画面の指さしで応答する携帯型コミュニケーション支援ツールのニーズに関する調査 井上征矢 筑波技術大学 産業技術学部 総合デザイン学科 要旨:聴覚障害者を対象に,画面上の適した項目を指さすことで応答する携帯型コミュニケーション支援ツールが求められる応答場面を把握するための調査を行ったところ,特に宅配や郵便,各種支払いや点検などの自宅訪問者との応答や,買い物時や飲食店などの店舗のスタッフとの応答で困る場合が多いこと,画面の指さしで応答できる携帯型コミュニケーション支援ツールがあれば,周囲が騒々しい場合や,両者が急いでいる場合,正確性が求められる応答,体調不良などの緊急時,コロナ禍で増加したマスクをつけた応答などで活用が見込めること,などの結果が得られた。 キーワード:聴覚障害,コミュニケーション支援 1.はじめに  外国人や聴覚障害,知的障害,自閉症の人など,口話での応答が難しい人々への支援のため,コミュニケーション支援ボードと呼ばれるものがある。ピクトグラム,文字,記号などで構成され,公共施設などにおけるスタッフとの応答を支援するためのものである。主に自分が言いたいことに適した文字やピクトグラムなどを指さす方法で使用される。交通施設や店舗,病院,警察,救急,災害時などで使用できるものが順次開発されている。また昨今は,そのような機能をタブレット端末等で使用できるコミュニケーション支援アプリの開発も進んでいる。新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い,マスクをつけた状態での会話が励行されており,口形を読めないコミュニケーションが増えているため,聴覚障害者にとってこのようなコミュニケーション支援ツールの役割はより一層高まると考えられる。しかし聴覚障害者の使用には以下に挙げるような課題がある。 ○提供のされ方 コミュニケーション支援ボードの認知度や使用経験について聴覚障害学生を対象に探った結果,その存在を知っている人は少なく,知っている人でも頻繁に利用している人はほとんどいなかった[1]。その理由としては「どこにあるのか分からない」,「スタッフから提供されたことがない」などの回答がみられた。つまり,公共施設等に用意されていても,気軽に利用しにくい状況がある。また,小規模な店舗等では用意されていない場合が多いことも推測できる。 ○筆談の難しさ,煩わしさ  用意された情報の指さしだけでは簡易な応答しかできないため,より詳しい実質的な応答のために筆談スペースや機能が用意されている。しかし口話よりも時間がかかり,相手や周囲の人を待たせることへの精神的負担を感じる人もいる。体調不良時や緊急時では,筆談の余裕がない場合も考えられる。 ○ピクトグラムの意味の分かりやすさ  ピクトグラムは,特定の形を象徴的に利用し,一定の幅のある意味や事柄を表すが,形と意味を直接的,具体的に繋ぎがちな人が健聴者に比べて多いためか,意味を解釈する際に判断のずれが生まれることがある[2]。 ○利用できる場面,利用しやすさ  様々な公共施設等で使用されるものが開発されているが,自宅やその周辺の活動で使用できるものが不足している。また,様々な特性の人の利用が想定されているため,より多くの人に利用できる形式となっているが,逆にいえば聴覚障害者に特化した利用しやすさ,その個人に特化した利用しやすさ,にはなっていない。紙媒体の場合は,掲載できる情報量に限界があり,また,筆談に使用すると再利用が難しいという側面もある。 ○発話の明瞭さ  コミュニケーション支援アプリの中には,音声認識機能を中心としたものがあり,その認識能力も日々向上している。そのため,相手の発話内容を理解するという面では大変有効である。しかし,聴覚に障害がある場合,発話が明瞭でない場合もあるため,自身の意志を正確に伝えることが難しい場合もある。特にマスク越しの会話の場合は,発話明瞭度が低下する可能性もある。  以上の理由から本研究の目的は,聴覚障害者により使用しやすいコミュニケーション支援ツールを開発することである。上記の課題を解決するために,口話に依らず画面の指差しで使用できる,自ら携帯し,また繰り返し使用できるようにiPad等のタブレット端末で使用できる,筆談の場面を減らすために予め多くの応答場面が用意されている,聴覚障害者に誤解されにくいピクトグラムが使用されている,現状では整備が遅れている自宅やその周辺における活動でも使用できる,自身が必要と考える応答場面の追加が簡単に行える,などの特徴をもつものを想定し試作中である[3]。  そこでこのような研究の一環として,聴覚障害者を対象に,画面の指さしで応答できる携帯型コミュニケーション支援ツールに含むべき応答場面や応答内容を把握するための調査を行ったので,本稿ではその結果の一部について報告する。 2.調査方法 主な調査項目を以下に示す。 〇回答者の属性(年齢,性別,聴力等) 〇以下に挙げる場所・場面におけるコミュニケーション方法と困った経験(選択式),その具体例(自由記述) A. 