修士論文 聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスに関する研究 ―聴覚障害者が持つべき心構え・技術の検討を踏まえて― 令和4年度 筑波技術大学大学院 修士課程 技術科学研究科 情報アクセシビリティ専攻 土田 悠祐 目次 第1章 研究の背景  1 第1節 合理的配慮の法制化とその意義  1 第2節 合理的配慮の提供手続き  3 第1項 意思の表明  3 第2項 建設的対話  5 第3節 合理的配慮の提供手続きに臨む聴覚障害者が直面する課題  6 第4節 意思表明支援をめぐる研究動向  8 第5節 エンパワメント研究の歴史と現状  10 第1項 エンパワメント研究の歴史  10 第2項 エンパワメントの概念の概説  11 第3項 エンパワメントプロセスの研究  11 第4項 エンパワメントプロセス研究の活用  13 第2章 問題の所在  14 第3章 本研究の目的  15 第4章 本研究の構成  16 第5章 第一研究  18 第1節 目的  18 第2節 方法  18 第1項 調査概要  18 第2項 分析方法―KJ法  23 第3節 結果  25 第1項 分析結果  25 第2項 各心構え・技術の説明  27 第3項 Lv1グループ間の関連  45 第4節 考察  47 第1項 第一研究で得られた結果のまとめ  47 第2項 法律に照らした結果の解釈  48 第3項 第一研究の限界と第二研究に向けて  52 第6章 第二研究  54 第1節 目的  54 第2節 方法  54 第1項 調査概要  54 第2項 分析方法-修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ  57 第3節 結果  61 第1項 分析結果-全体のストーリーラインと結果図  61 第2項 カテゴリー・概念の説明  67 第4節 考察  125 第1項 第二研究で得られた結果のまとめ  125 第2項 エンパワメントの概念を援用した結果の考察  125 第7章 総合考察  132 第1節 第一研究と第二研究のまとめ  132 第2節 聴覚障害者に求められる努力や工夫について  133 第1項 『心理的安定基盤との接続』の確立  133 第2項 支援者等の主体的な活用  134 第3項 『立ち止まっての自己リソース内解決』の重要性の認識と自分調整方法の開発  135 第3節 支援者が行うべき支援について  136 第1項 『心理的安定基盤との接続』を促す支援  136 第2項 支援者等の主体的な活用を促す支援  136 第3項 『立ち止まっての自己リソース内解決』の重要性の認識と自分調整方法開発支援  137 第4節 本研究の限界と今後の展望  139 第1項 第一研究の限界と今後の展望  139 第2項 第二研究の限界と今後の展望  139 引用文献  141 巻末資料  144 謝辞  201 筑波技術大学 修士(情報保障学)学位論文 第1章 研究の背景 第1節 合理的配慮の法制化とその意義  2016年に施行された「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(以下、障害者差別解消法)」によって、行政機関等及び事業者に対しては、障害者に対する不当な差別的取扱いが禁止され、また合理的配慮の提供の義務ないし努力義務が課された。 この障害者差別解消法は2021年に改正され、事業者に対しても合理的配慮の提供の義務が課されることとなった。以下に、改正された障害者差別解消法の第7条及び第8条を示す。 (行政機関等における障害を理由とする差別の禁止) 第七条 行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより、障害者の権利利益を侵害してはならない。 2行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならない。 (事業者における障害を理由とする差別の禁止) 第八条 事業者は、その事業を行うに当たり、障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより、障害者の権利利益を侵害してはならない。 2事業者は、その事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならない。  このように、障害者差別解消法において 合理的配慮の提供義務が課されたのは行政機関等と事業者であり、本研究では以下、行政機関等と事業者を合わせ事業者等と記すこととする。  障害者差別解消法が定める合理的配慮とは、個々の場面における障害者個人の具体的ニーズに応じて、過重な負担にならない範囲で、社会的障壁を除去するものである。すなわち基本的には、①個々のニーズ、②非過重負担、③社会的障壁の除去という3つの要素からなる概念であり、これまで障害者に対して講じられてきたさまざまな措置とは異なる概念である(川島,2016)。例えば駅や市役所等に設置されている点字ブロックや、市役所や病院等の窓口に設置されている筆談器などは、「高齢者、障害者等の移動等の円滑化に関する法律」(以下、バリアフリー法とする。 )等を根拠とする措置である。これらは、日常生活や社会生活において、障害者の活動を制限しているバリアを除去する、すなわち③社会的障壁を除去するという点では合理的配慮と似た措置であると言える(飯野,2016)。しかし、不特定多数の障害者に講じられるものであり、必ずしも①個々のニーズに応じてなされているわけではない点で、合理的配慮とは 異なる概念と言える(飯野,2016。)  バリアフリー法等に基づく措置は重要なものである。しかし、それだけで非常に多様な障害者一人一人が直面する社会的障壁をすべて除去することは難しい。例えば聴覚障害者の中には、円滑なコミュニケーションのために手話が欠かせない者もいるが、この場合、筆談器を用意するだけでは社会的障壁を除去できたとは言い難い。このため、手話でのコミュニケーションを求めるという 障害者の個々のニーズに応じて、事業者等の事情も勘案しながら、社会的障壁を除去する措置、例えば手話通訳者を用意するなどの措置を講ずる必要があるだろう。合理的配慮とは、このような個々の具体的な場面において、特定の障害者から具体的なニーズが示された際に、そのニーズに応じて、 過重な負担が無い範囲で、その障害者のために社会的障壁を除去する措置のことと言える。  「障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針(以下、基本方針とする。)」でも確認されている通り、このような合理的配慮の提供と同等の行為は、障害者差別解消法施行以前から既に社会のさまざまな場面において日常的に行われていた。しかし、川島・星加(2016)は、こうした行為の多くは、相手の「思いやり」(善意や心くばり)に頼ったものであったとの見解を示している。  実際、障害者差別解消法施行以前は、阪田(2021)によると、大学教育においても、「授業担当者の心意気や思いやりに依存した『お願い 』方式に基づく障害学生支援制度」になっていた大学が存在していたとされる。例えば阪田(2021)は、自身が勤める大学の障害学生支援制度について、支援担当部署はありつつも、授業担当者には「配慮のお願い」を渡すことしかできず、お願いに応じるかどうかはその教員の裁量に委ねる制度であったと指摘している。松﨑(2019)も障害者差別解消法施行以前の聴覚障害学生支援について、「かつて聴覚障害学生支援は、聴覚障害学生にとって教育を受ける権利の保障を大学等側の善意・理解ある判断に委ねざるをえない不安定な支援であった」と指摘している。このように、合理的配慮と同じような内容の配慮が提供される場面は以前から存在していたが、そこには被支援者である障害者が支援者にお願いをするという上下関係があり、故に、支援者の意向によって提供の可否や提供される配慮の内容が左右されてしまうという不安定な側面があった。しかし、障害者差別解消法によって合理的配慮が法制化されたことにより、合理的配慮の提供義務は法的なルールとして社会的に承認され、障害者と事業者等の間の対等な対話によって、提供される合理的配慮の内容を決定する手続きが定められたのである(川島・星加,2016)。 第2節 合理的配慮の提供手続き  障害者差別解消法及び基本方針において、合理的配慮は障害者の意思の表明に基づき提供されると規定されている。その後、それを受けた事業者等と障害者による建設的対話で、提供する合理的配慮の内容を決定し、実際に合理的配慮を提供する流れとなる。 第1項 意思の表明  基本方針によると、意思の表明とは、障害者が「具体的場面において、社会的障壁の除去に関する配慮を必要としている状況にあること」を伝えることとされている。また、障害者差別解消法の第7条及び第8条では、「障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において」と記されており、事業者等の合理的配慮の提供義務は、障害者からの意思の表明が行われて初めて発生することとなっている。なぜなら、事業者等は、そもそも合理的配慮の提供に向けて行動する前提として、障害者の具体的なニーズを実際に認識しておかなければならないが、その認識を可能にするためには、当事者間の情報の非共有性ゆえに、障害者からの意思の表明が基本的に必要となるからである(川島,2016)。ここで言う両当事者間の情報の非共有性とは、お互いに相手の事情がわかっていないという意味であり、第1節の例を再度取り上げると、目の前に聴覚障害者がいたとしても、その聴覚障害者が筆談器で十分対応可能なのか、手話によるコミュニケーションを保障するための措置が必要なのかは、事業者等にはわからないということである。つまり、障害者からの意思の表明が無ければ、事業者等はどんな合理的配慮を提供すべきかを知ることができず、合理的配慮の提供に向けて行動することもできないのである。  したがって意思の表明とは、具体的場面において、社会的障壁の除去を必要としている旨を伝えることであり、合理的配慮の提供を求める障害者が最初に行うべき手続きであると言える。  ただし、 これは決して、意思の表明があった場合においてのみ、合理的配慮を提供すべきだと謳ったものではない(西村,2020)。このことは、基本方針において「意思の表明が困難な障害者が、家族、介助者等を伴っていない場合など、意思の表明がない場合であっても、当該障害者が社会的障壁の除去を必要としていることが明白である場合には、法の趣旨に鑑みれば、当該障害者に対して適切と思われる配慮を提案するために建設的対話を働きかけるなど、自主的な取組に努めることが望ましい。」と記されていることからも明らかであろう。  なお、意思の表明に焦点をあてた研究の中には、意思の表明が示す範囲を拡大したものが存在する。例えば吉川・甲斐・有海・益子(2017)は、聴覚障害学生支援の文脈で、「支援を利用する・しないといった自己選択・自己決定も含めて、聴覚障害学生が何らかの形で何らかの意思を表現、表明していること」を意思の表明ととらえている。ここで言う「何らかの意思を表現、表明していること」については、吉川ら(2017)の調査結果を踏まえると、単に現在自分が困っているということを伝えたり、合理的配慮の提供を受けるにあたって漠然と感じている不安等について相談したりするなど、除去すべき社会的障壁を明確には示していないやりとりを意味すると考えられる。また、有海・羽田野(2022)も「合理的配慮を求めるための聞こえないことの表明、困り感の表出、相談」を含めたものを意思の表明としてとらえている。もっとも、こうした意思の表明が示す範囲の拡大は、当然すべての研究でなされているわけではなく、佐々木・長友・吉武・池田・佐藤・松川(2016)のように、「困り感の表出」という概念を用いて、そこに吉川ら(2017)が言う「何らかの意思を表現、表明していること」等を含め、意思の表明は社会的障壁の除去を必要としている旨を伝えることであるととらえている研究も存在している。  ただし、 上述した吉川ら(2017)や有海・羽田野(2022)、佐々木ら(2016)が、揃って困り感を伝える等、除去すべき社会的障壁が明確には示されていないやりとりを取り上げており、詳細は第3節において述べるが、障害者にとって、社会的障壁の除去を必要としている旨を伝えることは決して簡単なことではないとされていることから、障害者はこのような訴え方をすることが多いと推測される。  そのため、本研究では、障害者差別解消法及び基本方針に倣い、意思の表明は、具体的場面において、社会的障壁の除去を必要としている旨を伝えることと定義するが、吉川ら(2017)や有海・羽田野(2022)、佐々木ら(2016)が指摘している合理的配慮の提供を求めるための聞こえないことの表明、困り感の表出、相談も意思の表明に至るまでの重要な過程としてとらえることとする。 第2項 建設的対話  一方、意思の表明と並んで、合理的配慮の提供における重要な手続きに、障害者と事業者等による建設的対話がある。建設的対話については、基本方針において、「合理的配慮は、障害の特性や社会的障壁の除去が求められる具体的場面や状況に応じて異なり、多様かつ個別性の高いものであり、(中略)代替措置の選択も含め、双方の建設的対話による相互理解を通じて、必要かつ合理的な範囲で、柔軟に対応がなされるものである。」と記されている。意思の表明だけでなく、その後に建設的対話が必要な理由として、川島(2016)は、意思の表明が必要であったのと同様に、障害者と事業者等の間における情報の非共有性があるため、どのような配慮が必要かつ可能であるかは、両者が対話を通じて情報を交換し、ニーズと負担に関する双方の個別具体的事情を突き合わせる過程を経なければ、お互いにわからないからであると指摘している。  ここで言うニーズと負担に関する双方、すなわち障害者と事業者等の個別具体的事情には、前述した障害者の個人的ニーズに加え、合理的配慮を提供するにあたって事業者等に課される負担も含まれている。前述の通り、合理的配慮の定義には「その実施に伴う負担が過重でないときは、」という②非過重負担を示す文があり、過重な負担を課される内容の措置を合理的配慮として提供する義務は、事業者等には課せられていないからである。そのため、合理的配慮の内容を検討するにあたっては、障害者の個別的ニーズだけでなく、事業者等の負担も考慮する必要がある。  ただし、過重な負担という考え方は、合理的配慮の不提供を許容する根拠にもなり得るため川島,(2016)、基本方針はその有無について、個別の事案ごとに、具体的場面や状況に応じて総合的・客観的に判断されることが必要とし、また事業者等は、過重な負担にあたると判断した場合は、障害者にその理由を説明するものとし、理解を得るよう努めることが望ましいとしている。つまり事業者等が、一面的 ・主観的・観念的・抽象的な理由で過重な負担を持ち出し、合理的配慮の提供を断ることは認められておらず、また真に過重な負担が課される場合であっても、その旨を障害者に説明することが必要であると言えよう。さらにその際、基本方針を踏まえると、過重な負担があるから提供できないとするのではなく、代替措置を検討するなど、双方の個別具体的事情を出し合って、双方にとって必要かつ可能な合理的配慮を明らかにするために対話を続けていくことが重要と考えられる。  川島(2016)が言う「ニーズと負担に関する双方の個別具体的事情を突き合わせる」とはこのようなやりとりであると考えられる。  そのため、本研究では建設的対話を、ニーズと負担に関する障害者と事業者等の個別具体的事情を突き合わせ、どのような配慮が必要かつ可能であるかを明らかにする対話であるととらえる。また、意思の表明は建設的対話の口火を切る役割を有する、建設的対話に包摂される手続きであるととらえる。 第3節 合理的配慮の提供手続きに臨む聴覚障害者が直面する課題  第2節で述べた通り、合理的配慮の提供を受けるためには、障害者はまず意思の表明をし、そして建設的対話を行っていく必要がある。しかし、これまでさまざまな障害種を対象とした研究がなされており、多くの障害者にとってそもそも意思の表明を行うこと自体が難しいことであることが示されている。例えば小川(2018)は、発達障害学生は自分自身が何に困っているのかを十分に自覚できていないことが多く、意思の表明が難しい場合があることを指摘している他、丹野(2019)も成人脳性まひ者の意思の表明の難しさを指摘している。第2節で取り上げたように、基本方針においても意思の表明がない障害者について記されており、意思の表明が困難な障害者の存在を前提としていることがわかる。  同様に、聴覚障害者にとっても意思の表明を行うことは難しく、さまざまな課題に直面することが指摘されている。例えば松﨑(2019)や松﨑・芳賀(2016)は、聴覚障害者は、「弱さの情報公開」 、すなわち自分が困っていることを自己開示できないことがあり、さらにその背景には、過去に抑圧及び排除された経験の蓄積による聴者に対する恐怖感や不信感といった心理的問題があることを指摘している。ここで言う抑圧について、James(1998)は「個々の人たちが 一定の社会集団に属しているために、政治的・経済的・文化的・社会的な人格無視の状態に体系的に従属させられるときに発生する」ものと説明している。例えば聴覚障害者の場合、聞き返したり、わからなかったりすることを伝えることで、周囲の人々に迷惑がられたり、言われもない偏見を向けられたりすることがある。そして、こうした経験が重なると、次第に本当は困っていることがあっても、「聞こえない自分が悪い」と諦めてしまう、或いは怖くて言い出せなくなってしまうことがある。こうした状態を指して、抑圧と表現されているわけである。  また、特に大学に焦点を当てた場合、吉川2017b)は、次の2つの理由で、特に意思の表明が困難になりやすいとしている。1つは、大学入学までの支援利用経験が乏しいため、わからないことが常態化し、何に困りどのような合理的配慮が必要か言語化する経験を十分に持たずに進学しているためである。そして、もう1つは、自分と周囲の受け取る情報量に差がある環境におかれるためである。つまり、常に断片的な情報しか得られないため、自分から発信することができずに受動的な生き方になっていき、ひいては自分の意思を抑圧せざるを得なくなってしまうとのことである。  一方、先行研究を踏まえると、聴覚障害者は、意思の表明に続く手続きである建設的対話を行うにあたっても、課題に直面すると推測される。  この背景にある原因の一つが、聴覚障害によるコミュニケーションの難しさであろう。聴覚障害は一般にコミュニケーション障害と言われており、音声言語によるコ ミュニケーションに一定の困難を抱えている。加えて、日本語の意味論的・語用論的な言語理解を苦手とする側面もある岩田,(2012)。これに対して、建設的対話は、立場や事情の異なる2者が個別具体的事情をすり合わせていくもので、非常に高度なコミュニケーションスキルが要求される。このため、音声日本語によるコミュニケーションに不便さを抱える聴覚障害者が、高度なコミュニケーションを要求される建設的対話を行うという難易度が高い図式となる。  また、鈴木・鈴木(2021)は、現代社会では「合理的配慮について十分に理解されているとは言いがたい現状がある」と指摘している。同時に、一般の学生を対象とした合理的配慮に関する認知の実態調査でも、全体として「合理的配慮は必要」との回答が多かったが、個々の項目では必ずしも必要性が高く認知されていないという“総論賛成各論反対”の結果となったとしている。つまり聴覚障害者が建設的対話を行う場合、相手が必ずしも合理的配慮について理解しているとは限らない環境の中で、自分の立場について理解を求めていかなければいけない難しさがあるものと考えられる。  しかし、この点について、具体的にどのような課題が存在し、どのように課題を解決していくのかについて、網羅的に分析した研究は見当たらない。松﨑(2019)も、建設的対話を行う聴覚障害者に焦点をあてた研究や実践報告は見当たらず、今後研究していく必要があると指摘しており、今後の研究が期待されている状況である。 第4節 意思表明支援をめぐる研究動向  第3節で述べた通り、意思の表明に困難さを抱える聴覚障害学生は多いため、聴覚障害学生の支援実績が比較的長い大学では、合理的配慮の提供とともに、聴覚障害学生の意思の表明を促すためのさまざまな働きかけ、すなわち意思表明支援が実施されてきた(吉川ら,2017)。  例えば大森・河野(2015)によると、障害学生に対する「入学前面談」として、聴覚障害学生の場合、英語や第二外国語などの言語科目の履修におけるヒアリングの扱い等について、すり合わせの場を設けるなど、意思の表明を促す工夫を行っているとのことだった。また、聴覚障害学生に限定せず、広く障害学生支援について述べている桑原・中津・垣内・熊谷(2022)も、「すでに多くの高等教育機関では、(中略)学生自身が主体的に意思表明を実行できるよう導く取り組みが行われている」と指摘しており、例えば東京大学などにその事例があることを紹介している。加えて、生川(2018)も、日本福祉大学における実践として、合理的配慮の提供を求める際に学生が提出する「受講に関わる配慮願い」を、学生支援センターのスタッフの添削を受けながら学生自ら作成していくというサポートを行ったり、「オープンキャンパスにおいて、障害のある生徒のために個別相談会を実施」したりするなど、意思表明支援にも力を入れていることを報告している。これらから、意思表明支援については、さまざまな大学で工夫を凝らした実践がなされていることがうかがえる。また、意思表明支援という言葉は用いていないが、聴覚障害者の就労支援の文脈でも、前田(2021)が自分の聞こえやコミュニケーション方法等についてまとめた「トリセツ」の作成や活用が、本人の自己理解や周囲へ必要な合理的配慮を伝えるにあたって有効であることを指摘している。このように、現在、意思表明支援は、多くの場でその必要性が認められ、実践されている状況にある。  同時に、意思表明支援に関する研究も行われている。例えば吉川ら(2017)は、聴覚障害学生の意思表明支援における支援担当教職員の役割を分析しており、聴覚障害学生の意思の表明を促すポイントを35個の項目にまとめている。具体的には、①聴覚障害学生が入学した直後は、実際に合理的配慮を体験させたり、高校時代の話を聞いたりするなどの積極的な働きかけを行い、聴覚障害学生からのニーズや合理的配慮を受けようとする思いなどを引き出し、②聴覚障害学生の学年や成長に合わせて、あえて働きかけを我慢することで、聴覚障害学生の合理的配慮を受ける当事者としての意識や必要な技術を高めるなどが挙げられる。  さらに、意思の表明の難しさを抱えやすい聴覚障害学生に対して適切な教育的指導や支援を実施するための基礎的知見を得ること(有海・羽田野,2022)を目的に据え、聴覚障害学生の視点から、彼らの支援に対する受け止め方の変遷(吉川, 2017a)や意思の表明に必要なスキルを獲得するプロセス(有海・羽田野,2022)の分析も行われている。その一つである吉川(2017a)は、意思の表明にあたっては「受け身的な生き方から積極的な生き方への転換」が求められ、意思の表明の前に「自らの意思や行動が抑圧されてきたことに気づき、さらに抑圧された意思や行動を言語化する作業を根気よく繰り返して」ようやく意思の表明に至ると指摘している。つまり、聴覚障害学生が意思の表明に至るためには、抑圧された状況から、本人の主体性を回復するプロセスが必要ということである。和田・長谷川(2019)の指摘を踏まえると、このプロセスは、聴覚障害学生が自信を取り戻し、自らの意志に基づき、責任を持って行動できるようになるための時間ととらえられ、意思表明支援は本人の主体性の回復をもたらす役割を有すると言える。  一方、このプロセスと、意思表明支援の役割を踏まえ、松﨑(2019)は、聴覚障害学生のニーズに合わせた意思表明支援や合理的配慮の提供等は、聴覚障害学生にとってのエンパワメントにつながる契機となると指摘している。エンパワメントとは、抑圧されてきた人々自身が、支援者の助けを借りながら、対話と学習を通して自身がおかれている状況を客観化し、自覚し、主体的に変革していく過程である(Freire,1970)。つまり、聴覚障害学生が意思の表明をできるようになっていくプロセスは、聴覚障害学生がエンパワメントしていく具体的な姿の一つととらえることができ、意思表明支援は、合理的配慮の提供等と並び、聴覚障害学生をエンパワメントする役割を有するものととらえることができるだろう。以上を踏まえ、松﨑(2019)は、今後大学等側はエンパワメントの視点で、聴覚障害学生一人一人が各々の水準で自分のおかれている状況を客観化し、自覚し、変革することができるように必要な手立てを明らかにする必要があるとも指摘している。  これらのことから、今後は意思表明支援に関する研究を参考に、聴覚障害者が建設的対話を志向し、そして実践していくようになっていくための支援や、そのプロセスを分析していく必要があると言える。第2節で述べた通り、意思の表明は建設的対話の口火を切る手続きであり、実際に聴覚障害者が合理的配慮の提供を受けるためには、建設的対話が欠かせないからである。しかし研究や実践が盛んな意思表明支援に対し、建設的対話に関する研究や実践報告は、現時点では見当たらなかった。この点については松﨑(2019)も、「こうした問題に関する取り組みは見当たらず、そうした状況下で聴覚障害学生に対してどのように対処したらよいのか事例を集める必要がある」としている。  加えて、支援を検討する以前の問題として、そもそも建設的対話を行うにあたって、聴覚障害者が身につけておくべき力についても明らかにされていない状況にあると言える。先述の通り、意思の表明 については、主体性の回復という内在的な変容に加え、「トリセツ」の作成及び活用に代表されるような、効果的に意思の表明を行う技術の習得が重要とされていた。このことを踏まえると、建設的対話を行うにあたっても、聴覚障害者には何らかの心理的な変容や技術の習得が必要と推測できる。しかし、現時点では、こうした力を分析した研究は見当たらず、今後の研究を待つほかない状況にある。 第5節 エンパワメント研究の歴史と現状  第4節では、意思表明支援のあり方を検討するにあたり、エンパワメントの概念が援用できることが指摘されているが、現時点ではそのような視点で検討された研究は見当たらないことを説明した。そのため、本節では改めてエンパワメントの概念について整理するとともに、それらを援用することで得られる効果等について述べる。 第1項 エンパワメント研究の歴史  エンパワメントは、近年我が国の福祉、医療、教育、経営、社会開発などの幅広い分野で取り上げられている概念である(村上・山本,2014)。このうちソーシャルワークの領域では、1960年代の米国におけるアフリカ系アメリカ人への支援を背景にSolomonによってエンパワメントの概念が導入されている(西梅,2011)。以降エンパワメントの概念は、女性や障害者、少数民族、AIDS患者など社会的弱者として差別されている人々へのソーシャルワーク実践方法として発展してきた(村上・山本,2014)。教育や保健・医療の分野でもエンパワメントは取り上げられてきており(村上・山本,2014)、高橋・金澤(2010)が途上国のろう者のエンパワメントに必要な視点を検討しているなど、数は少ないが聴覚障害者のエンパワメントに関する研究も存在している。 第2項 エンパワメントの概念の概説  このように福祉や教育など、専門家による支援や指導が注目される分野でよく取り上げられるエンパワメントだが、西梅(2011)はエンパワメントとは「利用者の主体性を強調した過程概念」であり、ソーシャルワーカーの役割は利用者主導の実践を側面的に支援することであると指摘している。このため、エンパワメントの取り組みにおいては、たとえソーシャルワーカー等の専門家の支援を活用したとしても、それを活用して個人がどのように主体性を回復していくのかが焦点となり、当該個人目線でそのプロセスを描くことが重要になる。実際に、大木・星(2004)は、専門家による支援や指導は個人のエンパワメントを促進する一要素に過ぎないとする結果を示している。加えて、個人のエンパワメントを促進する基本となる体験として、当事者同士の出会いによる「わかちあい」があることも指摘されており(大木・星,2004)、他の当事者との出会いなど、専門家による支援に限定されないさまざまな要素によって、個人がエンパワメントしていくことが明らかにされている。 第3項 エンパワメントプロセスの研究  また、エンパワメントを取り上げた研究の中には、個人がエンパワメントされていくプロセスに焦点をあてたものがある。例えば肺がん患者のエンパワメントプロセスを分析した高橋・稲吉(2011)や、炎症性腸疾患患者によるセルフヘルプ・グループにおける参加者のエンパワメントプロセスを分析した大木・星(2004)などである。他には、橋本・岡田・白澤(2008)がエンパワメントプロセスのうち、特に対象者がエンパワメントされたきっかけに焦点をあてて、自立生活を送る重度障害者のエンパワメントプロセスを分析している。  当然、これらの研究で明らかとなったプロセスは1つ1つ異なるものである。しかし、たとえ対象者の属性が異なっていたとしても、そのプロセスには共通の要素が存在することが示唆されている(北野2015)。例えば、橋本ら(2008)は、エンパワメントプロセスの最初の段階として、重度障害者がこれまで当たり前だと思っていた「介助関係」、すなわち自分では何もできず一方的に世話をされる 存在である という認識が覆される経験をすることで、「他者に依存することによる自立」、すなわち主体的に支援を活用して生きていくことも自立の一つの形であるという考えや、支援者と対等な介助関係という新しい価値を獲得していく過程があることを指摘している。また、大木・星(2004)の分析においても、孤立しがちな炎症性腸疾患の患者が患者会という当事者が集まる場に参加することでエンパワメントされていく過程が示されている。ここでは、炎症性腸疾患の症状が排泄にまつわるものが多いため、病気について語ることが憚られがちであること、加えて、病は自分一人の体験でしかないことから、診断を受けて間もない段階では、孤独や孤立感、不安を抱えがちであることが述べられている。しかし、患者会で自分以外の当事者と出会い、話す経験を通して、孤独から解放されるようになるとともに、自分の状況を相対化してとらえる視点を獲得すると指摘されている。  このように、橋本ら(2008)と大木・星(2004)は、それぞれ異なる属性の対象者のエンパワメントプロセスを分析している。しかし、どちらもエンパワメントプロセスの最初の段階で、諦めていた、或いは孤独で不安だった対象者が、何らかの新たな価値観を獲得している点で共通している。このため北野(2015)は、こうした共通の要素を含んだエンパワメントプロセスの一般化を目指し、以下の4つの目標に整理している。 目標1:本人が、どうせ私は障害者だからと、諦めさせられている希望・社会参加などを自覚し、明確にする 目標2:上記の心理的・組織的・社会的・経済的・法的・政治的阻害要因と対決して、問題を解決する力を高める 目標3:必要な支援(ICFの促進的環境要因)を活用する力を高める 目標4:自分の弱さ・恐れ等を他者に投射することなく受け入れ、自分も他者も抑圧しないあり方を創出する  このうち、目標2は専門家等の力も借りつつ、少しずつICFにおける阻害要因と対決し、問題を解決する力を高められるようになることとされている。一方、目標3は、ICFの促進的環境要因、つまり専門家や周囲の協力してくれる人々、或いは合理的配慮といった法制化された制度等を使いこなして、自らが主体となって問題を解決できるようになることとされている。 第4項 エンパワメントプロセス研究の活用  前述したエンパワメントプロセスの研究では、対象者がエンパワメントされたきっかけとして、患者会への参加やそこでの当事者とのやり取り(大木・星,2004)、「あたりまえのように健常者の人を自分の手と足のように使って」生活している重度障害者の存在を知ること(橋本ら, 2008)などを挙げている。逆に言うと、適切なタイミングでこのような機会を得られれば、対象者のエンパワメントに繋がっていく可能性があることを示唆するものであり、明らかとなったエンパワメントプロセスを基に、エンパワメントを促進していくための支援のあり方や当事者自身による工夫等を考察していくことが可能であることを示していると言える。実際に大木・星(2004)や高橋・稲吉(2011)は、エンパワメントプロセスの分析から、それぞれ看護や支援のあり方を検討し、有益な知見を提供している。さらに、エンパワメントプロセスの分析は、対象者を理解する基礎資料となったり(辻・大西,2012)、対象者と同じ属性を有する者がエンパワメントする際の有力なモデル(中井・佐々木・山内,2012)となったりすることも期待されている。  以上を踏まえると、聴覚障害学生が建設的対話を志向し、実践していくようになるプロセスを分析することは、支援のあり方を検討する上でも、また聴覚障害者が努力したり工夫したりすべき事柄を明らかにする上でも有効と言える。また、この分析では、エンパワメントの概念を援用して考察することができると考えられ、これにより、上記プロセスならびに援助方法がより詳細に明らかにできるものと考えられよう。 第2章 問題の所在  以上で見てきた通り、聴覚障害者の建設的対話をめぐっては、聴覚障害者が建設的対話をできるようになっていくための支援の必要性が指摘されているものの、具体的な方法については明らかにされていないことがわかった。また、そもそも建設的対話を行うにあたって、聴覚障害者自身が身につけていくべき力についても明らかにされていなかった。  加えて、建設的対話のきっかけとなる意思の表明を行うことの難しさから、これまでは意思の表明に研究や実践の焦点があてられる傾向にあった。しかし、聴覚障害者が合理的配慮の提供を求められるようになるためには、意思の表明に続く建設的対話の力を養っていくことも重要であり、今後は意思表明支援に限定するのではなく、意思の表明も含めて、聴覚障害者が適切に建設的対話を行えるようになっていくための支援のあり方を明らかにする必要があると考えられた。  また、先行研究では意思表明支援の基礎的知見を得るために、聴覚障害者が意思の表明を志向し、実践していくようになっていくプロセスが分析されてきた。このプロセスはエンパワメントプロセスの一つととらえることができ、エンパワメントの概念を援用することで、これらのプロセスをより詳細にとらえるとともに、対象者のエンパワメントに向けて、どのような支援が必要なのか、また、聴覚障害者自身はどのような努力や工夫を重ねていく必要があるのかを考察することができる可能性が示唆された。 第3章 本研究の目的  第2章までに述べてきた点を踏まえ、本研究では、聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスについて、エンパワメントの概念も援用しながら明らかにするとともに、適切に建設的対話を行えるようになるために、聴覚障害者自身はどのような努力や工夫を重ねていくことが必要なのか、また支援者はどのような支援を行っていくことが必要なのか、それぞれ明らかにすることを目的とする。  ただし、上記のプロセスを分析するにあたっては、プロセスの最終段階であると考えられる「聴覚障害者が、適切に建設的対話ができている状態」とはどのような状態なのか、そしてそのために、聴覚障害者はどのような力を身につけなければならないのかについて、明らかにしていく必要があるだろう。  そのため、本研究では、まず最初に、建設的対話を行うために、聴覚障害者が身につけていくべき力を明らかにする。  その後、意思の表明が難しかった状態から、建設的対話を志向し、そして実践していく過程で、聴覚障害者自身がどのような努力や工夫を重ね、どう変化してきたのか、またその過程でどんな支援を活用してきたのかを明らかにし、これらをもって、聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスの解明に繋げる。  このことは、合理的配慮の提供を求めることに難しさを感じている聴覚障害者やその支援者に対して、有力なモデルケースを提供することにも繋がるものであり、合理的配慮の提供手続きに臨む聴覚障害者への知見の提供や、今後の支援に関する研究の発展に、寄与できるものと考えられる。 第4章 本研究の構成  本研究は全部で7章から構成される。このうち第4章までが序論であり、第5章が第一研究、第6章が第二研究、第7章が総合考察である。  まず、第1章及び第2章では、序論として本研究の背景及び問題の所在を述べた。ここでは、聴覚障害者の建設的対話をめぐっては、意思の表明と同様に困難を示すことが多く、支援の必要性が指摘されているが、現時点では、その具体的方法はおろか、建設的対話を行っていくために、身につけるべき力についても明らかにされていない状況を指摘した。加えて、先行研究を踏まえると、聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスを分析し、エンパワメントの概念も援用して考察することは、必要な支援や聴覚障害者がすべき努力や工夫などの検討に有力な方法であることも指摘した。これらを踏まえ、第3章及び第4章で、本研究の目的及び構成について説明した。  次に第5章では、第一研究として、「聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセス」の最終的な目標像を明確にするために、建設的対話を行うにあたって聴覚障害者が身につけていくべき力を明らかにした。ここでは、4名の聴覚障害者にインタビュー調査を行い、得られた語りをKJ法で分析したところ、大別すると2つの心構えと3つの技術が得られた。  こうした第一研究を踏まえて、第二研究として、第6章では、第5章で明らかにした「適切に建設的対話ができる状態」へ到達していくプロセスとして、聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスを明らかにした。ここでは、11名の聴覚障害者にインタビュー調査を行い、得られた語りをM-GTAで分析した。分析の結果、聴覚障害者が、「聞こえない自分が悪い」などと自分を否定してしまっていた状態から、信頼できる人との出会いを経て、少しずつ建設的対話等ができるようになっていくプロセスを説明する結果図やストーリーラインが生成され、第一研究で得られた心構えや技術を習得していくプロセスについても明らかになった。さらに、得られたプロセスを、エンパワメントの概念を援用して考察することで、聴覚障害者が課題を乗り越え、次のステップへ進んでいくために、特に重要となるポイントが3つあることが導かれた。 