解剖学におけるカラー版触図の作成 加藤一夫 1),市川あゆみ 2) 筑波技術大学 保健科学部保健学科 1)視覚障害系支援課 2) キーワード:解剖学,視覚障害,触図教材 1.はじめに  触図とは,視覚障害者が利用できる絵や図として,それらを触ってわかるよう,輪郭線などを立体的にしたものである。触図の作成には,立体コピーの他に,触素材の貼付,点図,サーモフォーム,紫外線硬化樹脂インクなど,様々な方法があるが(文献1),盲学校等で一般的に使用されている触図は,立体コピーによるものが多い(文献2)。現在,本学の解剖学の講義で用いられている触図は,白色の専用用紙に黒色の輪郭線,網掛けおよびドット等で表現されるため,多くの色を使って表現されている原図の情報量が激減してしまう。また,原図における色の違いを,どの網かけやドットで置換するかは点訳者任せで,原図作成者の意図が必ずしも反映されていない。それらの問題があるにもかかわらず,色の識別が可能である視覚障害者に対しても,触図用の線画を流用した情報量の少ない『モノクロ版触図』が配布されているのが現状である。本研究は,触図を使用する弱視(ロービジョン)の学生に対し,わかりやすく,使いやすい『カラー版触図』を作成することを目標とする。 2.方法  ドローイングソフトウェア(Illustrator,Adobe Systems)を使用し,原画を基に触図となる線画を作成した。次に,レイヤー機能を使用し,(1)墨字名称,(2)点字名称,(3)カラー,(4)網かけのレイヤーを線画上に追加することで,同じ線画を,カラー版触図とモノクロ版触図で共用できるようにした。解剖学の講義において重要なポイントとなる部位を選択し,該当するレイヤーに着色・網かけを配置した。色覚異常に配慮するため,配色は,『カラーユニバーサルデザイン』(NPO法人カラーユニバーサルデザイン機構)を参考にした(文献3)。完成した線画をレーザープリンタ(LBP-9510C,キヤノン) により,発泡紙(カプセルペーパー,松本油脂製薬)にカラー印刷し,現像機(YMT-A3,松本興産)で発泡させ,触図とした。 3.結果および考察 3.1 ウィリス動脈輪(大脳動脈輪)  ウィリス動脈輪は,脳底部にある内頚動脈,脳底動脈と,それらから分岐する血管が,輪を作るように吻合している。この動脈輪を構成する血管と位置関係を覚えるための模式図を作成した。通常の解剖図においては,動脈は赤色で示されるが,本図では赤色を用いず,色覚異常にもわかりやすいオレンジ色を使用した(図1)。また,管腔部分には細かい網かけを配置したので,点字使用者は,触覚によって血管の内側と外側を判別することができた(図1右)。点字表記は,墨字表記よりも文字数が多くなるため,狭いスペースでは文字が入りきらなくなることがある。そのため,長い血管名を記載する場合は,血管の近くに略記として記載した。また,広いスペースのある同じ紙面の下部に,再度略記を記載し,続けて正式名称を記載した(図1右)。血管の名称は似たものが多いので,略記にする場合は,名称の中の左右や前後がわかるものはその部分を残し,略記だけを読んでも区別ができるように省略する必要がある。 3.2 クモ膜顆粒(脳の硬膜・クモ膜)  脳は,軟膜・クモ膜・硬膜に包まれる。クモ膜は硬膜の内面に接している膜で,脳の表面を覆う軟膜との間に,細い糸状の結合組織の線維を張り巡らし,脳脊髄液に満たされるクモ膜下腔を作る。クモ膜下腔を流れる脳脊髄液は,上矢状静脈洞内に突出したクモ膜顆粒を介して硬膜静脈洞へと吸収される。この構造を理解するための模式図を作成した。クモ膜下腔の中にある動脈は,3.1ウィリス動脈輪と同様,赤色ではなくオレンジ色とし,硬膜には黄緑色を用いた(図2)。動脈と硬膜が色覚によって区別ができるかは,色覚異常をシミュレートできるスマートフォン用アプリケーション「色のシミュレータver.2.2」を用いて,印刷物を確認した。本図は,3.1ウィリス動脈輪と比べると,とても複雑な図である。触覚によってそれぞれの構成物を把握できるようにする必要があったため,網かけには以下のような工夫をした。黄緑色の硬膜には細かい斜線,動脈にはドットの網をかけた。また,網の目のように張り巡らされたクモ膜は,膜部分が全体的に盛り上がるよう,グレーで着色した(図2右)。グレーを用いることにより,現像時に黒い輪郭線よりも発泡が抑えられるため,クモ膜とそれ以外の構成物の識別が可能となった。 4.まとめ  従来のモノクロ版触図では表現が困難になる複雑な図も,カラー版ではわかりやすく表現することが可能となる。これは,着色により,一枚の図に含まれる情報量を増やすことができるようになるため,図の中の重要な部位を見つけやすくなること,また,複雑な構造を理解しやすくなることが考えられる。カラー版の触図を作成するにあたり,色覚異常に対する配慮として,配色の工夫,網かけの追加などが重要となるが,この問題は,講義担当者と触図作成者が,綿密な打ち合わせをすることで解決する。このように,講義内容に合わせた触図を,比較的簡便に作成することができると,講義を受ける学生にも大きなメリットとなる。今後は,一枚の図で使用する色の数の限界,および隣りあう領域での配色の選択などの調査を予定している。 参考文献 [1] 金子健,大内進(2004)触図の作成方法と作成される触図の特性について.平成14年度 国立特殊教育総合研究所 視覚障害教育研究部盲教育研究室一般研究報告,6-15. [2] 大内進,澤田真弓,金子健,千田耕基(2004)盲学校における触覚教材作成および利用に関する実態調査.国立特殊教育総合研究所紀要第31巻,113-125 [3] NPO法人カラーユニバーサルデザイン機構(2009)カラーユニバーサルデザイン.ハート出版,東京. 図1 ウィリス動脈輪(左:墨字版,右:点字版)  動脈の色にオレンジ色を使用し,色覚異常に配慮した。点字版(右)では,血管の位置に細かい網かけを配置し,血管と余白を触覚で識別しやすいようにした。また,略記と正式名称を点字で記載した。 図2 クモ膜顆粒(左:墨字版,右:点字版)  動脈の色はオレンジ色,硬膜は黄緑色を使用し,「色のシミュレータ」を用いて,色覚異常があっても識別できることを確認した。点字版(右)では,血管と硬膜に網かけを配置し,複雑に入り組んだクモ膜は,全体的に盛り上がるようグレーに着色した。