自宅(寄宿舎やアパート等含む)に宅配や郵便,各種支払い,点検などの目的で訪問してきた健聴者とのコミュニケーション B. 自宅(寄宿舎やアパート等含む)の近隣住民である健聴者とのコミュニケーション C. 買い物時や飲食店,美容院など,様々な店舗における健聴者とのコミュニケーション D. 駅,各種の役所,病院,銀行,郵便局など,様々な公共施設における健聴者とのコミュニケーション E. 就職試験や会社説明会,各種セミナーへの参加などの就職活動において,手話通訳者がいない場所や場面での健聴者とのコミュニケーション F. 体調不良や災害などの緊急時における健聴者とのコミュニケーション 〇画面の指さしで応答できる携帯型コミュニケーション支援ツールが役立つと考えられる場所・場面について  アンケートは,質問紙の配布と,Googleフォームの2種の方法を用いて行った。質問紙の場合は,A4用紙で5枚綴りであった。  調査対象者は,18歳から26歳の聴覚障害者50名(聴力レベルは,両耳(裸耳)の聴力がおおむね60dB以上,または,補聴器等の使用によっても通常の話声を解することが著しく困難な者)であった。 3. 調査結果 3.1 コミュニケーション方法  図1に,それぞれの場所・場面におけるコミュニケーション方法の選択結果(複数選択可)を示す。全般に「口話のみ」,「口話と筆談を併用」,「身振り手振り」の選択が多く,時間がかかる応答や不確実な応答が多かった。また,相手が用意したコミュニケーション支援具を使用しているという選択は,最も多かったE.就職活動時以外ではいずれの場面でも10%未満であり,自身が用意したコミュニケーション支援具を使用するという選択も,就職活動時以外では10%未満であった。就職活動時に使用するコミュニケーション支援具としては,UDトーク,ブギーボード,紙と筆記具などの記述がみられた。 図1 それぞれの場所・場面でのコミュニケーション方法(選択式・複数選択可) (図) 3.2 コミュニケーションで困った経験  図2は,それぞれの場所・場面における健聴者との応答で困った経験に関する結果をまとめたものである。困った経験が「よくある」と「たまにある」を合わせた選択が過半数を超えた場所・場面は,C. 店舗のスタッフとの応答と A. 自宅訪問者との応答であり,やはり自宅や店舗内におけるコミュニケーション支援の整備が求められていた。体調不良や災害などの F. 緊急時については,「そのような状態になったことがない」という回答者を除いても4割未満であったが,回答者の多くが寄宿舎在住や保護者と同居であったことから,聴覚障害者のみで生活する場合には増加することが考えられる。 図2 それぞれの場所・場面でのコミュニケーションで困った経験(選択式) (図)  次に表1は,それぞれの場所・場面で具体的にどのようなコミュニケーションで困ったかに関する記述例をまとめたものである。全般に,マスクのために口形が読めない場合や,周囲が騒々しい場合,想定していないことを話しかけられた場合などに内容の把握が難しいこと,また,配達やレジでの会計などの相手が急いでいる場面では,早口になったり,筆談を嫌がられる場合があること,伝わらないことで相手にイライラされることもあること,などの記述もみられた。  最も困る場面が多いというC. 店舗のスタッフとの応答では,商品説明や会計時などにおけるスタッフとの応答が例として挙げられていた。特に昨今は,レジ袋の有無ポイントカード利用の有無など,会計時の確認事項が多いが,確認される内容を正確に把握できていない場合も少なくないと考えられる。またE. 就職活動時では,説明者が遠い場合や,コミュニケーションが1対1ではない場合,そのために相手の顔がこちらを向いていない場合などに応答が難しいことの記述がみられた。 表1 コミュニケーションで困った経験の記述例 A. 自宅訪問者 ・相手がマスクをしながら喋っていたり早口で喋ってきた時が聞き取れない ・マスクをつけたまま話された時,声が小さく早口の時 ・相手の声がインターホンで聞きづらいときがあります ・伝わないとイライラされる ・宅配,郵便は,何を言われるか想定し,コミュニケーションをとることはできるが,点検では想定ができないため,なかなか難しい ・普段の手順とは違う想定外のことが起きると咄嗟に上手い対応ができなくて(後略) B. 自宅の近隣住民 ・周囲が騒がしいと聞き取りにくい。マスク等口元が見えないとわからない ・方言,早口で話す人,高齢者が多いため,口の形が読み取りにくい ・ふだん会話していないから,聞き慣れない ・口話のみで,何を言っているのかわからない ・慣れている人でも周りがうるさいとなかなかコミュニケーションが取れない ・世間話大した内容ではないので,うなずきなどでスルーしてしまう C. 店舗 ・レジや,商品を見ていて声をかけられた時に意思疎通がうまく出来ない ・アパレルショップで話しかけてもらっても何言ってるのか分からないから適当に頷くしかない ・説明が聴こえず聞き返してもわからないことがある。