短距離走における触覚刺激を用いたスタート合図通知システムの改良 白石優旗1),設楽明寿2),生田目美紀1) 筑波技術大学 産業技術学部 産業情報学科1)筑波大学大学院 図書館情報メディア研究科 図書館情報メディア専攻2) キーワード:聴覚障害者,陸上競技,スタート合図,触覚刺激,反応時間 1.はじめに 一般に,陸上競技短距離走においては,スタート合図通知方法として,ピストル音による音刺激が利用されている。しかし,聴覚障害者が走者となる場合は,音刺激を知覚することが困難なことから,光刺激によるスタート合図 [1]が利用されている。しかし,知覚反応時間実験の結果,視覚刺激は聴覚刺激から約 30ms遅れであり,触覚刺激は聴覚刺激から約 5ms 遅れであると報告されている[2]。すなわち,視覚刺激と聴覚刺激の時間差は,記録の最小時間単位である10ms[3]を超過してしまい,記録に影響を与えると考えられる。 そこで,本研究では,記録に影響を与えない刺激として,触覚刺激によるスタートシステムを 2016年度に提案している[4]。2017 年度は,触覚刺激として振動モーターを採用し,その応答時間を計測調査することで正確な反応時間について測定可能とした。次に,複数の実験協力者を対象とした評価実験を行なった[5]。 2018 年度は,感性科学的手法により新規に触覚刺激デバイスをデザインし開発するとともに,評価実験を行なった。具体的には,聴覚障害のある陸上競技選手に最適な触覚刺激インターフェースを特定するため,新たにプッシュ方式触覚刺激発生装置を開発した。本成果については,第一弾の実験結果を国際学会にて発表 [6]するとともに,続く第二弾の実験結果を国内学会 [7]で発表した。なお,これらの成果については,特許出願済みである。 本論文では,最新の実験結果 [7]の概要について述べた後,最後に今後の課題と展望について述べる。実験結果の詳細については,参考文献 [7]を参照されたし。 2.システム概要 提案システムは,スタート信号送信機,光,触覚,聴覚それぞれの刺激発生装置,制御機器(組込みボード)スターティングブロックに取り付けたロードセルからなる(図 1)。なお,反応時間の計測手法は,横倉の開発した陸上競技用スタート動作の検出方式 [8]を参考に実装することとした。 図1 提案システム 今回,我々が新たに開発したプッシュ方式触覚刺激発生装置を図 2に示す。ここで,プッシュ方式を実現するためのアクチュエータであるソレノイドに合わせて伝達機構を3D プリンターを用いて製作した(図 2左)。また,図 2 に赤色四角で囲まれている箇所が走者の親指に接触する部分である(図2 右)。 開発装置のインターフェイスの肝は,クラウチングスタート時に,プッシュ刺激を確実に走者に伝達することである。そのために,プッシュ刺激を伝達する鉄心から一定距離(X)離れた円周状に隆起した箇所(図 2右)を皮膚に予め接触させておく方式を採用した。 図2 プッシュ方式触覚刺激発生装置 3.評価実験概要 最適な触覚刺激インターフェースを特定するため,プッシュ方式触覚刺激の接触部分の 3 種類(図 2 の X=0.0mm, 2.0mm, 4.0mm)と接触箇所(親指の指腹・親指の第一関節)の 2種類の組み合わせ(計 6通り)に対する反応時間計測を実施した。ここで,Xの影響について比較検証した理由は,鉄芯による触覚刺激と接触部分による触覚刺激が互いに影響することで,反応時間に悪影響が発生する可能性があるためである。 具体的には,日常的に陸上競技短距離走を経験(3年以上)している聴覚障害者 6名に対し,刺激信号を発してから実験協力者が刺激を知覚してボタン押下するまでの反応時間をそれぞれ 10回ずつ計測した。その際,ボタンは利き手で押下し,触覚刺激はそれと反対の手に与えた。以上を 4回繰り返した。なお,本実験は,筑波技術大学研究倫理委員会の承認を受けて実施した(承認番号:H29-39)。 実験結果を表 1に,表 1で示したそれぞれの結果についてTukey とBonferroni の多重比較法により有意差が認められた組み合わせを表 2 に示す。 表1 反応時間の平均値と標準偏差 表2 有意差が認められた組み合わせ これらの結果より,プッシュ方式(0mm)とプッシュ方式(2mm)が LED 方式視覚刺激よりも効果的であり,その中でもプッシュ方式(2mm)が優れていることがわかった。また,接触箇所の指腹と第一関節の間に有意差が認められないことから,実際にクラウチングスタートを用いる状況下に適した接触箇所である第一関節において実用化できる道筋を確認できた。 4.まとめと今後の課題 本研究は,聴覚障害者陸上競技における新たな代行感覚を利用したスタートシステムとして,触覚刺激によるスタートシステムを提案するものであった。反応時間計測実験により,スタート合図に最適な触覚刺激インターフェースは,プッシュ方式(2mm)を親指の第一関節に接触させる方法であることを特定した。 今後は,特定した最適な触覚刺激インターフェースとLED方式視覚刺激によるクラウチングスタートを用いた状況下での反応時間計測と感性評価を行い,本手法の有効性を検討し,学会発表を行う予定である。 将来は,聴覚障害者を対象とするだけではなく,聴者,視覚障害者などの障害者の誰でも使えるユニバーサルデザインにしていくために,視覚障害者,車椅子や義足,義手を使用する障害者を対象に,反応時間計測を行い,プロトタイプを実用化していくとともに,水泳競技をはじめとした他競技にも応用していきたい。 参照文献 [1]青山利春,竹見昌久,岡本三郎,「光刺激スタートシステム」の開発・普及活動の取り組み,聴覚障害,67 巻,743号,pp.21-26,2013 [2]伊福部達,発音訓練における感覚代行,人間工学16(1),pp.5-17,1980 [3]公益財団法人日本陸上競技連盟,第 165条計時と写真判定,日本陸上競技連盟競技規則,第3 部 トラック競技,pp.185-191,2016 [4]設楽明寿,白石優旗,聴覚障害者陸上競技に適した振動刺激スタートシステムの提案,情報処理学会研究報告,Vol.2016-AAC-2,No.2,pp.1-3,2016 [5] A. Shitara, M. Namatame, Y. Shiraishi. Proposal of a Vibration Stimulus Start System for Deaf and Hard of Hearing. Journal on Technology & Persons with Disabilities. 2018:140-148 [6] A. Shitara, M. Namatame, Y. Shiraishi. Tactile Stimulus Start System Proposal for Deaf and Hard of Hearing Sprinters. Proc. UD2019. 2019 [7]設楽明寿,生田目美紀,白石優旗,聴覚障害者へのスタート合図に最適な触覚刺激インターフェースの特定−陸上競技短距離走スタートシステムのユニバサールデザインを目指して−,情報処理学会第 81 回全国大会, 1ZJ-01, 2019 [8]横倉三郎,陸上競技用スタート動作の検出方式,計測自動制御学会論文集,vol.36,no.2,pp.159-164,2000