舞台手話通訳における適切な手話通訳価格の予備的検討 ―TA-netの取組事例からー 廣川 麻子(NPO法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク) 萩原 彩子(筑波技術大学) 1.舞台手話通訳の実施状況  2018年6月に障害者文化芸術法が公布・施行されたこともあり、障害のある人々の文化芸術活動への参加支援が活発化し、舞台演劇等の観覧を後押しする動きも広まりつつある。聴覚障害者を対象とした観覧支援としては、台本貸出や字幕提示、補聴システムの貸与、手話通訳等さまざまな方法があり、シアター・アクセシビリティ・ネットワーク(以下、TA-net)でも劇団等からの依頼に応じて鑑賞支援の人材派遣や研修指導を実施してきた。特に舞台演劇における手話通訳(以下、舞台手話通訳)については、日本財団助成による舞台手話通訳養成講座を2018年度から2019年度にかけて、全国6か所(札幌、仙台、横浜、豊橋、大阪、福岡)で実施するなどして舞台手話通訳が可能な手話通訳者の養成にも力を入れている。TA-net として企画立案・講師協力を行った、2019年度に実施した公益財団法人文京アカデミー主催講座(2020年度も開講予定であったが、コロナ禍のため中止)も含め、これまで37名が受講してきた。TA-netでは講座を受講したメンバーを「舞台手話通訳チーム」として組織化し、試行的ながらも劇団や劇場などの主催者からの依頼に応じて紹介・派遣を行っているところである。 2017年から2021年6月までに、TA-netが運営している「アクセシビリティ公演情報サイト」に掲載された舞台手話通訳の実施件数を見ると(表1)、毎年ある程度の公演において舞台手話通訳が導入され、TA-netもその多くに関わっていることがわかる。 表1 アクセシビリティ公演情報サイトに掲載された舞台手話通訳付公演数 実施年 件数(カッコ内はTA-net協力件数) 2017年 1件(0件) 2018年 4件(2件) 2019年 12件(8件) 2020年 9件(7件) 2021年(6月時点) 6件(5件) (再演演目も含む。カッコ内はTA-netが協力した件数) 2.舞台手話通訳の謝礼にまつわる諸問題 TA-netでは舞台手話通訳者の養成とあわせて、舞台手話通訳の普及活動も行ってきた。その1つとして、舞台手話通訳を主催者が導入する際の経済的負担軽減のための、財政支援がある。日本財団からの助成を活用して、初めて舞台手話通訳を導入する主催団体に限り、1団体1公演につき1万円のみ「協力費」として請求する形とする、というものである(ただし予算のある劇団に対しては相応の金額を調整請求)。この活動により、舞台手話通訳を新たに導入する団体が増えたものの、一方で、助成が利用できない2度目以降の導入に難色を示されたり、舞台手話通訳にかかる費用の値引きを求められるなどの弊害もあった。それは、舞台手話通訳にかかる費用に関する明確な基準がなく、また舞台手話通訳が実施されるまでのプロセスが見えにくいため積算根拠が理解されにくい側面があるからではないかと考えた。同時に、舞台手話通訳の派遣依頼や相談の実績が増えるにつれ、TA-netとしても請求額に関する課題をいくつか感じるようになってきた。そこには、舞台手話通訳の以下の特徴が関係している。 一般的に、手話通訳は各団体等で定める1時間あたりの単価に通訳の実担当時間を乗じて計算し、主催者に請求する(その他、交通費やコーディネート料が加算される場合もある)。その際「事前準備」に要した時間は実担当時間には含まないことから、「準備時間」への報酬についても単価に含まれているものと考えることができる。舞台手話通訳は、事前に台本を入手し翻訳作業をある程度行ったうえで、稽古に複数回参加しながらその精度を高めていく作業を行うため、事前準備に非常に多くの時間を割くが、事案毎に必要な時間数が大きく異なるため、準備時間を含めた単価の設定が非常に難しいという側面がある。 