短距離走における触覚刺激を用いた ユニバーサルスタートシステムの構築 平成30年度 筑波技術大学大学院修士課程技術科学研究科産業技術学専攻 設楽 明寿 目 次 第1章 序論 1 1.1 研究背景 1 1.2 関連研究 5 1.2.1 光刺激スタートシステム 5 1.2.2 聴覚障害者スポーツのための報知・警告システム 7 1.2.3 聴覚障害競泳選手のリアクションタイムとレースタイムの関係性 7 1.3 本研究の目的 9 1.3.1 触覚刺激によるスタートシステムの提案 9 1.3.2 クラウチングスタートによる反応時間計測システムの開発 9 1.3.3 最適な伝達方式の選出 9 1.4 本論文の構成 11 第2章 短距離走における触覚刺激を用いたユニバーサルスタートシステムの提案 12 2.1 本提案システム概要 12 2.2 本提案システムの概要 13 2.3 触覚刺激を用いる場合のガイドライン 14 第3章 クラウチングスタートによる反応時間計測システムの開発 18 3.1 システム構成 18 3.2 システム動作 22 3.2.1 スタート動作検出方式アルゴリズム 22 3.2.2 反応時間の計測方法 25 3.3 動作確認 28 第4章 触覚刺激における最適な伝達方式の選出 29 4.1 各刺激発生装置の開発 29 4.1.1 視覚刺激発生装置 29 4.1.2 触覚刺激発生装置 31 4.2 伝達方式の比較検証実験 35 4.2.1 方法 35 4.2.2 結果 36 4.3 触覚刺激発生装置の改良 38 4.4 選出した伝達方式の検証実験 39 4.4.1 方法 39 4.4.2 結果 41 第5章 触覚刺激における最適な伝達方式による提示形状の検討 43 5.1 触覚刺激発生装置の改良 43 5.2 接触面の比較検証実験 46 5.2.1 ボタン押しによる反応時間計測システム 46 5.2.2 方法 47 5.2.3 結果 49 第6章 結論 52 6.1 まとめ 52 6.2 今後の課題 52 参考文献 54 研究業績 55 謝辞 56 表目次 表 1:本提案システムの人間工学における要求仕様 14 表 2:本提案システムのハードウェアにおける要求仕様 15 表 3:各感覚における応答時間,反応時間の遅れ 16 表 4:反応時間計測システム構成 19 表 5:反応時間計測システムにおける重要な仕様 19 表 6:反応時間計測パラメータ 26 表 7:各刺激種類,伝達方式,比較の一覧 27 表 8:反応時間(実験協力者 1名) 28 表 9:振動方式-No.1の伝達機構の製作条件 32 表 10:プッシュ方式-No.1の伝達機構の製作条件 34 表 11:伝達方式の比較検証実験の概要 35 表 12:2種類の触覚刺激の平均と標準偏差(被験者 6名) 36 表 13:各刺激の平均と標準偏差(実験協力者 6名)37 表 14:プッシュ方式-No.2の伝達機構の製作条件 38 表 15:選出した伝達方式の検証実験の概要 39 表 16:プッシュ方式-No.2と LED方式-No.2の平均と標準偏差 41 表 17:7段階リッカート尺度アンケートの結果 42 表 18:プッシュ方式-No.3の伝達機構の製作条件 43 表 19:プッシュ方式-No.3の接触面仕様 3種類 44 表 20:接触面の比較検証実験の概要 47 表 21:各刺激の平均と標準偏差,分散(ms) 49 表 22:Tukeyと Bonferroniの解析結果 49 表 23:有意差が認められた組み合わせの一覧 50 図目次 図 1:目視スタート 1 図 2:各刺激に対する反応時間の遅れとレース最小時間単位との関係 3 図 3:スタート開始と各感覚に対する反応タイミング 4 図 4:光刺激スタートシステムの接続様子 5 図 5:光刺激スタートシステムの動作の様子 6 図 6:聴覚障害者スポーツのための報知・警告システムの概要図 7 図 7:触覚刺激を用いたユニバーサルスタートシステムの提案図 12 図 8:本提案システムの動作様子 13 図 9:直接振動モーターに手で体重をかける場合の動作様子 14 図 10:システムの構成図 18 図 11:組込みボード(ARM FRDM-K64F,CPU:32bit-core 120MHz,12bit-ADCs:800ksps) 20 図 12:ロードセル(共和電業 LMR-S-2KNSA2,定格容量 :2kN,定格出力:1mV/V) 20 図 13:スターティングブロック(NISHIスポーツ NF155B) 20 図 14:増幅器(共和電業 DPM-911B,出力:±10V,測定チャネル数 :1) 21 図 15:反応時間計測システムの動作様子 22 図 16:変化量検出方式システム 22 図 17:反応時間計測の流れ 25 図 18:反応時間の定義 26 図 19:反応時間計測システムの動作様子の例 28 図 20:LED方式の動作様子 29 図 21:LED方式の回路図 30 図 22:親指の長さ 31 図 23:振動デバイス(ALPS社 ハプティック®︎リアクタ,応答時間:1ms,振動力: 3G) 32 図 24:振動方式-No.1の全体図 32 図 25:振動方式-No.1の使用様子 33 図 26:ソレノイド(ZonHen社 ZHO-0420S-05A4.5,最小プッシュ力:80G) 33 図 27:プッシュ方式-No.1の全体図 34 図 28:プッシュ方式-No.1の使用様子 34 図 29:4.2.1の実験様子 35 図 30:2種類の触覚刺激に対する反応時間のヒストグラム 36 図 31:各刺激に対する反応時間のヒストグラム 37 図 32:小型プッシュプルソレノイド(新電元メカトロニクス社 14C-3C) 38 図 33:プッシュ方式-No.2の全体図 38 図 34:プッシュ方式-No.2の使用様子 39 図 35:選出した伝達方式の検証実験の様子 40 図 36:プッシュ方式-No.2と LED方式のヒストグラム 41 図 37:プッシュ方式-No.3 44 図 38:プッシュ方式-No.3の接触面仕様 44 図 39:ボタンモジュール(Seeed GROVE-Button) 46 図 40:ボタン押しによる反応時間計測システムの構成 46 図 41:ボタン押しによる反応時間計測システムの動作様子 47 図 42:4.5.1の実験様子 47 図 43:指腹の部分に接触させる方法 48 図 44:第一関節の部分に接触させる方法 48 図 45:各刺激に対する反応時間の平均 50 筑波技術大学 修士(工学)学位論文 第1章 序論 1.1 研究背景 著者は,生まれつき「混合性難聴による聴覚障害」を抱えている.現在も特に 100m走, 200m走を専門として聴覚障害者陸上競技に関わっているが,聴覚障害者の一般陸上競技短距離走への参加には課題があると痛感している.具体的には,青山らによる「光刺激スタートシステム」の開発・普及活動の取り組み[1]にも述べられている通り,以下が挙げられる. ⚫ 補聴器や人工内耳を利用してもスタート音の聞き取りへの不安が大きい ⚫ スターターの動作を確認したくても,スターターが選手の後方からピストルを打つ種目もあり,スターターの動作を目視することができない場合がある ※スターターはスタート音を生成するピストルを打つ審判を指す 聴覚障害者陸上競技短距離走においては,上記の課題を解決する手段として,スタートの情報を選手が目視できるように,選手の前でスターターが椅子に座った状態で行う「目視スタート」を利用されている(図1). 「目視スタート」の手法について説明する. 図 1:目視スタート まず,スターターが“On your mark”の合図を出す際,身体の前に,ピストルを持っている側との反対の手を差し出し,下へ下げる.その後に,“Set”の合図でピストルを持っている手を身体の前に差し出す.