冊子タイトル  トピック別聴覚障害学生支援ガイド―PEPNet-Japan TipSheet集(改訂版)― (3ページ) はじめに 聴覚障害学生支援を担当する方々の間では、次のような問題が繰り返し挙げられています。 「聴覚障害学生からノートテイクをつけてほしいといわれたが、どうすればよいのかよく分からない」「支援担当になり企画を立てて上司に提案するが、なかなか理解を得られず困っている」「教員に対して聴覚障害学生が受講しているため配慮をしてほしいと文書を渡したが、理解されていないらしい」「ゼミに聴覚障害学生が参加することになった。聞こえる学生と一緒に授業を進めるための方法が分からない」「友達の聴覚障害学生に頼まれてノートテイクをやっているけれどうまく書けない、方法が分からない」 このような「理解されない」「分からない」ことが、支援を進める過程で大なり小なり壁になっているようです。 しかし、こういったケースへの対応は、障害者をとりまく法律の改正や差別的取り扱いを禁止する法律(障害者差別解消法)の施行により法的根拠に基づき実施されなければならず、その必要性も高まっています。 こうした現状をふまえ、聴覚障害学生支援を積極的に行ってきた大学・機関間のネットワークである日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(以下 PEPNet-Japan)では、高等教育支援に携わる人々の疑問に的確に応え、かつ手軽に利用できる資料を提供するために、1つのトピックに関する情報をA4 裏表のシートにコンパクトに まとめ、1枚ずつ閲覧、配布ができるPEPNet-Japan TipSheet(チップシート)を作成しました。 TipSheet は、もともと聴覚障害学生支援の先進国であるアメリカで開発されました。全米の各大学に向けて、支援に関わる情報提供や相談対応を行っている北東地区テクニカルアシスタントセンター(NETAC:ニータック、本部はニューヨーク州ロチェスター市のロチェスター工科大学内国立ろう工科大学(NTID))が、初めて聴覚障害 学生支援を担当する大学教職員に必要な知識や情報を短時間で入手してもらえるよう、一つひとつのトピックを1枚ずつのシートに収めたTipSheet を考案、作成しました。 PEPNet-Japan では、米国NETAC の成果を参考に、シートの形式や配布方法はNETAC のものを取り入れながら、トピックや内容は日本の現状に即したもので構成した、独自のPEPNet-Japan TipSheet の開発を進めてきました。開発したPEPNet-Japan TipSheet は全て、PEPNet-Japan のホームページから無料でダウンロードできます。 本書は、「必要な情報を選択して入手するシート形式だけでなく、幅広い情報を網羅したものがほしい」という ご要望にお応えし開発した冊子「トピック別聴覚障害学生支援ガイド─ PEPNet-Japan TipSheet 集」に、2016年に施行された障害者差別解消法をふまえて内容の追加・改編を行い、26トピックをまとめて新たに発行したものです。多くの高等教育機関で聴覚障害学生支援の充実が図られるよう、ぜひご活用いただければ幸いです。 2017年3月 日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)事務局 (4ページ) 目次 はじめに・・・P.3 目次・・・ P.4 TipSheet 活用の手引き・・・P.7 目的別活用法・・・P.8 第1章 聴覚障害学生支援と合理的配慮について理解する・・・P.9 1.高等教育における聴覚障害学生支援(執筆者:白澤麻弓)・・・ P.10 聴覚障害学生支援の必要性/聴覚障害学生の感じる困難/情報保障の手段/情報保障の担い手 2.聴覚障害学生支援の全国的状況と大学に求められる取り組み(執筆者:白澤麻弓)・・・P.13 聴覚障害学生支援の現状/法律の施行と大学に求められる取り組み 3.障害者政策の変容と差別解消法の意義(執筆者:三原岳)・・・P.16 障害者政策の転機/障害者基本法の改正/障害者差別解消法の枠組み/国連障害者条約とADA法/文部科学省検討会の動向/手話言語条例などの動向 4.合理的配慮の考え方と決定過程(執筆者:三原岳)・・・ P.20 障害者差別解消法のインパクト/社会的障壁とは何か/合理的配慮のプロセス/リスニング試験、シンポジウムの場合は?/試行錯誤の積み重ねを 5.聴覚障害の社会モデル(執筆者:松岡克尚)・・・ P.23 社会モデルで捉える聴覚障害/聞こえの程度は様々/聞こえないことによる困難/障害者権利条約と社会モデル/障害者差別解消法と合理的配慮 第2章 聴覚障害学生のコミュニケーションと教育環境について理解する・・・P.27 6.聴覚障害(執筆者:大沼直紀)・・・ P.28 聞こえのしくみと難聴/外耳/中耳/伝音難聴/感音難聴/人工内耳による聴覚の回復/子どもの難聴とおとなの難聴 7.聴覚障害幼児・児童・生徒を囲む教育環境(執筆者:根本匡文)・・・P.31 障害の早期発見と教育の開始/幼稚園段階の教育環境/小学校段階の教育環境/中学校段階の教育環境/高等学校段階の教育環境/障害とニーズの多様性 8.聴覚障害教育におけるコミュニケーション方法(執筆者:太田富雄)・・・ P.34 聴覚障害教育におけるコミュニケーション方法/聴覚口話法/キュード・スピーチ/手話法 9.聴覚障害学生のコミュニケーション方法(執筆者:松﨑丈)・・・P.37 コミュニケーションの本来の意味/コミュニケーション方法の最適な選択/コミュニケーション方法の特徴と対応/コミュニケーションの共同的実践 10.聴覚障害学生の意思表明とその支援(執筆者:吉川あゆみ)・・・P.40 さまざまな聴覚障害学生/支援がもたらす心理的葛藤/心理的葛藤から主体性形成・共生改革へ/各段階に応じた支援/全段階を通じての支援 11.授業における教育的配慮(執筆者:石原保志)・・・ P.43 聴覚障害学生への情報保障の意義/全般的な留意事項/授業における留意事項/より良い授業実施に向けて 第3章 情報保障支援について理解する・・・ P.47 12.情報保障の手段(執筆者:岩田吉生)・・・P.48 様々な情報保障の手段/文字による支援方法/手話通訳/その他の様々な情報保障の手段 13.文字による支援方法(執筆者:三好茂樹)・・・ P.51 文字による支援とは?/ノートテイク/パソコンノートテイク/OHCを用いた手書き要約筆記/遠隔地での支援/音声認識による支援/速記による支援 14.手書きのノートテイク その特徴と活用(執筆者:太田晴康)・・・ P.54 ノートテイクの目的/手書きによるノートテイクの特徴/ノートテイクの評価 15.パソコンノートテイク その特徴と活用(執筆者:太田晴康) ・・・P.57 文字による適切な配慮/1人要約入力と連係入力/ノートテイクの評価 16.高等教育における手話通訳の活用(執筆者:PEPNet-Japan事務局)・・・ P.60 手話とは/手話通訳とは/手話通訳を利用した授業/よりよい情報保障を行うために 17.手話通訳による支援1(大学ヘの登録制度)(執筆者:PEPNet-Japan事務局)・・・P.63 手話通訳者の確保/支援の実際/最後に 18.手話通訳による支援2(手話通訳スタッフの雇用)(執筆者:金澤貴之)・・・P.66 手話通訳者の雇用に至る経緯と業務内容/学生のニーズ把握と地域手話通訳者の活用/支援の実際 19.通訳者の健康障害とその対応(執筆者:垰田和史)・・・ P.69 頸肩腕障害とは/手話通訳における頸肩腕障害問題の経過/なぜ手話通訳者は頸肩腕障害になりやすいのか/手話通訳者の健康を守るための注意事項 20.補聴援助システム(執筆者:立入哉)・・・ P.72 「補聴援助システム」とは?/「補聴援助システム」の効果とは?/「FM補聴システム」とは?/「FM補聴システム」の種類/「FM補聴システム」の使い方/「FM補聴システム」の使用上の配慮事項/その他の補聴援助システム 第4章 障害学生支援体制の構築と運営について理解する・・・ P.75 21.支援体制の組織化のプロセス(執筆者:岩田吉生)・・・ P.76 全学的な支援を行う意義と必要性/他の大学等の事例の活用/支援体制の組織/予算/支援体制立ち上げの流れ 22.聴覚障害学生支援におけるコーディネート業務(執筆者:土橋恵美子・倉谷慶子・中島亜紀子)・・・P.79 コーディネートの業務/コーディネーターの設置形態/コーディネーターに求められる資質と条件 23.入学当初のサポート(執筆者:土橋恵美子・倉谷慶子・中島亜紀子)・・・P.82 入学決定後のサポートの流れ/入学前の打ち合わせ/履修に関する配慮/入学式での情報保障/オリエンテーション/配慮の依頼 24.学期初めのコーディネート業務(執筆者:事務局)・・・P.85 聴覚障害学生のニーズの把握/教員による配慮や環境整備/情報保障支援の準備/授業開始後のコーディネート/支援担当者の留意事項 25.障害学生支援の財源について(執筆者:金澤貴之)・・・ P.88 支援体制の立ち上げに必要なこと/公的な財源について/予算確保に関する考え方 26.支援体制の見直しのプロセス(執筆者:岩田吉生)・・・P.91 支援体制の見直しの意義と必要性/全学的な支援体制の見直し/聴覚障害学生に対するサポートの見直し/支援学生に対するサポートの見直し/地域の他機関との連携 教材のご案内・・・P.94 PEPNet-Japanについて・・・P.95 (7ページ) TipSheet 活用の手引き ~TipSheet を効果的に活用するために~  PEPNet-Japan TipSheet(以下TipSheet)には、支援全般に関すること、聴覚障害について、情報保障の方法、支援業務や支援体制に関するものなど、現在26の様々なトピックがあります。この中から、必要な人が必要なときに、必要な情報を手に入れるために、本書の活用方法をご紹介します。 ◆TipSheet を読む まず、どんなことについて調べたいか、項目をピックアップしてみて下さい。 【目次から】 目次に掲載したTipSheet のタイトルと主な内容から、適切なものを選んでみて下さい。 【目的別活用法から】 本書はどこから読み進めていただいてもかまいませんが、知りたいことや困りごとそれぞれに最初に読んでいただきたいTipSheet をご紹介する活用法を載せています。別の情報を求めていらっしゃる方にTipSheet をご紹介いただく際の目安にもなるでしょう。 ◆TipSheet を使う TipSheet は支援に携わる関係者の間で情報を共有したり、教職員や周りの学生への理解を促したりすることにも有効に活用していただきたいと考えています。本書のページをコピーして、関係者へ配布して活用していただけます。 たとえばこんな時に・・・ ・支援担当の教職員が、聴覚障害学生への配慮事項を教員へ案内する際にTipSheet も添付する ・聴覚障害学生支援について学ぶFD/SD の際に、参考資料としてTipSheet を配付する・聴覚障害学生が、入学予定の大学に支援を依頼する際の参考資料としてTipSheet を渡す ・新しい情報保障手段を導入する際に、支援担当の教職員や関係部署の職員で概要を学ぶためにTipSheet を活用する ・教員が一般学生に対して聴覚障害に関する知識を伝え、理解を促すために授業でTipSheetを配布する ◆より詳細な関連情報への手がかりにする TipSheet は必要最低限の情報をコンパクトにまとめたものですが、ここをはじめとしてより多くの具体的で詳細な情報にアクセスしていただくことが可能です。各種マテリアルと組み合わせて活用してください。また、各ページには関連するTipSheet の紹介や関連情報を載せていますので、あわせてご活用ください。 PEPNet-Japan が開発したマテリアルは本書の最後に掲載しています。PEPNet-Japan ホームページではこの他にもさまざまな情報を掲載しています。 日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan) http://www.pepnet-j.org/ (※注)※TipSheet の著作権はPEPNet-Japan に帰属しています。インターネットからダウンロードしたものを印刷・配布していただくのは構いませんが、電子媒体での配布や、商用での利用はご遠慮いただきますようお願いします。 (8ページ) 【目的別活用法】 ここでは「こんなことを知りたい」という目的別に、本書をどこから読み進めて頂きたいかをご紹介しています。 ○聴覚障害学生支援に関する基本的な考え方を知りたい  STEP1 第1章 聴覚障害学生支援と合理的配慮について理解する  STEP2 第2章 聴覚障害学生のコミュニケーションと教育環境について理解する ○障害者差別解消法について理解を深めたい  第1章 障害学生支援と合理的配慮について理解する  [特にコレ!] 「3.障害者施策の変容と差別解消法の意義」 「4.合理的配慮の考え方と決定過程」 ○聴覚障害についての理解を深めたい  STEP1 第2章 聴覚障害学生のコミュニケーションと教育環境について理解する  STEP2 第3章 情報保障について理解する ○聴覚障害学生のコミュニケーションについて知りたい  STEP1 第2章 聴覚障害学生のコミュニケーションと教育環境について理解する  STEP2 第3章 情報保障について理解する ○情報保障の方法について知りたい  第3章 情報保障について理解する  [特にコレ!] 「12.情報保障の手段」 ○情報保障以外の配慮やかかわり方について知りたい  STEP1 第2章 聴覚障害学生のコミュニケーションと教育環境について理解する  [特にコレ!] 「11.授業における教育的配慮」  STEP2 第1章 聴覚障害学生支援と合理的配慮について理解する ○支援のコーディネートについて知りたい  第4章 聴覚障害学生支援体制の構築や運営について理解する  [特にコレ!] 「23.入学当初のサポート」 「24.学期初めのコーディネート業務」 ○支援体制をととのえる方法を知りたい  第4章 聴覚障害学生支援体制の構築や運営について理解する  [特にコレ!] 「21.支援体制の組織化のプロセス」 「26.支援体制の見直しのプロセス」 「25.障害学生支援の財源について」 (9ページ) 第1章 聴覚障害学生支援と合理的配慮について理解する 聴覚障害学生支援に携わる教職員、聴覚障害学生、情報保障者など、どの立場の方にも、最低限知っておいていただきたいトピックスです。 1.高等教育における聴覚障害学生支援  聴覚障害のある大学生のおかれている状況と、それに基づき必要とされる支援はどのようなものか、また実際にどのように支援が行われているかをまとめています。   2.聴覚障害学生支援の全国的状況と大学に求められる取り組み  近年の高等教育機関における支援の全体像について、基本的な情報をまとめています。 3.障害者政策の変容と差別解消法の意義  障害者差別解消法の基本的な知識と、法律制定までの経緯や背景をまとめています。法律の施行によって今までと何が変わったのかを把握するために必読のトピックです。 4.合理的配慮の考え方と決定過程  障害者差別解消法に沿って支援を提供していく上で不可欠となる、合理的配慮についての考え方がわかりやすく解説されています。 5.聴覚障害の社会モデル  社会モデルに基づく聴覚障害について、基本的な考え方や法律との関わりについてまとめています。 (10ページ) 1.高等教育における聴覚障害学生支援 執筆者:白澤麻弓(しらさわ まゆみ) (1)聴覚障害学生支援の必要性 聴覚に障害のある学生が大学などの高等教育機関で学ぶ際、通常の音声によって伝えられる授業の情報を受け取ることができないなどの困難が生じます。そのため、今のように支援が行き渡っていなかった時代に大学生活を経験した聴覚障害学生の多くが、大学や短期大学での授業を振り返って、以下のような感想を残しています。 「先生方が一方的に話をする大学の授業では、わからないのが当たり前でした。特に教科書を用いない授業では、何の勉強をしているのかさえもわからず、ただ先生の様子を眺めているしかありませんでした。中でも、授業の中で、教室がドッと笑いに包み込まれる時間が一番苦痛でした。みんなが楽しそうに笑っているのに、自分だけ何のことだかわからずに下を向いている、この時の独りとり残されたような寂しさ。自分も聞こえる学生と同じように授業を聞きたい、何度もそう思っていました。」 このことは、多くの聴覚障害学生にとって、高等教育機関で行われる授業が適切な合理的配慮なしにはわからないものであることを示しています。すなわち、何の支援もない状態では、聴覚障害学生のほとんどが、板書やスライドなど数少ない手がかりを元に、必死に情報を追い求めることを強いられるということです。 もちろん、比較的軽度の聴覚障害学生であれば、聴覚を用いてある程度の情報を得られることはあるかもしれません。しかし、周囲の障害のない学生と対等な参加を保障するためには、やはり板書や資料を増やすなどの適切な合理的配慮が不可欠でしょう。加えて、中~重度聴覚障害のある学生、あるいは軽度であっても聞き取りづらい環境にある場合には、文字や手話といった視覚的な手がかりを用いた「情報保障」が重要になります。 本シートでは、こうした情報保障をはじめ、聴覚障害学生が大学生活を送る上で必要とされる合理的配慮の内容とその考え方について説明します。 [参照TipSheet 4.合理的配慮の考え方と決定過程] (2)聴覚障害学生の感じる困難 聴覚障害学生が大学生活を送る上で直面しやすい問題には、以下のような内容があげられます。 1)友達との会話に入れない 新しい友人と出会い、人間関係を広げることは大学生活上非常に重要な要素です。しかし、聴覚障害があると友人同士の些細な会話についていけず、仲間作りに困難をともなうことがあります。 2)討議についていけない 学生相互の意見交換は、自身の考え方を高める上で非常に重要な要素です。しかし、聴覚障害があるとこうした討議への参加が困難になります。 3)連絡や放送がわからない 授業中、口頭で伝えられる試験や休講の連絡がわからなかったり、校内放送の内容がつかめなかったりします。この結果、予定の変更などに気づかないことがあります。 4)連絡が取れない 電話による音声会話が困難なため、大学生活上、不都合が生じることがあります。メールの普及によってかなり状況は改善されてきましたが、複雑な内容を伝達したり、やりとりを要する場面では不便さが残ります。 5)非常時の情報が得られない 非常ベルの音や避難情報が伝わらず、逃げ遅れたり危険にさらされたりすることがあります。特に一人でいる時は、非常事態の発生にすら気づけないこともあります。 中でも、はじめに述べた授業への参加は、大学生活上、最も困難な壁であり、聴覚障害学生支援の中でも中心的な課題です。以下では、こうした授業場面における支援の方法について説明をしていきます。 (3)情報保障の手段 「音声による情報理解が困難なため、授業で話されている内容がわからない。」このような困難に対して、多くの大学では、学生を支援者として募集し、ノートテイクやパソコンノートテイク、手話通訳といった支援を提供する「情報保障」を行っています。 情報保障というのは、聴覚障害学生が他の学生と同等の情報を得て、授業に参加できるよう、手話や文字などを用いて周囲の情報を伝える支援のことを指します。このうち、手話を用いて情報を伝える方法を「手話通訳」、手書きで伝える方法を「ノートテイク」、パソコンで伝える方法を「パソコンノートテイク」といいます。 このような話を聞くと、多くの先生方は、スライドや資料などの視覚教材を増やすだけではダメなのか?と思われるかもしれません。また、これを補完するために「友人にノートを借りたり、授業中に資料にない内容をメモしてもらったりすればいいのではないか」と考えられることでしょう。実際、授業担当の先生や同じ授業の参加者による支援は、聴覚障害学生にとって非常に役立つ合理的配慮のひとつです。また、軽度の聴覚障害学生の場合は、こうした支援があるだけでずいぶん授業に参加しやすくなるかもしれません。しかし、中~重度聴覚障害学生の場合、残念ながらこれらの支援のみでは、抜け落ちてしまう情報がたくさんあるのも事実です。 例えば、先生方のお話の中には、資料には掲載されていないような例や、日常的な経験と結びつけた解説、雑談、例え話などさまざまな内容が含まれていることでしょう。その中には、先生方のお人柄や研究に対する姿勢に触れるお話もあるかもしれません。このようなお話を聞いて、専門分野に興味をもち、これをきっかけに自分自身で勉強を進めるのが、大学における授業のあり方なのではないかと思います。しかし、視覚教材や友人によるメモの中には、こうした情報は含まれていないことがほとんどで、耳からの情報が入りづらい聴覚障害学生にとっては、学ぶ機会を得られないまま過ぎてしまうことも少なくありません。 聴覚障害学生の多くは、「内容を理解するだけなら、後でノートを借りればよい。けれども、それだけでは自分が何のために大学に入学し、授業に参加しているのかがわからない。」と述べています。したがって、聴覚障害学生の授業参加のためには、情報保障者の配置が不可欠なのです。 [参照TipSheet 12.情報保障の手段] [参考:パソコンを使った文字通訳は、パソコンノートテイクの他にもパソコン要約筆記やパソコン通訳などとも呼ばれます。