視覚障害者の概念的スキル発達支援─ウィズコロナに対応した非対面式訓練ツールの検討─ 竹下 浩 筑波技術大学 保健科学部 要旨:前年度の報告では,触知式の「図で考える・伝える」ツールを試作し当事者と上司からフィードバックを得た結果,システムの改善点と必要な訓練コンテンツに関する示唆が得られた。今年度は,新型コロナウィルス感染拡大により調査協力者の安全確保が必須となったことに加えて今後の有用性と必要性を考慮したため,非対面式訓練ツールの可能性について検討した。教材を開発するために,抽象度を下げて既存のデータを再分析した。結果,属性の違いを問わず必要な3つの概念的スキル構成要素(段階的な俯瞰・取捨選択と再構成・複数タスクの同時把握)と,表計算ソフトの訓練ツールとしての可能性が判明した。これらの知見を統合して開発された,遠隔でも実施可能な訓練教材の例が提示された。 キーワード:ウィズコロナ,障害者雇用,視覚障害,事務系職種,概念的スキル開発 1.問題と目的  前回報告([1])では,近年「三療」における当事者の優位性が消失する一方,パソコン等の発達により「事務系職種」での就職が期待されていること,感覚代行システム学の先行研究で在職重度視覚障害者の需要が「視覚的資料を見る・描くこと」(概念的スキル)であること,心理学の先行研究は職場で必要な概念的スキルについては未解明であり実際のスキル発達プロセス解明が必要である ことを示した。  今年度は,新型コロナウィルス感染拡大により調査協力者の安全確保が必須となったことに加え,従来対象としてきた対面式の触知を用いた訓練形式だけでなく,非対人接触型の訓練の開発も急務となっていることを考慮したため,非対面式訓練ツールの可能性について検討する。 2.手法  本研究に先行して,特定子会社及び一般企業に勤務する視覚障害者(勤続2年以上,全盲と弱視を含む)と上司(12社:当事者15名・上司17名)から半構造化面接法により質的データを収集した。次に,得られたデータを修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ([2])により分析した。分析テーマは「事務系職種における就労スキル獲得と上司の支援プロセス:一般企業と特定子会社の比較」であった。分析結果は上司と本人別に公表した(上司[3],本人[4])。  これらの研究は理論を生成することが目的だったので,分析作業の途中で作成された分析ワークシート(仮説的概念生成の作業シート)については,ヴァリエーション(語り)の人数が複数の概念のみが採用された(単数の場合は棄却)。本研究は訓練ツール開発が目的であるため,より抽象度の低い(一人だけの)語りであっても有用な示唆が得られると考え,カテゴリーレベルでは複数ヴァリエーション概念が含まれる場合に限り,単数ヴァリエーション概念も追加して「概念的スキル」について質的コーディングを行った。 表1 一般企業事務職の概念的スキル 表2 特例子会社事務職の概念的スキル 3.結果 3.1 概念的スキル:3つの構成要素  一般企業における当事者と上司の分析結果を表1に,特定子会社における当事者と上司の分析結果を表2に示す。  まず,要求されるスキル水準が晴眼者並みに高いと考えられる一般企業において,上司が観察した当事者に不足しているスキルは,「高くて広い視点の欠如」「羅列的・反復的な伝え方」「複数タスクと日程管理が苦手」であった(表1)。視覚障害者は仕事を処理して行く上で,物事の見方・伝え方・進め方に関して特有の困難を抱えていることが判る。特例子会社においても同様の概念が含まれていたため,本稿ではこれら3つのスキルを概念的スキルの構成要素として採用した。  これらの認識は上司の当事者への介入(=指導)を動機づけており,当事者も同様のスキルを苦手であると自覚していた(表1,表2)。  若干の違いも見られた。「上司が観察した不足スキル」及び「本人が自覚的に行っている工夫」に関する概念は,一般企業の方が特例子会社より多様であった。一方,特例子会社特有の概念は「図解的な手順書のテキスト化」であった。  これらは事務職文脈固有の概念であるため,このままでは「高くて広い視点を持つこと」「要点を先に言うこと」という行動指示リストしか作成できない。このようなリストは職場においては使えるが,概念的スキルを訓練するためには,行動に必要な視覚的イメージ処理を解明することが必要である。そこで以下,視覚的イメージ処理という観点から適切なカテゴリー名を検討する。 3.1.1 段階的な俯瞰  まず,一般企業における不足スキルの1つめ「高くて広い視点の欠如」(表1)について論じる。これは特例子会社でも上司が「作業者レベルの視野」として観察していた(表2)。しかし本人は,一般企業では「上司の介入」概念として経験されているだけで,苦手の自覚自体はしていなかった。そこで,上司の語りを以下に示す。 「高くて広い視点の欠如」:全体を見る目というか。