修士論文 肩関節の痛み・可動域制限に対するマッサージ療法の有効性に関する研究 令和元年度 筑波技術大学大学院修士課程技術科学研究科保健科学専攻 菅原寿彦 目次 Ⅰ.研究の背景と目的 1 1.肩関節周囲炎について 1 2.我が国におけるマッサージ療法の状況 2 3.マッサージ療法の研究の状況 2 4.研究の目的 3 Ⅱ.研究成果の概要 3 A.方法 3 1.デザイン 3 2.実験の場所 3 3.研究期間 3 4.役割分担 3 5.研究参加者及び被験者 3 (1)研究参加者 3 (2)被験者 4 6.評価項目 5 (1)VAS(Visual Analog Scale) 5 (2)ROM(Range of Motion) 5 (3)Constant Score 5 (4)患者立脚肩関節評価法 Shoulder36 V1.3 6 7.実験手順 6 8.マッサージ施術の方法 6 9.統計学的記述について 7 10.倫理上の配慮 7 (1)プライバシーへの配慮 7 (2)身体面、精神面等への配慮 8 (3)研究参加者の同意を得る方法 8 B.症例報告 8 症例1 69歳 男性 8 【￾現病歴】 8 【￾現症】 9 【他の介入】 9 【経過】 9 【結果】 10 【小括】 10 症例2 66歳 男性 11 【￾現病歴】 11 【￾現症】 11 【他の介入】 11 【経過】 11 【結果】 12 【小括】 12 症例3 45歳 男性 13 【￾現病歴】 13 【￾現症】 13 【他の介入】 13 【経過】 13 【結果】 14 【小括】 15 症例4 60歳 女性 15 【￾現病歴】 15 【￾現症】 15 【他の介入】 15 【経過】 16 【結果】 17 【小括】 17 C.4症例の結果の総括 17 1.VAS 17 2.ROM 18 3.Constant Score 20 4.Shoulder36 24 D.考察 25 1.疼痛の軽減について 26 2.ROMについて 26 3.Constant Scoreについて 26 4.Shoulder36について 27 5.MRIによる画像診断について 27 6.課題と限界について 27 E.結論 28 謝辞 28 【参考文献】 28 付録 資料 肩関節の痛み可動域制限に￾対するマッサージ術式 筑波技術大学 修士(鍼灸学)学位論文 肩関節の痛み・可動域制限に対するマッサージ療法の有効性に関する研究 筑波技術大学技術科学研究科保健科学専攻 菅原寿彦(学籍番号: 183202) 指導教員 技術科学研究科保健科学専攻 藤井亮輔 教授 副指導教員 技術科学研究科保健科学専攻 野口栄太郎 教授 共同研究者 技術科学研究科保健科学専攻 木下裕光 教授 保健科学部 佐久間亨 講師 保健科学部 杉田洋介 助教 帝京大学医学部整形外科講座 伊藤正明 教授 Ⅰ.研究の背景と目的 1.肩関節周囲炎について  あん摩・マッサージ・指圧の臨床で遭遇する機会の多い症状の一つとして肩関節周囲炎による肩関節の痛みや可動域制限を挙げることができる 1)。この病態は、一般的に、思い当たるきっかけのない運動時痛から始まり、徐々に増悪して夜間痛や安静時痛を伴うようになる。その後は痛みが徐々に少なくなるとともに肩関節の可動域制限が強くなる傾向を示すものの、やがて回復に転じて 1年から 2年後には ADLに支障を来さない程度に回復することが多い。  このような、 40歳代から 60歳代にかけて好発する原因不明の肩関節周囲の痛みと肩関節の可動域制限については、「肩関節周囲炎」・「五十肩」などの病名で呼ばれている。欧米でもこの状況は同じで、 adhesive capsulitis(癒着性関節包炎)、 frozen shoulder(凍結肩)、 scapulohumeral periarthritis(肩関節周囲炎)などが同様の症状に対して用いられている 2,3)。  信原は肩関節周囲炎と診断した患者を、①烏口突起炎、②上腕二頭筋長頭腱炎、③肩峰下滑液包炎、④腱板炎、⑤石灰沈着性腱板炎、⑥いわゆる五十肩、⑦二次性の関節拘縮の 7群に分類し、いわゆる五十肩は 30%と報告した 4)。  症状の発生から進行・回復までを可動域制限の原因から 3つの病期に分けるのが一般的である 5)。疼痛や筋の攣縮によって可動域が制限される freezing phase、疼痛や筋攣縮に加え関節拘縮によって制限される frozen phase、拘縮が改善し症状の回復段階の thawing phaseである。これに対し海外では 4つの病期に分けることもある 6)。第 1期は発症から約 3ヶ月間で、肩の最終可動域での鋭い痛み、安静時痛、夜間の睡眠障害などを訴えることが多い。この時期の関節鏡所見では癒着や拘縮はなく、滑膜浸潤反応がみられる 7-9)。第 2期は 3~ 9ヶ月間継続されるあらゆる方向の可動域制限と疼痛が特徴である。麻酔下の関節鏡所見では滑膜炎や血管新生の亢進、麻酔下での ROM制限が報告されている 7)。第 3期は痛みと ROM制限が特徴で9~ 15ヶ月間継続する。前期でみられた滑膜炎や血管新生は沈静化し、関節包や靱帯の線維化が進行して可動域が減少する 10)。第 4期は発症後 15~ 24ヶ月の期間である 10)。痛みは軽減していくが、可動域制限が残存することが多い。  治療は保存療法が第一選択で、薬物療法、注射療法と併せて運動療法が行われる。疼痛の強い時期は安静と夜間の保温などとともにステロイドや局所麻酔薬の注射などの積極的な鎮痛治療を行う。症状の慢性化とともにステロイドなどは減量し、注射間隔も大きくして運動療法を開始する 2,4)。 2.我が国におけるマッサージ療法の状況  我が国にヨーロッパからマッサージ療法がもたらされたのは 1885年(明治 18年)に橋本綱常によってである 11,12)。ヨーロッパの医事制度を視察した橋本が帰国した際に、『臨床医学各種訓練に於けるマッサージ及びその応用』 Die Massage und ihre Verwendung in den verschiedenen disziplinen der praktischen Medizin(ライプマイヤー著・ドイツ刊)を持ち帰ったのである 11)。その後、長瀬時衡は、 1886年(明治 19年)頃にこの書籍に従ったマッサージ療法を広島の博愛病院の産婦人科で行い、 1892年(明治 25年)に東京で仁寿館を設けてマッサージ医療に取り組んだ 12)。また、 1891年(明治 24年)には、東京盲唖学校鍼按科の卒業生である富岡兵吉が帝国大学付属医院の「按摩方」に採用された 11,12)。その後、医療マッサージは各地の病院に広がり、長年にわたり整形外科などの領域で重要な役割を担ってきた。このように行われてきた医療マッサージは、按撫法(軽擦法)・揉捏法・按捏法(強擦法)・圧迫法・振せん法・叩打法の基本 6手技に運動療法や治療体操も含めた総合的な治療法として発展してきた 12,13)。 1990年には病院で従事するマッサージ師は 7040名を数えピークに達した 14)。  しかし、その後は減少に転じ、 2015年にはピーク期の 5分の 1を割り込む 1388名となった 15)。その最大の理由は医療保険からマッサージ療法に対して支払われる診療報酬の引き下げである。 1981年の改定により、それまでの出来高払いであった病院でのマッサージが「消炎・鎮痛を目的とする物理療法」として、温熱療法や赤外線治療等と包括されたため、マッサージと温熱療法を併用しても何部位にマッサージを施術しても 30点しか支払われなくなってしまった。 1983年には「消炎・鎮痛を目的とする物理療法」の点数が 35点に引き上げられはしたものの、それから点数は据え置かれたままで現在に至っている。 3.マッサージ療法の研究の状況  このままでは、マッサージ療法という日本で育まれた貴重な医療文化の一つが消滅してしまいかねない。