聴覚障害学生の日本語に関する困難点の分析 (6) ~ことばから概念への発達に関して~ 脇中起余子 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 障害者基礎教育研究部 要旨:筑波技術大学の聴覚障害学生に対する1年次必修科目「日本語表現法A・B」の中で,レポートや論文執筆に際して,単なることばではなく概念としてのことばを扱う必要性を知らせたいと思い,正方形や長方形,菱形などの相互関係に関する問題を取り上げた。本学の入試に数学が課せられるコースに在籍する学生(Ds群)は,小関(1995)の聴児の中学校3年生以上のレベルを超えており,数学が課せられないコースに在籍する学生(Dd群)は,小関(1995)の聴児の中学校1年生から中学校2年生のレベルであったことを見出した。そして,「最近接発達領域(ZPD)」と関連して,単なることばから概念に引き上げるための指導方法について考察した。 キーワード:聴覚障害者,ことば,概念,ベン図,最近接発達領域 1.はじめに 「長方形」の定義は「4つの内角が全て等しい四角形」であることから,「正方形は長方形である」は正しいが,「長方形は正方形である」は正しくない。このことを説明しても,「正方形という名前があるのに」と言って正方形を長方形と称することに抵抗する子どもがみられる。ブリタニカ国際大百科事典は,「一般にAの概念といえばAについての経験的事実内容ではなく,Aに関する論理的,言語的意味内容をさす」と述べていることから,正しく理解する大人にとっての「長方形」を「概念」と称し,上述した子どもにとっての「長方形」を「単なることば」と称することにする。 筑波技術大学の聴覚障害学生を対象とする「日本語表現法B」の中で,レポートや論文の執筆に際して,集合的関係を考え,単なることばではなく概念を扱う必要性を伝えるために,「論文で,『正方形は長方形ではない』と書いてもよいと思う人は?」と尋ねると,たくさんの学生が挙手した。そこで,「これ(正方形)は長方形か」などと尋ねる文章問題やベン図を描かせる問題を通して,概念と単なることばの違いを考えさせる取り組みを行った。その結果,定義を示すと正答率が上昇したものの,判断が難しい例がまだ相当数みられたこと,「正方形は長方形か」のような文章問題に完全正答してもベン図が正しく描けるとは限らなかったこと,一人ではベン図が正しく描けなかったが,グループ協議ではどのグループも正答にいたったことを,脇中(2017)は報告した。 上記の問題について,小関(1995)は聴児の場合のデータを紹介しており,脇中(2001)はK聾学校高等部における結果を報告しているので,本稿では,この小関(1995)や脇中(2001)のデータとの比較を詳細に行い,単なることばから概念に引き上げるための指導方法を考察する。 2.目的 四角形,台形,平行四辺形,菱形,長方形,正方形の関係図(ベン図)は,図1のようになる。 図 1 「四角形,台形,平行四辺形,菱形,長方形,正方形」のベン図 小関(1995)は,平行四辺形のとらえ方を調べ,平行四辺形を「菱形,長方形,正方形を除く平行四辺形」と考える段階I,平行四辺形は菱形や長方形,正方形を含むとわかるが,菱形や長方形,正方形の間の関係を理解しない段階II,平行四辺形が菱形や長方形,正方形を含み,菱形や長方形が正方形を含むことを理解する段階IIIがあるとし,表1に示したように,中学校3年生でも段階IIIの生徒は5%にすぎなかったことを報告している。 表 1 図形認知の段階(小関(1995)より) (表) 脇中(2017)が報告した内容は,日本語表現法の一環として行ったものであるが,再分析に際して以下の目的を設定した。 目的1:いろいろな図形を示して「これは長方形か?」などと尋ねる文章問題を実施し,「平行四辺形,菱形,長方形,正方形」に関する理解について,小関(1995)の段階I~IIIの比率が本学においてどう現れるかを検討する。また,「四角形」に関して,小関(1995)の段階I~IIIに準じた三つの段階があると考え,本学における段階I~IIIの比率を検討する。 目的2:小学校で学習した「長方形」などの定義があいまいになっている人も多いと思われるので,定義の有無による違いを検討する。 目的3:「四角形,台形,平行四辺形,菱形,長方形,正方形」のベン図が正しく描ける比率を検討する。 3.方法 3.1 文章問題 以下,正方形でない長方形を「ただの長方形」と称する(他の図形についても同様)。いろいろな図形を示して「これは四角形(台形,平行四辺形,菱形,長方形,正方形)か」と尋ねる文章問題を,定義なしの条件で実施し,その一週間後に定義ありの条件で実施した。 この文章問題の例を,図2に示す。 図 2 文章問題の例 (図) この図形は、 長方形か?( )はい・( )いいえ 四角形か?( )はい・( )いいえ 正方形か?( )はい・( )いいえ 3.2 ベン図問題 「A:犬,B:ネコ」「A:成人,B:20歳以上の人」「A:カラス,B:鳥」「A:文房具,B:ペン」「A:60歳以上の人,B:女性」のそれぞれで,AとBの関係を示すベン図は図3のア)~オ)のどれかを尋ねたあと,「四角形,台形,平行四辺形,菱形,長方形,正方形」のベン図を描かせた。その一週間後に,この問題で完全正答した学生が分散するようにいくつかのグループに分け,各グループでベン図問題の答えを改めて考えさせた。 