最後に総合考察として、第7章では、第一研究及び第二研究で得られた成果について概観し、これらを総合的に考察することで、適切に建設的対話を行えるようになるために、聴覚障害者及び支援者が特にすべきことについての提言を行うとともに、今後研究的に取り組むべき課題について述べた。  本研究の構成を図4-1に示す。 図4-1 本研究の構成 第1章 研究の背景 ・聴覚障害者の建設的対話に関する研究の現状 ・エンパワメントの概念を援用した支援方法等検討の可能性 第2章 問題の所在 第3章 本研究の目的 第4章 本研究の構成 第5章 第一研究 目的:建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力を明らかにする。 方法:聴覚障害者4名へのインタビュー調査、得られた語りのKJ法による分析。 結果:聴覚障害者が適切に建設的対話を行うために習得すべき2つの心構えと3つの技術を明らかにした。 第6章 第二研究 目的:聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスを明らかにする。 方法:聴覚障害者11名へのインタビュー調査、得られた語りのM-GTAによる分析。 結果:聴覚障害者が、「聞こえない自分が悪い」などと自分を否定してしまっていた状態から、信頼できる人との出会いを経て、少しずつ建設的対話等ができるようになっていくプロセスを説明する結果図やストーリーラインを生成した。 第7章 総合考察 ・第一研究及び第二研究で得られた成果についてのまとめ ・適切に建設的対話を行えるようになるために、聴覚障害者及び支援者がすべきこと(努力や工夫、支援など)についての提言 ・本研究の限界と今後の課題 第5章 第一研究 第1節 目的  第一研究では、聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスの分析に向けて、その最終的な目標像の明確化に繋がる、建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力を明らかにすることを目的とする。 第2節 方法 第1項 調査概要 1.調査協力者  合理的配慮の提供を求めるために建設的対話を行うことは、あらゆる聴覚障害者にとって重要であると考えられる。そのため、第一研究では、聴力やコミュニケーション方法で調査協力者を限定せず、これらに偏りが生じないように幅広い方々に研究協力を依頼することとした。加えて、建設的対話について、経験に基づいた深い語りを得るために、より多くの建設的対話の経験を積み重ねてきた方を対象とした。このため、調査協力者は自律的に社会生活を営んでいる方々に限定し、日本語の理解に困難がある方や社会的活動への参加にあたって支援が必要な方は、調査協力者から除外するものとした。  これらの条件を踏まえた上で、第一研究では、日頃からさまざまな聴者と関わりがあり、聴者の事情を鑑みながら建設的対話を行う機会が多いと考えられる、聴覚障害教員を中心に、調査を依頼したいと考えた。そのため、最初に聴覚障害教員に調査を依頼し、また、ご協力いただいた方に、第一研究の調査協力者として適当と考えられる聴覚障害者をご紹介いただき、その方にも調査を依頼した。依頼にあたっては、調査概要の説明を行い、研究の目的に同意していただけた方にご協力いただいた。  以下に、調査協力者の属性について示す(表5-1参照)。 表5-1 調査協力者リスト  なお、上記に示した方法により、4名の調査協力者を求めたところ、結果的に今回の調査協力者は、4名とも聴覚特別支援学校や小学校及び大学に勤める教員となった。また幼児期を除き、全員地域の学校で通常の学級に在籍しており、聴覚特別支援学校への在籍経験を持たない者となったため、結果に一定の偏りが生じることが推測された。  ただし、聴覚障害教員は、児童生徒学生の見本となるべき立場として、建設的対話のあり方を深く理解しようと努め、日頃から実践しているものと考えられた。また、通常の学級に在籍していた者は、聴覚特別支援学校に在籍していた者と比較して、聴者とのコミュニケーション機会が多く、聴覚障害に対する理解についても必ずしも深いとは限らない環境にいることが多いと考えられ、効果的な建設的対話に向けて苦労しながらもさまざまな努力を重ねてきたと推測された。このため、このような属性を有する調査協力者4名からは、建設的対話の理想的なあり方や、そのために必要な技術等に関する、経験に基づいた深い語りが得られると期待できた。  逆に、これらの偏りにより、いわゆる「好事例」のみを取り上げることになり、それ以外のバリエーションについては、十分拾いきれない可能性があると考えられた。しかし、ここで行う「身につけていくべき力」の分析は、建設的対話を志向・実践していくプロセスの最終的な目標像を明確にし、その後のプロセスの分析に資することを目的に実施されるものとなっており、それ自体が最終的な目的になるものではない。また、目指すべき目標像としては、好事例から得られた語りが、有力な手がかりとなるであろう。  このため、調査協力者に一定の偏りはあるものの、第一研究の目的を達成する上では、十分な材料が得られると判断し、他の職業に就業する聴覚障害者や、聴覚特別支援学校への在籍経験を持つ聴覚障害者への追加調査は実施しなかった。なお、このことによる研究の限界については、第7章にて示すこととする。 2.データ収集方法  調査は調査協力者ごとに個別に実施した。調査の形式は半構造化面接であり、より詳細な語りを引き出すため、調査に先立ってロールプレイを実施する形式とした。具体的には、最初にある建設的対話の場面を提示し、調査協力者にロールプレイとして模擬的に建設的対話を行っていただいた。その後、ロールプレイの際にみられた手法や発言等を手掛かりに、半構造化面接を行い、データ収集を行った。詳細な方法は以下の通りである。 ①ロールプレイの実施  第一研究においては、調査協力者が建設的対話を行うにあたって重要視している力について、詳細な語りを得る必要があった。しかし、この力は非常に抽象的なものであり、調査協力者に言語化して語っていただくためには、何らかの工夫が必要と考えられた。これに関して、中井(2017)は、最初に調査協力者にロールプレイを行っていただくことで、その際にみられた手法や発言等を手掛かりに、その後のインタビュー調査で調査協力者の詳細な語りを引き出していた。そのため、中井(2017)の手法を参考に、第一研究においても最初にロールプレイとして実際に建設的対話を行っていただくことにした。  ロールプレイにおいては、情報保障がない研修会に参加するという場面において、研修会の主催者を相手に、意思の表明及び建設的対話を行い、『必要な合理的配慮が確かに提供される』という合意へと導くよう依頼した。場面説明においては、下記の資料を提示し、説明を行った(図5-1、図5-2、図5-3参照)。  具体的なロールプレイの条件設定としては、まず研修会主催の母体となる団体として、調査協力者にとって比較的イメージが容易な、学校教員らによって構成された「○○ダイバーシティ教育研究会」という架空の研究会を設定した。この研究会については、会員約300名、年会費5000円で、さまざまな活動を行っている設定とし、また調査協力者自身がこの研究会の会員である設定とした。加えて、本ロールプレイにおいて実際に参加を希望することとなる研修会を主催するのは、「多様な性の在り方を考える会」という、この研究会の下位組織の一つであるという設定とした。これらの設定により、手話通訳やパソコンノートテイク(以下、PCテイクとする。)など、準備が大掛かりになりがちな合理的配慮について、研修会主催者だけでは提供が困難だが、研究会の力を借りれば提供が可能な状態を作り、調査協力者が研究会の存在も視野に入れた交渉を行うことを可能にしていた。  また、研修会は、約60名の参加者が講師の話を聞く形式で実施され、スマートフォンや携帯電話の禁止等のルールがあるという設定とした。これにより、例えば「人が多いため、座席によっては講師と自分の距離が遠く、聞き取れないかもしれない」、「スマートフォンの音声認識アプリを使いたいが、使用禁止のルールがあるので、事前に話をしておこう」といったように、調査協力者が、自身が直面する社会的障壁や必要な合理的配慮を予想して建設的対話に臨むことができるようにした。  なお、研修会の主催者役は共同研究者に依頼した。研修会の主催者の設定について、例えば調査協力者が「手話通訳をお願いします」と言った際に、研修会の主催者が「承知しました。」といったように、調査協力者からの要望に対し、研修会の主催者がすぐに承諾してしまうと、この時点で合意に至ってしまい、調査協力者の手法や発言等を引き出すことが難しいと推測される。そのため、研修会の主催者は、調査協力者の要望に対して戸惑う対応をする設定とし、要望がなかなか認められない困難な状況から、どう合意を導くのかを観察できるようにした。 ②半構造化面接の実施  ①の要領でロールプレイを行った後、半構造化面接を実施した。ここでは、ロールプレイにおいて研修会の主催者役を依頼した共同研究者には退席いただき、調査協力者と研究者の1対1で個別にインタビューを行った。  インタビューの内容は、まずロールプレイの内容を踏まえて「今回の建設的対話のロールプレイを行うにあたって大切にしていた内容」や「その理由」などについて尋ねた。その後、「職場や私生活において、建設的対話を行うにあたって大切にしている内容」や「そう考えるきっかけとなったエピソード」を中心に自由に語っていただく形式とした。その際、さらに詳しく聞きたいポイントにおいては、必要に応じてロールプレイの際に調査協力者が行った手法や発言等を取り上げつつ、インタビューガイドに基づき追加の質問を行った。  インタビューの方法は、Zoomを使用した遠隔調査または貸会議室での対面調査であり、調査協力者が希望する方法で実施した。調査時間は、研究の説明及びロールプレイの実施を含めて1時間30分を設定し、調査協力者の同意を得た上で、ビデオカメラ又はZoomの録画機能を用いて動画データを記録した。4名の合計調査(ロールプレイ及び半構造化面接)時間は350分であり、平均87.5分であった。 図5-1 ロールプレイの条件設定研究会の設定 図5-2 ロールプレイの条件設定(研修会の設定) 図5-3 ロールプレイの条件設定(研修会のルール) 3.調査期間  調査実施期間は2022年1月から3月までの3ヶ月間であった。 4.倫理的配慮  実施にあたっては、データ管理方法、個人情報の取り扱い、インタビューガイド等について、所属機関の研究倫理委員会における承認(承認番号:2021-15) を得るとともに、調査協力者に対して書面で研究参加の同意を得た。 第2項 分析方法―KJ法― 1.分析方法の選択  分析は、KJ法を用いた。KJ法とは、質的データをまとめて、新しい知見を発見していく手法として、文化人類学者の川喜田 二郎によって開発された質的研究法である(サトウ・春日・神崎, 2019)。  KJ法は、特に仮説の生成に威力を発揮する手法である(田中, 2010)。田中(2010)によると、KJ法は、質的データの情報量が膨大で混沌としている場合でも、質的データの情報を図解という形で簡潔かつビジュアルな形に圧縮することができ、またデータのグループ分け、図解、叙述化のプロセスで、研究者が主観を積極的に活用することで新たな発想や仮説を生み出すことができる手法であるとされている。すなわち、KJ法は得られた質的データを単純にグループ分けすることが目的の手法ではなく、その手続きから新たな意味や隠れた意味を見いだし、図解という形で表す手法である点に特徴がある。  第一研究において、KJ法が分析方法として適切であると判断した理由は以下の通りである。  第一研究において明らかにする建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力は、第1章で述べた通り、その詳細が明らかにされておらず、有力な仮説も存在しない。そのため、仮説検証型の研究は難しく、まず有力な仮説を生成する必要があり、質的研究法による分析が必要と判断した。  加えて、個々の聴覚障害者は多様な存在であり、一人一人直面する社会的障壁や必要な合理的配慮が異なる。このため、建設的対話の内容は異なり、インタビュー調査によって得られる質的データも多様なものになると予想された。そのため、多様な質的データをまとめて、新しい知見が得られる、すなわち一般的な建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力についての有力な仮説を生成できる手法であるKJ法を選択した。 2.分析手順  個々のインタビュー調査を終えた後、インタビュー調査の逐語録の作成を行い、すべてのインタビュー調査を終えた後、分析を開始した。  逐語録の作成は、前半のロールプレイ、後半の半構造化面接それぞれに対して行った。このうち、手話でお話しいただいた調査協力者の逐語録の作成に関しては、手話を日本語に翻訳した逐語録を作成した後、当該調査協力者に内容の確認を依頼することで、逐語録の信頼性を確保した。  分析では、まず作成した逐語録を繰り返し読み、建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力を語っている内容であると研究者が判断した内容について、付箋に書き出しラベルを生成した。ラベルの生成が一通り完了した後、内容的に類似したラベルをひとまとめにして、そのグループを代表する名前をつけた。一通りグループ分けが終わると、さらにこれらのグループをまとめ、新たなグループを生成した。「最終的に7個程度のグループができれば、この作業は終了する」としたサトウら(2019)の記述を参考に、最終的に5個のグループに分かれるまで、このグループ分け作業を繰り返した。その後、生成した5個のグループを模造紙上に配置し、図解化を行った。 第3節 結果  本節では、建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力について、KJ法による分析で得られた結果について述べる。 第1項 分析結果  調査に先立ちロールプレイを実施した結果、単に必要な合理的配慮を要請するのみでなく、研修会の主催者に対して気遣うような発言を行ったり、代替案を複数提示していったりするなど、調査協力者のさまざまな手法や発言等が確認された。このようなロールプレイの内容を踏まえて半構造化面接を行った結果、建設的対話を行う際の具体的な技術や必要な心構え、ロールプレイ場面以外のさまざまなケースにおけるエピソードなど、多彩な語りを得られた。以上を踏まえ、半構造化面接で得られたデータについて、KJ法により分析した。  一般には、KJ法により生成されたグループを、その階層から大カテゴリー、小カテゴリーなどと呼称することが多いが、第一研究では分析の結果、グループの階層が最大で7階層となった。そのため、第一研究では、最終的に生成された最も階層が高いグループをLv1グループと示し、Lv1グループを構成する下位グループをLv2グループ、それを構成する下位グループをLv3グループといったように、グループの階層をLv数で表記した。  分析の結果、逐語録から595個のラベルが得られた。そのラベルの類似性からグループ分けを行い、さらに得られたグループとグループ分けの際に余ったラベルからグループ分けを行う作業を繰り返した結果、最終的にLv1グループが5個、Lv2グループが17個、Lv3グループが43個、Lv4グループが80個、Lv5グループが63個、Lv6グループが5個、Lv7グループが5個得られた。  得られたLv1グループは、建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力として、技術習得の基盤となる「心構え」に関する内容と、建設的対話を効果的に進めるための「技術」に関する内容の2つに大別できた。以下、各Lv1グループの内容について記す。なお、説明内の【】はグループ名を示している。  まず、「心構え」としては、A・B2つのLv1グループに大別できた。心構えAは、【過去の経験の活用意識】であり、「過去の経験から知識や技術を見いだし、次の建設的対話に活用していく」意識を持つことの重要性を示す118個のラベルが分類された。一方、心構えBは、【障害者と事業者等による合理的配慮の協働検討意識】であり、「合理的配慮は双方の個別具体的事情を踏まえ、お互いが合意し、協働して作り上げていくものである」とする意識や、そのために必要と考えられる事項に関する71個のラベルを分類することができた。  次に「技術」は、A・B・C3つのLv1グループに大別できた。このうち、技術Aは、【相手の協力を引き出す技術】であり、相手を尊重し、相手と協働できる関係性を築いていく技術を示す220個のラベルが分類された。技術Bは、【自分のことを相手に伝える技術】であり、自分に必要な合理的配慮を確実に相手に伝え、提供されるようにしていく技術を示す144個のラベルが分類された。技術Cは、【技術A・Bの高度融合技術】であり、相手に十分に配慮しつつ、自分にとって必要な合理的配慮の提供を求める手法で交渉に臨む技術を示す42個のラベルが分類された。  表5-2に各Lv1グループの名称と、それぞれに含まれるLv2以下のグループ数及びラベル数を示した。 表5-2 得られたLv1グループ  なお、調査の結果、調査協力者4名は、法律で記された合理的配慮の提供を求める行為は、法律の範疇を超えたさまざまな支援を求める行為の一部ととらえていることがうかがえた。そのため、第一研究では調査協力者のとらえ方を忠実に表現すべく、「支援」と「合理的配慮」という用語を使い分けて用いることとした。以下、これらの定義について示す。 ・支援  筆談やコミュニケーション 上 の配慮など、 聴覚障害者に対するさまざまなサポートのことを示す。ただし、文脈によっては聴覚障害者が他者に対して行うサポートも含む。 ・合理的配慮  各種支援のうち、障害者差別解消法に基づき、事業者等によって提供される、社会的障壁を除去するための手段を指す。 第2項 各心構え・技術の説明  本項では、各心構え・技術についての詳細な分析結果について述べる。 本項において、グループ名は【】、調査協力者の具体的な発言は「」で示す。 1.心構えA【過去の経験の活用意識】  建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力を尋ねた結果、特に心構えA【過去の経験の活用意識】、すなわち過去の経験から知識や技術を見いだし、次の建設的対話に活用していく意識を持つことに関して、表5-3のような回答が得られた。  ここに示す通り、調査協力者の回答は2つのLv2グループに分類された。 ①【過去の経験を合理的配慮申請に活用する】  まず、4名の調査協力者全員から、【過去の経験を合理的配慮申請に活用する】、すなわち自分が困ってしまった状況など、過去の経験を踏まえて、合理的配慮の提供を求めるべき場面や適切な交渉方法を見いだしていくことが重要であり、自身も実践してきたとの語りが得られた(ラベル数100個)。  このうち、最も多くの語りが得られたのは、【合理的配慮申請に伴う注意点発見へ活用する】というものであった(ラベル数56個)。ここでは、【相手が合理的配慮についてイメージできていない状態で交渉すると失敗する】(ラベル数10個)など、合理的配慮の前提となる支援手段や依頼内容について、十分な理解をうながすことが重要とする考えや、【自分が支援申請することは、相手や他の人にとっても役に立つものととらえる】(ラベル数7個)、【今後の関係性は不透明なので、高圧的な言い方はすべきでない】(ラベル数2個)といった建設的対話場面で留意すべき基本的な注意点が語られていた。加えて、【他者と交流して、力を高めていくことが必要】(ラベル数24個)等、対話場面のみではなく、普段から支援に関する知識やノウハウを吸収していくことが重要とする語りも得られた。  また、過去の経験については、【合理的配慮申請を行う場面や相手像のイメージへ活用する】(ラベル数8個)ことも重要と語られていた。その他、【過去の合理的配慮申請経験を、必要な合理的配慮申請知識・技術習得へ活用する】(ラベル数24個)、【過去の困り経験を、合理的配慮の提供を求めるべき場面判断へ活用する】(ラベル数12個)など、これまでの経験をもとに、どのような形で対話を進めればよいのか、どういった場面で自分に支援が必要になるのかを考え、より効果的な対話へと発展させていることがうかがえた。 ②【活用できる経験を作り出す】  一方、ラベル数こそ18個と決して多くはないが、3名の調査協力者から、先述したような経験を自ら作り出していくことが重要であり、そのようにしてきたとする語りが得られ、これらを【活用できる経験を作り出す】に分類した。  具体的には、【支援を求める経験をどんどん積み重ね、新たな知見・教訓を得ていく】(ラベル数10個)ことが重要とのことであり、「どんな失敗も次への糧になる、何らかの教訓をもたらしてくれる」、「配慮を求めずに参加して、失敗したというのも一つの失敗経験になる」など、【チャレンジしたら、成否にかかわらず何らかの知見、教訓を得られる】(ラベル数4個)に分類される前向きな発言も得られた。加えて、ただ経験を積み重ねるだけでなく、【自分が行った対話について内省し、自分が行った対話を今後の支援申請に生かしていく】(ラベル数8個)ことも重要であると語られており、失敗を恐れず積極的に支援を求めるとともに、そこから得られた教訓を今後に生かそうと内省していく調査協力者の姿が明らかになった。 表5-3 心構えA【過去の経験の活用意識】の構成 2.心構えB【障害者と事業者等による合理的配慮の協働検討意識】  建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力を尋ねた結果、特に心構えB【障害者と事業者等による合理的配慮の協働検討意識】、すなわち「合理的配慮は双方の個別具体的事情を踏まえ、お互いが合意し、協働して作り上げていくものである」とする意識や、そのために必要と考えられる事項に関して、表5-4のような回答が得られた。  ここで示す通り、調査協力者の回答は8つのLv2グループに分類された。 ①合理的配慮のあるべき形として重要な意識  まず、1名の調査協力者から、合理的配慮は【両者が協働して作り上げる】(ラベル数13個)ものであり、【双方の個別具体的事情を踏まえる】(ラベル数2個)ことが重要ととらえ、この考えに則って建設的対話を行ってきたとの語りが得られた。  このうち、【両者が協働して作り上げる】に関しては 、「合理的配慮は人と人とが一緒になって作り上げるもの」、「建設的とつくのは、合理的配慮はお互いに納得できるよう交渉して合意するものだから」との語りが得られた。また、【双方の個別具体的事情を踏まえる】に関しては、「合理的配慮は個別具体的事情の中で必要かつ適切な配慮を考えていくこと」であり、「今回の対話でも、個別具体的事情を考えていった」との発言が得られた。これらは、1名の調査協力者による発言ではあるが、合理的配慮のあるべき形について明確な考えを持ち、それに則って建設的対話を行うことが、重要ととらえられていることがうかがえた。 ②合理的配慮のあるべき形を実現するために必要な意識  また 、①で述べた調査協力者を中心に、他の調査協力者からも、上述した合理的配慮のあるべき形を実現するためには、【(対話の)方法を工夫する】(ラベル数5個)ことや【自分も相手も育てていく】(ラベル数21個)こと、【どんな状況でも相手を尊重する】(ラベル数8個)ことなど、意識すべき事項が6つ挙げられており、自身もこれらを心掛けてきたと語られていた。  その中でも、【方法を工夫する】に関する発言は5個と少なかったが、「(求める支援の)内容というよりはやり方が大切」、「(支援の)内容も大事だが、それを伝えてわかってもらう人間関係が必要」などと、ただニーズを伝えるのではなく、相手に伝わるよう工夫することが重要ととらえられていた。  6つの事項のうち、最も多くの語りが得られた【自分も相手も育てていく】については、「実際に合理的配慮として、相手が提供できるかどうかはまちまち」、「相手が方法は知らないが積極的な(姿勢を持っている)場合、もっとできるよう育ててあげた方がいい」、「この会は(マイノリティーに対する支援をテーマとしている団体なので)情報保障をつける力を身に付ける必要がある」等、相手である事業者等や実際の対話相手が、合理的配慮を提供する力を高めていくことや、そのためにサポートしてあげることの重要性について語られていた。 表5-4 心構えB【障害者と事業者等による合理的配慮の協働検討意識】の構成 3.技術A【相手の協力を引き出す技術】  建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力を尋ねた結果、特に技術A【相手の協力を引き出す技術】、すなわち相手を尊重し、相手と協働できる関係性を築いていく技術に関して、表5-5のような回答が得られた。  ここに示す通り、調査協力者の回答は3つのLv2グループに分類された。 ①【建設的対話を行う条件整備をする】  ラベル数こそ220個中15個と少ないが、まずは【建設的対話を行う条件整備をする】、すなわち相手が建設的対話を行えるようになるよう、条件を整えていくことが重要であり、自身も実践してきたと語られていた。  表5-5の通り、条件整備のために必要な技術は大きく3つ語られていたが、その中で最も多くの語りが得られたのは、【対話相手(個人)とではなく、相手組織と交渉できるよう工夫する】(ラベル数7個)という技術に関するものであった。ここでは、「『代表者や事務局に聞いてみてもいいですか? 』と提案する」、「『 上の人に聞きましょうか? 』と提案すると、主催者の反応が変わる場合がある」等、対話相手個人とではなく、相手組織との交渉を持ち掛けることで、実際に交渉が上手く進んだとする経験談等が語られていた。これらから調査協力者は、建設的対話においては、個人との対話では上手く合意に至れない恐れがあることに気づき、事業者等と対話するための技術を見いだしてきたことがうかがえた。 ②【相手の情報を引き出す】  【相手の情報を引き出す】ことの重要性やそのための技術に関するラベルは76個得られた。  調査協力者からは、「相手を知る中で、『お互いに結びつくもの』『対話の中身となるもの』が見つかる」等の発言が得られており、相手の事情を伺う中で、自分のニーズと事業者等側の事情が上手く一致する方法を探したり、合理的配慮の提供を実現するために検討すべき事項等を見つけたりすることが重要と考えられていた。  また、具体的な技術に関する語りは3つのLv3グループに分類されたが、この中で最も多く語られていたのは、【対話相手の情報を把握する】(ラベル数56個)というものであった。  これに関しては、対話相手について把握すべき情報や、把握するための方法についてのさまざまな語りが得られたが、特に【非言語情報を収集、活用する】(ラベル数19個)と【発言に込められた相手の状況を把握する】(ラベル数21個)に多くの語りが集中していた。  このうち、【非言語情報を収集、活用する】に関しては、「違和感を示す反応は、非言語での反応の方が多い」、「困っている表情は、(事業者側がどのようにして支援を提供すればいいかわからないなど、何らかの)ニーズを持っているという意味である」など、【相手の感情(困っている等)は非言語情報顔の表情等として表れる】(ラベル数4個)とされていた。そして、こうした情報を活用して、「説明に対し、迷惑そうな顔等なら、別の交渉の進め方をする必要がある」、「説明に対し、『嬉しい』『自分が上手く対応できておらず申し訳ない』という顔なら、交渉が進めやすい」といったように、【自分が提案・説明した際の相手の表情から次の交渉の進め方を考える】(ラベル数6個)ことなどが重要と語られていた。  また【発言に込められた相手の状況を把握する】に関しては、例えば「『研究会の判断です』という返事があっても、嘘かもしれない」、「主催者も本当にわからず、とりあえず難しいと言っている場合もある」など、【対話相手の発言が、本心であるかどうか慎重に見極める】ことの重要性を示したラベルが得られた(ラベル数4個)。さらに、例えば相手は予算が厳しい、聴覚障害者への支援を知らないのかもしれないと、【対話相手や相手組織に、何らかの問題が発生しているから断っているかもしれないと考える】(ラベル数11個)といったように、【対話相手に合理的配慮や交渉について難色を示されても、冷静に対話相手の事情を確認する】(ラベル数17個)ことの重要性を示すラベルも得られた。  これらの技術に関する語りから、調査協力者は、音声によるコミュニケーションには困難さがありながらも、自分が入手できる情報や自分の想像力を最大限に活用した技術を開発することで、巧みに相手の情報を引き出してきたことがうかがえた。 ③【「合理的配慮を提供しよう」感を引き出す交渉をする】  建設的対話を行う条件を整備し(【建設的対話を行う条件整備をする】)、相手の情報を引き出した後(【相手の情報を引き出す】)、最後に、【「合理的配慮を提供しよう」感を引き出す交渉をする】、すなわち、相手が「合理的配慮を提供しよう」と考えるようになるように、工夫をして交渉を進めていくことが重要であり、自身も実践してきたとする回答が129個見受けられた。  これは、【相手の反応を踏まえて交渉を進める】(ラベル数17個)、【対話相手が対話しやすい雰囲気を作る】(ラベル数31個)、【相手の合理的配慮の提供に対する使命感を引き出す交渉をする】(ラベル数5個)、【提案する支援方法に関する相手側のメリットを説明する】(ラベル数3個)、【相手の合理的配慮の提供に対する負担感を軽減する交渉をする】(ラベル数47個)、【相手の合理的配慮の提供に対する達成感・充実感を引き出す交渉をする】(ラベル数26個)といったLv3グループに分類でき、これらの技術が重要であり、自身も実践してきたとのことだった。  このうち、【対話相手が対話しやすい雰囲気を作る】については、特に【対話相手を嫌な気持ちにさせない話し方をする】(ラベル数20個)という技術に関する語りが多く得られた。ここでは、「『おたくダイバーシティやってるんでしょ?』みたいな言い方はしたくない」など、高圧的で、相手の主義を用いて責めるような言い方はすべきでなく、自分もそうしてしまわないよう注意しているといった発言が得られた。他に、「相手が断りたくて断っているわけではないことは自分もわかっていると伝える」など、【断らざるを得ない相手へは、共感的理解を示していく】(ラベル数6個)ことの重要性を指摘した語りも得られた。  また、最もラベル数が多かった【相手の合理的配慮の提供に対する負担感を軽減する交渉をする】に関しては、調査協力者がこれまでの経験の中で生み出してきたと考えられる実にさまざまな手法やその理由についての語りが得られた。例えば、「手話通訳でもUDトークでも相手が知らないものとして、情報を小出しにしていく」、「初めての人には、最初に気楽な感じで、ちょこちょこと手話通訳の役割を説明する」などして、【対話相手を驚かせたり、押しつけになったりしないように気をつけて話を進める】(ラベル数10個)ことが重要とのことだった。加えて、「会えるのなら会って、機械を見せて『こんな風にできるんです』と説明する」など、【相手に手っ取り早くわかりやすく伝えられる、「実際に支援を見せる」という説明方法を活用する】(ラベル数9個)ことも、相手の負担感を軽減する有効な方法であると語られていた。  そして、【相手の合理的配慮の提供に対する達成感・充実感を引き出す交渉をする】に関しても、調査協力者の経験を踏まえた具体的な方法についての語りが得られた。例えば「タイピング速度について聞き、タイピングスキルは通訳に使えますよと情報提供する」などと、相手がまだ持っていることに気づいていない支援スキルを、こちらから指摘して、相手には合理的配慮を提供する力があることを伝えることで、合理的配慮の提供に対する前向きな気持ちを引き出したとの語りが得られた(【相手がまだ気づいていない支援スキルを発掘し、その情報を提供する】:ラベル数3個)。また、たとえ相手がノウハウを持っていなくても、自分から支援に関する情報を提供し、相手が「できる」と実感できるよう支援していくことも重要であると語られていた(【支援に関するさまざまなノウハウを提供し、できないと思い込んでいた主催者に「できる」ことを実感させていく】:ラベル数4個)。 表5-5 技術A【相手の協力を引き出す技術】の構成 4.技術B【自分のことを相手に伝える技術】  建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力を尋ねた結果、特に技術B【自分のことを相手に伝える技術】、すなわち自分に必要な合理的配慮を確実に相手に伝え、提供されるようにしていく技術に関して、表5-6のような回答が得られた。  ここに示す通り、調査協力者の回答は2つのLv2グループに分類された。 ①【自分の障害や必要な合理的配慮を確実に伝えるための入念な準備をする】  技術Bを構成する144個のラベルのうち、【自分の障害や必要な合理的配慮を確実に伝えるための入念な準備をする】ことの重要性やそのための方法について語られたラベルは81個あった。  このうち、最も多くの語りが得られたのは、【早期から支援申請行動を実行する】という技術に関するものであった(ラベル数25個)。具体的には【交渉前に、自分が望む情報保障について、「こうしたい」と、ある程度目標や落としどころを決めておく】(ラベル数5個)ことや、【自分から、今回必要な合理的配慮の内容を明らかにすべく、情報収集に努める】(ラベル数15個)ことが重要との語りが得られた。特に後者について、調査協力者からは「参加者数の情報は、あくまで参考程度だが、自分の取るべき行動を考えられる」などの語りが得られており、例えばイベントに参加する時は、イベントの参加者数や内容、会場の広さなどの情報が、合理的配慮の内容を考える際に役に立つことがうかがえた。  また【前理解を求めておくための素地を作っておく】、すなわち支援を求めた時にスムーズにいくよう、普段から周囲の人や支援者に働きかけて、前理解を求めておくための素地作りを行っておくことの重要性やそのための技術についても多くの語りが得られた(ラベル数23個)。ここでは、「(スムーズな支援申請には)普段の距離が大切になってくる」、「自分が困った時に求める支援が、(周囲の目線で)かみ合えば大きな問題にならない」、「(周囲の目線で)かみ合わなかったときに『なんで?』と思われてしまう」などの語りが得られ、支援を求めた時にスムーズに認められるためには、日頃から周囲の理解を得ておくことが重要であるととらえられていた(【支援を求めた時に周囲にスムーズに認めてもらえるよう、支援の必要性について、日頃から周囲の理解を得ておく】:ラベル数6個)。また、素地を作るための方法については表5-6に示した通りであり、「異動が決まったら、異動先の教務の先生にすぐにメールをする」、「毎年4月に『思い出してもらうため』と言ってガイドブックを配る」など、さまざまな方法についての語りが得られた。 ②【自信をもって必要な行動を起こす】  一方、【自信をもって必要な行動を起こす】、すなわち自分の行為に自信をもって、自分にとって必要な合理的配慮を得るための行動を起こしていくことが重要であり、自身も実践してきたとする回答が63個見受けられた。  ここでは、【素地を生かして自然に求める】、すなわち作った素地を生かしつつ、自然な流れで合理的配慮の提供を求めてきたとする語りが得られた他(ラベル数9個)、「私は後輩がいるので、後輩のために他の人のために良くなればいいなと思っている」などと、【支援申請原動力を確保する】、すなわち支援申請(や素地作り)を行う原動力を確保してきたとする語りが得られた(ラベル数29個)。  さらに、普段は先述したように素地を生かして自然な流れで、或いは技術Aで述べた相手に十分配慮した方法を用いて、建設的対話を進めることが重要とされていたが、同時に【必要な時は粘り強く交渉していく】、すなわち強く合理的配慮の提供を求めざるを得ない場面も存在し、そうした場面では、粘り強く交渉を続けていくことも重要とする語りが22個得られた。調査協力者は、強く求めるべき相手の例として、お金を徴収されるものや公的な機関のセミナー等を挙げていた。また、「教員採用試験の時は強く支援を求めるべきだった」との語りもあり、例えば試験など、自分にとって非常に重要な場面では、普段よりも強く合理的配慮の提供を求めるべきと考えていることがうかがえた(【譲歩せずに強く合理的配慮の提供を求めていかざるを得ない場面であるか否か、相手組織の特徴や自分にとっての重要さから見極める】:ラベル数9個)。そして、「教頭にキャンセルされても、直接文科省に通訳が欲しいと訴えた」、「聴覚支援学校の特徴を踏まえて合理的配慮の提供を求めることの正当性を訴える」といった語りも得られたことから、特に必要と判断した際には、普段はあまり使うべきではないとした方法も含めて、自らが有する力をすべて活用して、譲歩することなく強く合理的配慮の提供を求めていくべきととらえ、実践してきたことがうかがえた(【特に必要と判断したときは、譲歩することなく強く合理的配慮の提供を求めていく】:ラベル数13個)。 表5-6 技術B【自分のことを相手に伝える技術】の構成 5.技術C【技術A・Bの高度融合技術】  建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力を尋ねた結果、特に技術C【技術A・Bの高度融合技術】、すなわち相手に十分に配慮しつつ、自分にとって必要な合理的配慮の提供を求める手法で交渉に臨む技術に関して、表5-7のような回答が得られた。  ここに示す通り、調査協力者の回答は2つのLv2グループに分類された。 ①【自分も相手も納得・妥協できる選択肢を複数用意し、順番を工夫しつつ提示していく】  調査協力者からは、【自分も相手も納得・妥協できる選択肢を複数用意し、順番を工夫しつつ提示していく】ことが重要であり、自身も実践してきたとの語りが得られた(ラベル数28個)。  この技術に関して、調査協力者の語りは大きく3つのポイントに分類された。  まず【支援方法の選択肢(オプション)を複数用意して提案していく】ことが重要とのことだった(ラベル数5個)。これに関しては、「結局、オプションをいくつか用意しておくことが、実感として大事」などの語りが得られており、調査協力者は実体験を通して、この技術の有効性に気づいたことがうかがえた。  次に、【自分にとって最も望ましい選択肢から提案する】ことが重要であるとのことだった(ラベル数7個)。ここでは、「最初に手話ができるかどうか尋ね、無理な場合他のオプションを提案していく」、「(交渉の際)手話通訳は無理っていうのはわかっていた(けれど最初にほしいと伝えた)」などの語りが得られており、選択肢を複数用意したら、最初は自分が最も望むものを提案すべきと考え、実践してきたことが うかがえた。  