医療マッサージの再生を図るためには、マッサージの有効性を客観的に説明できる科学的な根拠を示す必要がある。海外においては、マッサージ療法が血中のオキシトシンの放出を増大させること 16)、血中コルチゾルを減少させること 17)、 β-エンドルフィンを増大させること 18)、炎症系サイトカインを減少させること 19)などが報告されている。しかし、我が国ではマッサージ療法の臨床研究は緒についた段階 20)で、運動器系の疾患に対する臨床研究は、慢性膝痛や変形性膝関節症への有効性の報告 21,22)がある程度である。  あん摩・マッサージ・指圧の臨床では肩関節周囲炎による肩関節の痛み・可動域制限を有する患者に施術する機会が多く、その治療効果も良い感触を得ているものの、少なくとも肩関節に対するマッサージ療法の有効性を検討した報告は我が国では見当たらない。 4.研究の目的  上記の背景を踏まえ、肩関節周囲炎による肩関節の痛み・可動域制限に対する運動療法を含めたマッサージ療法(以下、マッサージ療法と略す)の累積効果を検証するために症例集積を行うこととした。 Ⅱ.研究成果の概要 A.方法 1.デザイン  肩関節周囲炎による肩関節の痛み・可動域制限を有する患者にマッサージ療法を行う。これを 9~ 12週実施して、マッサージ療法の効果を検証した。 2.実験の場所 筑波技術大学東西医学統合医療センター(以下、本学医療センターと略す)の臨床研究室及びリハビリテーション室で実施した。 3.研究期間 2018年 12月 10日~ 2019年 3月 15日 4.役割分担 菅原 寿彦 総括的業務、マッサージ療法の実施 藤井 亮輔 総括的業務、研究指導、実験補助 野口 栄太郎 実験補助、データ解析 木下 裕光 研究参加者の診断と病態把握 佐久間 亨 運動療法の実施、治療成績の評価、データ管理 杉田 洋介 運動療法の実施、治療成績の評価 伊藤 正明 研究参加者の診断と病態把握 5.研究参加者及び被験者 ( 1)研究参加者 選択条件と除外条件を下記のとおり定めて 2018年 12月 2日から 2019年 1月 24日まで研究参加者を募集した。本実験の趣旨に賛同した上で、研究に関する事前説明を受けて文書での同意を得た成人 7名を研究参加者として介入を開始した(表 1-1)。内訳は男性 4例、女性 3例の合計 7例 7肩で、右 4肩、左 3肩であった。年齢の中央値は 69.0歳であった。 【選択条件】 ・本学医療センター整形外科にて肩関節周囲炎と診断され、肩周囲の痛みまたは可動域制限の症状を有する者 【除外条件】 ・ MRIによる画像診断で腱板断裂やインピンジメント症候群等の器質的病態と診断された者 ・本学医療センターの医師による診察で肩関節に急性の炎症所見が認められた者 ・肩の外傷や手術の既往のある者 ・両肩の周囲に痛みまたは可動域制限の症状を有する者 ・膠原病など重篤な疾患を有する者 ・質問への回答が困難な者(高度な認知症や精神疾患を有する者) 表 1-1 研究参加者 (表) ( 2)被験者  症例 5は介入開始後に他の疾患を理由として研究の参加を辞退した。また、症例 6と症例 7は MRI検査の結果、それぞれ腱板部分断裂、腱板断裂が判明したために除外とした。この 3名を脱落として扱い、結果、被験者は 4名となった(表 1-2)。内訳は男性 3例、女性 1例の合計 4例 4肩で、右 2肩、左 2肩であった。年齢の中央値は 63.0歳であった。以下、この 4症例について報告する。 表 1-2 被験者 (表) 6.評価項目 下記( 1)、( 2)は毎週、( 3)、( 4)は 1・ 3・ 6週目及び最終週の介入前の 4回実施した。 ( 1) VAS( Visual Analog Scale)  被験者が過去 24時間以内にもっとも強く感じた痛みを VASで評価した。 ( 2) ROM( Range of Motion)  1週目は両側の、それ以降は患側のみの ROMを計測した。痛みのない範囲で肩関節の自動運動を行わせてその可動域を計測した。計測項目は屈曲、外転、外旋(上腕下垂位)、内旋の 4項目とした。計測には長軸のゴニオメータ ―を用いた。なお、内旋可動域は判定対象側の母指で指し示すことができるレベルにより、以下の 6段階の評定尺度で数値化した(表 1-3)。この運動は肩関節の内旋に加え伸展を含む複合運動であるが、計測の便宜上、下記「( 3) Constant Score」の内旋の評価方法を採用することとした。 表 1-3 肩関節内旋可動域の評定尺度 ( 3) Constant Score  Constant Score(以下、 CSと略す)は、ヨーロッパで広く用いられている肩関節の機能評価法の一つで、下記の 4項目の合計点で評価する 3,23)。満点は 100点で、点数が高いほど機能障害が少なく、点数が低いほど機能障害が大きいとされる。外転筋力の計測には酒井医療株式会社製のハンドヘルドダイナモメーター( MT-100)とプルセンサー( MT-150)を使用した。 【評価項目】 ・痛み項目  15点 ・ ADL項目  20点 ・運動範囲項目 40点 ・外転筋力  25点 ( 4)患者立脚肩関節評価法 Shoulder 36 V1.3  患者立脚肩関節評価法 Shoulder 36 V1.3(以下、 Shoulder 36と略す)は、肩関節の機能障害の重症度を評価するもので、日本整形外科学会および日本肩関節学会から公表されている。肩の主観的な重症度を評価するために 36項目を 5段階で回答する形式の質問紙で、それぞれの項目を疼痛、可動域、筋力、健康感、日常生活機能、スポーツ能力の 6領域に振り分けて各領域の平均値で評価する 24)。  被験者に評価票を手渡して自身で記入してもらう形式で評価した。 7.実験手順(図 1) [1]受付 ・Shoulder 36の記入及び回収。 [2]評価  被験者がリハビリテーション室に入室後に評価者が VAS、 ROM、 CSの測定を実施した。評価者は当該被験者を担当する理学療法士とし、担当は固定した。 [3]マッサージ療法 ①運動療法の実施  上記の担当理学療法士が保険診療として運動療法を実施した。施術は、スリングにて上肢を免荷した状態での肩関節の自動運動や他動運動、ダンベルを用いての筋力訓練などを病態に合わせて実施した。 ②マッサージ施術の実施  下記、「 8.マッサージ施術の方法」を参照のこと。 [ 4]被験者退室 (図) 受付 Shoulder36 → 評価 ①VAS ②ROM ③CS → マッサージ療法 ①運動療法 ②マッサージ施術 → 退室  図 1 実験手順 8.マッサージ施術の方法  滑剤としてベビーオイル(ジョンソン・エンド・ジョンソン社製)を使用した。施術時間は 15分間とし、各組織への施術時間は病態に応じて柔軟に配分した。施術者は、マッサージの術式、方法、刺激強度等の変動要因を極力最少化する必要があることから、あん摩・マッサージ・指圧師国家免許取得後 10年以上経過した有資格者である同一の者に固定した。施術者の姿位は立位または膝立ち位とした。被験者は、患側の前胸部・上肢帯・上腕を露出させて背もたれのある椅子に座って施術を受けた。なお、被験者が女性の場合は前胸部の露出は施術に最低限必要な範囲(患側の鎖骨下縁下 5cm程度)とした。刺激強度は、被験者に安心と快刺激感を与える程度とし、痛み等の強い刺激感を自覚したときは、すみやかに告知するよう事前に説明した。術式は以下の術式を原則とし、病態に合わせ、組織選択的に手技を行った。(術式の詳細は巻末の付録「肩関節の痛み・可動域制限に対するマッサージ術式」を参照のこと。) 