本誌では、大学におけるパソコン文字通訳の特殊性を考慮して、大学における「パソコンノートテイク」と、一般的に講演会等で用いられる「パソコン要約筆記」を呼び分ける形をとりました。] (4)情報保障の担い手 では、このような授業保障は誰が担当するのが望ましいのでしょうか?大学にとって最も手軽な方法は、同じ授業に出席している友人に保障を担ってもらう方法でしょう。けれども、先生のお話をもらさず伝えるという作業を行っていると、その学生自身がじっくりと先生方のお話を聞いたり、先生の話について考えたりする余裕が持てません。そのため、聴覚障害学生に対する情報保障にはなったとしても、今度は支援を担当する学生の授業参加に支障が生じてしまいます。したがって、聴覚障害学生に対する情報保障は、原則として授業の参加者ではない第三者に依頼するのが基本です。 また、聴覚障害学生自身がそうした人材を見つけてくるのではなく、大学が人材を確保して、授業に配置していく必要があるでしょう。なぜなら毎日行われる授業において、誰にどの保障の手段を依頼するか考え、調整することは、聴覚障害学生にとって非常に大きな負担となるからです。人材の調整には時間がかかり精神的な苦労もともないます。また、先生に事前に許可を得ておくなど、余計な労力も必要ので、授業に出るたびにそんな負担を強いるのはやはり平等とは言えないでしょう。 大学によっては、手話サークル等のボランティアサークルが中心になって聴覚障害学生を支えていて、大学側はほとんどこれに関与していないという例もあるようです。もちろん、こうした学生同士の支え合いも重要で、そこから学び合えることがたくさんあるのは事実だと思います。ただ、在籍している学生への合理的配慮の提供は、大学に課せられた法的義務(努力義務)です。したがって、学生の力を借りる場合であっても、やはり最終的には、大学が責任を持って支援者を確保し、配置していく姿勢が求められるでしょう。   この際、情報保障の質についても検討が必要です。手話通訳やノートテイク、パソコンノートテイクといった情報保障には、高度な技術と専門知識が要求されます。このため、そうした技術を持たない学生による支援では、十分な保障がなされない場合も生じてきます。 加えて、学生同士の支え合いによる支援は、保障を受ける聴覚障害学生、保障を担当する学生の双方にとって、負担がかかりやすいという問題もあります。聴覚障害学生にとっては、「もっと書いてほしい」などの要望があったとしても「支援をしてもらっている」という思いから、自分の気持ちを伝えることが難しい場面もあるでしょう。同時に、情報保障を担う学生にとっても、十分に伝えきれないことに対する不安から、保障を担うことが重荷になったりすることがあります。 このため、できれば外部の情報保障者による支援も有効に活用できるといいのですが、残念ながら今のところ、大学で支援を担うことのできる人材は圧倒的に不足しているのが事実です。また、例えそのような人材が確保できたとしても、予算の面からすべての授業に配置することができる大学は、まだまだ少ないでしょう。 このため、現在のところ多くの大学では、できるだけ頻繁に情報保障者養成講座を開講して、ある程度の知識と技術を身につけた学生を授業に配置するとともに、定期的にスキルアップのための学習会を開いたり、聴覚障害学生と支援学生が互いに意見を言い合える懇談会を開催したりして、質と量の両方を確保する工夫が図られています。また、医療系の単科大学など、学内で学生を確保することが難しい大学の場合には、地域で専門知識を持った人材を募集し、彼/彼女らにノートテイクやパソコンノートテイクの技術を身に着けてもらうなどの方法も取られています。いずれにしても、知識・技術を兼ね備えた支援者を配置していくことが、聴覚障害学生の対等な授業参加に不可欠であり、これが可能な体制を目指して少しずつ体制整備を図っていく必要があることをご理解いただければと思います。 聴覚障害学生支援における先進国のアメリカでは、在籍する聴覚障害学生の支援のために、手話通訳者を職員として雇用し、質の高い支援を提供するのが一般的になっています。このため、高等教育機関の中に手話通訳者養成課程が開設され、極めて技術の高い支援者が養成されています。日本の中でも、専門の情報保障スキルを身に着けた職員を雇い入れ、学生の養成や情報保障支援にあたっている大学もありますが、今後こうした取り組みがいっそう拡大し、質量ともに充実した支援が提供できる時代が来ることを強く願っています。 [参照TipSheet 25.障害学生支援の財源について] [参考文献:海の向こうに行ったら日本が見えた.白澤麻弓(2015).MyISBN デザインエッグ社.] (13ページ) 2.聴覚障害学生支援の全国的状況と大学に求められる取り組み 執筆者:白澤麻弓(しらさわ まゆみ) (1)はじめに 高等教育機関(以下、大学)における聴覚障害学生への支援は、今、大きな過渡期を迎えようとしています。それは、平成28年4月から「障害者差別解消法」が施行され、大学における聴覚障害学生支援がそれまでの善意に基づく任意的な取り組みから、大学にとってのコンプライアンス(法令遵守)へと移行されるようになったためです。本稿では、今後ますます充実が求められる大学における聴覚障害学生支援について、その現状と求められる取り組みについて紹介していきます。 [参考TipSheet 4.合理的配慮の考え方と決定過程] (2)聴覚障害学生支援の現状 はじめに、全国の大学における現状についてみていきましょう。日本学生支援機構が毎年実施している調査によると、大学で学ぶ障害学生の数は、14,000名以上に上ります(日本学生支援機構, 2015a)。大学数では、833校に何らかの障害のある学生が在籍しており、全国に1,185校ある大学の70.3%を占めています。 このうち、障害学生支援委員会など、支援に関する議論を行う委員会を設置している大学が237校(大学全体の20.0%)、他の委員会等で対応していると回答した652校(55.2%)を加えると、全体の75.0%の大学で、組織的な対応がなされていることがわかります。 また、障害学生支援室など支援のための専門の部署を持っている大学は120校(10.1%)、障害学生支援コーディネーターなど支援のための専門の人材を配置している大学は125校(10.5%)と、全体数としてはまだまだ少ないものの着実に体制整備が進められてきています(表1)。 表1 全学的な支援体制整備状況 項目/専門部署・人材を配置 大学数(%)/他部署・人材で対応 大学数(%)/ 計 大学数(%)で記載 専門委員会の設置/237(20.0%)/652(55.0%)/889(75%) 担当部署の設置/120(10.1%)/928(78.3%)/1048(88.4%) 担当者の配置/125(10.5%)/890(75.1%)/1015(85.7%)(表1 ここまで) 一方、大学に在籍している聴覚障害学生の数も、年々増加傾向にあります。前述の日本学生支援機構(2015a)の調査結果によると、現在の学生数は1,613名で、約10年の間に500名近く、毎年40~50名のペースで増加しています。 このうち、聴力損失60dB以上の聾学生は604名(聴覚障害学生全体の約37%)、60dB以下の難聴学生は 1,009名(約63%)です。また、大学に対して何らかの支援を申し出ていて、実際に支援を受けている学生は、聾学生で544名(約90%)、難聴学生で534名(約50%)になっており、当然のことながら重度の学生ほど支援の利用率が高いことがわかります。 これらの学生を受け入れている大学が提供している支援手段としては、手書きノートテイクが最も多く、次いでパソコンノートテイク、手話通訳の順になっています(表2)。ただ、最近はパソコンノートテイクの実施大学数が増える傾向にあり、手書きノートテイクからパソコンノートテイクへと、ゆるやかな移行が進みつつあると言えます(同, 2015b)。このほか、FM 補聴器・マイク使用、ビデオ動画への字幕挿入など、さまざまな支援が実施されています。 表2 大学において提供されている支援とその実施率※(日本学生支援機構(2015a)をもとに作成) ノートテイク 156校(38.8%)/パソコンノートテイク 106校(25.1%)/手話通訳 59校(14.0%)/FM補聴器・マイク使用 102校(24.2%)/ビデオ字幕付 65校(15.4%)/教室内座席配慮 138校(32.7%)/注意事項等文書伝達 113校(26.8%) ※実施率は、各支援を実施している大学÷聴覚障害学生が在籍している大学×100(ただし、分母には支援が不要な程度の難聴学生が在籍している大学も含まれる) [参考文献:日本学生支援機構(2015a).平成26年度大学、短期大学及び高等専門学校における障害のある学生の修学支援に関する実態調査.] [参考文献:日本学生支援機構(2015b).大学、短期大学及び高等専門学校における障害のある学生の修学支援に関する実態調査分析報告(対象年度:平成17年度(2005年度)~平成25年度(2013年度)).] [参照TipSheet 20.補聴援助システム] (3)法律の施行と大学に求められる取り組み 一方、冒頭でも述べたように、平成28年4月から障害者差別解消法が施行されました。この法律は、すべての事業者に対して「不当な差別的取り扱い」の禁止を求めるもので、全国の大学に対しても適用されています。このため、現在はすべての大学で障害を理由に学生の受け入れを拒否したり、授業参加を拒んだりする行為が禁止されていることになります。 加えて、行政機関等に対しては「合理的配慮提供」の法的義務を、事業者等に対しては努力義務を課しています。合理的配慮というのは、障害のある人々が障害のない人と平等に権利を行使するために必要な調整のことで、聴覚障害者の場合、手話通訳やパソコンノートテイクを配置したり、コミュニケーション上の配慮をしたりといったことがあてはまります。つまり、行政機関等にあたる国公立大学には、入学してきた学生に対して、上記のような合理的配慮を提供していく法的義務が課せられていることになりますし、私立大学でもこの努力義務を果たさなければならなりません。 したがって、前項で述べた全国的状況については、あくまでこうした法律施行前の実態であって、今後は大きく変わっていくものと考えられるでしょう。 では、法律施行以降、各大学ではどのような体制を構築していくことが求められているのでしょうか?国立大学協会が提示した国等職員対応要領雛形(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する教職員対応要領」雛形)ならびに文部科学省が私立大学向けに作成した対応指針(「文部科学省所管事業分野における障害を理由とする差別の解消の推進に関する対応指針」)には、以下のような項目が掲げられています。 1)合理的配慮の提供体制整備  相談窓口の設置/公開・周知  意思決定プロセスの整備  不服申し立てプロセスの整備 2)モニタリング・教職員への研修啓発  監督者の配置  FD・SD研修/新人研修/管理職研修 3)環境の整備  学内のバリアフリー化  対応要領、ガイドライン等の整備  人的配置/組織体制整備 第一に、学内で障害学生のニーズを受け止め、合理的配慮の提供につなげるための窓口の整備と、意思決定プロセスの整備が必要です。また、万一こうしたプロセスを経ても合意に至らない場合に備えて、不服申し立てができる体制も整える必要があるとされています。こうしたプロセスは大学によってさまざまですが、一般的には図1のように考えられるでしょう。 図1 合理的配慮の決定プロセス <聴覚障害学生の対応> 【意思の表明】 1)必要な支援についての説明 2)申請書・根拠資料の提出(障害者手帳、医師の診断書、専門家の所見等) 【決定を受けた意思の表明】 3)決定内容への同意 4)同意できない場合の理由説明 【不服申し立て】 5)窓口への申し立て 6)申し立て理由の説明 <大学の対応> 【建設的対話の開始】 7)面談の実施 8)支援方針に関する合意形成 【(必要に応じて)協議】 9)支援室等での協議・決定 10)決定内容と理由の伝達 11)希望に添えない場合の次善手段の提示 【不服申し立てへの対応】 12)調査、協議等 <決定プロセス> 聴覚障害学生からの【意思の表明】1)、2)にもとづき、【建設的対話の開始】となる。8)支援方法に関する合意形成 がなされた後は、【決定を受けた意思の表明】3)につながる。 大学からの提示された 8)支援方針 については【(必要に応じて)協議】9)、10)、11)がなされ、聴覚障害学生への【決定を受けた意思の表明】につながるが、同意できない場合には4)同意できない場合の理由説明 により【不服申し立て】が聴覚障害学生からなされると、大学側では【不服申し立てへの対応】を行う。また、4)同意できない場合の理由説明 のために【意思の表明】1)、2)からのプロセスで再度対話のプロセスを進むことになる。(図1 ここまで) 第二に、学内の各部署で適切に合理的配慮が提供されているかモニタリングしていくためにも、各組織に監督者を配置し、定期的に研修を行うような体制の整備も重要です。加えて、一般教職員に対するFD/SD研修や新人研修、管理職研修等の内容に障害学生支援を組み込んでいくことも重要と考えられるでしょう。 そして、このような取り組みを進めていくためには、やはりその下支えとなるような組織や規程、環境が不可欠です。国立大学の場合は、障害者差別の解消に向けた「職員対応要領」を定めることが義務化されていますが、私立大学でもガイドラインを定めるなどして、環境整備をはかることで、より充実した合理的配慮の提供へとつながっていくことでしょう。 最後に、全国の大学で聴覚障害学生に対して一般的に提供されている合理的配慮の内容と、求められる環境整備について、表3にまとめてみました。合理的配慮の内容は、個々の学生の状況に応じて、個別に決定されるものですが、参考までにご覧いただければ幸いです。 表3 求められる合理的配慮と環境の整備 1)授業における合理的配慮 (1)授業における情報保障の提供環境整備例:ノートテイク・パソコンノートテイク・手話通訳等の配置、補聴援助システムの提供、板書や資料の提供、コミュニケーション上の配慮 (2)教材への配慮 環境整備例: 視聴覚教材への字幕挿入、書き起こし原稿の配布(3)カリキュラム上の配慮 環境整備例: リスニング科目の代替、聴覚を必要とする実験・実習等での配慮、グループ討議等を行う授業における配慮 (4) 課題・定期試験等における配慮 環境整備例:課題や試験範囲等の確実な伝達、注意事項の文書による伝達、リスニング試験の免除・代替・聴取方法の変更 2)合理的配慮の提供に必要な環境の整備 (1) 情報保障者の養成、スキルアップ  環境整備例:支援者の募集・養成、情報保障者養成講座の開講、スキルアップ講座・懇談会の開催 (2)情報保障用機器・消耗品の準備 環境整備例: パソコンノートテイク用機材の整備、字幕挿入機器の導入、ノートテイク用消耗品(ルーズリーフ、ペン等)の支給(3)手話コミュニケーション環境の確保 環境整備例: 手話のできる職員の配置、手話に関する授業の開講、手話サークルの立ち上げ・連携 (4) 非常時に備えた体制整備 環境整備例: 非常用フラッシュライトの設置、メール等を活用した緊急情報の配信体制整備 (表3ここまで) [参考:一般社団法人国立大学協会ウェブサイト http://www.janu.jp/news/whatsnew/20151113-wnew-skaisyou.html] [参考:文部科学省ウェブサイト「文部科学省所管事業分野における障害を理由とする差別の解消の推進に関する対応指針」 http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai/pdf/taioshishin_monka.pdf ] (16ページ) 3.障害者政策の変容と差別解消法の意義 執筆者:三原岳(みはら たかし) 1)障害者政策の転機 聴覚に障害のある学生が大学などの高等教育機関で学ぶ際、通常の音声で伝えられる情報を受け取れないなど、様々な困難が生じます。聴覚障害学生の権利を保障するため、支援担当者は様々な調整を行う必要があります。 しかし、その際には目の前の学生を支援するミクロな視点だけでなく、国の政策というマクロの視点も必要になります。高等教育機関(法律の条文は「大学」)は教育基本法第7条で、新たな知見の創造と成果の還元などを通じて社会の発展に寄与するとされており、その責任の一端を現場の職員も担っています。高等教育機関の運営には国民の税金(国立大学運営費交付金、私学助成など)が入っており、納税する国民に対しても相応の責任を持っていることも忘れてはならないと思います。 さらに、支援業務は国の制度や政策によって左右される面があり、国の政策の動きも頭に入れる必要があります。特に2009年の政権交代を境に、日本の障害者政策は大きく変容しており、2016年4月から本格施行される障害者差別解消法のインパクトは大きいと思われます。 さらに、文部科学省も「障がいのある学生の修学支援に関する検討会」を設置し、2012年12月に検討会報告(第一次まとめ)が取りまとめられるなど、これまで手付かずだった障害者の高等教育政策も動き始めています。 本シートでは、大きな転換期を迎えた日本の障害者政策の現状を見るとともに、障害者差別解消法に定められた「合理的配慮」の基本的な考え方を説明します。 [参考:法令データ提供システム/総務省行政管理局「教育基本法」 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO120.html ] 2)障害者基本法の改正 2009年の総選挙で政権を獲得した民主党は政権公約(マニフェスト)で、障害者福祉制度を抜本的に見直すとうたっていました。その後、学識者だけでなく障害当事者も多く参加する「障がい者制度改革推進会議」を設置し、その後に様々な障害者政策の見直しが進みました【制度改革の主な経緯は末尾の表1を参照】。 まず、改正障害者基本法が2011年8月に施行しました。障害者基本法は障害者政策の中心となる法律で、法改正では障害者政策の目的が大幅に見直されるとともに、障害者の定義も変更されました。旧法では「身体障害、知的障害又は精神障害があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者」としていましたが、以下のような条文に変わりました(下線は筆者、下線部分を<>で囲む)。 第二条:身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害がある者であつて、<障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの>をいう。 従来の規定では、障害者が受けている制限を障害に着目する「医学モデル」だけでしたが、新しい条文では前半に医学モデルを踏襲しつつも、後半では社会における様々な障壁(社会的障壁)と相対することで制限が生じているとする「社会モデル」も盛り込まれています。これは「合理的配慮」につながる改正でした。 聴覚障害学生支援にとって重要なのは「地域社会における共生等」を定めた改正障害者基本法第三条で、尊厳にふさわしい生活保障権、社会・経済・文化活動への参加機会確保、地域社会の共生とともに、手話を含む言語その他の意思疎通手段と情報取得・利用手段について、選択の機会が確保されると定めた点です。このことは後に触れる「手話言語条例」のベースになっています。 [参考:内閣府ウェブサイト「障害者基本法」 http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kihonhou/s45-84.html ] [参考TipSheet 5.聴覚障害の社会モデル] [参考:一般財団法人 全日本ろうあ連盟ウェブサイト https://www.jfd.or.jp/sgh/joreimap ] 3)障害者差別解消法の枠組み 障害者基本法の改正を受けて、障害者政策の全般的な見直しが進みました。一連の制度改革のうち、聴覚障害学生支援の現場に大きな影響を与えるのは、2013年6月に成立した障害者差別解消法です。当時、国会では参院選を前にして与野党が対立しており、法律の成立が危ぶまれましたが、与党の自民、公明両党だけでなく、野党の民主党も加わった協議を経て成立しました。 法律は障害学生支援に関して重要な内容を含んでおり、法律の目的として「全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有する」とした上で、「全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資すること」を掲げました。 さらに、障害者の権利利益を侵害する不当な差別的取り扱いを行政機関等、民間事業者ともに禁じたほか、障害者の日常生活や社会生活を妨げている社会的障壁の除去に向けて、以下のように書いています(下線は筆者、下線部分を<>で囲む)。 