そして、【自分が十分納得できる支援方法を複数用意・提案し、相手に選択の余地を与える】ことが重要とのことだった(ラベル数16個)。ここでは、「相手に余地を与え、かつ自分で納得できるものを用意できていれば、最良」といった語りが得られており、自分にとっても相手にとっても負担なく納得できる方法を提案することを目指してきたことがうかがえた。また、これに関しては、「自分の求める情報保障はこれであると、あまり強く持ちすぎないことも大事」、「方法を限定すると、それができないともう終わりだってなって詰む」との語りも得られており、【自分の求める支援方法について、「この方法でないとダメ」「こうすべき」とある方法に固執しすぎない】ことも重要であることがうかがえた(ラベル数8個)。 ②【焦らず実績・前例を作り、少しずつ自分が望む合理的配慮を実現させていく】  調査協力者からは、【焦らず実績・前例を作り、少しずつ自分が望む合理的配慮を実現させていく】ことも重要であり、自身も実践してきたとの語りが得られた(ラベル数14個)。  表5-7の通り、これもさらに3つのLv3グループに分類された。まず、【最初は相手に譲歩し、「支援をやっていこう」という関係性を確実に築き上げる】ことが重要とのことだった(ラベル数11個)。これに関しては、「一度OKが出ると、それが前例になって、続いていく 」、「通訳費の交渉の際、事務費としてなら出せると言ってきたので、そこから始めた」といった語りが得られた。  次に、「多分2回3回目は、聞きたくなくても行く」、「言った以上(土俵に乗ってもらった以上)行くということが大事」といった語りが得られたことから、相手とは継続して関わっていくことが重要であり、自身も実践してきたことがうかがえた(【相手と協力関係が築けたら、今後も継続して関わっていくようにする】:ラベル数2個)。  最後に、【実績を重ね、少しずつ自分が欲しい支援に近づけていく】(ラベル数1個)に関しては、手話通訳者の報酬について、「最初は600円(少額)だったが、そこから少しずつ塗り重ねていった」という経験談が得られた。このグループにはラベルは1個しか存在しないが、自分にとって必要な合理的配慮の提供を得るための重要な技術であると考えたため、1つのグループとして独立させた。 表5-7 技術C【技術A・Bの高度融合技術】 第3項 Lv1グループ間の関連  第一研究では、上記の5つのLv1グループ間の関係を次のように関連づけた。  心構えA【過去の経験の活用意識】について、調査協力者は、例えば過去の経験から、【相手組織の事情により合意が極めて難しい合理的配慮の方法やその条件がある】という注意点を見いだしてきたことが示されたが、これは心構えBの【相手を知る】ことの必要性や、技術Aの【相手の情報を引き出す】に関する具体的技術習得のきっかけになっていると言える。そのため、心構えAは、心構えBや、技術A、B、Cの必要性を見いだし、習得していく基盤となる心構えであると言える。  また第一研究では、具体的な技術についての詳細な語りが得られた。調査協力者がこれらの技術を重要ととらえ実践してきたのは、心構えB【障害者と事業者等による合理的配慮の協働検討意識】に関して述べられた、合理的配慮のあるべき形を実現するためのさまざまな重要事項を認識しているからと考えられる。そのため、心構えBは技術A、B、Cの必要性や正しさを裏付ける心構えであると言える。  最後に、技術C【技術A・Bの高度融合技術】は、主に相手に関する技術である技術Aと、主に自分に関する技術である技術Bを高度に融合させた技術となっていた。そのため、技術Cは技術A・Bを高度化させた上位の技術であると言える。  以上を踏まえ、これらのLv1グループの関係性を図5-4に示した。 図5-4 建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力 第4節 考察 第1項 第一研究で得られた結果のまとめ  第一研究では、「建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力」について分析した。調査協力者から得られた語りをKJ法によって分類した結果、心構えA【過去の経験の活用意識】、心構えB【障害者と事業者等による合理的配慮の協働検討意識】、技術A【相手の協力を引き出す技術】、技術B【自分のことを相手に伝える技術】、技術C【技術A・Bの高度融合技術】という5つのLv1グループが得られ、これらの関係性を示した図を作成することができた。これらの結果から、建設的対話を行う際の心構えとして、まず①合理的配慮は双方の個別具体的事情を踏まえ、お互いが合意し、協働して作り上げていくものであること、そして②これを実現するためには、建設的対話において両者が対等な存在であることを理解し、相手を知ったり自分の情報を伝えたりすること等が必要と認識されていることがわかった。そのうえで、これらの認識を具現化するためには、 さまざまな技術が必要であることが語られていた。すなわち①相手の協力を引き出す技術や②自分のことを相手に伝える技術、そして③これら2つの技術を高度に融合し、相手に十分に配慮しつつ、自分にとって必要な支援を求める手法で交渉に臨む技術であり、これらを習得し、実践していくことが必要と考えられていた。さらに、これらの心構えや技術を習得するために、調査協力者は、積極的に支援を求める経験を積み重ね、そこから新たな知識や技術を見いだすとともに、次へ生かしていこうとする姿勢も有しており、これらも重要な心構えの一つになると考えられた。  吉川(2017a)は、 支援に対する受けとめ方の最終段階として、「共生的変革段階」にいる聴覚障害者は、「よりよい支援のために、通訳者や支援者に働きかけるばかりでなく、調和を保ちながら関係調整」を図っていくようになるとしている。これらは、第一研究により明らかになった「相手に配慮しつつ、自分にとって必要な合理的配慮の提供を求める手法」やその背景にある心構えと共通する姿勢と言えよう。加えて、有海・羽田野(2022)でも、過去の経験の活用は意思表明スキル獲得のきっかけとなることが指摘されており、これらを踏まえると、第一研究で明らかになった心構えや技術は、調査協力者のみならず、広く聴覚障害者全般に重要なものとみられ、建設的対話を行うために身につけていくべき力の内容となると考えられた。 第2項 法律に照らした結果の解釈  第一研究で明らかになった「建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力」を、障害者差別解消法及び基本方針に照らしてみたところ、結果として得られた心構えや技術の中には、障害者差別解消法や基本方針に示された事項を具現化したものが多く含まれていた。しかし、これにとどまらない内容についても多く見受けられており、全体で大きく3つに大別することができた。以下、これらについて詳細に考察する。 1.障害者差別解消法や基本方針に示された事項を具現化したもの  障害者差別解消法にともなう基本方針では、合理的配慮の基本的な考え方として、「(合理的配慮は)多様かつ個別性の高いものであり(中略)双方の建設的対話による相互理解を通じて、必要かつ合理的な範囲で、柔軟に対応がなされるものである」と記されている。ここから合理的配慮は、障害者或いは事業者等が一方的に決定するものではなく、むしろ両者の協働により決定されていくものと考えられていることがわかる。第1章で述べた通り、これはニーズと負担に関する障害者と事業者等の個別具体的事情を突き合わせ、どのような配慮が必要かつ可能であるかを明らかにしていく対話(建設的対話)を通して決定されていくことになる。しかし、個々の場面においてどのように建設的対話を進めていけばよいのかを示した資料は存在せず、その詳細は当事者である障害者や事業者等の試行錯誤に委ねられている現状にある。このため、第一研究で明らかにする内容は、法律やその関連文書で示された事項を、具現化した心構えや技術になることが期待された。  これに対し、第一研究では、1名の調査協力者から、「合理的配慮は人と人が一緒になって作り上げるもの」、「合理的配慮は個別具体的事情の中で必要かつ適切な配慮を考えていくこと」などと、合理的配慮のあるべき形として、【両者が協働して作り上げる】、【双方の個別具体的事情を踏まえる】という要素があると明言する語りが得られた。直接的な言及はなかった他3名の調査協力者も、例えば技術Cの【自分も相手も納得・妥協できる選択肢を複数用意し、順番を工夫しつつ提示していく】に関して「相手に余地を与え、かつ自分で納得できるものを用意できていれば、最良」、「相手が絶対にできないことを求めていたら、絶対に折り合いがつかない」と語っており、やはり上記の2要素を重要ととらえ、それを実現する様々な技術を開発してきたことがうかがえた。  この認識は、上述の合理的配慮の基本的な考え方でも示されている「双方の建設的対話による相互理解」や「双方の個別具体的事情を突き合わせ、どのような配慮が必要かつ可能であるかを明らかにしていく対話」を具現化したものであり、調査協力者4名全員が自らの経験の積み重ねによって、いみじくも建設的対話で求められている対話のあり方を見いだしていた点は、大変興味深いことといえよう。  加えて、調査協力者は常に支援を求める相手となる事業者等や対話相手を尊重し、その事情を知ろうとする心構えでいることを重要ととらえていた。このため、対話においても、決して一方的に自分のニーズを押し通すことを良しとしていなかった(【相手を知る】、【どんな状況でも相手を尊重する】)。この考えは、得られた技術にも色濃く反映されており、表情などの非言語情報から相手の思いを推察したり(【非言語情報を収集、活用する】)、或いは相手を脅すような発言をせず、逆に自己開示をして話しやすい雰囲気を作ったりする(【対話相手が対話しやすい雰囲気を作る】)など、巧みな技術で相手の事情を引き出していた。さらに彼らは、技術Cとして示された通り、相手に十分に配慮しつつ、自分のニーズもしっかりと伝えるという高度な技術も見いだしていた。これらの心構えや技術から、4名の調査協力者は、基本方針が掲げる「両者が協働して作り上げる」という合理的配慮のあるべき形を実現するため、相手を最大限尊重し、強引にならないよう相手の事情も引き出しつつ、その上でしっかりと自分のニーズを伝えようとしてきたことがうかがえた。  ただし、明らかに合理的配慮の提供義務を果たしていくべきと考えられる場面や、自分にとって非常に重要な場面など、どうしても合理的配慮の提供が必要な場面では、上述のように事業者等の事情を考慮に入れて対話をしつつも、譲歩せずに強く支援を求めていくことも重要であるととらえられていた。そして、これらの場面では、相手の特徴や主義を根拠にしてニーズを伝えるなど【必要な時は粘り強く交渉していく】技術や、【合理的配慮が確実に提供されるよう根回しをする】技術が必要となるとのことだった。これらの技術は、たとえなかなか合理的配慮の提供が認められない困難な状況であっても、確実に自分のニーズを伝えようとする調査協力者の強い思いが生み出した、非常に有効な技術と言えよう。  しかし、これまでに述べてきた通り、聴覚障害者にとって、自分の持つニーズを明らかにし、支援を求めていくことは容易なことではないと指摘されていた。実際、特に上述した強く支援を求めていくべき場面での交渉等は、聴覚障害者にとって大変勇気がいる行為であると推測される。これに関して、調査協力者は、支援を自分のためだけのものととらえず、後輩のためになるととらえたり、自分がまだ合理的配慮の提供が難しい事業者等を支援していると考えたりすることで、それを原動力に、自信をもってニーズを伝えられるようにしていた(【支援申請原動力を確保する】)。  他にも、建設的対話が行き詰った時、調査協力者は、障害者差別解消法が事業者等に合理的配慮の提供義務を課しているのに対し、実際の対話相手は「事業者等」ではない特定の「個人」であること、「個人」との対話では上手く合意に至れない恐れがあることを理解し、「事業者等」との対話を可能とする技術(【対話相手(個人)とではなく、相手組織と交渉できるよう工夫する】)を用いるなどして、上手く交渉を進めていたことがうかがえた。  以上の結果から、調査協力者は障害者差別解消法や基本方針が示す抽象的な事項を具現化した心構えや技術を開発してきたことが明らかになった。そしてこれらの心構えや技術は、今後、聴覚障害者が建設的対話を行う際に、自分のニーズを伝えるなど、障害者差別解消法や基本方針が示す事項を実践するために大変有効な内容になると考えられた。 2.建設的対話をスムーズに行うための準備に関するもの  一方、第一研究の結果、調査協力者が合理的配慮の提供を得るために行っている内容は、事業者との建設的対話場面のみに限定されるものではなく、むしろその前段階となる「準備」に多くの労力を割いていることがわかった。  このことは、インタビュー調査で得られた語りの量にも反映されており、例えば、技術B【自分のことを相手に伝える技術】の中では、【自分の障害や必要な合理的配慮を確実に伝えるための入念な準備をする】等、実際の建設的対話を行う前に実施している内容について語られているラベル数が81個存在していて、建設的対話場面に関するラベルが分類された【自信をもって必要な行動を起こす】の63個の1.3倍近い量となっていた。  ここで語られていた内容としては、例えば、普段は補聴器を装用することでコミュニケーションを行っているが、場面によっては、雑音が大きかったり、複数の人が同時に話したりするなど、補聴器のみでは情報を得づらい場面も存在するので、事前にそうした場面についても想定しておき「補聴器が使えなくなった時のオプションを用意しておく必要がある」などとされていた。また、イベントの規模によっても、取り得る情報保障の手段が変わってくるため、参加するイベントのポスター等を情報源に、参加人数等の手がかりを調べてから交渉に臨んでいるとの語りも得られた。この他にも、互いにスムーズに話ができるよう【コミュニケーション方法を事前に準備する】、交渉を始める前にいわゆる「根回し」を行うなど、【前理解を求めておくための素地を作っておく】等の技術も活用されており、これらがあることによって、はじめて互いの個別具体的事情を反映した建設的対話が成り立っているととらえられていた。 3.合理的配慮の提供ができる 事業者等へと育てていくことに関するもの  もう一点、第一研究の結果からわかることは、建設的対話の過程で調査協力者が、単に自身のニーズを伝え、求める合理的配慮を得ているのみでなく、自ら事業者等を育てる視点に立ち、社会の中に少しでも合理的配慮の提供ができる事業者等を増やしていこうとする心構えと、それを実現する技術を有しているという点である。  これまでにも繰り返し述べてきた通り、障害者差別解消法及び基本方針における建設的対話とは、ニーズと負担に関する双方の個別具体的事情を突き合わせる対話とされている。これはすなわち、事業者等側も障害者に対して合理的配慮の提供にともなう負担について伝えたり、その解決策を模索したりする必要があることを意味している。  しかし、調査協力者4名は「主催者は私に対して何を話せばよいかわかっていないことが多い」など、主催者によっては、必ずしも建設的対話の舞台に上がるための準備ができていない場合があるという実態について理解し、その状況に寄り添おうとしていた。加えて、「主催者も上の人からお金は難しいと言われているかもしれない」といったように、対話相手や事業者等の事情にも思いを巡らせ、そうした困難を抱える対話相手の負担をいかにして取り除き、前向きな対話に持っていけるかを模索している様子が見て取れた。  中でも、ある調査協力者は「(合理的配慮に合意してもらえるよう)相手にも成長してもらう必要がある」、「相手が方法は知らないが、積極的な場合、もっとできるよう育ててあげた方がいい」と語っていた。これらの語りから、彼らは、現状では、まだ合理的配慮の提供や建設的対話に不慣れな事業者等がいることを認識し、自ら率先してその啓発に関わることで、そのような事業者等を育て、社会の中に合理的配慮の提供ができる事業者等を増やしていこうとする意識がうかがえた。  こうした心構えは得られた技術にも色濃く反映されていた。例えば技術A【相手の協力を引き出す技術】に関しては、たとえ相手から難色を示されてもその背景にある事情を探り、「相手が断りたくて断っているわけではないことは自分もわかっていると伝える」といった【断らざるを得ない相手へは、共感的理解を示していく】技術や、「相手の声色や言いよどみから、相手のネックを把握し、それをカバーできる情報を提供する」といった【相手の合理的配慮の提供に対する負担感を軽減する交渉をする】技術が見いだされていた。これらの技術からも、調査協力者は、自ら率先して相手の事情を引き出し、対話相手が抱える課題と自身のニーズをすりあわせることで、必要な合理的配慮を実現していること、そして、将来的にその相手が、自分以外の障害者を含む対象と適切に建設的対話ができるよう育てていこうとしていることがうかがえるだろう。  特に技術Cに分類された、いきなり無理に事を進めることはせず、実績・前例を作り、少しずつ自分が望む合理的配慮を実現させていく技術(【焦らず実績・前例を作り、少しずつ自分が望む合理的配慮を実現させていく】)は、この考えを具現化した技術となっていた。  調査協力者は、相手がまだ不慣れな時は、いきなり自分が理想とする合理的配慮の提供を求めるのではなく、まずは「一緒にこの社会矛盾について考えようと、土俵を作ってから話をしたらいい」と、焦らず関係性を構築すべきととらえていた。そして、継続的に関わっていく中で、例えば“比較的用途に融通が利きやすい事務費で通訳費用を捻出してもらう”など、相手が可能とした条件で妥協することで、実績や前例を作っていくようにしているとのことだった。こうすることで相手は成功体験を得て成長していき、その結果、少しずつ自分が望む合理的配慮を提供することが可能になっていくことを、彼らは経験から理解してきたことがうかがえた。  以上を踏まえると、聴覚障害者が建設的対話を行うにあたっては、まず障害者差別解消法や基本方針に示された内容を具現化した心構えや技術を習得し、実践することが必要と言える。そして、それだけでなく、建設的対話をスムーズに行うための準備や、自分が事業者等を育てて、社会に合理的配慮の提供ができる事業者等を増やしていくことも重要ととらえ、これらを実現する技術を習得し、実践していくことが求められていると言えよう。 第3項 第一研究の限界と第二研究に向けて  前述の通り、第一研究の結果、障害者差別解消法や基本方針が示す合理的配慮のあるべき形と、その実現のために、建設的対話を行うにあたって聴覚障害者が持つべき有力な心構えや技術について、多くの具体例と共に明らかにできた。  ここから、第一研究は、聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスの分析に向けて、その最終的な目標像の明確化に繋がる、建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力を明らかにすることを目的としていたが、その目的は達成されたと言えるだろう。  また、得られた結果のうち、特に【自分も相手も納得・妥協できる選択肢を複数用意し、順番を工夫しつつ提示していく】等が分類された技術Cについて、この技術を習得している状態は、すなわちエンパワメントプロセスの最終目標である「自分の弱さ・恐れ等を他者に投射することなく受け入れ、自分も他者も抑圧しないあり方を創出する」ことが達成されている状態の具体例と言えよう。そのため、第一研究で明らかとなった心構えや技術を習得している状態は、確かに適切に建設的対話が行えるようになった状態であり、エンパワメントがなされた状態であると言えるだろう。同時に、聴覚障害者がこれらの心構えや技術を習得していく過程を明らかにし、エンパワメントの概念も援用しながら考察を行うことも十分可能であると考えられる。例えば、聴覚障害者が適切に建設的対話を行えるようになっていくために、聴覚障害者自身はどのような努力や工夫を重ねていくことが必要なのか、また支援者はどのような支援を行っていくことが必要なのか、それぞれ考察していくことができるだろう。  また、第一研究では、心構えA【過去の経験の活用意識】がこれらの心構えや技術の習得基盤となっており、4名の調査協力者は積極的に合理的配慮の提供を求める経験等を数多く積み重ねていき、そこで新しい知識や技術等を見いだすことを繰り返す中で、これらの心構えや技術を習得してきたことが明らかとなった 。しかし、これまで述べてきた通り聴覚障害者にとっては、意思の表明を行うことさえ決して簡単なことではない。そのため、まだエンパワメントプロセスにおける最初の目標である「本人が、どうせ私は障害者だからと、諦めさせられている希望・社会参加などを自覚し、明確にする」に挑戦している段階の聴覚障害者にとって、失敗するリスクもある中で、積極的に合理的配慮の提供を求める経験等を数多く積み重ねていくことは非常に難しいことと言える。また、第一研究の調査協力者4名も、最初からこのようにできたわけではないと推察され、彼らがどのようなプロセスをたどってここに到達したのかを明らかにすることは、多くの聴覚障害者にとって有益な知見となるだろう。したがって、今後は聴覚障害者が適切に建設的対話を行えるようになっていくために必要な知見を得るために、これらの心構えや技術の習得に至ったプロセスの分析がなされる必要があるだろう。 第6章 第二研究 第1節 目的  第二研究では、第一研究の結果を踏まえ、聴覚障害者が適切に建設的対話を行えるようになるために必要となる取組や支援についての基礎的知見を得るため、聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスを明らかにすることを目的とする。 第2節 方法 第1項 調査概要 1.調査協力者  第一研究と同様に、合理的配慮の提供を求めるために建設的対話を行うことは、あらゆる聴覚障害者にとって重要であると考えられる。加えて、聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスの具体像は、個々の聴覚障害者によって大きく異なると考えられる。そのため、合理的配慮の提供を求める聴覚障害者に広く共通するプロセスを明らかにするため、聴力やコミュニケーション方法、経歴、年齢、職業、補聴器・人工内耳の装用状況で調査協力者を限定せず、これらに偏りが生じないように幅広い方々に調査協力を依頼することとした。加えて、建設的対話を志向・実践していくプロセスについて、経験に基づいた深い語りを得るために、より多くの建設的対話の経験を積み重ねてきた方を対象としたいと考えた。このため、調査協力者は自律的に社会生活を営んでいる方々に限定し、日本語の理解に困難がある方や社会的活動への参加にあたって支援が必要な方は、調査協力者から除外した。  これらの条件に基づき、ろう者学を専門とする大学教員からの紹介も踏まえた上で、建設的対話を行ってきた聴覚障害者で、第二研究の調査協力者として適当であると判断した聴覚障害者に協力を依頼した。依頼にあたっては、調査概要の説明を行い、研究の目的に同意していただけた方にご協力いただいた。  最終的な調査協力者は、聴覚障害者11名であった。以下にこの属性について示す(表6-1及び表6-2参照)。 表6-1 調査協力者リスト 表6-2 調査協力者の経歴 2.データ収集方法  調査は調査協力者ごとに個別に実施した。調査の形式は半構造化面接であり、調査協力者が意思の表明が難しかった状態から、建設的対話を志向し、そして実践していくことができるようになっていく過程で体験してきた事柄や、自分自身の見方・考え方が変わるきっかけになった出来事等について尋ねた。  具体的には、最初に研究者から聴覚障害者が建設的対話を志向し、そして実践していくことができるようになっていくまでには何らかの成長のプロセスがあると推測されることを指摘し、調査協力者の辿ってきたプロセスについて尋ねた。その後、語っていただいたプロセスを踏まえて、インタビューガイドに基づき、成長のきっかけとなったと考えられるエピソードや過去に合理的配慮の提供を求めるにあたって、直面した課題・トラブルなどについて、自由に語っていただく形式とした。その際、さらに詳しく聞きたいポイントについては、インタビューガイドに基づき、追加の質問を行った。また、インタビュー調査を実施する前にインタビュー調査の内容や質問項目をまとめた資料を送付し、調査協力者により詳細な内容の語りをしていただけるようにした。  インタビューの方法については、Zoomを使用した遠隔調査または貸会議室での対面調査を提示し、調査協力者が希望する方法で実施した。その結果、11名の調査協力者全員がZoomを使用した遠隔調査を希望されたため、インタビューの方法は、Zoomを使用した遠隔調査となった。調査時間は、研究の説明を含めて1時間30分を設定し、調査協力者の同意を得た上でZoomの録画機能を用いて動画データを記録した。11名の合計調査時間は921分であり、平均83.7分であった。 3.調査期間  調査実施期間は2022年7月から9月までの3ヶ月間であった。 4.倫理的配慮  実施にあたっては、データ管理方法、個人情報の取り扱い、インタビューガイド等について、所属機関の研究倫理委員会における承認承認番号:2021-15)を得るとともに、調査協力者に対して書面で研究参加の同意を得た。 第2項 分析方法―修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ― 1.分析方法の選択  分析方法は、「修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(以下、M-GTAとする。)」を用いた。M-GTAは、インタビューデータの使用に適した質的研究法であり、理論、すなわち、人間行動の説明モデルの生成を目的とする研究法である(木下,2020)。この研究手法は社会学者である木下 康仁によって開発された。  M-GTAの特徴について、木下(2020)は以下のように指摘している。  M-GTAは、データに密着した分析により、限定された範囲での人間の社会的相互作用、 すなわち人と人との直接的なやり取りに関する理論の生成を目指す手法である。M-GTAは、現在非常に多くの領域で用いられており、当初からの対人援助領域、看護・保険領域、ソーシャルワークや介護などの社会福祉領域での活用に踏まえ、学校教育や言語教育、さらには死生学や情報学などの領域でも用いられている。このように具体的な研究テーマは多岐にわたるが、全体的に共通して、人と人との直接的な関わり合い(社会的相互作用)が展開されている実践的専門領域が研究テーマとなっている。  上述のM-GTAの目的達成のため、M-GTAでは分析テーマと分析焦点者という2つの視点が導入されている。分析テーマとは、そのデータ分析で自分が明らかにしようとする問いにあたる。これを設定することは、研究者にとって、M-GTAを用いて、自分はなぜ、何を明らかにしようとしているのかを明確化することとなり、その結果、分析結果である人間行動の説明モデルが、設定した分析テーマについての説明と予測に有効な限定された理論となる。一方、分析焦点者は分析テーマが結論に至るよう導きとなる分析上の用語で、解釈における社会的相互作用の視点を確保するために用いられる概念である。すなわちデータの解釈において、「誰にとって」の解釈であるかを明確化するものである。こうした基礎的立場の設定により、研究する人間としての研究者を主題化し、自分の明らかにすべきものを問いの形で、分析プロセスにおいて一貫して保持できるようになっている。またM-GTAは、分析結果の実践的活用を重要とする立場をとっている。すなわち、生成された理論は完成したものではなく、理論として導かれた分析結果は、現実場面に応用されることでその有効性が評価されるという考えをとっており、理論生成後に、応用が検証となり、さらに理論が精緻化されていく展開が想定されている手法となっている。  以上がM-GTAの特徴である。実際の分析では、分析テーマや分析焦点者の視点を常に踏まえて、分析ワークシートと呼ばれる概念生成のための体系化されたフォーマットを用いて概念やカテゴリーを生成し、分析結果を結果図とストーリーラインによって示すこととなる。  以上を踏まえ、第二研究において、M-GTAが分析方法として適していると判断した理由は以下の通りである。  第二研究において明らかにする聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスには、聴覚障害者が意思の表明ができなかった状態から、少しずつ成長し、建設的対話を志向し、実践できるようになっていくというプロセス的性格があると考えられる。  加えて、上述のプロセスにおいて、エンパワメントの概念を援用すると、聴覚障害者は一人で成長していくのではなく、支援者の助けを借りながら、支援者との社会的相互作用を通して成長していくと考えられる。この支援者については、例えば看護師や介護者などのわかりやすい存在ではなく、個々の聴覚障害者によって支援者の具体像は異なると考えられるが、聴覚障害者が自身の成長の助けとなる支援者とみなす存在には、共通する属性があると推測される。つまり、上述のプロセスは、聴覚障害者と支援者との社会的相互作用によって変容していくプロセスであると言える。したがって、第二研究で明らかにするプロセスは、M-GTAを用いて分析することが可能であると言える。  さらに、M-GTAは限定された範囲内において優れた説明力を持つ理論生成を目指すものであり、分析結果の実践的活用を重要とする手法であるため、個々の聴覚障害者の語りから、建設的対話を志向・実践するすべての聴覚障害者に共通し、実践が可能なプロセスの生成が期待できる。すなわち、本研究の目的である、聴覚障害者が適切に建設的対話を行えるようになるために必要となる取組や支援についての考察に有効なプロセスの生成が期待できるため、M-GTAを選択した。 2.分析テーマと分析焦点者の設定  先述の通り、M-GTAでは半構造化面接によって得られたデータに密着した分析を行うため、分析テーマと分析焦点者を設定する。木下(2020)によると、分析テーマと分析焦点者は研究を開始した時点で設定するが、grounded-on-dataの原則に立脚し、収集したデータを分析していく中で、データ側の視点においてより適切なものへと修正する必要があるとされる。  第二研究において、当初分析テーマは「聴覚障害者が、『合理的配慮』(権利として認められた配慮)の提供が受けられるようになっていくプロセス」、分析焦点者は「『合理的配慮』の手続きに臨む聴覚障害者」と設定した。その後、半構造化面接によってデータを収集したところ、調査協力者の語りは法制化された合理的配慮の提供を求めるというよりも、それも含めて自分の力を十分に発揮するための手立てを考え、求めてい くことに重きが置かれていた。加えて、分析テーマは誰もが同じ意味で理解できるよう、専門用語を用いず平易な表現にする必要がある(木下, 2020)とされているため、分析テーマを「聴覚障害者による、自らの力を十分に発揮するための手立ての習得プロセスの研究」に、また分析焦点者を「自らの力を十分に発揮するために行動する聴覚障害者」にそれぞれ修正し、分析を開始した。分析を開始した後も修正を重ね、 結果として、最終的な分析テーマは「聴覚障害者が、自らの力を十分に発揮できる理想的環境の実現を、志向・実践していくプロセスの研究」とした。また分析焦点者は変わらず「自らの力を十分に発揮するために行動する聴覚障害者」とした。 3.分析手順  すべての半構造化面接を終えた後、分析を開始した。分析では収集したデータの中で、特に自分に自信を持てず、意思の表明を行うことさえできなかった状態から、自分の意思を表明することや、相手と建設的な対話をしていくことの重要性に気づき、実践をしていく様子が体系的に語られていた調査協力者11のデータから読み込みを行った。  その後の分析は、分析ワークシートを用いて行った。第二研究で用いた分析ワークシートは、竹下(2020)が示す分析ワークシートを参考にしたものである。分析ワークシートは「概念名」「定義」「ヴァリエーション(具体例)」「類似例」「対極例」「原因例」「結果例」「理論的メモ」の8個の欄で構成されるものであり、Microsoft-Wordで作成した。  まず、分析テーマと分析焦点者の視点からデータを最初にみていき、関連すると思われる部分に着目し、それを上述した分析ワークシートのヴァリエーション(具体例)欄に転記した。次に、その箇所に着目した理由や分析焦点者にとっての意味を考え、解釈した内容を簡潔な文章で定義欄に記入し、定義をさらに凝縮した言葉を概念名欄に記入した。この際、その定義とした理由や、関連してでてきた疑問等は、理論的メモ欄またはMicrosoft-Wordのコメント挿入機能を用いて記録した。  ワークシートを立ち上げた後は、定義に照らしてデータの中の、定義では同じだが内容では異なる具体例を探していき、一定の具体性・多様性を説明できる定義と概念名になるよう、具体例の比較をしながら定義や概念名の修正も行った。  分析ワークシートは1つの概念ごとに1つ作成しており、新たな概念の生成と、仮説概念のデータでの裏付け探し、具体例追加による定義と概念名の再検討という複数の概念的作業を、同時並行的に行った。さらに、概念生成と並行して概念間の関係の検討も同時に行い、検討結果を類似例、対極例、原因例、結果例に記入した。  概念が一定数生成され、概念間の関係の整理ができてきた段階で、概念相互の関係性を言語化し、分析テーマを意識しながらサブカテゴリー、コアカテゴリーの生成を行った。カテゴリーの生成開始とともに、結果図及びストーリーラインの作成も開始した。分析テーマに対する答えの形を意識して、修正を重ねていき、結果図とストーリーラインの作成をもって結果の確定とした。 第3節 結果  本節では、聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスについて、M-GTAによる分析で得られた結果について述べる。 第1項 分析結果―全体のストーリーラインと結果図―  半構造化面接を行った結果、幼少期から現在に至るまでのさまざまな人との出会いや直面した問題、問題を乗り越えるために努力したエピソードなど、多彩な語りが得られた。このデータについて、M-GTAにより分析した。分析の結果、6コアカテゴリー(内1コアカテゴリーは概念から昇格)、6サブカテゴリー(内2サブカテゴリーは概念から昇格)、31概念(カテゴリーに昇格した概念を含む)を生成した。生成したカテゴリーや概念の関係を、結果図(図6-1)及びストーリーラインにより提示する。(コアカテゴリーを『』、サブカテゴリーを【】、概念を[]で示す。)また、生成したカテゴリー及び概念の一覧を表6-3に示す。 1.全体のストーリーライン  聴覚障害者の中には、信頼できる人がおらず、孤独を感じている者もおり、困難に直面したとき、[聞こえの諸悪の根源化]を行い、[聴者社会への呪縛的同化]を試みるなど、自分が悪いという考えに陥ってしまうことがある。しかし[真っ直ぐ見てくれる人との繋がり]を得るなど、【心理的安定基盤との接続】を確立して、[成功他者からの希望の湧出]をしていくなどして、次第に【自己輪郭の内外的ピント調節】を行い、【活躍する自己像への志向】を高めていくようになる。その中で[環境調整実践意識の芽生え]が生まれると、『理想への挑戦的前進』を実施していくようになり、これによって、さらに【環境調整観の多角高度化】が促進されていくといったように、『環境調整観の成長』と『理想への挑戦的前進』を相互に高め合っていく。  一方で、聴覚障害者にとって、常に『環境調整観の成長』をし、『理想への挑戦的前進』をすることは決して容易なことではなく、自分のために環境を変えてしまって本当に良いのかという[拭い切れない憚り感]の存在や、また『理想への挑戦的前進』を続けるうちに、[解決できない違和感事例への直面]を経験することなどによって、理想的な環境を実現することや自分自身の価値についての『自信崩壊のクライシス』に直面することもある。  この時、聴覚障害者は、[環境調整しない自分の正当化]をしつつ[自分調整によるその場しのぎ]をするという『立ち止まっての自己リソース内解決』を行って自分を守りつつ、ある時はタイミングを見計らって、またある時はふとしたきっかけを得て偶発的に、【成長源の模索】、【知識技術の試運転】、【成功の有効的活用】のサイクルからなる『スパイラル成長』を行うことで、『環境調整観の成長』をさらに促進し、『理想への挑戦的前進』や『立ち止まっての自己リソース内解決』のより効果的な方法の習得に繋げていく。  このように、聴覚障害者による、自らの力を十分に発揮できる理想的環境の実現を、志向・実践していくプロセスとは、『心理的安定基盤との接続』に基づく『環境調整観の成長』と『理想への挑戦的前進』の相互作用的成長に加え、『自信崩壊のクライシス』直面時に、『立ち止まっての自己リソース内解決』を行うことで自分を守りつつ、『スパイラル成長』による『環境調整観の成長』と『理想への挑戦的前進』及び『立ち止まっての自己リソース内解決』の促進を中核とするプロセスである。  調査の結果、調査協力者の語りは、自分が十分に力を発揮できる理想的な環境を目指して、環境に対して働きかけていこうと考えるようになり、実践してきたとする語りが中心となっていた。調査協力者は、合理的配慮の提供を求めるという行為を、自分が十分に力を発揮できる理想的な環境を実現するための手段の一つとしてとらえていた。  そのため、第二研究では調査協力者のとらえ方を忠実に表現すべく、「環境調整」、「支援」、「合理的配慮」という用語を使い分けて用いることとした。  また、調査協力者は、常に「環境調整」をしてきたわけではなく、他者を頼らずに、自分にできる範囲の工夫で解決を図ってきたこともあったとのことだった。そのため、「環境調整」と対比する概念として「自分調整」という用語を用いて、これを表現することとした。  以下、各用語の定義について示す。 ・環境調整  自分が十分に力を発揮できる理想的な環境を目指して、環境に対して働きかけることを示す。  例えば、周囲の人に手話を教えて、自分が力を発揮できる環境を作り上げていくことや、自分の聴覚障害について説明して、周囲の理解が得られやすい環境を作っていくことなどがこれに含まれる。また、以下に述べる「支援」や「合理的配慮」の提供を求めることも、環境調整の一つととらえられる。 ・支援  筆談やコミュニケーション上の配慮など、聴覚障害者に対するさまざまなサポートのことを示す。ただし、文脈によっては聴覚障害者が他者に対して行うサポートも含む。 ・合理的配慮  各種支援のうち、障害者差別解消法に基づき、事業者等によって提供される、社会的障壁を除去するための手段を指す。 ・自分調整  自分にできる範囲の工夫でひとまず直面している問題の解決を図ることを示す。  