よりインクルーシブな形を目指した舞台手話通訳に関する実践報告 萩原 彩子(筑波技術大学) 田中 結夏(特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク舞台手話通訳チーム) 廣川 麻子(特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク) 米内山 陽子(劇作家・演出家・舞台手話通訳家) 1.はじめに  2017年6月に改正された文化芸術基本法(旧文化芸術振興基本法)において、障害の有無にかかわらず文化芸術を鑑賞するための環境整備を行うことが明記され、さらに2018年6月に交付・施行された障害者文化芸術活動推進法には、そのための基本理念および基本計画が示された。このように我が国でも、障害のある方々の文化芸術の鑑賞活動に関わる法律が整備されつつある。 聴覚に障害のある人々の鑑賞活動についても様々なサポートがなされるようになっており、その方法としては、台本の貸し出し、字幕提示、ヒアリングループなどの聴覚補償、振動による伝達、そして手話通訳などが挙げられる。  特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク(以下、TA-net)では、聴覚障害を含む障害のある方々の鑑賞活動をサポートするためにさまざまな活動を行っているが、舞台演劇における聴覚障害者サポートの一環として、2018-2019年に舞台演劇における手話通訳(以下、舞台手話通訳)に特化した、舞台手話通訳養成講座を実施した。現在も舞台手話通訳の導入に関するコンサルティングを行いながら、講座受講者を中心に舞台手話通訳者(以下、通訳者)の派遣も行っているところである。  TA-netにおける舞台手話通訳のサポートは、表1の件数の実績があるが、実施した舞台手話通訳の形式については様々であった。舞台手話通訳が聴覚障害者への鑑賞サポートの1つの選択肢としてさらに広がりをみせるためには、その実践を積み重ね、関係者間で共有していくことが重要だと考える。  中でも2021年12月に実施された舞台「美談殺人」(企画・制作:タカハ劇団)は、通訳者が劇中の1つの役を演じながら手話通訳を兼任する形で舞台に立ち、脚本にかなり関与する形で実施された非常に画期的な作品であった。構想段階から舞台手話通訳が組み込まれて制作された本作品は、我が国において非常に希有な事例であることから、先駆的な1事例として以下に報告する。 表1 TA-netにおける舞台手話通訳公演サポート数 実施年 サポート件数 2018年 2件 2019年 8件 2020年 5件 2021年 11件 2022年(9月まで) 9件 (再演演目も含む) 2.導入の経緯および実施体制  本作品は脚本・演出を手がけたタカハ劇団主宰の高羽氏の発案で手話通訳およびタブレットによる字幕提示が導入された。  高羽氏は「もともと演劇のバリアフリー化には興味があって、いつか舞台で手話をやろうと虎視眈々と狙っていました。今回の物語を思いついた時に、物語というテーマの中で役者として手話通訳者を出すアイデアを思いつき『この題材なら手話もいける!』と実現しましたね。」と語っている(河野2021)。これまで実施されてきた舞台手話通訳は、脚本や作品が完成してから導入されていたが、本作品は初めから手話通訳の存在を織り込む形で脚本が制作されたことで、より作品に溶け込めるようさまざまな工夫が実現されている。このような作り方がなされる作品はこれまで日本では例がなく、よりインクルーシブな形での舞台手話通訳であったと言えよう。  本作品における舞台手話通訳は、分類としては通訳者が舞台上を動き回る「ムーブアラウンド型」で、かつ作品への関与度が高い「内包型」に分類される形での上演であった(分類は萩原ら2020)。なおこれまでは「内包型」で実施された作品であっても限られたシーンでの通訳者と役者の「からみ」がある程度であったが、本作品は通訳者が主人公の妹役を兼任して通訳を行うという、大変珍しい形態で実施された。これにより、通訳者がより自然な形で舞台上に存在できた反面、妹としての演技と手話通訳を両立させなければならなかった点が本作品の大きな特徴である。  公演は2021年12月16日~20日に7回実施され、出演者5名(うち通訳者1名)、手話監修者1名、アシスタント通訳2名、手話モニター2名の体制であった。通訳者、手話監修者、アシスタント通訳、手話モニターのコーディネートをTA-netが担当した。稽古期間は約1ヶ月で、通訳者はほぼ全回の約20回参加した。それぞれの役割については表2に示す。 