クラウドソーシングによる聴覚障害者の情報保障支援に関する研究筑波技術大学 産業技術学部 産業情報学科張 建偉, 白石 優旗 キーワード:情報保障,聴覚障害者,クラウドソーシング 1はじめに 聴覚障害者と健聴者との間の意思疎通を実現するためには,音声・手話・文字の3種間での情報変換が必要となる。健聴者の音声情報を聴覚障害者に伝達するために音声を手話や文字に変換し,聴覚障害者の手話情報を健聴者に伝達するために手話を音声や文字に変換するという,1種の情報の獲得に支障がある人々に,代替手段を用いて他種の情報を提供する情報保障の研究[1]が進められてきた。しかし,情報保障は1〜4人の専門通訳者によって行われることが一般的である。 一方で近年,不特定多数の人間により共同で一つの業務を完成するクラウドソーシングと呼ばれる新しい仕組みが注目されている。一つの業務を複数の細かいタスクまで分解し,それらを多くのワーカーが分担するという発想である。クラウドソーシングの応用領域は拡大しつつあり,障害者支援にクラウドソーシングを用いる研究[2]もあるが,障害者のニーズを満たすレベルには達していないのが現状である。 本研究では,聴覚障害者と健聴者がコミュニケーションを図るための情報変換の作業を専門通訳者に限定されない複数人の連携により完成し,クラウドソーシングによる高品質な情報保障を提供することを目指す。本稿では,情報保障の事例を取り上げ,クラウドソーシングに基づく聴覚障害者による文字情報保障の仕組みを検討し,予備実験を通して実現可能性を示す。 2情報保障の事例 本研究では,話し手が1人,聞き手が複数の授業や講演において行われる情報保障を対象とする。典型的な事例を図1にまとめる。話し手が健聴者で,聞き手が聴覚障害者の場合は,聴覚障害者が健聴者が発信した音声情報を取得できないため,音声の手話や文字への変換が必要となる。通常,音声情報を手話通訳者1人または2人交代で手話に変換(場合1)したり,2〜4人の文字通訳者が連携して文字に変換(場合2)することにより,情報保障を行う。一方,話し手が聴覚障害者で手話を用いて発信する場合は,手話のわからない健聴者や手話のわからない聴覚障害者が情報を獲得するために手話を音声(場合3)や文字(場合4)に変換する必要がある。 図1情報保障の事例 専門度の高い手話通訳者を必要とする場合1と場合3についてはクラウドソーシングによる情報保障の実現は困難と思われるが,場合2と場合4の音声や手話を文字に変換する作業を多数の人の協力によって達成するクラウドソーシングの解決法が十分考えられる。特に場合4に示す通り,聴覚障害者が手話で情報を発信し,聞き手に手話がわかる聴覚障害者,手話がわからない聴覚障害者,手話がわからない健聴者が混在する事例がしばしば発生する。聞き手に手話がわかる聴覚障害者が複数いるため,手話を文字に変換するという文字通訳を担当することにより,手話がわからない聴覚障害者と手話がわからない健聴者の支援者となりうる。本稿では,場合4に着目し,聴覚障害者による文字情報保障の実現を検討する。次節に,複数の聴覚障害者によって手話を文字に変換する文字通訳を行うクラウドソーシングの仕組みを述べる。 3クラウドソーシングに基づく聴覚障害者による文字情報保障の仕組み 授業や講演は連続の発言から構成されるため,クラウドソーシングによる文字情報保障の実現においては,文字通訳のタスクの分割,タスクの割当,ワーカーの役割分担は重要である。 まず連続の発言(手話)を短時間に1人のワーカーが文字通訳できる個々のタスクまで分割する必要があるため,区切り位置の指定に2つの方法を考える。1つは文節の区切りでタスクを分割する方法であり,もう1つは決まった時間毎にタスクを分割する方法である。文節で区切る方法は,1文の意味を読み取ってまとめて通訳できるメリットをもつ一方,文の長さのばらつきがあるため,1タスクの負担の不均衡が生じるデメリットもある。時間で区切る方法は,1タスクとして同じ長さの発言を通訳できるため,ワーカーの負担を平等に割り振ることが可能となるメリットがあるが,決まった時間で区切ると文が途中で分割される問題がある。 