また、舞台手話通訳では事前の翻訳作業が非常に重要で、また難解な表現が多く含まれることもあるため、TA-netでは主催者からも了承を得た上で「手話監修者」を置くようにしている。手話監修には演劇および手話指導の経験のあるろう者や舞台手話通訳経験の深い聴者に依頼しており、このことによって手話通訳の質の向上を図っている。しかしながら手話通訳者に加えて監修者にも謝礼が発生するため、主催団体からなかなか理解が得られないこともしばしばである。 今後、聴覚障害者が舞台演劇を楽しむ選択肢の1つとして舞台手話通訳がより普及することを願い、舞台手話通訳にかかる適切な費用設定について検討するため、これまでTA-netで取り組んできた事例をもとに報告することで、今後の舞台手話通訳の謝礼の基準検討にあたっての一助となることを願っている。 3.舞台手話通訳の実施プロセス  舞台手話通訳にかかる費用についてまとめる前に、まず舞台手話通訳実施に至るプロセスについて、具体的な事例をもとにまとめたい。これまでTA-netとして取り組んだ事例として2021年に実施されたある舞台手話通訳を実施プロセスごとに以下に記す。 ①事例Aの概要  地方都市における舞台手話通訳  主催団体:舞台手話通訳の導入は初めて(助成事業活用) 舞台手話通訳担当者:3名  手話監修者:1名  稽古期間:約1ヶ月半 稽古現場への参加:8回(ゲネプロ除く)  公演回数:1回(1時間) ②実施プロセス ・実施体制の検討および決定  舞台手話通訳の依頼を受けた際にはじめに行うことは、舞台手話通訳担当者ならびに手話監修者の選定である。選定にあたっては、演目の内容や役者の人数、会場といった実施側の条件ならびに、通訳可能な人材の人数、経験や技術などの人的要因の両側面を鑑み、主催団体とも相談の上、実施体制を決定する。検討の結果、本事例では3名で担当することとし、その他手話監修者1名を依頼することとし、主催団体からも了承を得た。なお、うち1名はすでに他公演での出演経験を持っていた。 ・事前翻訳と手話監修 台本を入手し、まずは各自で翻訳作業を行った。その後稽古に合流する前に、舞台手話通訳担当者ならびに手話監修者とでテレビ会議システム(ZOOM)を使いオンラインにて手話表現の指導を行った。なお、今回は3名のうち、講座終了後、初の舞台経験となる者が2名であったこと、台本が哲学的な内容を含んでいたことから、想定以上の時間がかかり、ZOOMによる手話監修は合計6日間、12時間におよんだ。 ③稽古への参加とブラッシュアップ 主催団体からの許可をいただき、舞台手話通訳担当者と手話監修者とで稽古に5回参加した。その前に、俳優だけの稽古の見学を1日行うなど、作品世界の雰囲気をつかんでいった。現場初日は、監修とともに通し稽古を見学し、台本で読んだときの印象と実際の表現のズレを確認した。こうして俳優の動きやセリフの話し方をチェックしつつ、表現や立ち位置等を調整する他、演出家や俳優に台詞の意味やその時の感情を直接確認し、翻訳の精度をあげていく作業や、台詞と表現のスピードを合わせていくなどの作業を行った。その他、ゲネプロ(本番と同様の舞台装置、照明、音響などを使って、本番と同じように行うもの。最終リハーサル)で手話監修者とともに客席からの実際の見え方をチェックするなど、本番までの間に細かい調整を行っていった。なお、本事例では手話監修者がろう者であったため、演出家や俳優との意思疎通や状況通訳のために手話監修者専属の手話通訳者を毎回1名手配した。稽古初日の通し稽古見学の際は、手話表出は行わず、この専属手話通訳が台本を指で指し示す方法をとった。 舞台手話通訳の公演が数回に渡る場合は公演の都度、振り返りを行う場合もあるが、本事例は舞台手話付公演が1回きりだったため、稽古終盤に聴覚障害者のモニターを2名依頼し、台本を事前に読まない状態で観客と同じように観劇してもらい、終了後、舞台手話通訳に関するフィードバックをいただいた。 また稽古への参加は、ある程度演出プランが固まった頃からを目安として主催団体と調整した。