表2 本作品における舞台手話通訳関係者とその役割 関係者 主な役割 舞台手話通訳者 作品の手話通訳を行なう 手話監修者 手話への翻訳や立ち位置などについて舞台手話通訳者に指導を行なう。対面やオンラインで通訳者への個別指導を行なう他、稽古にも数回立ち会う。演劇に造詣の深いろう者や舞台手話通訳の経験が豊富な聴者が担う アシスタント通訳 ろう者が手話監修者や手話モニターとして稽古などに参加する際の手話通訳を担う 手話モニター 台本に目を通さない状態で稽古やリハーサルに1~2回参加し、観客の目線で舞台手話通訳について意見を述べる。主にろう者が担う 全体コーディネート 上記関係者の派遣コーディネートや制作側との連絡調整を担う 3.稽古および本番における工夫点と困難  次に、稽古および本番における工夫点と困難点のうち、特に特徴的と考えられた点について、項目毎に述べたい。 1)衣装  舞台手話通訳においては手話が見やすいだけでなく、「作品の世界観を壊さない」ための環境整備が必要とされ、衣装選びも重要であることが指摘されている(萩原2019、萩原2021)。その考え方のもと、本作品では通訳者の衣装も作品の世界観に合わせて劇団の衣装スタッフに製作していただいた(図1)。これまでの舞台手話通訳では通訳者が衣装を自前で準備し、それを演出家等に確認して着用するケースが多い。しかし今回劇団の衣装スタッフに作成いただくことができたことで、作品における衣装の統一感が図れる点や、通訳者の金銭的な負担軽減にもつながった。その際、フリルなどを付けずにスッキリさせた袖口に変更したり、通訳中手が触れた時に跳ね上がることがないように襟を縫い付けるなど、世界観に溶け込みかつ手話を阻害しない衣装構造を目指して衣装スタッフと相談を重ねた。実際に使用した衣装を図1に示す。 図1 実際の衣装 2)立ち位置  本作品ではその都度舞台上で位置を変えながら通訳を行なう必要があったため、通訳者の立ち位置については、演出家とともに細かく決めていく作業を連日行った。  手順としては、まず通訳者が舞台上から抜けた状態で1シーン毎に役者の立ち位置や動きを固めていき、ある程度決定した時点で通訳者も舞台上に入り、どの位置・角度で立てば客席から手話が見えるか、また他の役者と重ならないかを精査していった(図2,3)。決められた位置で通訳を行なう「固定型」とは違い、その都度の立ち位置やそこまでの移動のタイミングを細かく覚えなければならないのは「ムーブアラウンド型」ならではの特徴である。 図2 通訳者の位置が右側の例 図3 通訳者が左側の例 3)登場人物の手話表現  役者が動き回りながら会話する作品の場合、通訳で誰の台詞であるかを表現する(話者の明確化)のが難しく、これまでの実践でもさまざまな工夫が行なわれてきた(萩原2019、萩原2021)。その中で話者の明確化のために登場人物の手話表現を予め決めておくことも有効である点が指摘されているが(萩原2021)、本作品でも劇中で登場する人物の名前について事前に手話表現を決め、動画を作成してSNSなどで発信した。さらに当日も会場内のモニターに投影し、聞こえる・聞こえないに関わらずすべての観客にPRした。なお聞こえる観客の目にも止まりやすいよう、音声付の動画も作成し、会場内ではそちらを投影した。今までもSNSを使って登場人物の手話表現を事前に説明する取り組みは行なわれていたが、会場内で投影することはなく、限られた範囲での共有に留まっていた。そのため動画の存在を知らないまま観劇に来るろう者も散見されていた。会場内で投影することでより多くの観客の目に止まり、事前に動画を見られなかったろう者も動画の存在に気づきやすくなるという点でも音声付の動画は有効であった。  ただ、モニターが会場内の奥にあったため、見逃した観客も多く、動画の効果を高めるためにはモニター位置の工夫も必要と感じた。 4)演出と通訳の両立  本作品は通訳者が主人公の妹役を兼任していたため「演出家から求められる妹役としてのふるまい(演出)」と「通訳」を両立する方法を模索する必要があった。この点が本作品で最も困難だった点である。当初の方向性としては、演出家からの要望もあり、より自然な形で作品に溶け込むため「単に通訳として客席に向かって通訳をするのではなく、終始、妹として主人公である兄に舞台上で起こっていることを手話で伝えていく」という設定で通訳することを考えていた。例として、登場人物A(兄弟の恩人)がB(兄)とI(妹/通訳者)に向かって話す場面での、当初の通訳プランを表3に示す。なお表中の上部にある(妹   )や(RS-)はその時の人称やRS(ロールシフト/レファレンシャルシフト)で、誰になりきっているかを表している。