医療技術を学ぶ視覚障害学生に対する一次救命処置(BLS)トレーニング実習の取り組み─ BLSに対する意識の向上を目指して ─ 周防佐知江1),成島朋美1),大越教夫1) 筑波技術大学 保健科学部 保健学科 鍼灸学専攻1) 要旨:一次救命処置(Basic Life Support;以下BLS)の知識や技術を得ることは,医療技術を学ぶ学生にとって重要であるが,一般社会において視覚障害学生がBLS講習会を受講する機会は少ない。本学においては,これまでにもBLSについての講義を実施しているが,選択科目であったため,実施年度ごとに学生の受講状況は異なる。そのため今回,3年生の必修科目内においてBLSトレーニングシュミレータを利用した実習を行った。実習1週間後に実施した試験結果から,知識,技術面での習熟が確認され,アンケートにおいては前向きな回答が得られた。以上から,視覚障害学生における知識,技術及び意欲の向上にBLS実習が有用であることが示された。 キーワード:視覚障害学生,BLS,CPR,AED,シュミレータ 1.はじめに 近年,救急場面での一次救命処置(Basic Life Support;以下BLS)の重要性についての認識はますます高まり,一般市民を対象としたBLS講習会も自動車教習所を中心に開催されている。BLSには胸骨圧迫と人工呼吸による心肺蘇生(Cardio Pulmonary Resuscitation;以下CPR),自動体外式除細動器(Automated External Defibrillator;以下AED)が含まれ,誰もがすぐに行える処置であり,その処置の有無は心停止患者の予後に大きく関与する。救急蘇生法講習に関して,一般市民とみなすことも可能な歯学部入学後間もない1年生117名を対象に行ったアンケート調査においても,88名(75.2%)の学生が受講経験者で,その多くは自動車学校(54名),高等学校の授業(30名)における義務的な講習であった。しかし「適切な胸骨圧迫頻度」を理解していた学生は10名(8.5%)であったことから,一般市民が行う救急蘇生法の質の向上のためにも講習のさらなる普及の必要性が報告されている[1]。しかしながら車を運転する機会のない視覚障害者が,一般社会においてBLS講習会を受講する機会は少ないため,本学学生の在学中におけるBLS実習の必要性はより高いと思われる。また,実際の緊急を要する現場においてBLSを実施するには混乱をきたし,視力を要する場面も多く予測されるが,知識を持った医療従事者による正確な情報提供は望ましいものである。卒業後,医療従事者の一員として活躍してい く可能性のある本学学生が正確なBLSの知識を習得することは必須であると思われる。このため今回,学生のBLSに対する知識,技術および意欲面での向上を目的としてBLS実習を行った。 2.対象 対象は,平成26年度鍼灸学専攻に在籍する3年生10名(墨字使用者7名,データ使用者3名)である。 3.方法 3.1 資料作成 日本救急医療財団と日本蘇生協議会(JRC)で構成するガイドライン作成合同委員会による「JRC(日本版)ガイドライン2010(確定版)」[2]を参考に,BLSの手順,AEDの使用法,本学内AED設置場所3カ所(正面玄関,体育館,医療センター)を記載したマニュアルを作成し,視覚障害補償としてデータ及び学生の視力に応じた拡大文字による墨字資料を準備した。 3.2 実習と実技試験およびアンケートの実施 学生に対し資料にもとづいたBLSトレーニング実習を行い,実習終了1週間後に,実技試験と実習に関するアンケートを実施した。実習では床に横たわったAEDレサシアントレーニングシステムスキルレポータモデル(レールダル メディカル ジャパン(株))(以下,シュミレータ)を傷病者に見立て,周囲の 安全確認,傷病者の観察と意識確認,協力者要請,呼吸確認,AED要請,胸骨圧迫,AED操作,人工呼吸の手順に沿って,教員の説明のもとに実践させた。CPRについても実際に体験させ,胸骨圧迫深度,胸骨圧迫頻度,換気時間,平均換気量の4項目の結果をその場でフィードバックした。胸骨圧迫については,推奨される頻度の持続の参考とするためにメトロノームを使用した。また,個々の学生の障害レベルを配慮し,実習は2-3名で構成された班ごとに,実技試験は学生1名ごとに行い,それぞれに教員2名が対応した。 3.3 評価 実技試験においては,BLSの知識および技術の習熟度を評価した。知識面は,周囲の安全確認,傷病者の観察と意識確認,協力者要請,呼吸確認,AED要請の5項目について,手順に沿ってそれぞれ行えたか否かを評価した。