最後に“Start”の合図であるピストルを打つという内容の手法である. しかしながら,目視スタートには,以下の課題が残されている. ⚫ 顔を上げてスターターを目視しなければならず,スターティングブロックを蹴る動作に影響を及ぼす ⚫ スターターの立ち位置によっては顔を傾けてスターターを見る必要があり,音声が聞き取れる選手が有利になりやすい 上記で述べた課題を解決するために,従来のピストル音によるスタート合図を代行するものとして,LEDを用いた視覚刺激によるスタート合図を注視するスタートシステムが開発されている.2012年に光刺激スタートシステム[1,2]が実用化されたが,日本陸上競技連盟の陸上競技規則第 144条「競技者に対する助力」[3]に違反するかどうかの議論になり,公認されていなかった.聴覚障害者が盛んに参加する大会である「日本聴覚障害者陸上競技選手権大会」,「全国ろう者総合体育大会」,「全国聾学校陸上競技大会」では,特別に光刺激スタートシステムの使用が認められていた.しかし,2017年度からは,健聴者を対象とした大会においても,聴覚障害者が参加する場合は光刺激スタートシステムの使用が認められた [3]. しかし,視覚刺激を用いる場合,「まばたき問題」がある.すなわち,まばたきした瞬間,LEDを用いた視覚刺激スタート合図が発生した場合,健聴者より遅れてスタートしてしまう恐れがある.実際に,吉田の瞬目による握力反応時間の遅延[4]でも同様に,まばたきが反応時間の遅延に関与すると報告されている. また,一般に視覚による反応時間は聴覚と触覚による反応時間よりも遅い.ただし,触覚による反応時間は聴覚による反応時間よりも遅いが,その差は小さいと言われている [5,6].その例として挙げられるのが,伊福部の反応時間の比較実験[7]である.その比較実験では,視覚による反応時間は,聴覚による反応時間から約 30ms遅れることが報告されている.一方で,触覚による反応時間は,聴覚による反応時間から約 5ms遅れることが報告されている. 上述の反応時間の遅れについては,陸上競技における写真判定によるレースの最小時間単位 10ms[8]を踏まえて判断する必要がある(図 2). 図 2:各刺激に対する反応時間の遅れとレース最小時間単位との関係 視覚による反応時間はレースの最小時間単位を超過してしまうが,触覚による反応時間はレースの最小時間単位以下に抑えることが可能である.このことについて,陸上競技短距離走におけるレースタイム計測にあてはめ、その問題点について述べる.スタート開始から選手がフィニッシュするまでの計測過程を図 3にて述べる. まず,100mを走り抜く時間が同様である健聴者と聴覚障害者が競い合う場合,健聴者の場合はスタート開始合図のピストル音を聴覚で反応する.逆に聴覚障害者は光刺激スタートシステムを用い,視覚で反応する.その場合,反応タイミングが 30ms遅くなってしまう.健聴者がフィニッシュしたとしても,その時点はまだ聴覚障害者がフィニッシュしていない状態であることから,計測されたレースタイムは健聴者よりも聴覚障害者の方が 30ms遅れてしまうことを示唆している. 以上により,従来の光刺激スタートシステムを使っている限りでは,聴覚障害者は健聴者よりスタートが遅れてしまうことは避けられない.このことは,聴覚障害者と健聴者が平等に競技することが困難であることを示している.また,「まばたき問題」が発生しない,聴覚刺激と同様に短い反応時間が期待される知覚特性がある触覚刺激を活用したスタートシステムの開発が望まれている. 図 3:スタート開始と各感覚に対する反応タイミング 1.2 関連研究 聴覚障害者陸上競技に関わる支援技術の研究は行われているものの,本研究が試みるような,当事者による聴覚障害者陸上競技に関わる支援技術の研究は少ない.以下では,2つの代表的な事例について説明する. 1.2.1 光刺激スタートシステム 現在,使用されている光刺激スタートシステム[1,2]の詳細を NISHIスポーツ[2]から引用した図 4,5を用い,以下に述べる. まず,図 4の接続様子について説明する.各レーンにある,陸上競技短距離走でのスタートに用いるクラウチングスタートを行うために足を載せるスターティングブロックの前方にスタートランプを設置する.各レーンに設置したスタートランプを接続ケーブルで制御ボックスに接続する.また,スターターがスタート音を発するピストルと“On your mark” “Set”の合図を発するためのボタンがあるグリップスイッチを接続した制御ボックスを従来のスタートシステムの一部である中継ボックスに接続するシステムとなっている. 図 4:光刺激スタートシステムの接続様子 次に,図 5の使用方法について説明する.最初に,各自,スターティングブロックの足かけの位置を決定する.次に,選手が認識可能な位置に光刺激スタートシステムのシグナル部を設置する.その後,“On your mark”とスターターが声を出す同時に,光刺激スタートシステムのシグナル部のランプが「赤」になる.それを認識した選手は,スターティングブロ ックに足を乗せる.そして,スターターが“Set”と声を出した際に,光刺激スタートシステムのシグナル部のランプは「黄」へと変化する.その際,選手は腰を上げ,スタートに備える態勢をとる.最後に,スターターがピストルのトリガーを引く際,光刺激スタートシステムのシグナル部のランプが「白」に変化する.選手は白色の光を認識したときに,スタートする.なお,この動作仕様については 2018年度からのものであり, 2017年度までの “Start”に対応する色は「青緑」であった.また,2018年度からの動作仕様は国際ろうスポーツ委員会の競技規則に従っているが,国際ろうスポーツ委員会の競技規則の文書については現在(2018年 12月 29日時点)確認できていない状態である. 図 5:光刺激スタートシステムの動作の様子 1.2.2 聴覚障害者スポーツのための報知・警告システム ここでは,聴覚障害者が関わるスポーツ全般での使用を想定した支援技術の研究の例を紹介する.穂苅らは聴覚障害者スポーツのための報知・警告システムを開発している[9].このシステムは,振動刺激が利用されており,笛による報知音や警告音が発生した際,選手へ情報伝達するシステムとなっている(図 6).このシステムは様々なスポーツでの利用を想定したシステムであり,まだ聴覚障害者を対象にした様々なスポーツでの場面を想定した評価実験が行われていない.特に,個々のスポーツのルールや場面に合わせた専門性を深めたものではなく,タイムを競い合うスポーツでは,聴覚刺激である音声情報から別の感覚刺激へ変換するタイムラグがあることから,直接適用することが困難であることがわかっている. 図 6:聴覚障害者スポーツのための報知・警告システムの概要図 1.2.3 聴覚障害競泳選手のリアクションタイムとレースタイムの関係性 速さを競うレースの場合,スタートのリアクションタイムがレースタイムに影響を及ぼすことがわかっている.その例として挙げられるのが,中山ら[10]の研究である.この研究では,陸上競技ではなく水泳競技を対象としているが,聴覚障害者のリアクションタイムとレースタイムの関係性を検討した.リアクションタイムの平均が 0.89s(標準偏差 0.38s),レースタイムの平均が 30.85s(標準偏差 1.42s)であり,リアクションタイムとレースタイムとの間に有意な相関が見られている.この有意な相関はリアクションタイムが速ければレースタイムも速くなることを示唆している.また,逆にリアクションタイムが遅ければレースタイムも遅くなるとも言える. これにより,陸上競技短距離走でも同様に,スタートのリアクションタイムが遅れることで,レースタイムも遅れてしまう可能性があると考えられる. 1.3 本研究の目的 本研究では,「聴覚障害者」のみではなく,「視覚障害者」を始めとした「障害者」,更に「聴者」をも対象とする,ユニバーサルデザインに基づくスタート合図の提案,並びにスタートシステムを構築することを最終目的とし,聴覚障害者陸上競技における最適な伝達方式によるインターフェースの特定までを本論文の目的とする. 目的を果たすために実施した過程を 4段階に分けた. 4段階については次のとおりである.本論文では下記に列挙した流れに従い,述べていく.  1.触覚刺激によるスタートシステムの提案  2.クラウチングスタートによる反応時間計測システムの開発  3.触覚刺激における最適な伝達方式の選出  4.触覚刺激における最適な伝達方式によるインターフェースの検討 上記の各段階について概要を説明する. 