第七条2:行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、<障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった>場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、<社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮>をしなければならない。 ここでポイントとなるのは「合理的配慮」です。国公立大学を含めた行政機関等は合理的配慮の提供が義務付けられました。私立大学を含む民間については、これに続く第八条2で行政機関等と同じ規定が定められていますが、末尾は「しなければならない」ではなく、「努めなければならない」となっており、努力義務となっています。 では、合理的配慮とは一体、何なのでしょうか。現場における決定過程は「TipSheet4.合理的配慮の考え方と決定過程」に譲るとして、以下は基本的な考え方を説明します。 4)国連障害者条約とADA法 合理的配慮は英語で、reasonable accommodationと言い、その文言は2006年12月に国連総会で採択された国連障害者権利条約に定義があります。外務省訳文に従うと以下の通りになります(下線は筆者、下線部分を<>で囲む)。 第二条:障害者が<他の者との平等>を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための<必要かつ適当な変更及び調整>であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は<過度の負担>を課さないもの。 つまり、障害のある人がその他の人との平等な条件を確保するため、支援を提供する機関(聴覚障害学生支援の場合は高等教育機関)が障害者のニーズに応じて、必要かつ適当な変更や調整を行うことを通じて、障害者の人権と基本的自由を確保することとしています。 先に触れた改正障害者基本法では「差別禁止」「合理的配慮」「国際的協調」の文言を入れていたのですが、その背景には差別禁止や合理的配慮を重視する国際的な流れがありました。実際、障害者差別解消法の成立を受けた2014年1月、政府は国連障害者権利条約を批准しました。 合理的配慮のルーツは米国にあります。米国では1973年にリハビリテーション法504条がスタートし、行政機関や連邦政府との契約者などが障害を理由に差別を行うことを違法と定めました。この法律は1990年、ADA法(障害をもつアメリカ人法)に繋がり、レストランやホテルなど民間事業者、工場など商業施設などが対象となりました。この結果、合理的配慮の対象が社会全体に広がったことになります。 日本でも障害者差別解消法の成立と施行、国連障害者権利条約の批准を通じて、こうした枠組みが整備されたことになります。聴覚障害学生の支援に際しては、合理的配慮を基本的な考え方とする必要があります。 [参考:Disability gov.「Rehabilitation Act Section 504:リハビリテーション法504条」 https://www.disability.gov/rehabilitation-act-1973/ ] [参考:ADA gov.「Americans with Diabilities Act:障害をもつアメリカ人法」 https://www.ada.gov/ ] 5)文部科学省検討会の動向 こうした動きと並行し、高等教育政策を司る文部科学省も障害者の高等教育政策に関する検討を開始しました。 文部科学省は2012年5月、高等教育局長の諮問機関として、障害者の高等教育政策を議論するため、「障がいのある学生の修学支援に関する検討会」を設置しました。検討会は学識者、支援に当たっている高等教育機関の教職員、障害当事者で構成し、計9回の議論を重ねて、検討会報告(第一次まとめ)を同12月に取りまとめました。 この検討会が画期的だったのは、文部科学省として初めて障害者の高等教育政策を本格的に議論したことです。それまでも日本学生支援機構(JASSO)などを通じて施策を展開していましたが、それまでの障害者教育は小中高を対象とした「特別支援教育」の枠組みに限られ、高等教育を所管する高等教育局として必ずしも障害者政策を意識していませんでした。 しかし、検討会報告【主な内容は表2】は修学機会の確保や情報公開、決定過程における合意形成、支援体制の確立、施設・設備の充実などを盛り込んでおり、これを基に大学などに対して通知も発出されています。検討会報告を見ると、文部科学省が重視している点、高等教育機関に期待している点を理解できると思います。 その後も障害学生支援の重要性は高等教育政策に取り入れられています。例えば、教育基本法に基づき、2013年6月に閣議決定された「教育振興基本計画」(第2期)には「意欲・能力ある障害者の高等教育における修学機会の確保に向けて支援する」の文言が加わりました。各大学の取り組みを統一基準で公表するため、2015年3月から本格スタートした「大学ポートレート」でも「障害者支援」が評価項目の一つとして盛り込まれています。 [参考:日本学生支援機構 障害学生支援 http://www.jasso.go.jp/gakusei/tokubetsu_shien/index.html ] [参考:独立行政法人大学改革支援・学位授与機構ウェブサイト 「大学ポートレート」 http://top.univ-info.niad.ac.jp/ ] 6)手話言語条例などの動向 聴覚障害学生にとって、高等教育機関で過ごす時間は生活や人生の一部に過ぎません。その支援に際しては、高等教育の枠組みを超えた視野も求められます。最後に、関連する分野の制度改革の動きを紹介します。 まず、障害者福祉の分野では改正障害者自立支援法が2010年12月に成立し、発達障害を支援対象として明記するなどの内容を盛り込みました。この法律は2013年4月から「障害者総合支援法」という名称に変わりました。2011年6月には障害者虐待防止法も成立しています(施行は2012年10月)。 雇用分野でも制度改正が進みました。一定規模以上の事業主に対して、従業員の一定比率以上を障害者とするよう義務付ける法定雇用率制度が2013年4月から引き上げられました(民間企業1.8→2.0%、国・自治体2.1%→2.3%、都道府県などの教育委員会2.0→2.2%)。改正障害者雇用促進法も2013年6月に成立し、合理的配慮の提供を事業主に義務付ける内容などが盛り込まれています(主な規定の施行は2016年4月)。 国レベルではなく、自治体の進める改革としては、手話を言語として位置付ける「手話言語条例」の制定が進んでいます。2013年10月に条例を施行した鳥取県を手始めにその後も各地に広がっています。この条例で手話が言語として位置付けられることで、手話通訳者の確保など情報保障が確実になる効果が期待されます。さらに、障害者差別解消法の制定過程を見ると、国連障害者権利条約という「国際協調」の観点だけでなく、2007年7月に施行された千葉県の「障害のある人もない人も共に暮らしやすい県づくり条例」など障害者差別の解消を目指す条例が一部の自治体で制定され、この動きが国に影響した面もあります。先行した自治体の事例が政府、国会まで波及するかが注目されます。 [参考:厚生労働省ウェブサイト 「障害者総合支援法」 http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/sougoushien/ ] [参考:厚生労働省ウェブサイト 「障害者虐待防止法」 http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/gyakutaiboushi/index.html ] [参考:千葉県ウェブサイト 「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」 https://www.pref.chiba.lg.jp/shoufuku/shougai-kurashi/jourei/index.html ] <参考資料> (1)内閣府ウエブサイト「障害を理由とする差別の解消の推進」 http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai.html  障害者差別解消法の情報が整理されています。 (2)文部科学省ウエブサイト「障がいのある学生の修学支援に関する検討会報告(第一次)」 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/24/12/__icsFiles/afieldfile/2012/12/26/1329295_2_1_1.pdf  障害学生支援の在り方を議論した検討会の報告書です。 (3)外務省ウエブサイト「障害者権利条約」 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/index_shogaisha.html  合理的配慮の定義などが書かれています。 (4) 障害者差別解消法解説編集委員会編(2014)『概説 障害者差別解消法』法律文化社  差別解消法の意義や制定過程などが詳しく書かれています。 (5) 国立国会図書館ウエブサイト、岡村美保子(2015)「わが国の障害者施策」『レファレンス』2015年10月号  国立国会図書館のリポート。障害者政策の歴史などが詳しく書かれています。 http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9516703_po_077702.pdf?contentNo=1 (6) 東京財団(2012)『障害者の高等教育政策に関する提言』  障害者の高等教育政策に関する課題や政策の方向性を示しています。 http://www.tkfd.or.jp/files/doc/2012-04.pdf 表1 近年の障害者政策の動き 2006年12月:国連総会で障害者権利条約を採択 2008年5月:国連障害者権利条約が発効 2009年12月:障害者当事者や学識者らで構成する「障がい者制度改革推進会議」が発足 2011年8月:改正障害者基本法が施行 2012年5月:文部科学省が「障がいのある学生の修学支援に関する検討会」を発足。同12月に報告を公表 2012年7月:障がい者制度改革推進会議が廃止され、「障害者政策委員会」が内閣府に発足 2012年10月:障害者虐待防止法が施行 2013年4月:障害者総合支援法が施行 同上:障害者の法定雇用率を引き上げ 2013年6月:障害者差別解消法が成立 2014年1月:政府が障害者権利条約を批准 2016年4月:合理的配慮の提供を公的機関に義務付ける障害者差別解消法が施行 同上:改正障害者雇用促進法が施行 (表1 ここまで) 表2 文部科学省「障がいのある学生の修学支援に関する検討会」の主な内容 【機会の確保】 障害を理由に修学を断念しないような機会の確保 障害のない学生と公平に判定するための機会提供 【情報公開】 支援方針や内容、体制、受け入れ実績などを開示。その際には障害学生が利用できるような配慮が必要 【決定過程】 学内外のリソースを開示するなど意思表明のプロセスを支援 可能な限り合意形成や共通理解を図った上で決定し、支援を提供 他の学生と公平を図る観点から、障害者手帳などの資料提出を求めて支援内容を決定 【教育方法等】 情報保障、コミュニケーション上の配慮、教材の配慮、治療などに伴う学習空白の配慮、公平な試験の配慮、公平な成績評価などを実施 【支援体制】 学長がリーダーシップを発揮し、専門性のある支援体制の確保が重要 障害学生支援を担当する専門部署の設置と、専任教職員など適切な人員配置 自治体や特別支援学校など学外資源の活用 学生の支援者活用、支援の質を担保する研修の実施 【施設・設備】 学内環境のバリアフリー化と情報提供 (表2 ここまで) (20ページ) 4.合理的配慮の考え方と決定過程 執筆者:三原岳(みはら たかし) 1)障害者差別解消法のインパクト 2016年4月から本格施行する「障害者差別解消法」は障害者政策の大きな転機になります。この法律の中心に据えられている「合理的配慮」という考え方に関して、過去の経緯や関連する条文などはTipSheet3.「障害者政策の変容と差別解消法の意義」で見た通りです。本シートでは、合理的配慮の概念を詳しく見るとともに、「社会的障壁」「過重な負担」(国連障害者権利条約は「過度な負担」、以下は過重な負担)というキーワードを中心に、合理的配慮の決定過程を考えたいと思います。 2)社会的障壁とは何か 合理的配慮を考える上では、「社会モデル」に立脚する必要があります。これは障害者が受ける制限を障害だけに着目せず、障害は社会における様々な障壁(社会的障壁)と相対することで生じるとする考え方です。 社会モデルを理解するには「なぜ自動改札は右なのか」という問いから発すると分かりやすいかもしれません。社会とは往々にして多数にとって便利に形成されます。自動改札の場合、左利きの人は1割程度にとどまるため、右利きに有利になる形で自動改札が設置されており、自動改札を通過する時には利き腕に関係なく、必ず右側で定期券などを持つことになります。 では、この状況を障害者に当てはめるとどうなるでしょうか。車椅子の人が街で移動の不自由を感じるのは段差が多いためです。一方、日常は自由に歩ける人でも、子育て中にベビーカーを押したり、骨折で松葉杖を突いたりすると、移動しにくくなります。これは二足歩行という大多数に便利な形で社会が形成されている結果、段差の大きい都市や施設が建設されており、一部の人の移動を阻害しているためです。 次に、私達が言語の通じない国に行ったことを想像してみましょう。音声によるコミュニケーションはもちろん、文字を全く理解できない場合、私達は恐らく途方に暮れることでしょう。それは言語の通じない国では日本語が少数であり、その国の言語を話す多数の人にとって便利な社会が形成されているためです。 これは聴覚障害者も同じです。多くの人は普段、「日本語の音」を使ってコミュニケーションを取っています。しかし、聞こえない人は音声情報にアクセスできず、社会から排除されていることになります。 こうした壁が「社会的障壁」です。障害者差別解消法では「障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のもの」と定義しています。そして合理的配慮とは社会的障壁を取り除くプロセスになります。 3)合理的配慮のプロセス では、社会的障壁を取り除くため、どういうプロセスを採るべきなのでしょうか。まず、合理的配慮には「何をやるか」について具体的な基準がありません。国が定めている障害者差別解消法の基本方針には以下のように書かれています(下線は筆者、下線部分を<>で囲む。一部文言を省略)。 <合理的配慮は、障害の特性や社会的障壁の除去が求められる具体的場面や状況に応じて異なり、多様かつ個別性の高い>ものであり、当該障害者が現に置かれている状況を踏まえ、社会的障壁の除去のための手段及び方法について、<「過重な負担の基本的な考え方」に掲げた要素>を考慮し、代替措置の選択も含め、<双方の建設的対話による相互理解>を通じて、<必要かつ合理的な範囲>で、柔軟に対応がなされるものである。さらに、<合理的配慮の内容は、技術の進展、社会情勢の変化等に応じて変わり得る。> つまり、国が一律に支援の可否や水準、内容を定めるのではなく、支援に当たる機関(聴覚障害学生支援の場合は高等教育機関)が個別ケースで考慮しつつ、支援を求めた障害学生と十分に対話し、「過重な負担」にならない範囲で調整し、支援の可否や水準、内容を決めることになります。 2012年に米国のロチェスター工科大学を視察した際の一例として、大学が試験時間の延長を認めたケースを挙げます。150分で300問が課されるオンラインの試験について、聴覚障害学生が「自分の第一言語は米国手話であり、英語を米国手話に置き換えないと理解できないため、試験時間の延長を認めて欲しい」と求めたところ、大学は学生の個別性を勘案しつつ、十分に対話を重ねた上で、「要求は合理的」と判断したとのことです。 しかし、障害学生が試験時間の延長に関して、「高校まで認めてもらっていた」といった形で曖昧な要求しかできなければ、大学側は障害学生に説明を求めるとともに、実現できるどうか調整し、それでも合意できなければ申し出は却下されます。 もう1つ、米国視察中の別の大学で聞いた事例として、雪道における車いす学生の移動介助を取り上げます。大学は一般学生と同様に通路を雪かきするなど最低限のアクセスを保障するものの、車いすの学生が遅刻しても校舎間の移動を介助しないと述べていました。大学としては「大学が雪深い土地であることを知った上で学生は入学しており、雪かきによるアクセスは保障するが、移動介助は合理的配慮に当たらない」と考えていたのです。 しかし、これらは一例に過ぎず、実際の判断はケースによって異なる可能性があります。多様かつ個別性の高い点が合理的配慮の特徴だからです。 4)リスニング試験、シンポジウムの場合は? 合理的配慮の決定過程を考察するため、いくつか例を考えます。例えば、聞こえない学生が英語の試験を受ける際、リスニング試験の免除を望んだ場合、どうすることが望ましいでしょうか。仮にリスニング試験が100点のうち20点を占めていると、何も支援を講じなければ20点が自動的にゼロとなるため、聞こえない学生は不利になります。ただ、答案内容にかかわらず、聞こえない学生に20点を与えると、今度は聞こえない学生が他の学生よりも優遇されます。合理的配慮の考え方に従うと、リスニング試験の代わりに、別の問題を課すことで、条件を平等にすることになります。 次に、聞こえない学生が仮に大学のシンポジウムに参加申請し、「リアルタイムの情報保障」を求めた場合はどうでしょうか。もし担当者が対話を全く取らないまま、「後で議事録を渡す」と答えた場合、リアルタイムの情報保障というニーズには応えておらず、聞こえる学生と聞こえない学生の平等性を確保していない点で、障害者差別になる可能性があります。 そこで、リアルタイムの情報保障を確実にする上で、十分なコミュニケーションを取りつつ、手話通訳の確保など支援内容を決定することが求められます。 ただ、支援に投入できるリソース(財源、人員)には限度があります。例えば、手話通訳者の確保には相応のコストを要します。ここで「過重な負担」が問われます。 では、「過重な負担」とは何でしょうか。国の基本方針は「過重な負担の基本的な考え方」として、「具体的場面や状況に応じて総合的・客観的に判断することが必要」「過重な負担に当たると判断した場合、障害者に理由を説明し、理解を得るよう努めることが望ましい」としつつ、考慮すべき要素として以下の点を例示しています。 (1)事務・事業への影響の程度(事務・事業の目的・内容・機能を損なうか否か) (2)実現可能性の程度(物理的・技術的制約、人的・体制上の制約) (3)費用・負担の程度 (4)事務・事業規模 (5)財政・財務状況 例えば、手話通訳の確保など情報保障に必要な経費を上乗せしても、全体の経費が数%程度しか増えない場合、これを「過重な負担」とは呼ばないでしょう。逆にシンポジウムを事実上、ボランタリーな手弁当で開催するような場合、情報保障に要する経費が「過重な負担」と判断される時もゼロとは言い切れません。 しかし、これらの事例は一種の「思考実験」に過ぎません。繰り返しますが、合理的配慮は何ら基準がないため、支援の可否や水準、内容については、聴覚障害学生とコミュニケーションを十分に取り、同様の事例や国、各種団体のガイドラインを参考にしつつ、障害学生と高等教育機関の間で判断を下すことになります。 なお、障害者差別解消法は国公立大学に合理的配慮の提供を義務付ける一方、私立大学は努力義務です。 ただ、障害学生の権利を考えた際、運営主体の属性は大きな問題ではありません。さらに、高等教育機関は教育基本法で学術研究と教育を通じて社会の発展に貢献することが期待されており、私学助成を通じて国民の税金も受け取っています。こうした社会的責任を背負っていることを認識し、対応策を考えて欲しいと思います。 さらに、合理的配慮は障害者の意思表明があった場合の手続きを定めており、意思表明がないケースでは、支援が行き届かない可能性もあります。特に聴覚障害は外見上で判断しにくいため、対応が後手に回る可能性があります。単に意思表明を「待つ」のでなく、相談窓口を周知したり、大学全体で情報を共有したりして、埋もれているニーズを発掘する努力も必要になると思います。 5)試行錯誤の積み重ねを 確かに高等教育機関や支援担当者から見ると、判断に迷うケースは増えると思われます。このため、「国の基準だから…」「大学のルールだから…」と理由付けすることで、責任を曖昧にできる面もあるかもしれません。 しかし、これでは障害学生の権利は保障されないし、満足度も高まりません。合理的配慮とは、現場や個別の事情を知る当事者同士に解決を委ねる考え方であり、基本方針の言葉を使うと、「代替措置の選択を含め、建設的対話による相互理解」「必要かつ合理的な範囲で柔軟に対応」が個別ケースで求められます。これを筆者は「対話→調整→合意のプロセス」と呼んでいます。 さらに、国の基本方針に書いている通り、社会経済情勢や市民の認識の変化に応じて、合理的配慮の内容は変わります。つまり、個別の事情に応じて当事者同士の対話→調整→合意を重ねることで、社会全体で「相場観」を形成していくアプローチであり、何かの基準や先例で一律に判断するのではなく、障害学生と高等教育機関が対話しながら合意点を見出しつつ、お互いが満足できる「解」を見出すプロセスが合理的配慮の本質です。