たまに自分の仕事に拘りすぎたりとか,やり方とかに。もっと高いとこから全体を見れると良いんだろうなあと思いますが。(一般) 「作業者レベルの視野」:会社とか事業計画どうとか考えるタイプじゃないんですよ。あくまでも作業者なんですわ。(略)前はやらそうとしてたんですけど,結局やれなかったので。(略)職人ですね。テクニカルのスキルを持ってるけど,(略)テクニックで,例えば,こういうのは効率化しようとかは,考えますわね。(特例)  ここで読者がイメージし易いように,石川啄木の有名な短歌を例に説明しよう。冒頭で,「東海」から「小島」,「磯」,「白砂」へと単語が示されることで,読み手は頭の中で景色をズームインする(高度を下げて個別の詳細を見る)よう導かれる。  これとは対照的に,ここで求められているのはズームアウト(高度を上げて全体の関係性を見る)のスキルである。「抽象度を上げると細かい点が見えなくなる」という,晴眼者にとっては当然で自然な知覚の訓練経験が無いため,苦手スキルとなるのである。以上の議論から,視覚的イメージ処理カテゴリー名は「段階的な俯瞰」とした。 3.1.2 取捨選択と再構成  2つめの「羅列的・反復的な伝え方」(表1)も1つめ同様,特例子会社でも「論理的説明と要約が苦手」として観察されていた(表2)。   「羅列的・反復的な伝え方」:一番多かったのが,「仕事上の『課題』を,語りなさい」っていう(指示です)。物事を説明したり自分の成果を説明したりする時に,まず最初に「課題」を語りなさいっていうのは良く言ってました。普通は大体「やってること」とか「やりたいこと」をダーッと並べるだけとか,「やったこと」を並べるだけなんですけど。「それ,何のためにやってるんですか?」ってところを,最初に説明しなさいっていう。(一般) 「論理的説明と要約が苦手」:(不足しているスキルは)日頃対応していく中で,「お話し好き」ってのもあって話は長いんですけど,結論に持って行くのにロジカルな思考って(足りない)。これは,別にあの,障害特性ではないと思って。(略)「なぜ,その考え方に至ったのか?」も含めて,遠回りするところもあったり,ちょっと質問すると悩んだりするので。(特例)  このスキルは,2つの下位スキルで構成されている。第1に,何十行の語りの中からあるテーマに関連する部分をスキャンするスキルである。第2に,選んだ幾つかの部分を,目的に即して再構成するスキルである。当事者は,記憶に頼りながら話したり書いたりするため,重複や冗長表現は免れない。これらから,視覚的イメージ処理カテゴリー名は「取捨選択と再構成」とした。 3.1.3 複数対象の同時把握  3つめの「複数タスクと日程管理が苦手」(表1)については,前述2つとは異なり,一般/特例を問わず本人の苦手スキルとして自覚されていた。 「複数作業の同時遂行が苦手」:段取りの取り方,得意じゃなかったんですよ。(略)優先順位の付け方が甘かったり。(略)予定通りに終わらない。1個の業務はやれるけど,マルチタスクになった時に上手く機能しなかった。ちょっとずつ並行して進めなきゃいけないのが,進まなかったり。(一般) 「時間と他者の管理が苦手」:(時間管理は)得意ではないです。社内の色んな人と話さないと(いけない)段取り調整は得意でないです。(特例)  これは,複数の目標物の異なる動きを同時に見る事が出来ないためであると考えられる。これらから,視覚的イメージ処理カテゴリー名は「複数対象の同時把握」とした。 3.2 表入力ソフトの可能性  もう1つの発見が,表入力ソフトを使って概念的イメージ処理を訓練する可能性である。これまで筆者らは,「未経験者に図解的な思考を可能にするためには,触知により脳内で図を再生させるしかない」と考えてきた。しかし今回は,触知しないでも概念的処理ができる方法として,表計算ソフトの構造性による手掛かりが示唆された。 3.2.1 実際の使い方  以下は,使いこなせている人の語りである。これを読むと,晴眼者に近い「番地」(マトリクス中の位置)をイメージしていることが判る。 「エクセルで複数作業管理」:エクセルのチェックリストみたいな形で作ってしまう。それぞれのタスクを細々砕いていって,「4月上旬何々,4月中旬何々」みたいな感じで。で,「カーソルを動かすと,カーソルのある部分だけを読む」っていう設定と,あとは「左側に例えばタイトル行が大項目・中項目あった時に,それも一緒に読む」とか,設定の使い分けが出来るんですよ。それがあると,表の全体の中で今どこにいるかが判る。で,逆にその設定をOFFにすると,今やりたいことの業務だけを音声で読めるので,早く確認したい時はそっちを使うと,使い分けしている。一連の,1本の線として考えた時に,「これよりこっちの方がやること先だよな」とか頭で考えて入れ替えて。自分で作ったものなので,大体どの辺にあるか,何となくイメージ出来るので,その辺のエリアにカーソル持ってって,そっから確認するとか,入れ替える。