また(視線-)は視線の方向である。いずれも下線や矢印はその状態が続いていることを示している。その他表現した手話ラベルを文のまとまりごとに/ /で囲って記載し、(PT-)は指さしの方向を表している。  この場面は当初、AがBとIに向かって言っている台詞の冒頭をまず「妹」として聞き(表2①、④)、途中から兄であるBに向かって説明する(表2②~③、⑤)、というコンセプトで通訳を行う予定だった。しかしながら、「兄に説明しよう」とすると「Aさんは○○と言ってる」のように伝聞調で通訳することが多くなり、監修者から「妹がその台詞をどう捉えたか(例:(うれしそうに))は伝わってくるが、登場人物の感情の起伏や台詞の裏側にある思いが伝わってこない」と指摘された。  そこでRSで話者になりきり、キャラクターの感情などを役者と同じ熱量で表現する形に修正した。しかし今度は演出家から「RSばかりでは通訳の意味合いが強くなり、妹という存在が消えてしまうので、台詞と台詞の間に妹としてのリアクションを入れられそうならどんどん入れて欲しい」という指示が出された。そこで、再度監修者とも相談し、RSを取り入れながら妹としてのリアクションも入れられるよう表4のように工夫した。 表3 演出と通訳の両立を目指した通訳例(当初の通訳プラン) 表4 演出と通訳の両立を目指した通訳例(最終的な通訳プラン)  具体的には、はじめのAの台詞はRSで通訳し(表3①②)、次の台詞(表3③)はBに説明するように伝える形とし、さらに最後に妹してのリアクションとして新たに手話による台詞(/よい/ /腹減る よね/)を加える形とした(表3③)。このように、場面ごと、台詞ごとにRSなどを細かく設定し、演出と通訳の両立を図った。 5)表出を終えるタイミング  通訳と演出の両立を目指し、4)で述べたような表現方法の工夫を重ねたが、あわせて表出を終えるタイミングについてもかなり注意を払った。以下、C(首相の秘書)とB(兄)とI(妹/通訳者)で会話する場面で具体例を説明する。  この場面は、CがBに新たな真実を伝え、その内容にBが驚いてCを見つめる、というシーンである。この時の立ち位置は図4の通りであった。 図4 表4および表5の場面の立ち位置(矢印は視線の方向を示す)  このシーンについては演出家から通訳者に対して「Cの台詞に対して驚いたリアクションをして欲しいのでCの顔を見て欲しい」「話者と同じ方向を見て通訳するとIが会話に参加していないように見えてしまうのでCを見て通訳して欲しい」という指示があった。  しかし演出家の指示に従うと、CがBに向かって話している内容であるにも関わらず、Cを見ながら通訳することになるため、まるでIがCに向けて話しているような形になってしまった(表5)。  手話モニターからも「誰が話しているのか分からない。CがBに向けて話しているのであれば、Cと同じ方向(B)を見て通訳をして欲しい」という意見が出された。そこで手話モニターから演出家に説明し、RS中は話者が話している方向を見て通訳することについて理解を得た。  最終的に「Cを見ての驚いたリアクション」は通訳直後に行なうこととなったが、単にCを見て驚くのではなく、いったんBと目を合わせてからふたりでCを見つめることとした(表6)。 表5 表出終了のタイミングに関する通訳例(当初の通訳プラン) 表6 表出終了のタイミングに関する通訳例(当初の通訳プラン)  しかしBとともにそのリアクションをするためには、Cの台詞が終わると同時に通訳を終わらせる必要がある。本作品では多くの場面で通訳後に妹としてのリアクションをしなければならなかったため、可能な限り「役者が台詞を発したと同時に通訳を始め、台詞終わりとほぼ同時に通訳を終わらせる」“完全同時通訳”を目指した。 図5 話者(左)と同じ方向を向いて通訳する通訳者(左から2番目) 6)不必要に目立たないための工夫  あるシーンについて演出助手より、通訳者が手を下ろし始めるタイミングやスピードによって場の空気がかなり変わるため、場面ごとに手を下ろすタイミングやスピードも変えて欲しいとの意見が出された。例えば重い雰囲気の中役者に大きな動きがない場面で、通訳者が手を下ろすスピードが速すぎると手話通訳の手に観客の注目が集まってしまい舞台上の空気を乱してしまう、という旨の指摘であった。そこで、稽古ではその都度場面の空気感に合わせて、通訳者の手を下ろすタイミングやスピードを緻密に演出家等と相談し作り上げていった。  