書いてもらうのも申し訳なさがある ・マスクしているスタッフ,口形が読み取れず... ・マスクをしていたり早口で喋ってきている時が聞き取れない ・メモを使わないことがある(お願いしても) ・よく筆談を断られる(レジ等の場合,忙しいので仕方ないが) ・レジで言っていることがわからない(袋の有無,ポイントの使用,とかいろいろ言われているだろうなと思うが,全てNOで通している ・袋はいるか,ポイントカードはあるかの質問が分からない ・美容院で髪を切ってもらうときに鏡越しで話し掛けられる時がある D. 公共施設 ・カウンターなどでスタッフと会話をする時上手く会話が出来ない ・周りの声で聞こえない(もしくは店内のBGMなど) ・まわりに人が多くてがやがやしている時,声がこもっている人 ・専門用語など書き慣れない単語は1発で聞き取れない ・市役所や公園のスタッフの説明がわからない。雑音が大きかったりスタッフの声が小さかったり開けた場所だったりで音を拾いにくい。聞き返したり書類を見せてもらったりする E. 就職活動時 ・声が遠い(説明会などで発話者が遠い位置にいる) ・両側からの声で,相手の声がききとれない ・集団説明会で色々な話し声が気になる。質疑応答の内容が分からない ・顔がこちらを向いていない,マイクで口が隠れてしまう ・相手がマスクをしていたり早口で喋ってきている時が聞き取れない ・面接のときは事前に言えるけどWeb説明会の時は情報保障をお願いするのに気が引ける。めんどくさいのと自分だけが説明会を受ける訳では無いから1人のためにやっても迷惑な気がしてお願いすることがない。でも何言ってるのかやっぱり分からない F. 緊急時 ・風邪のときは聴力が低下するので,いつもより聞きづらい ・電話できず,病院に行くのに大変 ・医者のマスクのせいで口がよみとれない ・アナウンスが分からない ・ラジオなどの音質が悪かったり口頭だったりで災害情報が入ってこないため,周りの健聴の人々に教えてもらっている ・なったことはないが,もし補助器具の電池が切れたら,紙が近くになかったら,携帯も手元になかったら,と考えると怖い 3.3 コミュニケーション支援ツールが役立つ場所・場面 最後に表2は,画面の指さしで応答できる携帯型コミュニケーション支援ツールが役立つと考えられる場所・場面や自由意見の記述例をまとめたものである。 表1 携帯型コミュニケーション支援ツールが役立つと考えられる場所・場面や自由意見の記述例 周囲が騒々しい場合 ・周りの音がうるさく,聞き取れない時に役に立つとおもいます ・1対1のコミュニケーションが成立しない時(まわりがうるさい時等) ・人が多い騒々しい駅や空港で,聞き取りにくいときに駅員さんなどに,どこに行けばいいのかを教えてもらうとき 聞きなれない言葉を聞くとき,正確性が求められるとき ・正確に話を伝えたい時(重要な話ならば特に) ・役所とか銀行は大切なデータを提供するのでききもれがあったら困るから ・健聴者と専門的な(固有名詞がよく出るような)会話をする時。 ・(前略)特に病院や面倒な手続きには目に見える情報が欲しい。一般人側からもあった方がいいのではないかと思う ・説明が長い時や知らない言葉を聞く時。 ・より深い話をされる,する場合に役立つだろう ・公共施設などにおいて複雑な漢字を使うような話をする際,コミュニケーション支援ツールがあれば役に立つと思われる。 スムーズに応答したいとき ・自分の要件をすぐに言う時 ・自分に必要な事柄,手配をスムーズに伝えられる(筆談が必要かや,どこに行けば良いかなど) ・駅員さんとのやりとりがスムーズになりそう ・要件がはっきりしている場合(病状,何かの書類の手続き等)に便利だと思う。またきんきゅう案内の時もさっと伝えられるとも思う ・支援ツールがあれば,筆談する時間より相手が待たせないと思う ・スムーズにやりとりできるシステムがあれば,時間もかからないと思う 緊急時 ・事故などと突然の事に対応することに役立つと思います ・病院:体調不良で状態を筆談で伝えるより,指差しで伝わった方が助かる ・(前略)またきんきゅう案内の時もさっと伝えられるとも思う。 ・支援ツールは災害時などで重宝すると思う マスクをつけているとき ・マスクをつけているとき ・接客業の人がマスクを着けていて,外してもらえるような雰囲気でない時 ・説明時や時刻,値段,マスクをしていて聞こえにくいとき その他,意見 ・美容院や理髪店 ・病院でレントゲンを撮る時,息を止めるタイミングが分からない時があるので,窓越しでもコミュニケーションができるものがあると便利だなと思ったときがあります ・静かにしなければいけない場所 ・音声認識字幕もつければもっと便利になるのではないかと思います ・困難時というより,常時あるだけで心の負担を軽減することができると考えられる  専門用語や固有名詞などの聞きなれない言葉が出てくる応答や,手続きなどの正確性が求められる応答などに関する記述,要件が決まっている場合や必要な情報をスムーズに伝えたい場合などに関する記述,緊急時の応答などがみられた。