【術式】 ①大胸筋の四指揉捏 ②鎖骨下筋の二指頭揉捏 ③小胸筋の四指頭揉捏 ④僧帽筋の母指揉捏および手根揉捏 ⑤肩甲挙筋の四指頭揉捏 ⑥小菱形筋の母指揉捏 ⑦大菱形筋の母指揉捏 ⑧棘上筋の母指揉捏 ⑨棘下筋の四指頭揉捏 ⑩小円筋の母指揉捏 ⑪広背筋と大円筋の把握揉捏および四指頭揉捏 ⑫肩甲下筋の四指揉捏 ⑬三角筋の揉捏 ⑭上腕二頭筋の四指頭揉捏 ⑮烏口腕筋の四指頭揉捏 ⑯上腕三頭筋長頭の把握揉捏および四指頭揉捏 ⑰胸鎖関節の示指頭強擦および中指頭強擦 ⑱肩鎖関節の母指頭強擦および中指頭強擦 ⑲肩甲上腕関節の母指頭強擦 ⑳烏口突起周囲の示指頭または中指頭強擦 ㉑上腕骨結節間溝の中指頭強擦 ㉒三角筋前縁下および後縁下の四指頭強擦 ㉓肩関節の離開法 ㉔上腕骨頭の滑り法 9.統計学的記述について  統計処理は Excel 2010( Microsoft社製)を用い、上記「 5.評価項目」のアウトカム 4項目については、個々の各ベースラインと 3週目、 6週目、最終週の介入前の数値及び中央値で表した。 10.倫理上の配慮  本研究は、本学医療センター倫理委員会の承認を受けて実施した(承認番号: 201807)。本研究に関連し開示すべき COI関係にある企業等はない。 (1)プライバシーへの配慮 本研究で取得した研究参加者のデータは以下の 5項目である。 ①個人属性(氏名、性別、年齢、発症年月) ②ROM ③VAS ④CS ⑤Shoulder 36  上記の個人情報と解析で得られたデータの管理は共同研究者(佐久間亨)の 216号研究室(筑波技術大学春日キャンパス内)において行われた。  また、本研究で扱う紙媒体データについては、筑波技術大学春日キャンパス 216号研究室の施錠可能な書架に保管している。電子媒体データについては、デスクトップ型コンピュータのハードディスク(パスワード認証設定)に保存した後、指導教員の研究室(筑波技術大学春日キャンパス内 322号室)で保管しているが、指導教員の 2020年 3月末の退職に伴い、同年 4月以降は、共同研究者の 216号研究室の施錠可能な書架に移して保管し、 5年間保存した後、解体処理して廃棄する。また、取り扱うデータは整理番号による匿名化を行った。 ( 2)身体面、精神面等への配慮 介入前後に行う評価・測定は研究参加者に身体面・精神面等で過度な負担を与えるものではないこと、介入で行うマッサージの術式では力加減により痛みを感じたりマッサージ後にだるさや痛み(揉み返し)を自覚したりする場合があること、これらの症状はいずれも一時的なもので自然に回復するものであること、万一、気分不良等の有害事象が生じた場合は速やかに実験を中止するとともに、必要に応じ適切な処置を行う体制ができていること等を事前に説明した。 なお、本研究に際し副作用などの有害事象に関する研究参加者からの申し出などはなかった。 ( 3)研究参加者の同意を得る方法 前項( 2)の内容の説明を行った上で、同意書への署名をいただいた。この際、本研究の研究参加者になるか否かは任意であって自由意志が尊重されること、研究参加者となることに同意しない場合でも不利益を受けることは一切ないこと、いったん同意した場合であっても一切の不利益を受けることなくいつでも同意を撤回することができることを、文書と口頭で事前に説明した。 B.症例報告 ◎症例 1 69歳男性 【現病歴】 X年 5月頃から右肩に痛みが出て挙上が困難になってきたが、農作業が忙しく特に治療はせずに様子を見ていた。冬になり、時間に余裕ができたので同年 12月に本学医療センター整形外科を受診し、肩関節周囲炎と診断された。受診の翌週から介入を開始した。 【現症】 ・痛みの部位:右肩峰角の直下の深層で局在が不明瞭 ・夜間痛:あり ・動作時痛:あり ・結帯動作:困難 ・ ADLへの影響:Tシャツの脱衣時に痛みあり。 ・インピンジメントテスト:(-) ・ヤーガソンテスト:(-) 【他の介入】 ・介入 10週目より漢方薬を服用 【経過】  介入開始から 3週目まではほとんど症状に変化はなかった。 4週目は本学医療センターが冬期休業のために介入・評価を実施できなかった。 5週目は担当理学療法士が不在のために評価と運動療法は実施せずにマッサージ施術のみを行った。 6週目からは痛みが軽減してきた。 7週目は抜歯手術の入院のために介入はできなかった。 9週目にはTシャツの脱衣時の痛みが消失。 10週目には日中・夜間ともにほとんど痛みが気にならなくなり、起床時に痛みが気になる程度となった。 12週目では起床時の痛みは残存したものの、動作時痛は生活に支障がない程度となり、治療は終了となった。 表 2 肩関節 ROMと VASの推移(症例 1) (表) *)内旋可動域は判定対象側の母指で指し示すことができるレベルにより、以下の 6段階の評定尺度で数値化した。 肩甲間部:6 第12胸椎:5 腰部:4 仙腸関節:3 殿部:2 大腿外側:1 表 3 CSの推移(症例 1) (表) 表 4 Shoulder 36の推移(症例 1) (表) 【結果】  1 週目と最終週(12 週目)を比較すると、VAS は78mm から11mm と当初の15%以下に軽減した(表 2)。 ROMは外旋で 30度から 25度とやや悪化したものの、屈曲は 140度から 165度、外転は 170度から 175度、内旋は 4(腰部)から 5(第 12胸椎棘突起)へと改善した(表 2)。 CSの総得点は 72点から 93点と 29%高くなった。内訳では主観項目( A+ B)が 16点から 33点と 106%増加したのに対し客観項目( C+ D)は 56点から 60点と 7%の増加にとどまった(表 3)。 Shoulder 36はすべての領域で得点が上昇し、特に可動域、筋力、健康観、日常生活機能は満点の 4.0点となった。 【小括】  本症例は肩の可動域制限がそれほど強くないものの疼痛が強いのが特徴であった。疼痛は局在が不明瞭で肩関節の深部から感じるということであった。そのため、肩関節周囲の軟部組織の循環を改善して疼痛を緩和し、関節拘縮の進行を抑えることを目標として介入を開始した。結果として運動時痛はほとんどなくなり、 ROMも健側と同程度まで回復し、日常生活や仕事にも支障がなくなった。関節拘縮に移行する前の適切な時期に介入を開始したことが良い成績につながった症例と考える。 ◎症例 2 66歳男性 【現病歴】  X年 2月頃から左肩が痛むようになった。それほど痛みが強くなく生活にも影響がないので様子を見ていたが、痛みがなくならないので、同年 12月に本学医療センター整形外科を受診し、肩関節周囲炎と診断され、翌週より介入が開始された。 【現症】 ・痛みの部位:左肩峰外端の直下の深層で局在が不明瞭 ・夜間痛:なし ・動作時痛:あり ・結帯動作:やや困難 ・ ADLへの影響:自家用車の運転席に座ったままで後部座席に置いた荷物を取る際に左肩が痛む。 ・インピンジメントテスト:(+) ・ヤーガソンテスト:(+) 【他の介入】 ・なし 【経過】  介入開始時は屈曲 90度付近で引っかかる感じがあった。 2週目は本学医療センターが冬季休業のため、 3週目は担当理学療法士が不在のために介入・評価を実施しなかった。 6週目にはインピンジメントテスト・ヤーガソンテストが陰性となった。 7週目には上記の動作での痛みはあるものの軽減してきた。 12週目には上記の動作での痛みは少しあるものの行えるようになったため、治療は終了となった。 表 5 肩関節 ROMと VASの推移(症例 2) (表) *)内旋可動域は判定対象側の母指で指し示すことができるレベルにより、以下の 6段階の評定尺度で数値化した。 肩甲間部:6 第12胸椎:5 腰部:4 仙腸関節:3 殿部:2 大腿外側:1 表 6 CSの推移(症例 2) (表) 表 7 Shoulder 36の推移(症例 2) (表) 【結果】  1週目と最終週( 12週目)を比較すると、 VASは 12mmから 9mmと当初の 75%に軽減した(表 5)。 