LHC-ALICE実験・FoCal-E検出器のための前段信号処理電子回路の開発 筑波技術大学 産業技術学部 産業情報学科 稲葉 基 for the ALICE FoCal collaboration キーワード:高エネルギー重イオン衝突実験,前方光子検出器,電子回路。 本研究では,平成26年度教育研究等高度化推進事業,競争的教育研究プロジェクト事業(産業技術に関する研究)として,LHC-ALICE実験に導入を計画している 前方光子検出器のプロトタイプの性能を評価するための電子回路を開発し,その成果を平成27年3月に開催された日本物理学会第70回年次大会で報告した。 スイス連邦共和国ジュネーブ近郊の欧州原子核研究機構(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を用いた高エネルギー重イオン衝突実験(ALICE)のアップ グレード計画の1つとして,衝突初期の状態をさらに詳しく調べる前方光子検出器(FoCal)とその電子回路の開発を進めている。FoCalは,直接光子を検出するための電磁カロリーメータ(FoCal-E)とジェット等を観測するためのハドロンカロリーメータ(FoCal-H)を組み合わせたハイブリッド検出器になる予定で,FoCal-Eの部分は,高速信号読み出しのシリコン パッドモジュール(PAD)と高位置分解能のシリコン ピクセルモジュール(MAPS)で構成される。 FoCal-E PADの検出部は,大きさ約94.3×94.3 mm2,厚さ約3.5 mmのタングステン板と8×8のマトリッ クス状シリコンフォトダイオード(PD)アレイを接着し,その上にフィルムプリント基板を張って,各電極間をボンディングワイヤーで接続している。図1は,米国オークリッジ研究所(ORNL)によって製作された検出部のプロトタイプの1枚である。この検出部を4層積み重ねて1つのモジュールを構成し,同じ位置関係に あるPDの信号電流を重ね合わせて読み出している。 プリント基板上には,各PDに100Vの逆バイアスを印加するためのチップ抵抗と信号に含まれる直流成分を除去するためのチップコンデンサが実装されている。 平成26年9月にCERNのPSテストビームラインで,PADとMAPSを一体化した状態すなわちFoCal-Eとしての初めてのビームテストをおこなった。図2は,その実験の様子である。中央の大型電動ステージに載せた金属製暗箱の中にFoCal-Eの検出器一式が入っており,すぐ横の棚に信号読み出し電子回路等を配置した。 図1 FoCal-E PADの検出部の外観 図2 CERNのPSビームラインでの実験の様子 本研究では,まずPSテストビームラインでの実験 に向けて,図3のトリガー信号処理回路を開発した。PAD用データ収集システム(DAQ)とMAPS用DAQは, 互いに独立して動作しており,2つのDAQのデータを統合して,検出器に入射した高速荷電粒子ごとに解析をおこなうためには,それぞれのデータに共通のトリガー情報を追加しておかなくてはならない。高い位置分解能を有するMAPSは,信号チャンネル数が多く, PADと比べて,データ処理に長い時間を必要とする。そこで,MAPS用DAQがデータを1回処理する度に 1ずつカウントアップされる10ビットのパラレル 信号を読み出して,シリアル信号に変換し,それをPAD用DAQがデータとして認識するためのタイミング信号等を加えることができるトリガー信号処理回路を 設計・製作した。MAPS用DAQとは,電源およびアースラインを分離するために,フォトカプラによる光結合でパラレル信号を読み出し,PAD用DAQへは,LVDS規格の高速信号としてHDMIコネクタから送信している。 次に,温度の変化に敏感なPADの検出部やアナログ信号処理回路の温度の管理のために,図4の温度計測回路を開発した。図5は,小型液晶ディスプレイ(LCD)を取り付けたアルミケース内に,図4の温度計測回路を入れた状態である。そして,図6は,ディジタル 温度センサの様子である。温度計測回路は,個々の ディジタル温度センサと1本の信号線を使って相互 通信をおこない,データを読み出して,各部の温度が許容範囲内におさまっているかどうかを判別し,その結果をLCDに表示する。温度に異常があれば,高輝度LEDが赤く点滅するとともに,大音量のブザーが鳴る。USB 2.0インターフェイスを搭載しており,そのUSBコネクタにパソコンを接続しておくと,温度データ等がパソコンへ転送され,保存される。