支援現場で試行錯誤や情報交換を行い、様々な事例を積み重ねることで、合理的配慮のレベルを引き上げていって欲しいと思います。 (23ページ) 5.聴覚障害の社会モデル 執筆者:松岡克尚(まつおか かつひさ) 1)社会モデルで捉える聴覚障害 聴覚障害についての理解を深める際に、医療的に本人の聴力を示す「医学モデル」と、社会的障壁により日常生活にどのような不便が生じているのかを考える「社会モデル」の捉え方があります(厳密に言えば、さらに両者を折衷したモデル等もあります)。本章では、障害者権利条約に採用されている「社会モデル」の視点での聴覚障害について、解説します。 (1)聞こえの程度は様々 「聴覚障害」と一口に言っても、実際はその聞こえの程度は様々です。100dBを超えてほとんど聞こえない人もいれば、30~70dB程度の中軽度の方もいらっしゃいます。両方の耳とも聞こえない人もありますし、片側だけ、ということもあります。聴覚障害の原因も、伝音性、感音性、混合性、あるいは心因性と様々で、それに応じて「聞こえ方の質」も当然異なってきます。もし補聴器を使用しているのであれば、その種類(例、デジタルかアナログか)によっても「聞こえの質」が違ってくるかも知れません。 ちなみに、聞こえの程度は音声言語の習得にも影響する可能性がありますが、それはいつ聞こえが悪くなったのかによっても左右されます。そのことは、更には手話言語の取得可能性についても影響を及ぼすことになります。さらに聞こえが悪くなった時期というものは、その人にとってのアイデンティティ形成(自分は何者なのかか?)の問題にも波及していきます。中途で失聴すると、どうしても以前の「健聴者」時代の意識や生活習慣からなかなか抜け出せないものですし、むしろそうなることは至極当たり前のことなのかも知れません。 以上のように考えれば、聴覚障害者といっても、その聞こえの程度、使用する言葉(音声言語、手話言語など)、あるいは自分のアイデンティティや生活習慣のあり方についても実に多様なのです。「聴覚障害者」というレッテルで皆同じように思ってしまいがちですが、決してそんなことはありません。  このことを踏まえてもっと言えば、「聴者」と呼ばれている人も含めて、この社会を構成する人々の聞こえの程度等は実に多岐にわたっているということにもつながっていきます。非常に良く聞こえる人もいれば、全く聞こえない人もいる。このことを、専門的には「連続体」(スペクトル)を成している、というように表現します。このように私たちの社会は、聞こえの程度だけに限定しても一種のスペクトラムになっている、という事実をまず確認しておきたいものです(同じことは、見える程度、手足が動く程度などにも当てはまります)。 (2)聞こえないことによる困難 このように聞こえの程度等が様々(スペクトラム)の中で、日常生活や社会生活に困難を覚える人が出てきます。こうした人が直面する困難というものは、多くは「~ができない」という言い方で表現されます。「耳が悪いのであなたの言っていることが理解できない」、あるいは「授業が聞こえないので授業についていけない」ということがそうした言い方の例ですね。こうした言い方に典型的に現れている見方なのですが、「~できない」ことの原因というものを、「耳が悪い」「聞こえない」という医学的な現象に求めています、こうした考え方を「医学モデル」と呼んでいます。したがって、医学モデルの考え方では、「相手の話が理解できない」「授業についていけない」理由は、その人や学生の聞こえの悪さがそもそもの原因である、と見なされることになります。 このように医学モデルは、障害者が直面する困難さを医学的な現象として捉える点が特徴になっていますが、恐らく現在に生きる多くの人はこの医学モデルの発想を身につけてしまっているのではないでしょうか。これも一種の医療化現象(なんでも医療の対象にしてしまう風潮)なのかもしれません。 同時にこのモデルでは、障害者が直面した困難さを解消する責任を障害者本人に帰すことにつながります。なぜなら、そもそもの原因はその人の「聞こえない」ことにある以上は、当然、その治療やリハビリテーションも含めて、まずは当の本人が努力してもらわなければ話にならない、という理屈になるからです。   医学モデルでは、「聞こえない」という現象はその人の身に起こった悲劇に他なりません。この悲劇から抜け出すためには、何よりも本人の奮戦が期待されます。それゆえに、この考え方は同時に「個人モデル」とも呼ばれているのです。つまり、困難を解消する責任を、聞こえない人、聴覚障害者個人に負わせる考え方、を意味しています。 したがって、医学モデル=個人モデル全盛の時代では、講義で聞こえない学生がいれば、補聴器でなんとかする、あるいは学生が自分で友人などにボランティアを頼み、要約筆記してもらったり、友人のノートをコピーさせてもらったり、という努力をその学生に求めていたものでした。 (3)障害者権利条約と社会モデル しかし、時代は変わっていきました。2006年に成立した障害者権利条約(以下、権利条約)は、2014年になって日本も批准することになりました。その結果、日本の障害者関係の法律は権利条約の内容に合わせるように改正が進められていきます。この障害者権利条約で採用された、新しい障害のとらえ方は、「障害の社会モデル」(以下、社会モデル)と呼ばれるものです(注1)。 日本の障害者施策の基本を規定する障害者基本法は、この権利条約の批准に向けて、大きな改正を受けたのですが、その際に障害者の定義が次のように変更されています。すなわち、「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能の障害がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にある」者が「障害者」ということになります(障害者基本法第2条第1項)。ここで注目すべきは、権利条約に対応して変更された部分、つまり、社会的障壁によって「~ができない」ということが引き起こされる、という箇所ですね。この「社会的障壁」とは「障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のもの」と障害者基本法第2条第2項で説明されているものになります。 聴覚障害者が直面する困難が上記のような意味での社会的障壁によって引き起こされるということは、例えば、「聞こえない人が受講しているにもかかわらず、何の配慮もされなかったために、その学生は授業について行けなかった」というようなことを指しています。「授業についていけない」理由は、医学的な現象ではなく、「何の配慮もない」という制度環境的な要因に求められています。 そもそも、冒頭で述べたように、私たちの社会を構成する人の「聞こえの程度」等は実に多様です(つまり、スペクトラムですね)。全員が全員、明瞭に、完璧に聞こえるとは限らないはずなのです。それにもかかわらず、あたかも全員が全員、完璧に聞こえることを前提に、授業が準備され、実施されがちです。そこには、聞こえが悪い人が中にはいるかも知れない、あるいは音声言語ではなく手話言語を使う人もいるかもしれない(それらはスペクトラムなので当然のことなのですが)、という発想は皆目ありません。こうした認識や配慮を欠いたまま授業を行ってしまうと、どうしても困難に直面する人が出てくることになります。これもまた、この社会がスペクトラムであることを考えれば当然の帰結ですね。 このように、「聞こえない」こと(社会モデルでは「インペアメント(impairment)」と呼んでいます)が困難の原因であるとみなすのではなく、その人に対する周囲の配慮のなさ(社会的障壁)が困難(社会モデルでは「ディスアビリティ(disability)」と呼んでいます)を引き起こしている、と社会モデルは見なします。もっといえば、それは「世の中には多様な障害をもつ人がいるのに、そのことを考慮せずに形成されている社会のあり方(社会的障壁)が、障害者が直面する困難、ディスアビリティをつくっている」と捉え、何ごとも障害がないことを前提としたこの社会の仕組みそのものを批判し、その見直しや改善を求めていく姿勢をも意味しています。 [注1:権利条約に社会モデルが採用された、という点には異論は無いようですが、どの程度(完全に社会モデルに一本化、あるいは医学モデルを残し、それに社会モデルを掛け合わせた等)なのかについては議論があります。] (4)障害者差別解消法と合理的配慮 当然、この社会的障壁を解消していくということは、障害者個人にその責任を負わすようなものではなく、本人と周囲が協力し合っていくことによってはじめて可能になってくるものです。言い換えれば、障害者に困難の克服を求めるのではなく、周囲が適切な配慮を提供していくことで、この困難を解消、軽減化していくことになります。そして、そのことを障害者が求めることは当然の権利ということにつながっていきます。障害者からの何らかの配慮の申し出があれば、それは障害者の権利である以上は、当然、申し出られた方はそれに応えていくことが義務になってきます。それを拒否すること自体がすなわち「社会的障壁」を意味するのですから。 ちなみに、この本人からの申し出を受けて社会的障壁を解消、軽減する取り組みこそが、すなわち「合理的配慮」ということになります。2016年4月より施行される障害者差別解消法では、この合理的配慮を行政機関には法定義務、事業者には努力義務として課しています。事業者は努力義務とはいえ、違反すれば報告を求められ、助言、指導、勧告を受けるという行政的、社会的ペナルティを負うことになります(権利条約では、合理的配慮の拒否も障害者差別と見なしています)。 現在、様々な領域で、この新しい考え方(社会モデル)に基づいた合理的配慮の提供を具体化できるように準備が進められています。その意味で、障害者が直面する困難をただ医学的な現象とだけしか見てこなかった時代は既に去り、いよいよ新たな時代を迎えつつあるといって良いでしょう。もちろん、だからといって医学的なサポートは必要ない、と社会モデルは言っているわけではありません。適切な医療サービスやリハビリテーションを受けられないこともまた社会的障壁と考えられています。 いずれにせよ、この新たな時代を迎えて具体的な対応の提供を円滑に進め、かつそれを根付かせていくためには、何よりもこの社会を構成する私たち一人一人の意識改革と行動が欠かせません。社会モデルという、国際的スタンダードを日本社会に確実に定着させることができるかどうかは、私たち全員の責任であり、また義務であることを是非とも覚えておきたいものです (27ページ) 第2章 聴覚障害学生のコミュニケーションと教育環境について理解する 実際に聴覚障害学生と関わるにあたって、理解しておくべき内容をまとめたトピックスです。聴覚障害学生一人ひとりの教育的な背景やコミュニケーション方法について理解することは、どのような配慮が必要なのかをつかむことにつながります。   6.聴覚障害  医学モデルに基づく聴覚障害についての基本的な知識をまとめています。 7.聴覚障害幼児・児童・生徒を囲む教育環境  聴覚障害のある子どもたちが、乳幼児期から高校までの間にどのような環境で教育を受けているかをまとめています。 8.聴覚障害教育におけるコミュニケーション方法  聴覚障害のある子どもたちがどのような方法で言語やコミュニケーションを獲得してきているか、各手段とその特性、背景について解説しています。 9.聴覚障害学生のコミュニケーション方法  聴覚障害のある大学生に見られるコミュニケーションの特性や手段についてまとめています。 10.聴覚障害学生の意思表明とその支援  聴覚障害学生がみずから必要な支援を判断し要望するためには周囲の働きかけが不可欠であるとの視点に立って、学生の意思表明の段階とそれに応じた関わり方について述べています。 11.授業における教育的配慮  聴覚障害学生が主体的に授業に参加し学ぶために、授業を行う教員が担うべき責務や配慮についてまとめています。 (28ページ) 6.聴覚障害 執筆者:大沼直紀(おおぬま なおき) 1)聞こえのしくみと難聴 図1 音の伝達と難聴の関係 耳(耳介)から音が入ると、鼓膜、耳小骨(じしょうこつ)、蝸牛、聴神経、脳の順番で音が伝わっていく。 耳介の部分を外耳、鼓膜と耳小骨を中耳という。外耳から中耳のいずれかに障害があることを「伝音(でんおん)難聴」と言う。 また、蝸牛の部分を内耳と言い、内耳から聴神経のいずれかに障害があることを「感音(かんおん)難聴」と言う。(図1 ここまで) (1)外耳 わたしたちが通常「耳」と呼んでいるのは「耳介」のことで、耳の機構のほんの一部にすぎません。耳介は軟骨でできていて、血管も脂肪層もあまりありません。寒さがきびしくこたえるのは、このせいです。また、耳介をよく見てみると、なぜこんなに不思議な形をしているのかと思いますが、音楽をイヤホンで聞くときや、補聴器を装用するときに耳介がないとたいへんです。 耳の穴と呼ばれる外耳道の奥行きは、おとなで約3センチメートルあり、まっすぐではなく少しS字型に曲がっています。直径は鉛筆の太さと同じくらいですが、半分ほどいったところでいったん狭くなっています。 外耳道の中には細かい毛が生えていて、これが、乾いた耳垢や皮膚のカスを外に運びだす働き(自浄作用)をしてくれています。外耳道の入口付近の軟骨は厚い皮膚で覆われていますが、奥の側頭骨との境には薄い皮膚があるだけですから、耳掃除のときには注意を要します。また、外耳道の入口からいったん狭くなるあたりの底部には、刺激するとセキが出る神経が通っています。綿棒を使ったりすると、反射的にセキが出るのはこのためです。 外耳道の奥は鼓膜に突き当たります。鼓膜は高さ9ミリ、幅8ミリほどの大きさの楕円形で、奥に向かって少しへこんだ凹状になっています。普通、向こう側が透けて見えるくらいの半透明で、真珠のような色をしています。厚さはティッシュペーパーほどで、3層になった比較的強い膜です。子どもの鼓膜は薄くて弾力があり、少しぐらい穴が開いても自然にふさがりますが、大人になるにつれて厚くて固いものとなり、穴が自然にふさがるようなことはなくなります。ここに述べた耳介から鼓膜までを、外耳と呼びます。鼓膜は外耳と、その奥の中耳とを分ける境界線となります。 (2)中耳 中耳には人体の中でもっとも小さいといわれる、耳小骨という3つの骨があります。ツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨と呼ばれるこの3つの骨は連鎖して、鼓膜から内耳との境である正円窓につながっています。そして、テコの作用をして圧力を高め、鼓膜のわずかな振動を中耳へと伝えるわけです。また、この耳小骨は、突然強い音が耳に入ったときに、そのショックで奥にある大事な内耳が破壊されないよう、弱音器の働きをして、安全弁の役割も果たしています。 中耳の下部と、鼻の後ろにあたる喉の上部とは、耳管という管でつながっていて、外の空気が中耳に通じるようにできています。耳管の働きがうまくいかないと、中耳内と空気圧とのバランスがくずれ、エレベーターの急激な昇降の際に体験するような耳の不快感を味わうことになります。 子どもの耳管は、短く太く、まっすぐ水平に通っているので、喉から中耳へ細菌が通って感染症を起こしやすくなっています。一方、おとなの耳管は普段は閉じていて、セキやクシャミをしたときや、ものを飲み込んだときに開放されます。しかも、長く弓状に、下向きに傾斜して通っているので、中耳にたまった液の排出にも都合がよいのです。 (3)伝音難聴 外耳から中耳まで音が運ばれてくる間の、聞こえのしくみをまとめてみると、まず、集音作用をするのは耳介です。また両方の耳介が音の方向の判断をしやすくしてくれます。外耳道を通る音には共鳴効果が加わって、2000~3000ヘルツにかけての高音域に自然の増幅効果が与えられます。 空気中を伝わってきた音の振動は、鼓膜に集められて「音響エネルギー」に変換されます。鼓膜までやってきた音響エネルギーは、中耳の耳小骨と呼ばれる3つの骨の連動により「機械エネルギー」に変換されます。そしてさらに、耳小骨の動きが内耳との境にある正円窓に伝わると、内耳のリンパ液に波動を生じさせます。ここで「機械エネルギー」を「水力エネルギー」に変換するわけです。ここまでの仕組みに障害が起こると音が聞こえにくくなります。耳垢がつまって外耳道をふさいでしまったり鼓膜の動きが悪くなったりすると、音の物理的エネルギーが、途中で妨害を受けて伝わりにくくなってしまうからです。これが「伝音難聴」です。伝音難聴のほとんどは医学的に治療が可能です。 [ヘルツ(Hz)とは:周波数を表す単位。数字が大きくなるほど音が高くなる。] (4)感音難聴 耳のもっと奥にある内耳や聴神経などの障害で聞こえなくなる難聴は、「感音難聴」と呼ばれ、医学的に治療が可能な「伝音難聴」とは区別されています。感音難聴は一般に、医学的な治療によって聴力を回復させることは困難で、治せない難聴といわれます。 内耳には蝸牛があります。カタツムリのように約3回転の螺旋形をした蝸牛は、大豆ほどの大きさで、渦巻きの管をのばすと3センチほどの長さになります。この管の中にはリンパ液が満たされていて、中耳に集められた音によって波動を生じます。蝸牛の内側にびっしりと並んだ有毛細胞はこの波動を感知して、電気的エネルギーに変換します。 音を分析する働きをも持つ有毛紳胞は、よくピアノの鍵盤にたとえられます。しかし、ピアノには88個しかキーがありませんが、蝸牛には1万5000個以上のキーが並んでいます。ピアノでは7オクターブちょっとの周波数の範囲が弾けますが、蝸牛では、ピアノより1オクターブ低い音から2オクターブ高い音まで、有毛細胞のキーが割り当てられています。蝸牛の入口付近には非常に高い音を受け持つキーが並んでいて2万ヘルツもの高い周波数に反応するようにできています。奥の方にいくにつれて約20ヘルツまでの低い周波数の音を受け持ちます。 これら有毛細胞の先には4万本もの聴神経が電線のようにつながれていて、音の情報を脳に伝えます。音を受けとった脳は、それらを認識できるように処理し、意味のある言葉や音楽などとして理解するのです。内耳から脳までの道のりに障害があっても、音は聞こえにくくなります。 (5)人工内耳による聴覚の回復 伝音難聴は「音の損失」と言われるのに対し、感音難聴は「聴覚の損失」だといわれます。21世紀最大の発明とも称される人工内耳は、蝸牛の有毛細胞の損傷が原因の感音難聴にのみ適応できます。しかも聴力の損失程度が重度であればあるほど回復の幅が大きいものです。ですから、補聴器が十分に役立つ軽・中等度の難聴はその対象ではありません。人工内耳手術後の聴力レベルは30dB前後になりますから、1m以内の範囲にある小さな音や声が聞こえるほどです。しかし、人工内耳を装着した耳は、離れた人の声が聞きにくくなる、周囲に雑音があると聞き取れなくなるなど、補聴器装用の難聴者と同じような悩みがあります。その意味では、音はよく聞こえるようになった人工内耳装用者であっても、音声を確かに理解するための情報保障が必要な聴覚障害者であるという認識が大事です。 [デシベル(dB)とは:音の大きさや聴覚障害の程度を表す単位。聴覚障害の程度の場合、0デシベルは健聴者の聴力の平均を表し、数字が大きくなるほど聴力損失の度合いが大きくなる。] (6)子どもの難聴とおとなの難聴 心身ともに発達中の子どもに聴覚障害が起こると、それが早い段階であればあるほど、言葉を話す能力や、理解力、表現力の発達が遅れるなどの学習、および性格形成にもかかわる精神的な影響が深刻なものとなります。重い難聴に比べて、軽度から中等度の子どもの難聴の発見は遅れることがあります。聞こえているように見えるし、言葉もとりあえず発達しているように見えるからです。しかし、音としては聞こえていても、意味を理解しにくいままの状態であったり、場合によっては音声の一部が聞こえないまま成長し、後になって言語発達の問題に気がつくこともあります。子どもの難聴が「言語を獲得することの障害」をもたらすのに対して、すでに言語を獲得しているおとなの難聴は「情報を獲得することの障害」であるといわれます。 おとなであれ子どもであれ、難聴は人とのコミュニケーションに障害をもたらすものですが、人生の中途で難聴になった人の悩みは、まず周囲からの音声情報が入りにくくなることです。相手の言っていることがわからない。みんなが知っていることを、自分だけ知らされなかった。そこで、もう一度言ってもらったり何が起こったのか尋ねてみる。しかし、聞き取りにくいので、また繰り返してもらう。そして、なんとか理解したつもりでいたら、聞きまちがえていたらしく、とんちんかんな応対をしてしまった。このようなやりとりが続くうちに、相手もうんざりしてしまうのです。難聴者にとってやりきれないのは、聞こえないことそのものより、話が通じないと、相手にやっかいな人間だと思われ、コミュニケーションが閉ざされてしまうことなのです。 (31ページ) 7.聴覚障害幼児・児童・生徒を囲む教育環境 執筆者:根本匡文(ねもと まさふみ) 1)障害の早期発見と教育の開始 現在の日本では、新生児聴覚スクリーニング検査が行われるようになり、子どもが生まれた直後に聴覚の異常の有無が調べられるようになってきました。今の時点で高等教育機関に進学してくる聴覚障害者の場合には、そこまで早期ではありませんが、ゼロ歳代、1歳代に障害が発見され、補聴器の装用、両親への援助などの教育的な働きかけが開始されたケースが多くを占めています。 