ROMについては屈曲は 180度から 175度とやや悪化したものの、外転は 90度から 175度、外旋は 55度から 70度、内旋は 4(腰部)から 5(第 12胸椎棘突起)へと改善した(表 5)。 CSの総得点は 86点から 97点と 12%高くなった。内訳では主観項目( A+ B)が 31点から 34点と 9%の増加に対し客観項目( C+ D)は 55点から 63点と 14%増加であった(表 6)。 Shoulder 36は全ての領域で得点が上昇し、特に可動域、筋力、健康観、スポーツ能力の 4項目は満点となった(表 7)。 【小括】  本症例は疼痛が少ないものの、外転制限が強いのが特徴であった。この外転制限は 90度付近で痛みがあるものの、痛みを我慢すればほぼ健側と同程度に挙上できる状態であったため、外転時に大結節が肩峰あるいは烏口肩峰靭帯を通過する際の痛みと考え、大結節に停止する棘上筋・棘下筋・小円筋を治療対象と考えた。また、 ADLでは自家用車の運転席に座ったまま後部座席に置いた荷物を取る時に痛むということであった。治療前にその動作を再現して確認したところ、肩関節の伸展+外旋での痛みであった。そこでその動作に関わる上腕三頭筋や棘下筋・小円筋と、それらの拮抗筋である上腕二頭筋や広背筋・大円筋・肩甲下筋に重点をおいてマッサージを実施することとした。最終週には症状は軽減し、後部座席の荷物を取る動作での痛みも消失した。介入開始時点で発症から 10ヶ月経過していたことや、疼痛が少なく可動域制限が見られたことから、軽度の関節拘縮が症状の原因であった可能性が高いと思われる。本症例は軽度の関節拘縮に対して介入を行い、その結果として症状が軽快した症例と考える。 ◎症例 3 45歳男性 【現病歴】  X年 2月頃から左肩が痛むようになった。同年 3月に本学医療センターを受診し、肩関節周囲炎と診断された。夜間痛があり、屈曲・外転で痛みが強く、 ROMは屈曲 150度、外転 150度、外旋 60度であった。翌週より保険診療としての運動療法が開始された。外転 90度付近での痛みが残存するも可動域制限がなくなった状態となり、同年 8月に運動療法は終了となった。その後も可動域制限はないものの運動時痛が残存し、趣味のスポーツへの影響があったため、同年 12月に本学医療センター整形外科を再受診し、肩関節周囲炎と診断され翌週より介入が開始された。 【現症】 ・痛みの部位:左肩峰外端の直下の深層で局在が不明瞭 ・夜間痛:なし ・動作時痛:あり ・結帯動作:正常 ・ ADLへの影響:サッカーボールを受け止める際に左腕の挙上スピードが遅い。 ・インピンジメントテスト:(-) 【他の介入】 ・なし 【経過】  介入開始時は外転 90度付近で違和感が、最終可動域付近で鈍痛があった。 3週目は本学医療センターが冬季休業のために介入・評価は実施できなかった。 5週目には外転 90度付近での違和感や最終可動域付近での鈍痛は消失し、外転・外旋・内旋の最終可動域付近での不快感へと変化した。 6週目にはマッサージ施術の際にあった圧痛が消失した。 7週目には動作時の痛みや不快感が消失し、挙上のスピードが健側と変わらないまでに回復した。 12週の期間満了により治療を終了した。 表 8 肩関節 ROMと VASの推移(症例 3) (表) *)内旋可動域は判定対象側の母指で指し示すことができるレベルにより、以下の 6段階の評定尺度で数値化した。 肩甲間部:6 第12胸椎:5 腰部:4 仙腸関節:3 殿部:2 大腿外側:1 表 9 CSの推移(症例 3) (表) 表 10 Shoulder 36の推移(症例 3) (表) 【結果】  1週目と最終週( 12週目)を比較すると、 VASは 32mmから 5mmと 16%以下にまで軽減した(表 8)。 ROMは、外旋は 70度から 65度と若干悪化したものの、屈曲は 180度から 180度、外転は 180度から 180度、内旋は 6(肩甲間部)から 6(肩甲間部)と良好な状態を維持した(表 8)。 CSの総得点は 90点から 99点と 10%高くなった。内訳では主観項目( A+B)が 29点から 34点と 17%増加したのに対し客観項目( C+ D)は 61点から 65点と 6%の増加にとどまった(表 9)。 Shoulder 36は疼痛、筋力の 2領域では満点の 4.0点の良好な状態を維持し、その他の 4領域は全て改善して満点の 4.0点となった(表 10)。 【小括】  本症例は疼痛がややあるものの可動域制限がなく、日常生活動作には全く問題がなかった。しかし、趣味のサッカーにおいてゴールキーパーをする際の左腕の挙上の時の痛みがあり、その改善を望んでいた。当初は外転時の局在が不明瞭な鈍痛を訴えていたため、上腕骨大結節に付着する棘上筋・棘下筋・小円筋や腱板部への施術に重点をおいて施術することとした。 9週目にはかなり疼痛も軽減し、スポーツへの影響もなくなってきた。本症例は介入の 10ヶ月前に発症し、本学医療センターリハビリ部門で約 6ヶ月間の運動療法を受けていた。患者様によると発症当時からしばらくは疼痛がかなり強く、その頃にマッサージを受けたかったとのことであった。最初の保険診療による運動療法の終了時( X年 8月)の際には可動域制限はなくなっていたものの運動時痛は残存していた。こうしたことから本症例はごく軽度の関節拘縮があり、そのために運動時痛が起きていたと推察する。また、運動時痛が残存していたことから腕を以前より動かさなくなっていたために筋力の低下や筋の循環不全を生じていたことも考えられる。今回の介入により肩関節周囲の軟部組織の循環が改善し疼痛が軽減したことと、筋力訓練を中心とした運動療法の効果と相まって症状が改善したものと考える。 ◎症例 4 60歳女性 【現病歴】  X年 10月から右肩が痛むようになった。腰痛もありその治療も受けたいと思い、翌年 1月に本学医療センター整形外科を受診した。肩関節周囲炎と診断され翌週から介入が始まった。 【現症】 ・痛みの部位:右肩峰外端の直下の深層、上腕後外側 ・夜間痛:なし ・動作時痛:あり ・結帯動作:困難 ・ADLへの影響:洗濯物を干すのがつらい。 ・インピンジメントテスト:(+) ・ヤーガソンテスト:(-) 【他の介入】 ・腰痛に対する鍼治療を併用 【経過】  介入当初より上記の3例に比べて動作時痛や圧痛の所見が強く見られた。腰痛の発現を心配して椅子からの立ち上がりも慎重な様子であった。なお、腰痛に対しては本学医療センター鍼灸部門にて鍼治療を行い、その際には右頸肩部には鍼施術をしないようにした。週 1回の介入を 9週行い、実験期間終了のためにマッサージ施術は終了となった。介入を重ねても ROMの改善は見られなかったものの、運動時痛は少しずつ軽減していった。そのために ROMの数値に変化はないものの動きやすさは改善していた。介入終了時には特に屈曲の運動時痛は軽減が顕著で、洗濯物を干すのが楽になったとのことであった。実験期間終了後は保険診療としての運動療法と鍼灸部門での鍼治療は継続した。 表 11肩関節 ROMと VASの推移(症例 4) (表) *)内旋可動域は判定対象側の母指で指し示すことができるレベルにより、以下の 6段階の評定尺度で数値化した。 肩甲間部:6 第12胸椎:5 腰部:4 仙腸関節:3 殿部:2 大腿外側:1 表 12 CSの推移(症例 4) (表) 表 13 Shoulder 36の推移(症例 4) (表) 【結果】  1 週目と最終週(9 週目)を比較すると、VAS は75mm から25mm と34%に軽減した(表 11)。 ROMは屈曲は 130度から 120度、外転は 115度から 100度とやや悪化し、外旋は 70度から 75度、内旋は 4(腰部)から 5(第 12胸椎棘突起)と若干の改善が見られた(表 11)。 