場合は視感測色を検討することとする。  眼球運動計測装置は瞳孔の動きを解析することで被験者の視点を追跡する機器であり,被験者の目線で空間を捉えた映像(即ち,シーンカメラによる映像)内に視点位置を同定することができる(映像内の視点座標が記録される)。著者等は過去に,所属機関に在籍する弱視学生(矯正視力が0.1未満)を被験者として,眼球運動計測装置を用いた屋内屋外歩行時における公共サインの視認具合を調査したことがある[6, 7]。その際に,被験者の中で眼球振動のある学生は瞳孔解析を行えなかったが,眼球振動のない学生は視点の精度を高く望まなければ,瞳孔解析が可能であった。  図2は図書館内のトイレを探す際の,トイレ標識を視認する男性弱視者の視点軌跡を示している。同図において,赤線の交点が最終視点位置,青線の折線が過去の視点位置の軌跡である。同図から被験者は至近距離でも視認できていない(視感がない)様子が分かる。 図2 トイレ標識の視認 この原因は,標識内の男性マークと他の領域との色差や,標識と背景の壁との色差があまりないので,男性マークを見つけることが困難であったことを示唆している。 図3 視点の色度座標  図3は,10度視野で可視波長域での平均的な光として,図2内の男性マークで測定した色度(基準値)と男性マーク以外の複数個所の視点で測定した色度(測定値)とに対する xy色度図上の点を表示したものである。同図から,複数箇所の全ての測定値(図中でカラーの座標点)は基準値(図中でグレーの座標点)の座標(0.303, 0.335)と,殆ど色差がないことが分かる。  色相(Hue),彩度(Saturation),明度(Value)の3属性で色を表すHSV色空間において,弱視者は色相と彩度の弁別能力が弱いと言われている。即ち,明度の差が色の違いの判断基準となる場合がある(色相は際立った波長の色変化として説明されるが,同じ波長が常に同じ色相に見える訳ではない)。HSV色空間で色を表す場合,マンセル表色系を使用することが多いが,このマンセル表色系は離散的な表色であり,MacAdamの色弁別閾値楕円のようなxy色度図上の連続的な領域の等色分析とは違って,弱視でも色弁別の可能性を探ることができる(明度と彩度が高ければ,色相内での等色分析が行えると期待できる)。   4.色弁別領域の推測 MacAdam博士が色弁別楕円を求める際に行った手法は (1) 対象の色(中心色)に対してxy色度図上の様々な方向で多数回の等色実験を行い, (2)それぞれの方向における変動の幅(標準偏差)を求め, (3) それを色度図上に描画したら中心色に対して楕円状の分布が得られた, というものである[2]。色弁別力が高い測色観測者ならばこのような等色実験が可能であるが,弱視の色弁別領域を推測する場合は,色差が離散的で予めHSV値も分かっているマンセル表色系を使用する方がよい。図4は,マンセル表色系のR(赤)色相群のうちの,2.5Rの色相である[8]。同図において,横方向に彩度が,縦方向に明度が,ランクごとに分かれている。各明度ランクvi(但し,1≤i≤9)では彩度と明度の2つの値は単調増加である。よって,弱視者が測色できたか否かをxy色度図上に描画して分類すれば,対象の色相における弁別領域が推定できる。 図4 2.5Rの色相 図5に,色相2.5Rの各明度ランクに対する描画例を示す。 図5 各明度ランクvi(1≤i≤9)ごとの描画例  マンセル表色系における弱視者の色弁別結果から(但し,被験者は多くない),等色実験において色相が同じ場合は,  (1)明度が高いこと,  (2)彩度に差があること, の順番で色弁別能力が高くなることが推測できた。例えば,色相2.5R内の異なる3色の弁別力として,図6内の青点 (s18, v6)→(s12, v7)→(s6, v8) のような差異が存在すると,弱視者でも色弁別を行うことができる。即ち,彩度のランク数が最も多いv6系列の中で,明度が高くて彩度も高い表色(s18, v6)から,明度を保持したままで彩度の差が大きい表色(s12, v7),さらには,同様の性質を満たす表色(s6, v8)のような差異ならば,弱視でも色弁別が確認出来た(個人差にもよるが,ある弁別閾値を超えていると識別が可能であった)。図7は,図4の2値化画像であるが,弱視者の色弁別能力は明度に比例するので,グレイスケール化による推測は有効である。 図6 弱視でも色弁別が可能となる差異 図7 図4のグレイスケール画像  水晶体の機能低下などの原因で光を屈折し難い(即ち,網膜に結像し難い)ことから低視力となる弱視者の場合,光を水晶体の中心のみに通すマクスウェル光学視によるレーザ網膜走査型グラス[9]を用いると,弱視の視認が大幅に向上することが報告されている。このレーザ網膜走査型グラスが弱視でも視認しやすいのは,照射光を網膜に投影することだけでなく,レーザ光に起因する明度の高さも理由にあると考えている。   5.まとめ  弱視者が転倒しやすい石段等は反射輝度が少ない,即ち,明度差を感じさせない建造である。しかしながら,明度が同じであっても色相によって明るく感じる場合がある。これは環境要因や弱視者個人の視感能力にも起因するので,視点解析データによる視認具合を学習させることで有効な視感測色を計りたいと考えている。色相の変化だけでは視感が上がらない場合は空間周波数を持たせる,即ち,濃淡の変化を画像に施すのは有効である。   謝辞  本研究は,著者等が所属する国立大学法人筑波技術大学で実施されている平成30年度・競争的教育研究プロジェクト「弱視の一人称視点認識に有効な視感測色の数値化」の助成を受けて行われている。ここに深く謝意を表する。   参照文献 [1] 藤原隆男.情報科学講義資料,付録「色空間の変換(1):XYZ色空間」(cited 2011-12).http://w3.kcua.ac.jp/~fujiwara/infosci/colorspace/colorspace1.html. [2] David L. MacAdam.Visual sensitivities to color differences in daylight.Journal of the Optical Society of America.1942; 32(5): p.247-274. [3] Ichikawa K.色の散歩道,CIE XYZ表色系(21):xy色度図とマクアダム楕円 JavaScript版(cited 2013-11-23).http://k-ichikawa.blog.enjoy.jp/etc/HP/js/CIEXYZ2/cie.html. [4] 望月理香,中村竜也,趙晋輝.色弁別閾値を基準とした新しい色弱補正法の提案.電子情報信学会論文誌A.2011; J94-A(2): p.127-137. [5] 大島哲,望月理香,趙晋輝.リーマン正規座標系を用いた色空間における色差保存写像の構築と色弱補正方式への応用.電子情報信学会論文誌D.2011; J94-D(1): p.68-76. [6] 巽久行,村井保之,関田巌,他.