【原著論文】 舞台演劇に特化した手話通訳技術に関する研究 -ろう者へのインタビュー調査から- 萩原 彩子(筑波技術大学) 1.はじめに 昨今、聴覚障害者の社会参加が進むにつれ、さまざまな場面における手話通訳ニーズが高まっており、舞台芸術活動の鑑賞もまたその1つである。2018年6月に公布・施行された障害者文化芸術法には「3基本的施策」として、「国及び地方公共団体は、障害者が文化芸術を鑑賞する機会の拡大を図るため、文化芸術の作品等に関する音声、文字、手話等による説明の提供の促進(中略)等の障害の特性に応じた文化芸術を鑑賞しやすい環境の整備の促進その他の必要な施策を講ずるものとすること」という障害のある方々への鑑賞サポートに関する記述がなされ、今後ますます法のもとの取り組み拡大が期待されるところである。 しかしながら、音声情報が中心となる舞台芸術活動については、現状では聴覚障害者に十分なアクセシビリティが確保されているとは言えない状況がある。聴覚に限らず様々な障害等のある方々へのアクセシビリティに配慮された公演の情報が掲載されている、特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク「アクセシビリティ公演情報サイト」によれば、2017年度から2019年度の3年間に掲載されていた「演劇」作品で、聴覚障害者への上演中の「聴覚サポート」(台本・あらすじ・再構成台本貸出/ポータブル字幕/舞台上にて字幕表示/上演中の舞台手話通訳/ヒアリングループなど、聴こえやすくするための機器/振動で音楽などを楽しむ設備・機材)のいずれかの記載があった掲載内容は126件であった。そのうち「上演中の舞台手話通訳」は32件であったのに対し、「台本・あらすじ・再構成台本貸出」は62件、「ポータブル字幕」または「舞台上にて字幕表示」は76件と、上演中の聴覚障害者へのアクセシビリティの中でも、舞台演劇における手話通訳(以下、舞台手話通訳)が付与される割合は他の手段に比べて低いことがうかがえる。 また、我が国の舞台手話通訳に関する養成・研修の状況を概観すると、まず厚生労働省が定める手話通訳者養成カリキュラムはその事業の性質から、聴覚障害者の生活場面を想定した内容が多く、演劇作品の手話通訳を想定した指導内容は含まれていない。舞台手話通訳の研修の場としては、特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワークによる「舞台手話通訳養成講座」が2018~2019年度に全国6会場で開催された他、2019年度には文京シビックホール主催による演劇ワークショップ「ぶんきょう演戯塾」の一環として「舞台手話通訳基礎講座」が実施された例があるが、開催が都市部に集中していたり、指導内容が確立しておらず関係者の試行錯誤で行われている等、全国的・体系的な取り組みにはまだ至っていない。さらに、養成・研修の機会に恵まれない地方の場合、舞台手話通訳は手話通訳者の個人の技量や努力に委ねられている現状がある。 法の整備や2021年に延期されたオリンピック・パラリンピック東京大会により、障害のある方々の舞台芸術活動への参画は今後さらに拡大し、舞台手話通訳のニーズも高まってくることが予想される。そのためには舞台手話通訳の養成・研修体制の構築が急務であろう。その一助とするため、筆者はこれまで、舞台手話通訳事例の映像分析や手話通訳担当者へのインタビュー調査を通じて、舞台手話通訳で求められる手話通訳技術を明らかにするための研究を行ってきた(萩原2018,萩原2019)。本研究では、それらで取り上げた事例について、舞台手話通訳のユーザーとしてのろう者を対象としたインタビューを行い、さらに舞台手話通訳に必要な技術を明らかにすることを目的としている。このことにより、今後舞台手話通訳の養成・研修を行っていくにあたっての指導内容の充実に寄与できるものと考える。 2.方法 (1)対象 調査対象者はいずれも手話を日常的なコミュニケーションとして用いているろう者で、役者としての演劇経験があり、かつ舞台演劇の観覧経験のある者を条件として、3名から協力が得られた。 