障害が発見された直後の子どもの教育は、聾学校の乳幼児教育相談や就学前教育、聴覚障害乳幼児を対象とする児童発達支援センター(以前の難聴幼児通園施設)、病院の聴覚障害外来などのさまざまな場で行われてきました。いずれの機関でも、単に子どもに補聴器や人工内耳を装用させるだけでなく、発達初期における親子関係を重視し、親が子どもの障害を受け入れ、親子の間や子ども集団の中での豊かなコミュニケーションを確立し、遊びを中心とした生活全体を通して全人的な発達が進んでいくように指導が進められています。 [新生児聴覚スクリーニング検査とは:新生児期に行う聴力検査のこと。主にAABR(自動聴性脳幹反応)やOAE(耳音響放射)などの方法が使用されている。] [注:2007年4月1日より学校教育法の改正によって、聾学校および難聴学級は「特別支援学校」「特別支援学級」と名称が変わっておりますが、本誌では聴覚障害児教育について扱っているため、あえて「聾学校」「難聴学級」と表記しています。] 2)幼稚園段階の教育環境 幼稚園段階になると、多くの聴覚障害児は聾学校幼稚部で教育を受けることになります。一部の子どもは児童発達支援センターに通います。聾学校で教育を受けた場合でも、聴こえる子どもとの交流を図るために、1週間に1日程度を一般の幼稚園や保育所で過ごす経験をしたケースが多くあります。 現在は幼児の段階から手話を取り入れる教育機関が増えてきましたが、以前はほとんどの場合、子どもが補聴器を使いながら話し言葉の口形や表情を読み取り、発音発語ができるように指導する「聴覚口話法」という方法がとられてきました。従って、現在の青年期の聴覚障害者の中には、補聴器や人工内耳を使って音を聞き取り、不明瞭ながらも話すことはできても、手話をほとんど使うことができないという人がいます。 3)小学校段階の教育環境 聾学校幼稚部で教育を受けた子どもが小学校段階に進む時には、そのまま聾学校小学部に入る場合と、通常の小学校に変わる場合があります。後者をインテグレーションといっています。児童発達支援センターや幼稚園・保育所のみで過ごした子どもはほとんどが通常の小学校に入ります。 聾学校小学部では、聴覚障害児一人一人のニーズに配慮しながらきめ細かな学習指導がなされます。ただ、聾学校に在籍する児童の数は次第に少なくなってきており、1学級の構成員が1人あるいは数人というところが大部分です。そうすると、友人関係が固定される、競争心や協調心が生まれにくい、学習が児童の能力レベルに止まってしまって高められない、学校にいる時間の多くが教員と児童の1対1になり息が詰まる、伸び伸びとした子どもらしさや社会性が育たない、といった弊害が起きてくるおそれがあります。 小学校に入学する聴覚障害児の教育環境は次に示すようにさまざまです。 (1)固定制の難聴学級があって、ある程度の数の聴覚障害 児の集団が構成され、教科指導やその他の多くの教育活動が児童のニーズに添った形で進められる。 (2)国語や算数などの主要教科は難聴学級で学習し、その他の教科は通常の学級で聴こえる子どもと共に授業を受ける。 (3)通常の学級に在籍して聴こえる子どもと共に授業を受け、1週間に数時間、自分の学校、他の小学校、聾学校などに設けられている通級指導教室に通って、補聴器や人工内耳の活用、発音発語の指導、教科の補充指導、心理的なカウンセリングなどの特別な支援を受ける。 (4)通常の学級で学ぶ聴覚障害児のところに定期的に通級指導教室の教員が出向き、必要な相談や支援を行う。 (5)聴覚障害児が授業を受けている通常の学級に難聴学級や通級指導教室の教員、特別支援教育支援員が入りこみ、学級担任を助けて学習の個別援助、ノートテイク、通訳などを行う。 (6)何も特別な手立ては行われずに聴覚障害児が通常の学級で学ぶ。 固定制の難聴学級の場合を除いて、小学校で学ぶ聴覚障害児の大部分は多数の聴こえる子どもに囲まれて一人だけで学校生活を過ごさなければなりません。教科学習は教科書や黒板に書かれた文字を頼りにして、独学に近い形で進めます。子どもの能力にもよりますが、家庭学習で補うなどの方法で聴こえる子どもと同様の学力を獲得することは可能です。しかし、学級や学校全体で行われる活動になると得られる情報には限界があります。教室全体が教師の話でどっと沸いた場面でその事態がつかめずに作り笑いをしたり、集団の会話の輪に入れずにあいまいなうなずきでその場を取り繕う、といったことがしばしば起こります。常に周囲の状況や友だちの行動に注意を向けていなければならないので、過度の緊張を強いられることにもなります。 外向的な性格で集団活動にとけ込むことができる聴覚障害児もいますが、常に疎外感を抱いたり、孤独を感じたり、待ちの姿勢が身に付いてしまうこともあります。場合によっては孤立していじめの対象になり、不登校の状態に陥るといったケースも見られます。 通常の小学校で学ぶ聴覚障害児の状況には環境によって大きな違いが見られます。 [特別支援教育支援員とは:一般の小・中学校において障害のある児童生徒に対し、学習活動上のサポート等を行う者。] 4)中学校段階の教育環境 中学校段階の聴覚障害生徒が学ぶ場には聾学校中学部と通常の中学校があります。中学生の段階は身体的、精神的に大きく成長していく時期であり、自己のアイデンティティが確立されていく時期でもあります。自分の障害を理解、認識して、将来の自立に向けた準備を始めることも求められます。 聾学校中学部には聴覚障害者の集団があり、アイデンティティの形成にはふさわしい所です。しかし、小学部と同じように生徒の数が少ない学校が多く、クラブ活動や学校行事が活発にできにくい状況があります。学業面では小学部段階で育てるべき言語力や基礎学力の習熟が十分に進まず、学習の進度が遅れる場合があります。一人一人の生徒のニーズを把握し、実態に合わせた指導を進めていく必要があります。 通常の中学校で学ぶ生徒の場合には、小学校と同じように支援がなされるところもありますが、難聴学級や通級指導教室が小学校ほど整っていない地域もあります。そうしたところでは、問題が生じてもその解決を当事者だけで行わなければならないという事態が生じます。積極的な姿勢が持てる生徒はよいのですが、周囲の生徒も自立心が高まっていく中で、孤立無援で学校生活に対する意欲を失ってしまうケースが生まれます。 障害を持つ生徒自身も自立が進み、得られる情報が不十分な状況でもそれを当たり前と考え、自分で何でも出来るのだからあえて支援などは必要がない、他人からの援助は迷惑がって断る、という態度をとる事例も見られます。生徒の自主性、主体性を尊重しながら、聴覚障害に関する情報にも触れさせ、問題への対処の仕方を育てていくことが求められます。 5)高等学校段階の教育環境 高等学校段階の聴覚障害生徒が学ぶ場は聾学校高等部と通常の高等学校です。大学・短期大学に進学する聴覚障害者の数は、聾学校出身者よりも高等学校出身者の方がかなり多くなっています。 聾学校高等部には普通科と産業工芸、被服、理容などの職業専門教育を行う学科があり、普通科が置かれていない学校もあります。都道府県によっては高等部だけを独立させた聾学校があり、そうした学校では小・中学部と比べると大きな生徒集団を構成することができます。 聾学校の中では手話が日常のコミュニケーション手段として使われるようになり、聴覚障害者として生きていく姿勢が作られていきます。しかし、集団が大きくなったといっても、一つの高等部ではたかだか数十人に止まり、社会性、人間性の成長のためには十分な環境ではありません。生徒の個人差や能力差が大きく、学習面での到達度や進路も多様です。ただ、最近は生徒の進学意欲が高まってきており、大学進学に向けた移行支援の充実が求められています。 通常の高等学校に何人の聴覚障害生徒が在籍しているのか、はっきりした統計はありません。小・中学校のような特別な支援体制はなく、ごく一部の地域で授業における情報保障の試みはなされているものの、大部分の生徒は自分だけの努力で学習を進めています。多くの場合、授業内容の理解は教科書と板書が頼りになるだけで、友人の援助もさほど得られるわけではありません。基礎的な学力の獲得が十分ではなかったり、人間関係をうまく作ることができず、不登校の時期を経験する生徒もいます。 高等学校で学ぶ聴覚障害生徒の場合、聴こえる人たちと同じように生きることを望んで聴覚障害者集団に入ろうとせず、手話の使用にも抵抗感を持つ場合があります。そうした状態で大学に入ると、自分の障害を他人に知られることをおそれ、情報保障に対するニーズを表明することを意図的に避けることになります。そうならないようにするためには、聴覚に障害を持つ同年齢の世代や成人と交流する機会を用意し、聴覚障害者集団に入ることがプラスの意味を持つことを実感させることが必要です。 6)障害とニーズの多様性 乳幼児期から成人に至る間の聴覚障害幼児・児童・生徒を取り巻く教育環境は極めて多様です。その中で、ほとんどの人は精一杯の努力を重ね、懸命に生きています。しかし、聴覚障害に起因する二次・三次障害が生じることも事実です。その実態は一つとして同じものはありません。教育に関わる者は、一人一人の障害の状態とそこから生まれるニーズを的確に把握し、きめの細かい対応を進めていかなければなりません。 (34ページ) 8.聴覚障害教育におけるコミュニケーション方法 執筆者:太田富雄(おおた とみお) 1)聴覚障害教育におけるコミュニケーション方法 厚生労働省(2006)の『身体障害児・者実態調査結果』では、聴覚障害者のコミュニケーション手段の状況(複数回答)は、「補聴器や人工内耳等」69.2%、「筆談・要約筆記」30.2%、「手話・手話通訳」18.9%、「読話」9.5%、「その他」6.8%、「不詳」5.9%、となっています。一方、聴覚障害教育の場で使用されるコミュニケーション方法は、感覚モードの数によって単感覚法か多感覚法かに二分されます。このうち手話のみ、読話のみ、聴覚のみを用いる単感覚法では、複数の感覚モードからの刺激に対してはお互いが干渉しあうと考え、単一の感覚モードだけを使用します。それに対して多感覚法では複数の感覚モードからの刺激は補完しあうと考えます。例えば、人工内耳を装用した者が読話からの情報も利用していることが多くの実験で明らかにされています。したがってすべての聴覚障害者にとって唯一効果的なコミュニケーション方法というものは存在しないと考えた方がよく、個々人のニーズや状況に応じて組み合わせて使えばよいということになります。 [参考:厚生労働省ウェブサイト 「平成18年身体障害児・者実態調査結果」 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/shintai/06/index.html ] [参照TipSheet 6.聴覚障害] 2)聴覚口話法 聴覚補償によって保有聴力を最大限に活用し、音声言語を主な媒体としてコミュニケーションをとる方法で、発音指導によって聴者と音声によるコミュニケーションが可能となることを目指しています。早期発見と早期教育が重要視され、「保護者が子どもの耳の代わりをしろ」とか「ことばの風呂につけろ」と言われるように、保護者による徹底した関わりと最適な聴覚補償が成否を分けるとされています。板橋(1997)によると、聾学校小学部6年生15名の平均発音明瞭度は55.0%で、これは岡(1996)の分類によれば、母親・担任なら「十分わかる」程度、一般社会の人々にとっては「部分的にわかるようになる」程度であったと報告しています。発音指導と言えばこれまで、忍耐や苦闘というイメージで捉えられ、明瞭度の向上にのみ目が奪われがちでしたが、板橋(2006)は、発音の学習では発音技能の向上だけでなく、発話の模倣・拡張を通して日本語で適切に表現する力と日本語の感性を育成する観点が必要だと述べています。 一方、聴覚口話法では聴覚活用が大前提で、最新技術のデジタル補聴器や人工内耳がそれを支えます。 近年は人工内耳を装用する聴覚障害者が増えていますが、装用後の指導では聴覚口話法が主となっています。アメリカの国立聾工科大学(2015)では、約1200人の聾学生のうち200人以上が人工内耳を装用していますが、日本では人工内耳を装用して高等教育機関で学ぶ聴覚障害学生はまだ数が少なく、指導は手術を受けた病院、以前在籍した聾学校、難聴学級等でフォローしてもらうのが一般的でしょう。でも今後増加してくれば、教育オージオロジストや言語聴覚士による専門的な指導が受けられるような体制作りが必要になってくるでしょう。 図1 読話シミュレーション体験 最初から口を開けた状態で「イ・ウ」と口を動かしていますが、さて、何を言ってるのでしょう? 「イ」と「ウ」の口唇運動を自分もやってみて何を言っているか考えてみよう。 思い浮かぶのは、言う、居る、要る、行く、犬、イス、聞く、利く、菊、キス、キヌ、着る、切る、キフ、敷く、詩句、質、シヌ、師父、知る、汁、地区、チル、ニル、ニク、ニス、昼、蛭、比す、ヒフ、リス、リク、率、急、州、週、注、ニュウ(英語 新しい)、竜、理由など。 思い浮かぶ限り調べてみると、ざっと60語くらいはあるそうです。 また、例えば「イル」には、存在するの意味の居ると、必要の意味の要るがあるなど、同音異義語があるものもあります。(図1 ここまで) [参考:国立聾工科大学(米国)National Technical Institute for the Deaf:NTID  ロチェスター工科大学(Rochester Institute of Technology:RID)にある8つの学部の1つ。手話通訳者養成コースを除くすべての学部で、聴覚障害学生のみを対象とした教育を行っている。 http://www.ntid.rit.edu/ ] [オージオロジストとは:聴覚活用や補聴器のフィッティングなど聴能学(オージオロジー)に関する専門家の総称。] [言語聴覚士とは:言語聴覚士法(1997年制定)に基づき、音声・言語・または聴覚に障害がある人に対して訓練とこれに必要な検査や助言・指導に従事する者。スピーチセラピスト(ST)ともよばれる。] 3)キュード・スピーチ 聴覚口話法における読話の補助として指の形と手の位置で表したキューサインを併用する方法で、1960年代にアメリカで開発されました。日本では、それまでの発音誘導サインとして使っていたサインを流用し、構造的でわかりやすいキューサインが考案されました。母音は口形で識別し、子音は手の位置、形、動き等を組み合わせたキューで識別します。音韻への意識を高め、読話の不確実さを補うものとして効果をあげてきました。学校によってキューサインが異なり、聴者で使用できる者が家族などに限られるため使用範囲が狭いという面があります。 図2 キューサインの例   例1 さ  右手(左手でもよい)の指をそろえて口元にあて、前に引き出す。口型は「さ」  例2 な  右手(左手でもよい)の人差し指を鼻にあて、軽く前に引き出す。口型は「な」 (図2 ここまで) 4)手話法 ろう者同士がコミュニケーション手段として用いているものです。手の動きを中心として身振りや表情で、意思や概念を伝えます。日本では、長い間、口話能力の発達の妨げになる、抽象的思考には向かないとされてきました。しかし、近年の言語学的研究により、手話にも複雑な文法構造がそなわっていることが明らかになっています。手話は、音声との対応の程度により、「日本手話」、「日本語対応手話」、「中間型手話」に分けられます。日本手話は、単語や語順など表現に関する規則が日本語とは異なる部分があります。日本語対応手話は、単語も語順も日本語の話ことばをそのまま置き換えたものとなっています。中間型手話は文字通り日本手話と日本語対応手話との中間型です。 イラスト 手話の違い 例文「男が女をしかる」 (1)日本語対応手話の場合 男(手話単語) が(指文字) 女(手話単語) を(指文字) しかる(手話単語) (2)中間型手話の場合 男が(手話単語) 女を(手話単語) しかる(手話単語) (3)日本手話の場合 男(手話単語 右手で表現) (大きいうなずき) 女(手話単語 左手で表現) (左手そのまま) しかる(手話単語 右手で表現) (説明文)日本手話では「しかる」の手話が「男」が表現された場所から「女」が表現された場所に向かって働いている(動詞の一致)が、中間型手話や日本語対応手話には動詞の一致が見られない。(イラスト ここまで) 聾学校の中での手話の使用実態はさまざまですが、現在は、多くの聾学校で手話法の効果が見直されています。日本語と手話の橋渡しとして対応手話を用いるなど、さまざまな指導法も検討されており、乳幼児期から積極的に取り入れている学校が一般的になっています。以下、聾学校への手話導入をめぐる話題について言及します。   (1)同時法(同時的手指法) 音声と同時に手話や指文字を使用する方法です。読話では弁別できる音節が少ないため、手話や指文字を早期から使用することで、音韻表象を目指しました。日本では、1968年から栃木県立聾学校で実践されてきました。1つの手話にいくつもの日本語が対応する場合、手話を「枠記号」、口形は「分化記号」の役割を果たすと考え、手話と口話を常に併用し相互補完させる必要性を唱えました。 日本語の習得状況としては、(1)音韻表象の形成は、ほとんどの子が日本語の音韻に分化している。(2)文法能力について、特に付属語の理解使用能力がよく形成されている。(3)語彙の習得状況にはまだまだ不十分なことがあるとの報告(森,1998)がなされています。 (2)早期の手話導入(日本手話の活用) 我妻(2008)によれば、幼稚部の教諭全員が手話を使用している聾学校の割合(平成19年度)は77.5%であり、手話使用によるメリットとして、幼児の様子では「コミュニケーション相手の広がり」「コミュニケーション内容の高度化」「言葉のイメージが持ちやすい」「指文字の使用で日本語学習に有効」等を挙げています。教師側でも「概念形成をさせやすくなった」「指文字や手話の動きを利用して発音や発語が指導しやすくなった」等を挙げており、多くの聾学校で手話を使用することの効果が認識されていることが明らかです。 一方、子ども側の課題として、「手話を日本語に置き換える困難さ.手話を書きことばに結びつける困難さ」「手話だけで伝達しようとする、声を出さない」「口話中心の子どもと手話中心の子どものコミュニケーション上の問題.手話がわかる者同士だけで会話してしまう」等が挙げられています。教師側の課題として、「手話スキル向上」「手話だけで伝えてしまう。手話を使えば正しく伝わると思い込んでしまう。手話ができれば聾学校で教えることができると思ってしまう」「使う手話について統一されていない。教師が自己流の手話を使っている」等が挙げられています。 「日本手話」と「日本語対応手話」の関係について、全日本ろうあ連盟(2003)は「手話はさまざまな形で使用され、安易に二分できません。(中略)抽象的・理念的定義に無理に当てはめ二分してしまう考え方は、ろう者の現実を無理に分類することであり、結果としてろう者を分裂させる恐れを孕んでいます」と述べ、「もっと広い意味での手話の導入と、児童・生徒間での自由なコミュニケーションの保障を全国のろう学校で実現させることが、現時点における全国共通の目標になる」と主張しています。 2008年には、日本手話を第一言語として指導する明晴学園も誕生し、手話による教育の実績を積み上げています。また、全日本ろうあ連盟(2012)の「日本手話言語法案」では、学校教育法に定める学習指導要領に手話の位置づけを策定することを国に求め、手話の獲得及び習得、手話の使用等の権利獲得を目指しています。 今後、手話による教育実践が積み重ねられることで、聾教育における手話の利点や課題がより明らかにされることが期待されますが、教員の手話研修、数年での人事異動等、課題が山積しています。 [参考:一般財団法人 全日本ろうあ連盟 http://www.jfd.or.jp/ ] [参考:学校法人 明晴学園 http://www.meiseigakuen.ed.jp/ ] (37ページ) 9.聴覚障害学生のコミュニケーション方法 執筆者:松﨑丈(まつざき じょう) 1)コミュニケーションの本来の意味 コミュニケーション(communication)は一般に「伝達」という意味で用いられますが、その語源はラテン語のコムニカーレ(communicare)であり、「交わり共有しあうこと」「共通のものを作り出すこと」が本来の意味なのです。そのために自分と他者の「発信」と「受信」が繰り広げられます。お互いが工夫して係わり、わかりあうプロセスがコミュニケーションの営為と言えます。 聴覚障害領域では、聴覚障害学生同士であっても双方間でコミュニケーションに用いる方法が異なることが多いです。そのため、双方にとって負担の少ないコミュニケーション方法を複数の方法から合意的に選択し、使用することが大事です。その際、方法どれ一つとして完璧なものはないこと、逆に特定の方法に固執してコミュニケーションの展開可能性を妨げることがないように留意する必要があります。 このように「相手とどのように係わりあえれば、共有できるのだろうか?」ということを念頭に置いて、コミュニケーションを実践することが大切と言えます。そこで聴覚障害学生とつながるためのコミュニケーションを目指す上で重要となる視点をいくつか紹介します。 