1.3.1 触覚刺激によるスタートシステムの提案  従来のピストル音によるスタート合図を代行するために,視覚刺激の「まばたき問題」が生じず,知覚時間が聴覚刺激と同程度に短い感覚として,触覚刺激を採用する.また,触覚刺激を用いる場合において競技規則に違反していないかを確認する.以上に基づき,触覚刺激によるスタートシステムを提案する. 1.3.2 クラウチングスタートによる反応時間計測システムの開発 知覚時間比較実験については,これまでに様々な研究結果が報告されているもの,クラウチングスタートのような全身を使った反応時間比較実験は,我々の知る限り報告されていない.視覚刺激と触覚刺激に対する反応時間比較を実施するために,クラウチングスタートのような全身を使った反応時間を測定することが可能であるシステムを開発する必要がある. 具体的には,現在でもフライングスタートを検出するために利用されている移動平均と遅延を利用した変化量検出方式アルゴリズムを用い,組込みボードとスターティングブロックに取り付けたロードセルからなるシステムを開発する. 1.3.3 最適な伝達方式の選出 触覚刺激による伝達方式としては,「電気方式」,「振動方式」,「プッシュ方式」,「空気方式」,「冷温方式」等がある.これらのうち,陸上競技短距離走における最適な伝達方式信号を選出するために,触覚刺激発生装置の各伝達方式を開発し,実験によってそれぞれの反応時間の差を比較する.反応時間比較実験を実施することで,触覚刺激による最適な伝達方式を検討する.また,比較する際の参考として,既存の光刺激スタートシステムと同様である視覚刺激発生装置の LED方式も開発する. 1.3.4 最適な伝達方式による提示形状の検討 「触覚刺激における」特定した伝達方式による提示形状を検討するために,プッシュ方式を実現するためのモーターであるソレノイドの鉄心に接触する部分の仕様を 3通り用意し,身体に接触する箇所 2通りに定めた.また,接触部分の仕様と接触箇所の組み合わせ 6通りについて,ボタン押しによる反応時間比較実験で検討する. 1.4 本論文の構成 本論文は全 6章からなる.第 2章では,短距離走における触覚刺激を用いたユニバーサルスタートシステムの提案について述べる.次に,第 3章でクラウチングスタートによる反応時間計測システムの詳細について述べる.第 4章では,触覚刺激における最適な伝達方式の検討,主に実験を通しての触覚刺激発生装置の改良について述べる.また,第 5章では,触覚刺激における最適な伝達方式による提示形状を検討する.最後に,第 6章で本論文のまとめと今後の課題について述べる. 第2章 短距離走における触覚刺激を用いたユニバーサルスタートシステムの提案 ここでは,短距離走における触覚刺激を用いたユニバーサルスタートシステムの提案について説明するとともに,視覚刺激と触覚刺激との比較検討を行うための,各感覚刺激発生装置の開発について述べる. 2.1 本提案システム概要 本研究にて提案するシステムは,視覚刺激発生装置,触覚刺激発生装置からなり,既存スタートシステムに接続するシステムを構想している.図 7は選手が走る場所であるレーン内での設置の様子を示している. 図 7:触覚刺激を用いたユニバーサルスタートシステムの提案図 視覚刺激発生装置の位置は,選手が目視できるように,スターティングブロックの前方とする.これは,現在の光刺激スタートシステム[2]と同様である.また,触覚刺激発生装置の位置は,選手がクラウチングスタートを行う際に,スタートラインに手を置く場所とする. 2.2 本提案システムの概要 本提案システムの動作様子を図8に示す. 図8:本提案システムの動作様子 本提案システムは,既存スタートシステムに接続する方式とし,その中にあるボタンと視覚刺激発生装置は,従来の光刺激スタートシステムの一部と同様である. 従来の光刺激スタートシステムの制御ボックスはスピーカーの起動時刻と光刺激スタートシステムの起動時刻を同期させるためである.本システムでは,その制御ボックスと同様の制御機器に,既存スタートシステムのピストルとスピーカーを接続する.これにより,健聴者と聴覚障害者が一緒に競争するレースでも使用することが可能となる. また,視覚刺激発生装置,ボタンを接続することで,“On your mark”“Set”の 2つの合図を音声情報だけではなく,視覚情報として提供する形式にする. 新規モジュール部分では,制御機器に触覚刺激発生装置を接続しており,ピストルを打つときに,スピーカーと同時に触覚刺激発生装置が起動するシステムとなっている. 2.3 触覚刺激を用いる場合のガイドライン 本提案システムは手に接触することを前提とするものであり,本提案システムの開発にあたって,人間工学分野の視点から考察した事項を表 1に示す. 表 1:本提案システムの人間工学における要求仕様 接触部位  手 物理的制約(size)  身体やスタート動作に悪影響を与えない大きさ 接触確認方法  タッチセンサや圧電センサ 接触部位 触覚刺激発生装置を身体に装着することは,スターティングブロックを蹴る動作や走行動作に影響を及ぼす可能性があるため除外する.よって,触覚刺激発生装置は,地面やスターティングブロックとの接触部である手足に接触させる方法で考える.しかし,足の場合はスターティングブロックを蹴る動作に影響を及ぼす可能性がある.そこで,消去法により,最も影響の少ないと考えられる手の接触部に設置することに至った.一般に,指先の触覚における解像度は他の箇所と比較して高い[11]と言われており,今回の目的と合致する. 物理的制約 (size) 触覚刺激発生装置の物理的制約について述べる.まず,振動方式を用いる場合,振動モーターは,動作原理上,一定以上の力が加わると振動することができない.そのため,直接振動モーターに手で体重をかける仕様は望ましくない.その例を図 9に示す. 図9:直接振動モーターに手で体重をかける場合の動作様子 図9の動作様子では,地面を押す力と地面反力が発生している.そのため,振動モーターは 2つの力に挟まれる状態になり,動作できない状況に陥りやすいことがわかっている.それだけではなく,2つの力に挟まれた状態で動作したとしても,振動モーターの高さの分厚くなってしまうため,クラウチングスタートを行う際の手を置く位置が高くなってしまい,クラウチングスタートにおける従来の動作と異なる動作になってしまう可能性がある. よって,現時点では,手を置く位置の真下に設置しない.つまり,手を置く位置の周囲に設置するのが望ましい.その際には,選手が存在の違和感を感じない程度の小さなサイズであることも考慮する必要がある. 接触確認方法 走者が触覚刺激発生装置を手に接触させることを前提にしている.その際に,“Set”から“Start”の合図の間に,スタート合図を発する審判のスターターが,触覚刺激発生装置を各走者の手に接触させていないか確認する必要がある.そこで,タッチセンサや圧電センサを用い,接触を確認することで対策する. 次に,本提案システムを既存スタートシステムに接続するにあたって,ハードウェアについて考慮した事項を表2に示す. 表2:本提案システムのハードウェアにおける要求仕様 接続ケーブルコネクタ  既存スタートシステムの接続ケーブルコネクタ 時間的制約(応答時間)  3.0ms以下 システムの動作確認方法  加速度センサ 接続ケーブルコネクタ 本提案システムが接続する際に必要とする接続ケーブルコネクタについては,既存スタートシステムや光刺激スタートシステムの接続ケーブルコネクタと一致するコネクタ規格とする. 時間的制約 (応答時間) 既存スタート合図であるピストル音を用いる場合のスピーカーの起動時間については,ピストル音が発生した時刻を基準にしているため,起動時間を考慮していない.また,伝達時間を考慮する際,空気中,気温 𝑡 = 15℃ の場合の音速は以下である. 音速 𝑐 = 331.5 + 0.61𝑡 = 331.5 + 0.61 × 15 = 340.65(𝑚/𝑠) 仮に選手と設置したスピーカーとの距離を 1mとした場合, 1(𝑚) ÷ 340.65(𝑚/𝑠) ≅ 0.0029355(𝑠) = 0.0029355 × 10の3乗(𝑚𝑠) = 2.9355(𝑚𝑠) ≅ 2.936(𝑚𝑠)  設置したスピーカーから選手までの伝達時間は 2.936msとなる.