CSの総得点は 47点から 63点と 34%高くなった。内訳では主観項目( A+ B)が 16点から 30点と 87%の増加に対し客観項目( C+ D)は 31点から 33点と 6%の増加であった(表 12)。 Shoulder 36は疼痛、筋力の 2領域では得点は変わらなかったものの、その他の 4領域では得点が悪化した(表 13)。 【小括】  本症例は上記の3 例に比べて発症から介入開始までが3ヶ月と短く、疼痛も可動域制限も強く出ていた。介入開始時の病期は freezing phaseと考え、疼痛を緩和させて拘縮への移行を抑制することを目標とした。肩全体の重だるさも訴えており、肩関節周囲の軟部組織の循環改善により筋の過緊張の緩和と疼痛の軽減を目的として肩全体にマッサージ施術を行うこととした。他の 3例と同様に VASと CSはかなりの改善が見られたが、 ROMと Shoulder 36は悪化傾向が見られた。  この症例は、病期が freezing phaseから frozen phaseに移行する次期と重なり関節拘縮が発症したことが ROM悪化の主な原因と考えられる。最終週のマッサージ施術前の動作の観察では関節拘縮の影響は少なかったと思われたが、画像診断などは実施していないので関節拘縮の程度はわからない。さらに、まだ発症から 5ヶ月しか経過しておらず、これから関節拘縮が強くなっていくことも十分に予想される。 C.4症例の結果の総括 1. VAS  VASの中央値は、 1週目(介入開始前の値)が 53.5mm、 6週目が 30.0mm、最終週が 10.0mmとなり、 4例全例において 1週目より最終週の値が下がり、介入後、一貫して経過と共に低下する傾向を認めた(表 14、図 2)。 表 14 VASの推移 (表) (図) 図 2 VAS値(第 1週と最終週の比較) 2. ROM  ROMの中央値では計測した全ての項目で 6週目、最終週ともに改善したものの、各症例ごとのばらつきが大きい結果となった(表 15-18)。そうしたなか、内旋では 4例のうち 3例で改善が認められ、残りの 1症例では治療前から肩甲間部まで指し示すことができる状態が最終週まで維持できていた(表 18、図 3)。しかし、それ以外の屈曲・外転・外旋では改善傾向を示す例もあれば悪化傾向にある例もあり、ばらつきが大きかった(表 15-表 17)。 表 15 ROMの推移(屈曲) (表) 表 16 ROMの推移(外転) (表) 表 17 ROMの推移(外旋) (表) 表 18 ROMの推移(内旋) (表) *)内旋可動域は判定対象側の母指で指し示すことができるレベルにより、以下の 6段階の評定尺度で数値化した。 肩甲間部:6 第12胸椎:5 腰部:4 仙腸関節:3 殿部:2 大腿外側:1 (図) 図 3 内旋の ROM(評定尺度)(第 1週と最終週の比較) 3. Constant Score  総得点は介入前の 1週目の中央値が 79.0点から 6週目 92.5点、最終週 95.0点と経過と共に一貫して改善傾向を示し、特に 3例では最終週までに健側と同等かそれ以上の点数まで改善した(表 19、図 4)。  得点を主観項目と客観項目に分けて分析すると、疼痛と ADLで構成される主観項目の方が運動範囲と外転筋力から構成される客観項目よりも大きく改善していた(表 20、表 21)。主観項目では、全ての症例で 1週目より最終週の得点が高くなっていた(表 22、表 23、図 6、図 7)。 表 19 CSの推移(総得点) (表) 表 20 CSの推移(主観項目: A疼痛+ B日常生活) (表) 表 21 CSの推移(客観項目: C可動域+ D筋力) (表) 表 22 CSの推移( A疼痛) (表) 表 23 CSの推移( B日常生活) (表) 表 24 CSの推移( C可動域) (表) 表 25 CSの推移( D筋力) (表) (図) 図 4 Constant Score(総得点)(第 1週と最終週の比較) (図) 図 5 Constant Score(主観項目)(第 1週と最終週の比較) (図) 図 6 Constant Score(疼痛)(第 1週と最終週の比較) (図) 図 7 Constant Score( ADL)(第 1週と最終週の比較) 4. Shoulder 36  中央値で比較すると、全領域で介入前の 1週目よりも最終週の値の方が高い結果となり改善傾向を示した(表 26-表 31)。各症例ごとに 1週目と最終週の得点を比較すると、症例 1・症例 2・症例 3では全ての項目で得点が上昇または満点である 4.0点を維持していたが、症例 4では 2項目では得点を維持していたものの 4項目では得点が低下する結果となった。 表 26 Shoulder 36の推移(A疼痛) (表) 表 27 Shoulder 36の推移( B可動域) (表) 表 28 Shoulder 36の推移( C筋力) (表) 表 29 Shoulder 36の推移( D健康観) (表) 表 30 Shoulder 36の推移( E日常生活機能) (表) 表 31 Shoulder 36の推移( Fスポーツ能力) (表) D.考察  一般に明確な原因がなく肩関節の疼痛や可動域制限を生じるものを肩関節周囲炎とし、特に中年以降に生じたものを “いわゆる五十肩 ”と呼んでいる。その病態は、肩の軟部組織の退行性変化が主な原因と考えられている。肩関節においてその構造から退行性変化を起こしやすい部位は腱板と上腕二頭筋長頭腱である 25)。上腕挙上時は、烏口突起・烏口肩峰靱帯・肩峰で構成されるアーチが、深層にある肩峰下滑液包・腱板・上腕骨大結節を押さえ込む滑車のように働いて上腕の挙上を可能としている 26)。この際に、棘上筋腱と烏口上腕靭帯までの部分の腱板は肩峰と骨頭との間で圧迫を受けて変性を起こしやすい critical areaとなっている 4,25)。また、その付近の、烏口突起外側の肩甲下筋腱と棘上筋腱の間隙に腱板疎部があり、外傷を受けやすく炎症が波及しやすい部分となっている 4)。腱板が変性すると腱板を構成する棘上筋などが三角筋に対して微妙な筋力低下を起こし、上腕骨頭が三角筋に引っ張られて肩峰にインピンジメントして腱板炎が生じ、二次的に肩峰下滑液包炎を引き起こす 4,25)。一方、上腕二頭筋長頭腱は肩甲骨の関節上結節から起始して上腕骨頭の上を直角に方向を変えて結節間溝を通り、下行してから筋へと移行し短頭と合流して上腕二頭筋となっている。上腕二頭筋長頭腱は摩擦を少なくするために筒状の滑液包で包まれてはいる 4)が、摩耗・損傷により炎症や変性を起こしやすく、これらが二次的に腱板炎やその他の滑液包炎へとつながる 25)。このように腱板や上腕二頭筋長頭腱に起因した炎症が疼痛と運動障害を引き起こし、二次的に肩峰下滑液包をはじめとした肩の滑液包、烏口上腕靱帯、関節包などの軟部組織に炎症が波及していく。それらの炎症が慢性化した場合、滑液包や関節包が癒着して関節拘縮の症状を呈することになる。  今回報告した 4症例のうち、症例 1・症例 2・症例 3は発症から介入開始までに 7~ 10ヶ月経過しており、炎症が収束した frozen phaseに介入を開始したものと思われる。これに対し、症例 4は発症から介入開始までの期間は 3ヶ月しか経過しておらず、炎症が継続している状態である freezing phaseに介入を開始したものと思われる。介入終了時点では発症から 5ヶ月で freezing phaseから frozen phaseへの移行期であったと思われる。その点を踏まえて考察を進めていきたい。 1.疼痛の軽減について  報告した症例は介入 1週目の VAS値は 12mmと小さいものから 78mmと大きいものとかなりの差があったが、全ての症例において改善傾向が認められた。