技術面においてもガイドライン上の基準値を満たしたか否かを評価し,同時に実習時に体験させた値との比較を行った。基準値は,胸骨圧迫については深度5p以上,頻度100回/分以上,人工呼吸については換気時間約1秒/回と設定されている。しかしながら,ガイドラインにおける1回換気量は「傷病者の胸の上がりを確認できる程度で,CPR中の過換気は避けるべきである。」とされている。評価を数値化するため,生理学的な成人の1回換気量500(mlを目安とし,±10%の値である450〜550(ml)を平均換気量の基準値とした。 4.結果 4.1 BLS習熟度 実技試験時のBLS実施項目については,周囲の安全確認,協力者要請,呼吸確認の3項目で各1名ずつ実施を忘れた,また正確に行えなかった学生がいたが(墨字使用者2名,データ使用者1名),10名中9名以上の学生が,全5項目を手順通り実施することが出来た(図1)。 図1 BLS手順習得者の人数 胸骨圧迫の深度について基準を満たした学生は,実習時8名(墨字使用者6名,データ使用者2名),および試験時8名(墨字使用者5名,データ使用者3名)と人数に変化はなかったが,値のバラツキが減少し,全体として基準値へと近づいた(図2)。 図2 胸骨圧迫深度の変化 胸骨圧迫の頻度について基準を満たした学生は,実習時の5名(墨字使用者3名,データ使用者2名)から,試験時は9名(墨字使用者6名,データ使用者3名)へと増加し,基準を満たさなかった学生1名も99回/分と,基準値に近い値であった(図3)。 図3 胸骨圧迫頻度の変化 しかし人工呼吸においては,換気時間について基準を満たした学生は,実習時の8名(墨字使用者6名,データ使用者2名)から,試験時は6名(墨字使用者4名,データ使用者2名)へと減少した(図4)。平均換気量についても基準を満たした学生は実習時,試験時とも2名(墨字使用者)で変化がなく,値を比較すると,450(ml)未満の学生が実習時と試験時にそれぞれ2名(墨字使用者,データ使用者各1名)いる反面,1,000(ml)を超えた学生は実習時の2名(墨字使用者,データ使用者各1名)から,試験時の3名(墨字使用者2名,データ使用者1名)へと増加しており,全体的なバラツキも修正されなかった(図5)。 図4 基準換気時間の達成者数 図5 平均換気量の変化 4.2 アンケート結果 試験後に行ったアンケートにおいて,過去の実習経験を問う質問では,CPRは9名(墨字使用者7名,データ使用者2名),AEDは7名(墨字使用者6名,データ使用者1名)の学生が経験者であった。学内AED設置場所を問う質問では,全3カ所を認識していたのは2名(墨字使用者)のみであった。6名の学生(墨字使用者5名,データ使用者1名)は,2カ所または1カ所認識があったが,2名(データ使用者)は設置場所の認識が全くなかった(図6)。 図6 学内AED設置場所の認識状況 AEDの使用方法において今回の実習で初めて知った内容を問う質問では,10名全員が「貼り薬の除去」を挙げ,その他8名が「水分の拭き取り」,6名が「金属類の取り外し」,5名が「パッド貼付部位」など,データ使用者3名全員を含む半数以上の学生が,7項目中4項目を挙げた(図7)。 図7 実習で初めて知ったAED使用方法 今後,実際にBLSが必要な場面に遭遇した場合に試みる意志の有無を問う質問では,8名(墨字使用者6名,データ使用者2名)の学生がありと答えた。理由について自由記述形式の回答では,「実習を受けたので,実践して人命救助を試みたい」「勉強したことを活かしてみたい」など,実習を受けたことによる前向きな姿勢が3名(墨字使用者2名,データ使用者1名)でみられた。他に,「倒れている人に遭遇したら心肺蘇生を実施するべきだから」「人命救助に貢献できるから」「誰かが行わなければならないから」「助けようと思うから」「倒れている人はほっとけない」などの意見があった。また,なしと答えた2名(墨字使用者,データ使用者各1名)においても,「自分1人では出来ない事が多いが,自分の友人であれば可能な事を試みる」「おそらく自分より先に周りの人がやってしまうと思うが,誰もいない場合は試みる」など,理由は視力的な困難のためであり,状況により試みる意志がみられた。実習を通して,BLSに対する理解を問う質問では,6名(墨字使用者3名,データ使用者3名)の学生が完全に理解できたと答え,残り4名(墨字使用者)もだいたい理解できたと答えた。実習の必要性を問う質問では,全員の学生が「あり」と答えた。理由について自由記述形式の回答では,「実際に遭遇したときのために,実習して確認しておくことは必要だから」「やることが分かっていれば試みる事が可能なので,知識として大事」など,8名(墨字使用者6名,データ使用者2名)が実習は今後BLSに関わるために必須であると認識していた。