これにより,設置したスピーカーが起動してから選手に伝わるまでの,応答時間は 2.936msとなる.  次に,光刺激スタートシステムを用いた場合について述べる.光刺激スタートシステムは LEDを用いているため,LEDの起動時間は 1μs程度となっている [12].また,空気中の光速は真空中とほぼ同様であることから,以下の式になる.   光速 𝑐 ≅ 2.99792458 × 10の8乗(𝑚/𝑠)  仮に選手と設置した光刺激スタートシステムとの距離を 1mとした場合,   1(𝑚) ÷ 2.99792458 × 10の8乗(𝑚/𝑠) ≅ 0.33356 × 10の−8乗(𝑠) = 3.3336 × 10の−9乗(𝑠) = 3.3336 × 10の−6乗(𝑚𝑠) = 3.3336 × 10の−3乗(𝜇𝑠) = 3.3336(𝑛𝑠) ≅ 3.334(𝑛𝑠)  設置した光刺激スタートシステムから選手までの伝達時間は3.334𝑛𝑠になり,LEDを起動してから選手に伝わるまでの応答時間は,2μs以下となる.この数値は聴覚刺激発生装置と比較しても SI接頭辞の桁である mよりも小さいμになっており,0.002ms以下になる.ただし,1.1の研究背景で述べた通り,視覚に対する反応時間は聴覚に対する反応時間よりも 30ms遅れている.ここまでの内容を下記の表にまとめる(表 3) 表 3:各感覚における応答時間,反応時間の遅れ  健聴者と一緒に競い合うことを前提とし,健聴者が使用する聴覚刺激発生装置に合わせる必要がある.そのためには,触覚刺激発生装置を起動してから選手までに伝わるまでの応答時間を長くても 3.0ms以下に抑える必要がある. システムの動作確認方法  触覚刺激発生装置は,聴覚刺激発生装置と視覚刺激発生装置とは異なり,装置から 1対多の人間へ伝達することはできない.すなわち,装置から 1対 1で各選手へ伝達するシステムになるため審判や観客が動作を確認することができない.そのため,正常に動作しているか確認する手段として,触覚刺激発生装置の動作を感知するセンサである加速度センサを用いる. 第3章 クラウチングスタートによる反応時間計測システムの開発  本研究での各刺激発生装置に対する比較検討を実施するために,実際に用いるクラウチングスタートによる反応時間を計測する.その計測に用いるシステムでは,クラウチングスタートの際の,足でスターティングブロックを蹴る動作を検出し,反応時間を計測する手法を用いている.ここでは,スタート動作検出方式アルゴリズムとハードウェアの構成について述べる. 3.1 システム構成  反応時間計測システムは,スタート動作検出方式アルゴリズムに従ったプログラムを搭載した組込みボード,その組込みボードを操作するための PC本体,足でスターティングブロックを蹴る力の大きさを検出するロードセル,スターティングブロックからなる.  具体的には,PCと組込みボードは USBケーブルで接続し,組込みボードからトランジスタアレイにジャンパワイヤで接続している.また,ロードセルに NDISコネクタで接続された増幅器に接続した BNCケーブルでは,BNCジャックを用い,ジャンパワイヤで組込みボードと接続している.  さらに,各刺激発生装置にトランジスタからジャンパワイヤで接続されており,その際に各刺激発生装置に必要な電源は ACアダプタで補う.  以下にシステムの構成図(図 10)とシステム構成(表 4)を示す. 図10:システムの構成図 表4:反応時間計測システム構成 計算機本体 MacBook Pro 13 OS Apple macOS Mojave メモリ 16GB (2133MHz LPDDR3) プロセッサ Intel Core i7 (3.3Ghz, 2Core) グラフィック Intel Iris Graphics 550 (1536MB) ディスプレイサイズ 13.3インチ 組込みボード FRDM-K64F(NXP社提供,図 17) 開発環境 ARM Mbed Compiler (オンライン開発環境) ロードセル 共和電業 LMR-S-2KNSA2-P(図 18) スターティングブロック NIISHI スターティングブロック スーパーⅢ(NF155B,図19) 増幅器  共和電業 DPM-911B(図 20)  また,本反応時間計測システムを構成するにあたって,表 5に示した重要な仕様を踏まえ,組込みボードとロードセル,増幅器に用いる機器を選出した. 表5:反応時間計測システムにおける重要な仕様 サンプリング時間 1ms ロードセルの最大入力 2kN ロードセルの最大出力電圧 3.3V 組込みボードの最大入力電圧 3.3V 組込みボードの AD変換精度 12bit 組込みボード  組込みボード(図 11)は,ロードセルが接続されている増幅器と計算機,各刺激発生装置に接続する.計算機から操作することで,各刺激発生装置へ信号を送信し,足でスターティングブロックを蹴る力をロードセルを通して取得しながら,計算機のターミナルに取得した力の大きさを表示させる役割を持つ. 図11:組込みボード(ARM FRDM-K64F,CPU:32bit-core 120MHz,12bit-ADCs:800ksps) 今回の組込みボードは,サンプリング時間1msとAD変換精度 12bitを満たせる仕様であり,取得した力の大きさを時列情報としてSDカードに保存することも可能としている. ロードセル  ロードセル(図 12)は,実験を実施する前に実験協力者がスターティングブロック(図 13)の足かけ部を調整し終えた後に,設置する.ロードセルを設置する場所については,敷かれたゴムシートの上に設置した当金の上からスターティングブロックの間とし,図 13に示している赤色の円となっている.また,位置は後足部の中心に合わせる.  当金を置く目的は,ロードセルが正確に力を測定できるようにするためである. 図 12:ロードセル(共和電業 LMR-S-2KNSA2,定格容量:2kN,定格出力:1mV/V) 図 13:スターティングブロック(NISHIスポーツ NF155B)  横倉[13]のスタート動作検出方式における力の大きさの最大入力が 2kNに近いことから,最大入力 2kNになっている. 増幅器  増幅器(図 14)はロードセルで得られた電気信号を組込みボードに合わせた出力信号(電圧の大きさ)へ増幅するために用いられる.この増幅器は使用するロードセルとの接続仕様が一致し,組込みボードの最大入力電圧 3.3Vに出力できるよう可変することが可能である. 図 14:増幅器(共和電業 DPM-911B,出力:±10V,測定チャネル数:1) 3.2 システム動作 図10の反応時間計測システムを図 15に示す.具体的には,組込みボードを操作する際, PCのキーボードを用い,信号送信とデータ保存を行うことを可能としている.さらに,足で蹴る力を取得し終えた結果を PCのディスプレイに表示するようにした. 組込みボードからの信号送信では,“On your mark”と“Set”の合図に合わせて視覚刺激発生装置のそれぞれ対応する部分が発光する.また,計測対象に合わせて,“Start”の合図にも合わせて,視覚刺激発生の“Start”部分,触覚刺激発生装置のどちらかを起動する形になる. 図 15:反応時間計測システムの動作様子 3.2.1 スタート動作検出方式アルゴリズム 本システムで用いているアルゴリズムは,横倉[13]のスタート動作検出方式である移動平均と遅延を利用した変化量検出方式(図 16)であり,現在の陸上競技短距離走レースにおけるフライング検出にも用いられている[14,15]. 図 16:変化量検出方式システム 本アルゴリズムに必要な信号情報は,ロードセルから得られる,スターティングブロックを通して足で蹴る力である.足で蹴る力の大きさを時列情報として用い,アルゴリズムに用いている. 以下,移動平均と遅延を利用した変化量検出方式について詳しく述べる. ロードセルから力の大きさを得られた際に,AD変換し,量子化する.その際に量子化した力の大きさは,m個分の移動平均演算(式 1)によって,ノイズが除去された平均値となる.  