このことから、肩関節周囲炎が freezing phaseや frozen phaseの場合であっても、また、疼痛が強い場合やそれほど強くはない場合であっても、マッサージ療法による介入が疼痛の軽減に有効であることが示唆された。こうした鎮痛のメカニズムとしては、筋の攣縮の抑制による筋内や肩関節周囲の軟部組織の循環改善、マッサージによるオキシトシンや β-エンドルフィンの分泌増加などが関与するものと推察する 16,18)。 2. ROMについて  ROMについては症例ごとにばらつきが大きく、介入による効果を認められなかった。これは病期や可動域制限の程度が症例ごとにかなり異なっていたことが大きな影響を及ぼしたものと思われる。可動域制限が、筋の攣縮や循環不全などによる疼痛を原因とする場合には、マッサージ療法による鎮痛効果の結果として早い段階での ROM改善が期待できる。一方、関節包や滑液包の癒着などの器質的な変化による関節拘縮により可動域制限が起きている場合は、マッサージ療法による、線維化した関節包や滑液包のリモデリング促進の効果が出て ROMが改善するまでに上記よりも長い期間が必要だったのではないかと考える。また、今回実施したマッサージ療法の術式では、肩を肩関節複合体として捉えて、肩甲上腕関節だけでなく胸鎖関節や肩鎖関節、肩甲骨に付着する筋、その他の軟部組織へも施術した。肩甲上腕関節の動きをその他の動きで代償しやすくすることで、肩関節複合体として肩全体の ROMを改善し、 ADL動作をしやすくする効果もあったものと思われる。 3. Constant Scoreについて  主観項目と客観項目に分けてみると、主観項目の改善が大きかった。また、主観項目の得点を症例ごとに見ると、疼痛項目とともに ADL項目も全ての症例で 1週目より最終週の得点の方が高い結果となった。最近の医療現場では ADLの向上が重要視されている。介護保険制度ではバーセルインデックスを指標として、「個別機能訓練加算Ⅱ」や「 ADL等維持加算」の算定に際し、 ADLがどの程度改善したかを重視する「成果主義」に変更されている現状がある。今回の結果は肩関節周囲炎患者に対する ADL向上プログラムの一環としてのマッサージ療法の可能性を示すものと考える。 4. Shoulder 36について  症例 1・症例 2・症例 3では明らかな改善が見られものの、症例 4では維持している領域もあったが、やや悪化している領域もあった。症例 4は他の 3例と病期が異なったためにそれを除いた 3例でみると、 VASや ROM、 CSといった客観的評価と同様に、被験者の主観的評価もかなり改善した。近年は検査などによる客観的評価だけでなく患者の主観的評価も重要視されており 27)、その点からもマッサージ療法の有効性が示唆されたものと考える。 5. MRIによる画像診断について  通常の整形外科の診療では肩関節の痛み・可動域制限を訴える患者に行う画像診断は単純 X線が一般的である。しかし、これでは腱板断裂の有無が診断できない。そこで、本研究は研究参加者に MRIによる画像診断を実施した。肩関節周囲炎の前向きの臨床研究で MRIによる画像診断を実施した研究は見当たらない。画像診断の結果、 2名に腱板断裂または腱板部分断裂があることが判明した。このことから、日常の臨床においても肩関節周囲炎の患者にはかなりの頻度で腱板断裂・腱板不全断裂の患者が混在していることが予想される。また、今回の研究では介入開始から MRI検査による診断がなされるまでにある程度の期間があったため、除外した 2名にも介入を行った。ここで具体的な治療成績は述べないが、少なくともマッサージ療法は効果がありそうな感触を得たことを付記しておきたい。 6.課題と限界について  本研究では被験者が 4人にとどまったため、マッサージ療法の有効性を 2群間で比較する試験の実施は困難となり症例集積研究を余儀なくされた。また、その症例数の少なさのためにアウトカム解析で統計学的な検定を実施できずに中央値での比較に留まらざるを得ず、上で示した結果の信頼性には一定の限界性は否めない。これは実験対象者の募集期間を 2ヶ月しか確保出来なかったことによるものである。限られた研究期間の中で実験期間を 9~ 12週間としたためにこれ以上の募集期間をとることが出来なかった。肩関節周囲炎の治療に関する様々な研究を見ると、 12週間程度の介入期間で効果の判定をしているものが多く見られる。そこで今回の研究でもそのように介入期間を設定した。今回の結果からは妥当な判断であったと思う。ただ、当初はその実験期間の長さから実験への参加を断る患者が多数出るかもしれないと危惧していたが、結果として実験への参加を断る患者は一人もいなかった。今後の研究では、募集期間を 6ヶ月程度確保したり、症例数が 10症例以上になるまで募集を続けるなどして一定以上の症例数を集められるようにしていきたい。  ただ、症例数を増やすうえで考えておかなければならないのが、 MRI検査の費用負担のための研究費の確保である。先述のとおり通常の診療では肩関節周囲炎の診断では MRIによる画像診断は行われない。その場合、肩関節周囲炎と診断された患者に腱板断裂の患者が混在している可能性があり、そうした症例を除外するために今回は自由診療として MRI検査を患者に受けていただき、その費用を研究費用から支出した。実際に 7症例中 2症例で腱板断裂の所見があり除外となった。そうしたことから肩関節周囲炎の治療効果を検証する研究では MRI検査は必要であることが確認できた。今後、症例数を増やして研究を進めるためには研究費用の確保が解決すべき大きな課題の一つとなる。  その他、今回の研究において、肩関節周囲炎の発症から介入までの期間や症状の程度のコントロールができていなかったことも課題である。これもアウトカムに大きなばらつきが生じた一因である。さらに、漢方薬や腰痛への鍼治療などの他の介入を排除できなかったことにより、マッサージ療法以外の効果も混在してしまった可能性があることも反省すべき課題であった。 最後に、評価に関する課題を挙げておきたい。それは、運動療法の担当者と評価担当者が同一であったために、評価にバイアスがかかってしまった可能性が完全には否定できないことである。今回は評価のみを担当する人員を割けなかったためにやむを得ないことではあったが、評価の公正さを確保するためにはこの点も今後の大きな課題と考えている。こうした課題を解決したうえで、よりエビデンスレベルの高い、対象群をおいての比較研究に発展させていきたい。 E.結論  肩関節周囲炎による肩関節の痛みと可動域の制限及び ADLの改善に、マッサージ療法が有効である可能性が示唆された。 謝辞  最後に、本研究の趣旨をご理解のうえ、奨学寄付金を賜りました公益社団法人日本あん摩マッサージ指圧師会の安田正和会長をはじめ、関係者各位に厚く感謝申し上げます。また、様々なご配慮とご協力を賜りました本学医療センターのスタッフの皆様、そして、本研究に進んでご参加いただきました患者様に厚く御礼を申し上げ感謝の意を表します。 【参考文献】 1) 藤井亮輔 ,指田忠司 ,吉泉豊晴 ,他 .鍼灸マッサージ業における視覚障害者の就業動向と課題 .障害者職業総合センター調査研究報告 . 69:19-72.2005. 2)社団法人日本理学療法士学会ホームページ .理学療法診療ガイドライン第1版 http://jspt.japanpt.or.jp/guideline/1st/. 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Accesse; 2019.8.1. 25)三笠元彦 .五十肩の定義 ,病態と変遷 .骨・関節・靱帯 . 14(9); 891-896, 2001. 26)山口光國 ,福井勉 ,入谷誠 .