評価対象の映像には、平成28年7月に実施された「舞台手話通訳付きモデル公演『朝にならない』」(主催:特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク、発行:株式会社アステム、1時間07分)を用いた。なお、当該公演は舞台手話通訳のPRのためのモデル公演として実施されたものであり、映像素材は研究等で自由に利用可能な状態で販売されていたものを購入し、使用した。通訳担当者(1名)は自身も演劇人であり、大きな演劇公演での舞台手話通訳を含めた演劇関係の手話通訳を多数経験していることから、舞台手話通訳の先進的な事例として取り上げた。  内容は、3名の登場人物による対話を中心に話が展開する物語で、舞台手話通訳は、萩原他(2019)による分類の「額縁型(固定)」に該当するもので、アクティングエリア外の舞台上手に立って行われた。実施にあたっては、通訳担当者は事前に台本を入手し、稽古にも数回参加する形で準備が行われた他、俳優で手話を日常的に用いるろう者2名による数回の手話監修体制がとられていた。 (2)調査手続き フォーカスグループインタビュー形式による半構造化面接法によるインタビューを実施し、対象映像を場面で区切り、視聴とインタビューを場面ごとに繰り返した。  質問内容は、①舞台手話通訳でわかりやすかった表現(場面)とその理由、②舞台手話通訳でわかりにくかった表現(場面)とその理由や代替方法の提案、③今回の映像に限らず舞台手話通訳に望むことについて、の3項目とした。  調査対象者は評価対象映像を視聴しながら、①②について回答したい場合挙手し、映像を止めてその都度口頭(手話を含む)で回答をすることを映像終了まで繰り返し、最後に③について回答を求めた。映像視聴を含め調査にかかった時間は約3時間で、うちインタビューは1時間34分であった。 (3)倫理的配慮 本研究は筑波技術大学研究倫理委員会の承認を得て実施した(承認番号H29-5)。また、対象事例の映像は研究等で自由に利用可能な状態で販売されたものであり、著作権等の問題は発生しないことを発行者に確認した。 (4)分析方法 分析には、川喜田(1967,1970)のKJ法を用いた。分析の流れは、まず筆者がインタビューの映像データから逐語録を作成して精読し、話者を限定せず意味のある最小単位のまとまりを抜き出してラベルとした。それらを本研究のリサーチクエスチョンである「舞台手話通訳に求められる技術」という観点から、カテゴリーを生成し、カテゴリー同士の関係性を検討して図解化および文章化を実施した。 3.結果と考察 インタビューの逐語録の分析により、70個のラベルが抽出され、次にそれら小カテゴリー同士の類似性から、7の中カテゴリー、さらには3の大カテゴリーにまとめた(表1)。 なおカテゴリー作成にあたっては、萩原(2019)と照らし合わせながら同じカテゴリーに該当する項目には同じカテゴリーを付した。また、文中においては大カテゴリーを【】、それぞれの中カテゴリーを[]、小カテゴリーを<>で示した。 表1 舞台手話通訳に求められる技術に関するカテゴリー (表)  また、いくつか通訳例を示しているが(図1~3)、記述にあたっては、萩原(2018)で用いた表2および表3(いずれも吉川他(2012)を参考に作成)をもとに、起点談話である役者の台詞を日本語で記述するとともに、役者の動作のうち手話通訳と関係のあった動作のみカッコ書きで記述、さらに通訳担当者が表出した手話を日本語の語彙ラベルをもとに単語レベルで記載し、手話通訳として意味のある動作をカッコ書きで記述した。 表2 役者の台詞・動作の記述ルール (表) 記号 意味 ○○。 日本語の台詞 (○○) 動作の内容 → 動作の継続              出典:萩原(2018) 表3 通訳担当者の表出・動作の記述ルール (表) 記号 意味 /○○/ 手話の語彙ラベルや文法要素の1単位 /NOD/ うなずき。句・文の区切りの役割がある場合のみ記述 /PT-3/ 三人称への指さし RS:○○ リファレンシャルシフト。〇〇はシフトしている立場 (視線-○○) 視線の向きや位置。