弱視の視線追跡による公共サインの視認調査.第7回情報科学技術フォーラム講演論文集.2008; K-032: p.587-588. [7] 村井保之,河原正治,巽久行,他.視線解析による弱視者の視認支援への取り組み.第9回情報科学技術フォーラム講演論文集.2010; K-055: p.743-744. [8] Color-Sample.com.マンセル表色系,R(cited 2018), https://www.color-sample.com/popular/munsell/r/. [9] QD Laser Inc.Eyewear (cited 2018), https://www. qdlaser.com/applications/eyewear.html. Study of the Color Discrimination Area to be Effective for Low vision TATSUMI Hisayuki1), MURAI Yasuyuki2), NAKADA Kazuki3), KOBAYASHI Makoto1), SEKITA Iwao1), MIYAKAWA Masahiro1) 1)Department of Computer Science, Faculty of Health Sciences,Tsukuba University of Technology 2)Department of Pharmaceutical Medical Business Sciences, School of Pharmacy,Nihon Pharmaceutical University 3)Technical Center in Ichikawa, TDK Corporation Abstract: This research aimed to construct a new visual colorimetric method for analyzing the color discrimination ability of individuals with low vision. It is important to know the chromaticity of acceptable limits for low vision in order to evaluate the visual impression of their color difference in the environment. That is, analyzing the color difference of low vision beforehand makes it possible to spectrally distribute the object's color with a light source color that is easy to perceive or to provide a polarizing effect to the object. Thus, improving vision support for individuals with low vision can be performed by image processing. Based on MacAdam ellipses, the color discrimination areas estimated from the visual analysis of eye-tracking data are obtained for each individual with low vision. From these areas, we consider the color conversion on the chromaticity coordinate that can recognize the color difference even for low vision. Though low visions are usually classified as medical cases (namely, amblyopia) and social cases (namely, visual dysfunction), this report focuses on the color difference discrimination problem for the latter. In the case of visual impairment that cannot be corrected or restored, its discrimination ability cannot be applied to an approximate model (namely, it has linearity from color blindness to normality) as seen in color vision abnormalities. Therefore, color matching experiments were carried out using a discrete color system rather than a continuous one, and whether color discrimination is possible for individuals with low vision was examined. The results of the analysis obtained thus far suggest that lightness plays a decisive role in hues that can be discriminated. Furthermore, when the lightness was high, the color discrimination ability was increased by the difference in saturation. Based on these results, we conclude that if the correspondence between hue and lightness that can be visually recognized is known, it is possible to estimate the color discrimination area, and we expect to be able to perform color conversion that can distinguish color differences. Keywords: Low vision, Object recognition support, Color discrimination, Visual colorimetry, MacAdam ellipse