温度センサは,それぞれ固有のIDを持っているため,1本の信号線に20個程度まで並列接続することができ,温度計測回路1台で160ヶ所の温度を同時に計測することができる。 図3 開発したトリガー信号処理回路の外観 図4 開発した温度計測回路の外観 図5 温度計測回路をアルミケースに入れた状態 図6 ディジタル温度センサの様子 PSテストビームラインを利用したFoCal-Eの初めてのビーム実験を通して,いくつかの課題が明らかと なった。1つ目は,PADの4つのPDごとに信号電流を重ね合わせて読み出している部分の集積回路の発熱で,2つ目は,その信号線に混入した大きな電気的ノイズである。そして,3つ目は,MAPS用DAQのデータ処理回数と図3のトリガー信号処理回路が受け取るべき10ビットパラレル信号との間にずれが生じていた ことである。1つ目の課題は,2つ目の課題とも関係しており,信号線に混入した電気的ノイズが集積回路の消費電力を大幅に増やしたことが一因と考えられた。実験中の試行錯誤によって,電気的ノイズの大部分が電源ラインを通って混入してきていることを突き止め,専用の電源回路を開発すれば,1つ目と2つ目の課題を同時に解決できる可能性があることが分かった。 また,3つ目のトリガー情報が一致しない原因については,MAPS用DAQを担当しているオランダ王国ユトレヒト公立大学の研究者らが調査を進める一方で,10 ビットパラレル信号のもととなる複数のパルス信号を直接読み出すことができる多機能なトリガー信号処理回路を新たに開発することにした。 平成26年11月にCERNのSPSテストビームラインで,高めのビームエネルギーによるFoCal-Eの2回目の ビーム実験をおこなう機会を得ることができ,それに向けて,専用の電源回路の開発を進めた。図7は,SPSビームラインでの実験の様子である。PSビームラインのときと同様に,金属製暗箱の中にFoCal-Eの検出器一式を入れ,大型電動ステージに載せている。左側に見えているのは,ビームパイプである。図8は,暗箱の中の様子で,アルミケースに入れたPAD用の高効率かつ低リップルの絶縁型直流高電圧電源回路と直流 低電圧安定化電源回路が追加されている。新たに開発した専用の電源回路は,PADに混入していた電気的 ノイズを減らすことに有効で,アナログ-ディジタル 変換した後のペデスタル分布の幅をおよそ3/4まで 改善することができた。また,電源回路の出力電圧を変えられるようにして,発熱していた集積回路への 印加電圧を動作限界ギリギリまで下げて安定化させることによって,発熱の問題も同時に解決した。 その後,10ビットパラレル信号に加えて,3系統の高速パルス信号の入力にも対応した図9の多機能な トリガー信号処理回路を完成させ,搭載しているFPGA (プログラム可能な論理デバイス)に制御プログラムを書き込んだ。平成27年7月に,PAD用DAQとセットでユトレヒト公立大学へ送り,そこのMAPS用DAQと同期させる試験をおこなう予定である。 図7 CERNのSPSビームラインでの実験の様子 図8 開発した専用の電源回路を含むFoCal-Eの様子 図9 開発した多機能なトリガー信号処理回路の外観 本研究では,LHC-ALICE実験に導入を計画しているFoCal-Eの性能を評価する目的で,PAD用のアナログ 信号検査回路,トリガー信号処理回路,温度計測回路,絶縁型直流高電圧電源回路,直流低電圧安定化電源回路等を開発した。そして,その成果を平成27年3月に早稲田大学早稲田キャンパスで開催された日本物理学会第70回年次大会で「稲葉 基 for the ALICE FoCal collaboration:LHC-ALICE実験のための前方光子検出器(FoCal)プロトタイプ評価用電子回路の開発」として報告した。また,2回のビーム実験の結果を含めて,平成27年5月にイタリア共和国で開催予定の13th Pisa Meeting on Advanced Detectors - Frontier Detectors for Frontier Physics ‐ へ概要を提出し,ポスターセッションでの発表採択通知を受け取った。 今後は,平成27年度中にCERNのPSテストビーム ライン(2〜10 GeV)とSPSテストビームライン(30〜200 GeV)でFoCal-Eの3回目と4回目のビームテストを おこない,エネルギー分解能等を詳しく評価していくとともに,さらに高速かつ広ダイナミックレンジでPADの信号を読み出すシステムの開発を進める予定である。