視覚障害者の事務系就労を促進する「スキル開発接近法」─ 概念的スキル訓練(CST)の開発 ─ 竹下浩1),丸山智章2),飯塚潤一3),田中仁3) 筑波技術大学 保健科学部1)茨城工業高等専門学校 電気電子システム工学科2)筑波技術大学 障害者高等教育支援センター3) 要旨:近年,視覚障害者の「事務系職種」への就職が期待されている一方,感覚代行研究では「視覚的資料を見ることができず,作り方が判らない」という問題が指摘されている。発達心理研究でも「環境観察による概念生成の困難さ」が判明しているが,社会人が職場で必要な概念的スキルについては未解明である。従って,実際のタスク文脈とスキル発達過程を解明する必要がある。そこで本研究は,(1)「図で伝える」ツールを試作し,当事者と上司のタスク面のニーズを得る;(2)上司と本人から収集した質的データを分析することで「図で考える」ためには実際にどんな図が必要なのか検討する。結果,システムの改善点(触知可能サイズ・図片と画面の一致・付加機能)と,必要な訓練コンテンツ(段階・影響図と複数作業進行表)に関する有用な示唆が得られた。 キーワード:障害者雇用,視覚障害,事務系職種,スキル開発,概念的スキル 1.問題と目的:事務系職種への期待と課題 近年,視覚障害者にとって伝統的な職域である「三療」における当事者優位性が消失しつつある一方,パソコンと周辺機器の発達により「事務系職種」での就職が期待されている[1]。 感覚代行システム(医学・工学・心理学・教育学の複合領域)の先行研究[2]は,職業を持つ重度視覚障害者の9割が職場でプレゼンテーションを行う必要があり,資料作成の補助者依存度は7割であることを明らかにした。そして問題は,「視覚的資料をみることができず,作り方が判らないこと」,欲しい機能は「図形入力・提示・提示時のアクセス」であると指摘している。但しこれはアンケート調査であるため,科学的な手法による検証が課題である。 「図で考える・伝える」ことは,就労に必要な3つのスキル[3]のうち概念的スキルに相当する。視覚障害児の発達研究では,空間概念を理解することや世界の特性を理解することが困難であること[4],視覚による環境観察や移動による他者との相互作用を通じて概念を生成することができない[5]等が判明している。しかし職場で必要な概念的スキルについては未解明であり,社会で活躍する人材の育成が使命である高等教育に応用するために,実際のスキル発達プロセスを解明する必要がある。 なお,本研究が依拠する「スキル開発接近法」では,スキルは性格や遺伝に関係無く,誰でも練習することで上達可能である[6]。障害についても同様であり,障害の有無や程度に関わらず,養・教育環境におけるスキル訓練機会の程度が,スキル水準に影響を及ぼしていると考える。この点で,従来の「不足する感覚(情報)を補う」接近法とは,障害者健常者を問わず「保有するスキルを訓練で開発する」点で相補的である。 2.研究1 アジャイル型ツール開発 重度視覚障害者でも「仕事で必要な図解」を可能にするシステムの開発及び訓練プログラムの改善に有用な示唆を得るため,初歩的なツールを試作し,初期段階で当事者と上司のフィードバックを得ることにした。 2.1 先行研究レビュー 概念的スキルの訓練(Conceptual Skills Training;以下「CST」)に欠かせないと考えられるのが「作図」である。では,これまでにどのようなツールが開発されてきたのだろうか。 表1 の縦は,代表的な作画システムの先行研究を示す。横方向が,仕事の場で作図する場合のタスクの順序である。例えば,「自分で図形の中に文字を入れ,矢印で繋ぎ,上司にメールする」,「上司はそれを見て適宜修正し,返信する」,「修正版を触図プリンターで印刷することで触知する」である。 表1 作図ツールの比較 表1で明らかなとおり,既存研究は学校教育への応用(例えば数学における図形の認知や特性理解,あるいは美術における作画)が主目的であり,仕事で必要とされる概念的スキルを訓練するためには異なるアプローチが必要である。 そこで,一目で把握することができない「関係」「影響」「推移」を,種類の異なるテキストボックスや矢印の触知で可能にするツールを試作した。 2.2 方法 2.2.1 システム ARマーカ(2次元バーコード)を印刷した触図カードを配置し,カメラ撮影によりPC上で図に変換するシステムを開発した(図2)。シンボルには,テキストデータが入力可能である。表示された図は画像データとして出力が可能であり,触図印刷で本人が図を確認できる。シンボルは,「ER図」で用いられるものを採用した(作業名等を示す「四角形」と関係を示す「矢印」)。触図カードは,大きさ・厚さの異なる3種類(葉書大の紙・葉書半分大の紙・葉書半分大の発泡スチロール)を準備した。 システムが完成した際の普及を促進するために,原則100円ショップで入手可能な素材を使用することとした。 図1 本研究のシステム概要 2.2.2 調査協力者 第1著者による研究[7],[8]協力者である事務系職種で2年以上勤務する視覚障害者と上司(8社17名)のうち,仕事での作図ツールに対するニーズが強い当事者(2名,2社,いずれも先天性全盲)と上司(1名)から対面による試作ツールのデモンストレーションとフィードバックについて協力を得た。2019年10月31日(A社の当事者と上司)と12月12日(B社の当事者)に実施した。 対面調査協力の意向が無かった協力先の上司については,電子メール方式で「パワーポイントを用いた業務文書の作成を当事者にさせたいと思うか,その理由は何か」について質問し,7社から回答を得た。 2.3 結果 2.3.1 本人のフィードバック 表2 本人のニーズ 仕事での作画ニーズの強い重度視覚障害者は,「業務手順フロー」や「業務改善提案」の作成で困難に直面していた。個人的には凄い努力をしているが,それでも「見本が欲しい」と考えている。 