図 3 AとBに関するいろいろなベン図 (図) 以下,同意書が得られた聴覚障害学生について,入試の時に数学が課せられるコースに在籍するDs群30名と課せられないDd群13名に分けてまとめる。また,脇中(2001)におけるK聾学校高等部生徒をR群とし,そのデータと比較する。 4.文章問題に関する結果と考察 表2の問 a と問 a' は,「これ(ただの菱形)は菱形か」のように「~は<基本概念>か」と尋ねる問題(答えは「はい」となる)であり,正答率は高いと思われる。また,問 bと問 b' は,「これ(ただの平行四辺形)は長方形か」のように「~は<下位概念>か」と尋ねる問題(答えは 「いいえ」となる)であり,これも正答率が高いと思われる。それに対して,問 c と問 c',問 d,問 d' は,「これ(菱形)は台形か」のように「~は<上位概念>か」と尋ねる問題(答えは「はい」となる)であり,正答率は低いと思われる。 表 2 問題の記号と分類 (表) 平行四辺形の捉え方について,小関(1995)の段階Iでは,「平行四辺形は菱形,長方形,正方形を含まない」と考えるので,表2の問 aと問 b に正答し,問 cと問 d に誤答すると考えられる。段階IIでは,平行四辺形は菱形や長方形,正方形を含むとわかるが,菱形や長方形,正方形の間の関係を理解しないので,問 a と問 b,問 cに正答し,問 dに誤答すると考えられる。段階IIIでは,全ての問題に正答することになる。 また,四角形の捉え方について,小関(1995)に準じて考えると,段階Iでは,四角形は台形を含まず,また台形は平行四辺形を含まないと考えるので,表2の問 a'と問 b' に正答し,問題 c'と問題 d' に誤答すると考えられる。段階IIでは,四角形は台形や菱形,長方形,正方形を含むとわかるが,台形と平行四辺形,菱形,長方形,正方形の間の 関係を理解しないので,問 a' と問 b',問 c' に正答し,問題 d' に誤答すると考えられる。段階IIIでは,全ての問題に正答することになる。 問 a ~問 d の結果を表3に,問 a' ~問 d' の結果を表4 に示す。なお,問 aと問 b,問 a',問 b' は,どの問題も正答率が高かったので,平均正答率のみ示した。また,見やすくするために,正答率が80%以上であれば「〇」を, 50%以上 80%未満であれば「△」を,50%未満であれば「×」を記した。 表 3 平行四辺形に関する問 a ~問 dの正答率 (%) (表) 表 4 四角形に関する問 a’ ~問 d’の正答率 (%) (表) 定義がない条件において,問 a,問 b,問 a',問 b' の平均正答率は,Ds群,Dd群,R群ともに85%を越えていたが,問 dと問 d' の平均正答率は,3群とも40%未満であった。また,問 c の平均正答率は,3群とも43~72%であり,問 a・ bと問 d の中間に位置していた。問 c' の平均正答率は,D s群とDd群は問 a'・b' の平均正答率に近似していたが,R群は問 a'・b'と問 d' の中間に位置していた。 次に,表3の問 aと問 b は段階I,II,IIIの者が正答し,問題cは段階II,IIIの者が正答し,問題dは段階IIIの者が正答すると仮定し,実際の正答率と合致するように各段階の比率を推定したが,それを表5に示す。なお,段階Iに到達していない者の段階を,段階0とした(以下同様)。 表 5 平行四辺形に関する段階I~IIIの比率の推定 (表) 段階IIIに達した比率は,定義なしの場合,最も高かったDs群においても4割に満たなかった。定義ありの場合,Ds群は8割,Dd群は6割に達していた。段階IIIの比率のみに着目すると,小関(1995)によれば中学校3年生で5%であるから,Ds群,Dd群,R群の全てが小関(1995)の中学校3年生のレベルを超えていることになる。 定義なしの問題において,段階IIと段階IIIをあわせた比率は,Ds群が72%,Dd群が 54%,R群が 43%である。小関(1995)の表1によると,小学校4~5年生では7~10%,小学校6年生と中学校1年生は36~40%,中学校2~3年生では69~72%であったことから,Ds群は中学校3年生のレベルに,Dd群は中学校1年生から中学校2年生のレベルに,R群は小学校6年生と中学校1年生のレベルに近似していると思われる。 表5と同様にして,四角形に関する各段階の比率を推定したが,それを表6に示す。 表 6 四角形に関する段階I~IIIの比率の推定 (表) 小関(1995)のデータがないが,四角形や台形,他の図形の関係を正しく理解する段階IIIの比率は,定義が示されない場合,3群とも1割前後に過ぎなかった。定義が示されても,Ds群は 25%が,Dd群は 50%が段階IIIに到達していなかった。 表3と表4,あるいは表5と表6を比べればわかるように,平行四辺形と菱形,長方形,正方形の関係の理解は難しいが,四角形や台形と平行四辺形,菱形,長方形,正方形の関係の理解はもっと難しいようであった。 定義を示さない条件において,Ds群とDd群が 50%未満であった問題は全て問 dと問 d'の6問であったので,これらの6問を抜き出して,定義なしと定義ありの条件での平均正答率を比べたが,それを図4に示す。図4を見ればわかるように,定義が示されると,正答率は,Ds群は 21.7%から 76.7%に,Dd群は 10.3%から53.8%に上昇している。