H(z)=1/m・(1-zの-m乗)/(1-zの-1乗) (1) また,サンプリング周期 T毎に周波数応答で力の大きさを得られる(式 2).  H(eの-jωT乗)=sin(mωT/2)/msin(ωT/2)・eの-j((m-1)/2)ωT乗  (2) 平均値を k個分のサンプリング時間遅延した力の大きさを作るために必要なのが,振幅特性 G(ω)と位相特性φ(ω)である(式 3, 4). G(ω)=sin(mωT/2)/msin(ωT/2) (3)  φ(ω)=-((m-1)/2+k)ωT (4) 組込みボードに入力する信号は,直流成分V𝐷𝐶と力の変化による交流成分V𝐴𝐶 sin(φt)から組み合わせ,表すことができる(式 5).  x(t) = V𝐷𝐶 + V𝐴𝐶 sin(ωt)  (5) 入力された信号を遅延するために,式 5の入力信号x(t)を,式 1の移動平均演算を行い,時間遅延に必要である,式 3の振幅特性G(ω)と式 4の位相特性φ(ω)を含めることで,遅延信号yのオーバーライン(t)を得ることができる(式 6).  yのオーバーライン(t) = V𝐷𝐶 + G(ω)V𝐴𝐶 sin(ωt + φ(ω))  (6) 式 5の入力信号𝑥(𝑡)から式 6の遅延信号𝑦̅(𝑡)を引くことで,変化量信号(式 7)を算出する.  Δy(𝑡)=x(t) −yのオーバーライン(t) G(ω)・V𝐴𝐶 sin(ωt+φ(ω))−V𝐴𝑐 sin(ωt) (7) 変化量信号が閾値を超えた際に,動作検出信号が生成される(式 8). V𝐴𝐶・sin(ω)−G(ω)・V𝐴𝐶 sin(ωt+φ(ω))>P𝑠 (8) 3.2.2 反応時間の計測方法 反応時間の計測方法は図 17,反応時間の定義を図 18に示す.最初に,PCによる組込みボードの操作によって,刺激発生装置へ信号送信した時刻を「𝑇 = 0」とする.次に,スターティングブロックにあるロードセルが,スターティングブロックを蹴るスタート動作を感知するまでの流れを組込みボードで実施する.その際に感知した時刻「𝑌」とする.最後に,計測を終了した際に,「𝑌」から「𝑇 =0」を引き,反応時間「𝑇 = 𝑌 −0」を導く方法で計測する. ただし,各刺激発生装置の起動時間である Xについては様々であることから,以下の通りに対応した.視覚刺激発生装置は LEDの起動時間はμs単位であるため,計測した反応時間から減算しない.また,触覚刺激発生装置は用いるモーターによって異なることから,データシートによる起動時間と加速度による測定結果を踏まえた起動時間,計測最小時間 1ms単位の 3つを考察する必要がある. 図 17:反応時間計測の流れ 図 18:反応時間の定義 以下に,本システムにおける反応時間計測パラメータ(表 6)を示す. 表6:反応時間計測パラメータ サンプリング時間 1ms 移動平均個数 m 31 遅延個数 k 15 閾値 Ps 49N 以上,第 3章から第 5章までの内容で,開発した各感覚刺激発生装置を用いた比較一覧表を表 7に示す.なお,聴覚刺激発生装置については,開発しないことに至った.理由としては,今回の研究対象者が聴覚障害者となっているため,聴力による個人差が計測した反応時間に影響しやすい.そのため,視覚刺激と触覚刺激に絞った. 表 7:各刺激種類,伝達方式,比較の一覧 3.3 動作確認 クラウチングスタートによる反応時間計測システムが正確に動作していることを確認するために,クラウチングスタートによる反応時間計測システムの動作様子を図 19のグラフに示す. 図 19:反応時間計測システムの動作様子の例 まず,計測し終えるまでのロードセルが取得した情報が Nの大きさ,Nの大きさを時列情報として扱い,演算した結果である変化量の大きさの 2つが図 19のグラフに示されている.ロードセルが取得する情報である Nの大きさは実験対象者によって異なることから,定められた閾値を用いて反応時間を定義することが困難である.しかし,Nの大きさを時列情報として扱い,演算した変化量の大きさは,実験対象者による個人差を抑えられることから,定められた閾値を用い,反応時間を定義することが可能とわかっている.このグラフについては,参考にした横倉のスタート動作検出方式[12]にて報告された動作様子と同様であることも確認しており,正常に動作していることを確認した. また,試作の視覚刺激発生装置を用いた,反応時間計測結果を表 8に示す.表 8の数値から,先行研究で示された反応時間と同様な数値であることがわかっている.よって,正常に反応時間を計測されていることがわかった.ただし,今回は試作の視覚刺激発生装置は LEDを用いているため,信号入力から応答するまでの応答時間は 1μs程度であり,触覚刺激発生装置を開発する際に,応答時間を聴覚刺激発生装置の応答時間以下に抑える必要がある. 表 8:反応時間(実験協力者 1名) (ms) 1 回目 165 2 回目 178 3 回目 202 平均 182 標準偏差 18.8 第4章 触覚刺激における最適な伝達方式の選出 触覚刺激による伝達方式の検討と検討するために各伝達方式触覚刺激装置の開発を実施する.また,開発した各伝達方式触覚刺激発生装置を比較検討することで,陸上競技短距離走における最適な伝達方式を検討する. 4.1 各刺激発生装置の開発 従来の光刺激スタートシステムと同様である視覚刺激,触覚刺激の各感覚刺激発生装置を開発した.視覚刺激発生装置は従来の光刺激スタートシステムに合わせて LED方式とする.また,触覚刺激発生装置は,触覚刺激による伝達方式の検討を実施するために,振動方式とプッシュ方式の各伝達方式に対応した. 4.1.1 視覚刺激発生装置 LED方式が動作している様子を図 20に示す.下から,赤色,黄色,青色の LEDを順番に設置している.理由としては,既存の光刺激スタートシステム(1.2.1)の使用に限りなく近づけるために,“On your mark”“Set”“Start”の合図に合わせて,赤色,黄色,青色と発光する.2017年度以前の仕様である緑色から青色に変更した理由は,光の三原色(RGB)では赤色と緑色を重ねた色が黄色であることから,黄色と緑色との区別が難しいと考え,赤色と黄色のそれぞれを重ねても区別が容易であるのが青色と考えたからである.赤色(Jiangsu Everstar Electronics,ESL-R5A33ARCN114),黄色(Jiangsu Everstar Electronics,ESL-R5CHYC020),青色(Jiangsu Everstar Electronics,ESL-R5BLBC018)の LED1本の光の強さは,6,000[mcd],4,500[mcd],4,000[mcd]である. また,光の発光が強すぎるため,アクリル板を LEDの上に固定し,そのアクリル板に保護シールを貼ることで,LEDの発光の強さを抑えた. 図 20:LED方式の動作様子 また,LED方式の回路図(図21)では,改善した触覚刺激発生装置(4.1.2)に適した ACアダプタの出力(12V, 1.5A)に対応するために,各色の LEDを 12本ずつ設置した部分回路を,抵抗を設置した直列回路と並列回路を組み合わせた回路に設計した. 図 21:LED方式の回路図 4.1.2 触覚刺激発生装置 手形状の大きさや手指の長さによっては手の置き方に制限をかけてしまうことから,人間工学の知見を踏まえ,親指の指先から付け根までの距離,親指の指先から親指の第一関節までの距離の長さを考慮する必要がある(図 22). 図 22の(a)に示した,親指の指先から親指の付け根までの距離は,小原二郎らの“計測値のデザイン資料 人体を測る”[16]によると,一般男性の平均値 5.6cm(標準偏差 0.5cm)となっている.その数値を踏まえ,下記の条件を設けた. 図 22:親指の長さ (a)親指の指先から親指の付け根までの距離:5.0〜6.5cm (b)親指の指先から親指の第一関節までの距離:1.5〜2.0cm また,陸上競技短距離走スタートでの触覚刺激における伝達方式に相応しいのを検討するために,現在の触覚刺激における伝達方式の全てを下記に列挙する. 1.振動方式 2.プッシュ方式 3.空気方式 4.冷温方式 5.電気方式 空気方式と冷温方式は風や温熱などの環境要因の影響を受けるため,スタート信号を確実に伝達するのが困難と考えられる.また,電気方式は雨や汗などの環境要因の影響で人体に悪影響を与える可能性があり,かつ電気方式に対する心理的抵抗が強い(ビリッとする感覚に対する嫌悪感がある)ため,比較対象から除外した. 結果,残り 2つの振動方式とプッシュ方式のうちどちらが触覚刺激における最適な伝達方式に適するか比較することにし,各方式を開発した. 振動方式 振動発生装置については,振動をより強く伝達し,かつ応答時間が 1msと十分に短いモーターである ALPS社の振動デバイス(ハプティックリアクタ)にした(図 23). 図 23:振動デバイス(ALPS社ハプティック®︎リアクタ,応答時間:1ms,振動力:3G) また,手の大きさや手の置き方によっては指を振動板に接触させることが困難になる.指が振動板に接触していない状態になると,スタートのタイミングが把握しにくくなる.それを防ぐ手段として,手の置き方の自由度を確保するために,両手の親指にのみ接触する方式の伝達機構(図 24)を表9の条件で製作した. 図 24:振動方式-No.1の全体図 表 9:振動方式-No.1の伝達機構の製作条件 3Dプリンタ本体 FLASHFORGE社 InventorⅡ CADソフト Autodesk社 Inventor Professional スライスソフト FLASHFORGE社 Flashprint フィラメント Polymaker社 PolyPlus PLA 1.75mm 無着色(半透明) 接触面のサイズ 220×430×25mm(縦×横×厚さ) 使用方法については図 25に示す.クラウチングスタートを行う際にスタートラインに手を置く.その時に親指のスタートラインに向けたのと反対側にある第一関節の部分に接触する方法となっている. 図 25:振動方式-No.1の使用様子 プッシュ方式 プッシュ方式は,スタートのタイミングを把握しやすくするために,親指に向けて接触面を押し出す仕様にする.それにより,はっきりとしたタイミングでスタートを行えるようにする.また,その際に図 22の親指の長さについても考慮した. プッシュ方式-No.1には,プッシュ方式を実現するためのモーターとして ZonHen社のソレノイド(図 26)を採用した.ただし,応答時間についてはデータシートには搭載されていないが,加速度センサによる測定を行った結果,信号入力から加速度センサが反応するまでの応答時間は平均 7.5ms(標準偏差 0.67ms)である. 図 26:ソレノイド(ZonHen社 ZHO-0420S-05A4.5,最小プッシュ力: 80G) 片手の親指に接触面を押し出す方式の伝達機構(図 27)を表 10の条件で製作した. 図 27:プッシュ方式-No.1の全体図 表 10:プッシュ方式-No.1の伝達機構の製作条件 3Dプリンタ本体 FLASHFORGE社 InventorⅡ CADソフト Autodesk社 Inventor Professional スライスソフト FLASHFORGE社 Flashprint フィラメント Polymaker社 PolyPlus PLA 1.75mm 無着色(半透明) 接触面のサイズ 210×210×100mm(縦×横×厚さ) ソレノイドの鉄心を押し出す距離 (ストローク距離)0.5mm 使用方法については図 28に示し,その内容は振動方式 -No.1の使用方法と同様である. 図 28:プッシュ方式-No.1の使用様子 4.2 伝達方式の比較検証実験 比較実験については,聴覚障害者に適した伝達方式触覚刺激を特定するため,触覚刺激発生装置(4.1.2)の振動方式-No.1とプッシュ方式-No.1の 2種類に対して反応時間比較実験を行う.また,比較参考とし,現在一般に使用されている LED方式視覚刺激スタート合図である,視覚刺激発生装置の LED方式(4.1.1)に対する反応時間計測も実施する.なお,本実験は筑波技術大学研究倫理委員会の承認を受けている(承認番号:H29-39). 4.2.1 方法 ここでは,陸上競技短距離走経験のある(3年以上)聴覚障害者(70〜130dB,21〜22歳)を対象にした.具体的には,振動方式-No.1とプッシュ方式-No.1,LED方式のそれぞれに対して 5回ずつクラウチングスタートにおける反応時間を計測する.計測し終えた後にアンケートとインタビューを行い,各方式に対する「認識のしやすさ」と「スタートのしやすさ」についても同時に調査する.それらを 6回繰り返し実施する. 以下に実験概要(表 11),実験様子(図 29)を示す. 表 11:伝達方式の比較検証実験の概要 実験場所 筑波技術大学天久保キャンパス総合研究棟 1階 R101室 実験時期 2018年 2月〜4月 実験協力者 6名 反応方法 クラウチングスタート 図 29:4.2.1の実験様子 4.2.2 結果 実験により得られるデータ数は,実験対象者1名に対し 1回の実験当たり振動方式-No.1,プッシュ方式-No.1,LED方式を 5個ずつとなる.したがって,全実験で得られるデータ数は,振動方式-No.1,プッシュ方式-No.1,LED方式のそれぞれに対して 180個,合計 540個(=180個×3種類)となる. なお,得られたデータの外れ値の決定方法には標準偏差による選択[17]を用いた.具体的には,それぞれの刺激での平均値に対して標準偏差の 3倍の範囲から外れたものを外れ値として除外した.除外した数が,振動方式-No.1が 2個となった. 2種類の触覚刺激に対する反応時間と標準偏差の解析結果を表 12と図 30に示す.ウェルチの t検定を行った結果,反応時間の平均値の差については有意傾向が確認できた(p=0.088 < 0.10).また,F検定の結果,反応時間の標準偏差の差については有意差があった(p=0.005 < 0.05).すなわち,プッシュ方式-No.1の方が反応時間が速く,安定している.以上により,触覚刺激における伝達方式としては,プッシュ方式の方が振動方式よりも適していると判断した. しかし,アンケート調査では,実験協力者から「押す力を強くしてほしい」,「手の置き方に制限がかかってしまう」など,プッシュ方式に対する課題について意見が寄せられた. 表 12:2種類の触覚刺激の平均と標準偏差(被験者 6名) 図 30:2種類の触覚刺激に対する反応時間のヒストグラム 次に,プッシュ方式-No.1と現在一般に使用されている LED方式視覚刺激である LED方式との差を検証した.解析結果を表 13と図 31に示す.ウェルチの t検定では有意差を確認できなかった(p=0.391 > 0.05)ものの,F検定では有意傾向が確認できた(p=0.074 < 0.10). 表 13:各刺激の平均と標準偏差(実験協力者 6名) 図 31:各刺激に対する反応時間のヒストグラム 4.3 触覚刺激発生装置の改良 プッシュ方式-No.1(4.1.2)では,4.2.2で判明した課題「押す強さ」を解決するために,プッシュ方式-No.1に用いたソレノイドよりも常に安定した押す力が強いソレノイドを新たに選定した(14C-3C,図 32). 図 32:小型プッシュプルソレノイド(新電元メカトロニクス社 14C-3C) また,もう 1つの課題である手の置き方の自由度をさらに確保するために,伝達機構(図 33)を,図 22の親指の長さについても考慮するとともに,新規ソレノイドに合わせて若干小型化した.表 14の条件で製作し直した.なお,応答時間については,信号入力から加速度センサが反応するまでの時間として測定した結果,平均 8.6ms(標準偏差 0.66ms)になっている. 表 14:プッシュ方式-No.2の伝達機構の製作条件 3Dプリンタ本体 Ultimaker社 Ultimaker 2 Go CADソフト Autodesk社 Inventor Professional スライスソフト Ultimaker社 Cura フィラメント Ultimaker社 PLA 2.85mm 白色 接触面のサイズ 190×186×100mm(縦×横×厚さ) ソレノイドの鉄心を押し出す距離(ストローク距離) 0.5mm 図 33:プッシュ方式-No.2の全体図 また,使用方法については,図34に示す通りに,プッシュ方式 -No.1の使用方法と同様である. 