論文の要旨 「美術館における触図提供の実態と課題」 令和三年度 筑波技術大学大学院技術科学研究科 情報アクセシビリティ専攻 石川 恵理 指導教員 小林 ゆきの 講師 目的: 本研究は、視覚障害者を取り巻く芸術環境の改善の一環として、視覚障害者の美術鑑賞の普及を目的に、視覚障害者の美術鑑賞の一手段である触察鑑賞、中でも、触図に焦点を当て、国内の美術館における触図提供の実態を調査した。そして、触図鑑賞についての視覚障害者側と美術館側の意見を収集し、触図の可能性を探求し、美術館における触図提供の課題を明らかにした。 方法: 本研究では、美術館における触図提供の実態を明らかにし、今後の視覚障害者の美術鑑賞の普及に向けて、取り組むべき課題を明らかにするために、以下の3つの方法で研究を進めていく。 (a) アンケート調査 (b) 触察実演 (c) グループディスカッション 具体的には、まず、(a) アンケート調査では、全国美術館会議の正会員美術館ならびに、触図を収蔵している施設(有意抽出)に、郵送およびWebによる紙面調査を実施し、美術館における視覚障害者の美術鑑賞の状況の確認をする。その結果を基に、様々な障害度合いの視覚障害者に対して(b) 触察実演を行い、触図鑑賞についての意見を収集する。その触察実演の結果をふまえ、視覚障害者、美術館関係者、及び、研究者が参加する(c) 対面(リモート方式)によるグループディスカッションを行い、問題点と取り組むべき課題について明らかにした。 結果: アンケート調査より、各館で障害者に対する配慮の意識は高くなりつつあるものの、実際に視覚障害者の美術鑑賞、さらには、触図を用いた鑑賞が可能となっている美術館は、未だに10%に過ぎないことがわかった。しかしながらその一方で、視覚障害者を対象とした本触察実演及びグループディスカッションから、視覚障害者の美術鑑賞においては、「触れるもの」があることが大きな魅力であることが判明した。また、本調査より、触図を所蔵している美術館の多くが立体コピーを使用していることがわかった。このことは、コスト面、技術面から、立体コピーが導入しやすいからと考えられ、今後、立体コピーの美術館への普及が触図普及につながると考えられる。 触察実演においては、触図の提示順や用意しておくべき触図のパターンなど、参加者の意見が集約された点があった。触図の提示方の順番については、個人差はあるものの、わかりやすい提示の順について、以下の順に集約された。すなわち、まず始めに、鑑賞する「絵画」の解説を行い、その後、「原図に最も近づけた触図」、「簡略化した触図」、「分割された触図」、「原図に最も近づけた触図」の順で示す、というものである。この結果は、美術館が視覚障害者に触図を提供する順番として一つの参考になると考えられる。今回触察に参加した視覚障害者少人数の意見であり、単純に本結果を一般化することはできず、更なる詳細な調査が必要ではあるが、今回の結果を参考に、触図提供のマニュアルのようなものを制作し、美術館と共有することで、美術館側も積極的に触図を導入しやすくなることが期待される。 また、本触察実演では、触図の表現に工夫があると視覚障害者自身がイメージを膨らませ楽しめることが示された。これにより、触覚を通した、美術鑑賞の可能性が見えてきたといえる。また、リアリティを追求した原画に近い触図は、視覚障害者が全体の構図を把 握するのが難しいが、分割することによって、触図制作者が触って欲しいと思うポイントにしっかりと焦点をあてて触図を感じ取っている様子が見られた。今回、触り心地の違い、表現の仕方の工夫や意図を感じ取ってもらえたことから、触図制作の技術面をより向上させることで、触図の芸術性を高め、触図の質を向上させ、視覚障害者により触図を楽しんでいただける可能性があることがわかった。触図を普及させるためには、従来のように作品の背景や意図を十分に理解していることを前提とせずとも、触図単体で触っても楽しいということが、より触図の普及に繋がると考えられる。 グループディスカッションにおいては、現状では、美術館同士の情報共有ができていない美術館が多いことが分かった。視覚障害者の芸術鑑賞の普及を加速するためにも、各美術館同士で情報共有できる場を今後も積極的に儲ける必要がある。海外の事例を参考にすると、美術館と学校教育機関が連携することにより、インクルーシブ教育とも相まって、視覚障害者の美術鑑賞が普及し、触図に対するリテラシーも向上した。ディスカッションより、現在、国内で特別支援学校との連携が取れているところは一部の施設だけであり、今後、美術館と特別支援学校の連携を全国的に広めることで、視覚障害者の美術鑑賞を普及し、触図に対するリテラシーを向上させていことが考えられる。したがって、日本においても同様に、触図等の触覚を用いた視覚障害者の美術鑑賞が普及し、美術館と視覚特別支援学校が連携することで、触察鑑賞に熟達した視覚障害者が育成し、視覚障害者の美術鑑賞に対する社会的理解が浸透していく可能性が十分に考えられる。 美術館、視覚特別支援学校、及び、その他社会との、より具体的な連携方法は、今後の課題として残されるが、本研究で得られた知見が、視覚障害者の美術鑑賞の普及に光明を投じるのではないかと考えている。 結論: 本研究では、結論として、触図普及の必要性を主張し、美術館における立体コピーの導入と触図提供の順番、及び、触図の芸術的可能性について提言した。また社会的観点から、美術館と視覚特別支援学校の連携の必要性を論じた。特に社会的観点からは、海外の事例を参考に、触覚を用いた視覚障害者の美術鑑賞が普及し、美術館と視覚特別支援学校が連携することが、触察鑑賞に熟達した視覚障害者の育成、及び、視覚障害者の美術鑑賞に対する社会的理解の浸透へ導く可能性があることを指摘した。そして、その際に、分割した触図が、視覚障害者の触図鑑賞リテラシーを向上させるという教育的側面、音声ガイドと合わせて、視覚障害者の単独での鑑賞を可能に近づけるという福祉支援的側面、及びより原画に最も近づけた触図の鑑賞を可能にするという芸術的側面の3側面で、視覚障害者の美術鑑賞の質的向上に貢献できると主張した。