環境調整とは対になる概念であり、環境調整が自分が十分に力を発揮できる環境の構築を目指しているのに対して、自分調整は今自分が持っているリソースや解決方法の範囲の中で、ひとまず直面している問題への解決を図ることを目的にしている。例えば、板書や友達のノートを見て授業内容の理解に努めたり、相手の口形がよく見える位置に立って、口話(読唇)ができるようにしたりすること等が、これにあてはまる。 2.結果図 図6-1 結果図 表6-3 カテゴリー・概念一覧表 第2項 カテゴリー・概念の説明  本項では、全体のストーリーラインと結果図を構成するコアカテゴリーとサブカテゴリー、概念について、その関係性を踏まえ結果として説明する。 1.心理的安定基盤との接続  『心理的安定基盤との接続』というコアカテゴリーは、分析焦点者が安心感を得られる存在と繋がり、そこから環境調整を志向していくなど、さまざまな肯定的な動きのきっかけを得ていくプロセスを示している。プロセスの詳細は以下の通りである。  分析焦点者が環境調整を志向していく最初のきっかけは、自分を真っ直ぐ見てくれる人([真っ直ぐ見てくれる人との繋がり])や「自分と同じだ」と思える仲間([安定源となる“一緒仲間”との繋がり])と出会ったり、多様な人々が共存・協力し合っている集団へ参加([多様者協力チームへの参加])したりすることである。こうした繋がりは分析焦点者に安心感をもたらす。そして、こうした繋がりを得た分析焦点者は、社会で十分に力を発揮している他者と出会い、「自分もできるかも」と思い始めたり([成功他者からの希望の湧出])、或いは繋がった人たちからアドバイスを得たり([棚ぼた的知識習得])していく中で、少しずつ環境調整について考え始めるようになっていく。  また、最初に環境調整をしようと思い始めた後も、分析焦点者は、繋がった人からサポートを受けたり、時には繋がりを積極的に活用したり([自分以外目線からの学び]、[成長のための積極的外部情報収集])、またある時は、自分自身の力で問題解決を図ったり([問題解決法の自己探索])することで、環境調整観を更に高めたり、必要な知識や技術の習得に役立てたりなど、さまざまな動きへと繋げていく。  以下に、本コアカテゴリーを構成する上述した8個の概念について説明する。 概念1 [真っ直ぐ見てくれる人との繋がり]  [真っ直ぐ見てくれる人との繋がり]とは、分析焦点者が、自分を価値ある存在として真っ直ぐ見てくれる人との繋がりを得ることである。  以下に、本概念の生成に寄与したヴァリエーションの一部を掲載したが、ここから、真っ直ぐ見てくれる人との繋がりを得ることは、自分の価値観を確立したり、自分は価値のある人間だと認めたり、或いは自分の力で行動を起こしたりするなど、さまざまな肯定的な動きを支える基礎的役割を担っていることがうかがえた。  なお、語りの末尾に付与した番号はインタビュー語録からの引用箇所を示している。例えば(09-11:383-388)は、調査協力者09のインタビュー語録11ページの383行目から388行目を引用したことを示している。 ・それともう一つは、抑圧しないぞと気をつけるだけではなくて、親は具体的にどうやって対話を進めるのかまで考えて進めてくれました。「あなたはどうしたいの?私はこうしたいと思っているよ」と立場をはっきりと分けて、対話をするといったことを頭に入れて気をつけて話を進めてくれましたね。そのことで、私にとって両親は、抑圧ではなくて、対話を進める方法を考えて進めてくれたので、両親は私の優しさのモデル、基礎になってくれたのだと思っています(09-11:383-388)。 ・もう一つ、トラウマはあったけど、母が頑張って交渉をしてくれて、私には権利がある、という姿勢を見せてくれたので、後々、なんだろう、よかったというか母に対する感謝というかがあったから、 自分はろうだからといって否定されることがあっても、それは間違いなんだって証明してもらえたと思っています。だから、後々になって振り返れば、感謝しているというか、それが正しかったんだなって思います(06-3:86-90)。 ・この生徒会の顧問の先生は、本当に素晴らしい人でした。人間的に尊敬できる人でした。その人と話していて、本当に人生論について、深く話すことができる先生だったと思っています。だから、その話の中で、私が見本になれるような行動をすることが大切。そうすれば他の生徒にも自然と広がって、先生たちも安心して、校則を変えてもよいと言ってもらえるようになるかもしれないとアドバイスをしてもらったんです(01-6:204-209)。  一方、本概念の中で「真っ直ぐ見てくれる人」が誰かについては、上述した親、学校の先生に加え、大学の先輩、ろうの先輩、職場の同僚など、多岐にわたっていた。他方で、これらの属性の人物と出会うことが、必ずしも肯定的な動きを支える基礎的役割を担うわけではないとする語りも得られた。 ・私が小3になるまでは、親は私と関わるときに、親は自分の考えを先行させていました。つまり私の立場や考えは置いておいて、親が考えて決めて進めていたんです。でも、私が小3の時に、親は「今まで通り自分たちの考え方で先行して進めてしまったら、私が将来つぶれてしまうのではないか」と思ったんです(09-7:226-229)。  文中のカギ括弧内の語りは、親の視点で語られた言葉となっているが、本人の視点からは「たとえ親であっても自分を価値ある存在として真っ直ぐ見てくれなければ、自分は壊れてしまっていたかもしれない」と述懐している語りととらえることができる。  ここから、分析焦点者にとっては、特定の属性の人物との出会いというよりも、自分を価値ある存在として認めてくれる人との繋がりを得ることが重要であり、このことによって、分析焦点者は、自身を肯定し、自ら行動を起こすなど、自身の成長に繋がるさまざまな動きが取れるようになっていくと言える。 概念2 [安定源となる一緒仲間との繋がり]  [安定源となる“一緒仲間”との繋がり]とは、分析焦点者が、「自分と同じだ」と安心できる仲間との繋がりを得ることである。  以下に、この概念に含まれるヴァリエーションの一部を示す。ここに「嬉しかった」「ホッとした」と語られている通り、“一緒仲間”との繋がりを得ることで、調査協力者は、孤独感から解放され、安心感を得ていくことが見て取れた。 ・私もやっぱり嬉しかったですよ。ずーっとやっぱり一人ぼっちだっていう思いが、こうなんだろう。聞こえるつもりで生きてはきましたけど。でもやっぱり聞こえないっていうのはもちろんわかっているので、ずーっと自分は一人ぼっちと思っていたので、やっと仲間ができるって思ってすごくうれしかったですね(02-3:83-89)。 ・そうなんです。聞こえる世界で私だけが聞こえないということが、苦しかったですね。けれども大学に入ってから、聞こえない仲間と会って、「同じだ!聞こえない。同じだ同じ!」となって。同じような悩みを持っていて、共感できるような仲間がいる、よかったぁとホッとしたということですね(08-6:187-190)。  なお、この際特徴的だったのは、「自分と同じだ」と安心できる仲間として語られていたのは、すべて聴覚障害者であり、聴者について言及した調査協力者はいなかった点である。しかし、この一方で、聴覚障害者との出会いが、すべて安心感をもたらすわけではないとする語りも得られた。 ・小学校と高校では、聞こえないのは私一人だけで、中学校の時に聞こえない友達、先輩、後輩に会ったんですけれども、先輩の中でも口話の人が多くて、手話で話すというのは…友達同士で話す時は手話や指文字をするけれども、聞こえる…授業とか学校の友達と話す時は、声をつけた指文字をする友達に囲まれていました(06-1:8-12)。 ・全聴教はね、今度是非参加してみてほしいんですけど、あのね、ちょっと怖いんだよ。怖いんだよっていうか、なんていうか、難聴の側から参加すると、やっぱりギャップがあるからね、ろう学校に勤めている人が勿論多いし、やっぱりろう教育っていうのが大きな柱としてあるから、やっぱり自分とは、全然環境が違うんだよね。うん。だから、ほしいのはもちろん手話通訳だし、必要なのは日本手話だしっていう土俵でそもそも話をしているから、それこそ自分の居場所なんてないって思った時もあったんだけど(02-13:452-457) 、  これらは、聴覚障害者と出会ったが、自分と同じとは思えず、安心感を得るきっかけにはならなかったと述懐している語りである。これらから、分析焦点者にとっては、単に聴覚障害者との出会いというよりも、「自分と同じだ」と安心できる人との繋がりを得ることが重要であると言える。  また、以下の語りからは、[安定源となる“一緒仲間”との繋がり]が、自信の確立や安心して環境調整をしていくための基盤となっていることがうかがえた。 ・やっぱり、高校に入って、同じ仲間に出会って、やっぱりその、なんていうんだろう。こういう聞こえにくい自分でも全然やっていける。人としての自信みたいなものが、ちょっとついたので、その自信があったからこそそれがきっかけになって、じゃあ自分が過ごしやすいためにはどうしようかって言う風には考えるようになったと思います(11-3:79-82)。 ・合理的な配慮の交渉や説明も、一人ではなくて、みんなで行った方がいいと思いますね。数は一人よりもたくさんで行くのも一つの手段ですよね。 実際に、合理的配慮が必要で、お願いの交渉をするのは私一人だけですけど、その後ろに仲間がたくさんいてくれると、安心できますね。だから、行けるんです。もし後ろに仲間がいなかったら、一人では交渉に行けなかったと思いますね。バックにいろんな人がいてくれるから大丈夫って思えるのは、精神的な面でも大きいと思います(04-9:317-322)。  これらから、分析焦点者にとって、ただ聴覚障害者と出会うのではなく、自分と同じだと安心できる仲間との繋がりを得ることが、自信の確立や、安心して環境調整を行っていくようになるための重要な基盤となっていることがうかがえた。 概念3 [多様者協力チームへの参加]  [多様者協力チームへの参加]とは、分析焦点者が、多様な人々が共存・協力し合っている集団に参加し、自分もその一員としていていいんだと思い始めることである。  概念2[安定源となる“一緒仲間”との繋がり]は重要だが、聴覚障害者は多様な存在であり、「自分と同じだ」と感じる人とのみ出会うわけではない。しかし、以下のヴァリエーションに見られる通り、聴力が軽い人や重い人、或いは自分と違って手話でコミュニケーションをとる人など、多種多様な聴覚障害者がいることを知り、また自分がそんな多様な集団に参加していくことも、安心感や自信に繋がったとされていた。 ・そうですね、聴覚障害の多様性っていうのを知りましたね。聴覚障害というと全く聞こえないだけだと思っていたら、補聴器を使えば聞こえるとか、手話ができるとか、手話ができる中でも声出す出さないがまちまちだったりとか、手話も特徴が一人一人みんな違うとか、あぁ本当に聞こえないってそれだけじゃなくて、聞こえ方もコミュニケーション方法も考え方もまちまちなんだなって分かりましたね。 (中略) そうですね。まず一番大きかったのは本当にシンプルで、聞こえない自分でもこの社会の中で生きていくことができる、これがわかったことが一番大きかったですね。それから、聴覚障害の多様性を知ったことが、今の仕事にもすごく繋がっていると思います。やはり社会の中ではまだまだ、例えばテレビだったら字幕があればOKって思っている人も多いんですよね。でも実際は字幕だけじゃなくって手話を必要としている人もいるし、聞こえやすさを求めている人もいるし、本当に違うということを説明できますし(10-9:305-318)。 ・そうですね。で、出会った当時、私はもちろん手話ができないので、もうそれこそ筆談で、彼らとはやりとりをさせてもらって。で、あのやっぱりもっとこうスムーズにお話がしたいと思って、手話を覚えたいと思って、で、私が住んでいる県には、学生の団体があったので、そこを紹介っていうか、入れてもらって、で、その、さっきの二人は完全にろうなんですよね。なんだけど、私は難聴で、最初は「あ。聞こえない仲間」って思ったんだけど、だんだん、「あ。私とは違う」「一緒じゃない」って思い始めてて、やっぱりまったく聞こえない人、ある程度聞こえるではやっぱり違うってこうわかってはくるんだけど、でもその学生の団体の仲間は、すごく軽度な人からもちろん重度の人までいろいろいたので、まぁそういう中で私はいさせてもらったので、「あ。私でもそこにいていいんだ」って思わせてくれたし、あの~なんだろう?いっぱいいたから、聞こえない人も、いろんな人がいるんだなってのをそこで知れたので、もちろん合う人合わない人いるし、それはなんだろう。聞こえる人、聞こえない人関係なく、聞こえない人もいろんな人がいるんだなぁと思って、そういう経験はさせていただきました(02-3:101-113)。  また、以下のように、ただ多様な人がいる環境に参加するだけでなく、多様な人が協力し合って、力を発揮することが当たり前の集団におり、自分もその一員として居られたという経験が、自分に対する自信や、「人に頼っていいんだ」、「環境調整をしていいんだ」といった前向きな気持ちに繋がるきっかけになっていたとする語りも得られた。 ・聞こえる人も聞こえない人も一緒にいれる場を作ろうよっていう雰囲気がサークルの場にあったので、なんかその、そう情報保障が手話サークルが一番多分初めだったかもしれないです!今思い出しました。喋ってて。手話サークルの場で、いつも毎週例会があって、「今日はこういう内容で進めますよ」とか、全体の進行で「じゃあもう終わります」「じゃあ今日食事会行く人~」みたいな感じで、質問を司会者の人がするときに、手話をワーッてこうつけるだけじゃなくって、全部黒板に書いてたんですよ文字を、言った言葉を。パワーポイントみたいに要点が先に黒板に書かれてはあるけど、例えば前半の企画、で何々って書いてあるけど、「前半の企画始めます」って始めますっていうこのはじめますって手話を表したときに、サポート役の人が「始めます」ってその場でリアルタイムで書いてたんですよ!それが、「あぁ!こんなに書いてくれるんだ!」みたいな。なるほどね!みたいな。なんかそれが、できるだけ一言一句というか、その場にいる手話がわからない人もわかる人も聞こえる人も聞こえない人も、全員わかる場にしようっていうのが、その雰囲気の、サークルの大事なところだったので、だから多分大学の授業よりも手話サークルの場で一番初めに情報保障を受けたんだと思います。 しかもそれをなんか自然とやってたので。「へぇ!」みたいな感じで(03-7:233-247)。 ・ろうが当たり前ですし、ろうだから通訳をつけるのは当たり前でした。ろうだけじゃなくて、盲の方やろうプラスほかの障害、盲ろう者とか、ろうの肢体不自由者とか、精神障害の方とか、いろいろな学生さんと出会いました。試験の時間を延長したりとか、休憩時間も、歩くことが健常者と比べて時間がかかるので、トイレ等々も含めて、休憩時間を延長してほしいと申し出たら、休憩時間について、時間通りに戻らなくてもいいとの許可が出たりとか、もういろんな、一人一人の要望に対して丁寧に対応する専門のセンターがあったんです。障害学生支援室のようなね。あるでしょ。ちゃんと権利として求めて、上の方々、学校の先生も声なしで手話で話していて、堂々と生活や授業をしていました。外部の先生の時も、自然と書いてください、手話通訳をつけてくださいということがもう当たり前って感じでした。ろうだけじゃなくて、盲の人や聞こえる人も同じで、例えば黒人の方とかも「黒人だけど関係いでしょ」とか、高齢者で足が悪い方とかも「自分は助けが必要なんだ、スロープが必要なんだ」って言っているのを見て、なるほど、当たり前のように頼んでいいんだという考え方に変わっていきました(06-3:93-106)。  このように、多様な人々が共存・協力し合っている集団に参加し、自分もその一員としていていいんだと思える経験を得ることは、自分の価値を見いだしたり、環境調整を志向していったりするきっかけになっていることがわかる。 概念4 [成功他者からの希望の湧出]  [成功他者からの希望の湧出]とは、分析焦点者が、社会で十分に力を発揮している他者の姿から、「自分もできるかも」と思い始めることである。  以下に、この概念を生成する際に用いたヴァリエーションを示すが、調査協力者からは、最初から「自分は何かができる」などと希望を持っていたわけではなく、モデルとなるような存在との出会いがきっかけで、このような思いが生まれてきたとの語りが得られていた。 ・まぁそうですね…やっぱりその、僕の一番のきっかけというのは、聞こえない先輩?先輩がいたんですけれども、その先輩、たまたま僕が部活動が卓球部だったので、卓球の関係で知り合ったんですけど、その先輩がやっぱり聞こえる人の中でも、聞こえる人の中でもすごい、なんだろう、上手くやっていっているというか、すごい、なんかそういう風ななんか…卓球も上手かったし、なんか人としてすごいなんか関わりが上手い人だったので、そういう人と関わるようになって、ちょっと憧れから始まった感じですかね。なんかその辺から 自分も何かできるんじゃないかと思うようになったと思います(11-3:92-98)。 ・参加したときに、歳が近い女性がいて、私が16,17歳ぐらいで、彼女が二十歳。歳が近くて、他の方もいらっしゃったけど、30代、40代、50代の方でして。彼女は歳が近くて、英語が好きで得意で、ペラペラで、すごい、英検ってどう?って聞いてみたら、「英検は文字、テロップを出してくれる配慮がある」って言ってくれて、私はへぇ!と、聞くというのは聞くだけだと思っていたので、「違う違う。申請すれば、画面のテロップを見てやる方法がある」と言ってくれてなるほど!と。それを聞いた後に日本に帰って、留学への興味が湧きたったんです(06-1:27-33)。  また、以下に示す通り、他の障害種の方からもさまざまな学びを得たとの語りが得られており、モデルとなり得るのは、同じ聴覚障害者だけではないことも明らかになった。 ・他の視覚障害者の方とか、車いすの方とかは、すごく冷静に客観的に自分の障害を話したりとか、どうすれば相手に気持ちよく受け入れてもらえるのか、実現するのか、(それを実現する)話し方っていうのがあるんですね!そういう話し方を学んだっていうのが大きいのかなって思いますね。自分以外の聞こえない人だけではなくて、他の障害のある人たちと出会うことで、そういう場所での気持ちの伝え方とか、提案の仕方とか、相手に共感してもらえる話し方とか、それを新しく学ぶということが多かったと思います(10-12:414-420)。  これらを踏まえると、分析焦点者は、社会で十分に力を発揮している他者との出会いを通して、少しずつ「自分もできるかも」と思い始めたり、実際の交渉における適した話し方など、さまざまな学びを得ていったりしていくと言える。 概念5 [棚ぼた的知識習得]  [棚ぼた的知識習得]とは、分析焦点者が、自分から行動したわけではないが、周囲の働きかけにより、新たな知識を得ることである。  以下に示す通り、調査協力者は、真っ直ぐ見てくれる人([真っ直ぐ見てくれる人との繋がり])や、自分と同じだと思える仲間([安定源となる一緒仲間との繋がり])と出会ったり、多様な人々が共存・協力し合っている集団へ参加したり([多様者協力チームへの参加])した後、繋がった人たちから偶然「自分が困っていることは、自分から伝える必要があるよ」などとアドバイスをもらったことがあるとのことだった。 ・アドバイス、なるほどね。アドバイスの一つとしては、「自分にとって必要なことは自分から言う必要がありますよ」と、「言わなかったらみんなわからないから、何に困っているのか、何が必要なのか、自分から言うことが大事ですよ」って言ってもらいましたね。すごくありがたいアドバイスでした。(08-4:128-134)。 ・大学に入って、聞こえない先輩たちに会って、聞こえないってことは情報が足りてないんだっていうことを、切々と聞かされて、「あっそうなんだ」っていう感じで、 それを補うためには、ノートテイクっていう、情報保障っていうのがあるんだよって言われて、へぇ~って、だから私は全然抵抗もなくそれを受け入れられて(02-9:323-328)、 ・また、国語の先生だったので、「自分の気持ちを言葉にかえる必要がある」っていうことを教わった気がしますね。当時は全く聞こえなくてコミュニケーションが取れなかったんですよね。だから先生とのコミュニケーション方法は全部手紙だったんですよ。書いて、出して、返事をもらって、読んで、っていう手紙でのやりとりだったので、手紙を書くことによって自分の気持ちを言葉で表現する練習にもなったのかなぁと思います(10-6:201-206)。  (08-4:128-134)で「すごくありがたいアドバイスでした」と語られていることから、こうしたアドバイスを得ることは、調査協力者の成長に大きく寄与していたことがうかがえた。  これらから、分析焦点者は、人との繋がりができたことで、自分から行動したわけではないが、周囲の働きかけにより、新たな知識を得ていくことがあり、これは成長の大きなきっかけになっていると言える。 概念6 [自分以外目線からの学び]  [自分以外目線からの学び]とは、分析焦点者が、自分以外の目線での見え方や苦労などを知ることで、新たな知見を得ていくことである。  以下に、この概念に含まれるヴァリエーションの一部を示す。これらから読み取れる通り、調査協力者は、例えば協会や学会の運営者など合理的配慮を提供する立場や、仕事として職場定着支援を行う立場など、合理的配慮の提供を求める聴覚障害者とは違う立場を経験していた。そして、調査協力者はそれらの立場で得られた経験から、例えば自分が合理的配慮の提供を求める際の注意点を見いだすなど、自らの力を十分に発揮できる理想的環境の実現を、志向・実践していくために役に立つ知識を得てきたと語っていた。 ・逆に自分がいろいろと合理的な配慮を求められるという立場も、何個か経験はしてきてるので、その辺りから自分が逆に求めるときはその辺りを気をつけた方がいいかなっていう学びを得る。そういったことが積み重なってきているのかなと思います(07-1:12-14) ・今までは自分中心にいろんな取り組みをやってきましたけど、相手の事を考えるもそうですけど、退いて見る、退いて見ることってすごい大事だと思いますよね。今も僕もなかなかうまくいかないことも多くて、いろいろ悩んではいるところもあるんですけれども…なんでしょうね…レベル高いかもしれませんけど、自分じゃない、第三者的な立場から、何かの…ここの関係を考えると言いますか。なんか、言ってること伝わるかなぁ…自分と相手じゃなくて、自分が第三者となって、そこをどううまくコーディネートするか、そういうことを考える取組っていうのもあっても面白いのかなぁって思いますし、それは今僕がそういう感じの会に関わらせていただいて、すごい勉強になっていることも多いので、そういう意味ではすごい、そういう取り組みは、新しい視点とか、見えるところが違ってくると思うので、面白いかもしれませんね(11-13:465-474)。 ・今、職場定着支援というものがあって、そういう仕事をしていく中で、仕事を紹介して採用が決まった障害者に対して、会社に行って職場定借支援をすることがあるんです。だけど、上手くいっていないところと、上手くいっているところの違いを比べると、やっぱり基本的な挨拶ができているかどうかとか、普段からお互いに支え合うように意識しているかどうかとか、そのあたりが違いますね。失敗するところは、挨拶もしてないとか、普段のコミュニケーションがないとか、一方的に配慮を求めるだけですね。でも上手くいく方は、お互いに仲間として協力し合う関係がありますね。配慮が必要だとなった時に、上司とうまく関係ができているからスムーズにいっていると思いますね。そういう普段からの関係づくり、それをもう少し意識してほしいと思います(01-12:399-408)。 ・今私難聴協会で活動してますけど、やっぱりそこでの活動がベースになっているので、いろいろ企画をやるために必要なこととか、もしこういうひとが参加したらどういう配慮が必要なのかなぁって、なんだろう、自分が配慮する側もやっているので、はい。そうですね。それはよく考える。 (質問)配慮をする立場になるっていうことが大事なんですか。 ・大事だと思います。大事だと思う。えっと、難聴協会、もちろん学生の時もそうだったんだけど、弱視の、難聴と弱視の人が参加するってこともあったんです。だから、パソコン通訳の文字で、普通黒に白の文字が出てくると思うんだけど、その子は黒に黄色が良いって言ったの。で、字も大きい方がいいって。わかったって、パソコン通訳に調整してもらって、黒に黄色で字も大きくしてもらってやるっていうのも一緒にやらせてもらったし、あと難聴なんだけど、足、なんか歩くのも上手じゃない人がいて、だからみんなで運動系の活動をする時も、気をつけなきゃいけないってのもあったし、あと今難聴協会にいても、なかなかその~ね。もうおじいちゃんおばあちゃなんになっていろいろできないことも増えてきてるから、あ~してほしいこうしてほしいっていろいろ言われるから、やっぱりやり方もそれに合わせていかきゃいけないなっていうのがあるので。そうすると、やっぱり、普通の企画の運営じゃないから。あ、いやいや私にとってはそれをやること自体普通だからいいんだけど、でもそれを知らない人にとっては、もう何も知らない状況で、え?聞こえないから配慮するってどういうこと?みたいな、やっぱり想定されてないことを言われるって大変なんだろうなってことはわかるので、本当にこのあいだの白澤先生との話でもあったんだけど、やっぱり何か企画を運営する中に、新たに入れるっていうのを考えた時に、スクリーンがあるんだったらこういう方法もありますよとか、スクリーンがないんだったら自分のiPad持っていきますよとか、その会の何だろう、そっち側が見えれば、交渉の仕方が全然変わってくるので、そういう意味では、自分がやっぱり企画を担当してきたことが、本当に無駄じゃなかったって思ってますね(02-16:550-574)。 ・ロジャーというものを知らない人にとってみれば、こっちの方(聴覚障害者)のニーズというのが何なのかがわからないケースもあるんだなということが、そのとき私にもわかったんですね。 もっと具体的に言うとね、ロジャーを使用したいというニーズが言われたんですよ、この方(聴覚障害者)からね。こっちの方(団体)はマイクを使いたいのかというふうな理解の仕方をしてて、いやいやそうじゃなくて、マイクを使ってもらいたいという理解をしなきゃいけないのに、何かその辺がこの人(聴覚障害者)は自分の発表のときに使いたいと言ってるんだけど、そんな話はこっちは聞いてないとか、なんかいろいろ質疑応答のときのやりとりなんかを含めるとロジャーの使い方みたいなものの説明も必要になりますよね。あるいは会場になる部屋の音響設 備みたいなものの状態も含めて、一番良い解決方法は何というのを考えなきゃいけない状況があったんだけど。おそらく彼(団体の一人)1人だったらそこまでは考えが及ばなかったと思うので、そのあたりについては一番いいのではないかなという方法を、ちょっと助けて、情報提供したという経緯があります(07-2:65-76)。  上に記したヴァリエーションのうち、特に(07-2:65-76)や(02-16:550-574)から、調査協力者は合理的配慮を提供する立場を経験することで、実は支援を求める相手は、支援について知らないケー スがあることや、知らないが故に交渉がこじれてしまうケースがあることに気づいてきたことが見て取れる。さらに、(01-12:399-408)のように、職場定着支援に携わっていく中で、ただ一方的に支援が必要だと主張するのではなく、相手の事情も尊重した、相手と協働できる関係性を作っていくことの重要性に気づいてきたとする語りも得られた。  これらから、分析焦点者にとっては、合理的配慮の提供を求めるなど、環境調整を行う自分目線の見方・考え方のみでなく、さまざまな立場の経験を重ねることが重要であることがわかる。これにより分析焦点者は、相手を尊重し、相手と協働していくことの必要性を学ぶなど、自分にとって理想的な環境を実現するために必要な知見を得ていくと言える。 概念7 [成長のための積極的外部情報収集]  [成長のための積極的外部情報収集]とは、分析焦点者が、自分が成長するための有力情報を、積極的に探しに行くことである。  以下に示したヴァリエーションの通り、先に述べた[棚ぼた的知識習得]のような偶発的な知識習得も重要であるが、それだけではなく、本を探して読む、必要な知識を習得するためにサークルに入って運営ノウハウを学ぶなど、調査協力者からは、さまざまな行動を起こして、情報を収集していったとする語りが得られた。 ・私は、まぁ相手ですよね、相手に議論で打ち負かされてしまうのが嫌、負けず嫌いだったので、どうしたらいいかと考えて、中学生の時だったと思うんですけれども、本屋に行って、説得術の本を買って、読んだんです。中学生の時に。普通中学生は読まないですよね。本屋に行って、ビジネス本コーナーに僕は行って、本を探していると説得術の本があるって気づいて、へぇと思って手に取って読んだんです。自分の意見を通すためには、まず相手の話を聞くとか、そういう説明技術を高める技術が載っていたんです。読んで読んで、何回も読んで、このようなビジネス関係の本も僕は読んだんです。生徒の時に読んだんです。実際に会社の社長になった人の話とか、普通は生徒は読まないですよね。そういうのを読んだんです(01-8:256-264)。 ・大学に入った後、手話サークルを立ち上げる必要はあるけど、私は集団活動の経験が無くてですね、その時に私は考えて、○○市にある市民手話サークルに入って、その時私は手話はまだわからなかったけれど、とにかく何度も通って、そこで役員にも立候補したんです。そこで運営のノウハウを盗んでいったんです。「予算の準備はこうやっているのかぁ」、「役員の組織はこのように作るのかぁ」、「みんが衝突したとき上手く調整して落ち着かせるためにはこんな方法があるのかぁ」といったことを観察して収集して、組織マネジメントを自分から学び、知ることができたから、大学2年生の時に大学内で手話サークルを立ち上げることができたんです。つまり、私は組織の運営方法を見通せたから、できた、成功できたということですね(09-7:198-206)。 ・あの時に僕のモデルになったのはね、花園大学ですね。花園大学と、それから大阪教育大学だったかなぁ、が積極的にやっていた。で、お~こんな風に頑張っているんだったら、と思ってやり方を聞いたら、楽しくやっていると。「そうか~」みたいな感じで、3回生の時はもうちょっと楽しくやり始めた(05-5:156-159)。  また、以下に示す通り、本を読んでいても わ からない時には、情報を持っている人に相談しに行くなど、複数の方法を活用しているとする語りも得られた。 ・それと、さっきの本で、「こんな方法があります」と例が本に載っているんですね。でもさっきみたいな本があって、例があったとしても、実際に病院に行ってどう話せばいいかなんてことは、本には載ってないんですよ。 だから、ろうの先輩、技大ならいっぱい事例を持っていたり、合意に至るまでの話し合いも得意な先生がいると思いますが、そう言う人に相談しますね。本当に、技大には相談に来る人が多いと思いますよ(04-13:455-459)。  ただし、以下のようなヴァリエーションも得られた。これらでは、外部から積極的に情報を収集してくることは重要であるが、例えば話が上手な聴者の姿からテクニックを学ぼうとしても、情報保障など何らかの支援が無ければその話を聞くことができず、学びたくても学べないことが指摘されていた。このため、この調査協力者の語りでは、こうした情報収集の際にも、さまざまな支援を活用してテクニックを 学んでいったとされていた。ただし、他の調査協力者の語りも踏まえると、常にこのように上手くいくわけではなく、環境調整を志向・実践していく力をつけるために、環境調整を行う必要があるという循環論法的ジレンマに陥ってしまい、前に進めなくなってしまうケースもあったとのことだった。こうした動きについては、後述する『自身崩壊のクライシス』において詳しく述べる。 ・周りを見て盗んでいきましたね。これはろうからは盗めるんですけれども、聞こえる人から盗むのは通訳がないと難しいですよね。メールを見ることはできるんですけれども、会議の時とかは通訳とかUDtalkとかを見ながら、「そういう言い方をするのかぁ」みたいな感じですね(06-14:486-489)。 ・なのでそこからは、他の人の言い方、上手に話す人を見たり、なんというか突然ぶった切ってしまうのではなくて、「あぁこの提案はいいと思うよ。でもこのあたりはどうかな?」とか、「こういう形でやってしまうと、別のあのあたりが難しいんじゃないかなぁ」みたいな、なんか具体的なものは思い浮かばないんですけれども、言い方がうまい、相手を傷つけない話し方で指摘をする例をいろいろと見て、「あぁなるほど。そう言ってくれると聞き入れてくれるんだ」というのを見たんです。それは、職場に入ってからも同じで、通訳がいるからいろんな人と話ができるんですね。私の上司がほかの職員さんに説明している様子を見たりとかね。「あぁそういう言い方!そういう言い回し!そういう説明方法がいいんだ!」っていうのを盗んでいくことができたからかなぁというのがあると思います(06-14:476-484)。  ただ、いずれにしても、分析焦点者にとっては、自分が成長するための有力情報を、積極的に探しに行くことが重要であり、実際にそうすることで、多くの知見を得ている様子が見て取れた。 概念8[問題解決法の自己探索]  [問題解決法の自己探索]とは、分析焦点者が、自分が直面した問題について、他者に頼るだけでなく、自分自身の力でできる解決や整理を試みることである。以下に本概念を構成したヴァリエーションの一部を示す。これらから、調査協力者は、聴覚障害に起因して直面した問題について、自分で考え、解決策を見い出している様子が見て取れる。これらの行動は、これまで述べてきた[棚ぼた的知識習得]など、他者との関わりや他者の助けによって知識や技術を得ることを否定する概念ではなく、むしろそうして得た知識や技術を自分のものにするために、あるいは他者から得た知識や技術のみでは埋められない穴を埋めるために、並行して用いられているものだということがわかる。 ・そのモヤモヤした気持ちを自分の手帳に書くだとか、言えないなっていう感覚をしっかりこう持っておくというか。言えなかったことをどこかに吐き出すっていうことは、それは他人に喋るってだけじゃなくて、自分の中で振り返るっていうのをしてたかなとは思います(03-10:346-349)。 ・で、その時に、じゃあ自分の聞こえに対してどういう風な伝え方がいいのかとか、後自分が聞こえにくかった時にどういう風に声掛けをしたらいいのかとか、その辺を結構いろいろと考えた経験があって(11-5:169-171)。 ・で、聞こえる友達に教える時は、お互いに視線を合わせて、ゆっくりと話してもらえると、私は理解できるんですね。つまり、私にとって聞こえる人とのコミュニケーションでは、うまくいく条件が少ないということです。はっきりとわかりやすく口の形を見せて話してくれたら、口形読み取りで理解できるという、厳しい条件が私にはあるんです。私にはそういった条件があることが分かりました(09-8:271-275)。  これらから、分析焦点者は、他者との関わりに加えて、自分自身の力でできる解決や整理を試みることで、後述する[モヤモヤ感の具体化]などを行っていることがうかがえた。 2.環境調整観の成長  『環境調整観の成長』というコアカテゴリーは、分析焦点者が、自分が十分に力を発揮できる理想的な環境を実現したいという思いを芽生えさせ、そして、その思いをさらに発展させていくプロセスを示している。プロセスの詳細は以下の通りである。  前述した『心理的安定基盤との接続』を確立した分析焦点者は、さまざまな支援者との関わりを通して、少しずつ客観的な自己像を正確に把握し、受け入れていく(【自己輪郭の内外的ピント調節】)。その結果、分析焦点者は次第に「自分も本来の力を発揮していきたい」と思うようになり、またそのためには自分にとって理想的な環境を作っていく必要があることに気づいていく(【活躍する自己像への志向】)。こうして自分自身や自分の気持ちについて整理がなされたことで、分析焦点者は、本来の力を発揮するため、実際にその環境を作っていこうと思い始め([環境調整実践意識の芽生え])、勇気を出して行動を起こし始めていく(『理想への挑戦的前進』)。  また、実際に理想的な環境を作ろうと何度も行動を起こしていく等、さまざまな経験を重ねる中で、分析焦点者は環境調整の意味や価値を多角的にとらえられるようになっていく(【環境調整観の多角高度化】)。そして、これによって、分析焦点者は自信や余裕をもって、環境調整を行えるようになっていく(『理想への挑戦的前進』)。  以下に、本コアカテゴリーを構成する上述した3個のサブカテゴリーと、それぞれのサブカテゴリーを構成する後述の計10個の概念について説明する。 サブカテゴリー1 【自己輪郭の内外的ピント調節】  【自己輪郭の内外的ピント調節】というサブカテゴリーは、分析焦点者が、さまざま な支援者との関わりを通して、少しずつ客観的な自己像を正確に把握し、受け入れていくプロセスを示している。プロセスの詳細は以下の通りである。  分析焦点者は、さまざまな支援者との関わりを通して、本当の自分の力を過小評価することなく把握し、環境が原因で今までの自分は損をしていたことに気づくとともに([等身大の自分の把握])、自分の聞こえをあるがままに受け入れたり([聞こえのあるがままの受容])、自分を一人の人間として価値ある存在だと認識したり([人間的価値の保持])していく。さらに、例えば「社会において、人には皆苦手なことがあり、助け合っていること」に気づくなど、社会について知ることでも、分析焦点者は自分の置かれた状況を社会と比較して検討することで、社会において自分は特別な存在ではなく、力を発揮するために環境を変えていっても構わないとの認識を深めていく([社会目線の自己分析])。  以下に、本サブカテゴリーを構成する上述した4個の概念について説明する。 概念9 [等身大の自分の把握]  [等身大の自分の把握]とは、分析焦点者が、現在自分が置かれた状況を客観視することで、本来の自分の力や直面している問題の真の原因を見いだすことである。  以下に本概念を構成するヴァリエーションの一部を掲載する。これらから、調査協力者は、支援を受けたことなどをきっかけとして、自分が「わからない」場面に遭遇したときに、その原因は自分だけにあるのでなく、環境にも起因しているのではないかと気づくようになっていた様子が見て取れる。その結果、実は自分はこれまで環境によって損をしてきたことや、環境が整いさえすれば自分も力を発揮できる可能性があること等に思い至っていることがわかる。 ・今聞こえてるものが10だと思ってたので、でもわからないっていう感覚が出てきたときに、このわからない理由が、私の知識不足とか理解度がそのスピード的に追いついていないのか、それとも情報の単なる聞き落としなのかっていうことはあんまりこう考えたことなかったんで。