機能面では,「触知可能サイズ(1cm×2cm)」,「脳内イメージ形成のためには図形ピースと表示画面が一致していることが必要である」「四角形を入れ込構造にして概念の説明力を高めたい」,「,段階や影響を示す図解について,何通りか手本があると良い」というフィードバックが得られた。 2.3.2 上司のフィードバック 表3 上司のニーズ 上司としては,例えば「ER図を作成するソフトは文字入力が可能なのだから,全ての部分を作って欲しい」と思っている。しかし現状のソフトウェアでは,表示された図形(四角形・楕円・矢印)を見ながらでないと,作成できない。音声読み上げシステムは,四角の中の文字を順番に読み上げることはできても,位置や関係性は読み上げないためである。これはパワーポイントも同様である。 2.3.3 メール調査の結果 「部下にパワーポイントを使って作成して欲しい業務文書は?」という問いに対し,3社が「無し」,3社が「晴眼者の同僚が作成している」,1社が「部内提案・社内外向け説明・会議資料」と回答した。 これらから,「どうせ出来ないから晴眼者に担当させる」という一般的な傾向が当事者のスキル開発機会(やらせてみる)を制約する可能性が示唆された。 2.4 研究1の考察 図解表現のイメージ記憶がある中途失明者に比べ,先天的重度視覚障害者は「パワーポイントを使って図解する」前段階の「図で考える」あるいは「図をイメージする」ことが訓練課題であることが判明した。 当事者は「したい」「できるようになりたい」と考えている一方,上司は「晴眼者の同僚にさせた方が速い」「視覚障害者には向かない」と考えている。 このことから,まずは作図ソフトに連結されていない教具を用いて訓練することの有用性が示唆された。 3.研究2 3.1 概念的スキル獲得プロセスの分析 そこで,前述の第1著者による研究で収集した質的データから,上司に観察された概念的スキル不足と本人に自覚された苦手な概念的スキルを抽出した。 3.2 結果 抽出されたのは,(1)上司に観察された概念的スキル不足として「期限に従い(逆算して)作業を管理すること」「複数作業を同時に処理すること」,(2)本人に自覚された苦手な概念的スキルとして「読むのに時間がかかる」「視点を使えない」「順序が見えない」である[8]。 該当する上司の語りの例を,以下に示す。以下紹介する語りは,研究1の協力者である当事者7名と上司10名(8社)から収集されたものであり,研究2の協力者に対応させたものではない。 先週の木曜日,「今日中に取引先にメールを入れて,進捗を確認しておくように」と指示しました。それにも関わらず,今日(火曜)まで,何も連絡していないんです。(略)特に,日にちを跨ぐタスクが,苦手なようです。(G) その人は忘れっぽいんですよ,なぜか。忘れっぽいというか,覚えるっていう‥のが,どうなんだろう。なので,「自分でメモをしろ」と指示しました。点字で,「帰る時にやること」を箇条書きにさせて。帰る時に,指でなぞって,思い出せと。(B)上司たちは,欠点だけを見ているわけではない。優れた概念的スキルの発揮例として,「問題理解」「学習努力」も観察していた。 上司も支援スキルを発達させている。例えば,「結論を先に言う」「端的に説明する」というアドバイスである。これは,視覚障害者の情報処理がストリング(紐)型[9]であるためと考えられる。読み返しや飛ばし読みができず,重要な情報や詳細を伝えようとすると文章を羅列せざるを得ない。これから当事者を迎え入れる上司がこれを理解することで双方のストレス回避と支援方略開発が可能になるだろう。 繰り返すが,障害だからスキルが不足するわけではない。前述の養・教育環境や,本人の特性や努力によるものであり,訓練で上達可能である。 該当する本人の語りの例を,以下に示す。 パッと何かを見て認識して,それについて発言することが出来ない。事前に資料を貰ってないと発言できず,静かな人だって思われちゃう(笑)(J) 業務を,ミクロの視点で見がちだった。「それって結局,どういうこと?」みたいに,上司には本質のマクロ部分をしっかり考えるように言われるんですけど,自分の中でそれが身に付かない。(R) 段取りが苦手です。(略)この日程だと,いつまでに案内を発送しないといけないとか。逆算が。(略)基本的に苦手ですね。料理作る時とか(笑)。全く覚えられない。(C) これらから,上司が「期限管理や段取りができない」と評価する原因は,当事者が「全体の関係性を一目で把握すること」「複数の作業を期限に向けて同時に進行すること」を訓練する機会に乏しいためであることが示唆される。 従って,「全体の関係(影響や段階)を示す図」「複数作業同時進行を示す表」が訓練に必要かつ有効であると考えられる。 4.総合的考察 本研究の意義は,第1に,「業務に必要な図解説明」という目的に即して簡易なツールを開発,実際にニーズのある当事者と上司にデモを実施,改善点について有効な示唆が得られたこと,第2に,市販の「ビジネス図解術」等の晴眼者向け実務書の流用でなく,視覚障害者が必要とする概念的スキル訓練を特定したことである。 失われた知覚をシステムで補償するという工学的接近法に加え,潜在的スキルに着目,開発する方法を考えるという心理学的接近法の可能性を示すことができたと考える。 高等教育期間中に技術的スキル(文書作成や表計算),対人的スキル(対人的積極性・感情制御・他者視点の獲得),概念的スキル(期限の逆算・複数同時処理)[8]を訓練することの重要性が示唆された。 注:本稿は,竹下浩・丸山智章「視覚障害者向け概念的スキル訓練ツールの開発」(日本応用教育心理学会第34回研究大会発表論文集 2019:24-25)及び当日の発表スライドを加筆修正したものである。 謝辞:ツールを開発頂いた茨城工業高等専門学校の溝井祥太氏・郡司琉並氏,触図等の作成及び教材開発の知見を頂いた納田かがり氏・朝山奈弥氏・石井篤子氏・岸本裕子氏・塩谷理英子氏・白川ちひろ氏・野澤しげみ氏・松間悦子氏にお礼申し上げる。 