図 34:プッシュ方式-No.2の使用様子 4.4 選出した伝達方式の検証実験 評価実験については,触覚刺激発生装置のプッシュ方式-No.2(4.3)と視覚刺激発生装置の LED方式-No.1(4.1.1)に対して反応時間比較実験を行うことで,現在一般に使用されている LED方式視覚刺激スタート合図よりも有効であると検討することを目的とする.なお,本実験は筑波技術大学研究倫理委員会の承認を受けている(承認番号:H29-39). 4.4.1 方法 ここでは,陸上競技短距離走経験のある(3年以上)聴覚障害者(70〜130dB,21〜22歳)を対象にした. 具体的には,プッシュ方式-No.2と LED方式-No.1のそれぞれに対して 5回ずつクラウチングスタートにおける反応時間を計測する.その際,自己申告形式でスタートについて述べてもらい,満足ではなければ,再計測という形にした.それらを 6回繰り返し実施する. また,8回目と 16回目が終わった後にはその場でアンケートとインタビューを実施する. 以下に実験概要(表 15),実験様子(図 35)を示す. 表15:選出した伝達方式の検証実験の概要 実験場所 筑波技術大学天久保キャンパス総合研究棟 1階 R101室 実験時期 2018年 6月〜8月 実験協力者 6名 反応方法 クラウチングスタート 図 35:選出した伝達方式の検証実験の様子 4.4.2 結果 実験で得られたデータ数については,実験対象者1名に対し 1回の実験当たり,プッシュ方式-No.2と LED方式-No.1のそれぞれが 5個ずつとなる.したがって,全実験で得られるデータ数は,プッシュ方式-No.2と LED方式-No.1のそれぞれに対して 480個,合計 960個(=480個×2種類)となる.また,外れ値処理方法は,各刺激における実験協力者個別の平均値から標準偏差の 3倍以上離れている範囲に当てはまるデータを外れ値とした. さらにヒストグラムでは,475ms以上のデータが他のデータと比べて大きすぎるため,外れ値として除外した. これらのデータを用い,解析した結果を表 16と図 36に示す.ウェルチの t検定では有意差を確認できなかった(p=0.1851 > 0.05)ものの,F検定では有意傾向が確認できた(p=0.086 < 0.10). 表 16:プッシュ方式-No.2と LED方式-No.2の平均と標準偏差 図 36:プッシュ方式-No.2と LED方式のヒストグラム また,7段階リッカート尺度アンケートの結果を表 17に示す.16回目の実験が終了した後の各刺激に対する「認識しやすさ」の平均値は 8回目の実験が終了した後の平均値よりもわずかに良くなっていた.さらに,16回目の実験が終了した後のプッシュ方式-No.2に対する「認識しやすさ」は LED方式よりもわずかに良いとなっている. 16回目の実験が終了した後の「どちらの方が認識しやすいか」では,プッシュ方式-No.2の方が LED方式よりもわずかに認識しやすい.この結果は,実験協力者の皆がプッシュ方式 -No.2を使用することに対して慣れている可能性を示している. 表 17:7段階リッカート尺度アンケートの結果 これらの結果は,陸上競技短距離走における聴覚障害のある選手にとっては LED方式視覚刺激よりもプッシュ方式触覚刺激の方が適していることを示している. 一方,「どちらの方がスタートしやすいか」の結果では,プッシュ方式-No.2に課題があることを示している.ほとんどの実験協力者は,4.2.2の伝達方式の比較検証実験と同様に,押す力が弱い,手の置き方に制限があると述べている. 第5章 触覚刺激における最適な伝達方式による提示形状の検討 5.1 触覚刺激発生装置の改良 プッシュ方式-No.1(4.1.2)とプッシュ方式-No.2(4.3)では,LED方式(4.1.1)と比較しても有意差が認められないことから,伝達機構を再び見直すことに至った.ただし,触覚刺激を生起させる装置には,プッシュ方式-No.2に用いた小型プッシュプルソレノイド(4.3,図 32)を引き続き使用する. まず,ソレノイドを用いた反応時間について研究されているか再調査を実施した結果,田中らのソレノイドによる触覚刺激に対する反応時間[18]の報告では,ソレノイドの鉄心を押し出す距離であるストローク距離が 3mm,6mm,9mm,12mmの場合の方が,ソレノイドの鉄心を押し出す距離が 0mmの場合よりも反応時間が速いとされている.また,鉄心を押し出す距離が長いほど刺激強度が強くなるとしている.この内容については,刺激強度について報告されている研究内容[19]と同様で,刺激強度が強いほど反応時間が速くなるとされている.この報告を受けて,4.1.2のプッシュ方式-No.1と 4.3のプッシュ方式-No.2は,ソレノイドの鉄心を押し出す距離が 0mmとなっていることで,刺激強度が弱い状態に陥ってしまっていると想定される.刺激強度が弱かったために,4.1.1の LED方式との差に有意差が認められない理由になっている可能性があると考察する. この仮説により,プッシュ方式-No.1(4.1.2)とプッシュ方式-No.2(4.3)で用いた,親指に密着した接触面をソレノイドの鉄心が押し出す方法から,ソレノイドの鉄心が直接親指の皮膚を押し出す方法に変更し,伝達機構を表 18の条件で製作した. 表18:プッシュ方式-No.3の伝達機構の製作条件 3Dプリンタ本体 FLASHFORGE社 InventorⅡ CADソフト Autodesk社 Fusion 360 スライスソフト FLASHFORGE社 Flashprint フィラメント Polymaker社 PolyPlus PLA 1.75mm 無着色(半透明) ソレノイドの鉄心を押し出す距離(ストローク距離) 3.0mm ソレノイドの鉄心の高さ 9.0mm また,製作した伝達機構を図 37に示す.図 37の青色四角で囲まれているのが伝達機構の親指に接触する部分であり,その接触部分を真正面から見た様子を図 38に示す.その接触部分の種類を 3種類用意した(表 19).応答時間については,信号入力から加速度センサが反応するまでの時間の測定結果,平均 9.1ms(標準偏差 0.3ms)になっている. 図 37:プッシュ方式-No.3 図 38:プッシュ方式-No.3の接触面仕様 表 19:プッシュ方式-No.3の接触面仕様 3種類 刺激名 X プッシュ方式(0mm) 0.0mm プッシュ方式(2mm) 2.0mm プッシュ方式(4mm) 4.0mm 接触部分の仕様である,ソレノイドの鉄心と接触面の隙間の距離を 2mm毎に定めた理由は,Kimberlyらの報告[11]では親指の皮膚における,2点弁別閾の最小距離は 1mmとなっている.しかし,同時に触覚刺激を与えた条件となっており,常に決まった箇所に触覚刺激を与えている状態で,別の箇所に触覚刺激を与える条件では見当たらなかった. そのため,常に決まった箇所に触覚刺激を与えている状態で,別の箇所に触覚刺激を与える条件下における接触面を図 22の親指の長さに基づいて考慮し,ボタン押しによる反応時間計測(5.2)にて検討することにした. 5.2 接触面の比較検証実験 最適な触覚刺激による提示形状を検討するために,触覚刺激発生装置のプッシュ方式-No.3の接触部分の 3種類(5.1)と接触箇所(親指の指腹・親指の第一関節)の 2種類の組み合わせ(計 6通り)に対する反応時間計測を実施する.なお,本実験は筑波技術大学研究倫理委員会の承認を受けている(承認番号:H29-39). 5.2.1 ボタン押しによる反応時間計測システム 今回の実験では,クラウチングスタートによる反応時間ではなく,ボタン押しによる反応時間を計測する形になっているため,図 39のボタンモジュールを用いたシステム構成(図 40)となっている. 図 39:ボタンモジュール(Seeed GROVE-Button) 図 40:ボタン押しによる反応時間計測システムの構成 図 40のボタン押しによる反応時間計測システムの動作様子を図 41に示す.また,反応時間計測アルゴリズムについては,信号送信を発してからボタン押下されるまでの時間を最小時間 1ms毎に計測する方式にした. 