(一般) 3.2.2 エクセルの利点  以下は,ワードに比べたエクセルの使いやすさの言及である。 「エクセルの構造性の理解」:エクセルは,自分の範囲内で操作できて,思った通りになってくれてる。自分で操作して読み上げて,探索できるので。ちゃんと理解すれば,間違いが無い。構造の理解が比較的容易だという。(特例)  これらは,エクセルの「構造的手掛かり」を示唆している。つまり,1行目と1列目に並ぶ各セルを選択したセルと同時に想起することで,2次元的な視覚的イメージが可能になるということである。教材開発に際しては,各行列の数は,チャンク(情報処理の心理的な単位,Miller, 1956)理論に従い7±2 程度に抑える必要があるだろう[5]。 4.教材の例  以下,前節で述べた3つの視覚的イメージ処理をエクセルで再現するための教材例を示す。 4.1 段階的な俯瞰  自部門業務の効率化のために,他部門に業務フローを提案する前に,全社的な視点で得失を検討するシミュレーションである。タイトル行を除き1行目で個人的視点(例:自分にとっての特質)を,以下2行目で集団的視点,3行目で組織的視点で考える。 図1 ズームアウトシート 4.2 取捨選択と再構成  図2は,自分の担当業務フローの一部を晴眼者の同僚に代替してもらうのを上司に提案するシミュレーションである。最初に自分が思いつくままに語りを言語化・記録し,終わってから改めて目的に関連があるものを選び(関連しないものは捨てて),有効な順番(例:箇条書き,起承転結)再構成する。   4.3 複数対象の同時把握  図3は,1か月半後に実施する社内研修会の担当者のシミュレーションである。行で左から右へと向かう「時間」は,列に斜線を引くことで過去を表す。列は各時点での関係者のタスクを示している。タスクの下には,関連する関係者(例:講演者に講演草稿を提出させ,上司に確認してもらう)を記入,想起を促す。 図2 オーガナイズシート 図3 マルチタスクシート 5.考察  本稿の理論的貢献は,事務系職種で働く視覚障害者と上司から具体的なデータを収集することで,所属企業・立場・見え方の違いを超えた事務職に必要な概念的スキルの構成要素を発見したことである。  実践面での貢献は,「構造的手掛かり」(行列の番地的特性)を有する表計算ソフトの訓練スールとしての可能性を示唆したことである。  分析テーマの具体度を深めた結果,特定子会社と一般企業の違いが判明したことも実践的な意義があるだろう。特例子会社では, 「何でも晴眼者並み」的な要求はしない。その一方,当事者のスキル開発への動機づけ機会は一般企業に比べて少ない。グループ企業から業務を受注するので,当事者にとって仕事は与えられるものであり,数も限られている。その一方,業務マニュアルのテキスト化のために必要な晴眼者の協力が公的に得られる。  グラウンデッド・セオリーは,現実の状況で応用されなければならず,発見後でも応用ごとに再定式化される絶え間ないプロセス中にある[6]。を用いた研究の目的は,理論を実践で応用することである。提示された教材今後,実践で応用することで拡充していく必要がある。 参照文献 [1] 竹下 浩・丸山智章・飯塚潤一・田中 仁,視覚障害者の事務系就労を促進する「スキル開発接近法」―概念的スキル訓練(CST)の開発―, 筑波技術大学テクノレポート,28(1), 104-108, 2020. [2] 木下康仁 (1999). グラウンデッド・セオリー・アプローチ―質的実証研究の再生―. 弘文堂 [3] Takeshita, H., Career Development Process for the Visually Impaired Persons: Analysis by Company Type, Abstracts, 50th Anniversary Annual Conference, The Psychological Society of Ireland, S24, 2020. [4] 事務系職種の視覚障害者のスキルとタスクの開発:一般企業と特例子会社における違い,日本教育心理学会 第63回総会発表論文集,In press.. [5] Miller, G.A., The magical number seven, plus or minus two: Some limits on our capacity for processing information, Psychological Review, 63, 343-352, 1956. [6] Glaser, B. G. & Strauss,A. L. (1965). Awareness of Dying. Hawthorne, NY: Aldine Publishing. (木下康仁〔訳〕 1988 死のアウェアネス理論と看護―死の認識と終末期ケア―.医学書院).