○○は視線が向いている対象を示す (○○) 動作の内容 → 動作の継続 出典:萩原(2018)  次に、それぞれのカテゴリーの詳細と関係性について述べる。まず、本調査における“舞台手話通訳に求められる技術”の要素としては、萩原(2019)と同様の【環境整備】【手話通訳・翻訳技術】【舞台上でのふるまい】の大カテゴリーに分類された。  【環境整備】[舞台設営]として、通訳者の顔が暗く見えにくい場合は通訳用に下からの<照明>を当ててはどうかとの意見や、前方の席では通訳と役者を見るために体を大きく動かすことになるため<通訳位置と座席位置>を周知し、より見やすい座席位置への誘導を求めるニーズが挙がった。これらは通訳者のみでは整備できないものであり、舞台手話通訳においては、どのような場所・環境で行うか、利用者であるろう者の座席位置をどう誘導するかなどの舞台手話通訳に関わる環境整備についての舞台制作側との調整が重要であることが考えられ、通訳者にはその調整力が求められることがうかがえた。  【手話通訳・翻訳技術】のカテゴリーには[台詞の適切な翻訳][話者の明確化][状況通訳]に関する意見が集約された。なお本カテゴリーの名称については、萩原(2019)で述べた『本研究の対象事例では通訳担当者は台本を事前に入手し、手話への翻訳と練習を重ね、さらには稽古にも数回参加して本番にのぞんでいた。そのため「手話通訳」よりも「手話翻訳」と呼ぶのが適当とも思われた。しかしながら舞台演劇は「生」であるという「現前性」ゆえに、毎回まったく同じに演じられることはない。また、アドリブを含めたハプニングの可能性もあり、通訳担当者はそれに対応しなければならない。「翻訳」か「通訳」かの非常に微妙なラインでの行為であると考え、カテゴリーの名称は「通訳・翻訳技術」とした』の理由から、同様に【手話通訳・翻訳技術】とした。  [台詞の適切な翻訳]としては、まず翻訳精度に関わる指摘がいくつか見られた。まず台詞に込められた意味や感情を正しく読み取った上での翻訳、<サブテキストの的確な理解>について、その一例として挙げられた場面を図1に示す。なお、サブテキストとは、台詞と台詞の行間に流れる登場人物の感情の動きなどを指し、演出によって異なる表現がなされるものである。図1はa1が電話相手から過ちをたしなめられている場面で、a1の「はい」という台詞に対して、通訳担当者は/わかる/の手話を用いていた。これについてろう者から、/同じ/や頷きではなく、/わかる/が用いられたことで、a1が電話相手から何かを諭されるのではないかということが推察することができた、との意見があった。このように的確な語彙を選択するためには、サブテキストの理解が重要であると言えよう。この点については萩原(2019)でも指摘されており、通訳者が苦労する点でもありながら舞台内容の理解に非常に重要なポイントであることが示唆された。サブテキストは台本を読むだけではつかみきれないため、稽古に同席する機会を設ける等、事前に演出家の意図や役者の表現を把握しておけるかどうかがキーポイントになると思われる。 図1 サブテキストの的確な理解の例 (図)  また<指示語の具体化>については、役者と通訳位置が離れている場合に指示語を具体物で表現した方が舞台と照らし合わせやすくなるという意見があった。図2にその一例を示す。封筒を指した指示語「それ」を通訳担当者は実際に封筒のあった場所に向けて指を指して表現していたが、通訳位置が封筒のあった位置と離れていたため、指示語の内容を理解しにくかった、という指摘があった。これについて、指示語が指している/封筒/を単語として表現することで明確になるのではないか、という意見であった。 図2 指示語の具体化が求められた例 (図)  その他、本題材の中で英語による台詞があったため<英語台詞の翻訳>に関する意見も交わされた。さらに全体を通して翻訳の精度を高めるために<手話監修者との協働>が欠かせないとの意見もあった。手話監修者について萩原(2018)では環境整備の共同作業者の位置づけで語られていることから、舞台手話通訳のユーザー代表としてさまざまな役割が期待される重要な存在であると言えよう。  