図 41:ボタン押しによる反応時間計測システムの動作様子 5.2.2 方法 具体的には,陸上競技短距離走経験のある(3年以上)聴覚障害者(70〜130dB,21〜22歳)6名に対し,プッシュ方式-No.3の 6通り,LED方式のそれぞれに対して,刺激信号を発してから実験協力者が刺激を知覚してボタン押下するまでの反応時間を 10回ずつ計測する.その際,ボタンは利き手で押下し,触覚刺激はそれと反対の手に与えるものとする.以上を 4回繰り返した後(計 40回/刺激種),アンケートとインタビューを実施した. 以下に実験概要(表 20),実験様子(図 42)を示す. 表 20:接触面の比較検証実験の概要 実験場所 筑波技術大学天久保キャンパス総合研究棟 1階 R101室 実験時期 2018年 10月 実験協力者 6名 反応方法 ボタン押し 図 42:4.5.1の実験様子 また,接触部分に接触させる箇所の親指の指腹,第一関節の場合の接触方法について,以下に述べる.なお,持つ際には強く握るように指導している. 指腹の場合 触覚刺激発生装置を非利き手の掌の上に乗せる.その際に接触面を親指の指腹に接触させる. 図 43:指腹の部分に接触させる方法 第一関節の場合 触覚刺激発生装置を非利き手の掌の上に乗せる.その際に接触面を親指と人差し指の間にある親指の内側と反対側にある第一関節の部分に接触させる. 図 44:第一関節の部分に接触させる方法 5.2.3 結果 プッシュ方式-No.3の 6通り,LED方式-No.2のそれぞれに対する反応時間と標準偏差を表 21に示す. 表 21:各刺激の平均と標準偏差,分散(ms) また,Tukeyと Bonferroniの多重比較法を用い,解析した結果を表 22に,各刺激に対する反応時間の平均を図 53のグラフに示す.図 45のグラフにある“ *”は,Tukeyと Bonferroniの多重比較法の両方とともに有意差が認められた間の組み合わせを表している.更に有意差が認められた間についての両方の多重比較法で有意差が認められた間の組み合わせを表 23に列挙する. 表 22:Tukeyと Bonferroniの解析結果 図 45:各刺激に対する反応時間の平均 表 23:有意差が認められた組み合わせの一覧 これらの結果より,プッシュ方式(0mm)とプッシュ方式(2mm)が LED方式視覚刺激よりも効果的であることがわかった.また,プッシュ方式(0mm)を親指の指腹に接触させる手法は,プッシュ方式の中で最も遅いプッシュ方式(4mm)を親指の第一関節に接触させる手法との間に有意差が認められたが,プッシュ方式(0mm)を親指の第一関節に接触させる手法では有意差が認められていない. しかし,プッシュ方式(2mm)は親指の指腹と第一関節に接触させる手法の両方とも,プッシュ方式(4mm)を親指の第一関節に接触させる手法との間に有意差が認められていることから,プッシュ方式の中で一番優れていることがわかった. また,鉄心を当てる位置については,親指の指腹と親指の第一関節との間に有意差が認められないということから,実際にクラウチングスタートを用いる状況下では親指の第一関節がベストであると判断した. さらに,反応時間の平均を比較すると,特定したプッシュ方式(2mm)と LED方式との差では,18.1msとなっている.この数値は伊福部の知覚時間比較実験[7]における差から 6.9msと異なっている.異なっている原因について考察した.使用しているモーターのソレノイドを起動してから,選手の手までに伝達する応答時間を計測した結果,9.1msかかっていることが判明した.この時間を聴覚刺激発生装置の応答時間に合わせた場合,9.1 − 2.936 = 6.164(𝑚𝑠)となり,約 6.2ms遅れている.この数値をスタート開始時刻とし,現在のプッシュ方式に対する反応時間の平均から減算した場合,178.2 − 6.2 = 172.0(𝑚𝑠)となる.この平均は LED方式に対する反応時間よりも 24.3ms速いことが想定され,有効性があることが期待できる. 第6章 結論 6.1 まとめ 本研究では,最終目的である,「聴覚障害者」のみではなく,「視覚障害者」を始めとした「障害者」,更に「聴者」をも対象とする,ユニバーサルデザインに基づくスタート合図の提案,並びにスタートシステムを構築するために,次の 4つを実施した. 1.触覚刺激によるスタートシステムの提案 2.反応時間計測システムの開発 3.触覚刺激における最適な伝達方式の選出 4.触覚刺激における最適な伝達方式による提示形状の検討 聴覚障害者陸上競技における新たな代行感覚を利用したスタートシステムとして,触覚刺激によるスタートシステムの提案を行い,その提案を実現していくために,触覚刺激を用いたスタート合図と既存の LED方式視覚刺激スタート合図との反応時間比較実験を聴覚障害者対象にして繰り返し実施した.その際に実験で明確にした,1つ 1つの課題を解決していき,触覚刺激における最適な伝達方式による提示形状は,プッシュ方式の,ソレノイドの鉄心と接触面の隙間の距離が 2mmである仕様(5.1)を親指の第一関節に接触させる方法が適することを明らかにした. 6.2 今後の課題 聴覚障害者に最適な触覚刺激における伝達方式による提示形状に適した,プッシュ方式-No.3の 2mm仕様(5.1)を親指の第一関節に接触させる方法は,クラウチングスタートによる反応時間による有効性はまだ検討されていない状態である.理由としては,実際の陸上競技短距離走レースを想定とし,クラウチングスタートによる反応時間比較実験を実施していない. また,健聴者と一緒に競い合うことを前提にしている.その場合,健聴者が使用する聴覚刺激発生装置の応答時間に合わせることを考慮し,触覚刺激発生装置の応答時間を 3ms以下に抑える必要がある. 今後の重要な課題としては,聴覚障害者を対象とするだけではなく,聴者,視覚障害者などの障害者の誰でも使えるユニバーサルデザインにしていくために,聴者や視覚障害者,車椅子や義足,義手を使用する障害者に対しての反応時間計測を行う.それだけはなく,プッシュ方式の,ソレノイドの鉄心と接触面の隙間の距離が2mmである仕様を親指の第一関節に接触させる方法を,ハプティックインタフェース技術を用いて実用化していく必要がある.さらに,各自の選手がそれぞれの練習環境で使い,触覚刺激によるスタート練習を日常的に実施できるようにするために,モバイルシステムとして開発することも今後の重要課題である. 参考文献 [1] 青山利春,竹見昌久,岡本三郎,「光刺激スタートシステム」の開発・普及活動の取り組み,聴覚障害,Vol.67 No.743 pp.21-26 2013 [2] 光刺激スタート発信装置,NISHIスポーツ,https://www.nishi.com/products/kizai/post-98.html,2018年 12月 29日アクセス [3] 公益財団法人日本陸上競技連盟,第 144条 競技者に対する助力,日本陸上競技連盟競技規則,第 2部 競技会一般規則,pp.178-181,2018(参照 2019-01-08) [4] 吉田茂,朴寅圭,瞬目による握力反応時間の遅延,筑波大学体育科学系紀要,Vol.22,pp.109-117, March 1999 [5] 大山正,反応時間研究の歴史と現状,人間工学,21(1),pp.57-64,1985 [6] Robert Woodworth, Harold Schlosberg, Experimental Psychology, New York, Holt, Jan 1954 [7] 伊福部達,発音訓練における感覚代行,人間工学,Vol.16,No.1,pp.5-17,1980 [8] 公益財団法人日本陸上競技連盟,第 165条 計時と写真判定,日本陸上競技連盟競技規則,第 3部 トラック競技, pp.214-220,2018 [9] 穂苅真樹,沖俊典,聴覚障害者スポーツのための報知・警告システムの開発, スポーツ産業学研究Vol.25,No.1,pp.89-95,2015 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