手話を始めてからとか支援を実際受けるようになってから、「私こんなに聞き落としてるんだ」っていうことに気づいた(03-6:206-210)。 ・やっぱり自分ができないっていうのが、まぁ得意不得意があるから、いろんなことできるできないはあるんだけど、やっぱり講義に参加してわからないのは、頭が悪いからだけでは決してなくて、情報が足りてないから、足りてないっていうか正しく伝わってないからだって言うのも、だんだんやっぱり知識と共にわかってくるから、やっぱり聞こえにくい、情報が漏れるということは、みんなと平等に学べてないっていうのも、やっぱりだんだんわかってくるから、そういうのが結構関連づけて、理解はできるようになってきたかなぁ~とは思いますけどね~(02-15:520-526)。 ・さっき少し言いましたが、合理的配慮というのものは、自分がほかの人よりも優遇されるものだと思っていたけれども、そうではなくて、もともと自分は損をしている状況で、その格差を是正するためにあるんだということに気づかせてくれたのが大学なんです(06-4:113-116)。  さらに以下に示すように、このように自分の本来の力を正確に把握していると、自分が力を発揮できていない状態となってしまった時に、その状態に気づくことができ、それを変えるために環境調整をしていこうと思えるようになったとの語りも見られた。 ・結構ね、自分は本当はどのくらいできるのかとかね、客観的に知るのは大事だろうねぇ。で、まぁ就職しました。そしたら、もちろん言っていることはわかりませんよ。言っていることはわからないですけれども、えーとね、今自分は自分の力を発揮できていないということがわかるわけ。自分の本当の背丈を知っているので、就職すると小さくなるわけ。能力発揮できないからね。だから、例えば職場でも要求するわけですよね。通訳が欲しいとか、会議の時に欲しいとか。そしたら、通訳がついたら、自分はこれくらいのことができるようになると説明できる(05-12:401-417)。 ・それからは、自分から申し出る、お願いすることができるように変わっていきましたね(06-4:121-122)。  逆に、わからない原因が自分にあるのか環境にあるのかはっきりしなかった時や、聞こえない自分が悪いと考えてしまっていた時(後述する[聞こえの諸悪の根源化]をしていた時)は、支援を受けるなどして環境を変えていこうとは思えなかったとのことだった。以下にそのヴァリエーションを示す。 ・卒業式、高校の卒業式の時に、私の母が「卒業式くらいは手話通訳をつけたらいい」と言ってきた時に、私は提案に対して「いやいやいや、いらないいらないいらない」って言いました。なんか特別な配慮…あ、合理的配慮のイメージは、みんなよりもずるい、優遇されるみたいなイメージを持っていたため、対等でありたいと。本当は、もともと私が不利な立場にあるから、それを是正するためだけど、その時はわからなかった。対等な立場から、さらに優遇されるからいらないみたいな気持ちをもっていて、「手話通訳?いらないいらない」(06-2:37-43)。 ・ちょっとおじいちゃんで声がボヤ~っとしていると、これはちょっと内容、ついていけない。元々お話されてる内容に馴染みがなかったりするから、私が聞き取れてないだけなのか、それとも内容が難しすぎて理解が追いつかないのか、どっちなんだろうみたいな戸惑いはあったので、何かこう、聞き取りにくいというよりは理解できないっていう、そんな感触はちらほら授業の中であったかなとは思います(03-2:64-68)。  ここから、分析焦点者は、自分自身が置かれた状況を客観視することで、自分自身についての理解が曖昧な状態から、自分の本当の力や直面している問題の原因を分析的にとらえられるようになっていくと言え、このことが、環境調整を志向するきっかけにもなっていると言えよう。 概念10 [聞こえのあるがままの受容]  [聞こえのあるがままの受容]とは、分析焦点者が、自分の聞こえや、聞こえない・聞こえにくい自分そのものをあるがままに受け入れることである。  以下に示すヴァリエーションの通り、サークル仲間から、自分の聞こえについて自然と考えさせてくれる質問を受けたり、自分以外の聴覚障害者と出会い、生活を共にしたりするなど、安心して関われる人たちとのさまざまな交流(『心理的安定基盤との接続』)がきっかけとなって、少しずつ自分の聞こえの状態や、聞こえない・聞こえにくい自分そのものを受け入れていったとする語りが得られた。 ・手話サークルの中でほぼ聞こえる人たちばっかりではあるんですけど、「それって授業困らない?」みたいなことを、結構こう聞いてくれたりとか、「聞こえないってどういうこと?」みたいな想像を周りの人がちょっと働かせてくれる機会がちょこちょこ出てきたので、それで、「私の聞こえなさってどういうことなんだろう?」っていう体験の振り返りみたいなのが、多分徐々に始まってたのかなと思います(03-7:223-227)。 ・この大学に入って、まず1つ目は、自分以外の聴覚障害者の存在を知って、出会って。私はそれまで自分以外の聞こえない人たちがどうやって生活しているのか、コミュニケーションしているのか全く知らなかったんですね。でも技大はみんな聞こえない学生ですよね。どんなふうに生活して、どうやってコミュニケーションしているのか、初めて知って驚いて、聞こえない人の文化も少しずつわかってくるようになって、そうした自分以外の聞こえない人と出会うっていうこと、これが一つ目です。それからもう一つは、大学の授業の中でバリアフリーという言葉を学んだり、またディズニーランドをテーマとした授業があったんですね。こうした授業の中で、社会の課題を解決するためにはどうすればいいのか、これを考えて最終的には提案をするっていう内容の授業があったんです。この2つがきっかけで、聞こえない自分としてスタートすることができましたし、今の仕事に繋がっているって思います(10-2:52-62)。  また、自分の聞こえをあるがままに受け入れたことは、支援を求めるなどの環境調整をしてもよいと思えたきっかけになっているとのことだった。以下にそのヴァリエーションを示す。 (質問)最初から支援試して良いやぁと思える人っていうのは思ったよりは少ないみたいで、先生がそういう気持ちになれた何かきっかけとか、あと、多分これかなと思うものってありますでしょうか。 ・やっぱり、小中高の時から、自分は聞こえにくいということを自分の中でわかってた からというのが大きいかなと思います。やっぱり、何もなかったら厳しいなぁっていうものを、自分の中に感じてたので、それが大きかったっていうのと(11-7:232-237)。  ここから、分析焦点者は、支援者との関わりを経て、自分の聞こえや、聞こえない・聞こえにくい自分そのものをあるがままに受け入れていくと言え、さらにこのことが、その後環境調整を志向していくにあたっての重要な基盤の一つになっていることがうかがえる。 概念11 [人間的価値の保持]  [人間的価値の保持]とは、分析焦点者が、自分は1人の人間として価値のある存在だと認識することである。  以下に本概念の生成に寄与したヴァリエーションの一部を掲載する。これらから、例えば聞こえない人に出会ったり、手話のできる聞こえる人々と協働したりする体験などをきっかけとして、「何もできない」、「聴者よりも劣っている」等と否定的にとらえてしまっていたところから、少しずつ「自分は価値のある存在だ」と自信を持ち始めている様子がうかがえる。 ・やっぱり、高校に入って、同じ仲間に出会って、やっぱりその、なんていうんだろう。こういう聞こえにくい自分でも全然やっていける。人としての自信みたいなものが、ちょっとついたので、その自信があったからこそそれがきっかけになって、じゃあ自分が過ごしやすいためにはどうしようかって言う風には考えるようになったと思います(11-3:79-82)。 ・実際に聞こえない人たちと本当に出会うことで、まずは手話という方法があることを知りましたし、それから聞こえなくても普通に一人暮らしをしているとか生活ができるとか、聞こえなくても学ぶことができるとか、聞こえなくても恋愛ができるとか、結婚できるとか仕事ができるとか、これまでずっと聞こえないことが理由で何もできないって思っていた私には、すごく世界が開かれたような、そういう感じがありましたね(10-9:295-300)。 ・手話ができる聞こえる人がたくさんいたので。僕は聞こえる人は本当は賢いのかどうかわからなかった。というのはね、聞こえる人の会話は僕には基本的にはわかりませんよね。ほんだら、自分は到底太刀打ちできない会話をしていると僕は思ってた。手話使ってしゃべっているのを見たら、「おんなじや!」みたいな。そう変わらないということに気がついた。実は背丈はおんなじやというね(05-9:305-311)。  また、上に掲載した(11-3:79-82)のヴァリ エーションから、「聞こえにくい自分でも全然やっていける」などと、自分についての自信を持つことは、「自分が過ごしやすいためにはどうしようか」といったように、環境調整を志向する気持ちが芽生えるきっかけになっていることがうかがえる。  ここから分析焦点者は、自分を否定的にとらえてしまっていた状態から、少しずつ自分は1人の人間として価値のある存在だと認識していくと言え、この動きも[聞こえのあるがままの受容]と同様、その後環境調整を志向していくにあたっての重要な基盤の一つになっていると言えよう。 概念12 [社会目線の自己分析]  [社会目線の自己分析]とは、分析焦点者が、社会や人々のあり方を知り、その目線から自分自身についての理解を深めていくことである。  以下にこの概念に含まれるヴァリエーションの一部を示す。これらは、いずれも実は社会の中では、聴覚障害のある自分のみでなく、障害のある人もない人も、皆苦手なことや難しいことを持っているということに気づき、自分の置かれた状況と比較的に検討していることがわかる語りとなっている。そして、こうした気づきを得ることで、実は合理的配慮の提供を受けることや、そのために環境調整をしていくことが、特別なことではないという考えに繋がっていることがうかがえる。 ・弁護士になってから思っていることの一つとして、コミュニケーションで苦労しているのは実は聞こえない人だけじゃなくて、聞こえる人の中にもたくさんコミュニケーションが難しい、大変だと思っている人がいるということがあります。例えば知的障害の方とか精神障害の方とか、自閉症や脳性麻痺で話せないとか、何らかの形でコミュニケーションが大変な人はたくさんいるんです。かつ、障害が無い人も、性格とかこれまでの人生経験とかでコミュニケーションが苦手、上手くないという人はいっぱいいます。依頼者もそう。みんなコミュニケーションに苦労しているんです。なので、それをずっと見ていて、お互いさまと言いますか、みんな何らかの形での大変さがあるんです。だからお互いさまと思えるようになったのかもしれません(08-7:236-244)。 ・障害者が必要なことに、合理的配慮という言葉がついていますけど、障害が無い人たちにも苦手はありますよね。苦手、しんどい、やるのが大変、というものは誰かが代わりにやればいいのにね。そういう、誰かが代わりに助けることを配慮とは言わないと思います。もし普通の障害のない人だったら、合理的配慮とは言いませんね。でもこれと、合理的配慮は似ていると思います(04-12:406-410)。  これらに加えて、以下に示したヴァリエーションを踏まえると、成功他者との出会いや、法律に関する知識の獲得、多様な人々が対等に力を発揮している環境での活躍([多様者協力チームへの参加])などを通して、この社会では、人々が自分の力を発揮するために理想的な環境を作っていくことは広く認められており、そのための制度もあることを知っていくことは、調査協力者が支援を受け入れていくにあたっての、大きなきっかけになっていたと考えられる。 ・彼女と会って、英検のリスニングには文字があると教えてもらって、自分がお願いするよりも、制度として英検を実施する団体が用意をしてくれているということに対して、それだったらお願いしやすいと思いましたね。制度がないところにお願いするのではなくて、もうすでにあると言いますか、選択肢として出ているのを見て、なるほど、お願いしていいんだ、それを使ってもいいんだという気持ちになって、英検も受けたいという気持ちになりましたね(06-6:208-213)。 ・あ、それこそやっぱり権利、権利だから、権利だからいいんだよって繰り返し言われた のもあるし、あとやっぱり障害者差別解消法とか、法律でもちゃんと認められるようになってきてるから。まぁ頭の中の知識としては、受け入れているので(02-11:369-371)。 ・ろうが集まってくる大学に私も入って、そこでやっぱりすごく影響を受けましたね。ろうが当たり前ですし、ろうだから通訳をつけるのは当たり前でした。ろうだけじゃなくて、盲の方やろうプラスほかの障害、盲ろう者とか、ろうの肢体不自由者とか、精神障害の方とか、いろいろな学生さんと出会いました。試験の時間を延長したりとか、休憩時間も、歩くことが健常者と比べて時間がかかるので、トイレ等々も含めて、休憩時間を延長してほしいと申し出たら、休憩時間について、時間通りに戻らなくてもいいとの許可が出たりとか、もういろんな、一人一人の要望に対して丁寧に対応する専門のセンターがあったんです。障害学生支援室のようなね。あるでしょ。ちゃんと権利として求めて、上の方々、学校の先生も声なしで手話で話していて、堂々と生活や授業をしていました。外部の先生の時も、自然と書いてください、手話通訳をつけてくださいということがもう当たり前って感じでした。ろうだけじゃなくて、盲の人や聞こえる人も同じで、例えば黒人の方とかも「黒人だけど関係いでしょ」とか、高齢者で足が悪い方とかも「自分は助けが必要なんだ、スロープが必要なんだ」って言っているのを見て、なるほど、当たり前のように頼んでいいんだという考え方に変わっていきました(06-3:93-106)。  同時に、以下に示す通り、調査協力者は、例えば先生からのアドバイスなどをきっかけとして、この社会では、自分が今困っていることは、他の人にはわからず、自分が支援を求めようと考えるならば、自分から積極的に支援を求められるよう、その力を高めていく必要があることに気づいたとのことだった。この気づきも、調査協力者が支援を求めていくための、大きなきっかけになっていたと考えられる。 ・初めてノートテイクっていうのを知って、大学の先生に、自分はノートテイクをつけて、講義を受けたいっていう話をしたときに、私が言うと断られる。断られるんだけど、ろうの先輩が説明すると「いいですよ」と言われることが多くて、そういう経験をしたので、何回もしたので、私の中では、やっぱり自分の説明がダメなのか、何がダメなのかっていうのを、卒論の研究をしたのが一つあって、はい。そこで、やっぱり、ろうの人とか、重度の人だと、見て、あぁ配慮が必要だってわかるらしいんです。先生たちは。だけど、軽度だと、その~資料が欲しいとか、ノートテイクが必要だということは、わからないっていう結果が分かって、じゃあやっぱり自分は言わなくちゃいけないんだって言うことをそこで学んだんですね、私は(02-1:9-17)。 ・大きいのは、小さい時からろうの先輩がやっているのを知っていたから、自然と自分がすることを当たり前だと思っていたというのがあると思います。健聴の人には、言わないと分からないですから。言わないと分からないのが当たり前ということで、自分から言うことが当たり前だと思っていました(04-5:162-165)。 ・この先生が言ってくれたことは、「Aさんは見た目は他の生徒と変わらない。だからAさんが聞こえないことも分からないし、聞こえなくて困っていることもわからないし、どんなサポートが必要なのかもわからない」って言ってくれたんですね。この時に初めて、聞こえないって見て分からないんだってことに気づいたんです。 その話を聞いて、すぐ私は学校の校長先生の所に行って、自分は実は聞こえないこと、聞こえなくて困っていること、でもどうしたらいいのかわからない、そういった状況を全部正直に話をしたんですよ(10-1:32-38)。  また、以下のヴァリエーションが示すように、本人を取り巻く社会の不完全さを理解していることで、必要な支援が認められないなど、辛い状況があったとしても、原因は自分にあるのではなく、社会の側にあると考えることができ、それが自分自身を守ることにも繋がっていることがうかがえる。 ・でも本当に社会は、トップがOKと許可を出せば、OKになることがたくさんありますよね。下の者が反対していても、トップが「うん」って言ったらできるから、そうだなぁと思って。それはたぶんろうの世界でも、今まであったんだと思いますね。上が変われば、下も変わってという形で。たまたま今は看護師のトップ層が、ろうのことを知らないんですよ(04-9:288-291)。  以上を踏まえると、分析焦点者は、この社会では、人々が環境調整していくことは広く認められており、かつこれは自分が率先して行う必要があることを知っていくことで、少しずつ自分は環境調整をしていってよい存在だと認識し始めるなど、社会の目線から自分自身の価値やすべきことについての理解を深めていくと言える。同時に、社会の側にも不完全な部分があるという事実を知ることで、現状の問題点を正しく把握することができ、このことが自分自身を必要以上に責めることなく、守る働きに繋がっていると見られた。 サブカテゴリー2【活躍する自己像への志向】  【活躍する自己像への志向】というサブカテゴリーは、[活躍する自己像への志向]を昇格する形で生成された。したがって詳細の説明は次の[活躍する自己像への志向]の項目で述べる。 概念13 [活躍する自己像への志向]  [活躍する自己像への志向]とは、分析焦点者が、自分が社会で十分に力を発揮していくことを望み、そのためには環境調整が必要だと感じるとともに、これを求めて働きかけていくことの必要性を理解していくことである。  以下に、この概念の生成に寄与したヴァリエーションの一部を示す。ここでは、成功他者との出会いが大きなきっかけとなり、そこから希望を得て([成功他者からの希望の湧出])、自分も彼らのように力を発揮していきたいという考えが芽生えていることがうかがえる。 ・まぁそうですねやっぱりその、僕の一番のきっかけというのは、聞こえない先輩?先輩がいたんですけれども、その先輩、たまたま僕が部活動が卓球部だったので、卓球の関係で知り合ったんですけど、その先輩がやっぱり聞こえる人の中でも、聞こえる人の中でもすごい、なんだろう、上手くやっていっているというか、すごい、なんかそういう風ななんか…卓球も上手かったし、なんか人としてすごいなんか関わりが上手い人だったので、そういう人と関わるようになって、ちょっと憧れから始まった感じですかね。なんかその辺から自分も何かできるんじゃないかと思うようになったと思います(11-3:92-98)。 ・OBが、大学で頑張ってるOBがたくさん来てくれて講演をしていました。その中で、「大学は情報保障がない、ちゃんと準備していないから、そういう学習環境で、自分が勉強していくためには、自分から配慮を求めていく必要がある」と言われたんです。配慮について、具体的な内容は何かというと、ノートテイクとか、それから…ボランティアの通訳とか、そういうのを求めて大学と交渉する必要があるという話を聞いたんです。なるほどと思いながらその内容、その話を聞いて、自分も大学に入ったら交渉が必要だと思うようになったんです。ただ、大学だけじゃなくて、聞こえる、一般の社会に参加する時も、そのように自分から交渉していく姿勢が必要になったと思います。で、実際にその人たちの話を聞いて、へぇ、自分も大学に行って、ろうを受け入れたことが無い大学を選んで、自分が行って切り拓いて学べる環境を作りたいと思ったんです(01-4:113-123)。 ・参加したときに、歳が近い女性がいて、私が16,17歳ぐらいで、彼女が二十歳。歳が近くて、他の方もいらっしゃったけど、30代、40代、50代の方でして。彼女は歳が近くて、英語が好きで得意で、ペラペラで、すごい、英検ってどう?って聞いてみたら、「英検は文字、テロップを出してくれる配慮がある」って言ってくれて、私はへぇ!と、聞くというのは聞くだけだと思っていたので、「違う違う。申請すれば、画面のテロップを見てやる方法がある」と言ってくれてなるほど!と。それを聞いた後に日本に帰って、留学への興味が湧きたったんです(06-1:27-33)。  また、合理的配慮の提供などの支援を受けた際に、それによって自分が快適に情報を得られたり、主体的にその場に参加できたりすることに気づいたことで、自分が力を発揮するためには、このような支援が必要だと感じるようになっていったとも語られていた。以下にそのヴァリエーションを示す。 ・なんか二年生の時に、もう何のときか忘れちゃったんですけれども、やっぱりすごく疲れて、自分が聞くのがね、でやっぱりノートテイクの字を追っていた時に、私はこっちを見て勉強した方が疲れないと思ったことがあって、やっぱり聞くと、何て言ったのかっていうのを、頭の中で私は復唱して、あ、こう言ったこう言ったってやるんですけど、それをやめたら楽になるぞっていうのを二年目の時に気づいて、で、ノートテイクとかそれこそパソコンテイクがついている時は、そっちを優先して見たり、情報を得ようっていう風になって、はい。そこから私の中で、情報保障ってやっぱり必要。文字の情報って必要なんだなっていうことが、はい。自覚したというか(02-2:72-79)。 ・まず、その場に流れてる音の情報がきちんと入るっていう何か喜びみたいなのを、多分「授業をしっかり受けなきゃ」とかそんなんじゃなくて、「この場にいて、何もしなくても、自分が努力しなくても、 すべての情報が入ってくるんだ」っていう、嬉しさみたいなのを、多分初めて知ったので、それが、今まで、何ていう…8割で我慢ではないけど、それでもう満足してた部分が、「この2足りないんだ!」ってことに気づかせてくれたきっかけではあるし、「もうこの2をもうちょっと工夫して、何かを両方取れれば、もっと楽しいとかもっとこういい体験ができるかもしれない」っていう希望を持ってたのは、あるかなと思います(03-8:263-269)。 ・さっき話した中で、クラスメイトと議論ができるようになったとか、自分は話してなくて向こうで授業の感想とかを話しているのを見れるとかですね。だから今までは本当に先生の話だけを集中して聞く、先生の話だけを読み取っていたのが、クラスメイトと一緒に感想や質問を話し合ったり、ほかの人の話している様子を見たりして、そこから新しい気づきが生まれてくるというのが授業中にたくさんあったので、情報が見れる、手話で情報が見れるというのはこんなに変わるんだと思ったんです。学ぶことができるんです。先生からも、先生の話もありますし、先生の話も分かるし。周りとの議論もできる。コミュニケーションの壁なく学ぶことができる。学ぶことの楽しさを覚えたんです(06-8:264-271)。  さらに、調査協力者からは、大学の支援担当職員との関わりを経て、少しずつ、「支援は自分から考え求めていっていいんだ」という考えに変わっていったとする語りが得られた。以下にそのヴァリエーションを示す。 ・きっかけになっているかはわからないですけど、情報保障とかパソコンテイクとか、自分のつけたいものだけにつけても全然かまわないよって、その時の大学の支援のコーディネー ターの職員、職員さんかな、職員さんに言われた。多分、恐らく僕がそういうことを、結構相談したか、ポロっと言ったのかと思うんですけれども、実際例えばある決まった講義は、別に正直要らないかなみたいな話をしたときに、それだったら外しても構わないし、自分の好きなようにというか、自分が必要だと思うことを要望したらいいと言ってくれたので、あぁじゃあそうしようかなって思って、考えるようになったのかなって思いますね(11-8:278-292)。 ・今でもなんか、なかなか「せっかくやってもらえてるのにそれを取り消しにするのはなぁ」ってちょっと遠慮しちゃう部分があるので、「それは遠慮しなくていい」っていうふうに繰り返し言われていた のと、ちょっと話というか時期がぽんと飛ぶんですけど、今、手話通訳が入ってる授業が一つあって。手話通訳さんに、「もう少しここはこういうふうに通訳して欲しかった」とか「ここが見えづらかった」とかそういう要望を私が伝えられるように、Googleフォームでもうポンと文章を打って、支援ルームに届く、で支援ルームから手話通訳さんへ伝えられるっていうその流れがもうできているので、そこは、前よりはこう話しやすくなってるというか、いつでも自分がぱっと思ったことを書き込んで伝えられるっていう仕組みは大学院入ってから整ったので(03-11:362-370)。  その他、調査協力者からは、自らの経験を振り返った結果、改めて、支援は自分から考え求めていくことが大切だととらえるようになったとする語りも得られた。ここから、他者との関わりに加えて、自分自身で考えることでも、新たな気づきを得ていく場合があることがうかがえた。以下に、そのヴァリエーションを示す。 ・じゃあマイノリティーである我々が、すごしやすい社会に変えていくためには、自分が動き始めることがやっぱり大事なのかなぁって思うので。支援して…支援が十分にできる環境が整っていることだけが、良いことなのかと言われると、そういうわけではないのかもしれない。その場はいいかもしれないけど、そのあとを考えると、自分で考えてって経験も大事なのかなぁとは思います(11-13:436-440)。  このように調査協力者は、さまざまなきっかけを経て、自分の力を発揮していこうという思いを芽生えさせてきたことがうかがえる。ただし、きっかけはさまざまであるが、これまでに掲載したヴァリエーションはすべて、調査協力者自身が自然と力を発揮していきたいと思うようになっている点で共通している。  一方で、以下に示すヴァリエーションのように、半ば義務的に力を発揮していこうと考えるようになったとする語りも得られた。 ・その校長先生って、私の大学の言語過程の、大先輩。だから難聴学級とかの経験もあるし、もちろんろう免ももっている校長先生で、やっぱり私が難聴だっていうので、難聴の先生でも、やっぱり普通学校で働けるっていうのを俺は証明したいんだって言ってくれる人だったので、はい。その影響も少なからずあると思います。 (中略) まぁ、考え方が変わったっていうか、すごいプレッシャーでしたよ。やっぱりね、身近に難聴の先生って当時はいなかったので、はい。つくばにね、A先生はいるんですけど、当時は知らなかったので。そういう意味でも、自分がやんなきゃいけないんだって思って、すごいプレッシャーだった記憶があります(02-6:209-218)。  この語りでは、調査協力者は力を発揮していかなければならないとプレッシャーを感じており、また身近に難聴の先生がいてほしかったという思いが見受けられる。そのため、分析焦点者にとって、このような形で力を発揮していこうと考えるようになることは、時に過度な負担となってしまう恐れがあると言える。したがって、このような形を否定するわけではないが、[成功他者からの希望の湧出]をきっかけにするなどして、自然と力を発揮していきたいと思うようになっていくことが理想的であるとは言えるだろう。  また、先ほどの(03-8:263-269)など、支援を受けることが[活躍する自己像への志向]のきっかけとなっていたヴァリエーションは複数存在したが、同時に以下に示すヴァリエーションのように、支援を受ければ必ず[活躍する自己像への志向]に繋がるわけではないとする語りも得られた。 ・講義とか講演会とか行って、「ほうなるほど。勉強になった!」と、所謂納得したり腑に落ちたり発見したりという経験が僕にはない。だって高校の時授業分からないんだから、自分で参考書見て勉強しているだけやから、授業を聞いて自分の気持ちが揺さぶられるという経験がない。だからノートテイクを見たところで、ちっとも何の影響もない。むしろ座らされて、ノートテイクしている人に気を遣って。そんなんやったら、まだ僕参考書見て勉強した方がいいやんみたいな風になっていくわけですよね(05-4:115-120)。 ・その時は正直、手話通訳…私は手話が得意ではなかったということもあって、手話通訳が読み取れなくて、初めてつけたので少し戸惑いもあって、だからその時は特に感じるものはなかったです(06-7:248-250)。  これらの語りに共通するのは、支援はあるが、それが本人にとって快適な情報収集等に繋がっていないという点である。したがって、ただ支援を受けるだけでは[活躍する自己像への志向]のきっかけになるとは限らず、自分が快適に情報を入手できたり、主体的にその場に参加できたりする支援を受けることが重要だと言えよう。  また、以下に示す通り、自分に対する自信がもてていない状態だと、力を発揮しようとは考えられなかったとする語りがあり、ここから【自己輪郭の内外的ピント調節】を行い、自分の価値等を見いだし、自信をつけておくことが、[活躍する自己像への志向]の条件になっていることが示唆された。 ・なんか、話がちょっと逸れちゃうかもしれませんが、あの~、その、ちょうど中学校くらいまでは、どちらかというと自分の聞こえにくさということを、すごい悩んでいて。なんかその、前を向けないって言うんですかね。自分から何かをしようとか、行動しようということは考えられなかったんですけど(11-3:75-79)。  以上を踏まえると、分析焦点者は、さまざまなきっかけを経て、自分が社会で十分に力を発揮していくことを志向していくようになっていくと言える。この際、自然と志向するようになっていくことが理想的であり、またこの動きは、【自己輪郭の内外的ピント調節】を行い、自分の価値等を見いだし、自信をつけておくことが前提になっていると考えられる。 サブカテゴリー3【環境調整観の多角高度化】  【環境調整観の多角高度化】というサブカテゴリーは、分析焦点者が、環境調整の意味や価値を多角的にとらえられるようになっていくプロセスを示している。プロセスの詳細は以下の通りである。  自分自身を客観的にとらえ、力を発揮していくためには環境調整が必要と気づいた分析焦点者は、本来の力を発揮するため、実際に環境調整していこうと思い始めていく([環境調整実践意識の芽生え])。  そして、実際に理想的な環境を作ろうと何度も行動を起こしていく等、さまざまな経験を重ねる中で、分析焦点者は、一見、聴覚障害者のためにあると思われる支援が、実は支援提供側にとっても価値のあるものだと認識したり([WinWin支援観の確立])、支援やそれを求めることは、皆のためにもなることに気づいたり([支援for all”観の確立])、或いは自分が社会的責任を果たすためには支援が必要であり、自分は支援を求めていく責務があると考えるようになる([支援責任遂行基盤観の確立])など、環境調整の意味や価値を多角的にとらえられるようになっていく。その結果、分析焦点者は余裕や自信をもって環境調整を行えるようになっていき([余裕のある対応姿勢])、理想的な環境の実現を目指して、さらに行動を起こすようになっていく。  以下に、本サブカテゴリーを構成する上述した5個の概念について説明する。 概念14 [環境調整実践意識の芽生え]  [環境調整実践意識の芽生え]とは、分析焦点者が、自分の本来の力を発揮していくために、環境調整をしていこうと思い始めることである。  以下にこの概念の生成に寄与したヴァリエーションの一部を示す。ここでは、理想的な環境ならば、自分は本来の力を発揮できるが、逆にそうでない現状では、自分は苦しく、力も発揮できないことを知ったことで、何とかこの環境を理想的なものへ変えていこうと考え始めていることがうかがえる。 ・成長したい!やりたい!という気持ちもあります。合理的配慮がないと自分が成長できない、仕事ができないということを知るところから、何があれば自分はできるのかと考えて提案するようになったと思います(06-9:295-297)。 ・やっぱり、情報があるとできることがあるということが、さっき話した通りわかったので、そういうことができる状況、環境になってほしい、なる必要がある、ないと自分の力が発揮できない、活躍できないということがわかったので、自分が必要な環境になるように、手話で話してほしいと言ったりとか、手話通訳をつけてほしいと言ったりとか、わからないときは質問してと言ったりとか…できることを知ったから、こうなるために必要なことは何かというところがわかってきたんだと思います(06-8:287-292)。 ・支援を受けられるようにというか、支援を求めるようになったきっかけが、先ほど言った、手話サークルの先輩が、ロールモデルになる人がいらっしゃったっていうことと、あと、実際授業の中で、授業とか課題の中で、肉体的にしんどくなってきたっていう。ずっと耳で聞いてるから聴力も落ちるし、しんどいし。これは何とかせねばならないっていうのを徐々に徐々に感じ始めたっていうこと(03-7:217-221)。  また、次に示すヴァリエーションから、力を発揮したいと思っており、そのためには環境調整が必要だという強い思いがあれば、たとえ周囲の理解が得られない状況であっても、一生懸命環境調整をしようと行動を起こしていける場合もあることが示唆された。 ・インターンの時も手話通訳をつけて行きたいと、自分から希望して、連れてきて、一緒に回っていたんですけど、病院から見ると、「手話通訳が必要なの?甘いね」と見られてしまって。まぁわかりますよ。構いませんよ。でも私にとっては病院で見て回るときに、手話通訳が無かったら、何もわからないです。話していても、その雰囲気を掴めません。だから、私は自分で判断して、手話通訳をつけたんです(04-6:184-189)。  ここから、分析焦点者は、自分が本来の力を発揮していきたいという思いと、それができていない環境を認識することで、自分が力を発揮していくために環境調整をしていこうという思いが芽生えていくと言える。 概念15 [WinWin支援観の確立]  [WinWin支援観の確立]とは、分析焦点者が、一見、聴覚障害者のためにあると思われる支援が、実は支援提供側にとっても価値のあるものだと認識することである。  以下にこの概念を構成するヴァリエーションの一部を示す。ここでは、相手に筆談を頼んだ結果、相手も筆談を通して考えが整理されたといったように、実際に支援を求めていった中で、自分がお願いした支援が、実は支援を提供する側にとっても価値のあるものになっていた体験があったことが語られていた。調査協力者は、こうした体験を得たことで、支援は自分にとっても支援を提供する相手にとっても価値のあるものだと気づいたとのことだった。 ・そうですね。配慮を求めることが、相手の時間を取るとか、相手に苦労をかけるってことだけじゃないんだっていうふうには思いました。実際書いてもらうっていう作業って、こう手を使うっていうことになるので、ひと手間かかるんですけど、その書くことで相手も自分の考えが見て「整理されたわ」っていう感覚にもなるし、より2人でわかりますしたっていうふうに共有できる確証があったりとか(03-16:544-548)、 ・自分ができると表明することで、自分が助けてもらうだけじゃなくて、自分の組織の人たちも、これまでは「あ~あの人はかわいそう」とか「できないから、どう助けてあげたらいいのかなぁ」と自分と周りの人の間に距離があって、周りの人たちも困っていたけれど、通訳がいるから一緒に対等にできる!お互いに助け合えることがあるんだ、いろいろとできることがあるんだということを知ったのも大学ですね(06-4:117-121)。  さらに、こうした気づきを得たことで、例えば「筆談は相手にとっても必要だから」などと考えて、遠慮せずに支援を求めていくことができるようになったとする語りが得られた。以下にそのヴァリエーションを示す。 ・「相手にとっても筆談は必要だから」と、そう思った後は、私は遠慮はいらないなぁと。お互いにコミュニケーションをとるために筆談は必要なので、お願いすることに対して遠慮はいらないと思いましたね(08-3:92-94)。  そして、調査協力者からは、支援を求める際にこの認識を活用し、「相手にもメリットがありますよ」と説明することで、相手の理解を促し、より提供されやすくなるよう工夫していたとする語りが得られた。以下にそのヴァリエーションを示す。 ・自分の意見を通すためには、自分の意見、自分にとってメリットがあるということを説明するだけでは通らないんです。その意見、自分の意見を、相手が受け入れた場合にどんなメリットがあるのか、そういうことを説明する方が、相手に受け入れてもらえやすいんです(01-10:341-344)。  これらから、分析焦点者は、自分がお願いした支援が、実は支援を提供する側にとっても価値のあるものになっていることを認識することで、遠慮せずに、したたかに支援を求めていくことができるようになっていくと言える。 概念16 [支援for all”観の確立]  [支援for all”観の確立]とは、分析焦点者が、支援やそれを求めることは、自分だけでなく、みんなのためになると認識することである。  以下にこの概念を構成するヴァリエーションの一部を示す。ここでは、例えば会議場面において、自分が通訳などの支援を受けることで、自分だけでなく、他の人も自分と話ができるようになっており、また全体としてみた時も、参加者全員が情報を交換できる有意義な会議になっていたことに気づいたという体験などが得られた。こうした体験から、調査協力者は、自分が支援を求めてそれを受けることは、自分にとって価値があると同時に、相手やその場にいる皆にも恩恵をもたらしうる、価値のある行動だと認識していったとのことだった。 ・そうですね。配慮を求めることが、相手の時間を取るとか、相手に苦労をかけるってことだけじゃないんだっていうふうには思いました。実際書いてもらうっていう作業って、こう手を使うっていうことになるので、ひと手間かかるんですけど、その書くことで相手も自分の考えが見て「整理されたわ」っていう感覚にもなるし、より2人でわかりますしたっていうふうに共有できる確証があったりとか、あと子どもに関わってる場合はちょっと違うなと思う部分が、「じゃあ先生のためにこれしてあげる。僕こんなことできる」みたいな感じで、自分の有能感みたいなのを、子供自身が感じられる。相手の役に立つことができるんだみたいな、何かそういう嬉しさを体験する、何か、何かきっかけとして悪くないなとは思う(03-16:544-552)。 ・自分が参加できるようになることで、他の人も、私から意見をもらえる、私に活躍してもらえるという、対等な立場で仕事や授業の役割分担ができる状況になるので、聞こえる人にとっても、どんな配慮が必要なんだろう?とか、書いてあげないといけないとか、何をやってあげないといけないのかがわからないから、距離をとってしまうということは違っていて、通訳がいるから聞ける!お願いできる!意見を聞いたり話し合ったりできるという良い面があるので、合理的配慮は結局自分のためだけじゃなくて、みんなのためになるっていうことを知ったんです。私が聞こえる人の中に入っていくときに、聞こえる人たちにパソコンでの入力をお願いすると、自分の仕事とパソコン入力の負担がかかってしまうから、専門の人を雇うことで、みんなが仕事に集中できますよね。