2)コミュニケーション方法の最適な選択 聴覚障害学生は、聴覚障害の特性、生まれ育った家庭や学校でのコミュニケーション環境、学生の自己認識に大きく影響する保護者や教員などの価値観等を背景に、発信と受信の方法を身につけています。そして、その時々の環境や場面によって発信/受信の方法を選択しています。例えば、静穏環境や1対1の会話場面では発信と受信の両方とも音声を使う聴覚障害学生であっても、騒音環境や集団会話の場面では手話や文字も併用する必要があるかもしれません。このように、発信と受信は常に1つの方法でなされるわけではないのです。 さらに、聴覚障害学生と他の学生や教職員との意思疎通を支えるために、コミュニケーション環境を整備する必要があります。例えば、日本語とは異なる言語である日本手話を用いる学生がいれば、学内に日本手話を学ぶ場を作ることも求められるでしょう。また、音声日本語で生活してきた聴覚障害学生が大学入学後に手話に出会い、大学在学中に手話を身につけることも多いのです。 冒頭で述べた通り、一つとして完璧なものはないことに留意し、聴覚障害学生とどのような環境や場面でどれが最適な方法になるのかを、下記表1を参考に共通確認をしておくとよいでしょう。そのためにも各種コミュニケーション方法の特徴と対応を理解しておきましょう。 表1 聴覚障害学生が用いる発信/受信別の方法 <発信方法の種類> 音声日本語/(空行)/日本手話/日本語対応手話/指文字/文字/その他 <受信方法の種類> 音声日本語(聴覚)/音声日本語(視覚)/日本手話/日本語対応手話/指文字/文字/その他 (表1 ここまで) 3)コミュニケーション方法の特徴と対応 (1)音声日本語(発信) 聴覚障害学生の多くは、音声日本語を自らの声で話しますが、それぞれ日本語の発音に得意または苦手なものがあります。初対面で聴覚障害学生の音声が聴き取れなくても、発音の明瞭さは気にせず、内容の把握を重視して話していけば聴き取れるようになることが少なくありません。それでも聴き取れない場合は、本人に文字や身振りなどを使って内容を確認しましょう。 (2)音声日本語(受信) 聴覚的に受信する場合、補聴器、人工内耳や補聴援助システムを使います。いずれも人間の正常耳と同等のメカニズムをまだ備えていないため、機械のみに依存するのではなく、話をする時にはなるべく静かな環境を作り、かつ聴き取りやすい話し方で発信(発話)する必要があります。もちろん補聴器や人工内耳の技術は進歩しており、聴者と同じレベルで聴き取ることができているようにも見えます。しかし実際には聞き漏れや聞き間違いも起きており、本人も発話の予測が困難なため、聴者よりもかなりの集中力や緊張を常に強いられています。したがって、どのような環境や場面なら聴き取れる/聴き取れないのかについて、本人の状況把握、自己認識や心身的負担に配慮しながら確認しておきましょう。 視覚的に受信する場合、読話を使います。母音(アイウエオ)が判別できるよう口を動かし、文節や文末で間を入れながら話すと、読話しやすくなります。ただ、音声日本語の語音を視覚的に捉えてみると、口の動き方がたった15パターンとなるので、同じ動き方で異なる意味をもつ単語が非常に多く、単語を推測するだけでもかなりのエネルギーを要します。日常会話であれば、特定の場面・相手・環境で使われることばの知識や、その場にある文脈情報や自身の生活体験が推測の手がかりになります。しかし人数が増えたり会話の内容が複雑になると、読話だけでは限界が生じてきますので、聴覚障害学生の視線や表情に気をつけながら他の方法も併用したほうが良いかを確認しましょう。 [参照TipSheet 20.補聴援助システム] [参照TipSheet 8.聴覚障害教育におけるコミュニケーション方法] (3)日本手話/日本語対応手話/指文字 日本手話は、手指だけでなく非手指動作(眉、口、上体の動作など)も使って独自の文法構造を表現します。そのため日本手話の習得には、外国語教育と同様に手話の学習機会が必要です。日本手話を用いる聴覚障害学生の入試での面接、ゼミ、相談や面談など、学生本人の意見や心情をきめ細やかに把握する必要がある時は、日本手話通訳を手配するとよいでしょう。一方、日本語対応手話は、日本語の文法や語順にそって音声と同時に手話単語をつけて話します。聴覚障害学生との会話でよく用いる手話単語から覚えて会話するとよいでしょう。日本語音声も同時に発信しているので、話しながら手話単語を覚えることもあります。また、読話しやすい口の動かし方をすれば、日本語単語や文の意味をより特定化しやすくなります。 指文字は、日本語の50音に対応して作られた手型です。日本手話や日本語対応手話で手話表現がわからない時や、音声日本語で通じにくい単語があった時の補助的手段として使います。 [参照TipSheet 16.高等教育での手話通訳の活用、17.手話通訳による支援1、18.手話通訳による支援2] (4)文字 音声、手話や指文字は消失するのに対し、筆談やメールは残るので、確実に共有しておきたい時に使うとよいでしょう。筆談のポイントは、(1)5W1Hの情報をコンパクトに伝える、(2)図絵や矢印も用いる、(3)漢字の正確さは気にせず、ひらがな、カタカナや英語などで書いてかまわない、(4)書いたものを見せる時の表情や書くときの姿勢で対応の丁寧さがわかるため、丁寧表現は必ずしも書かなくてもよい、などです。紙と文具がなければスマートフォンでテキストを作ったり空書きをする方法もあります。 最近は、スマートフォンの普及に伴い、お互いに筆談している様子がリアルタイムでわかるアプリや、近年飛躍的に向上した音声認識技術を導入したアプリを使って聴者と会話する様子が増えています。 [空書き(空書)とは:筆談用の用具がない時に、空間に人差し指等で文字を書いて表す方法。鏡文字にする必要はなく、書いている人に読める方向で表す。] (5)その他 身ぶりや指さしなどを積極的に使うことも有効です。また、視覚にも障害がある場合は、手話や指文字を直接触る「触手話」「触指文字」、話者との距離を調整する「弱視手話」、上肢運動に障害がある場合は、その人の関節可動域を踏まえた手話や指文字の特徴を把握したり、アプリを用いて文字をやりとりする方法があります。 [参考:社会福祉法人 全国盲ろう者協会 http://www.jdba.or.jp/] 4)コミュニケーションの共同的実践 大学生活では、複数の聴者(学生、教職員など)と会話することが多いため、どうしても日本語音声による会話が優先されてしまいがちです。大学の手話サークルでさえ、聴者が手話を覚えても雑談する時はつい音声だけで話してしまい、突然その会話から疎外されたと感じた経験を持つ聴覚障害学生が多くいます。コミュニケーション方法を身につけるだけでなく、誰もがコミュニケーションに参加できることを保障することが必要です。そのためにはその場にいる当事者と共同で、どのような工夫をしたら良いのかを話し合います。これはいわばコミュニケーションのユニバーサルデザインの実践でもあります。特に、乳幼児期から集団会話に参加できなかった聴覚障害学生が、他者と共同的実践をすることによって、自分が集団の一員として参加できる工夫を学べたり、自分自身も他者に貢献できることで自信を取り戻します。聴覚障害学生の自己回復にもつながるのです。 具体的にどのような工夫が考えられるでしょう。1つは受信面での工夫です。聴覚障害学生が、誰が発言者か、発言内容は何かを確実に把握できるように検討します。例えば、複数の人が同時に発言しない、挙手をしてもらうなどが挙げられます。 もう1つは発信面での工夫です。会話をする時には、他者の発言内容を把握し、話題を推測し、自分は何を発言できるかを考えながら参加をしています。しかし聴覚障害学生は、音声日本語の聴き取り、読話、発言者の手話表現等の限界や集団会話の経験不足などにより、発言するタイミングをつかめなかったり、他者の発言内容を把握するのにかなりのエネルギーを要します。また、自分の発言内容を考えるまでの時間も長くなることもあります。こうしたことから、複数の他者に誤解なく伝わる内容をどのように構成したらよいかわからなくなり、プレッシャーを感じることもあります。聴覚障害学生も気づいていても言いにくいことでもあるので、本人の把握状況や自己認識に配慮しながらこれらの問題を1つひとつ整理し、工夫できることを話し合いましょう。例えば、自身の状況を相手に伝え、もう一度話をしてもらえるように依頼する方法や、他者の意見へのコメントから議論を始めると流れの把握が円滑になることを学ぶ、などの方法が挙げられます。 [参照TipSheet 11.授業における教育的配慮] 5)最後に このように会話の内容だけでなくコミュニケーションの仕方についても聴覚障害学生が能動的に発信し、かつ他者とともに「共通のものを作り出すこと」が実践できるコミュニケーションを目指していただきたいと思います。これは、合理的配慮の決定過程における双方間の建設的対話の実践にも関わってくるテーマです。 (40ページ) 10.聴覚障害学生の意思表明とその支援 執筆者:吉川 あゆみ(よしかわ あゆみ) 1)さまざまな聴覚障害学生 聴覚障害は、失聴の時期や聴力の程度、受けた教育等によって、その状況が一人一人異なります。それゆえ、コミュニケーション手段も必要な支援の種類も多岐にわたります。また、同じ一人の聴覚障害者でも、聴力の変動や意識の変化にともなって、求める支援の手段が大きく変わることもあります。 とりわけ、手話を習得したり、同じ聴覚障害のある仲間と出会ったりする機会の多い大学時代は、「入学時は無口だったのに今は楽しそう」「サークルのリーダーになった」といった学生相応の成長が著しい時期とも言えます。 同時に、「いくらすすめても通訳を依頼しない」「話し合いの席にすら来ない」と、拒絶的な態度が続く場合も少なくなく、聴覚障害学生特有の成長過程や心理状態を念頭においた丁寧な支援が欠かせません。 2)支援がもたらす心理的葛藤 実際の支援、すなわち「合理的配慮」に至るには聴覚障害学生からの「意思表明」が前提とされます。ですが、現時点では大学に入ってはじめて通訳をつける学生が大半ですので、未知の経験に対する戸惑いが大きく、最初から積極的に支援を求める学生はまれでしょう。 また、支援を受けて授業を理解できるようになる半面で、支援によって自分の障害とも向き合わざるを得ませんので、心理的葛藤を避けられません。一年生にして「自分は聴覚障害があるので通訳をお願いします」と意思表明する学生は少数ですし、ましてや「読みにくいからもっと大きな文字にして」「この授業には手話通訳を、あの授業にはパソコン通訳を」と注文できる学生は珍しいでしょう。時には勉学が手につかず、それまでの生き方を疑うほどの心理的負担を感じることさえあります。 その背景として、学生にもよりますが、大半の聴覚障害学生は高校まで授業の中で発言したり発表したりする経験が乏しい上に、まわりに合わせて過ごせるように自分の意思を意識的あるいは無意識的に抑圧する傾向が見られます。つまり、「意思表明」にあたっては受け身的な生き方から積極的な生き方への転換が求められ、「意思表明」の前に自らの意思や行動が抑圧されてきたことに気づき、さらに抑圧された意思や行動を言語化する作業を根気よく繰り返してようやく「意思表明」に至るのです。 結局、授業がわからなくとも嬉々と支援を受ける学生ばかりではありませんし、当初は喜ばれた支援も時間とともに要求がレベルアップしがちです。必要と思って行った支援が必ずしも歓迎されないところに、支援の難しさがあります。それゆえ、大学と聴覚障害学生が対等に関わるには「『意思表明』支援」が求められ、「『意思表明』支援」なくして合理的配慮にはたどり着けないのです。 言い換えると、この時期に良質な支援を受けることが、聴覚障害学生の主体的成長においてきわめて大切になってきます。支援利用上のルールを守らない、手話以外のコミュニケーション手段を拒むなど、反発的な態度に出会う例も少なからずありますが、そこでの見守りや働きかけが、聴覚障害学生のまわりへの信頼感をかろうじてつなぎ、抑圧からの回復をもたらしていくとも言えます。 [参照TipSheet 4.合理的配慮の考え方と決定過程] 3)心理的葛藤から主体性形成・共生変革へ 支援を受ける中では、具体的にどのような心理的葛藤が生じるのでしょうか。すべての学生が同じように感じ、受けとめると限りませんが、大きく以下の4段階に分けられ、ステップを追う点で共通していると考えられます。 図1 聴覚障害学生の支援に対する受け止め方の変化(注:本文の説明を二次元の表で表示) (1) 消極的反応段階:支援を躊躇、拒否する段階 (2) 受動的依頼段階:受け身で支援を受ける段階 (3) 主体的活用段階:自ら積極的に活用する段階 (4) 共生的変革段階:支援を調整し変革する段階 (図1 ここまで) (1)消極的反応段階 a.無支援:支援があることすら知らない状態です。 b.支援認知:「手話通訳」「パソコン通訳」等の手段があることを知ります。しかし、高校まで一人で頑張ってきた聴覚障害学生は「自分は人に助けてもらうほど困っていない」「支援がなくてもやっていける」と思いがちです。 (2)受動的依頼段階 c.支援依頼:ようやく通訳依頼にふみきりますが、ここでも「まわりに聴覚障害を知られたくない」「隅っこの方で目立たないように」等の葛藤を抱える傾向があります。 d.支援体験:はじめて通訳をつけてみると多くが「授業ってこんなに面白かったのか!」と感激します。経験を重ねるにつれ次第に「もっとたくさん情報を流してほしい」と要求が高まりますが、実際にそれを口に出すまでには時間を要することが多いでしょう。 (3)主体的活用段階 e.要望提起:これまで受け身だった通訳に対して、自ら要望を出します。情報保障の「依頼者」から「利用者」に転換していくときです。我慢を重ねた反動から、強い言い方で要望を突きつける学生も少なくありません。 f.支援活用:通訳者や支援者との距離のとり方を身につけていきます。「この授業にはこの手段を」と判断する、先生や友達に希望する配慮を適切に伝える、通訳者にタイミングよく声掛けをする等の行動が可能になります。 (4)共生的変革段階 よりよい支援のために、通訳者や支援者に働きかけるばかりでなく、調和を保ちながら関係調整をはかります。 学生のうちは、主体的活用段階に進むものの、共生的変革段階に至る例は少なく、卒業後さらに社会経験を積んでの関係調整であり変革となるでしょう。 4)各段階に応じた支援 それでは、大学としては各段階に応じてどのような支援を心がけたらよいでしょうか。 (1)消極的反応段階での支援 ある大学では、聴覚障害の新入生に「どのような支援が必要ですか」と聞くと、「口話でわかるので大丈夫」と返ってきました。先生から「入学前に一度授業を見に行こう」と提案し見学したところ、「やはり口話ではわかりません」と、実際にどうするか話し合いが進みました。 また、別のある大学では、「本人は支援を断っているが、一度、授業に通訳をつけてみたい」と動いたところ、本人も一年が終わる頃には積極的になった例もあります。 本人の拒否する気持ちを受けとめつつ「いりません」という言葉をうのみにせずに、潜在的ニーズを引き出す丁寧な対応が意思表明をもたらした好例でしょう。 (2)受動的依頼段階での支援 本人から「○○してほしい」と声があがっていないから大丈夫と安心しがちな時期です。「通訳はどう?」と聞いてもなかなか反応を得るのが難しいのもこの頃です。たとえば、養成講座で実際に通訳する傍ら、「この通訳の〇〇はどう?」と具体的に聞くと意外な答えが返る場合もあります。このとき、「でも…」と反論しがちですが、本人にとってはやっと出た一言ですので、敏感に受け止めることが主体的活動段階へ進む下地につながります。 また、聴覚障害学生同士で「通訳についてどう感じるか」議論する場があると、なおよいでしょう。自分の思いが個人的な好みなのか、ほかの聴覚障害学生にも共通する普遍的意向なのか、見極められるようになります。 (3)主体的活用段階での支援 ここにきて、一方的に支援を受ける段階を脱して主体的に動き始めます。不満が噴出しやすいときですが、自分の要求を言語化し始めた証と受けとめたいところです。ときには無理難題を突きつけられることもあるかもしれませんが、「無理」と却下するのではなく、「それは○○という理由で厳しいけれど、こういう方法はどうか」と、大学として代替案を示すことが大切になるでしょう。 お互いの要望や事情をすり合わせて、建設的に話し合い、調整を重ねながら関係を紡ぐ過程が、聴覚障害学生にとっても学びであり自信につながります。 (4)共生的変革段階 概して、既存の支援にはない新しい要望を出す学生や、一つの支援に多くを望む学生は、後々、支援を受ける立場から自らも後輩を支援する立場へと回る、積極的に支援者の養成に関わることが比較的スムーズです。合理的配慮は、大学側のみならず、本人に対しても積極的関与を求めます。一見突飛な要求も、いずれは共生へ向かう成長の一過程と捉え、長い目で見守りたいところです。 [参照TipSheet 22.聴覚障害学生支援におけるコーディネート業務、23.入学当初のサポート] 5)全段階を通じての支援 日ごろからの関わりとともに、全段階を通じて大学と聴覚障害学生が定期的に(年数回)話し合う時間を持つと、互いへの安心感や信頼感がより深まることでしょう。 大学にとっては、聴覚障害学生の本音を引き出すのは一仕事かもしれません。大学の事情が許せば、数々の聴覚障害者と接してきた通訳者なり聴覚障害者なりを支援スタッフに迎えるのが望ましいでしょうが、それが難しい場合は、こちらのPEPNet-Japanなどのネットワーク等を活用して他大学と情報交換したり、聴覚障害のあるサポーターを紹介してもらうことも可能です。 強調しておきたいのは、同じ聴覚障害の仲間(ピア)を持つ大切さです。大学生ならば、「全日本ろう学生懇談会」等で討論会、講演会、キャンプ、スキーなどの企画が随時ありますので、折をみて「こういう企画があるよ」と繰り返し勧めたいところです。卒業後、職場や家庭で何らかの問題が生じたときも、学生時代に培った同じ聴覚障害者のネットワークが大きな救いになってきます。 ケースによっては、まれに、聴覚障害の教育や心理に造詣の深い専門家の支援が必要な場合もあります。現時点ではこうした専門家は限られていますので、都道府県の聴覚障害者情報提供施設に問い合わせるのも一つの方法です。 聴覚障害学生にとって、さまざまなコミュニケーション手段を身につけることが人間関係の幅を広げるように、さまざまな手段の支援を活用する経験が、社会的活動の場を広げていくことになります。職場や社会で対人関係調整や環境変革を図れる共生的関わりをめざしつつ、日々の生活や活動をより充実させていくためにも、「きめ細かに意思表明を引き出す」「支援によって生じる心理的葛藤を軽減する」「質の高い通訳を提供する」「多様な支援を体験させる」等、一連の支援を、長期的展望をもってコーディネートすることが非常に大切になってきます。 [参考:特定非営利活動法人 全国聴覚障害者情報提供施設協議会  http://www.zencho.or.jp ] (43ページ) 11.授業における教育的配慮 執筆者:石原保志(いしはら やすし) 1)聴覚障害学生への情報保障の意義 聴覚障害学生を対象とした情報保障について「なぜ特別扱いをするのか」といった声を聞くことがあります。しかし聴覚障害学生の立場でみれば、授業に出席しても情報保障がなければ教員等が発する音声が聞き取れず、ただ教室にいるだけという状況に陥ります。車椅子の人がスロープなしには建物にアクセスできないのと同様に、聴覚障害学生は情報保障なくしては授業に“参加”することができないのです。学生は当然ながら授業に参加する権利があり、障害の有無に関わらずこれを保障することは教員や大学の責務です。障害者差別解消法(平成28年4月施行)に基づき、全学的に障害学生への対応方針が定められていることでしょう。本稿では、授業を担当する教員が具体的にどのような教育的配慮を行うことができるのかをまとめます。 [参照TipSheet 3.障害者施策の変容と差別解消法の意義、4.合理的配慮の考え方と決定過程] 2)全般的な留意事項 (1)聴覚障害学生のコミュニケーション特性 聴覚障害学生にあっても障害の程度や生育環境によりコミュニケーションの特性には個人差があります。詳しくは他シートに譲りますが、情報保障の具体的な方法は個々の学生に即して検討する必要があるので、授業に先立ち、支援担当者から学生本人に確認し、学生本人と相談の上支援方法を決定しましょう。 [参照TipSheet 9.聴覚障害学生のコミュニケーション方法] (2)聴覚障害学生との対話 授業以外の場で聴覚障害学生と対話する際は、通訳を介さず、直接コミュニケーションを取りましょう。このことは教員と学生の間の信頼感を高めることにつながります。学生の発話がわかりにくいときは、わかったふりをせずに言い直しや筆談を求めましょう。また学生の様子を見ながら話し、伝わっていないと感じたときには躊躇せずに書いて伝えましょう。 (3)補聴器の限界 重度または最重度の聴覚障害者は、補聴器をつけても話しことばを聞き取ることは困難です。また、一対一の対話では補聴器を介して話しことばを聞き取ることができる学生であっても、離れた距離での話し声や騒音がある中での聞き取りは困難になります。教室では教員と学生の距離があり、板書の音、紙をめくる音、学生同士の話し声など様々な音が充満しています。したがって聴覚障害学生が補聴器を装用していたとしても、授業においては視覚的手がかりが必要であると考えるべきです。 (4)学生自身の情報保障に関する意識 障害に対して十分な配慮がある授業に参加したことのない聴覚障害学生の中には、高校までの経験から、授業は分からなくても「仕方がない」、勉強はテキストを使って「自分ひとりで」行うものと考える者もいます。 しかし大学の授業ではそのような訳にはいかず、情報保障の必要性に気付いた時には多くの授業の単位を落としてしまっていることも珍しくありません。このような事態に陥らないよう、新入学の聴覚障害学生に対しては、情報保障のある授業を体験させたり、情報保障に関わる講習会等に参加する機会を与え、その有効性や具体的方法についての理解を促し、支援の必要性を学生本人から申し出ることができるよう支援することが肝要です。 (5)情報保障の役割と範囲 授業内容を学生に理解させることが教員の責務であるとすれば、授業内容をノートテイクや手話通訳で伝える情報保障者は「授業をしている教員」を支援していることになります。授業では全ての音声情報が情報保障の対象であり、教員の発言のほか、学生の発言や聴覚障害学生自身の発言も保障される必要があります。冗談や授業内容から逸れた挿話なども、授業の雰囲気や教員の人柄を把握する上で欠かせない情報です。このことを念頭に置き、通訳環境には十分に配慮して授業を進めましょう。 [補足:情報保障者は必ずしも授業の内容をすべて把握しているわけではありません。ログの確認をするなど、授業の内容が聴覚障害学生に伝わったかを確認することも大切です。] 3)授業における留意事項 (1)講義形式の授業 【座席位置の配慮】 ・教室前方で、教員、黒板、スクリーンなどすべての視覚情報が見やすく、情報保障者が教員の声を聞き取りやすい場所が望ましい座席です。 ・情報保障が付く場合は、学生本人と情報保障者とで話し合って、適切な座席を確保しましょう。 【教員の話し方】 ・いくつもの従属節をともなう文は内容が曖昧になりがちです。不要なことばを省き、短い文で話しましょう。 ・早すぎる話し方はノートテイカーや手話通訳者が追いつけません。ややゆっくり、明瞭に、しかし大げさでなく自然に、そして文の切れ目で間を空けるように話しましょう。 ・話者の口の動きから話の手がかりを得ようとする学生に対しては、板書しているときは説明を止め、書き終わってから正面を向いて話しましょう。 【板書】 ・視覚教材が用意されていない部分では、項目やキーワード、新出の専門用語、固有名詞、数式などは書き示しましょう。 ・授業展開における時系列や文脈が分かるよう板書のしかたを工夫しましょう。 ・連絡事項や注意事項の板書は聞こえる学生にとっても確認になります。 【資料などの教材とその説明】 ・聴覚障害学生は「聞きながら見る」ことや机上の資料と通訳内容を同時に見ることも困難です。資料の説明をする際は、該当箇所をスライドやOHCで示したり、学生に読む時間を与えた後に説明しましょう。 ・情報保障者には、配布資料や使用する教材を事前に提供しましょう。 【音声をともなう教材の使用】 ・語学におけるヒアリング教材や音声教材の使用に際しては、文字に変換した資料などの代替教材が必要です。 ・教材を使用する際には、教材の音声に重なって説明をしないようにしましょう。 【映像教材の使用】 ・ビデオやDVDは、字幕を挿入したものを使用する、または音声を文字化した資料を事前に用意しましょう。全ての文字化が困難な場合には、要旨や項目だけでも有用です。 ・教室は完全に暗転させず、手話通訳やノートテイクが見えるようにある程度の明るさを残しましょう。 【授業の展開】 ・授業の冒頭に、その日の授業で扱う項目を示すことは、聴覚障害学生や情報保障者だけでなく、聞こえる学生の内容理解をも促します。 ・授業の最後に授業のまとめや要点を示すことで、学生が授業内容を復習することが容易になるでしょう。 ・時間配分が適切でない授業、特に授業の後半に時間が足りなくなり授業の進め方を早めるといった授業は、情報保障が追いつかなくなるだけでなく、全ての学生にとって内容理解が困難になります。 [参照TipSheet 12.情報保障の手段] (2)ゼミ形式の授業 【座席位置の配慮】 聴覚障害学生から全ての発言者が見渡せ、かつスク リーンやホワイトボードおよび情報保障が受けやすい配置を工夫しましょう。 【司会と進行】 司会者および参加者は以下の点に留意しましょう。 ・複数の人物が同時に発言すると、通訳者は情報保障ができません。ゼミでは必ず司会者を立て、一人の発言が終わってから次の人が発言するようにしましょう。 ・司会者が発言者を指名する、発言者に挙手してもらうなどの方法で、誰が発言者かわかるようにしましょう。 ・誰の発言であるかが通訳等を通してきちんと伝わるように、話し始める前に自分の名前を明示するようにしましょう。 ・通訳にはタイムラグがあるため、間断のない進行では情報保障が追いつかず、聴覚障害学生は発言するタイミングを失します。発言者は、直前の発言が伝わったことを確認してから発言を開始しましょう。 ・FM補聴器を使用する場合は、発言者にマイクを使って発言してもらいましょう。 ・司会者は必要に応じ発言の要旨を復唱しましょう。 ・レポート発表者は、発表原稿や配布資料を用意したり、読み上げる箇所を明示したりするなど、分かりやすい発表方法を工夫しましょう。当日その場で資料を配布した場合には、資料に目を通す時間を取ると良いでしょう。 (3)体育などの教室外の授業 【説明と活動】 身体活動をしながら説明を聞くことは困難なため、説明と活動の時間を分けましょう。ただし体育などで教員の模範演技を真似ることにハンディはありません。 【指示の伝え方】 屋外などの広い場所での指示は、近くにいる聞こえる学生を通して知らせたり、バディシステムを採用するなどの工夫をしましょう。 (4)実験や実習 ・実験の時などは指示した物や手順を聴覚障害学生が確認する時間を与えましょう。 ・課題の指示に際しては、実際のデモンストレーションをともなうと理解が促されます。 ・聴覚障害が参加することが困難であると思われる実験や実習は、ティーチングアシスタントなど補助者を付ける措置で参加する可能性を検討しましょう。説明の時間と作業・実技の時間を明確に分けることでも、十分に参加が可能になる場合もあります。 ・聞こえないことで明らかに生命の危険を伴う事柄については、どのような事態が予測されるのかを学生に対して十分に説明し、どのようなサポートがあれば参加可能かを検討しましょう。 4)より良い授業実施に向けて 障害学生への支援のあり方は、教員個々の判断のみならず『大学が掲げるポリシーの中で障害学生支援をどう捉えるのか』という教育的視点を全学的に共有していくことが求められます。授業の中で取り組んでいる具体的な配慮方法を学部内の教員で共有する機会を持ち、より良い方法を探っていくことも有効です。全学的なFDの機会などを活用して、ぜひ障害学生支援について検討を進めて欲しいと思います。 (47ページ) 第3章 情報保障支援について理解する 授業などの修学場面で必要とされる情報保障について、概論および各支援手段の特性について学べるトピックスです。情報保障支援の全体像を知ると同時に、聴覚障害学生が実際に履修する授業に適した支援方法を検討する際にも参考にすることができます。 12.情報保障の手段  聴覚障害学生が授業を受ける際に活用可能な情報保障の手段について概観し、各手段の内容や特性についてまとめています。 13.文字による支援方法  情報保障手段の中でも文字によって情報を提供する手段について、いくつかの手段を紹介し特性や具体的方法を解説しています。 14.手書きのノートテイク その特徴と活用  文字による支援の中でも手書きによるノートテイクについて、具体的な実施方法や特徴、評価方法などをまとめています。 15.パソコンノートテイク その特徴と活用  文字による支援の中でもパソコン入力によるノートテイクについて、具体的な実施方法や特徴、評価方法などをまとめています。 16.高等教育での手話通訳の活用  手話通訳についての基本的な知識に加え、高等教育場面における手話通訳支援の位置づけや実施方法についてまとめています。 17.手話通訳による支援1/18.手話通訳による支援2  高等教育機関における手話通訳の実施例を紹介しています。 19.通訳者の健康障害とその対応  情報保障支援者の健康問題について解説しています。 20.補聴援助システム  残存聴力を活用する聴覚障害学生への支援手段の一つとして、補聴援助システムについての基本的な知識と使用上の配慮事項についてまとめています。 (48ページ) 12.情報保障の手段 執筆者:岩田吉生(いわた よしなり) 1)様々な情報保障の手段 聴覚障害学生に対する情報保障の手段は、個々の学生の教育歴やコミュニケーション方法・言語、聴力レベルなどの要因によって、ニーズが異なります。文字情報や手話通訳をつければ情報保障の問題がすべて解決するわけではなく、大学等の情報保障支援のコーディネート担当者が聴覚障害学生からニーズを把握し、それぞれの講義における支援方法を検討していく必要があります。 大学等で学ぶ聴覚障害学生の教育方法等の合理的配慮としては、障害のある学生が障害のない学生と平等に参加できるよう、必要かつ適切な情報保障を行い、学習する場への参加を保障することが基本です。 現在、日本の大学等の講義等に出席する聴覚障害学生の情報保障において、その代表的なものには、ノートテイク、パソコンノートテイク、OHCノートテイク、音声認識ソフトの活用、遠隔情報保障などの「文字による支援方法」、および「手話による支援方法」が挙げられます。文字や手話による情報保障以外にも、教員の講義の進め方によって、「その他の様々な情報保障の手段」を活用していく方法があります。 [参照TipSheet 11.授業における教育的配慮、13.文字による支援方法、16.高等教育での手話通訳の活用] 2)文字による支援方法 (1)ノートテイク ノートテイクは、聴者のノートテイカーが教員の話をルーズリーフなどの紙に書き取っていく方法です。例えば、1コマ90分の講義とすると、ノートテイカー1名だけで全ての時間を担当することは、手指や腕などの筋疲労や精神的な負担が大きく、非常に困難であるため、一般にはノートテイカー2名を配置し10~15分ごとに交代しながら、ノートテイクを進めます。2名のノートテイカーたちは、下図のように聴覚障害学生の両側の座席に位置し、情報保障を行っていきます。 図1 聴覚障害学生とノートテイカーの座席  1台の長机に向かい、聴覚障害学生の左右にノートテイカーが座り、聴覚障害学生を挟むように着席している図。(図1 ここまで)   ノートテイクには、教員が話している内容を、雑談なども含めて、できるだけたくさん書き上げていく「通訳としてのノートテイク」と、手話通訳を活用するときに講義内容をコンパクトにまとめていく「記録としてのノートテイク」の2種類があります。通訳としてのノートテイクの場合、ノートテイカーは交代しながら進めていきますが、一人はノートテイクを、もう一人は教科書や資料の指示や書き漏らしのフォローをすると良いでしょう。ノートテイカーは、教員の話をうまくまとめながら、できるだけたくさんの情報を書き取っていくことが望まれます。熟達したノートテイカーの場合、1分間に60~70字程度の文字の書き取りが可能となっていきます。 ノートテイカーは学外派遣者や学内の学生などが担当しますが、学生がノートテイクを担当する場合、講義を履修しない学生が担当することが前提であることを理解して頂きたいと思います。情報保障者と学習者の2つの役割を担った結果、講義内容が理解できなくなり、単位を落としてしまうことになりかねません。この点は十分に留意してほしいものです。 [参照TipSheet 19.通訳者の健康障害とその対応] (2)パソコンノートテイク パソコンノートテイクは、ノートテイクの代わりに、ノートパソコンを使って、教員の話を入力していく方法です。手書きのノートテイクと違いパソコンノートテイクの場合、プロジェクターとスクリーンを活用すれば、一度に多数の聴覚障害学生に情報保障を行うことができます。1名でパソコンの文字入力の作業を進めることは疲労度が高くなってしまうため、やはり2名1組で情報保障を行っていくことが望ましいです。 具体的な方法としては、ワードやテキスト文書などにノートテイカーが文字を入力していく方法もありますが、最近は、IPtalk(アイピートーク)などのフリーソフトを利用して情報保障を進めるケースが増えています。この場合、ノートテイカー2名はそれぞれ1台のノートパソコンを用意してLANケーブルを使いそれぞれを接続をします。IPtalkを活用すると、入力者はお互いの入力の様子を見ながら、聞き取った内容を連係して入力していくことができます。 パソコンノートテイクの場合、ノートテイカーの入力速度にもよりますが、少し練習すれば1分間に100字以上の入力は可能で、熟練したノートテイカーは1分間に200字以上の入力が可能となります。2名で連係して入力すると、さらに多くの情報を入力できることとなります。 [IPtalkとは:パソコンノートテイク用のソフトウェア。複数人で連係しながら入力するための便利な機能が搭載されている。以下ウェブサイトより無料ダウンロード可能。 http://www.s-kurita.net/] [参考文献:パソコンノートテイク導入支援ガイド やってみよう!パソコンノートテイク.日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan).] (3)OHCノートテイク OHC(オーバー・ヘッド・カメラ)を利用したノートテイクで、一般的には2名以上のノートテイカーによって紙に文字情報を書き取っていき、大型のスクリーンにその文章を拡大投影していきます。OHCノートテイクは、同じ講義を複数の聴覚障害学生が履修する場合、一度に情報保障を行うことができます。 以前は、OHP(オーバー・ヘッド・プロジェクター)に、透明のロールまたはシートに文字を書き取り、スクリーンに拡大投影する方法も用いられていましたが、最近はOHCを活用する方法も行われています。この理由として、OHCを活用すれば、テイクした文章だけでなく、資料や図表・写真などもすべて拡大投影できることが挙げられます。 (4)音声認識ソフトによる音声同時字幕システム 音声同時字幕システムは、話者の音声を音声認識ソフトを活用して文字化し、パソコンの画面やスクリーンなどに文字を表示するシステムです。現在では、国際会議などでの字幕、放送局の字幕システムなど、様々な場面で利用されています。現在の音声認識技術では、あらかじめソフトウェアに発話者の声の特徴などを登録しておくことによって認識率を高める方法がとられています。 このシステムでは、音声認識ソフトの特性を活かして、話者の声を直接認識させるのではなく、特定の訓練された人(同時復唱者)が復唱して認識させることで字幕精度を上げ、実用化しています。また、同時修正者が誤変換を修正する作業を入れることでさらに精度の高い字幕を提供することができます。 同時復唱のみを行う場合は、最初に、同時復唱者が復唱し、ソフトウェアが音声認識して文字化します。その後で、文字を利用者のパソコンやスクリーンなどに表示します。 同時復唱と同時修正を行う場合は、最初に、復唱者が復唱し、ソフトウェアが音声認識して文字化します。次に、修正者が専用のソフトウェアを使って誤認識のあった箇所を正しい内容に修正します。 こうして最終的には、修正された文字が利用者のパソコンなどに表示されます。 (5)遠隔情報保障 遠隔情報保障とは、聴覚障害学生が講義などを受講する際、テイカー同士が連係しながら話者の言葉を要約してパソコン画面に文字化するパソコンノートテイクを、iPhoneやiPadなどの携帯端末を活用し、講義室とは別の場所から遠隔での情報保障を行うシステムです。 従来のパソコンノートテイクでは、ノートテイカーが講義に同席することが必要でした。本システムでは、携帯端末を通じて、話者の音声を遠隔地にいる個々のテイカーに送信し、支援担当部署で対応している場合には、事前に相談をして頂けるように依頼をすると良いでしょう。文字情報を聴覚障害学生が所持する端末にて受信することで、情報保障の支援を行うことができます。 [参考文献:PEPNet-Japan支援技術導入リーフレット4 屋外でもパソコンノートテイクを利用したい―モバイル型遠隔情報保障システム―.] 3)手話通訳 手話通訳による情報保障とは、講義担当の教員の話や学生の意見・質問、視聴覚機器の音声などの情報を手話に変換して通訳することや、聴覚障害学生の手話を音声に変換して通訳することです。しかし、手話通訳による情報保障のほとんどは、講義で話される教員の話を手話によって通訳するケースです。この場合、手話通訳者の手話スキルが高ければ、聴覚障害学生は、ノートテイクやパソコンノートテイクよりも、多くの情報を確実に得ることができます。専門性が高い手話通訳者は、学内はもとより、各地域にも非常に少ないため、人材の確保とその養成が課題となっています。 一般的に、ノートテイクなどと同様、手話通訳者は15~20分ごとに交代しながら通訳を進めます。手話通訳を行う位置は、聴覚障害学生と相談しながら、話し手と手話通訳が同時に視野に入る場所で、かつ通訳者にとって教室内の声が聞こえやすい場所を選びます。 4)その他の様々な情報保障の手段 (1)板書 聴覚障害学生が理解しやすいように、講義担当の教員に、板書等の視覚資料を多くする支援をしてもらうようにします。特に、講義で初めて登場する専門用語などは、必ず板書してもらうようにお願いをしましょう。 (2)講義資料 たくさんの情報を板書しながら授業を進めることは、教員にとっては手間がかかり、時間も多くとります。そのため、事前に用語を説明した資料や、授業の流れを書いた資料を配布することで、聴覚障害学生に限らず、一般学生にも理解しやすい授業が進行できることを、講義担当の教員に理解してもらうとよいでしょう。 (3)映像教材の字幕 ビデオやDVD等の映像教材は字幕が付いたものを、できるだけ、積極的に活用してもらうようにします。教員が映像教材を視聴させながら、音声を重ねて説明を加えることは避けてもらいます。字幕の付いた映像教材がなければ機器を使って字幕を付ける他、音声情報を書き起こして資料を作成する情報保障の方法もあります。 (4)FM補聴器の貸し出し FM補聴器は、イヤホンとワイヤレス・マイクがセットになっており、マイクに入った音はFM電波でイヤホンへと飛んできます。一般の補聴器では、話している人から遠ざかるほど、その人の声は聞こえにくくなりますが、FM補聴器の場合、講義担当の教員にマイクをつけてもらえば、多少離れた座席でも声をはっきりと聞くことができます。補聴器特有の周りの雑音まで大きく聞こえて煩わしいという悩みからも解放されます。FM補聴器を聴覚活用が可能な聴覚障害学生に貸し出すことで、情報保障を行っている大学等もあります。 [参照TipSheet 20.補聴援助システム] [参考文献:大学ノートテイク支援ハンドブック(2007).日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク 情報保障評価事業グループ編著(人間社).] (51ページ) 13.文字による支援方法 執筆者:三好茂樹(みよし しげき) 1)文字による支援とは? 聴覚障害学生が望む情報保障手段は、その聴力の程度や教育環境、授業の形式などによってさまざまです。文字による合理的配慮の提供を希望している場合にどのような方法を用いることができるのか、具体的な検討を進めなければなりません。本シートでは、高等教育機関で用いることのできる情報保障手段のうち、「文字による支援」について概略に触れます。 「文字による支援」とは、教員などが発した音声を何らかの方法で文字に変換し、聴覚障害学生に提示することによって、聴覚障害学生を授業に実質的に参加させるための支援(授業保障)のことです。どの手法を利用するにしても、情報保障に対する教員や関係者の理解が必要となります。また、毎回の授業で情報保障を提供するためには、人員の確保はもちろん、支援のコーディネート業務なども必要となります。 講師の発話速度はまちまちですが、例えば、発話することを一つのスキルとして持つアナウンサーの話す速度は通常1分間あたり350文字から400文字と言われています。手書きや一般的なパソコンを利用する方法では、この発話速度に追従することは困難です。そのため、話者の発話速度によっては発話者の話の中から重要性の高い内容を抽出して伝える(要約する)ことが重要な技術の1つとなります。 どの手法も、聴覚障害学生にわかり易く、そしてスムーズに実施するためのノウハウが蓄積されています。以下では、各手法に関して個別に概略を説明します。 2)ノートテイク ノートテイクには、記録をとるという意味でのノートテイクとリアルタイムの情報保障としてのノートテイクがありますが、通常は後者を指します。情報保障としてのノートテイクでは、ノートテイクの担当者(ノートテイカー)が聴覚障害学生の隣に座り、2~3名でルーズリーフ等に要約文を手書きします。聴覚障害学生はノートテイカーが書いたノートを横から見ることで情報を得ます。聴覚障害学生が複数の場合は、OHCを利用してノートテイクしたものをプロジェクターやモニタに投影することも可能です。 手書きの速度は1分間で70文字程度なので、提供可能な文字数内に納まるように、効率よく内容を伝えることが重要となります。