結果の出せる整形外科理学療法 .メジカルビュー社 ,東京 ,2009. 27)小野真平 .医療従事者が満足する治療から患者が喜ぶ治療へ ,患者立脚型アウトカム (Patient-reported outcomes;PROs),研究への扉 .日本医科大学医学会雑誌 , 14(1),8 13.2018. 肩関節の痛み・可動域制限に対するマッサージ術式 Ⅰ.施術方法 ・滑剤としてベビーオイルを使用する。 ・筋への施術は起始部や停止部にもしっかりと行う。 ・近位の筋から施術する。 ・表層の筋から施術する。 ・揉捏は輪状もしくは筋の線維の走行に直角に線状に行うのを原則とする。 ・揉捏の速度は 120回/分程度で行う。 ・筋と筋、腱と腱、筋と腱の間隙にもしっかりと施術する。 Ⅱ.被験者の姿勢 ・被験者を背もたれのある椅子に座らせて坐位で行う。 Ⅲ.術式 ・術式は左肩の施術を例とする。 A.肩甲骨に付着する筋の揉捏法 1.大胸筋の四指揉捏 部位:① 鎖骨部線維 鎖骨内側(3分の1)下縁から上腕骨大結節稜下部 ② 胸肋部線維 胸骨下端外縁(筋の走行上で女性の場合は施術可能な部位)から、上腕骨大結節稜上部 位置:被験者の左側に被験者に向いて立つ(写真1-1)。 施術:右手は被験者の左肩関節後面に置いて固定し、左四指で輪状に揉捏する(写真1-2)。鎖骨部線維は鎖骨内側(3分の1)下縁より筋束の走行に沿って外下方に行う。同筋束は三角胸筋溝から三角筋の下層に進入するので、左四指をその間隙に押し込んで四指が届く範囲で揉捏する(写真1-3)。胸肋部線維は胸骨下端外縁から上腕骨大結節稜上部に向かって行う(写真1-4)。三角胸筋溝の尾側で鎖骨部線維の下層に進入するので、左四指をその間隙に押し込んで四指が届く範囲で揉捏する。始めは四指腹で行い、徐々に四指頭で揉捏する。 (写真) 写真1-1 位置 (写真) 写真1-2 大胸筋鎖骨部線維の四指揉捏 (写真) 写真1-3大胸筋鎖骨部線維の四指揉捏 (写真) 写真1-4大胸筋胸肋部線維の四指揉捏 2.鎖骨下筋の二指頭揉捏 部位:第1肋骨前面から鎖骨胸筋三角部 位置:1.と同じ。 施術:右手は被験者の左肩関節後面に置いて固定し、左示指頭と中指頭で、第 1肋骨が鎖骨下に進入する陥凹部付近から鎖骨下面を上方に押圧しながら、鎖骨胸筋三角部まで揉捏する(写真2)。 (写真) 写真2 鎖骨下筋の二指頭揉捏 3.小胸筋の四指頭揉捏 部位:肩甲骨烏口突起から第3~5肋骨(乳頭の外方) 位置:1.と同じ。 施術:右手は被験者の左肩関節後面に置いて固定し、左四指頭で烏口突起から筋の走行に対し直角に線状揉捏する。烏口突起付近では四指頭を立ててしっかりと小胸筋腱を揉捏する(写真3)。 (写真) 写真3 小胸筋の四指頭揉捏 4.僧帽筋の母指揉捏および手根揉捏 部位:① 上部線維横行線維 第7頸椎棘突起の高さで僧帽筋の前縁から鎖骨外側(3分の1) ② 中部線維 第7頸椎棘突起外側から肩峰 ③ 下部線維 第 12胸椎棘突起外側から肩峰 位置:1.と同じ。 施術:上部線維は左手を被験者の左肩関節前面に置いて固定し、右母指で筋の走行に対して直角に線状揉捏する(写真4-1)。鎖骨への付着部では右手を被験者の左肩関節後面に置いて固定し、左母指で鎖骨に沿って線状揉捏する(写真4-2)。中部線維の施術も上部線維と同様に行い、肩鎖関節内縁からは右手を被験者の左肩関節後面に置いて固定して、左母指頭で肩鎖関節の関節裂隙に沿って線状揉捏する。下部線維の施術は始めに第3胸椎から第 12胸椎棘突起直側の僧帽筋の付着部を右母指で上下に線状に強擦する(写真4-3)。次いで第 12胸椎棘突起直側から肩峰に向けて筋を輪状揉捏する。始めは四指腹で、徐々に手掌揉捏、手根揉捏へ移行する(写真4-4、4-5)。 (写真) 写真4-1 僧帽筋上部線維の線状揉捏 (写真) 写真4-2 僧帽筋鎖骨付着部の線状揉捏 (写真) 写真4-3 僧帽筋下部線維の母指強擦 (写真) 写真4-4 僧帽筋下部線維の手掌揉捏 (写真) 写真4-5 僧帽筋下部線維の手根揉捏 5.肩甲挙筋の四指頭揉捏 部位:肩甲骨上角から第2頸椎横突起後結節を経て下顎骨と乳様突起先端の間の陥凹部 位置:被験者の後方に被験者に向いて立つ。 施術:右手は被験者の右頸部の側面に置いて固定し、左四指で筋の走行に対して直角に線状揉捏する(写真5)。 (写真) 写真5 肩甲挙筋の四指頭揉捏 6.小菱形筋の母指揉捏 部位:第6・7頸椎棘突起外側から肩甲骨内側縁上部 位置:被験者の左側に被験者に向いて立つ。 施術:左手は被験者の左肩関節前面に置いて固定し、右母指で筋の走行に対して直角に線状揉捏する(写真6)。 (写真) 写真6 小菱形筋の母指揉捏 7.大菱形筋の母指揉捏 部位:第1~4胸椎棘突起外側から肩甲骨内側縁 位置:6.と同じ。 施術:上部と下部の2線に分けて6.と同様に行う(写真7-1、7-2)。 (写真) 写真7-1 大菱形筋上部の母指揉捏 (写真) 写真7-2 大菱形筋下部の母指揉捏 8.棘上筋の母指揉捏 部位:肩甲棘内端上縁から肩鎖関節内縁 位置:被験者の後方に被験者に向いて立つ。 施術:右手を被験者の右肩上部に置き、左母指で線状揉捏する。起始部(棘上窩内縁)では肩甲棘に沿って揉捏する。筋腹では筋の走行に対して直角に揉捏する。肩鎖関節内縁の手前では左母指を立てぎみにして母指頭を鎖骨と肩甲棘の間にしっかりと押し込んで筋の走行と同じ方向に揉捏する(写真8)。 (写真) 写真8 棘上筋の母指揉捏 9.棘下筋の四指頭揉捏 部位:肩甲骨内側縁から上腕骨大結節 位置:被験者の左側に被験者に向いて立つ。 施術:左手を被験者の左肩関節前面に置いて固定し、右四指で筋の走行に対して直角に線状揉捏する。棘下部を上部・中部・下部の3線に分けて施術する。上部は肩甲棘内端の下縁から、中部は肩甲棘内端と肩甲骨下角の中点から(写真9-1)、下部は肩甲骨下角から、上腕骨大結節に向かう筋束を筋の走行に対して直角に線状揉捏する。同筋束は肩甲角下方で三角筋の下層に進入するので、その間隙に四指を押し込んで届く範囲で揉捏する(写真9-2)。 (写真) 写真9-1 棘下筋上・中部の四指頭揉捏 (写真) 写真9-2 棘下筋下部の四指頭揉捏 10.小円筋の母指揉捏 部位:肩甲骨外側縁下部から上腕骨大結節 位置:被験者の左側に被験者に向いて片膝立ちとなる(写真10-1)。 施術:左手は被験者の左肩関節前面に置いて固定し、右母指で筋の走行に対して直角に線状揉捏する(写真10-2)。肩甲骨の外側縁では小円筋を肩甲骨外側縁に押し付けるようにしながら行う。 (写真) 写真10-1 位置 (写真) 写真10-2 小円筋の母指揉捏 11.広背筋と大円筋の把握揉捏および四指頭揉捏 部位:肩甲骨外側縁下部から上腕骨小結節 位置:10.と同じ。 施術:術者の左肩に被験者の左上腕を載せて外転 90度・水平内転 45度程度の肢位を取らせる(写真11-1)。術者の左手は被験者の左肩関節前面に置いて固定する。右四指を被験者の背側から肩甲骨下角にあて、腹側からは右母指をあてて筋を把握して輪状揉捏する(写真11-2)。 小結節稜付近では右四指頭で腱を上腕骨に押し付けるように揉捏する(写真11-3)。 (写真) 写真11-1広背筋・大円筋の把握揉捏の肢位 (写真) 写真11-2 広背筋・大円筋の把握揉捏 (写真) 写真11-3 小結節稜付近の四指頭揉捏 12.肩甲下筋の四指揉捏 部位:肩甲下窩下部(肩甲骨下角腹側)から上腕骨小結節 位置:10.と同じ。 施術:術者の左肩に被験者の左上腕を載せて外転 90度・水平内転 45度程度の肢位を取らせる。右四指を被験者の左肩甲骨内縁に当てて手前に引き、被験者の肩甲骨を外転させる。左四指を腋窩から胸郭と肩甲下窩の間に押し込み、肩甲骨下角の腹側から小結節まで筋の走行に対して直角に線状揉捏する(写真12)。小結節付近では左母指で腱を上腕骨に押し付けるように揉捏する。 (写真) 写真12 肩甲下筋の四指揉捏 13.三角筋の揉捏 部位:①鎖骨部線維鎖骨外側1/3から三角筋粗面 ②肩峰部線維 肩峰から三角筋粗面 ③肩甲棘部線維肩甲棘から三角筋粗面 位置:被験者の左側に被験者に向いて立つ(写真13-1)。 施術:右手で被験者の左上腕中央を下から把握して固定し、左手で揉捏する。鎖骨部線維は四指頭で(写真13-2)、肩峰部線維と肩甲棘部線維は母指で筋の走行に対して直角に線状揉捏する(写真 13-3)。次いで三角筋全体を手掌で輪状に把握揉捏する(写真13-4)。 (写真) 写真13-1 位置 (写真) 写真13-2 鎖骨部線維の四指頭揉捏 (写真) 写真13-3 肩甲棘部線維の母指揉捏 (写真) 写真13-4三角筋の把握揉捏 14.上腕二頭筋の四指頭揉捏 部位:①上腕二頭筋長頭 橈骨粗面から肩甲骨関節上結節 ②上腕二頭筋短頭 橈骨粗面から烏口突起 位置:被験者の左側に被験者に向いて片膝立ちとなる。 施術:右手で被験者の左肘を把握し、30度外転位で固定し左手で施術する(写真14-1)。 左四指頭で筋の走行に対して直角に線状揉捏する(写真14-2)。上腕上部では右手を被験者の肩関節後面に置いて固定し、左四指を大胸筋の下に押し込んで届く範囲で揉捏する(写真14-3)。 (写真) 写真14-1上腕二頭筋の四指頭揉捏の肢位 (写真) 写真14-2 上腕二頭筋の四指頭揉捏 (写真) 写真14-3 上腕二頭筋の四指頭揉捏(大胸筋下) 15.烏口腕筋の四指頭揉捏 部位:腋窩で上腕二頭筋短頭より近位で深層 位置:14.と同じ。 施術:右手で被験者の左上腕中央を把握して 30度外転位で固定し左手で施術する。左四指を腋窩に入れて、上腕二頭筋短頭腱の後方を走行する烏口腕筋腱を触知して腱の走行に対して直角に線状揉捏する(写真15)。左四指が烏口突起に近づいたら右手を被験者の肩関節後面に置いて固定する。 (写真) 写真15 烏口腕筋の四指頭揉捏 16.上腕三頭筋長頭の把握揉捏および四指頭揉捏 部位:肘頭上部から肩甲骨関節下結節付近(腱を辿れるところまで) 位置:14.と同じ。 施術:左手で被験者の左肘を把握して 30度外転位固定する。右手掌で筋を把握して輪状揉捏する(写真16-1)。上腕上部では三角筋・大円筋・小円筋の間隙に四指頭を入れて上腕骨に腱を押し付けるように施術する(写真16-2)。 (写真) 写真16-1上腕三頭筋長頭の把握揉捏 (写真) 写真16-2上腕三頭筋長頭の四指頭揉捏 B.関節部とその周囲組織の強擦法 1.胸鎖関節の示指および中指頭強擦 部位:胸鎖関節の関節裂隙から第1胸肋関節、鎖骨胸骨端内縁と上縁 位置:被験者の左側に被験者に向いて立つ。 施術:右手は被験者の左肩関節後面に置き固定し、左手で施術する。関節裂隙から第1胸肋関節は中指頭で(写真17-1)、胸骨端内縁と上縁は示指頭で強擦する(写真17-2)。 (写真) 写真17-1 第1胸肋関節の中指頭強擦 (写真) 写真17-2 胸骨端内縁の示指頭強擦 2.肩鎖関節の母指および中指頭強擦 部位:肩鎖関節の関節裂隙、鎖骨肩峰端下縁 位置:①と同じ。 施術:右手を被験者の左肩関節後面に置き固定し、左手で施術する。関節裂隙は母指頭で肩鎖関節内側から強擦する(写真18-1)。鎖骨の肩峰端下縁は中指頭で強擦する(写真18-2)。 (写真) 写真18-1 肩鎖関節の母指頭強擦 (写真) 写真18-2 肩鎖関節の中指頭強擦 3.肩甲上腕関節の母指頭強擦 部位:肩甲上腕関節の関節裂隙 位置:被験者の左側に被験者に向いて片膝立ちとなる。 施術:肩甲上腕関節の関節裂隙を前部(烏口突起上外方から肩峰の外側下縁)と後部(肩甲角から肩峰の外側下縁)に分けて施術する。前部の施術は、右手で被験者の左上腕遠位部を把握して外下方に牽引し関節裂隙を広げながら左手で行う。左四指を被験者の肩上部に、左母指頭を肩関節線に置いて、母指を鎖骨肩峰端下面・肩峰下面へ斜め上方に押し込むようにしながら強擦する(写真19-1)。後部の施術は、左手で被験者の左上腕遠位部を把握して外下方に牽引し関節裂隙を広げながら右手で行う。右四指を被験者の肩上部に、右母指頭を肩関節線に置いて、母指を肩峰下面へ斜め上方に押し込むようにしながら強擦する(写真19-2)。 (写真) 写真19-1 肩甲上腕関節の母指頭強擦 (写真) 写真19-2 肩甲上腕関節の母指頭強擦 4.烏口突起周囲の示指または中指頭強擦 部位:烏口突起周囲 位置:1.と同じ。 施術:右手で被験者の左肩関節後面を固定し、左示指または中指頭で烏口突起の周囲を強擦する(写真20)。烏口突起の下内側では小胸筋腱、下外側では上腕二頭筋短頭腱、外側では烏口肩峰靭帯、上外方では烏口鎖骨靱帯を意識して行う。 (写真) 写真20 烏口突起周囲の示指または中指頭強擦 5.上腕骨結節間溝の中指頭強擦 部位:上腕骨結節間溝 位置:3.と同じ。 施術:右手で被験者の左肘部を把握して固定し、左手で施術する。左母指で被験者の左上腕骨大結節を触知し、その内方にある結節間溝に左中指頭で強擦する(写真21)。 (写真) 写真21 上腕骨結節間溝の中指頭強擦 6.三角筋前縁下および後縁下の四指頭強擦 部位:①三角筋前縁下 三角胸筋溝から三角筋粗面 ②三角筋後縁下 縁肩甲角から三角筋粗面 位置:1.と同じ。 施術:右手を被験者の左肩関節後面に置いて固定する。左四指頭を三角筋胸筋溝に並べて置き、できるだけ指頭を三角筋の下に押し込んで関節包・腱板を三角筋粗面まで強擦する(写真22-1)。三角筋後縁は左手を被験者の左肩関節前面に置いて固定し、右四指頭を肩甲角の外側の三角筋後縁に並べて置いて同様に三角筋粗面まで強擦する(写真22–2)。 (写真) 写真22-1 三角筋前縁の四指頭強擦 (写真) 写真22-2 三角筋後縁の四指頭強擦 C.肩関節の運動療法(関節モビライゼーション) 1.肩関節の離開法 位置:被験者の前外方に被験者に向いて片膝立ちとなる。 施術:被験者の左上腕遠位部を両手で包み込むように把握する。続けて被験者の上腕を60度外転および水平内転 30度の肢位にさせ、長軸方向にゆっくり牽引する(写真23-1)。しっかりと牽引するために被験者には両足をしっかりと踏ん張って坐位を保持するように伝える。十分に牽引したまま5秒間保持した後にゆっくり牽引をやめる。一息入れた後に再度同様に行う。なお、牽引の際には手指を伸展して手掌全体で把握し痛みが出ないように注意する(写真23-2)。 (写真) 写真23-1 離開法の肢位 (写真) 写真23-2 離開法での把握の様子 2.上腕骨頭の滑り法 位置:被験者の左側に被験者に向いて立つ。 施術:左手で被験者の左上腕中央を把握して 60度外転させて固定する。被験者には肩の筋を弛緩させるように指示する。術者の右手掌尺側を被験者の肩峰外側下縁で上腕骨頭の上部に置き、床面に垂直に押圧して上腕骨頭を滑らせる(写真24-1)。次に術者の手掌を置く位置をやや前方にずらして被験者の上腕骨頭を床面に対する垂線よりやや後方に向けて押圧して上腕骨頭を滑らせる(写真24-2)。続けて術者の手掌を被験者の肩峰外端のやや後方にずらして置き、被験者の上腕骨頭を床面に対する垂線よりやや前方に押圧して上腕骨頭を滑らせる(写真24-3)。これを1セットとして2セット実施する。 (写真) 写真24-1上腕骨頭の滑り法 (写真) 写真24-2 上腕骨頭の滑り法(後方滑り) (写真) 写真24-3 上腕骨頭の滑り法(前方滑り) <参考文献> (1)「骨格筋の形と触察法 第1版 10刷」編集;河上敬介・小林邦彦、著者;河上敬介・磯貝 香、発行;大峰閣 (2)「基礎運動学 第6版」著者;中村隆一・齋藤 宏・長崎 浩、出版;医歯薬出版 (3)「解剖学 第9版 12刷」著者;森 於莵・小川 鼎三・大内 弘・森 富、発行者;金原 秀雄、発行所;金原出版株式会社