物理的に距離が離れた場所での「固定型」通訳や、作品に関与しない「額縁型」の通訳の場合に比べて、役者と物理的に近くなる「ムーブアラウンド型」や、心理的に近くなる「内包型」の場合、観客が通訳者と役者を同時に目にする機会が増えるため、より芝居の空気感やタイミングを合わせることが求められたのではないかと思われる。 図6 兄の台詞を通訳している様子(台詞と同時に通訳が終わるよう翻訳を調整) 7)アシスタント通訳の役割  TA-netでは監修者や手話モニターとしてろう者が稽古等に参加する場合、演出家などとのコミュニケーション支援のため、アシスタント通訳を配置している。本作品では手話モニターのろう者が来た際に数回アシスタント通訳を派遣した。  その他にも、時間の都合で監修者の同席が叶わなかった日のうち数回について、通訳者の立ち位置などの確認のため、アシスタント通訳を派遣した。立ち位置などの確認は本来であれば監修者が行なう内容であるが、監修者不在の際の補助的な役割を担ったものである。立ち位置の移動がかなり多かったため、本作品においては非常に有効であったが、アシスタント通訳の本来の業務とは異なるため、手厚い指導や確認が必要な作品における監修者の指導回数やフォロー体制については今後の検討が必要と思われる。 8)手話監修の課題  手話監修としては、主に手話翻訳の適切さのチェックや、立ち位置を含めた客席からの手話の見えやすさの調整、その他必要に応じて制作側と通訳者間の橋渡しなどを行った。  監修者からの本作品における課題点を以下にまとめる。まず手話監修で特に大きなウェイトを占める手話翻訳のチェックについて、本作品では通訳者本人の翻訳を手直しする形で関わった。日本手話と音声日本語では包含する意味量が異なる場合があり、音声台詞は複数意味を包含していても、長さの問題で手話としては一つの意味を提示するのみになってしまうことがある。またその逆で、音声の台詞はシンプルな意味を発しているのに対し、手話が包含する意味が複数ある場合もある。監修者として、場面場面で厳しい取捨選択を繰り返す中で改めて実感したのは、通訳者には深い読解力が必要となるということである。今後の通訳者の育成ではそういった点にも注目しておく必要があろう。  また、5)で述べた「演出と通訳の両立」については、通訳者の立ち位置が役者と混ざるだけではなく、演劇として、役として有機的に混ざるための方法を模索し、一つの口上を、俳優と通訳者がまるで二人で行っているように見せる工夫や、振り向き、動き出しのポイントなどの工夫を行った。このような指導は単なる手話の指導とは異なり、演劇の知識や経験も必要なため、現在のところ監修を担える人材の不足が課題となっている。監修者の役割の整理や求められる技術を整理し、育成方法についての検討が今後必要であろう。  また、通訳者の立ち位置について、稽古初期から通訳者と演出家で細かい調整を行っていたとはいえ、その時期監修者が立ち会っていなかったこともあり、実際には見えにくい位置になってしまっていた場面があった。早期から監修者による助言・調整ができれば、演出家を含む制作側に、手話を見せる際に必要な要件の理解を制作当初から促し、よりスムーズな制作ができたものと考えられる。監修者がいつから何回稽古に同席するかは監修者の都合や予算により決定するが、本作品のように複雑な立ち位置の調整が必要な作品については、早い段階から監修者が立ち会うのが望ましいと言えよう。舞台手話通訳では通訳者が一人で臨むことも多く、通訳に関する課題が生じても相談できる相手がおらず、現場で孤独になることが多い。通訳者がひとりですべてを抱え込んでしまうことのないよう、制作側への啓蒙を含め、通訳者を一人で現場に挑ませない体制作りの意味でも監修者の存在は重要であろう。 9)その他  その他の困難点としては、聴覚障害以外の障害のある観客へのアクセシビリティとの衝突であった。  本作品は全公演に舞台手話通訳があったわけだが、その他に視覚障害者向けの舞台説明会(登場人物や舞台のセットなどについて視覚障害者の方々に事前に説明を行うもの)が設けられた回もあった。舞台説明会が実施された回では、当然視覚障害者の観客が多数来場したわけだが、移動の観点から入り口から近い席に座る傾向があり、ちょうど舞台手話通訳が見やすい位置と重なってしまった。複数のアクセシビリティが用意されていることは喜ばしいことだが、お互いが衝突しないような環境整備が事前に必要だったと感じた。 4.聴覚障害者からのフィードバック  本作品は大きな関心を集め、多くの聴覚障害者が訪れた。またTA-netとして聴覚障害者の観劇ツアーを企画し、終了後の意見交換会などを実施した。観劇ツアーには2日間各約10名の聴覚障害者が参加した。