参照文献 [1]高齢・障害・求職者支援機構,視覚障害者雇用の拡大とその支援―三療以外の新たな職域開拓の変遷と現状― 資料シリーズ35,2006. [2] 長岡英司,重度視覚障害者によるJava プログラミングの可能性,筑波技術短期大学テクノレポート12, 21-26,2005. [3][3] Katz, R. L. Skills of an effective administrator,Harvard Business Review, 52, 90-102. 1974. [4]Warren, D. H. Blindness and early childhood development (2nd. Ed.), New York: American Foundation for the Blind, 1984. [5] Olayi & Ewa, Importance of concept development in sighted and visually impaired children in an inclusive environment. Paidagogos, 71-84.2014. [6]相川充,新版 人づきあいの技術―ソーシャルスキルの心理学― サイエンス社,2009. [7]竹下浩・田中仁・加藤宏,視覚障害者の就労スキル獲得及び上司の支援プロセス:できること・できないことの認識ギャップ,日本教育心理学会第C61回総会発表論文集,PG16, 2019. [8]Takeshita, H. Clerical skills development and supervisor’s support for the visually impaired,Abstracts, Division of Occupational Psychology Annual Conference, the British Psychological Society, 344-350, 2020. [9] 鳥居修晃,視覚障害と認知 放送大学教育振興会,1993. A Skill Development Approach that Enables Expansion of Clerical Work Areas for the Visually Impaired: Development of Conceptual Skill Training (CST) TAKESHITA Hiroshi1), MARUYAMA Tomoaki2), IIZUKA Junichi3), TANAKA Hitoshi3) 1)Faculty of Health Sciences, Tsukuba University of Technology 2)Electrical and Electronic Engineering Course, National Institute of Technology Ibaraki College 3)Research and Support Centre on Higher Education for People with Disabilities, Tsukuba University of Technology Abstract: In recent years, it has come to be expected that visually impaired persons will be employed in clerical occupations. However, research on sensory agency systems has pointed out a major problem: visually impaired persons cannot see visual materials and do not know how to make them. Research on child developmental psychology has found that there is a difficulty in concept generation by observing the environment, but the conceptual skills necessary for adults in the workplace have not been clarified. The need to clarify the actual task context and skill development process is an urgent one. Therefore, this research clarifies: (1) what tasks do visually impaired persons and their managers require, using a prototype of a communicate-by-diagram tool; and (2) what kind of figure is useful in developing the required skills, by analyzing qualitative data collected from visually impaired persons and their managers. As a result, useful suggestions about system improvements (tangible size of pieces, matching of pieces and screen images, necessary additional functions) and necessary training contents (stages and influences diagrams and multiple work progress tables) were obtained. Keywords: Employment of people with disabilities, Visual impairment, Clerical work, Skill development, Conceptual skills