専門の人に任せることで、安心してできる。お互いに助け合うことができていいなぁということがわかったんです。会社としては通訳費の負担という面があるかもしれないけれども、全体的に見て、話し合いができて、また聞こえない人や障害のある人と一緒に働くことで、多様性の理解もできて、いい効果になっていると思いますね(06-10:341-353)。  また、次に示すように、こうした認識を活用し、「他の人にとっても役に立ちますよ」と説明することで、支援を求めた経験があるとのことだった。ここから、この認識を活用することで、よりしたたかに支援を求める交渉ができるようになっていくと考えられた。 ・私だけじゃなくて、他の人たちも、今コロナ禍でオンラインになっていますから、字幕は私のようなろうだけじゃなくて、それ以外の人の助けにもなりますよね。例えば子供の世話をしていて、子どもがワーってなって子どもの相手をしていても、字幕を見たらわかるんですよね。こんな風に、字幕は私のようなろうだけじゃなくて、聞こえる人にとっても良いみたいな、提案をして説明した方が、相手ができると、お金とか人員的にできる提案を先にしてあげて、相手がOKと言ったところで、手話通訳も欲しいんですと提案するみたいな交渉技術も少しずつ高めていっていましたね(04-14:480-487)。  そのため、分析焦点者は、自分が支援を求めて、自分の力を発揮していくことは、自分にとって価値があるのと同時に、相手やその場にいる皆にもよい効果をもたらしうると認識することで、自信をもって、よりしたたかに環境調整をしていくことができるようになっていくと言える。 概念17 [“支援責任遂行基盤”観の確立]  [“支援=責任遂行基盤”観の確立]とは、分析焦点者が、自分が社会的責任を果たすためには支援が必要であり、自分は支援を求めていく責務があると認識することである。  以下に本概念の生成に寄与したヴァリエーションを記す。ここでは、支援は、例えば会社に貢献するなど、自分が社会的責任を果たすために必要であり、故に自分は支援を求めていく責務があるととらえていることがうかがえた。 ・障害の程度から言うと、なんか、1から10まですべて支援を必要とする立場にないので、ちょっとお答えとしては、ちょっとどうだろうな、お答えにならないかもしれませんけど、仕事という面で言うならばね、基本にあるのは、向こうが提供するというよりは、こっちの本来の能力を発揮するために、あちらからも、提供してもらうというWin-Winの形になることが基本なのかなと私は思ってるんですね。障害のある社員がその提供を受けてって何のための提供なんだって言ったら、こっちの本来持っている力を発揮する、であちらに利益を提供する、労働力を提供するためのものっていうのが基本だと思うので、例えば聞こえにくいという立場で教員の採用試験を受けたのであれば、自分の聞こえにくいとか、今までの経験含めて、聞こえない子供とのコミュニケーションも含めて、私だったらいろいろな力を発揮できるというところを売りにして、あちらにその利益を提供する、そういうWin-Winの関係になることを目指して、いろいろな交渉とかも始まるのかなと思いますね(07-9:310-321)。 ・昔の自分の場合は思っていたのかもしれないけれど、会社に入ってからは、コミュニケーション面の支援が無い場合は、私は困るし、私だけじゃなくて会社も困ってしまいますよね。(支援が無いと)私は会社の役に立たなくなってしまう、その結果会社も仕事の効率が下がってしまい、会社としても困ってしまいますね。私が必要とする支援を受けれた場合は、私は会社の役に立つ、仕事をすることができる、その結果会社も喜ぶ、お互い様なんです。会社のためにも支援を求めることが当たり前という気持ちになっていいと思います。言いにくいことだけど、お互いのためだから(08-10:348-354)。 なお、次に示す通り、上記のようなとらえ方は、実際に社会に出て働き始めてからできるようになっていくことがうかがえた。 ・正直自分が学生の時に、そこまで気がついてたかというと自信はないですね。やっぱり働き始めてお金をもらう立場になって、ちょっとずつちょっとずつ気づいてきたことかもしれませんね。 (中略) あのね大学の学生の場合は、どこまでやっても自分のためのものですよね。うん、学びにしろ調査にしろ、いろいろな交流にしろ、時間も自分の好きなように、場所も自分の好きなように、限界はありますけどね、設けていっていいんだけど、仕事として始めたら、それは自分の個人としての活動なのか、仕事としての活動なのかというわかれ目が出てきます。例えば研究会に参加すると言っても、自分の個人の活動で参加するのと、自分の勤務時間として参加するのとでは意味が違ってくるので、その辺り、仕事としてやるということと、個人として活動するということが、わかってくるんですよね、お金をもらい始めると。逆に、どう言ったらいいんかなぁ…周りに求める…なんていうんだろう…同じ職場の人に対しても、仕事として求めるんだったら、やっぱりその時間も気を使わなきゃいけないし、場所も気を使わなきゃいけないし、内容にしても、こちらの個人としての活動でやるのと同じ勢いと熱量で求めてたんじゃ、こっちは何でそこまで付き合わなあかんねっていう気持ちにさせてしまうんで。そういった経験を経てくると、やっぱり仕事って何のためかって言ったら時間と自分の力、労働力を与える見返りに、お金をいただくっていう、そういう、まあ、ある意味ドライな関係ですよね。そういうふうに考えることができるようになったということがあると思います(07-10:347-368)。  これらから、分析焦点者は、社会で働く経験を重ねていく中で、自分が社会的責任を果たすためには支援が必要であり、自分は支援を求めていく責務があると認識していくと言える。そして、このような認識を持つことで、堂々と環境調整をしていくようになっていくと言える。 概念18 [余裕のある対応姿勢]  [余裕のある対応姿勢]とは、分析焦点者が、精神的優位に立ち、心に余裕のある対応をするようになることである。  以下に本概念の生成に寄与したヴァリエーションを記す。ここでは、調査協力者は支援を求めていくにあたり、堂々と、心に余裕のある対応をしていることがうかがえた。 ・支援も恐る恐る「お願いします…」ではなくて、お互いのために必要なんですと、もっと堂々と求めていいと思います(08-11:366-368)。 ・通訳者に対しての批判も同じで、「わからない!」と怒って批判することはできますが、ちょっと立ち止まって考えてみると、何のために批判するのか?といった目的が大事なのではと思います。通訳者にとっての意味って何でしょう、それを考えるのと同じことです。だから、私は通訳者に批判はせず、「わからないなぁ」と思った時は、批判ではなくて具体的に質問します。けれど、質問する時に、「その通訳表現がわからないのだけれど、何かそういう表現となった背景はありますか」と、相手の背景を必ず含めて質問するんです。もしかしたら、例えば講演の発表者の話すスピードが速いのかもしれない、通訳者がたまたま別の理由で通訳ができなかったのかもしれない、いろいろな背景があるのに、それを私が知らないまま指摘することはできません。だから背景は何かを聞いて、相手に教えてもらって、「なるほど」と、もし発表者の話すスピードが速かったということであれば、「わかりました。私から改めて発表者の方々にゆっくり話してください」と私はお願いすることができます。こんな感じでしっかりと建設的対話を続けていくことができます(09-10:353-364)。 ・だから、丁寧に一緒に仕事をするために、これらが必要ってなった時に、自分から「これが欲しい」だけではなくて、この方法…例えば手話通訳を用意する時に、「あそこにお願いすればいい」とか、「通訳を用意してください!」だけだとみんなわからなくて戸惑ってしまうので、「あそこならば通訳を用意できる」、「あそこならば字幕を用意できますよ」と言ってあげる、情報を一緒に提供してあげるんです。内容によっては、すべてに通訳をつけることを求めるのではなくて、例えば内部での打ち合わせだけとか、字幕や文字起こししたものを読む方法でも大丈夫ですよと言ったりとかね(06-11:394-401)。  このうち、特に(08-11:366-368)では、調査協力者が、支援は自分にとっても支援を提供する相手にとっても役立つものだとの認識を確立させていることが見て取れる([WinWin支援観の確立])。したがって、これまで述べてきたさまざまな支援観を確立させていることで、[余裕のある対応姿勢]をとることが可能になっていると言える。 3.理想への挑戦的前進  『理想への挑戦的前進』というコアカテゴリーは、分析焦点者が、思い描いた理想的環境の実現を目指して、果敢にチャレンジしていくプロセスを示している。プロセスの詳細は以下の通りである。  前述した[環境調整実践意識の芽生え]が起こった分析焦点者は、思い描いた理想的環境の実現を目指して、果敢にチャレンジしていく。こうした行動を起こすことは、分析焦点者が環境調整の意味や価値を多角的にとらえられるようになるきっかけにもなる。そして【環境調整観の多角高度化】を果たしていくにつれて、分析焦点者は、さらに果敢にしたたかにチャレンジしていくようになっていく。  本カテゴリーは、[理想への挑戦的前進]が昇格する形で生成された。以下、この概念について説明する。 概念19 [理想への挑戦的前進]  [理想への挑戦的前進]とは、分析焦点者が、描いた理想的環境の実現を目指して、果敢にチャレンジしていくことである。  以下に本概念の生成に寄与したヴァリエーションを記す。これらから、調査協力者は、自らが理想とする環境を想定して、それが実現されるよう果敢に行動を起こしていることがうかがえた。 ・で、例えば会社の説明会で、参加が義務のものはこれまでも通訳がついていたんですけど、任意参加で参加したい人はどうぞ~という感じの説明会は、私が参加するかどうか確認して、前もって私が参加したいと申し込んでから通訳を準備する方法でした。しかし、ほかの職員は当日欠席することができる、はじめは行く予定だったけどなんか忙しくなったから欠席するということがありますね。それとコロナ禍が始まってから、録画を始めたんです。任意参加だけど、録画が保存されるから後で見られますよっていう感じに大きく変わって、その時に私達はどうする?ってことになりまして。私たちが参加するしないに関係なく、職場全体としてどうぞという説明会や研修の場合は、通訳をつけてほしいと言ったらわかりましたということで、今は、参加するしないにかかわらず通訳をつけてくれるっていう形になりました(06-5:152-161)。 ・その研修では、最後には感想などのアンケートを提出しました。そのアンケートの内容は…まずは研修の内容はどうでしたか?という質問がありました。それに対して私は、聞こえないので手話通訳をつけてもらえるようお願いしましたが、結局ありませんでしたので、残念ながら講師の話の内容を掴むことができませんでしたということを書きました。その結果、私はしっかりと仕事をすることできないかもしれないという不安があるということを、書いて説明しました。で、実際に予算の面で厳しいところもあるかもしれませんが、私のために手話通訳をつける意味とは何か、つまり私に手話通訳をつけるのは、私が情報を得るためだけではありません。私に手話通訳をつけてしっかりと情報を受け取れるようにすると、その結果私はしっかりと研修の内容を理解することができるようになりますよね。それは、ハローワークへ来てくださるお客さんに対するサービスの内容や質の向上に繋がっていきます。つまり、最終的には、私だけのものではなくて、来てくださるお客さんのためになるのです。それは、ハローワークの組織全体の利益になるんです、と書いて、研修の担当者に渡しました(01-1:32-44)。 ・で、なるほどと思って、僕にとってのモデル、聞こえる人で手話ができる人のモデルは、その先輩の4回生の人。「このような人になるべき」というね、理想、聞こえる人の理想形みたいなのを、僕が勝手に作った。で、2回生になった時に、新歓ありますよね。ビラを配って集めてくるときも、急に難しいことを要求するわけ。手話を覚えてもう、今日は手話勉強会3回目だから、今日から手話使ってしゃべりなさいって。「聞こえないやつがいたら、指文字でいいから手話使え!!」ってことを要求した。そしたら、誰も残らなくって、みんなやめてしまった(05-4:141-147)。 ・ともかく文科省と交渉して予算をとる必要があるから、時間がかかるために、すぐに手話通訳はつけられないけど、代わりにノートテイクのお金を出しますね」と言われました。 (中略) だから初めから断られた、ということは無く、時間はかかるけど、その代わり、まずはノートテイクはどうか?ということで支援してもらいました。で、最初は友達のノートを貸してもらう方法で勉強をしていたんですけれども、でも頼りきりじゃなくて、自分からも積極的な姿勢を見せることが必要だと思っていました。だから、大学に入ったその日から、まじめに講義に参加して、休みませんし、抜けることもありません。席もわざと目立つように、一番前の席に座っていました。もちろん、一番前に座っていても、私には話は分からないんですね。私は完全なろうなので。話は分からないけれど、とにかく前に座って、アピールするようにしていました。これをいつも意識していたんです。 (中略) このように、教授会での議論の時に、印象が良くなるように、意識しながら戦略的に、そのために勉強を進めてきたんです。そういう…何というかなぁ…大学側が、仕方なく付けてあげるのではなくて、いやいやあの学生の為ならばつけてあげるべきといったように思わせるような姿勢が大切だなぁと思っています(01-5:160-189)。 ・自分のチーム内での毎週行う会議の時は、同じチームのみんなに頼んで、Google Documentを使って、UDtalkはその時はなかった、広まってなかったので、きいて文章を打ってリアルタイムにそれを見るという方法をとっていました。またその時も、みんな文字を全部聞いて打つのではなくて、簡単にまとめて大事なポイントだけで構わないですと、ですますも省いてくださいと説明をして、何回も聞く言葉は短い名前を作ってとか、人の名前も頭の1文字だけみたいな形に変えるといったように、一緒に工夫をしてやっていました。チームにも参加していって、私が何か質問があるときは文字で打つというのはあったけど、通訳が認められることはなかったですね(06-4:140-147)。  このように、さまざまな手段を用いて、理想的環境を目指して行動していたとのことだった。  その中でも特に、(01-1:32-44)や(01-5:160-189)、(06-4:140-147)から、調査協力者は、理想的環境を実現するために、懸命にしたたかに自分にできることを重ねてきたことがうかがえる。例えば(01-1:32-44)では、「手話通訳は組織のため、お客様のためになる」という論理を持ち出して交渉していた。(01-5:160-189)では、自分にできる工夫をしたたかに実践し、支援提供者である教授会からの好印象を勝ち取っていた。(06-4:140-147)では、理想とする環境調整が行えない厳しい状況でも、自分が主導となって、現状で可能な環境調整を考え、それをお願いすることで、少しでも理想とする環境に近づけていっていた(自分調整の戦略的な活用)。なお、自分調整については後述する概念23[自分調整によるその場しのぎ]で詳しく述べる。  同時に、これらのヴァリエーションからは、これらの行動を起こすことができた理由を読み取ることもできた。例えば(01-1:32-44)では、調査協力者は手話通訳を組織全体の利益のために必要だと考え、行動を起こしており、[“支援=責任遂行基盤”観の確立]がこの行動の背景にあると言える。また(05-4:141-147)では、調査協力者は自分が会話に参加できるようになるために手話が必要と考え、要求しており、[環境調整実践意識の芽生え]がこの背景にあると言えるだろう。つまり、これらの行動を起こすことができた背景には、『環境調整観の成長』も寄与していると言える。  また、以下の語りから、これらの行動を起こすことができた背景の一つに[多様者協力チームへの参加]があることがうかがえた。 ・今の職場の場合はやっぱり先輩がいて、理解者がたくさんいますし、また担当している仕事の中に、ろうのサポートがあるので、特別にろうに対する理解がある職場だと思います。情報保障が必要という考えを持っているところに私は入ったので、お願いすると前向きに考えてくれるのかなぁと思っています(06-5:172-175)。  したがって、分析焦点者は、『環境調整観の成長』等に伴って、自らが理想とする環境を想定して、それが実現されるよう果敢に、そしてしたたかに、さまざまな工夫を考え、行動を起こしていくようになると言える。 4.自信崩壊のクライシス  『自信崩壊のクライシス』というコアカテゴリーは、分析焦点者が、これまで築き上げてきた自信や価値を揺るがされる事態に直面するプロセスを示している。プロセスの詳細は以下の通りである。  分析焦点者は、環境調整を、「他人に迷惑をかけてはならない」といった自分自身の規範と反する行為ではないかととらえてしまったり([拭い切れない憚り感])、勇気を出して環境調整しようとするも、断られてしまい、かつ自分もどうやって交渉していけばいいのかわからなくなってしまったり([解決できない違和感事例への直面])など、これまで築き上げてきた自信や価値を揺るがされる事態に直面してしまうことがある。  以下に、本コアカテゴリーを構成する上述した2個の概念について説明する。 概念20 [拭い切れない憚り感]  [拭い切れない憚り感]とは、分析焦点者が、力が発揮できる環境にしたいと思う一方で、本当にそうしていいのかという思いが拭えずに悶々とすることである。  以下に本概念の生成に寄与したヴァリエーションを記す。ここから、調査協力者が「自分のためだけに環境を変えてしまって本当にいいのか?」、「自分は聞こえが軽く、支援を受けてもいいのか?」、「自分が聞こえない、場に参加できていないことが可視化されてしまうのではないか?」などと、環境調整を進めていくことに対して、本当にそうしてもいいのかという疑問や不安が湧いてきて、悶々として立ち止まってしまう様子が見て取れる。 ・ましてやさっき前例のないことは良いことだなんて言ったけど、今までなかったことをね、させている自分ってどうなん?っていう。もちろんやっぱり葛藤っていうのかね、あるんだけど…うん。はい(02-10:355-357)。 ・僕は聞こえが軽かったこともあったので、支援必要かなぁ?どうかなぁ?というところはちょっと迷ったとこがあった(11-7:229-230)。 ・そうですね。なんといいますか、私のためだけにやってもらうというのは、学校に申し訳ないといいますか、目立ってしまうのも嫌でしたし、手話通訳がないと私は生きられないみたいな感じで見られてしまうというか、聞こえる人の中で生活しているのに、そこに参加できないみたいなことが、可視化されてしまうんじゃないかという悩みがあったと思います(06-7:240-243)。  また、以下の語りからは、相手に支援をお願いすることで、「その分、自分はもっと頑張らないと」と、支援を受ける自分の責任を過大にとらえてしまい、それに押しつぶされてしまうことがあることもうかがえた。 ・相手にお願いすることで、それに見合った成果を私が出さなきゃいけないってプレッシャーが結構かかる。「これを質問したから」とか「これをこういうふうにお願いしたから、じゃあそのパフォーマンスをしっかりしてね」っていうふうに圧がかけられているように感じる。あの…他の人、他の人よりもできなくちゃみたいな感じですかね。なんか配慮をお願いするっていうので、1回負荷がかかっ…相手に負荷がかかるから、他の人にはその負荷がないのにこのぐらいのパフォーマンス、でも私はお願いした分だけもっとやらなきゃっていう感じが出てくる。なんで周りと同じ…出来でいいんだっていう何かを感じにはなりにくくて。相手にお願いした分、私ももっとやらなきゃっていう…別に悪い循環ではないと思うんですけど、結構自分の首を絞めている感覚になる(03-16:564-572)。  さらに、以下のヴァリエーションが示す通り、周囲に迷惑をかけたくないと思い、支援を受けることは申し訳ないと思ってしまうこともあるとのことだった。 ・なんか支援をしてもらうこと自体が、申し訳ないと思ってたんですよね。文字は必要だってわかってるんですけど、そういうことをさせているのがなんか申し訳なくって、うん。自分なんか特に大体聞こえているのに、なんか本当に申し訳ないなっていう気持ちがずーっとあって(02-10:352-355)。 ・必要は時は、もうしょうがないから、紙とペンを持っていて、それらを取り出して、「筆談をお願いします」ってやっていましたね。必要な時はもうしょうがないんです。でも相手に対して、「相手は面倒だろうなぁ」、「申し訳ないなぁ」という気持ちがありましたね。遠慮をしてしまうことが多かったですね(08-2:71-74)。  このように、聞こえの軽さや、前例が無いことなど、理由はさまざまであるが、共通して分析焦点者は、環境調整していくことに対して、本当にそうしてもいいのかという悩みが生じ、またそれを上手く解決することができず悶々としてしまうことがあると言える。 概念21 [解決できない違和感事例への直面]  [解決できない違和感事例への直面]とは、分析焦点者が、「これは違う」と違和感はあるのに、上手く解決できない事態に直面して悶々とすることである。  以下に本概念の生成に寄与したヴァリエーションを記す。ここから、調査協力者は、自分が必要と考えていた環境調整を進める中で、相手にはっきりと断られてしまうなど、自分の力ではどうにもできない事態に直面し、ショックを受けた経験があることがわかる。 ・えっとね、まずね。あの~学校っていうシステムがそもそもわかんなかったんだよね。だから、初任研の研修に行くって言っても、情報保障を誰を相手に交渉したらいいかもわからないし、実際自分が交渉していいのかもわからないし、っていうのがあったし。どうやって交渉したらいいか、なんだろう、手段としても分からないし、そういうところで通訳を欲しいって言ってた割に、私は誰に向かって言ってたんだろうって今でも思うし、でもまぁ、教育委員会から情報保障認めませんって言われたときはさすがにショックだったし、そうだねぇ。だからやっぱりわかんないのが一番つらかったかなぁ(02-12:420-426)。 ・とりあえず、インターンが終わった後、その看護婦長の人たちと会って、話をしたんです。前もってメールで終わった後に話がしたいですと伝えておいて、相手もわかりましたということで、会いました。どうでしたか?と聞かれて、私は、そうですね、もし手話通訳が無かったとしたら、いろいろと思うところは向こうにもあったと思いますけど、情報が分からない、漏れてしまっていて、問題が起こってしまわないように、わたしはやっぱり手話通訳が一緒にいる方がよいですと、皆さんに話をしたんです。けれどもその方たちはみんな、「え?通訳をつける?お金は?」と。お金は?と言われたら、病院持ちですかねぇと。そしたら、無理かなぁと思って…ちょっと難しい…全く無理かぁと分かってしまった時、心が折れてしまいましたね。どうしようって(04-6:191-199)。  また以下の語りから、調査協力者が、あるべきとイメージする状況に対して、そうなっていない現状に直面するとともに、解決方法がわからず悩んでしまった様子も見て取れる。  例えば(03-9:297-307)のように、話し合いのうえで納得してある支援を受けたが、実際にはその手段のみでは上手く問題が解決されていないことに気づき、しかしどうすればよいのかわからず困惑した経験などがあったとのことだった。 ・実際に合理的配慮を私が受け始めて、難しい…難しいというか、これが私が引き受けていく苦労なのかなって思ったことが…例えばスペイン語のリスニングの課題をみんなは毎週解いているけれども、私は代替課題でスペイン語の何か映画を見て、スペイン語の書かれた質問を読んで、スペイン語で答えるみたいな、筆記のワークを解いていく課題に変わったんですけど、なんか、私だけしかその課題をやっていないので、困ったときにあの課題のここってどういう意味だったっていうふうに周りに聞けないんですよ。みんなと同じことをしてるわけじゃないから、困ったときに、ちょっと頼りづらいっていう。配慮を受けることでなんか寂しいなってちょっと思ったのは、ありますね。それは、映画見て「すごく面白かったんだよ」っていうふうに伝えたいんだけど、その映画見てないから、なんかこうちょっと悔しかったり、「私だけかぁ」みたいなのがありました(03-9:297-307)。 ・そしたら、「いやいや、受かるはずだよ!私より点数高いよ!」って言われて、私の方が上?私が落ちたのはなんでだろうと思って。そのあと、学校の先生に聞いたら、「あぁ、あの学校は聞こえない子を断ってきたことが今まで何度かあるね」って言われて、はぁ…と。先生も仕方ないっていう感じで…難聴学級の先生なんですよ!難聴の子どもたちを教えている先生が「そうそう、仕方ないよね」って言ってきて、私はすごくショックで。ショックだよね(06-2:61-66)。 ・だから残念ながら、その人は、まぁ多分その先生の面白さを理解できなかったのか、伝えきれなかったのかわからないけども、少なくとも僕にとって全く面白くなかった。かと言ってどうしていいか僕にもわからない。いきなり大学入って、いきなり手話覚えて「僕は聞こえないんだ~」という自覚がない、まだね。そういう状況。「どうしたものかぁ」とストレスがいっぱい(05-4:124-128)。  ここから、分析焦点者が環境調整していくにあたっては、上記のような「これは違う」と違和感はあるのに、上手く解決できない事態に直面することがあり、それによって悩んだり、時には深く傷ついてしまったりしてしまうことがあると言える。 5.立ち止まっての自己リソース内解決  『立ち止まっての自己リソース内解決』とは、分析焦点者が、前述した『自信崩壊のクライシス』など、何らかの問題にぶつかった時に、上手く対処して自分の自信や価値を守っていくプロセスを示している。プロセスの詳細は以下の通りである。  前述した『自信崩壊のクライシス』など、何らかの問題にぶつかった時、分析焦点者は、無理に理想的な環境を実現しようとしなくて構わない、今は自分にできる範囲の工夫をするだけで構わないと自分を納得させ([環境調整しない自分の正当化])、例えば友達にノートを見せてもらうなど、困っている現状を解決するために自分ができることを行っていく([自分調整によるその場しのぎ])ことで、自分の自信や価値を守っていく。  また、『心理的安定基盤との接続』ができていない頃の分析焦点者は、例えば先生の話が聞き取れないなどの問題に直面した時、聞こえない自分が悪いととらえ([聞こえの諸悪の根源化])、聴者のように聞き、話そうと必死に努力することで([聴者社会への呪縛的同化])、「もうどうしようもない」と すべてを諦めてしまわないように、自分を守ろうとしていくことがある。  以下に、本コアカテゴリーを構成する上述した4個の概念について説明する。 概念22 [環境調整しない自分の正当化]  [環境調整しない自分の正当化]とは、分析焦点者が、何らかの壁にぶつかったときに、環境調整をしない自分に対して、それを正当化できる理由を見いだそうとすることである。  以下に本概念の生成に寄与したヴァリエーションを記す。ここでは、調査協力者には、環境調整をすべきであるとは認識しつつも、それができない自分を肯定的にとらえられる理由を見つけだして、正当化している場合があったことがうかがえた。 ・あ、まぁ、んーまぁ本人がやっちゃダメってのは学生の時に経験しているので、良くないのはわかってるんですけど、そこは、そこはね、頼れなかったっていうのがある。自分で「良いやできる」って思っちゃった部分もあるし(02-7:246-248)。 (質問)雇っていただいた恩があるということで、何か起こっても自分が我慢しちゃえばいいやみたいな。恩がありますからみたいな考え方も、やってしまうかもしれないと思うんですけれども、それまた違うんですかね。 ・でも ぶっちゃけ初めはありましたね。そういうこと。やっぱり我慢しながらやってた部分があったので。それこそ経験の繰り返しじゃないですけど、特に初めの居酒屋さんのアルバイトの時は、結構自分の中で我慢してた部分もあったし(11-10:341-347)。 ・我慢してます。我慢してるというか、言わなくても、なんとかなってしまう部分もあるので、仕事をする上で直接聞かなくても、書面でわかるから、そこから補えばいいやっていう、結局、多分高校のときと同じような思考回路になっている気もする、だなぁと思っていて。もっと多分相手にきちんと伝えれば、さっきの8を超えた理解とかパフォーマンスができるのかもしれないけれども、その相手が忙しい、働いてると。で、大学の先生とかだと、それが義務というか配慮してもらうための考える時間って、当然としての義務としてあると思うんですよ。けど、お忙しい同じスタッフの方々に私の何かするための時間をとってもらうっていうのが、ちょっと気が引ける。本当は必要なんだろうけど(03-15:511-518)。  このように、環境調整する方がよりよいことはわかっているが、例えば(02-7:246-248)の「自分で『良いやできる』って思っちゃった」に代表されるように、自分自身の力だけでもある程度解決できるという思いや、(11-10:341-347)の「雇っていただいた恩がある」からといったように、相手に対する気遣いを理由に持ち出して、環境調整をしない選択をし、それを正当化することがあるとのことであった。  また以下の語りが示す通り、あまり状況の改善が望めないような場合には、一定のところで妥協することで、自分自身を守ったり、周囲とのバランスを保ったりしている様子も見られた。 ・で、先生に関しては、高校みたいに担任の先生と密な関係があるってわけでもないから、「伝えても何が変わるん?」「何も意味がないやろう」ぐらいには思ってたので、そんなに何かこう伝えた記憶がないですね(03-4:122-124)。 ・これまでもお話したことと似ていると思いますが、私的には無理、諦める時は諦めるっていう気持ち。できる!成功する!と過剰な期待はしないです。提案して、提案してみて、成功したらOKって感じですし、難しいって場合は「そうですよね~」と引き下がる。という心の準備と(04-10:329-332)、  これらの語りの中では、社会や相手に対して過度に期待しない方がよいことや、どうしても環境調整を行うことが難しく、また自分の力で何とかなりそうな場合は、無理に環境調整を進めるのではなく、適度なところで諦めることもまた大切と話されていた。  ここから、分析焦点者は、環境調整をすべきと認識していたとしても、時には環境調整をしない自分を正当化できる理由を見いだし、環境調整をしない選択をとることもあるし、時にはそれが重要であると考えていることがわかった。 概念23 [自分調整によるその場しのぎ]  [自分調整によるその場しのぎ]とは、分析焦点者が、自分にできる範囲の工夫で何とかその場をやり切ろうとすることである。  以下に本概念の生成に寄与したヴァリエーションを記す。ここでは、調査協力者には、先生の話が聞き取れないなど、本来は支援を求めるなどの対応をすべき場面において、その選択をあえてせず、しかし問題を放置するわけではなく、自分にできる範囲の工夫でその場を乗り切ってきた経験があることがうかがえた。 ・手話通訳を求めるとか、文字通訳を求めるとかは無かった、やっている人はいなかったです。となりの友達にノートを見せてもらうとか、わからない時に自分から質問するくらいでした(06-1:12-14)。 ・私は小さい時からずっと聞こえる環境の中にいて、話す時は声で喋っていましたし、相手が話す時も耳、補聴器ではなくて口の形を読み取るだけでした。補聴器で聞くことは私にとっては効果が無かったんですね。だから口形読み取りだけで、でも子供の時から、口形読み取りだけでは限界があると思っていたんです。だから小中校の時は、先生の話が分からなくても構わないと切り捨てて、教科書だけを読んで理解できるという方法になっていました(09-8:261-266)。 ・また、席取りをちょっとここ聞こえにくいなっていうのを自分で判断して、できるだけ早めに授業に行って、自分の希望するところに座れるようにするっていう、何とか自分で受けやすい環境を整えるっていうことだったかなと思います(03-2:53-55)。 ・そうですね、自分でやる…何か自分でやるとかっていう、前向きな姿勢じゃなくって、もうとりあえずやるしかないぐらいの。授業数多いし、大学の授業は面白いから、なんか誰かに頼むって、人・プロセス必要だから面倒くさいっていうのもあって、何かこう自分で乗り越えたいとかっていうよりも、何かこう頼むとか伝えるって面倒いよなっていう(03-6:187-190)。  概念20 [拭い切れない憚り感]で述べた通り、調査協力者は、周囲に迷惑をかけたくないと思い、支援を受けることは申し訳ないと思ってしまうなど、何らかの理由で環境調整をしたくないと感じたり、環境調整をすることに迷いや葛藤を抱いたりしていた。こうした時に、無理矢理環境調整をしていくことは精神的にも負担の大きいことであろう。ましてや解決する術を持たない段階で、「わからない」場面に直面すると、為す術がないまま心の傷だけが残ってしまうものと考えられる。このため、調査協力者の多くは、何とかこうした事態から身を避けようと、友達にノートを見せてもらう、わからない時に質問をする、教科書を読んで理解するなど、今の自分にできること、すなわち自分調整を活用して、その場の自分を守ってきたと言える。  ここから、自分調整は、環境調整の負担から逃げるための行為と一方的に非難されるべきものではなく、むしろ環境調整をしない選択をした際に、直面した問題に対して、自分なりに何とか対処しようと努力した結果、生まれてきた重要な行為であると言えよう。  そんな自分調整について、調査協力者は、何度も自分調整を行っていく中で、先程のような自助努力による方法だけでなく、少し周囲の人も巻き込んでいくような、より効果的な自分調整の手段を編み出してきたと語っていた。以下にそのヴァリエーションを示す。 ここでは、周囲の協力を得やすくするために司会やリーダーを買ってでたり、日ごろから周囲の友人に聞こえないことを伝え、わからなかったら教えてほしいことなど、ニーズを伝えたりしておくことで、必要な支援が得られやすくしていることなどが述べられていた。これらは、自助努力のみならず、周囲の人々の協力も得ている方法であるが、現在自分が持っているリソースの中で、何とかやりくりしてその場を少しでも快適にしようと努力している点で、上記のヴァリエーションと共通していると考えられる。 ・私が話を回す、場をまわす。なんとなく司会者になると、話をちゃんとわかっていないと司会ができないので、「何とかさん、こう言いましたか?」みたいな感じでちょっと質問を投げかけることで、やり過ごす(03-5:149-151)。 ・何故かというと、高校の時までは、自分がはたらきかけて、相手を変えるというプロセスが多かった。「僕な、耳聞こえないからな、わからんとこ教えてな」とかね、「ゆっくり喋ってな」とか、「宿題どこか教えてな」っていう、自分のペースで助けを求めるっていうやり方をしてきた。だから、自分が前に進む時はとりあえず自分の力で、人の力を自分なりに采配して、調整していた。不十分ではあるけどね(05-3:87-92)。 ・あの、あんまり言うとから皮肉とか自慢みたいになるから嫌なんですけど。それはあるかな。なんか英語のディベート大会とかも、なんか率先してリーダーになるみたいなのは、あのリーダーになりたかったわけじゃなくて、リーダーになった方がその場に参加しやすいっていうふうに多分徐々に思ってたんだと思います。 (質問)はぁ、なるほど。そういった形でなんでしょうか。リーダーになって、頑張ってこられて、今振り返るとその経験って、どうですかね、やっぱり生きてきてますかね。 ・生きてはいると思います。ただもうちょっと手抜きしても、その場にいられるだけでいいみたいな環境が欲しかったなあっていうふうには思いますけど。絶対リーダーになることで、その場へのコミットメントみたいなのが絶対高くなるので、生きてはいると思う。できないからこそ、そこに関わろうとしなきゃその場に居れないみたいな、なんかどういうモチベーションって言った、名付けたらいいかわかんないですけど(03-5:157-168)。  このように見てくると、調査協力者は、環境調整のみならず自分調整の力についても少しずつ成長させてきていることがわかる。しかし、同時に、こうした状況のことを「不十分ではあるけどね」と語るなど、自分調整のみでは、自分の力を十分に発揮することはできなかったり、自分に大きな負荷がかかっていたりすることを認識していて、いつかは環境調整に踏み出さなければいけないことを承知している様子であった。ここから、自分調整を行うことが、より進んだ環境調整を行うための一つのステップとなっていることがうかがえた。  さらに、概念19[理想への挑戦的前進]でも述べた通り、調査協力者の多くがこうした自分調整を、理想的な環境を実現していくための布石としても活用していた。以下に、該当する概念19[理想への挑戦的前進]のヴァリエーションを再掲する。ここでは、本来は手話通訳を配置するなど、何らかの環境調整を求めたい場面であったけれども、それが叶わない状況があったため、今後、少しでも周囲の人に環境調整を行っていってもらえることを願って、現状のリソースの中で最大限に情報を得られる方法を考え、実現していった様子が見て取れる。これらは、自分調整として行われている行為が、次の環境調整のための布石となっている例であり、戦略的に自分調整を用いている例の一つと言えよう。 ・自分のチーム内での毎週行う会議の時は、同じチームのみんなに頼んで、Google Documentを使って、UDtalkはその時はなかった、広まってなかったので、きいて文章を打ってリアルタイムにそれを見るという方法をとっていました。またその時も、みんな文字を全部聞いて打つのではなくて、簡単にまとめて大事なポイントだけで構わないですと、ですますも省いてくださいと説明をして、何回も聞く言葉は短い名前を作ってとか、人の名前も頭の1文字だけみたいな形に変えるといったように、一緒に工夫をしてやっていました。チームにも参加していって、私が何か質問があるときは文字で打つというのはあったけど、通訳が認められることはなかったですね(06-4:140-147)。  これらを踏まえると、自分調整は分析焦点者にとって、環境調整をしない選択をした際に、その場の解決を図るための方法であり、自分の自信や価値を守る重要なものと言える。さらに、こうした自分調整を積み重ねることで、分析焦点者は自分のリソースをさらに高め、より効率的な自分調整の手段を編み出していくとともに、自分調整の限界と環境調整の重要性に気づき、理想的な環境を実現するために、自分調整を活用できるようになっていくことがうかがえた。 