その他、台詞のリズム感を楽しむ場面では、手話表現も台詞のリズムに合わせるとよりおもしろさが伝わるのではといった<台詞のリズムとの連動>、速い台詞回しの場面では手話が速すぎると読み取れないため翻訳量を調整して欲しいといった<翻訳量の調整>、台詞の特徴でない場合はワンパターンな表現にならないよう工夫して欲しいといった<ワンパターン化の回避>のように、翻訳の精度だけではないさらなる工夫を求める声もあった。舞台演劇においては、日常会話にはない台詞も多く翻訳が難しい点が多々あることが想定されるが、あわせて、その時々の登場人物の感情に寄り添った表現が求められる。さらに台詞との連動を考えた翻訳を行っておかなければならない。つまり事前に作品をより理解することが重要であり、そのためには稽古への参加や演出家や役者との相談など、舞台制作側との協働が求められるということがここでも示されたと言えよう。  [話者の明確化]としては、体や視線の向きによって話者を示すRS(ロールシフト/リファレンシャルシフト)が一般的な通訳で用いられる方法であるが、舞台手話通訳においては常に動き回る役者の位置や向きに注意した<RSと方向の一致>が必要であり、より高度な技術が求められる。また、RSだけでは表現しきれないものへの対処方法としては、台詞が終わった後の立ち振る舞いを役者と同じくするなど、<役者の動作を取り入れた通訳>が取り入れられており、ろう者からもさらに積極的な活用を望む声があった。例えば、図3のようにワインボトルを持ちながらの台詞であれば、左手でワインボトルを持つCLをしておき、右手で台詞を通訳するなど、台詞中でも積極的に利用するとさらにわかりやすくなるのではないかという指摘であった。 図3 役者の動作を取り入れた通訳が求められた例 (図)  次に<キャラクターに合った語彙の選択と表現>については、例えば上品なキャラクターの台詞であるにも拘わらずスラング的な手話を通訳者が用いてしまったりして語彙の選択を誤ると、ろう者の観客が別の話者の台詞と勘違いしてしまうことが起こりえることが明らかになり、翻訳にあたっては意味だけに囚われずキャラクターの特性に応じた語彙を選択する必要があることがわかった。他には<役名の手話表現の作成>をしておき、通訳で用いる方法が挙げられた他、複数の役者が同じ台詞を話す場合はあえて<単語の使い分け>をすることによって異なる話者が話していることが比較的明確になるのではないかという意見や、同時に2名の通訳担当者が通訳を行う<複数人の配置>をすることで話者の明確化がスムーズになるのではないかとの意見もあった。複数人の配置は速いテンポの台詞の掛け合いがあるような舞台では有効な方法と考えられるが、予算や人員の問題、そして登壇人数が増える事への舞台制作側からの合意等の調整が必要となるだろう。そのほか、明確な理由はわからないが台詞の意味をつかむことができなかった場面への言及を<その他>とした。今回取り上げた作品がテンポの速い会話劇だったこともあってか[話者の明確化]に関してさまざまな言及がなされたが、役者の位置や方向がその都度変化する舞台手話通訳においてはRSだけでは正しく話者を表現しきれないことから、舞台手話通訳においては、それ以外のさまざまな方法を「引き出し」として持っておくことがよりわかりやすい舞台手話通訳につながることが示唆された。  次に[状況通訳]について述べる。[状況通訳]とは、台詞以外の音情報の通訳を指す。まず<効果 音>については台詞との区別がわかりにくくなりがちであることが指摘された。また、対象作品では舞台上でギター等による舞台音楽の演奏があったが、映像の範囲では役者なのか区別がつきにくかったため <舞台音楽の情報>として状況通訳があると助かるという意見があった。その他、台詞以外の<補足情報>をどのように通訳するかという点について、音の内容(例:電話の音)を伝えることはもちろん、音の流れ方(例:どこからともなく聞こえてきている)まで通訳されている点が評価されていた。