分割されたタスクをワーカーに割り当てる単純な方法として,文字通訳を担当するワーカーに順番をつけ,順番が回ってくると1タスクを完成するという当番制の配分法が考えられる。負担をほぼ平等に振り分けることができるが,通常ワーカーの通訳能力や入力能力に差があるため,過負荷のワーカーがいれば余裕を持ちすぎるワーカーもいる。この問題を解決するためには,自己申告によるタスクの割当法が望ましい。ワーカーの申請に応じて,適切なタスクを配分することは重要な課題である。 ワーカーの役割として,タスク分割係,通訳・入力係,校閲・調整係が存在するような設計を検討する。タスクを時間で区切る方法でタスクの分割は自動的に実現可能だが,文節で区切る方法でタスクを分割する場合,自動的な分割は困難であるため,手話を読み取って文の区切りを決めるタスク分割係を配置することが有効と考える。通訳・入力係は,配分された1文の手話や決まった時間単位の手話を読み取って,文字を入力する作業を行う。校閲・調整係は,通訳・入力係の通訳・入力ミスを修正したり,追い付けない場合の通訳・入力漏れを補填したり,通訳結果の品質を最終的に維持する役割を担当する。また,高品質な情報保障をリアルタイムに提供するには,同じタスクを複数の通訳・入力係に同時割り振って,得られた複数の結果を校閲・調整係が選択・統合する仕組みが有効と考える。 4予備実験 クラウドソーシングによる手話の文字情報保障の実現可能性を検証するため,聴覚障害者学生6人を実験協力者とした予備実験を行った。まず,文節で区切るタスクの分割法の検証を行った。1人が手話を用いて2分程度の講演を行い,他の5人が文を区切って数えるタスク数と,講演者本人が数えるタスク数を比べる実験を5回行った。最初の2回は区切りマーカーを合意しない前提とし,残りの3回は手話の区切りを文にする場合の句点に統一(読点でないことを指定)することを前提とした。表1に示すように,区切りマーカーを合意しない場合(A列とB列)は,同じ内容の短い講演に対しても各人が分割するタスク数に大差があるが,句点を文の区切り目に統一する(C列,D列,E列)と,6人が計測したタスク数はほぼ同じとなり,手話の文の区切りマーカーを指定することでタスクを分割できることが示唆された。 また,当番制による文字情報保障の試作実験を2回行った。講演者1人が手話を用いて1文の文末を明示する10文の講演に対して,他の5人が順番に手話を通訳し文字入力を行った。その結果を表2に示す。講演者の1文の発言時間は5秒程度から30秒程度までで,平均15秒〜18秒程度であった。通訳・入力時間については,2回の講演ともワーカー5人の連携で文字通訳のタスクを完了できた。通訳結果の品質についても,正しく通訳・入力できた(○)と大体通訳・入力できた(△)の文の割合は90%〜100%であった。手話の文字情報保障は,講演者の講演内容や手話の緩急と,通訳・入力者の手話読み取り能力や入力能力に影響されやすく,講演者と通訳・入力者が変わると通訳結果は変動すると思われるが,予備実験では,文節の区切りでタスクを分割し,一定数以上のワーカーの連携作業でクラウドソーシングによる手話の文字通訳の実現可能性は十分あると検証できた。 表1 文節の区切り 表2 5人連携の文字通訳結果 5まとめ 本稿では,情報保障の事例をまとめ,クラウドソーシングに基づく聴覚障害者による文字情報保障の仕組みを検討した。また,予備実験でクラウドソーシングによる手話の文字通訳の実現可能性を示した。今後は,クラウドソーシングの仕組みをより具体化し,Crowd4Uプラットフォーム[3]を用いてより本格的な実験を行う予定である。参考文献[1]中山剛.聴覚障害者への情報保障 ─主に会議等での文字による情報保障─.電気学会誌,Vol.133,No.9,pp.624-627,2013.[2]高木啓伸,井床利生,斉藤新,小林正朋.クラウドアクセシビリティ ─クラウドソーシングによる障害者支援─.人工知能学会誌,Vol.29,No.1,pp.41-46,2014.[3]Crowd4U.https://crowd4u.org/ja/