概念24 [聞こえの諸悪の根源化]  [聞こえの諸悪の根源化]とは、分析焦点者が、直面する諸問題に対し、自分の聞こえを原因ととらえ、何とか自分を納得させようとすることである。  以下に本概念の生成に寄与したヴァリエーションを記す。これらから、調査協力者は、さまざまな問題に直面したときに、それは聞こえない自分が悪いという理由を持ち出して、諦めていた経験があることがうかがえた。 (質問)そうですよね。なかなかそういう方法使っていただいてってなってもわからないことって多いと思うんですよね。高校生のときは、そういう授業の形に対してどんなふうに思ってましたか。 ・わからなくてもしょうがない。聞こえない自分が悪い。聞こえないから仕方ない、自分が悪いみたいな考え方でいていたと思います(06-7:229-233)。 ・具体的に言うと、高校生までの私は、聞こえないために毎日毎日さまざまな場面でバリアを感じていたんですね。コミュニケーションだとか、学校の授業を受けるだとか、病院に行くとか、普通の何でもないおしゃべりとか電話とか、そうしたことが少しずつ聞こえなくなっていく中でできなくなっていくという現実があって、いろんなバリアがあって、それが全部聞こえない自分が悪いんだって思い込んでましたし、聞こえないことが原因だと思っていたんですね(10-2:63-68)。  ただし、以下の語りが示す通り、環境調整を志向するようになってからでも、問題に直面したときに、聞こえない自分が悪いという理由を持ち出して何とか納得させようとすることはあることがうかがえた。 ・2つ病院の就職試験は受けたんですけど、どちらも落ちてしまって…同級生はほとんど合格しているんですけど、ろうだからかなぁと思って。仕方ないなぁとは思いましたね(04-6:199-201)。  なお、調査協力者は、同じと思える仲間([安定源となる“一緒仲間”との繋がり])や自分を価値ある存在としてみてくれる人([真っ直ぐ見てくれる人との繋がり])がいなかったり、或いは周囲から聞こえないことが原因だと指摘されたりしたことが、聞こえない自分が悪いのではないかと考えてしまった原因だと考えていた。以下にそのヴァリエー ションを示す。 ・そうですよね。ずっと聞こえる人だけの中で育ってきましたので、途中で聞こえなくなってしまった時に周りに自分以外に聞こえない人がいなかったというのもありますね。だからとにかく聞こえる人と同じくしなければと、自分も周りも思い込んでいる部分があったと思います(10-4:131-134)。 ・う~ん、やっぱり周りの先生方も私の家族も、聞こえる人と同じようにするために努力をしなければならないみたいなことは言われたことはありましたね。 (中略) 聞こえないから人一倍努力が必要だとか、聞こえる人に合わせなければいけないみたいな、それを言ったのは悪気はないと思うんですけれども、それが自然みたいな感じだったと思いますね(10-4:137-142)。 ・医療関係では、ろうの医者、看護師、薬剤師は少なかったですから、先輩方と相談することはほとんどなかった…私が大学を卒業したばかりの頃は、先輩にはいなかったと思いますね(04-11:364-366)。  これらから、分析焦点者に、同じと思える仲間([安定源となる“一緒仲間”との繋がり])や自分を価値ある存在としてみてくれる人([真っ直ぐ見てくれる人との繋がり])がいないと、さまざまな問題に直面したときに、それは聞こえない自分が悪いという理由を持ち出して何とか納得しようとすることがあると言える。 概念25 [聴者社会への呪縛的同化]  [聴者社会への呪縛的同化]とは、分析焦点者が、聴者のように聞き、話さなければならないと自分を追い詰め、実践していくことである。  以下に本概念の生成に寄与したヴァリエーションを記す。ここでは、何らかの問題に直面した時、調査協力者は、聴者のように聞き、話すことが当然であり、自分はそうしていかなければならないと考え、聞こえないことを隠したり、無理に声で話したりしていた時があることがうかがえた。 ・私ずっと大学に入る前まで、手話も知らないし、なんだろう、それこそ難聴の人は読話の練習をするとかも知らなかったし、文字に頼るとかっていうこととかも全然知らないで育ってきているので、なんだろうなぁ、聞こえないんだけど、聞こえる人と同じようにっていうよりかは、聞こえるように生活しなきゃいけないのが当たり前だったので(02-2:62-66)、 ・私は子供の時、私は聞こえる学校にいたんです。昔々はろう学校にいたんですけれども、小学校の3年生から聞こえる学校になりました。そうして転校した後、私だけが聞こえない、喋れない、コミュニケーションがとれないということで、孤独感がありました。で、私が聞こえないというのはどういう意味なのか、社会の中で自分がどんな存在なのかもわからなかったです。で、子どもの時に、私は聞こえないということを隠そうとしました。私は聞こえる人になりたいと思ったんです。聞こえるみんなに対して、私だけ聞こえないということを伝えることは大変で心苦しかったんです。だから頑張って声で話そうとしました(08-1:5-11)。  このうち、(02-2:62-66)に「読話の練習をするとかも知らなかったし、文字に頼るとかっていうこととかも全然知らないで育ってきている」とあることから、この時の調査協力者は、口話や筆談など、有力な自分調整の方法をまだ知らない段階であったと推測される。  つまり、[聴者社会への呪縛的同化]とは、有力な自分調整の方法さえも知らない中で、自分にできる方法として編み出した、問題を解決するための行動であると言える。  ただし、これまで述べてきた環境調整や自分調整とは違い、これらの行動がその場の問題解決に繋がったとする語りは得られておらず、「聞こえるように生活しなきゃいけない」と自分を追い詰めるような発言も得られていることから、知らず知らずのうちに自分が作り上げてしまった思い込みから抜け出せないまま、必死にもがいている状況であったことがうかがえる。  これらから、分析焦点者は、有力な自分調整の方法を知らなかった時、自分を守るための手段として、聴者のように聞き、話すことが当然であり、自分はそうしていかなければならないと自分を追い詰め、行動していくことがあると言える。 6.スパイラル成長  『スパイラル成長』というコアカテゴリーは、分析焦点者が、必要な知識や技術を見いだし、実践を通して習得し、さらにその成功体験を新たな知識や技術の習得へ生かしていくという好循環のプロセスを示している。プロセスの詳細は以下の通りである。  分析焦点者は、主に『自信崩壊のクライシス』など、問題に直面した際に、自分を守るのみでなく、自分に必要な知識や技術を新たに見いだすこともしていく(【成長源の模索】)。ここで見いだした知識や技術は、積極的に実践していくことで習得していき(【知識技術の試運転】)、それが成功することを通して、見いだした知識や技術の正しさを確信するとともに、これらをさらに高度なものとしていく(【成功の有効的活用】)。またこうした成功体験は分析焦点者にとって大きな自信となり、分析焦点者は更なる成長を求め、再び自分に必要な知識や技術を見いだしていく。  このプロセスによって、分析焦点者は、理想的な環境を実現していこうとする気持ちをさらに高めていく(『環境調整観の成長』)。加えて、実際に理想的な環境を実現していくための方法や(『理想への挑戦的前進』)、自分にできる範囲での工夫で問題を解決する方法(『立ち止まっての自己リソース内解決』)も習得していく。  以下に、本コアカテゴリーを構成する上述した3個のサブカテゴリーと、それぞれのサブカテゴリーを構成する後述の計6個の概念について説明する。 サブカテゴリー4 【成長源の模索】  【成長源の模索】というサブカテゴリーは、分析焦点者が、直面した問題状況を詳細に分析し、自分が成長していくために必要な知識や技術を見いだしていくプロセスを示している。プロセスの詳細は以下の通りである。  分析焦点者は、主に『自信崩壊のクライシス』など自分が直面した問題について、自分は何に困っているのかを具体化したり([モヤモヤ感の具体化])、主に失敗経験から、上手くやるにはどうすればいいのか考えていったりすることで([改善法の模索])、自分が成長していくために必要な知識や技術を新たに見いだしていく。  以下に、本サブカテゴリーを構成する上述した2個の概念について説明する。 概念26 [モヤモヤ感の具体化]  [モヤモヤ感の具体化]とは、分析焦点者が、現在抱えているモヤモヤした困った感を具体化していくことである。  以下に、本概念の生成に寄与したヴァリエーションの一部を掲載したが、ここから、調査協力者は困ったことに直面した際、自分の内面にあるモヤモヤを分析的に観察することで、自分が何に困っているのかを整理していることがうかがえた。 ・例えば、居酒屋さんの注文の時に、僕お酒を作る係だったんですよ。で、僕が入ったばかりの時は、やっぱり居酒屋さんのイメージにもあると思うんですけれども、例えば「ビール1丁!」とか、大声で言うわけですよ。ワーっとね。それも聞こえる時は聞こえるんですけれども、店が静かな時とかね。だけどやっぱりうるさくなったら聞こえないし、ビールはまだわかるんですけれども、カクテルとか、変な名前がいっぱいあるんですね。変じゃないな、いろんな名前が(11-11:367-372)。 ・で、聞こえる友達に教える時は、お互いに視線を合わせて、ゆっくりと話してもらえると、私は理解できるんですね。つまり、私にとって聞こえる人とのコミュニケーションでは、うまくいく条件が少ないということです。はっきりとわかりやすく口の形を見せて話してくれたら、口形読み取りで理解できるという、厳しい条件が私にはあるんです。私にはそういった条件があることが分かりました(09-8:271-275)。 ・そのモヤモヤした気持ちを自分の手帳に書くだとか、言えないなっていう感覚をしっかりこう持っておくというか。言えなかったことをどこかに吐き出すっていうことは、それは他人に喋るってだけじゃなくて、自分の中で振り返るっていうのをしてたかなとは思います(03-10:346-349)。 ・困ったときに、あの何かこう伝えに行くんですけど、まだ何か困ってるんだろうけど何が困ってるかわかんないとか、ちょっとモヤモヤするんだけど、なんか、どうこの困り感を伝えていけばいいかわかんないってその段階で、もうモヤモヤした段階で、支援ルームに行ってたので、支援ルームに行くことでスタッフさんと喋る、で、「あぁ私ここ困ってるんだ」というふうなことをそこで結構発見できることが多かったかなと思うので。スタッフさんの本当に温かいサポートというか、話を聞いてくれる存在だったっていうのが大きかったなって思うのと(03-10:332-338)。  例えば(11-11:367-372)では、調査協力者は特にうるさくなった場面でのカクテル名の聞き取りが難しいということを発見していた。(09-8:271-275)では、自分が話を理解するためにはお互いに視線を合わせる必要があるなど、厳しい条件があることを見いだしていた。これらから、調査協力者は、自分の困り感について「自分は人の話が聞き取れていない」といった曖昧な理解で終わらず、何に困っているのか、どうすればできるようになるのか、詳細に分析していることがわかる。  加えて、(03-10:332-338)や(03-10:346-349)から、例えば支援ルームのスタッフと話したり、或いは手帳を用いて自分の中で振り返ったりなど、自分の力も他者の力もどちらも上手く活用して[モヤモヤ感の具体化]を行っていることがわかる。  なお、[モヤモヤ感の具体化]ができるようになったきっかけに関しては、以下に示すヴァリエーションが得られた。 ・それは、多分私の父親の影響も大きいと思うんですよ。理由は父はいつも自分を客観視して、例えば病気になった時も、病気の状態を常に記録しているんですね。それも、普通…なんだろうな…ちょっとこう…ユーモアがあって、読んでいて楽しいんですよ。病気のことなのに読んでいて面白いんですよ。いつもいつも客観視して書いているので、その影響もあったと思うんですよね。だから私も常に聞こえなくなっていく自分を客観視するように努力しながら、父親をイメージして。そうやって少しずつ自分の心の中にあるモヤモヤしたものとか、当時は怒りも不満も恨みもいろんなマイナスの気持ちがいっぱいたまっていたんですけれども、それを言葉で表現したらどういうふうにできるのか、常に考えて言葉に直すのが面白いって思えるようになったと思うんですね。そういうことの積み重 ねで、多分今の語彙力とか、あとは言語化する力っていうのが身についたんだと思います(10-7:232-241)。  この語りから、実際に[モヤモヤ感の具体化]をしている存在と出会うことが、自身が[モヤモヤ感の具体化]を行うきっかけの一つとなりうることがわかる。すなわち、[成功他者からの希望の湧出]や、それを支える[真っ直ぐ見てくれる人との繋がり]や[安定源となる“一緒仲間”との繋がり]、[多様者協力チームへの参加]は 、[モヤモヤ感の具体化]の基盤にもなっていると言えよう。  また、以下の語りから、調査協力者は[モヤモヤ感の具体化]を行う中で、自分にできる範囲の工夫だけでは問題や限界があることや、環境調整を行う必要があることに気づいていっていたことがうかがえた。 ・さっき言った全部自分でやっちゃうと、自分しかできないから、そうなった時に、例えばこれから続いていく後輩が困るから、自分だけできる方法でやっていくっていうことは意味がないから、やっぱり後輩たちもできるようになっていかないといけないから、そういう意味で体制づくりっていうか、そこはやっていかないといけないんだなって思うようになってますね(02-11:361-365)。 ・そのリスニングの課題が、結構毎週2、3時間こう聞いて、オンラインで出すみたいな、なんかずっとあったので、それがちょっと影響してっていうのと、大学に入ってすごく環境がばっと変わったっていうこともあって、ちょっと聴力が落ちたので、このままじゃ授業を受けられないっていうふうにちょっと危機感を覚えた(03-2:55-59)。  したがって、[モヤモヤ感の具体化]は、新たに必要な知識や技術を見いだす動きであると同時に、分析焦点者が環境調整を志向していくきっかけとなりうる動きでもあると言えよう。 概念27 [改善法の模索]  [改善法の模索]とは、分析焦点者が、主に失敗経験をきっかけに、うまくやるにはどうすればいいのか考えていくことである。  以下に、本概念の生成に寄与したヴァリエーションの一部を掲載したが、ここから、調査協力者は失敗してしまった経験から、うまくやるには自分はどうしていくべきか考えていることがうかがえた。 ・やっぱり初めは僕も初めて関わる人に対してはちょっと言い難いから、ちょっと関わってから説明しようかなって思ったりもしたんですけど、やっぱりそれだったら、なんでしょう。上手くいかなかったというか、どちらかというと、仲良くなる前からちゃんと説明したらよかったなぁとか、そういう風な経験があったので、そういう感じでしたね。 (中略) そう。ちょっとわかりにくかったかもしれないんですけれども。僕ちょっと特に耳、聞こえが軽いってことがあったので、普通な感じで関わっていると、後から「それ聞こえにくい」って感じの説明をしても、ちょっとなかなか相手の心に入ってこないというか、そういう難しさもあったので、どちらかというと初めに言った方が良かったなっていうことが結構ありましたね(11-5:171-183)。 ・初めてノートテイクっていうのを知って、大学の先生に、自分はノートテイクをつけて、講義を受けたいっていう話をしたときに、私が言うと断られる。断られるんだけど、ろうの先輩が説明すると「いいですよ」と言われることが多くて、そういう経験をしたので、何回もしたので、私の中では、やっぱり自分の説明がダメなのか、何がダメなのかっていうのを、卒論の研究をしたのが一つあって、はい。そこで、やっぱり、ろうの人とか、重度の人だと、見て、あぁ配慮が必要だってわかるらしいんです。先生たちは。だけど、軽度だと、その~資料が欲しいとか、ノートテイクが必要だということは、わからないっていう結果が分かって、じゃあやっぱり自分は言わなくちゃいけないんだって言うことをそこで学んだんですね、私は(02-1:9-17)。 ・私が大学生の時に、教育実習があって、教育実習の時も、なんかその説明の時だけっていうので、ノートテイクを派遣してたんですよ。で、それを、なぜか自分がコーディネーター担当の時に、通訳者が行けないって、なんかハプニングが起きて、その時に私はもう実習の学校にいたので、コーディネートの結局変更ができないっていう状況が起きて、まぁまぁ、大変だった経験があって。やっぱり当事者がやるって、そういうトラブルが起きた時に対応できないよねっていう話になって、まぁ確かにって思って(02-7:251-256)。 ・ただ、そういうなんか根回し的なやり方を嫌う他の生徒さんっていうか、あいつだけ何か先生に取り入りやがってみたいななんかちょっと恨みではないけど、 周りと足並み揃えるみたいなことはちょっと苦手だったかもしれないなと思っています。周りの子と喋ってどうにかするっていう横の関係じゃなくて、縦の関係をすごく重視してしまうと、それもそれで何か学校生活には問題が起きるかなって思うので。大学入ってからは先生に直接聞きに行くだけじゃなくて、横の関係をなるべく保つようにはしてたんですけど(03-4:108-113)。  このように、調査協力者はさまざまな失敗経験を重ねながらも、そこからうまくやるには自分はどうしていくべきか考えて、例えば自分の障害の説明は最初に行うなど、必要な知識や技術を見いだしていることがうかがえた。その中でも、例えば(02-1:9-17)では、ノートテイクの説明方法や、自分から求めることの必要性など、環境調整を行う際に必要な知識や技術を見いだしている。また(03-4:108-113)では、横の関係をなるべく保つようにするなど、自分調整を行う際に必要な知識や技術を見いだしている。これらから、[改善法の模索]は分析焦点者の環境調整力と自分調整力の両方を高める基盤となっていると言えよう。  上述の通り、調査協力者は失敗経験からさまざまな学びを得ていたが、特に以下の語りが示す通り、複数の調査協力者から、独りよがりな方法はうまくいかないことに気づき、建設的な手法をとるようになっていった経験があることがうかがえた。 ・だからこうした授業がきっかけで、私がこの2年間の授業の中で学んだことは何かというと、一番大きかったのは、聞こえないために普段の生活の中で不満とか怒りとかはたくさんあるんですけれども、そういった不満や怒りを訴えるだけではなくて、どうすればよくなるのか、それを提案していくことが大切だということを学びました。そうすれば社会を変えていくことができるんだってわかったんですね(10-3:98-103)。 ・そのあと、日本に帰ってきたときに、アメリカの文化といいますか、個人主義で、強く求めて、権利を主張して、みたいなことを日本でもやった時に、日本は違うっていうのがわかったんです。はじめは「必要なんだ!!!」みたいな強い言い方をしていたんですけど、今はだんだん、なるほど、建設的な対話が必要で、言い方や提案の仕方が大事というのがわかってきまして…(06-4:123-127)。 ・まぁね、議論では最初は強く言いすぎて関係を壊したり、自分の意見を拒絶されたりしたと思いますね。で、私は、まぁ相手ですよね、相手に議論で打ち負かされてしまうのが嫌、負けず嫌いだったので、どうしたらいいかと考えて、中学生の時だったと思うんですけれども、本屋に行って、説得術の本を買って、読んだんです。中学生の時に。普通中学生は読まないですよね。本屋に行って、ビジネス本コーナーに僕は行って、本を探していると説得術の本があるって気づいて、へぇと思って手に取って読んだんです。自分の意見を通すためには、まず相手の話を聞くとか、そういう説明技術を高める技術が載っていたんです。読んで読んで、何回も読んで、このようなビジネス関係の本も僕は読んだんです。生徒の時に読んだんです。実際に会社の社長になった人の話とか、普通は生徒は読まないですよね。そういうのを読んだんです。そういうのも、まぁ自分の意見を通すためには、強く言うだけではだめ、硬軟入り混じらせて話すことが大切だということが、だんだん私は衝突してしまったりとか、跳ねのけられたりとかしてきましたけど、本を読んで、そういうことを積み重ねて学んだと思いますね(01-8:255-267)。  上記3名の調査協力者は、全員この語りの当時、[環境調整実践意識の芽生え]は起こっていた。そのため、これらの語りから[環境調整実践意識の芽生え]が起こったばかりの分析焦点者が独りよがりな方法をとってしまうことは決して珍しいことではないと推測でき、失敗経験を経て独りよがりな方法はうまくいかないことに気づき、建設的な手法をとるようになっていくことは、分析テーマ上重要な動きであると考えられた。  なお、失敗しても落ち込まずに、うまくいく方法を探すことができたのは、自分に自信がもてていたことや、以前に成功した体験があり、失敗経験は新たなスキル獲得のチャンスだととらえられるようになっていたことが原因だと考えられていた。以下にその語りを示す。 ・あ、でも、そこは、本当に高校の経験があったからだと思います。小中学校でちょっと躓いて、高校でちょっと自分の自信というものを、自己肯定感、を持てたので、それがあったから、ちょっとした、アルバイトで上手くいかなかったことでも、もっといい方法を探したりとか、くじけなかったという気持ちが持てたのかなぁっていう風に思いますね(11-10:357-360)。 ・それともう一つ、学生の時の成功体験は大事ですよ。 (中略) 大事ですねぇ。今ここでこけてるのは、自分のスキルが足りないからやっていう風に包括できる。スキルを変えたことで、成功したわけやからね、前はね。ということは今回上手くいかないのは絶対これはどう見てもスキルの問題だなぁと思うか、ということになってくると思います(05-14:478-483)。  これらから、【自己輪郭の内外的ピント調節】の中でも特に[人間的価値の保持]や、後述する【成功の有効的活用】が、失敗経験からの[改善法の模索]を可能とする基盤となっていることがうかがえる。  さらに、以下の語りが示す通り、調査協力者は失敗経験だけではなく良質な支援を受けた経験からも、自分がうまく力を発揮できる方法を見いだしてきたことがうかがえた。 (前略) ・例えばそのころ私は、難聴の団体にいたんです。役員になっていました。役員会に参加して、そこで議論をする時に、手話通訳も来たんですけれども、手話通訳と要約筆記の両方が来てくれていたんです。その頃の私は手話通訳よりも要約筆記を見ていたんです。 その頃の私は手話が まだまだ分からなくて、スクリーンに映し出された要約筆記を見た方が理解できたんです。そのような経験があったから、法科大学院に入った時に、手話通訳ではなくてノートテイクをお願いしますと言えたんだと思います。そういう経験があったからだと思います(08-4:141-157)。 ・まず一つ目は、ここ、○○大学では、私が大学生の時に、全国でもトップレベルの通訳者が二人いたんです。一人はAさんで、コーダの人です。もう一人もコーダの人で、Bさん。Aさんは、音声から手話への通訳がとても上手で、Aさんは読み取り通訳がとても上手くて、日本でトップレベルの二人だったんです。この二人の通訳の様子を、地元でいつも私は見ていたんですね。二人がいたから、他の通訳者と比較したときに、差がはっきりとわかりました。この人たちは全然違うということが分かりました。二人以外の通訳者はまだ成長途中で、つっかえてしまうところがあったんです。二人と比較して足りないところは何か分析していくことでわかったんです(09-9:296-304)。 ・実際に支援を受けてみて、やっぱり必要ないなと思うこともありましたし、だけれども、こういうところは必要だなって思うところもあって、例えば分かりやすい例で言うと、この先生の声は聞きやすいけど、この先生の声は聞きにくいわとか、そういう違いによっても、自分に必要な支援は変わってくると思ったので、それが一つと。あとは、支援の使い方。例えば、パソコンテイクを受ける時でも、ずっとパソコンテイクを見るのがいいのか?と考えていた時もあったんですけれども、やっぱり僕の場合は、音声である程度入ってくるので、音声をメインに漏れているところをパソコンテイクのところで見る。そういう使い方、自分に合った使い方というものも、大学の時にいろんな方法とか、いろんな場面で支援を受けさせてもらったことによってわかったことの一つかなぁと思います(11-8:257-265)。  以上を踏まえると、分析焦点者は、主に理想的な環境を実現しようとして失敗してしまった経験をきっかけに、これまでの自分の問題点や、今後習得していくべき知識や技術を明らかにしていくと言える。また、良質な支援を受けるなど、力を発揮できる環境を提供してもらうことも、これらの学びを得るきっかけになっていることがうかがえた。 サブカテゴリー5 【知識技術の試運転】  【知識技術の試運転】というサブカテゴリーは、[知識技術の試運転]を昇格する形で生成された。したがって詳細の説明は次の[知識技術の試運転]の項目で述べる。 概念28 [知識技術の試運転]  [知識技術の試運転]とは、分析焦点者が、必要と考えた知識や技術の実践に挑戦し、これらを習得していくことである。  以下に本概念の生成に寄与したヴァリエーションを記す。ここでは、調査協力者は、例えば自分の望む支援を受けるために、支援実施に関わる諸情報を蓄積していくことが必要と考え、実践してきたことがうかがえた。 ・そうですね。やっぱり建設的な案っていうのも、それがすべての場面において使える案かと言われると、やっぱりそうではないと思いますよね。さっきの居酒屋の例だったら、忙しい時あれば、忙しくない時あるし、忙しくなかったらやってくれるけど、やっぱり忙しい時はどうしても難しい時がある。なのでじゃあその時は、他の案、他の方法っていうものを予め準備しておいた方がいいかなって思って、そういう工夫というか、そういうものは考えるようにしてたと思います(11-11:386-391)。 ・○○大学に合ったノートテイクの方法や技術、マナーや、活動の運営方法とか、いろいろ決めていきました。活動の資料みたいなものも残していて、それがあれば、大学が支援をやると言ってきたときにその資料を渡せばスムーズにできると思っていました。みんなで一緒に議論して、資料を少しずつを作って、積み上げていったんです(11-11:386-391)。 ・でも私がその大学に入学する前に、情報保障のお金をどうしようということで、「日本私学支援機構」だったかな。 多分、忘れちゃったけど。まぁ私立の大学に障害学生がいれば、その機構から補助金がもらえるというものがあるんです。私は高校生の時、インターネットでいろいろ方法とかを調べていく中で、これを知りました。情報提供をして、大学も申し込んだらいいですよって言ったんです。これは、ろう学生の手話通訳とかに使うだけじゃなくて、幅広く使うことができるんです。車いすの学生が入学したときに、スロープ。階段にかえてスロープを作るためにお金が必要だとか、いろんな使い道が認められているんです(04-3:73-80)。  また、以下の語りが示す通り、他にも必要と考えられた知識や技術は複数あり、それらを実践できるよう努力を重ねたり、実際に行ったりしてきたとのことだった。 ・なので、その時に言ったのは、「ビールは僕聞こえるので大丈夫です」と、「だけどカクテルの時だけ書いてほしい」と。なんか書いていってほしいと。それも正式名じゃなくていいので、僕が分かるような略称でいいので、ちょっとパパっと書いて、紙を渡してほしいと。それくらいだったら、やってもらえるんじゃないかなぁってことがあったので、それをお願いしたりとか(11-11:372-376)。 ・聞こえる状態と聞こえない状態、両方を比較して初めて課題を発見することができますし、そうやって聞こえる人とも一緒に協力しながら課題を発見して、それを分析したり深堀したり、また改善案を作って提案して相手の意見を聞いて、また相手の都合もいろいろありますよね、現実的にできることできないこと、予算の問題とかもありますし、システムの問題もありますし、そういった企業側の意見も聞いて、さらにブラッシュアップして、最終プレゼンをして実現する(10-4:111-116)。 ・で、じゃあ職場の情報保障どうするって相談をしたときに、手話をできる人が4人もいたんですよ、その学校に。だけど、でもそれだと、まぁ情報保障できるけど、職場の中で配慮するってことにはならないよねって。やっぱりみんなにわかってもらって、みんなができる方法でやった方がいいねってことになって。じゃあやっぱりノートテイクだよねっていうことになって、で、大きい学校だったので、まぁそういう通訳が欲しいんですっていう話をして、協力してくれる人は~ってことで集めて、簡単に、本当に簡単にノートテイクの説明をして、こんな感じですって、はい。できる人たちでやって、まぁ会議の時に書いてもらったりってことを、やってたので。コーディネートは自分でしたんですけれども(02-5:173-181)。 ・そのあと、大学3年生の時に、情報保障の問題やろうの問題について一緒に考えてくれる、共有してくれる人が必要だと思いました。なぜなら、手話サークルでは、来てくれる人たちの考え方はそれぞれバラバラなんです。本当に頑張って手話を勉強する人もいれば、趣味で終わっても構わないと思っている人もいたりと、マチマチなんですね。なので、そういった人たちを無理やりまとめるようなことはしないで、その中で積極的に情報保障を考えてくれる人、仲間を上手く育てていく場を作ったらいいと思ったんです。学生だけによる、ろう教育や情報保障について考える研究会を私は立ち上げて、そこに学生を呼んで、そこで情報保障とは何かといった研究をしたり、情報を収集して勉強したりという形で進めていきました(09-1:29-37)。  ここに示した4つのヴァリエーションのうち、前者2つは、支援の提供を求めるためには、どんな支援なら相手は提供できるのか探していく必要があることを認識し、実際に試行錯誤しながら探していったとする語りである。後者2つは、環境調整は自分やできる人だけで完結させるものではなく、みんなで協働して実施していくべきものと認識し、そうできるように努力を重ねてきたとする語りである。  これらから個々人によって必要な知識や技術には違いがあるが、共通して分析焦点者は、必要と考えた知識や技術について、それらを実践できるよう努力を重ねたり、実際に行ったりと、挑戦を続けていくと言える。 サブカテゴリー6 【成功の有効的活用】  【成功の有効的活用】というサブカテゴリーは、分析焦点者が、成功体験を活用して自信を高め、更なる成長を求めて行動していくようになるプロセスを示している。プロセスの詳細を以下に示す。  分析焦点者は、自分が行ってきたことが成功した時、この成功体験を上手く活用し、見いだした知識や技術の正しさを確信したり([知識確信体験])、これらをさらに高度なものへと洗練したり([成功体験による知識技術アプデ])していく。これにより分析焦点者は自分への自信を高めていき、過去を内省して新たに必要な知識や技術を見いだそうとするなど([過去の内省的整理])、更なる成長を求めて行動を起こすようになっていく。  以下に、本サブカテゴリーを構成する上述した3個の概念について説明する。 概念29 [知識確信体験]  [知識確信体験]とは、分析焦点者が、自分で考えたり学んだりした知識や技術について、実体験を通してその正しさを確信し、前向きな気持ちになっていくことである。  以下に、本概念の生成に寄与したヴァリエーションの一部を掲載したが、ここから、調査協力者は、勇気を出して知識や技術を実際に活用した結果、それがうまくいった経験を通して、習得した知識や技術の正しさを確信し、前向きな気持ちになっていったことが見て取れる。 ・当然、入学した後、初めから手話通訳をつけるためのいろいろな交渉をしましたよ。母から聞いた話と、先輩から聞いた話を基にして、大学と交渉しました。ずっと。結果、大学の3年生になった時に、手話通訳をつけることができました。これはどういう意味があるかというと、成功体験という意味です。わかる?成功、成功体験という意味です。ただ知識、交渉が必要と知識として持っているだけではなくて、実際にその知識を使って交渉した結果、成功した!これは自分にとっての自信に繋がるのです。しっかりと自分の望むものをきちんと説明をして、交渉すれば成功できるんだっていう自信…というか確信が生まれたんです(01-4:140-147)。 ・その話を聞いて、すぐ私は学校の校長先生の所に行って、自分は実は聞こえないこと、聞こえなくて困っていること、でもどうしたらいいのかわからない、そういった状況を全部正直に話をしたんですよ。そのすぐ後の授業から、少しずつ担当の先生のサポートがつくようになって、自分が打ち明けることでやっと変わっていったというのがありますよね(10-2:36-40)。 ・人によりますけど、僕がお願いしたことは気をつけるようにはしてくれましたし、僕もそんなできないことをお願いしていることはあまりないので、あくまでも友達の話で言うと、友達関係なので、ちょっと意識してくれそうなことをお願いしたら、ある程度は皆さん優しかったので意識してくれるようにはなったのかなぁとは思います(11-6:202-205)。  特に(01-4:140-147)では、成功体験は「自分にとっての自信に繋がる」と明言されており、知識や技術の正しさを確信できた成功体験は、調査協力者のその後の積極的な行動に大きく寄与したと考えられる。  また、以下の2つが示すように、実際に、自分が習得してきた知識通りのことが、現実で起こっていることを見ることで、やはり自分の習得してきた知識は正しいと確信できたとする語りも得られた。 ・ずっと大学時代は、自分が難聴でやっぱり、ろう免をとるコースにもいたので、周りが聴覚障害にまず理解のあるメンバーばっかりで、私は生活してきてたので。だけど、やっぱり、ろう学校の卒業生とか、ろう学校の実態とかもよく聞いてたので、わかっている人だけじゃないとか、やっぱりその一部分だけに頼ってもだめだとか、っていうのが頭ではわかっていたので、現実を見て、やっぱりそうなのかなぁっていうのがありましたね(02-7:222-227)。 ・え~っと。障害者差別解消法じゃなくて、自立支援、自立支援法の後に総合支援法になったね。そう。その時代に私大学生だったんです。だから、障害者総合支援法が始まった年に、私が大学4年生になったんだよね。だから、大学側として支援をしなくちゃいけなくなった。今まで学生の団体だけで協力してやってたのを、今度はやっぱり大学が入ってきますよっていう時にいたので、「え~障害者総合支援法って何?」みたいな、「今までは何だったの?」みたいな。今まではそれこそ自立支援法だったのが、総合支援法に変わったんだぁみたいな。なんかそういう、やっぱり法律が変わった時代もそこだったので、なんかやっぱりそういうところで、多分なんか研修会とかセミナーみたいなのがあったんだと思うんですけどね。全然覚えてないけど。 (質問)その研修とかセミナーとかに参加される中で? ・そういう風に法律が変わるから、現場も変わってるんだっていうのを、実際経験させてもらっているので、はい(02-11:376-388)。 (02-7:222-227)や(02-11:376-388)について語った調査協力者02は、その後「そういった意味では、変わるもんなんだなぁって思って。法律ってすごいなぁって思いましたね。」とも語っており、知識の確信が成功体験となり、前向きな気持ちになっていったことがうかがえた。  ここから、分析焦点者は、自分で考えたり学んだりした知識や技術について、実際にやってみて成功したり、現実が知識通りであることを見たりするなどの実体験を通して、その正しさを確信し、前向きな気持ちになっていくと言える。 概念30 [成功体験による知識技術アプデ]  [成功体験による知識技術アプデ]とは、分析焦点者が、成功体験を踏まえて、知識や技術の更なる高度化を図っていくことである。  以下に、本概念の生成に寄与したヴァリエーションの一部を掲載したが、ここでは、調査協力者は、実践をしていく中で、知識や技術について、「こうすればもっと上手くいくのではないか」「こんなことも必要ではないか」などといった気づきを得て、そこから知識や技術の更なる高度化を図っていった経験があることがうかがえた。 ・例えば通訳派遣センターに通訳を頼む時に、単に「通訳が欲しいです」と言うだけでは足りないんです。私は博士課程の学生だから、さまざまな条件を丁寧に説明する必要がありました。知識が必要とか、通訳の方法を気をつける必要があるとか、いろいろと詳しく説明しました。これも、見方を変えれば、通訳派遣センターに対して意思の表明をしているという風に考えることができると思いますね。「このような合理的配慮をやってください」と通訳者にお願いするイメージになると思います。お願いをしたら、センターも「わかりやすく説明してもらえた!ありがとうございます!おかげで通訳者として誰を派遣したらよいのかかんがえやすくなりました!」と言ってくれたので、私は「なるほど。相手の立場を考えて、丁寧に説明して交渉していくという関係が大切なんだぁ」と知ることができました(09-4:110-119)。 ・あの~それが、私が卒業する時に、やっぱりその~当事者が説明、伝えなきゃいけないっていうのと、やっぱり大学側としても配慮しなきゃいけないっていうのがあったので、あの松﨑先生と協力して、え~とね。え~と、マニュアルを作ったんですよね。聴覚障害学生の支援のための何とかマニュアルみたいなのを作って、まぁ大学の先生方に配付をするっていうのをやったりしたので、はい。まぁで、後に私の自分のガイドブックを作るって言うところに繋がっていくので。そうです(02-5:157-162)。 ・やっぱりサークルを作るっていうのはね、聞こえない学生にとったらね、とってもマネジメントのものすごい勉強になります。今までいろんな意思決定のプロセスから疎外されてきましたでしょ。だけれども、サークルを作るということは、自分がいろんなことを決めていかなくちゃいけない。いろんな気配りもしなくちゃいけない。みんなのモチベーションにも配慮しないといけないですよね。という意味では、非常に勉強になりました(05-9:317-322)。  このうち、(09-4:110-119)は、手話通訳が欲しいと言う必要があることは知っていたが、経験を通して、「相手の立場を考えて丁寧に説明する」という、より高度な頼み方を習得したとするヴァリエーションである。(02-5:157-162)でも、調査協力者は、自分が説明する必要があることは知っていたが、経験を通して、ガイドブックという効果的な説明方法を習得していた。(05-9:317-322)も、意思決定が必要と漠然と知ってはいたが、サークル活動を通して、細かなテクニックを習得していったとするヴァリエーションである。  なお、これらを含め、本概念を構成するヴァリエーションはすべて成功体験をきっかけに、知識や技術の高度化を図っていた。逆に成功したのに知識や技術の高度化に生かさなかったとする語りや、失敗体験を知識や技術の高度化に直接生かしたとする語りは見当たらなかった。これまで述べてきた通り、調査協力者は、『自身崩壊のクライシス』に直面するなど、さまざまな失敗体験も経験してきているが、そこからすぐに成長の糸口が見つかるわけではなく、本概念を含む『スパイラル成長』を通し、成功体験を経て知識や技術の高度化を図るなどの成長を果たしていったとのことだった。  したがって、分析焦点者は、成功体験を踏まえて、これまでの知識や技術について、もっとうまくいくように洗練したり、より詳細な知識や技術に分割したりといったように、更なる高度化を図っていくと言える。 概念31 [過去の内省的整理]  [過去の内省的整理]とは、分析焦点者が、今持っている知識を踏まえて過去を内省し、自分の価値や今後必要な技術などを再確認することである。  以下に、本概念の生成に寄与したヴァリエーションの一部を掲載したが、ここでは、調査協力者は、成功体験によって得た知識を上手く活用して過去を内省し、自分の価値を再確認していたことがうかがえた。  調査協力者は、過去には聞こえない自分が悪いと思ってしまう[聞こえの諸悪の根源化]など、自分に自信を持てず辛い思いをしていたことがあるとのことだった。しかし、知識を習得したのちに改めて過去を振り返る中で、そうした自分を見つめ返し、辛さの真の原因に気づいたり、あの時の自分は確かに頑張っていたのだと気づいたりして、自分の価値を再確認していた。 ・不思議なんだけど、子どもの時は筆談をお願いすることそのものが大変だったけれども、今振り返って考えると、不思議ですね。子どもの時から遠慮せずに筆談をお願いしておけばよかったと思いますね(08-4:112-114)。 ・だから改めて振り返ってみると、高校生までの私は、医学モデルと社会モデルという言葉がありますよね。この医学モデルの考え方が私の中にずっとあったんだなって思うんですね。原因は本人の方にあるって思いこんでいたんです。でも大学の授業を受ける中で、社会モデルという考え方を学んで、すごく驚いて、これまで自分が悪いと思っていたけれど、そうではないとはっきりと分かったんですよ(10-3:79-83)。 ・卒業できたことがうれしかったということもあって、そこまで(手話通訳のことは)考えてなかったですけれども、今思うと、あれはよかったなぁと。全く分からなかった、全部わからなかったことが、一部わかったんです。話を見ていてわかった部分もあったんです。なのでよかったというのと、必要だったんだなぁと思いましたね。今思えば文字通訳も欲しかったなぁと思いますね(06-7:250-254)。 ・第3分科会っていうのが、所謂職場の情報保障について考える分科会があるんだけど、そこで所謂難聴の先生方とかが集まるようになって、そこでいろんなそれこそA先生との出会いもそこだったし、大阪のB先生とかともそこでお世話になってるし、そこは本当に諦めないで、全聴教に通ってよかったなぁって思ってますね(02-13:459-463)。  さらに、以下の語りのように、過去を振り返る中で、例えば「あの時の自分は自分の聞こえや必要な支援についてわかりやすく説明することができていなかった」などと、自分の問題点を見いだし、今後自分が習得していくべき知識や技術を見いだしたとする語りも得られた。 ・なので言うても小学校中学校高校大学といろいろな経験を積み重ねてきて、大学では聴覚障害のことを専門に学んで、自分の中で小中高のね、振り返りをして、自覚が足りなかったという気づきもそのときに得ることができたわけで。よく考えてみればあのときは、もう少しこういうところを求めていれば、さらに良い結果が得られたのかなというふうな気付きも、自分が経験を積み重ねる中で得ることができるわけですよね。そういう経験をベースにして、まともに提供していただける方との交渉のところでそういう部分を作るときにそういうふうな、今までの経験をもとに文を作るということに繋がる。そういう流れがあるのかなと思いますね(07-4:138-145)。 ・もうね、覚えてないんだよね。でも、やっぱり全然言葉も足りなかっただろうし、多分聞こえにくいのでとにかく資料が欲しいんですとか、ノートテイクをつけたいんですとか、なんかほんとに、そんなね、幼稚な話しかできなかったと思います(02-2:49-51)。  したがって、分析焦点者は、成功体験を重ね、知識等を習得してきたら、今持っている知識を踏まえて過去を内省し、自分の価値や今後必要な技術などを再確認していくことがあると言える。さらにこの動きは、また新たに【成長源の模索】を行うきっかけになっていると言える。そのため、この動きは分析焦点者にとって、更なる成長を促す非常に重要な動きと言えるだろう。 第4節 考察  本節では、「聴覚障害者が、自らの力を十分に発揮できる理想的環境の実現を、志向・実践していくプロセス」の分析結果を踏まえ、聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくにあたって、得られたプロセスをどのように考えるとよいのか、重要だと考えられる視点から考察していく。 第1項 第二研究で得られた結果のまとめ  第二研究を通して、分析焦点者である「自らの力を十分に発揮するために行動する聴覚障害者」が、自らの力を十分に発揮できる理想的環境の実現を、志向・実践していくプロセスを説明する説明力のある結果図やストーリーラインを示すことができた。  生成されたプロセスは、『心理的安定基盤との接続』を基盤とした『環境調整観の成長』と『理想への挑戦的前進』の相互作用的成長が基本の軸となった。ただし、『環境調整観の成長』は決して順風満帆に進んでいくものではなく、時に『自信崩壊のクライシス』に直面し、歩みが止まってしまうことが示された。ただし、その際に「もうダメだ」と諦めてしまわないように、『立ち止まっての自己リソース内解決』を行うことで自分を守りつつ、『スパイラル成長』によって『環境調整観の成長』と『理想への挑戦的前進』及び『立ち止まっての自己リソース内解決』を促進していくことが示された。  以下、このプロセスについて、エンパワメントの概念も踏まえて詳細に考察する。 第2項 エンパワメントの概念を援用した結果の考察  第1章で述べた通り、北野(2015)は、個人がエンパワメントしていくプロセスを、以下の4つの目標に分けて整理している。 目標1:本人が、どうせ私は障害者だからと、諦めさせられている希望・社会参加などを自覚し、明確にする 目標2:上記の心理的・組織的・社会的・経済的・法的・政治的阻害要因と対決して、問題を解決する力を高める ※専門家等の力も借りつつ、少しずつICFにおける阻害要因と対決し、問題を解決する力を高められるようになること 目標3:必要な支援(ICFの促進的環境要因)を活用する力を高める ※ICFの促進的環境要因専門家や周囲の協力してくれる人々、或いは合理的配慮といった法制化された制度等)を使いこなして、自らが主体となって問題を解決できるようになること 目標4:自分の弱さ・恐れ等を他者に投射することなく受け入れ、自分も他者も抑圧しないあり方を創出する  そこで、第二研究で明らかになったプロセスを、上記の目標と照らし合わせることで、考察を試みた。その結果、本プロセスにおいて、上記の目標は以下のように達成されてきたと考えられた。  まず、分析焦点者は、さまざまな支援者との関わりを通して(『心理的安定基盤との接続』)、自分の本来の力を知ったり、環境が原因で今までの自分は損をしていたこと、或いは社会において自分は特別な存在ではなく、力を発揮するために環境を変えていっても構わないことなどに気づいたりしていた。この結果、等身大の自分の姿を受け入れ、「自分も本来の力を発揮していきたい、そのために自分にとって理想的な環境を作っていきたい」という思いを芽生えさせていく(【自己輪郭の内外的ピント調節】)ことが明らかになった。この動きは、まさしく目標1である「本人が、どうせ私は障害者だからと、諦めさせられている希望・社会参加などを自覚し、明確にする」を達成していく動きだと言えよう。  その後、分析焦点者は、聴覚障害の先輩と出会って憧れを感じたり([成功他者からの希望の湧出])、偶然先輩から有力なアドバイスを得たり([棚ぼた的知識習得])など、繋がった他者からのさまざまな恩恵を受けることで、次第に自分も社会で十分に力を発揮したいと思うようになっていった(【活躍する自己像への志向】)。このことは、自分にとって理想の環境を作っていこう([環境調整実践意識の芽生え])とする原動力になり、実際に行動を起こしていくことにも繋がっていることが示された(『理想への挑戦的前進』)。これはまさしく支援者の力を借りて、自分の力を発揮できていない環境というICFにおける阻害要因を無くしていこうとする動きであり、分析焦点者は、このように目標2「心理的・組織的・社会的・経済的・法的・政治的阻害要因と対決して、問題を解決する力を高める」を達成していくととらえることができる。  また、分析焦点者は、理想的な環境を実現するために法に則って合理的配慮の提供を求めたり(『理想への挑戦的前進』)、自分から積極的に、合理的配慮を提供する立場を経験するなど、繋がった人や環境も活用して([自分以外目線からの学び]、[成長のための積極的外部情報収集])、必要な知識や技術をどんどん習得していったりしていく(『スパイラル成長』)ことが明らかとなった。ここでは、目標2の時と異なり、分析焦点者が自ら積極的に繋がった人や環境を活用しており、この時の分析焦点者は、目標3「必要な支援ICFの促進的環境要因を活用する力を高める」が達成された状態であると考えられる。  その後、分析焦点者は、実際に理想的な環境を作ろうと何度も行動を起こしていく等、さまざまな経験を重ねる中で、環境調整の意味や価値を多角的にとらえられるようになっていく(【環境調整観の多角高度化】)。分析焦点者が見いだす新たな環境調整の意味や価値は、環境調整は自分だけのためではなく、相手にとっても価値のあるものだととらえている点で共通しており、これらを認識することで、分析焦点者は自信や余裕をもって環境調整していくようになっていく([余裕のある対応姿勢])。さらに何度も必要な知識や技術を見いだし、習得していくことで(『スパイラル成長』)、こうした価値観を踏まえた、相手にとって受け入れやすい方法での環境調整ができるようになっていくのである。これはまさしく、「自分の弱さ・恐れ等を他者に投射することなく受け入れ、自分も他者も抑圧しないあり方を創出する」段階へと成長していくプロセスであると言え、分析焦点者はこのように目標4を達成していくと言える。  以下、各目標の達成のために必要な事項等について、詳細に考察する。 1.『心理的安定基盤との接続』の確立について  まず目標1に関して、自分を価値ある存在として真っ直ぐ見てくれる人がいないなど([真っ直ぐ見てくれる人との繋がり])、『心理的安定基盤との接続』ができていなかったとき、分析焦点者は、例えば友達との話がうまくできないなどの問題に直面しても、それは自分が悪いんだと諦めることで何とか自分を納得させ、聴者のように聞き、話さなければならないと自分を追い詰めてしまう場合があることが示された([聞こえの諸悪の根源化]・[聴者社会への呪縛的同化])。一方、[真っ直ぐ見てくれる人との繋がり]等を得ることで、先述の通り、分析焦点者は、目標1を達成していくことが明らかとなった。  さらに、『心理的安定基盤との接続』を果たした分析焦点者は、例えば聴者と上手く関わっている聴覚障害の先輩と出会って憧れを感じたり([成功他者からの希望の湧出])、偶然先輩から有力なアドバイスを得たり([棚ぼた的知識習得])など、繋がった他者からのさまざまな恩恵を受けることができるようになり、先述の通り、これは目標2の達成に大きく寄与していた。  加えて、その後分析焦点者は、先に述べた通り、合理的配慮などの制度や、繋がった人や環境を上手く活用して、主体的に行動を起こしていき、環境調整力を高めていくが、このことから、『心理的安定基盤との接続』は、目標3の達成の前提条件となっていることが うかがえる。  ここから、分析焦点者が、まず自分を価値ある存在として真っ直ぐ見てくれる人や「自分と同じだ」と安心できる仲間と出会ったり、多様な人々が共存・協力し合っている集団に参加したりして、自分が安心できる繋がりを得ることは、エンパワメントの目標1、目標2の達成に直結する動きであり、目標3の前提にもなっていると言える。そして、分析焦点者にとって、こうした繋がりを得ることは、自分が十分に力を発揮できる理想的環境の実現を、志向・実践していくにあたり、最初の最重要課題であると言えよう。 2.支援者等の受け身的利用から主体的活用への変遷について  分析焦点者は、先述の通り、支援者に支えられていた状態から、自ら支援者等を活用していく状態へ変化していったことがうかがえる。  第二研究の中でも、例えば上手な人の姿から技術を学んだり、本を探して読んだり、団体の運営者になってノウハウを習得したりと、これまでに繋がった支援者など、周囲のリソースを自ら積極的に活用することで、知識や技術の習得等に繋げていっている様子が示されていた。このような自ら主体的に支援者等を活用していく動きは、支援者からアドバイスをもらって行動するなど、支援者等を受け身的に利用する時と比較して、分析焦点者のより大きな成長に繋がると考えられる。加えて、目標3「必要な支援ICFの促進的環境要因を活用する力を高める」と明記されていることから、エンパワメントプロセスにおいても、自ら支援者等を活用していく状態になることは重要ととらえられていることがわかる。  さらに第二研究では、複数の調査協力者から、自ら率先して、合理的配慮を提供する立場などを経験することで、実は「事業者等は支援についてよく知らない」など、事業者等の事情への理解を深めていったとする語りや、相手の事情も踏まえた、協調性を重んじる対話の重要性に気づいていったとする語りが得られた([自分以外目線からの学び])。  そのため、分析焦点者が支援者等を主体的に活用できるようになることは、目標4「自分の弱さ・恐れ等を他者に投射することなく受け入れ、自分も他者も抑圧しないあり方を創出する」の到達にも大きく寄与しており、エンパワメントプロセスにおいて特に重要な要素の一つと言えよう。  ただし、第二研究ではその変化のきっかけやタイミングについて、明確な答えを得ることはできなかった。これは、第二研究の調査協力者の条件が原因であると考えられた。その理由は以下の通りである。 第二研究では、建設的対話を志向・実践していくプロセスについて、経験に基づいた深い語りを得るために、より多くの建設的対話の経験を積み重ねてきた方を対象とした。故に、これまでにICFの促進的環境要因を巧みに活用してきた方にインタビュー調査を行うこととなった。その結果、調査協力者から、「自ら主体的に活用してきた」という語りが得られたとき、それがその語りの当時から調査協力者が考えていたことなのか、インタビュー調査現在の価値観で過去を語っていて、当時は受動的であったのかを判断することが難しくなってしまったためである。  そのため、分析焦点者が、支援者に支えられていた状態から、自ら支援者等を活用していく状態へ変化していくタイミングやそのきっかけ等を明らかにするためには、まだ支援者に支えられている状態の者と、自ら支援者等を活用できるようになった者に対してインタビュー調査を行い、その結果を比較検討することが有効であると考えられた。 3.『自信崩壊のクライシス』及び『立ち止まっての自己リソース内解決』について  エンパワメントの各目標と照らし合わせて、第二研究で得られたプロセスを記述すると、先に述べた通り、分析焦点者は、比較的容易に、自らの力を十分に発揮できる理想的環境の実現を、志向・実践していくように思われる。  しかし、第二研究では、このプロセスは決して容易なものではなく、分析焦点者はさまざまな困難に直面すること(『自信崩壊のクライシス』)が明らかとなった。そして、そうした問題に直面した際に、常に頑張って解決していこうとすることは苦しいことであり、時には環境調整をしない、あるいは頑張らないという選択をして([環境調整しない自分の正当化])、困っている現状を解決するために無理なく自分ができることを行っていく([自分調整によるその場しのぎ])ことで、自分の自信や価値を守ることも重要であることが明らかとなった。  まず『自信崩壊のクライシス』について、分析焦点者が直面する問題は、大きく2つに大別された。1つは、環境調整を、「他人に迷惑をかけてはならない」といった自分自身の規範と反する行為ではないか等ととらえてしまい、環境調整をしていこうとする気持ちが揺らいでしまう問題である([拭い切れない憚り感])。もう1つは、勇気を出して環境調整しようとするも、相手に断られて必要と考えた支援が受けられなかったり、或いは得られた支援が理想的な環境の実現に繋がっていないことを認識したりと、現状が自分にとって問題であることを認識しつつも、どうやってそれを解決していけばよいのかわからなくなってしまい、自信を失いかけてしまう問題である。  もっとも、これらは分析焦点者に非があることを示すものではない。例えば、ある調査協力者からは、「障害が理由で志望校に入学を拒否され、非常にショックを受けた」という語りが得られたのだが、こうした事例は、障害者差別解消法における不当な差別的取り扱いを受けた例であり、非があるとすれば、それは入学拒否をした学校側にあると言える。ただし、こうした時に、分析焦点者が法律に関する知識を持っていなければ、「聞こえない自分が悪いんだ」と自分を追い込み、自分への自信を失ってしまう恐れがあると言える。  これらから、分析焦点者は、その時有している環境調整の意味や価値、或いは環境調整をしていくための知識や技術では、対応しきれない事態に直面した時、『自信崩壊のクライシス』に陥ってしまうと考えられる。  次に『立ち止まっての自己リソース内解決』について述べる。  上述した通り、環境調整の意味や価値、或いは環境調整をしていくための知識や技術が不十分であることが、『自信崩壊のクライシス』に直面する原因と考えられるため、この解決法としては、環境調整の新たな意味や価値を見いだしたり、必要な知識や技術を習得したりすることが挙げられる。実際、分析焦点者は、主に『自信崩壊のクライシス』をきっかけとして、新たに必要な知識や技術を見いだし、習得していくことが示された(『スパイラル成長』)。  しかし、分析焦点者が行うとされた動きはそれだけではなかった。『自信崩壊のクライシス』など、何らかの問題にぶつかった時、分析焦点者は、「無理に理想的な環境を実現しようとしなくて構わない、今は自分にできる範囲の工夫をするだけで構わない」と自分自身を納得させ([環境調整しない自分の正当化])、例えば友達にノートを見せてもらうなど、困っている現状を解決するために自分ができることを行っていく([自分調整によるその場しのぎ])ことで、自分の自信や価値を守っていたのである(『立ち止まっての自己リソース内解決』)。逆に、知識や技術が不足している状態で、無理に問題の原因を考え込んでしまうと、「聞こえない自分が悪い」といった自分を否定する結論に陥ってしまう恐れがある。  この動きは、本項の冒頭で述べたエンパワメントの各目標を達成していく動きの中には含まれていない。しかし、困難に直面しても、自分の自信や価値を失わずに守り続けることで、例えば先輩から偶然アドバイスをもらったり([棚ぼた的知識習得])、聴覚障害者にとって普段は見えにくい事業者等側の事情についての理解を深める良い機会である、合理的配慮の提供側になるチャンスが得られたり([自分以外目線からの学び])など、成長のチャンスが得られた際に、それを受けとめ、成長へ繋げていくことが可能になると考えられた。  さらに自分調整を続けていくことで、その力を高めていくとともに、それだけでは自分の力を十分に発揮できない場合があることや、いつかは環境調整に踏み出さなければならないことに気づいていくことも示された。つまり、自分調整を行うことは、その先の環境調整を行うための一つのステップとしての役割を果たしていたのである。  これらから、『立ち止まっての自己リソース内解決』は、分析焦点者がチャンスを得た際にエンパワメントしていけるよう、その力を保持し続ける動きであるとともに、次なる環境調整へと進んでいくきっかけとなる動きと言え、エンパワメントの4つの目標には挙げられていないが、分析焦点者のエンパワメントを促進していく過程で、非常に重要な動きであると言えよう。 第7章 総合考察 第1節 第一研究と第二研究のまとめ  本研究では、第一研究として、「建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力」について分析した。その結果、建設的対話を行うにあたって、聴覚障害者は合理的配慮のあるべき形を認識し、その実現のために必要な技術を多数習得しておく必要があること、及びこれらの心構えや技術の具体的内容について明らかにすることができた。同時に、積極的に合理的配慮の提供を求める経験等を数多く積み重ねていき、そこで新しい知識や技術等を見いだすことを繰り返すことが、これらの心構えや技術の習得に繋がっていることが示された。  ただし、第一研究では「聴覚障害者は、どのようにこれらの心構えや技術を習得し、建設的対話ができるようになっていくのか」を明らかにすることができず、今後の課題とされた。したがって、この課題を解決し、聴覚障害者が適切に建設的対話を行えるようになっていくために必要な知見を得るために、これらの心構えや技術の習得に至ったプロセスの分析がなされる必要があると考えた。  このため、第二研究として、聴覚障害者が建設的対話を志向・実践していくプロセスについて検討し、分析焦点者である「自らの力を十分に発揮するために行動する聴覚障害者」が、「自らの力を十分に発揮できる理想的環境の実現を、志向・実践していくプロセス」を説明する説明力のある結果図やストーリーラインを示すことができた。  これにより、上述の課題について明らかにすることができた。第二研究によって、分析焦点者は、安心できる人との繋がりを得ることで、少しずつ「自分も本来の力を発揮したい、そのためには環境を変えていく必要がある」と環境調整観を育んでいき、その結果、合理的配慮の提供を求める等、理想的な環境の実現に向けて、実際に行動を起こせるようになっていくことが示された。そして、分析焦点者は、繋がった人たちなどからサポートを受けたり、或いはこれらを活用したりすることで、新たに必要な知識や技術を見いだし、実践を通してこれらを習得していくことが明らかになった。さらに、分析焦点者はこうした成功体験を上手く活用して、自分の自信を高め、知識や技術を更に高度なものとしていき、次の知識や技術の習得への原動力をも生み出していることが示された。同時に、分析焦点者は、環境調整の実践や、知識や技術の習得など、さまざまな経験を通して、「支援は自分だけでなく、相手にとっても役に立つ」等と、環境調整の新たな価値や意味を見いだしていくことも示された。このように知識や技術を習得し、環境調整の価値や意味を多角的にとらえられるようになった結果、分析焦点者は自信と余裕をもって堂々と、建設的対話を行うなど、環境調整を行えるようになっていくことが明らかになった。  加えて、第二研究で得られたプロセスを、エンパワメントの4つの目標と照らし合わせて考察することで、このプロセスをより詳細に解釈することができ、『心理的安定基盤との接続』の確立、支援者等の受け身的利用から主体的活用への変遷、『自信崩壊のクライシス』直面時等での『立ち止まっての自己リソース内解決』の実施という3つの要素が、分析焦点者が、建設的対話を志向・実践していくにあたって直面する課題を乗り越え、次のステップへ進んでいくにあたり、特に重要であることが明らかとなった。 第2節 聴覚障害者に求められる努力や工夫について  以上を踏まえ、適切に建設的対話を行えるようになるために、聴覚障害者自身はどのような努力や工夫を重ねていくことが必要なのか考察する。 第1項 『心理的安定基盤との接続』の確立  まず聴覚障害者が行うべきは、『心理的安定基盤との接続』を確立することであると考えられた。これの確立は、聴覚障害者が積極的に合理的配慮の提供を求めていけるようになるための基盤の確立を意味し、エンパワメントの概念を踏まえても、これはエンパワメントの目標1及び目標2の達成に直結し、目標3を達成するための前提にもなるものであるからである。  具体的には、自分を価値ある存在として真っ直ぐ見てくれる人や、「自分と同じだ」と安心できる仲間と出会ったり、多様な人々が共存・協力し合っている集団に参加したりすることが求められる。この際、大学等の支援担当教職員、他の聴覚障害者、家族といった、特定の属性の人が、必ずしも自分にとって、自分を価値ある存在として真っ直ぐ見てくれる人等であるとは限らないことに留意すべきである。特に、他の聴覚障害者については、周囲に聴覚障害者が少ない場合も珍しくなく、その場合は「同じ聴覚障害者だから仲間にならなければ」などと、無理に関係を作ろうとしてしまうことも推測されるが、そのような必要はないだろう。当然のことながら、ひとくちに聴覚障害者と言っても、聴力もコミュニケーション方法も、考え方もさまざまであるため、周囲にいる聴覚障害者が、必ずしも自分にとって安心できる存在とは限らないからである。このため、自分が無理なく安心できる人たちと繋がっていくことが重要である。これに関して、調査協力者からは、例えば筑波技術大学や全日本ろう学生懇談会などの聴覚障害学生が集まる当事者団体、或いは難聴者による地域のサークルなど、似たような属性の聴覚障害者が集まる団体に参加することも、同じと思える聴覚障害者と繋がる方法の一つであるとの語りが得られた。そのため、こうした環境を探して参加してみることは、繋がりを得るための一つの手段になり得ると言えよう。  また、こうした繋がりは、複数有している方が望ましいと考えられる。そのため、例えば、「自分と同じだ」と安心できる仲間と出会えたならば、その人を通して、自分を価値ある存在として真っ直ぐ見てくれる人と繋がっていくなど、繋がりを生かして更に繋がっていく工夫をするとよいと言えよう。  ただし、まだ何も繋がりが無い聴覚障害者が、自力でこれらの人を探して繋がっていくことは大変難しいことであると考えられた。実際、多くの調査協力者は、相手から話しかけてくれたといった、偶発的なきっかけによって、最初の繋がりを得たと語っていた。そのため、聴覚障害者が安心できる人と繋がっていくためには、周囲のサポートも大変重要であると言え、これについては後述する支援者の項で述べる。 第2項 支援者等の主体的な活用  次に、聴覚障害者は、繋がった支援者などからサポートを受けるだけではなく、自ら積極的にこれらの支援者等を活用していくことが重要であると考えられた。多くの調査協力者が語っていたように、合理的配慮を提供する立場など、支援を求める側以外の目線を経験していくことは、新たな知見を得る上で非常に有効であると言えよう。  また、支援者等の主体的な活用方法は、上記のような大掛かりな行動だけでない。本を読んだり、自分から支援者に質問したり、或いは周囲にいる交渉等が得意な人の姿から、その技術を学んだりなどして、自分から積極的に情報を入手しようとしていくことも、支援者等の主体的な活用方法の一つである。  アドバイスを受ける等、支援者からサポートをしてもらうだけでなく、自分にできる方法で、自分から積極的にこれらの支援者等を活用していくことで、より効率的に建設的対話ができるようになっていくと考えられる。 第3項 『立ち止まっての自己リソース内解決』の重要性の認識と自分調整方法の開発  加えて、第二研究の結果や考察で述べてきた通り、聴覚障害者が建設的対話を含めて、環境調整を志向・実践していくにあたっては、程度の差はあれ、ほぼ確実に、自分の自信や価値を揺るがされる何らかの事態に直面する。そして、こうした時には、無理に環境調整しようとせず、環境調整をしない理由を見つけて、自分にできる範囲の工夫でその場の問題の解決を図ってやり過ごしていくことも重要であることが、第二研究で示された。ここから、聴覚障害者は、何らかの問題に直面した際に、無理をせず自分にできる範囲の工夫でその場の問題の解決を図ってやり過ごしていくことも重要と認識し、自分調整の方法を開発していくことも重要であると考えられた。  なお、自分調整の方法として、調査協力者からは、黒板や友達のノートを見て話の内容の理解に努めたり、相手の口形がよく見える位置に立って、口話(読唇)ができるようにしたりなど、自助努力による方法が挙げられた。また、調査協力者は、環境調整の実践を重ねたり、自分調整を繰り返し行ったりする中で、自分調整の方法についても洗練していき、例えば、司会者役を担って場を仕切ったり、筆談ツールを皆に配り、自ら使用方法を説明したりするなど、自分自身の工夫により、自分にとって情報を得やすく、力を発揮しやすい環境を作っていく方法も編み出していた。これらは、その当時の調査協力者にとって、環境調整と比較して、それほど心に負担をかけない方法が用いられている点で共通している。  したがって、聴覚障害者は、これらの例も参考に、自分に合った自分調整の方法を習得していく必要があると言えよう。 第3節 支援者が行うべき支援について  次に、聴覚障害者が適切に建設的対話を行えるようになるために、支援者はどのような支援を行っていくべきか考察する。 第1項 『心理的安定基盤との接続』を促す支援  聴覚障害者にとって『心理的安定基盤との接続』が重要であることはこれまで述べてきた通りである。  これを促すためには、まず支援者自身が、聴覚障害者にとって安心できる存在となる必要がある。例えば「あなたは聞こえないのだから、聞こえる人以上に頑張らなければならない」といった声かけは、聴覚障害者が自分を聴者と比べて劣った存在ととらえてしまうなど、聴覚障害者を追い詰めてしまう側面もあるため注意が必要と言えよう。これについては、大学等の支援担当教職員の聴覚障害学生への対応について述べた吉川ら(2017)も、聴覚障害学生との信頼の確立やしっかりと向き合って話をすることの重要性について指摘しており、ここからも聴覚障害者にとって安心できる存在になることの大切さがうかがえる。  また、「自分と同じだ」と思える仲間との出会いも重要であるとされたが、デフファミリーでなく、聴覚特別支援学校との関係も持たない聴覚障害者にとっては、こうした繋がりを得ることが困難なこともあるだろう。そのため、支援者は、聴覚障害者の知り合いを確保したり、地域のろう者や難聴者の団体等の情報を把握したりしておき、必要な場合にそれらの情報を提供できるよう、準備しておくことが望ましいと言えるだろう。 第2項 支援者等の主体的な活用を促す支援  聴覚障害者にサポートを提供するだけでなく、聴覚障害者が支援者等を主体的に活用していけるよう、関わっていくことも重要である。  この際、調査協力者からは、サークルの運営に携わるなど、他者と協力して主体的に動く機会を得てきたことで、協力関係を築くノウハウを学んだり、或いは合理的配慮の提供者側を経験することで、事業者等側の事情等への理解を深めたりしてきたとの語りが得られたが、いきなりこのような行動を起こすことは難しいと考えられる。そのため、まずは例えば障害者差別解消法や合理的配慮等を取り上げた本やセミナー等を紹介するなどして、聴覚障害者が自らの意思で学んでいけるよう働きかけることなども有効な方法として挙げられよう。  また複数の調査協力者から、聴覚障害者にとって難しいことであるとしつつも、建設的対話のロールプレイを行う機会や、それを客観的な立場で見る機会を提供することは、有効ではないかとの語りが得られた。この際、聴覚障害者側を複数人に設定することで、より有意義なものになるのではないかとも語られていた。これは、例えば、自分より対話に慣れている仲間が上手にやりとりをしていく様子を間近で見て学ぶことができたり、一人ではうまく話せない場面でも、複数人で協力することで交渉方法を考えたりすることができるようになるのではないかと考えられるためである。また事業者等役から厳しい断り方をされても、仲間がいれば心理的なダメージが軽減されるかもしれないとの配慮も含まれていた。このようなロールプレイは、建設的対話を行っている様子を客観的に見る効果もあり、「この求め方だと、事業者等役は、結局どんな合理的配慮を提供すればいいのかわからず、困るだろうな」といった事業者等の目線からの気づきも得られる可能性がある。ここから「建設的対話はお互いのことを考えて、理論的に進める必要がある」などと、建設的対話の理解も深まるだろうと考えられていた。 第3項 『立ち止まっての自己リソース内解決』の重要性の認識と自分調整方法開発支援  支援者は、聴覚障害者が、時に環境調整を行わない選択をし、自分にできる範囲の工夫でその場をやり過ごすことで、自分の自信や価値を守っていることを理解することが重要である。  こうした行動は、問題から逃げている状態に見えがちであるが、この行動が聴覚障害者のエンパワメントに大きく寄与していることは、これまで述べてきた通りである。そのため、支援者は、聴覚障害者の準備が整うまでじっくりと待つことも重要であると言えよう。  逆に、聴覚障害者が「環境調整をしなければならない」などと強く自分を追い詰めてしまっている場合には、今は無理をする必要が無いことを伝えることも、支援の一つだと言えるだろう。  また簡単にできる筆談の方法等、聴覚障害者が無理なくその場の問題を解決できる方法を一緒に考えていく ことも、有効的なサポートだと言えるだろう。  以上を踏まえ、以下に、適切に建設的対話を行えるようになるために、特に聴覚障害者自身に求められる努力や工夫、及び支援者が行うべき支援についてまとめた表を示す(表7-1)。 表7-1 適切に建設的対話を行えるようになるために、聴覚障害者及び支援者が特にすべきこと 第4節 本研究の限界と今後の展望 第1項 第一研究の限界と今後の展望  第一研究では、多くの建設的対話の経験を積み重ねてきた4名の調査協力者に、調査に先立って建設的対話場面のロールプレイを行っていただいた後、インタビュー調査を行い、得られた語りをKJ法を用いて分析した。この分析により得られた、建設的対話を行うにあたって聴覚障害者に求められる心構えや技術については、第一研究には参加しなかった第二研究の調査協力者からも肯定する語りが得られており、また先行研究の結果とも一致する点が多かったことから、広く聴覚障害者全般にあてはまる「建設的対話を行うために身につけていくべき力」の内容となると考えられた。  しかし、あくまで4名の調査協力者の語りを分析したものであるため、より多くの聴覚障害者を対象に調査を行うことで、第一研究では得られなかった心構えや技術が新たに見いだされる可能性があるだろう。  また、第一研究では調査に先立って建設的対話場面のロールプレイを行っていただいたが、本研究では、この内容について深く分析することは行わなかった。しかし、こうしたロールプレイの内容をより深く分析したり、或いは実際に聴覚障害者が建設的対話を行っている場面を分析したりすることで、第一研究で得られた心構えや技術が実際の建設的対話場面でどのように現れてくるのかを知ることができ、より現実に即したノウハウの抽出に寄与できることだろう。  さらに、得られた結果の中では、建設的対話の対話相手となる事業者等に関する心構えや技術が多く見受けられた。しかし、本研究の範囲では、事業者側が第一研究で得られたような心構えや技術をどのように受け止めているかについては明らかにできなかったことから、今後、事業者等を対象に調査を行うことでも、第一研究の結果をさらに深めることができると考えられた。 第2項 第二研究の限界と今後の展望  第二研究では、多種多様な聴覚障害者11名にインタビュー調査を行い、得られた語りをM-GTAを用いて分析した。その結果、「自らの力を十分に発揮するために行動する聴覚障害者」が、「自らの力を十分に発揮できる理想的環境の実現を、志向・実践していくプロセス」について、説明力のある理論を生成することができた。  しかし、聴覚障害者は多様な存在であり、自らの力を十分に発揮するために行動するすべての聴覚障害者が、このプロセスに即して進んでいくとは限らないであろう。ただし、M-GTAは生成された理論の正否ではなく、理論の実践的活用を重要とする立場をとっている。したがって、本プロセスや、最後に提言した聴覚障害者及び支援者がすべき事項についても、今後、実践的に研究を積み重ね、精緻化するとともに、有効性を検証していく必要があるだろう。  また、第二研究では、得られたプロセスをエンパワメントの概念を援用して考察したことで、聴覚障害者が、支援者等を受動的に利用している状態から、これらを主体的に活用していく状態へと変わっていくことが重要な要素の一つであることが明らかになったが、その変化のきっかけやタイミングについて、明確な答えを得ることができなかった。そのため、今後はまだ支援者等を受動的に利用している状態の者と、自ら支援者等を活用できるようになった者に対してインタビュー調査を行うなどして、この変化のきっかけやタイミングについて更に検討していく必要があると言えよう。  本研究では、建設的対話を行うために聴覚障害者が身につけていくべき力に加え、建設的対話を志向・実践していくプロセスを含めた、聴覚障害者が理想的な環境の実現を志向・実践していくプロセスについて明らかにしてきた。しかし、得られたプロセスを実践現場で活用していくためには、まだ残された課題も多い。今後もこうした形で研究や実践が重ねられていくことで、聴覚障害者が広く社会で力を発揮していけるようになるとともに、社会全体の理解の広がりと、合理的配慮の提供に向けた 実践力向上に繋がることを期待したい。 引用文献 有海 順子・羽田野 真帆(2022) 聴覚障害学生の意思表明スキル獲得および活用プロセスの検討. 障害科学研究, 46(1), 13-26. Freire, Paulo (1970) Pedagogia do oprimido, Paz e Terra , Rio de Janeiro. 三砂 ちづる訳(2011)新訳被抑圧者の教育学. 亜紀書房 橋本 卓也・岡田 進一・白澤 政和(2008)障害者のセルフ・エンパワメントの内的生成要因について―自立生活を送る重度障害者に焦点をあてて―. 社会福祉学, 48(4), 105-117. 飯野 由里子(2016)合理的配慮とポジティブ・アクション . 川島 聡・飯野 由里子・西倉 実希・星加良司(著), 合理的配慮―対話を開く,対話が拓く―. 有斐閣, 69-86. 岩田 吉生(2012)聴覚障害児の教育環境における課題―ろう学校および通常の学校での教育環境―. 愛知教育大学研究報告. 教育科学編, 61, 19-25. James I, Charlton (1998) Nothing About Us Without Us: Disability Oppression and Empowerment. 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