[状況通訳]は講演会等の通訳でも起こりえることであるが、舞台演劇ではBGMや効果音といった台詞以外の音情報が多く、さらにそれぞれの音情報がシナリオ上重要な意味を持っている場合が多いため、どこまで説明を加え、どのように通訳するかが舞台手話通訳をする上で重要な要素であることがうかがえた。  最後に【舞台上でのふるまい】のカテゴリーでは、通訳担当者が手を止めて舞台を見つめることで観客の視線を役者に向けさせる[視線の誘導]が何度か見られたことについて、<明確な視線の誘導>が評価されていた。[視線の誘導]については萩原(2019)でも通訳担当者が注意して取り組んだ点として語られており、舞台上の動きと手話通訳の両方を見たいろう者の観客のニーズを満たすために重要な技術であることが考えられる。しかしながら今回見られた[視線の誘導]では、その間通訳の手を完全に止め一部の台詞を省略する方法であったことから、役者に注目させたい場面であっても台詞がある場合はできれば省略せずに通訳して欲しいという<最低限の台詞の省略>を望む声があり、あわせて視線誘導中は通常時よりも小さく手話表現を行う、<表現の大きさの調整>が有効ではないかという提案があった。これは手話が小さくなることでろう者の観客は「通訳を見なければ」という意識が自然に下がり、通訳を気にしつつ役者にも注目することができるから、との理由からの意見であった。どの場面で[視線の誘導]を行うか、また、どのように行うか、についてはまだ明らかになっていないことが多く、今後もさらなる検証が必要であろう。その他[通訳のスタンス]として、通訳者だけで独立した世界を作らず芝居の<世界観への寄り添い>を望む意見があった。<世界観への寄り添い>は萩原(2019)でもキーワードとして何度か挙がっていた言葉であり、作品によって様々な世界観が繰り広げられる舞台手話通訳においては欠かすことのできない視点であると考えられる。さらに<人称の選択と統一>とは、ナレーター的なスタンスで通訳するか、観客や登場人物の一人であるかのようなスタンスで通訳するかといった「通訳者の演劇上の立ち位置」のことである。どのスタンスを選択するかは舞台の内容や舞台設営等によって決定するものであるが、1作品の中ではスタンスを一貫しているのが望ましいとする意見があった。その他、[身だしなみと姿勢]に関して、<衣装と髪型>は舞台の世界観に寄り添ったものを選択することを前提として、通訳のしやすさや観客からの見やすさ、また極力<台詞と関係ない動きの抑制>ができるよう、身だしなみを整えておく(例:前髪はピンで留める、等)ことが求められるの意見があった。なお対象作品ではスナックという舞台設定に合わせ、一般的な通訳場面では珍しい、赤いドレスが選択されていたが、ろう者からもおおむね好評であった。  以下に大カテゴリーならびに中カテゴリーの関係性について図解化したものを図4に示す。 図4 カテゴリー概念図 (図)  以上のことから、まず、より見やすい舞台手話通訳のための舞台設営や、精度の高い翻訳を目指した作品の正しい理解のためには、通訳者に演出家や役者等の舞台制作側との調整力が求められることが示された。舞台手話通訳に限らず、どのような通訳場面においてもスムーズに調整を行い、ろう者・通訳者にとって最適な通訳環境を確保するためには、その場を構成している関係者の役割や動きを理解することが重要である。そして舞台手話通訳では、通訳者が「舞台の作り方・作られ方」の知識を身につけ、積極的に場を調整していくことがよりよい環境整備につながるのではないかと考えられる。なお今回取り上げた事例は「額縁型(固定型)」の手話通訳であったため、上演中の役者とのからみや舞台上での立ち回りは必要とされなかったが、現在徐々に広がりつつある「内包型(ムーブアラウンド型)」(萩原他2019より)のように場面の状況に応じて移動しながら通訳を行うような、より作品に入り込む形の舞台手話通訳においては、より密接した協働が必要になってくるだろう。  また、手話通訳・翻訳技術や舞台上でのふるまいについては、高度な翻訳作業が要求されるとともに、話者の明確化、視線の誘導、状況通訳といった現行の手話通訳者養成カリキュラムに含まれていない技術も重要な要素となることが示されたことから、今後舞台手話通訳養成を進めるためには、それらを身につけるためのトレーニング方法の開発も求められよう。