他に「こういう授業を体験する機会が少 ないから」「経験出来ない事だから」など,2名(墨字使用者,データ使用者各1名)の学生が講習会を受ける機会の希少さを挙げた。実習における困難を問う質問では,4名の学生(墨字使用者,データ使用者各2名)がありと回答し,その理由として「体力的に胸骨圧迫や人工呼吸が困難だった。」など,3名からCPR実践の体力面に関する意見が挙げられた。また,データ使用者1名から「AEDの操作については困難だった」という回答があった。 5.考察 実技試験の結果,墨字使用者,データ使用者を合わせた10名中9名以上の学生が,BLSの手順の各項目を習得することが出来た。胸骨圧迫深度は8名以上の学生が基準値以上で実施することができ,個別の変化をみても実習時に基準値を大きく下回っていた2名が基準値を満たし,試験時に基準値を満たせなった学生の値をみてもその差は1−2mmと基準値にほぼ等しいものであった。胸骨圧迫頻度についても,100回/分以上の基準値を下回っていた学生は実習後のフィードバックの結果,試験時に基準を満たすことができた。また基準値を下回った1名の学生の結果は99回/分であり基準値を大きく外れるものではなかった。これらの結果から,本実習により学生はBLSの手順,胸骨圧迫の深度・頻度について正しく習得できたと考えられた。しかしながら人工呼吸においては,換気時間について基準を満たした学生数は実習時より試験時に減少し,平均換気量についても学生数の変化がなく,全体的な値のバラツキも修正されなかった。理由として,頸部後屈が出来ていない学生は換気が不足しており,頸部後屈が行えていてもその角度や胸の上がりを視覚的に確認することが難しい状況で「換気量を調整する」という作業が困難であったことが考えられる。また平均換気量の評価について,今回は生理学的な成人の1回換気量を目安に数値化した。評価法を含め,今後は換気時間や換気量の有効な指導法の検討が望まれる。人工呼吸に関して,JRCガイドライン2010上では「成人と小児の心停止傷病者に関して,市民や医療従事者は,CPRを胸骨圧迫から開始するよう訓練されるべきである。人工呼吸を習得したものは,可能であれば,続いて人工呼吸も行うべきである。気道確保や人工呼吸を行うことが出来ない場合,訓練された人が胸骨圧迫のみのCPRを行うことは合理的である。」と記載されている。これについては,2005年の ILCORによる心臓救急に関する国際コンセンサス(CoSTR)の公開以降,市民救助者が行うCPRにおいて人工呼吸に伴う胸骨圧迫の中断が問題視されるようになり,2010 CoSTRでは胸骨圧迫の重要性が強調されるよう になった,という背景があり,このような世情的面を考慮すると,視覚障害のある本学学生が実際のBLSにおいて人工呼吸を行うことが必須とは考えにくい。今回の実習により,ガイドライン上の他の項目について,知識,技術面での習熟は確認されたため,学生は胸骨圧迫のみのCPRを行うことで,視覚障害の程度に関わらずBLSへの関与が可能であると思われた。実習後に行ったアンケートの結果から,過去の実習経験者数はCPRが全10名中9名,AED7名と割合的には多くを占めていた。しかし,学内AED設置場所全3カ所を認識していた学生は墨字使用者2名のみであった。今回AEDについては,基本的な使用手順と特殊な状況下での対処法に関する情報提供を中心に行い,操作に関しては評価の対象から除外した。AEDは,晴眼者であれば音声ガイダンスに従う事で初心者でも容易に操作可能であるが,視覚障害者には困難な作業が多く,実際に操作する機会は極めて少ないと予測される。7名のAED実習経験者がいるにも関わらず,学内AED設置場所の認識が足りなかった背景には,学内施設情報を視覚的に得ることの困難だけでなく,おそらく操作困難に起因するAEDへの関心の薄さも表していたと思われる。しかしながら「実習で初めて知ったAED使用法」の回答から,AED使用法に関しても知識の習得が確認された。また今後,実際にBLSを試みる意志の有無についての質問で「なし」と答えた2名の学生においても,理由は視力的な困難のためであり,状況により試みる意志はみられた。このことは,本実習による知識および技術の習得が学生のBLSに対する姿勢を前向きに捉えていくための動機付けとなった可能性を示唆している。実習内容の理解や必要性については,アンケート結果より10名全員から前向きな回答が得られた。