論文の要旨 自閉症スペクトラム障害に対するあん摩療法の効果についての研究 令和元年度 筑波技術大学大学院技術科学研究科保健科学専攻 河原 忍 指導教員 殿山 希 研究の背景:近年、自閉症スペクトラム障害(AutismSpectrumDisorder,以下ASDと略する)をはじめとする発達障害を抱える子どもたちが増加している。文部科学省が平成24年に実施した全国の公立小学校及び中学校の通常学級に在籍する児童生徒を対象にした調査の結果では、学習面又は行動面で著しい困難を示すとされた児童生徒の割合は6.5%であった。 山末はASDの治療について、従来の薬物療法は不安や抑うつ、強迫性障害などの症状が対象で、社会性の障害については治療薬が未確立であるとし、認知行動療法については効果についての見解が一致しないこと、最近では、オキシトシンによる治療が注目されていることを述べている。 Higashidaらはオキシトシンを経鼻的に摂取した23歳の男子について報告している。両親が個人輸入したオキシトシンスプレーを始めた(1日16IU)。その結果、顔を見つめる、時に笑顔を浮かべる、「はい」「いいえ」で答える簡単な質問に正答できるようになったという。Kosakaらは16歳の女子について報告している。患者は自傷行為を含む攻撃性が強く、他者の心理状態をあまり理解しない傾向があった。母親が点鼻オキシトシンがASDに有効とインターネットで知り、1日8IU単位試みた結果、1ヶ月後、①自室に閉じこもる時間が短くなる、②挨拶するようになる、③会話するようになる、④友人に同情を示すようになる、⑤家族に感謝を述べるようになるなどの改善がみられた。 Lunstadらは「手を繋ぐ」「抱き合う」「寄り添って座ったり、寝そべったりする」といった性的でないスキンシップによって、20組のカップルの唾液中のオキシトシン濃度が増加したと報告している。山口は「触れる/触れられる」行為によって、オキシトシンの分泌が促進されることを述べている。 これまでのASDに対するマッサージについての研究では、Tsujiらの報告によると、8〜12歳のASD児が母親から毎日20分、3か月間のタッチセラピーを行ったところ、タッチセラピーを受けたASD児、タッチセラピーをした母親は唾液中オキシトシンが変化することを示した。 Silvaらによる3歳から6歳までの8人の自閉症児を対象にした研究では、9週間の気功マッサージにより自閉症行動、言語活動、運動スキル、感覚異常、睡眠障害、下痢が改善した。 以上のような先行研究の結果を踏まえて、本研究の目的は、ASDのある人に対してあん摩療法を行い、オキシトシンの分泌促進、身体的愁訴、気分・感情にどのような変化が生じるか、また、ASDに特徴的な社会的スキルの課題が改善されるかについて科学的に検討することとする。 研究の方法: 1.倫理的配慮と研究デザイン 本研究は、ヘルシンキ宣言に基づいて企画・実施し、筑波技術大学倫理委員会の承認後(承認番号H30-51、2019年1月30日)、インターネット上で臨床試験登録を行っている(UMIN000036272、2019年3月22日)。研究デザインはランダム割り付けによるクロスオーバー、2施設間予備研究である。 2.研究対象 医師によりASDと診断されている10歳から25歳までの健康な男女をつくば地区・福岡地区のASD親の会の広報で各10人ずつ公募した。口頭と書面により説明を行い、同意書提出を以て登録とした。 3.介入と測定時期 つくば地区、福岡地区の被験者について、それぞれ4月・5月介入群、非介入群、6月・7月介入群、非介入群としてランダムブロック法により割付した。 介入群はあん摩療法を毎週1回、20分間のあん摩施術を8週間継続(計8回)行った。非介入群はあん摩施術を行わない群である。測定時期は介入/非介入期間の直前(4月)、介入/非介入期間終了の1週間後(6月、8月)の計3回を設定した。 4.施術プロトコル ①まず、右側臥位で左半身に対して施術を行う(10分間)。 ・肩上部、背腰部、上肢への軽擦、手根圧迫・揉捏、手掌圧迫・揉捏、母指揉捏、運動法。 ・頭頸部への軽擦、母指・四指揉捏。 ・腰部、下肢への軽擦、手根圧迫・揉捏、手掌圧迫・揉捏。 ②次いで、左側臥位で右半身に同様の施術(10分間)。 ③仕上げに座位で体幹の軽擦を行う。  ASDに対するあんま施術の注意事項として、軽擦・把握圧迫手技に際しては、手掌全体を身体に密着させることを意識し、触るときは声掛けをする、触れられていることを対象に意識してもらう、心地よい刺激量で行うことを心がける。 5.アウトカム評価項目 主要アウトカム評価項目:唾液オキシトシン濃度  被験者自身に唾液2mLを容器に直接取ってもらい、-80℃で凍結保存後、検査会社に定量を依頼した。 副次アウトカム評価項目 (1)身体的愁訴  VisualAnalogueScale(VAS)により、日ごろ気になっている身体的愁訴を測定した。 (2)感覚障害  Winnieらによって作成された感覚プロファイルの日本語版感覚プロファイル短縮版(38項目)を用いて触覚過敏性、味覚・嗅覚過敏性、動きへの過敏性、低反応・感覚探求、聴覚フィルタリング、低活動・弱さ、視覚・聴覚過敏の下位 7尺度を検討した。 (3)発達性協調運動障害  DSM-VではASDに多く見られる「不器用さ」を発達性協調運動障害としている。この障害が測定可能なWilsonらが作成した発達性協調運動障害評価検査全15項目を独自で翻訳し、動作における身体統制、書字・微細運動、全般的協応性の下位3尺度を検討した。 (4)感情・気分  Heuchertらによって作成されたProfileofMoodStates2ndEditionの日本語版短縮版POMS2(35項目)を用いてAH【怒り-不安】、CB【混乱-当惑】、DD【抑うつ-落ち込み】、FI【疲労-無気力】、TA【緊張-不安】、VA【活気-活力】、F【友好】、TMD【総合得点】の下位8尺度を検討した。 (5)社会的スキル  Amanらによって作成された異常行動チェックリストの日本語版(58項目)を使用して、興奮性、無気力、常同行動、多動、不適切な言語の5つの下位尺度を検討した。 6.統計解析  統計解析は二群間比較・群内前後比較にWilcoxonの符号付順位和検定を用いた。すべての統計解析にはEZRを使用した。有意水準はP<0.05とした。 結果: 1.唾液オキシトシン濃度:統計解析の結果、二群間に有意差はなかった。あん摩介入を行った者のうち、オキシトシン濃度が増加したのは6名、減少したのは7名であった。 2.身体的愁訴:愁訴を訴えた2名についてその結果を述べる。被験者Aは16歳の女性で、主訴は「体がだるい」、被験者Bは12歳の男性で、主訴は「疲れる」であった。2名の被験者ともあん摩施術を受けたことにより身体的愁訴の軽減が見られた。 3.感覚障害:全ての項目において、介入群・非介入群間で有意差は見られなかった。 4.発達性協調運動障害:下位尺度のうち、動作における身体統制(「上手に正確な仕方でボールを投げることができる」「公園にある障害物をジャンプして飛び越すことができる」など)について二群間に有意差がみられた。また、あん摩介入前後においても有意な改善が見られた。その他の尺度については二群間で有意差は見られなかった。 5.気分・感情:POMS2の下位項目のうち、CB【混乱-当惑】、FI【疲労-無気力】について二群間で有意な差が見られ、あん摩施術による改善が明らかとなった。その他の尺度については、二群間で有意差は見られなかった。 6.社会的スキル:すべての下位尺度について、二群間で有意差は見られなかった。 考察:オキシトシンを点鼻摂取することによりASD者の社会的スキルが改善するというHigashidaやKosakaらの研究や触刺激によりオキシトシン濃度が増加するというLunstad、山口らの研究もあるが、本研究ではこれらの先行研究と同様の結果を得ることはできなかった。  発達性協調運動障害については、動作における身体統制(「上手に正確な仕方でボールを投げることができる」「公園にある障害物をジャンプして飛び越すことができる」など)について二群間、あん摩前後の比較において有意な改善が見られた。Silvaらの研究では母親による気功マッサージによりASDの子供の運動スキルが改善されている。本研究は日本の国家資格であるあん摩マッサージ指圧師があん摩施術を行ったものであり、両者の研究は施術者・施術法において相違点はあるが、どちらの研究においても、対象は身体を触れてもらうことで緊張が解け、協調運動によい影響をもたらされた可能性が考えられる。  気分・感情の改善については、従来よりあん摩療法は自律神経の調整、疲労回復、体質を強壮にする効果があるとされており、あん摩療法は混乱・当惑といった自律神経の不調による気分・感情や疲労・無気力という気分・感情を改善できる可能性が示された。 研究の限界:対象数が13人と少なかったことは、ランダム化比較試験としての統計解析を困難とした。本研究では、クロスオーバー法により、介入群(4月・5月にあん摩施術を受けた群、6月・7月にあん摩施術を受けた群)、非介入群(4月・5月にあん摩施術を受けていない群、6月・7月にあん摩施術を受けていない群)で群間比較を行なった。しかし、6月・7月非介入群については、4月・5月に受けたあん摩療法の効果が持続している可能性もあるので、単純に4月、5月にあん摩施術を受けていない群と比較することについては課題が残るかもしれない。 結論:今回の結果からASDのある人があん摩施術を受けることにより、身体的愁訴が軽減し、発達性協調運動障害のうちの動作における身体統制、POMS2におけるCB【混乱-不安】、FI【疲労-無気力】といった気分・感情が改善される可能性が示唆された。