また、より精度の高い翻訳を行うための手話監修者についての指摘がなされていたが、講演会等の手話通訳の場面で手話監修者が置かれることはほとんどないため、ろう者や手話通訳の世界でもあまりその存在や意義は知られていないと思われる。手話を用いる演劇作品に、手話指導が可能なろう者が手話監修者として配置されているように、事前の翻訳がベースとなる舞台手話通訳を行うにあたっては、手話監修者の役割が重要であるということについて、ろう者や通訳者、そして舞台関係者の理解を広めていくことが今後求められ、さらには手話監修者の指導ノウハウの検証についても必要であろう。  最後にこれまで述べた内容から、舞台手話通訳に必要とされる技術について下記にまとめる。 表4 舞台手話通訳に必要とされる技術 (表) 舞台手話通訳に必要とされる技術(カッコ内はカテゴリー) 説明 舞台手話通訳に関する提案・調整に関する技術(環境整備) 照明や通訳位置、ろう者の座席位置等、舞台手話通訳に必要な環境を制作側に提案・調整できる力 適切な翻訳に関する技術(手話通訳・翻訳技術) 台詞の意図を理解し、リズムやスピードに合わせた翻訳ができる力 話者の明確化に関する技術(手話通訳・翻訳技術) 役者の向きと一致したRS、役者の動作を取り入れた通訳、キャラクターに合った語彙の選択と表現など、話者の明確化に関する表現技術 状況通訳に関する技術(手話通訳・翻訳技術) 効果音や舞台音楽の情報等を的確に伝える状況通訳の技術 視線の誘導に関する技術(舞台上でのふるまい) ろう者の視線を適切に誘導する判断力とそのための表現技術 通訳のスタンスに関する技術(舞台上でのふるまい) 作品の世界観に寄り添った通訳スタンスの創造と実践力 身だしなみや姿勢に関する実践力(舞台上でのふるまい) 作品に合った衣装や髪型の選択力や立ち姿勢の工夫と維持ができる力  また今後の課題としては、萩原(2019)および本研究は「額縁型(固定型)」で行われた舞台手話通訳1事例のみの分析に留まっているため、今後さらにさまざまなタイプの舞台手話通訳の事例を収集・分析を進め、舞台手話通訳で必要とされる技術に関するさらなる検討が必要であると考える。 4.おわりに  本研究はJSPS科研費16K16740の助成を受けたものである。また特定非営利活動法人シアターアクセシビリティネットワーク(TA-net)から多大なる協力をいただいた。ここにお礼申し上げる。 【引用文献】 文化庁(2018)「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律の施行について(通知)」. 特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク「アクセシビリティ公演情報サイト」( cited 2020-8-31),https://ta-net.org/event/. 厚生労働省大臣官房障害保健福祉部企画課長通知(1998)手話奉仕員及び手話通訳者の養成カリキュラム等について. 萩原彩子(2018)「舞台演劇に特化した手話通訳技術に関する一考察」.『日本手話通訳学会2017年度研究紀要』第15巻,29-35. 萩原彩子(2019)「舞台手話通訳に特化した手話通訳技術に関する研究―手話通訳者へのインタビュー調査から―」『日本手話通訳学会2018年度研究紀要第16巻』,91-96. 萩原彩子・廣川麻子・米内山陽子(2019)「舞台演劇における手話通訳パターン分類」『日本手話通訳学会2019年度研究紀要第17巻』,79-81. 川喜田二郎(1967)発想法-創造性開発のために.中央公論社. 川喜田二郎(1970)続・発想法-KJ法の展開と応用.中央公論社. 吉川あゆみ・松崎丈・白澤麻弓・石野麻衣子・中島亜紀子(2012)大学での手話通訳ガイドブック―聴覚障害学生のニーズに応えよう!―.筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター.