聴覚障害者アスリートの競技環境に関する調査研究 中島幸則 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター キーワード:聴覚障害者,アスリート,競技環境 【研究の背景と目的】 障害者アスリートがトップレベルで競技を続けていくためには,競技環境(仕事,生活,活動資金等)はとても重要となる。10年前には,国際大会に参加するために,会社を長期に休む必要があるため,仕方なく会社を辞めて自由度の高いアルバイトで競技を続ける選手もいた。他にも,競技を続けたいが活動資金がないため,国際大会を諦める選手もいたという報告も見られる。 2020年日本で開催される「オリンピック・パラリンピック」の影響もあり,障害者アスリートの競技環境は,この数年で大きく好転している。聴覚障害者はパラリンピックとは関係はないものの,同じ障害者アスリートとして,その好影響を受けているように感じている。 そこで,今回,聴覚障害者アスリートが,競技を続けていくうえで,競技環境が改善しているのか,アンケート調査を実施した。先行研究としては,2009年度に本学テクノレポートに中村等の調査結果が報告されているので,10年後の経過を見るのに適していると考えた。また,2019年はアジア太平洋ろう者競技大会(11月)及び冬季デフリンピック大会(12月)が開催されるということからも,調査研究を行うのに適切な時期だと考えた。冬季デフリンピックは開催されたが,アジア大平洋ろう者競技大会は,香港国内騒動の影響で大会中止となったため,調査の依頼に困難を要した。 【対象・方法】 アンケートの質問内容については,10年前に行った,①選手自身について,②補聴器の使用について,③競技の練習や試合について,④コーチ・トレーナーについて,⑤競技スポーツへの参加と意義について,⑥デフリンピックについてに,一部新たな質問を加えた。本調査の依頼は,全日本ろうあ連盟スポーツ委員会の協力のもと,各競技団体に本調査についてアナウンスをしてもらい,その後,競技団体担当者と連絡を取り,回答可能な選手数を確認した上でアンケート用紙を郵送した。なお,合宿や大会に出向くことが可能であった競技団体に対しては,選手へのインタビュー調査も行った。 【結果および成果】 アンケートは,14競技,122名(男性 66名,女性 56名)から回答を得ることができた。残念ながら10年前の151名(男性86名,女性63名,無回答2名)には及ばなかったが,貴重な回答を得ることができた。 以下,2回の調査結果を比較し,この 10年で大きな変化の見られた項目を中心に報告する。なお,文中( )内は(10年前結果⇒今回結果)を表している。 ①選手自身について 今回,アンケートに回答してくれた選手の男女比は,前回同様,男性の方が若干多いものの,年齢構成でみると,10歳代が増加していた(15.2% ⇒23.0%)。このことは,選手層が若くなってきている。それにも関わらず,デフリンピック出場回数に関する質問で,0回と回答した選手が減少した(55.0% ⇒4.9%)。このことは,多くの選手がすでにデフリンピックに参加している選手であることがわかる。このように,すでにデフリンピックを経験している選手から,回答を得られてことは大変貴重な結果だと考える。 選手自身に関することで,この 10年間で最も特徴的と思われる変化は,職業「プロ・ノンプロ」が増加していたことである(0.7% ⇒18.9%)。これは,デフアスリートが,少しずつ社会に認められてきた証であると考えることができる。 ②補聴器の使用について 選手の日常の補聴器使用については,前回,今回とも70%以上であったが,人工内耳の装用が増加していることは,大きな変化である(1.3% ⇒7.4%)。デフリンピック大会の試合・練習会場での補聴器の使用について,禁止されていることを「知らない」と回答した選手は減少していた(9.3% ⇒2.5%)。これは,すでに大会に参加し,経験しているからであるが,いまだに「知らない」という選手がいることは,大きな問題として捉えるべきだと考える。一方で,国内での練習時・試合時に,補聴器等を使用すると回答した選手は,前回よりも増えていた(練習時 25.8% ⇒ 46.7%,試合時 19.2% ⇒32.0%)。この結果は,多くの選手が,健聴者のチームで練習することが増えているということが,インタビュー調査の結果からもわかった。 ③競技の練習や試合について 練習頻度については,ほぼ毎日という選手は訳 20%と変わらないが,週に 1-2日が減って,週に 3-5日が増加していた(41.7%⇒ 51.6%)。 練習場所については,前回から変わらず,一般の公共施設が最も多かった(32.4%⇒ 33.1%)。聾学校の利用については減少したが(10.4% ⇒5.3%),聾学校以外の学校を利用することが増加した(16.5%⇒ 23.8%)。このことは,インタビューから,聴者の指導者が増えたため,練習場所として以前よりも聾学校を使うことが減っているようである。 平日に合宿や遠征で職場,学校を休まなければならない時の出欠の扱いについてとても興味深い結果が出た。前回は 76.2%が有給休暇を使っていたが,今回は 25%に減少した。それに伴い,特別休暇又は出勤扱いが増加した(25.7% ⇒65.8%)。 競技を続けていく上で,一年間に使われる費用のうち何%くらいが自己負担かについて質問した。10年前は,50万円未満が 56.3%と最も多く,続いて 50~ 100円未満が31.8%であった。しかし,今回の結果では,50万円未満,100万円~ 150万円未満が,ともに 32.1%であった。また,100万円~ 150万円(4.0%⇒ 11.0%),150万円~ 200万円(0.7%⇒ 9.0%)ともに増加しており,競技を継続するための,自己負担金が増加していることがわかる。 ④コーチ,トレーナー等について サポートしてくれる専任スタッフの有無については,前回同様の結果であった(57.0%⇒ 51.6%)。しかし,特徴的であったのは,スタッフの障害の有無であった。在籍するスタッフが聴覚障害であるという回答が増加し(20.3%⇒ 71.8%),聞こえる人が減少していた(74.4%⇒ 6.7%)。また,スタッフの費用については,ボランティアで同行する人が顕著に減少していた(51.6%⇒ 38.0%)。 ⑤競技スポーツへの参加と意識につて 現在の競技スポーツを始めたきっかけについての問いには,「やりたかったから」が 10年前同様に一番多かった(39.7%⇒ 28.7%)。特徴的だったのは,「ろう学校のクラブ活動」が減少していた(13.2%⇒ 6.4%)。また,「学校(ろう学校含む)の先生の勧め」も減少していた(9.9%⇒ 3.1%)。 競技を行ってきて苦労したことについては,費用がかかるが,前回同様 1番多く(68.9%⇒ 68.6%),続いて,学業や仕事に支障が出る(35.8%⇒ 37.2%)であった。休みが取り難いかどうかについては減少していた(28.5%⇒ 14.9%)。 監督コーチとのコミュニケーションに苦労したと答えた選手は減少しており(13.9%⇒ 8.3%),健聴者の競技仲間とのコミュニケーションについても,苦労を感じる選手の割合が減少していた(25.8%⇒ 18.2%)。理解が深まっている事がうかがわれる。 デフリンピック選手候補として励みになることについては,家族の応援が増加し(56.9%⇒ 76%),在学校や勤務先など身近な人の応援も増加していた(44.4%⇒ 61.2%)ことから,学校・職場の関りが大きくなっていることが想像できる。 ⑥デフリンピックについて デフリンピックについて,オリンピックとの違いについて,前回はマスコミの扱いが違うと答えた選手が最も多かったが減少していた(49.0%⇒ 33.1%)。また,競技団体の組織力や経済力(42.4%⇒ 47.9%),一般の人の関心(42.4%⇒ 47.9%)はともに高く,報奨金と答えた選手は増加していた(17.2%⇒ 33.1%)。なお,スポンサーと答えた選手は前回同様非常に多かった(39.7%⇒ 38.8%)。 パラリンピックとの違いについては,前回同様,一般の人の関心(53.6%⇒ 51.0%),マスコミの扱い(51.7%⇒ 52.0%)が多かった。また,スポンサーと答えた選手は増加した(34.4%⇒ 43.8%)。報奨金と答えた人も増加していた(13.9%⇒ 27.2%)。 最後に,前回の調査にはなかったが,「デフリンピックとパラリンピックは一緒になった方がいいと思うか」についての質問を加えてみた。その結果,38.8%が「一緒になるべき」と答え,「一緒になる必要はない」は 24.8%,「わからない」が 30.1%であった。この辺りは,2025年に日本でデフリンピック大会を開催する動きもあるため,とても重要なポイントであると考え,インタビュー調査の中で重点的に聞き取りを行ったが,アンケートの回答には出てこなかった考えも引き出すことができた。過去にデフリンピックに出場したデフリンピアンからは,「デフリンピックはパラリンピックより歴史が長いし,デフは誇りを持っている大会です。したがって,デフリンピックは永久的に残したい大会です」とのこと。また,別のデフリンピアンからは「一緒にやるなら,しっかりデフスポーツを説明できる体制にしないといけない。パラリンピックのオマケにならないようにしたい…大変だと思いますが」,「運営方法やコミュニケーション方法において侵害されることのない方法でできるのが一番いいのかなと思います」という意見もあった。数字だけをみると「一緒になるべき」という回答が最も多かったものの,数字には表れない「デフリンピック」の本来の考え方を尊重した上で,進めるべきであることを強く感じた。 【成果発表】 今回得られた結果は,さらなる分析を加えて,日本障がい者スポーツ学会,アダプテッド体育スポーツ学会等で発表予定である。