また昨今のコロナ禍の影響もあり,やはりマスクをつけた応答に関する記述もみられた。 4. まとめ  聴覚障害者を対象に,画面の指さしで応答できる携帯型コミュニケーション支援ツールが求められる応答場面を把握するための調査を行ったところ,応答にコミュニケーション支援具を使用するという回答は就職活動時以外では多くなかったが,自宅訪問者や店舗スタッフとの応答など,やはり日常の活動で困る場面が少なくないこと,画面の指さしで応答できる携帯型コミュニケーション支援ツールがあれば,特に両者が急いでいる場面や正確性が求められる応答などに活用が見込めること,などの結果が得られた。コロナ禍の影響もあり,マスクをつけた状態での応答が増えているため,より正確でスムーズな応答のために有効活用が期待される。 今後はこれらの結果を踏まえて,聴覚障害者が主に自宅訪問者との応答(宅配業者や各種支払い,点検時等)や,店舗利用時の応答(商品説明,会計時等),緊急時の応答(体調不良,災害,トラブル発生時等,図3)において使用できるコミュニケーション支援ツールの開発を行う。障害者の支援を考える場合,施設や設備など,受け入れ側の支援体制を整備する形で検討されることが多いが,自宅や店舗など小規模な場所に対する整備は遅れがちである。そのため,障害者自身が支援ツールを自装する形の取り組みを充実させることも有効と考える。 図1 応答画面の試作例(体調不良時の支援の要請) (図) 謝辞   本研究では多くの方々にアンケートにご協力頂きました。ここに感謝の意を表します。 参照文献 [1] 李智秀,永盛祐介,井上征矢.聴覚障害者が活用できるコミュニケーション支援ボードに関する基礎調査.第17回日本感性工学会大会概要集.2015; D53. [2] 井上征矢.聴覚障害者に分かりやすいピクトグラム.日本感性工学会論文誌.2012; 11(4): pp.563-571. [3] 井上征矢.聴覚障害者のための自宅用コミュニケーション支援ツールの提案.第29 回日本基礎造形学会埼玉大会概要集.2018; p.023. 本研究は筑波技術大学研究倫理審査の承認済である。本研究は科学研究費補助金(19K21717)の助成を受けたものである。 A Survey Report on Needs for Portable Communication Support Tool That Responds to Finger Pointing on Screen INOUE Seiya Department of Synthetic Design, Faculty of Industrial Technology, Tsukuba University of Technology Abstract: A survey was conducted with hearing-impaired people for the purpose of understanding the situations where a portable communication support tool that responds to finger pointing on the screen is needed. Several findings were obtained including that hearing-impaired people frequently had trouble making a response particularly to those visiting their house such as home delivery services and mail careers, various payments and inspections as well as to the staff of retailers, restaurants, etc. and that a portable communication support tool which responds to finger pointing on the screen is expected to be effectively utilized especially in case of noisy surroundings, making a response in a hurry, requiring accuracy, during an emergency such as poor health and disasters, with wearing a mask which case has been increasing due to the recent COVID-19 pandemic, and so on. Keywords: Hearing-impaired, Communication support