公演によってさまざまではあるが、ほとんどの現場では稽古期間は1ヶ月程度であることが多く、通し稽古は稽古終盤の10日〜2週間ほどで実施される。当初の予定では通し稽古が始まる頃から4日間程度の稽古参加を予定していたが、舞台手話通訳担当者からできるだけ稽古に参加したいとの要望があり、最終的に6日間参加し、手話監修者も同席した。稽古ではまず様子を見学させてもらうとともに、稽古に参加しなくても舞台手話通訳担当者間で練習ができるようビデオ収録させてもらった。その後、各自自宅等での翻訳の修正作業を何度も繰り返した。 ④公演での舞台手話通訳の実施  公演当日はゲネプロを経て、本番が実施された。 3.TA-netにおける舞台手話通訳にかかる費用の算出基準 上記で述べたように、事例Aを含む舞台手話通訳では長い期間をかけて本番に臨むことが多い。またTA-netでは、舞台手話通訳担当者のみならず手話監修者やモニターの協力も得て、より質の高い通訳が提供できるように努めている。このようなこれまでの経験から、TA-netでは以下のような積算根拠をもとに舞台手話通訳にかかる費用を算出している。事例Aにおける費用を例に挙げて報告したい。 ・舞台手話通訳本番謝礼 現在TA-netでは、舞台手話通訳担当者には、1ステージ10,000円の「本番謝礼」を支払うこととしている。例えば昼公演、夜公演とあれば2ステージとカウントする。なお、事例Aでは1ステージを3名で担当したため、本番謝礼として3名分30,000円を計上した。 なお、これまでTA-netが受けた依頼では、公演時間は60分から90分を超えるものなどさまざまであり、一人当たりの通訳担当時間はステージによって単純計算でも20分から40分と幅が出てしまうが、公演時間での謝礼設定が困難であるため一律としている。ただし、経験値が高い方が質の高い通訳を提供できるという考え方から、2作品目からは5,000円を追加している。また、一人で2時間公演を担当する場合は倍額としている。 ・稽古手当 上記「本番謝礼」の他、舞台手話通訳担当者には稽古に参加した場合の謝礼を「稽古手当」として1日3時間まで3,000円を加算し、これを超える場合は1日あたり5,000円としている。事例Aでは3時間以上の稽古に5日間、3時間未満(ZOOM稽古等)に9日間参加、一人当たり52,000円であった。 ・手話監修者謝礼  手話監修者には、1時間につき5,000円の手話監修者謝礼を支払うこととした(稽古への立ち会い時の指導は除く)。本事例における手話監修(ZOOM)は合計12時間であったため、60,000円を計上した。手話監修にかかる時間は作品により非常にばらつきがあり、ある作品は手話翻訳の難易度が高く、ろう者2名で担当し延べ27時間指導した例もあり、積算方法が難しいと感じている。 ・手話監修者稽古等手当 稽古現場での立ち会い時に行う手話監修についてはずっと手話指導を行うわけではないため、拘束時間も含めて考え、上記「手話監修謝礼」とは別計算としている。稽古後の舞台手話通訳担当者へのフィードバックの時間も含め、1日あたり10,000円として計算しており、公演本番についてもこの手当を適用している。本事例では3日間稽古およびゲネプロ1日、本番1日の合計5日間参加して手話監修を行ったため、50,000円を計上した。 ・手話監修者専属手話通訳 手話監修をろう者が行う場合、現場の状況を伝える手話通訳が必要となるが、手話監修者専属手話通訳には舞台手話通訳担当者の稽古手当と同様に1日あたり3時間まで3,000円、3時間以上で1日当たり5,000円の謝礼としている。ちなみにTA-netではこの手話通訳も「舞台手話通訳チーム」から募集し、本番経験の少ないメンバーへの研修機会としている。 事例Aでは3時間以上の稽古3日間、その他ゲネプロ1日、本番1日の合計5日間の手話通訳を毎回1名で行ったため、25,000円を計上した。 ・モニター謝礼  必ず行っているわけではないが、モニターによるフィードバックが可能な場合は、モニター謝礼として一人5,000円を支払っている。事例Aでは2名のモニターを依頼したため、10,000円を計上した。 ・コーディネート料  TA-netでは、現場との連絡調整、支払い手続きなどを含めたコーディネート料として1公演あたり20,000円を設定している。 ・その他  舞台手話通訳担当者、手話監修者等については上記の他に交通費を実費計算で支払うこととしている。本事例では約10,000円を計上した。 以上をまとめると、事例Aにおける舞台手話通訳担当者に支払う謝礼等(3名合計)としては、1作品1ステージで30,000円、稽古手当(3名合計)として156,000円、さらに交通実費が約10000円であった。。また、手話監修関連の謝礼等は、110,000円であった。さこのほか、先述したようにモニター料、手話監修者専属手話通訳謝礼、コーディネート料が発生し、合計では361,000円となった。 表2 TA-netにおける舞台手話通訳にかかる費用算出の基準ならびに事例Aにおける小計 項目 単価 事例Aにおける小計 舞台手話通訳本番謝礼 10,000円/1ステージ 10,000円×3名=30,000円 舞台手話通訳担当者稽古手当 3,000円(1日3時間まで)3,000円×9日間×3名=81,000円 5,000円(1日3時間以上の場合) 5,000円×5日間×3名=75,000円 手話監修者謝礼 5,000円/1時間 5,000円×12時間=60,000円 手話監修者稽古手当 10,000円/1日 10,000円×5日間=50,000円 手話監修者専属手話通訳謝礼 3,000円(1日3時間まで) 5,000円(1日3時間以上の場合) 5,000円×5日間×1名=25,000円 モニター謝礼 5,000円/1日 5,000円×2名=10,000円 コーディネート料 20,000円/1公演 20,000円 交通費(舞台手話通訳担当者、手話監修者等) 実費 約10,000円 (合計 361,000円) なお、地域派遣における手話通訳価格の一例として東京手話通訳等派遣センターのサイトで入手した簡易見積もりと比較した。本番までの稽古参加時間(30時間)ならびに本番時間(2時間)を当てはめて計算してみたところ、以下の通りとなった。 32時間(稽古30時間+本番2時間)で手話通訳1名あたり131,500円 3名で担当した場合、単純に舞台手話通訳担当者への謝礼だけでも394,500円となり、本会の計算方法が他に比べて高価すぎるわけではないと言えるだろう。 6. まとめ これまで事例Aをもとに、TA-netが用いている舞台手話通訳にかかる費用の算出基準やそれにまつわる考え方を報告したが、まだ試行的な取り組みであり、課題は多い。例えば本報告でも触れているとおり、舞台手話通訳担当者の経験が浅ければ手話監修者の手話指導的な要素が強くなり、監修時間に比例して監修料が増加する。一方舞台手話通訳担当者に十分な手話翻訳スキルがあれば監修料は相対して減少し、出演料や稽古手当(翻訳作業)を増額できる可能性がある。このことから今後の舞台手話通訳普及を見据え、一律の謝礼ではなく通訳者のランクに応じた金額設定を視野に置き、費用算出を行っていく考え方の整理が必要であろう。 積算方法としても、現在は1ステージごとの謝礼にプラスして稽古参加の時間を換算しているが、翻訳にかかる作業時間そのものを基本料金に加えるなどの方法も考えられる。また台本の文字数、上演時間、ジャンルによる加味も必要になるかもしれない。さらに監修料やモニターにかかる経費、事務コーディネート料についても、現在の価格設定が適正であるかどうか今後も検討の必要性を感じている。ちなみに、ある公演では主催者との協議の結果2ステージ出演に対し300,000円が支払われた例があったが、これは舞台手話通訳が音響や照明、衣装などのスタッフ費と同様の存在として認識されたうえでのことだったのではないかと思われる。今後も舞台手話通訳の必要性がさらに理解され、聴覚障害者が一人でも多く観劇の楽しみに触れられるよう、本会としても体制整備を進めるとともに、舞台手話通訳チームとともに一層のスキル向上に努めていきたい。