肺高血圧症におけるアミノ酸代謝変動の解析と新規治療標的の探索 酒井 俊 筑波技術大学 保健科学部 保健学科 キーワード:肺動脈性肺高血圧症,ポリアミン,メタボローム解析 成果の概要:  肺動脈性肺高血圧症(PAH)の肺動脈血管平滑筋細胞(PASMC)では,ガンと類似した細胞増殖形質を有する。ガン細胞では増殖に適した代謝変動が認められる。メタボローム解析により得られたアミノ酸を含めた代謝産物の変動を切り口として,PAH病態を代謝面から考察し,新規治療標的を探索した。①低酸素誘発性PAHモデルマウスの肺組織に対しメタボローム解析を行い,PHAマウス肺ではポリアミン濃度が有意に増加していた。②同組織においてマイクロアレイ解析を行い,PAHモデル肺ではS-アデノシルメチオニンカルボキシラーゼ遺伝子の著明な発現亢進が認められた。以上より,ポリアミン濃度増加は基質である脱炭酸化S-アデノシルメチオニンの合成亢進により生じ,そこにはS-アデノシルメチオニンカルボキシラーゼの活性亢進が関与していると考えられた。ポリアミンはガン細胞の増殖に関与していると考えられている。以上より,PAHでの肺動脈血管平滑筋細胞の増殖に対しても,上記機序を介したポリアミン増加が関係している可能性が示唆された。 研究の背景:  肺動脈性肺高血圧症(PAH)は肺動脈血管内皮細胞・血管平滑筋細胞の著明な増殖による肺動脈壁肥厚・血管閉塞を本態とし,肺血管抵抗・肺動脈圧上昇を呈する難治性疾患である。細胞増殖を主とする病態には「ガン」があるが,ガン組織の代謝経路ではWarburg効果と称される嫌気性代謝の亢進が認められる。このために細胞増殖に必須の核酸合成促進に関与する代謝経路の亢進が生じると共に,ミトコンドリアのTCA回路での酸化的リン酸化抑制による活性酸素種産生の減少に伴い細胞死は抑制され,そのために細胞増殖活性が増加する。PAHでは肺動脈における細胞成分の著明な増殖が認められるが,これらの増殖細胞における代謝変動の詳細は,不明な点が多い。 研究の目的: (1)PAHモデル肺における代謝変動をアミノ酸も含めて網羅的に解析し,どのような経路が有意に変化しているか明らかにすること。(2)代謝産物の変動から,どの代謝酵素の活性が変化しPAHの病態形成に関与しているかを明らかにすること。 方法: (1)低酸素誘発性肺高血圧モデルの作製と評価:低酸素チャンバーを用い,酸素濃度10%の状況下で8週齢の雄C57BL6Jマウスを3週間飼育した。対照マウスは室内気で同期間飼育した。(2)肺高血圧の評価は,右室圧測定と左室・右室重量の測定により行った。測定後に採材を行い,冷凍保存した。(3)網羅的代謝産物測定(メタボローム解析)はキャピラリー電気泳動法と質量分析計により測定した。(4)網羅的遺伝子発現解析(マイクロアレイ解析)を行った。 結果: (1)低酸素誘発性肺高血圧モデルの作製と評価:酸素濃度10%の滋養兼で3週間飼育すると,低酸素マウスの右室収縮期圧は対照マウスに比べ,有意に高値であった。また,低酸素マウスの右室重量-脛骨長比も有意に高値であった。以上より,低酸素負荷によりマウスは肺高血圧を呈し,それに伴い右室肥大を呈することが明らかになった。(2)メタボローム解析 ポリアミン類(プトレシン・スペルミジン・スペルミン)がPAHモデル肺において有意に増加していた。(3)マイクロアレイ解析 ポリアミン代謝は,オルニチンから始まりプトレシン→スペルミジン→スペルミンへと,それぞれの合成酵素により合成されていく。その際,脱炭酸化S-アデノシルメチオニンが基質として必要となるが,これは代謝酵素であるS-アデノシルメチオニンカルボキシラーゼによりS-アデノシルメチオニンから合成される。一連のポリアミン合成経路において,S-アデノシルメチオニンカルボキシラーゼの遺伝子発現が著しく亢進していたことが,マイクロアレイ解析により明らかとなった。 結論と考察:  PAHマウス肺では代謝産物としてポリアミンの組織濃度が増加しており,そこにはS-アデノシルメチオニンカルボキシラーゼの発現亢進により,ポリアミン合成の基質となる脱炭酸化S-アデノシルメチオニンの産生が増加していると考えられる。ポリアミンは,ガン細胞の増殖に関与すると考えられている。よって,肺動脈血管平滑筋・新生内膜増殖を呈するPAHの病態では,ポリアミンの産生増加がこれらの細胞増殖に関与している可能性が示唆された。またポリアミンが,PAHに対する新規の治療標的となる可能性が示唆された。