必要な理由としては,実習がBLSに関わるために必須であるとの認識や,外部の講習会を受ける機会が少ないという回答であり,本学においてBLS実習を行う事の重要性を肯定するものであった。また実習における困難として,体力面や,AED操作に関する意見が挙げられたが,学生全体として多くの前向きな回答が得られた。視覚障害者が実際の救急場面において,単独で適切な状況判断のもとにBLSを行うことは困難を伴う。しかしながら習得した知識や技術をもって積極的に救急場面に関わっていくことは,医療技術を学ぶ学生として将来的に必要であり,そのためにもBLSに対する前向きな姿勢は重要と思われる。今回のBLSトレーニング実習は,BLS体験という面も含め,学生のBLSについての知識,技術面の習熟だけでなく,意欲面の向上においても影響を及ぼしたことが認められた。 6.結語 視覚障害学生に対し,BLSトレーニングシュミレータを利用した実習を行った。実習1週間後に実施した試験結果から,知識,技術面での習熟が確認され,アンケートにおいては前向きな回答が得られた。以上から,視覚障害学生における知識,技術及び意欲の向上にBLS実習が有用であることが確認された。 謝辞 本研究は平成26年度文部科学省特別教育経費「視覚障害学生に特化した大学改革実行プラン実践による医療教育の高度化事業」の助成を受け実施した。 参考文献 [1] 宮澤有美子,森田訓枝,小林克江,他.歯学部入学時学生の救急蘇生法講習に関するアンケート調査.日本歯科麻酔学会雑誌.2008;2:202-203. [2] 谷川攻一,中川隆,石川雅巳,他.JRC(日本版)ガイドライン2010(確定版).一般財団法人 日本救急医療財団ホームページ(cited 2015-8-18), http://www.qqzaidan.jp/jrc2010_kakutei.html An Approach to Basic Life Support (BLS) Training for Visually Impaired Students in Medical and Health Technology: Supporting Consciousness Improvement for BLS 1)Course of Acupuncture and Moxibustion, Department of Health, Faculty of Health Sciences,Tsukuba University of Technology Abstract: It is important for students in medical and health technology to obtain the knowledge and techniques for basic life support (BLS), but there are fewer opportunities for visually impaired students to attend BLS lectures with the general public. Our university has previously offered BLS training, but because it is an elective course, student attendance varies every enforcement year. Therefore, we lectured a compulsory third-year class using a BLS training simulator for the occasion. In test results from one week after the training, the acquisition of knowledge and technical skills was confirmed. Additionally, a questionnaire about the training provided a positive response. This suggests that the training for visually impaired students was greatly effective at imparting knowledge and technical skills, as well as consciousness improvement of BLS. Keywords: Visually impaired students, BLS, CPR, AED, Simulator