唾液のレオロジー特性を模擬した高分子粘液の伸張粘度計測 下笠賢二 筑波技術大学 産業技術学部 産業情報学科 要旨:唾液は,咀嚼から嚥下にいたるまでの過程において口腔内で重要な役割を果たしますが,唾液の伸張粘度を調べた研究はほとんどない。ヒトの唾液の粘性特性は個人によって異なるため,唾液については,医療分野を中心にさまざまな研究が行われ,唾液のレオロジー特性が調べられている。ただし,そのほとんどの研究で,せん断粘度に関連する粘性特性が調査されている。唾液のように粘度が低いにも関わらず糸を引く性質(曵糸性)の高い粘液のレオロジー特性については,せん断粘度とは異なる粘性特性を評価する必要がある。そこで,高分子粘液ポリエチレンオキサイド(PEO-27)を用いて唾液のレオロジー特性を模擬した高分子粘液を作製し,伸張粘度特性を調べた。 キーワード:唾液,レオロジー特性,高分子粘液,伸張粘度,せん断粘度 1.はじめに 唾液は口腔から食道への食塊移送時の液体潤滑による摩擦低減効果のような物理的特性だけでなく,咀嚼時に唾液のタンパク質成分と混ざり合うことによる消化を促進する化学的特性やかみ砕いた食品を嚥下しやすい食塊としてまとめる機能を持つ。さらに,口腔内の保湿と抗菌作用などで免疫機能を向上させる効果があることから正常な口腔内環境の維持に重要な役割を果たしている。唾液の粘性特性については年齢や性別,経時変化など多くの報告があるが,そのレオロジー特性が流体潤滑やスリップに及ぼす影響を検討した研究はほとんど例がない。一方で,ヒトの唾液の粘性特性は個体差があり,食事の有無やその時間帯,体調によっても変化することなどが知られている。さらに,非ニュートン流体であるため回転粘度計による粘性特性の研究報告も多い。しかし,一般的なせん断粘度評価では低粘度の粘性流体として扱われるため,唾液のように曵糸性のある液体はせん断粘度とは異なる手法でそのレオロジー特性を評価すべきである。その方法の一つとして伸張粘度による評価法が考えられる。そこで本研究では,生体粘液による流体潤滑やスリップに及ぼす影響の検討を行うために,唾液のレオロジー特性を模擬した高分子粘液を作製し,その伸張粘度計測を行った。 2.実験方法 2.1 実験試料の作製 唾液を模擬した高分子溶液にはポリエチレンオキサイド(PEO-27,平均分子量7,000,000)を使用した。濃度は,0.05 ~ 0.4wt% とし,精密分析天秤(AP224X,d=0.1mg,SHIMADZU)を用いて調製を行った。 2.2 せん断粘度測定 せん断粘度の測定に用いた円錐平板型回転粘度計(HAAKE,RS600,ThermoFisher Scientific) を図1に示す。0 ~ 1000s-1乗 のせん断速度範囲において 1000s-1乗 までせん断速度を上昇させた後に再び 0s-1乗 まで下降させな がら測定を行った。測定中の温度は20°Cの恒温状態とし,円錐直径は60mm,平板とのギャップ角度1°の円錐を使用し,測定は同一試料,同一条件で繰り返し3回の測定を行った。 図 1 せん断粘度測定のための円錐平板回転型粘度計 (図) 2.3 伸張粘度測定 伸張粘度測定に用いた実験装置を図2に示す。リニアドライブ機構(MP2400,YASKAWA)に取り付けられた直径D=2mm のアルミ合金製の上下プレート間のL0=1mm(アスペクト比 L0/D=0.5)のギャップに試料を供給し,液柱直径が近似的に初期直径D0=2mmになるように調整した後に,リニアドライブ制御プログラム(MPE720,YASKAWA)で駆動した。その直径変化(キャピラリーシニング)をセンサ(LS-7010,KEYENCE Inc.)で検出したデータを5ms単位でデータロガ(8807 MEMORY HiCORDER,HIOKI)に出力すると同時に,高速動画撮影が可能なデジタルカメラ(RX10II,SONY)で1000fpsの高速動画として記録した。プレート間の距離Lは(1)式として定義し,L=3mmまで移動するまで伸張ひずみ速度έはすべて 3s -1乗 となるように,ロッド速度を設定した。Lは上下のプレート間のギャップで,L0はその初期値である。