聴覚障害のある女性の社会参加における課題の明確化:ろう者学と女性学・ジェンダー論の接点を見据えて 小林洋子 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター キーワード:ジェンダー,ろう・難聴女性,エンパワメント, ろう者学 1.背景と目的 一般に女性は男性と比べて出産・子育て・介護等の生活面の影響を受けやすく,若い時から高齢に至るまで様々な課題を経験する傾向にある。その中でも特に障害のある女性は,多様な個々人のライフイベントに加えて女性という性による社会的ジェンダー差や障害を持つことの複合化により様々な課題を抱えている。しかしながら,このような現状は社会的に殆ど認識されていない。聴覚障害に関連する研究では,それまで女性学・ジェンダー論の視点を取り入れた研究があまり見られておらず,特に家庭・教育・就労・地域活動などにおける聴覚障害のある女性を取り巻く諸問題に関わる情報提供や啓発の機会が皆無に等しいという現状にある。本研究では,育児と就労を両立している聴覚障害のある女性を対象にインタビュー調査の実施・データの整理と分析を行い,ジェンダー課題の索出と整理を行うことを目的とした。 2.方法 2.1 調査対象 育児と就労を両立している聴覚障害のある女性10名を対象として聞き取り調査を行った。調査対象者の選定は機縁法によった。 2.2 調査内容 対象者の属性(年齢,学歴,家族構成と子供の数,長子の年齢,結婚年齢と出産年齢),ライフスタイル,就労状況,心理的状況(実際の子育てと仕事の両立で感じることなど) 2.3 調査方法 聞き取り調査は半構造化面接法により行った。あらかじめ質問項目を用意し,対象者に自由に回答してもらう中で随時補足的に質問を行った。面接内容は対象者の了解を得た上で,メモを取ると同時に映像に録画し,逐語化した。 所要時間は主に1.3時間であった。面接場所は,調査者の研究室または対象者の自宅か近場であった。 3.研究の成果 3.1 対象者の属性 年代は,30代が3名,40代が7名であった。最終学歴は,短大/専門学校/専攻科卒が4名,大学卒が6名であった。家族形態は,10名全員が核家族であった。子供の数は,1人が3名,2人が3名,3人が4名で,障害(聴覚障害,発達障害)を有する子供を持つ人は4名であった。長子の年齢は2歳.18歳であった。結婚平均年齢は31歳,長子出産の平均年齢は34歳であった。 3.2 ライフスタイルについて ライフスタイルを考えたタイミングについては,出産を機に考え始めたと回答した人が10名中8 名と一番多く,他には,高校卒業時,大学卒業時,就職時,結婚時,出産時,とライフイベントを迎える度にライフスタイルについて再考していると回答した人もいた。ライフスタイル志向については,全員が育児と仕事は両立させたいという意識を持っていた。 3.3 就労状況について 10名全員が結婚後は正社員として仕事を続けており,長子を妊娠した時は会社の制度を利用して産休を取得していた。産休の期間は10名全員だいだい1年程度取得していたが,中には出産後数ヶ月で職場復帰した人もいた。その理由として,職場における業務の都合,もしくは1歳を過ぎてからは保育園に入れにくいから,等が挙げられた。出産後職場復帰を予定していたものの旦那さんの職場の都合で退職,もしくは職場の環境が育児に見合っておらずやむなく転職をした人もいた。インタビュー当時,正社員と回答した人は4名(中には数回転職を繰り返した人もいた),契約社員もしくはパート職員が6名であった。正社員として勤務していた時は,時短を利用していたという回答者も多かった。 3.4 心理的状況について 回答者からの意見の一部を記述する。 3.4.1 聴覚障害のある母親としての役割意識 ・子供の夜泣きが聞き取れない。補聴器をつけたまま寝ているが,時々聞き漏らしてしまう。つけ続けているので,耳が痛くなってしまう。ゆっくり寝ることができない ・聴こえる子供とコミュニケーションがうまくはかれない。手話を教えたいと思っているものの,覚えてもらうタイミングがわからない。 3.4.2 夫や親との関係 ・夫は自分の仕事で忙しいのか,育児にはあまり協力的ではなく,なんでも自分がやらなければならず,体力的にも精神的にも疲弊している。もし,夫がもう少し育児に協力的であれば,正社員として仕事を続けられていたかもしれない。 ・両親が近くに住んでいるので,学校への送迎や急遽の病気で仕事を休めない時に面倒をみてもらっている。 3.4.3 保育・学童サービス ・学童クラブを通して他の同級生の保護者と接点を持つことができた。 ・同級生の保護者の連絡網があるが,電話番号のみで,学校でもなかなか接点が持ちにくく,育児に関する情報交換がしにくい ・ 電話リレーサービスを使って,病児保育を頼もうとしたところ,本人ではないということで断られてしまった。 ・育児中の保護者たちが集う施設に行ったところ,職員の対応が悪く気分を害してしまった。 3.4.4 子育て情報不足 ・職場で子育てをしている同僚や近所に住む子育てをして人同士の会話や井戸端会議などに参加しにくく,なかなか情報交換がしにくい。 ・病院,区役所,悩み相談室など,電話での対応が多く,なかなか気軽に利用しにくい。メールで対応できるところを増やしてほしい。 ・病院でのコミュニケーションが難しい。口話では医者によってはわかりづらい人もいる,筆談でも時間がかかってしまい,なかなか聞きたいことが聞けない。 4.まとめ 本研究は,聴覚障害のある女性へのインタビュー調査を行い,聴覚障害のある女性が直面する問題を把握する中で,ジェンダー課題の索出と整理を行うことを目的としたものである。インタビュー調査を行った結果,聴覚障害のある女性は,普段の生活の中で子供との関わりや意思疎通が難しいと感じている人が多いことがわかった。また,子供が利用する教育機関や施設でも,音声情報がなかなか入りづらく,周囲の理解もなかなか得られない状況にあった。子育てに関する情報も,同じ子育てをしている聞こえる人との接点が難しく,病院などの子育てに関する施設においてもコミュニケーション面などで苦労している状況が伺えた。本研究のようなジェンダーの視点から聴覚障害者の男性女性それぞれの違いに着目した研究開発自体は極めて少なく,とりわけ聴覚障害のある女性当時者の視点からみた研究開発は皆無であり,今後における聴覚障害のある女性の生活の質向上に向けたサポートや取組みの発展にとって大きな意義を持つと考える。