このことは,「台形」「長方形」などのことばを知っていても,定義が示されないと正確に関係が判断できない例が多いことを示すと言えよう。 図 4 定義の有無による違い (図) 5.ベン図問題に関する結果と考察 ベン図を描く問題について,1四角形・台形・平行四辺形の関係が正しいか,2菱形・長方形・正方形の関係が正しいか,3,1と2の関係が正しいかを分析したが,それを表7に示す。 表 7 ベン図が書けているかに関する結果 (表) 2のところでつまずいた学生は,Ds群は計30%,Dd群は計92%であったことから,Dd群はDs群と比べて,菱形・長方形・正方形の関係を表すベン図のところで困難を示した者が多いと言えよう。 次に,定義ありの文章問題で完全正答したか否かとベン図問題に完全正答したか否かの関係を,図5に示す。 図5を見ればわかるように,ベン図が正しく描けた者は,全員が文章問題に完全正答した者であったことから,文章問題に完全正答することは,ベン図が描けることの必要条件であると思われる。しかし,文章問題に完全正答しても半数以下の者しかベン図を正確に描けないと言えよう。 図 5 文章問題とベン図問題の関係 (図) 次に,学生を4 ~ 5 名の 10 ~ 11 グループに分け,グループ協議でベン図を描かせたところ,ベン図問題に完全正答した者が皆無のグループがあったにもかかわらず,全てのグループで完全正答に至ったことは,筆者にとって予想外であり,グループ協議のもつ力をもっと活用する必要性を感じさせられた。筆者は,全てのグループの状況を観察できなかったが,あるグループでリーダー的な女子学生が「それは正方形なんだから,長方形と言ったらだめでしょ」と言い,別の学生から「長方形の定義を見て。辺の長さはこうでなければならないと書かれていない。だから,辺の長さは関係ない」と言われて,「あ...」と何かに気付いた表情を見せたことが印象に残っている。 6.図形間の関係の理解とZPD(最近接発達領域) 「子どもが単独でできること」と「子どもが何かの手助けによりできること」の間の差を「最近接発達領域(ZPD: Zone of Proximal Development)」と呼ぶ。これは,ロシアの心理学者ヴィゴツキー(Vygotsky)の有名な概念である。 教育においては,子どもは,どんな手助けがあれば,自分でできるようになるかを考えることが大切である。 6.1 文章問題とZPD 図4より,文章問題に対して,1 定義が示されなくても正答できる者,2 定義が示されると正答できる者,3 定義を示されても正答できない者がいることがうかがえる。2の者に対しては,四角形は台形や長方形を含むことから,長方形も他の何かの図形を含む可能性を考えさせ,定義を利用して考える習慣づけを図ることが効果的であると思われる。そして,ベン図問題でグループ協議のもつ力を感じさせられたことから,3の者におけるグループ協議の効果を検討する必要があると思われる。 6.2 ベン図問題とZPD 図5より,文章問題で完全正答できてもベン図問題に正答できない者が多かったことから,1 文章問題を経験しなくてもベン図が正確に描ける者,2 文章問題に正答できるようになればベン図が描けるようになる者,3 文章問題では正答できるようになってもベン図がまだ正しく描けない者がいる可能性が考えられる。 2の者には,「長方形は正方形か」や「正方形は長方形か」のような問題に対する考え方を理解することで,ベン図が描けるようになると思われる。 3の者に対しては,ベン図の意味,すなわち「集合と要素」の関係を正しく理解させることが,ベン図問題に対する正答につながる可能性が考えられる。というのは,正方形のベン図の中に菱形と長方形のベン図を描いた学生に理由を尋ねると,「菱形は4辺が同じ長さで,正方形と同じ。長方形は4つの角が直角で,正方形と同じ」と答えていたので,「図形のもつ性質でベン図を考えているのか」と思ったことがあるからである。 7.残された課題 7.1 図形間の関係の理解を促すために 文章問題における問 cと問 c',問 d,問 d' の正答率から,台形や平行四辺形は四角形に含まれることを理解し,次に菱形や長方形,正方形は平行四辺形に含まれることを理解し,次に平行四辺形や菱形,長方形,正方形が台形に含まれることを理解するという順序がある可能性を考えたが,理解の順序の詳細な解明は今後の課題である。 定義を示されても文章問題に正答できない人に対して,以下のような取り組みが考えられる。正方形やただの長方形,ただの台形などいろいろな図形を描いた絵カードを用意し,「4つの角が等しい四角形」や「4つの辺が等しい四角形」,「向かい合った2組の辺のうち1組だけが平行な四角形」,「向かい合った2組の辺のうち1組以上が平行な四角形」を全て集めるよう指示する問題を繰り返したあと,「四角形を集めて」と指示し,正方形などを選んだ生徒に,「この図形は正方形という名前があるのに,四角形の仲間なの?」と尋ね,ある図形は2つ以上の名称をもつ場合があることに気付かせる。次に,「長方形を集めて」と指示し,正方形を選ばなかった生徒に対して,「4つの角がどれも直角になっている図形を長方形と言うことになっている」と説明したうえで再度指示するという取り組みであるが,これはどこまで効果的であろうか。また,効果が現れた生徒とそうでない生徒の分かれ目は,何に起因するのであろうか。