また,液柱の中間距離で正確に測定を行うために,上下のロッドはプーリ機構により反対方向に等速で移動する機構とした。測定中の温度は 25°Cの雰囲気下で,同一試料で繰り返し5回の測定を行った。 L = L0 e er乗 (1) 図 2 伸張粘度測定のための自作装置 (図) 3.結果と考察 3.1 せん断粘度 PEO-27(0.05~0.2wt%)のせん断粘度の粘性特性を図3に示す。同一の試料で3回測定を繰り返した平均値とその標準偏差をエラーバーで表示している。3回の結果の繰り返し精度は高く,標準偏差は小さい結果となった.すべての結果においてせん断速度の増加に従いみかけの粘度ηapが低下するシアシニングを示した。唾液の粘性 特性はZhuらの報告(1) と比較すると唾液とPEO-27のせん断粘性特性は,低せん断速度付近(1s-1乗)での粘度はPEO-27の濃度0.1wt% 程度と同じで74mPa∙s,比較的高せん断速度付近(50s-1乗)ではPEO-27の濃度0.1wt%程度で5mPa∙sで一致するが,唾液は高いずり速度域におけるみかけの粘度はさらに低くなった。その結果,唾液とPEO-27の粘性特性は異なることからPEO-27単独の濃度(0.05%,0.1%)で同等の粘性特性を模擬することはできなかった。 図 3 PEO-27と唾液のせん断粘性特性 (図) 3.2 伸張粘度 伸張粘度ηεは,(2)式により定義した。XについてはPapageorgiouが最初に補正係数として導入を報告(2)した X=0.7127を使用し,σは表面張力,液柱直径の時間的変化dDmid/dtは一定とした。本研究で使用した伸張粘度装置の測定精度の妥当性に関する検証を行うために,まずは粘度計校正用標準液(5.8Pa∙s,25°C)で計測を行った結果,伸張粘度 ηε は 16.6Pa∙sとなり,ずり粘度と伸張粘度の比率は 2.86となり,基準となるトルートン粘度3にほぼ一致することが確認された。また,測定と同時に撮影した高速動画においてもキャピラリーシニングが確認された。 ηE =(2X–1)σ/(–dDmid/dr ) (2) 次に,PEO-27(0.1wt%)と唾液については Zhuらの報告(1) のみかけの伸張粘度と伸張ひずみ速度とHenckyひずみεとの関係を図 4に示す。本実験装置では構造的にずり粘度のように伸張流動のずり速度を定義することはできない。そこで,液柱直径が0.1mm以下になってから破断に至るまで線形な変化を示している。伸張粘度はすべて の結果においてHenckyひずみεとともに,伸張粘度が高くなる傾向が示された。唾液の伸張粘度 ηε は PEO-27 の 0.1wt% よりは高く,0.2wt% より低い粘性特性を示しており,せん断粘度と比較すると,ε=1で100mPa∙s程度の高い伸張粘度となった。唾液の伸張粘度はPEO-27に対して相対的にせん断粘度よりも伸張粘度の方が高くなった。唾液のせん断粘度に対する伸張粘度の比率はPEO-27よりも高いことから,ヒトの唾液にはずり粘度よりも伸張粘度の増加に寄与する成分が含まれていると考えられる。 図 4 PEO-27と唾液の伸張粘性特性 4.結言 本研究では,唾液を模擬するためにPEO-27のレオロジー特性を検討した結果,同一の濃度ではずり速度と伸張粘度の粘性特性は異なることが明らかとなった。唾液をはじめとする低粘度でも潤滑効果の高い食品などにはムチンが含まれいることがわかっている.本研究で用いたPEO-27以外の分子量や曵糸性が高くムチンを含む食品なども模擬溶液として適用可能がどうかを調べることが今後の課題である。 謝辞 本研究のずり粘度測定は首都大学東京(現都立大) Minhらの協力により行われた。謹んで感謝の意を表します。 参照文献 [1] Zhu J, Mizunuma H. Shear and Extensional Flow Rheology of Mucilages Derived from Natural Foods. J Soc.Rheol.Japan, 2017; 45:91–99. [2] Papageorgiou D T, On the break of viscous liquid threads,Phys.Fluid, 7(7), 1995, 1529-1544.