公演後、観劇ツアーの意見交換会などで聴覚障害のある観客から舞台手話通訳に関するフィードバックをいただいたところ、以下のような意見があった(意見は手話による発言を文字起こししたもの。文中カッコは著者による補足)。 <寄せられた意見>  ①俳優の中に混ざる形で立っていたので(他の舞台手話通訳に比べて)視線の移動がほとんどなく没入感があった  ②一般的な手話通訳だと透明人間のような扱いだが、本作品では『そこにいる』感があって違和感なく見られた  ③(通訳者が)妹を演じているのか主人公の声を通訳しているのかわからなくなることがあり字幕で確認していた  ④誰が話をしているのか、もう少し情報として欲しい  ⑤役者と字幕と手話通訳を全部合わせて見ていたので集中力が切れてしまった  ⑥2時間ずっと目を見開いてみていて途中でわからなくなってきて思考が追いつかなかったりした。休憩があった方がいいと思った  ⑦慣れてくると、この場面は手話を見た方が面白いなあというふうに、(字幕と)少しずつ見分けることができるようになった  ①や②のように「ムーブアラウンド型」に対する好意的な意見が見られた一方、③や④のように妹役を兼任したがゆえの、話者の明確化に関する戸惑いの意見もあった。多くの聴覚障害者が本作品のような形式での舞台手話通訳を目にするのが初めてだったこともあるが、役との兼任については事例の積み重ねと検証がさらに必要であろう。  また、本作品において多くの聴覚障害者は手話通訳と文字通訳を併用して観劇していたことから、⑤や⑥のような、長時間の観劇による集中力の低下や、目の疲労を訴える声も聞かれた。一方で、⑦のように手段の使い分けに関する興味深い意見もみられた。  このように、聴覚障害者から寄せられた意見は様々であったが、本作品における舞台手話通訳そのものを否定する意見はなく、今後の期待を込めたものが多かった。 5.今後の課題  本作品は初めての試みで誰も正解がわからず、模索しながら進めていくことにもなった。特に「演出と通訳の両立」はこれまでの舞台手話通訳ではあまり直面してこなかった課題であり、演出家とのやりとりや通訳プロセスの修正の過程を共有することで今後同様の舞台手話通訳が行われる際にも参考になると思われる。なお、監修者からはこのような挑戦の時こそ、通訳者への手厚いバックアップが必要だったとの反省も挙がっており、舞台手話通訳を支える関係者の体制についても作品の難易度にあわせて検討する必要性があることが明らかになった。  また本作品はゼロベースから舞台手話通訳が織り込まれていたこともあり、演出家を含めたスタッフ、周りの俳優など、制作側が非常に協力的で、衣装や立ち位置、演出などについて非常に細かい調整が可能であったが、他の舞台手話通訳の現場ではなかなか叶わないことも多く、制作側との協働は今後も課題であろう。  今回の取り組みは非常にチャレンジングではあったが、よりインクルーシブな形での舞台手話通訳として新たな可能性を引き出すことができたと言える。  さらに、本稿では触れられなかったが、障害のある方々への観劇サポートについては以前に比べれば文化庁等からの助成が得られるようになり、コスト面での負担は軽減されつつあるが、それでも質向上のために稽古への参加や監修・モニターによるケアを手厚くしようとするとそれだけコストがかかってくる。それらのコストを制作側やカンパニーのみに委ねるのは、現在の演劇を取り巻く環境を考えると酷であり、そのためには行政や世論への働きかけも平行して行っていくべきであろう。今後もさらに舞台手話通訳が広がることで聴覚障害者を含め誰もが演劇を楽しめる環境が広まればと祈っている。 6.引用文献 河野 桃子(2021)「高羽 彩インタビュー タカハ劇団『美談殺人』」『ローチケ演劇宣言!』(cited 2022-5-26) https://engekisengen.com/genre/play/32817/ 高羽 彩(脚本・演出)(2021)「美談殺人」出演 町田 水城,柿丸 美智恵,高羽 彩,福本 伸一.舞台手話通訳・出演 田中 結夏. タカハ劇団. 萩原 彩子・廣川 麻子・米内山 陽子(2020)「舞台演劇における手話通訳パターン分類」『日本手話通訳士協会研究紀要』第17巻,79-81. 萩原 彩子(2021)「舞台演劇に特化した手話通訳技術に関する研究―ろう者へのインタビュー調査から―」『日本手話通訳学会2020年度研究紀要』第18巻,49-56. 萩原 彩子(2019)「舞台手話通訳に特化した手話通訳技術に関する研究―手話通訳者へのインタビュー調査から―」『日本手話通訳学会2018年度研究紀要第16巻』, 91-96