筆者としては,聾学校で教えた経験から,小学校5年生以上の教科学習が難しい生徒,すなわちいわゆる「9歳の壁」を越えていない生徒の場合は,「定義からスタートした思考」が難しいと感じており,そのような生徒に対しては,典型的な図形の名称が言えるようになればそれで良しとしてきた。 各段階で次の段階に引き上げるために効果的な指導方法の解明は,単なることばから概念に引き上げるための指導方法の解明と関連すると思われる。 7.2 聴者の大学生における結果から 筆者は,いくつかの大学で,特別支援学校教員免許を希望する学生に対して,「(単なる)ことばから概念への発達」と「9歳の壁」の関連を考えさせるために,文章問題とベン図問題に取り組ませてきたが,全体的な印象としては,いわゆる偏差値が高い大学であっても,Dd群とDs群の中間の成績を示すことが多かったという印象を抱いている。また,理系の大学生たちに個人的に依頼した経験から,上述の文章問題やベン図問題は,いわゆる文系と理系の違い,あるいは,いわゆる認知特性(継次処理型か同時処理型か)の違いによる差が大きく現れる問題である可能性を考えているが,これについても,今後の課題である。 謝辞 同意書を書いてくださった学生や保護者の方々に厚くお礼を申し上げます。 参照文献 [1] 小関照純 1995 4.子どもの図形認知と論理.日本数学教育学会編数学学習の理論化へむけて.産業図書 [2] ヴィゴツキー.L.S.(訳)柴田義松 2001 思考と言語(新訳版).明治図書 [3] 脇中起余子 2001 聴覚障害生徒の認知と論理 ~4種の命題の真偽判断や図形認知の問題などを通して~. ろう教育科学,43(3),125-140. [4] 脇中起余子 2017 聴覚障害学生の日本語に関する困難点の分析(2)~語彙ネットワークの緊密化に関して ~.筑波技術大学学術・社会貢献推進委員会 筑波技術大学テクノレポート,25(1),12-17. Analysis of Difficulties Facing Hearing-impaired Students Regarding the Development from Words to Concepts WAKINAKA Kiyoko Division for General Education for the Hearing and Visually Impaired, Research and Support Center for Higher Education for the Hearing and Visually Impaired, Tsukuba University of Technology Abstract: To emphasize the importance of dealing with words as concepts and not just as words, I focused on the understanding of mutual relationships among geometric figures and analyzed the difficulties experienced by hearing-impaired first-year students taking the mandatory subjects Japanese A and Japanese B at Tsukuba University of Technology. I presented some questions about geometric figures, for example, “Is a rhombus a trapezoid?” or “Is a square a rectangle?” The correct answer rates increased when definitions were given. However, the ability to answer these problems correctly did not necessarily translate into the ability to construct a Venn diagram. Students who took mathematics examinations for entrance examinations outperformed 3rd grade junior high school students according to Ozeki (1995). The students who did not take mathematics examinations were at a level between second- and first-year junior high school students. Finally, I provided some educational methods to move from words to concepts in relation to zone of proximal development (ZPD). Keywords: Hearing impaired, Word, Concept, Venn diagram, Zone of proximal development