複数人で担当する場合には、筆記を担当しない人がサポート役になり、資料の提示などのサポートを行い、役割を10~15分程度で交代しながら連携作業を行います。記入する内容は、教員や学生の発言内容だけではなく、その場の音環境も可能な限り伝えます。現在、高等教育機関において最も多く用いられているサポート手法で、学内で募った学生ボランティアに対して、養成講座を開講して育成する場合が多いです。 [参照TipSheet 14.手書きのノートテイク その特徴と活用] 3)パソコンノートテイク この手法では、文字提示のためにパソコンを利用します。最も簡単な手法として、ワープロソフト等を用いて文字を入力し、その画面を聴覚障害学生に提示する方法でも支援は可能です。一般的には専用ソフト(IPtalk、まあちゃん等)とLANを用い、入力者のパソコンで入力された文字を表示用のパソコンにネットワークを介して送信し、その画面を聴覚障害学生に提示します。 また、聴覚障害学生が複数参加している場合や場所を特定できない場合には、プロジェクターで表示用パソコンの文字情報を大きく投影して、見てもらうような方法もとることができます。複数人で担当する場合には、担当者の数に応じた台数プラス1台(表示用)のパソコンが必要です。また、各パソコン間の通信には、ハブやLANケーブルといったネットワーク用の機器(市販製品)も利用します。 手元を視認しないで入力する「タッチタイピング」を習得すれば、1分間あたり120~180文字程度(熟練者であれば200~250文字程度)の入力が可能となります。さらに、1文を複数人で入力する連携入力を用いれば、原文の8割程度を伝えることも可能になります。 質の高い入力を目指すには訓練が欠かせませんが、タイピングと連携の向上によりかなりの情報量が伝達可能なため、ノートテイクに並んで積極的に活用したい方法のひとつです。 [参照TipSheet 15.パソコンノートテイク その特徴と活用] 4)OHCを用いた手書き要約筆記 以前はOHPを使い、ロールフィルムという透明で長いフィルムに油性ペンで文字を記入していく方法が用いられていましたが、現在はOHC(オーバーヘッドカメラ)を使用する方法も普及しています。書かれた文字はプロジェクターを通してスクリーンに投影できるため、複数人で見ることが可能です。通常3~4名で要約筆記を担当します。手書きによる筆記速度は1分間あたり70文字程度と少ないため、より効率よく情報を伝えるために、よく使う言葉や固有名詞をあらかじめ記入したカードを準備しておいたり、文の前半をメインの筆記者が、後半を補助の筆記者が記入するなど、様々な工夫が用いられます。パソコンノートテイクの普及により、OHCによる方法の利用は減少してきましたが、記号や数式、資料を多く用いる講義で、手書きでないと対応が困難な場面でかつ複数の聴覚障害学生が受講する場合などでは、引き続き有効に活用できるでしょう。 5)遠隔地での支援 教員の発話内容をできる限り多く文字化し伝える技能には、高いスキルが要求されます。まして、高等教育等の専門的な場で情報保障を行うためには、高い専門技術の習得が必要で、そうした技能を有する人材は国内ではまだ少数と言えます。そこで、こうした人材による支援を国内の各所で利用するため、インターネット回線を使用して遠隔地からサービスを提供するという取り組みがなされています。通信手段を構築するまでにはテレビ会議システムの応用などある程度の技術的な工夫が必要となりますが、(映像、音声、文字情報の送受信体制)、一度構築してしまえば以降の接続は比較的容易になります。現在は、遠隔での支援提供を行う団体もあり、日常的にこのような手法を用いている機関もあります。複数キャンパス間での支援や、学内の別教室から支援を行うなど、学内の限られた人材の有効活用にもつながるため、今後さらに発展が期待される分野であると言えるでしょう。 6)速記による支援 速記技術を応用した文字提示方法で、特殊な入力装置(ステノキーボード、ステンチュラなど)を利用し、発話内容をほぼすべて文字に変換していきます。もともとは裁判所における速記を目的に開発された技術ですが、現在いくつかの企業や団体がこの方法を用いて聴覚障害者への支援を行っています。その中には、放送番組の字幕をリアルタイムに入力する業務を請け負っている企業や、高等教育機関における情報保障を目指して活動している団体などがあります。入力は、メインの入力担当(1~数名)と校正担当(1名)がチームを組み、複数チームで交代しながら文字を入力するものから、1名で担当する例まで形態はさまざまです。入力手法が特殊であるため習得に多くの時間が必要であり、人員の確保が今後の課題となっています。 7)音声認識による支援 パソコンで動作する市販の音声認識ソフトウェアを利用した情報保障の試みも報告されています。現在市販されている音声認識ソフトウェアの中には、ソフトウェアに適した発話を行えば、かなりの認識精度が得られるものがあります。しかし現在のところ、教員が発話した音声そのままでは十分な認識精度が得られず情報保障としては不十分であるため、教員の音声を担当者が“復唱”し、その音声を音声認識ソフトウェアで文字化する方法を採用している活用方法が中心です。また、得られた文に含まれている誤認識文字を校正する作業も重要になっています。そのため、通常はこの2段階のステップを経て、聴覚障害学生に文字が提示されます。また、タブレット等で活用できる音声認識アプリもあり、1対1での指導場面等で有効に活用されています。 音声認識ソフトウェアを活用することで容易に多くの情報を提供できるようなイメージがありますが、現在のところ発話された元の文章を推測することが困難な誤変換が発生することも多いため、認識精度を上げるための人員配置や人材育成など、まだ多くの問題を抱えています。しかし、音声認識の技術は日々進歩を続けており、認識率や話し言葉への対応状況、利用者側の配慮などにより、有効活用の道が開けていくことでしょう。 8)おわりに 本シートで紹介した支援方法の特徴を下表に整理しました。どのような手段を利用するとしても、その手法に対する教員の理解と配慮は不可欠です。いかに有益な手段であろうとも、教員が自身の授業の場でその利用を認め、特性を知った上で、有効に活用されないと十分な効果を発揮することができません。大学の授業は聴覚障害学生を含めた学生全員に対して等しく提供されるべきものであり、それを行う責任は授業を担当する教員にあります。そのため、このような手段は聴覚障害学生のためだけに実施されるものではなく、自身の授業成立のためのサポート(教員に対するサポート)でもあるということをご理解頂ければと思います。 表1 支援方法の特徴 支援方法/必要な機材/情報量と特徴/求められる能力/養成上の課題 の順でそれぞれ記載する。 (1)手書きノートテイク/読みやすさを考慮した筆記具、ノートやルーズリーフ/原文の2割程度(70文字/分程度)。箇条書き、体言止め、略語等を活用する/読みやすい筆記。要点と構造を理解し、構文を作成する力/授業を理解する専門性が必要。導入は容易だが、スキルアップが欠かせない (2)パソコンノートテイク/一般的なパソコン、ワープロソフト等/1名での要約入力では原文の4~5割。複数名による連係入力では8割程度/パソコンを筆記用具として活用する力。整文する力。連係した文章作成/パソコン操作の習熟が必要なので、トレーニングが欠かせない (3)OHCを用いた手書き要約筆記/OHC、投影用スクリーン、用紙、ペン等/3名以上のチームで担当。筆記者が1名の場合、原文の2割程度。補助の筆記者との連携で3~5割程度/機材の特性に即した使い方や連携作業。要約して文章を構成する力。連携した文章作成能力/地域福祉分野で養成を受けた人材の活用も可能だが、高等教育に対応可能な知識と技術の追加習得が必要 (4)音声認識/音声認識ソフトウェア、マイク、一般のパソコン、通信用機材等/要約からほぼ全文まで多様。復唱者、修正者ともに1~複数名が交代で担当/音声認識に適した話し方、教員の音声を聞きながら発話する能力。独特の誤変換を修正する能力/実験的な段階であるために、主に復唱に必要な技能やその養成手法等が明確ではない (5)速記(特殊な入力装置を利用)/特別な機材(キーボード、連携作業用の機材等)/ほぼ全文。1名ずつ交代で実施する他、入力担当と校正担当を組み合わせ同時に2~6名で実施する形態もあり/特殊な入力装置に応じた入力技能、連携した文章作成能力。いずれも数年に及ぶ特別な訓練が必要/高速な入力が可能になるためには長期に渡る訓練が必要で、それに応じたコストがかかる (表1 ここまで) [補足:聴覚障害者に対する文字による支援は、現在のところまだ十分な状況にあるとは言えません。ここで紹介した手法にも、大学等での運用はまだハードルが高いものも含まれますが、その詳細については各シートに委ねます。] (54ページ) 14.手書きのノートテイクその特徴と活用 執筆者:太田晴康(おおた はるやす) 1)ノートテイクの目的 ノートテイク(notetaking)は、教育現場において、障害のある学生に教員の声などの音声情報を伝える「適切な配慮(reasonable accommodation)」の1つです。大きく分けるとノートテイクには、手書き、そしてパソコンの活用という2つの方法があります。 そのほかにも音声認識ソフトウェアを活用したシステムが試みられています。 ノートテイクの目的は、情報コミュニケーション支援を通じて、障害のあるなしにかかわらず、すべての学生に学習環境を保障することにあります。教室内に情報弱者を作らないための情報バリアフリー支援策の1つともいえます。 ノートテイクは自らノートをとることが難しい上肢障害の学生や、板書が見づらい弱視の学生などにも有効ですが、聴覚障害学生にとっては、教員が発する音声情報の伝達にとどまらず、授業の場に参加しているという意識を共有するためにも欠かせない方法です。たとえば、教員の発言にすべての学生が静まりかえる、質疑応答を通じて理解を深めていく、教員やクラスメートの冗談によってクラスが笑いに包まれるなど、その場のいきいきとした雰囲気のなかで学生は学びます。単に座っているだけでは授業に参加したとはいえません。 そこで、ノートテイカーはクラスの状況を文字情報によって補完的に伝えるという役割を担います。授業で教える内容のみを筆記あるいは入力すればよいというわけではありません。要点を記した記録を渡すのであれば、友人のノートをコピーすれば十分でしょう。音声を文字によって伝える場合、どうしてもタイムラグが生じるだけに、その場に参加しているという確かな気持ちにつながるような、言い換えれば参加意識を共有できるような工夫が欠かせません。同じような社会福祉サービスに要約筆記がありますが、高等教育機関におけるノートテイク活動は、きわめて専門性が高い、学生にとっては授業の記録ともなる、ノートテイカーが教育機関の設けたルールにしたがって活動するという点を特徴とします。なお、教育機関によっては「ノート持込可」の試験に際して、ノートテイカーの筆記したノートの持込を認めないところもあります。これは学生自らがノートを取ることも授業内容を理解するための重要な方法と位置づけているからで、聴覚障害学生はノートテイカーの記録をもとに再構成した自分のノートを活用することになります。 このようにノートテイクの目的や対象、方法などを明確に意識した上で、障害のある学生の支援活動の一環として、教育機関自らがその導入に取り組む必要があります。書き方や実技指導を内容とする養成講座の実施はもちろん、ノートテイクの運営に至るまで教育機関が責任を負います。講座の受講者は地域住民、在学生などですが、とりわけ前者の場合は教科書や参考文献のコピーやレジュメを事前に渡すなど、専門的な知識を確実に伝えるための事前準備が学校側に欠かせません。また在学生がノートテイク活動を担う場合はその授業をすでに履修済みの(可能であれば優秀な成績をおさめた)学生がテイカーとして活動することが望ましいでしょう。以下チェック項目をあげておきます。 (チェック項目ここから) (1)障害学生とノートテイクの必要性について話しあったか。 (2)組織として支援活動に取り組んでいるか。 (3)全教職員に支援体制の説明をしたか。 (4)ルールに基づいて活動を実施しているか。 (5)ノートテイカーのローテーションを含む調整役の存在。 (6)利用者が見やすい席の確保、電源等を確認したか。 (7)全学生に支援の理念と方法について周知したか。 (8)地域のボランティアサークル等の協力を求めたか。 (9)定期的にノートテイカーとの協議を実施しているか。 (10)定期的に利用学生との面談を実施しているか。 (11)ノートテイクされた内容を評価する仕組みの存在。 (12)ノートテイカーを対象とする研修会等の存在。 (13)ノートテイカー養成講習会の定期的な実施。 (チェック項目ここまで) 2)手書きによるノートテイクの特徴 手書きによるノートテイクは、ノートテイカーがルーズリーフ用のノートなどに、水性ペンやボールペンで文字を素早く筆記します。教員の発言を聞きながら、その要点を素早く、読みやすく書くことがポイントです。話しことばを一言一句、正しく書こうとしてはいけません。 通常、ノートテイカーは2人1組となって、聴覚に障害のある学生の両隣に座り、ノート数枚ごとに、あるいは10分程度で交代しながら筆記します。学生は、筆先を目で追いますので、見やすい位置にノートを置きます。発話速度と筆記速度の差を埋めるためには次のような工夫が欠かせません。 (1)略号、略記の活用 たとえば「行動主義的な学習理論」など、専門用語が頻繁に登場することが分かっていれば、あらかじめノートの上段に略号を明記します。「生活保護」を「生保」と略記する場合も同様です。筆記中に、しばしば登場する用語について急遽、略記や略号を決める場合もあります。 (2)記号の活用 略記、略号の活用のほか、繰り返し登場する言葉などは矢印を活用して効率的に示します。 (3)カタカナの活用 画数の多い漢字や漢字が分からない固有名詞などはカタカナで筆記します。ただし、漢字で書く余裕がない場合に限ります。 (4)箇条書きの活用 手書きによるノートテイクの表記上の基本は、「素早く、ひと目で情報が入手可能な表記」にあります。この点は文字量が多く、どちらかといえば話しことばに沿って入力するパソコン、とりわけ連係入力には見られない特徴です。 (5)訂正は明瞭に 訂正するときは、はっきりと二重線で訂正し、正しい言葉を上の行に書きます。 (6)句点を忘れずに とかく忘れがちな句点は、文章が完結したことを示すために欠かせません。意識的に句点を書く癖をつけましょう。 太田「ノートテイク(要約筆記)支援ソフトの設計と活用」『静岡福祉大学紀要 第2号』(静岡福祉大学、2006年)参照。 (7)話の要点を中心にまとめる 要約作業は大きく2つに分類することができます。話をまんべんなく抽出した大意と、話のポイントや狙いを的確に抽出した要旨です。手書きのノートテイクでは、まんべんなく書き続けることは難しいため、大意を基本としながらも、要旨を意識し提供する力が求められます。したがって、教員のことばの使い方に敏感になりましょう。たとえば、「要は」「つまりは」「結局」などに続く結論部分を確実に文字化しましょう。「しかし」「したがって」「一方」など、論理的な構造を明示する接続詞にも注意を払いましょう。 さて手書きの場合、伝達できる情報量が話しことばの10分の1程度と情報量が限られますので、その授業の内容に対する理解と的確に要約する力が欠かせません。しかし、能力の高いノートテイカーが筆記したノートは、非常に整理され、重要部分がきっちりと書かれていますので、聴覚に障害のある学生への支援方法としては大変有効です。 2人以上の利用者に情報を提供するときは、ノートをビデオやウェブカメラで撮影し、モニター画面に表示する方法や、ビジュアルプレゼンター(書画カメラ、OHCとも呼ぶ)を活用する方法もあります。 [参考文献:大学ノートテイク支援ハンドブック(2007).日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク 情報保障評価事業グループ編著(人間社).] [参考文献:障害のある学生を支える一教員の体験談を通じて教育機関の役割を探る(2007).太田晴康 他(文理閣).] [参考文献:太田晴康(2006).ノートテイク(要約筆記)支援ソフトの設計と活用(静岡福祉大学紀要 第2号)] 3)ノートテイクの評価 ノーテイカーを用意するだけでは、聴覚障害学生の学習を保障したことにはなりません。実際に書かれた、あるいは入力された内容を評価する仕組みが重要です。ノートテイカーのノートを評価し、現任研修等を通じてその技術を高めていくことによって、ノートテイクの課題も明らかになります。そのノートに書かれた内容に基づいて、その学生は受験し、単位を取得するのです。ノートテイカーの誤記や情報のもれが新たな差別をもたらすことのないよう、教員の協力も欠かせません。教員側の直接的な配慮とノートテイカーによる間接的な配慮が相まって、はじめて適切な配慮は実現します。 直接的な配慮のなかには、ビデオなどの補助教材を使用する場合に字幕が付与されているかどうか確認する、ノートやパソコン画面を見ながら講義に参加する学生のために、指示代名詞を使わず、具体的な名詞を使うなどが含まれますが、何よりも大切なことは聴覚障害学生を障害ゆえに特別扱いしないという点です。ノートテイクを含む学生への支援は、決してその学生の成績を保障するものではありません。そうではなく、障害のあるなしにかかわらず、授業に参加する権利をもつ全ての学生に、その機会を平等に提供する仕組みなのです。 [筆者注:本文中でも触れたが教育機関におけるノートテイク活動は、社会福祉サービスの「要約筆記」活動と同一ではない。身体障害者福祉法施行規則に明記される法廷事業としての要約筆記は措定のカリキュラムの修了者を登録条件とし、障害者の地域生活支援事業を推進する担い手として位置づけられている。したがって教育機関独自で、文字による情報保障者を養成する場合は、要約筆記の名称ではなくノートテイクがふさわしいと思われる。] [参考:特定非営利活動法人 全国要約筆記問題研究会 http://zenyouken.jp/ ] (57ページ) 15.パソコンノートテイクその特徴と活用 執筆者:太田晴康(おおた はるやす) 1)文字による適切な配慮 近年、注目されているノートテイク(notetaking)にパソコンを活用した方法があります。比較的、歴史が新しいだけにパソコン通訳、パソコンテイク、パソコン要約筆記など、さまざまな名称で呼ばれます。いずれにしても市販のノートパソコンを活用し、ノートテイカーがキーボード入力によって、音声を文字化し画面に表示する点は変わりません。このTipSheetでは、パソコンノートテイク(computer-assisted notetaking)という名称に統一します。キーボードを素早く入力できる人であれば、手書きの3倍以上の情報を伝達することができます。したがって、多くの情報を素早く得たいという学生の要望に応える方法であり、専門用語が頻出する大学の授業では、かな漢字変換ソフトの単語登録機能や専門辞書の活用といった工夫によって大きな威力を発揮します。 パソコンノートテイクには、1人の入力者が教員の話を要約しながら入力し、LAN(ローカルエリアネットワーク)接続した利用学生のパソコン画面に情報を表示させる「1人要約入力」と、2人の入力者が話しことばを聞きながら、数文節ごとに連係入力し、LANを通じて情報を伝える「連係入力」の2つの方法があります。 連係入力では、AさんとBさんが次のように入力文(下線部、<>で囲んだ部分)を分担します。 ・Aさんの入力例:<前回の講義では、学習の行動主義的な理論について、> ・Bさんの入力例:<さまざまな学説を紹介しましたが、> ・Aさんの入力例:<今回からは認知的理論を扱います。> ・その結果、表示される文字列: <前回の講義では、学習の行動主義的な理論について、さまざまな学説を紹介しましたが、今回からは認知的理論を扱います。> 入力した文字列をLAN接続した利用者のパソコンに送信するためには送信用ソフトを活用します。なお入力者が文字列を確定すると同時に素早く利用者に送信する機能、手書き文字や図形を送信する機能、そしてルビを簡単に振るといった機能に特化したソフト「まあちゃん」(下図は表示画面の例)は次のサイトから入手できます。  http://www.machanbazaar.com/ [注:その他のフリーソフトと入手サイト IPtalk:http://www.s-kurita.net/  ITBC2:http://www.caption-sign.jp ] パソコンノートテイクでは、パソコンを立ち上げて文字を入力するといった基本的な知識に加えて、次のような専門的な知識と技術が必要とされます。 (1)素早い文字入力操作 手書きの筆記速度は漢字かな交じり文に換算しておおよそ1分間あたり60~80字程度です。一方、パソコンの場合はタッチタイピング(手元を見ないで入力)ができるようになれば、最低でも手書きと同じぐらいの速さで文字を入力することができます。しかし、それだけではパソコンノートテイク活動は難しいでしょう。ミスタッチがあるとその訂正に気を取られ、話を聞くことがおろそかになるからです。そこでミスタッチのない入力操作に習熟することに加え、1人で話を要約し入力するためには1分間あたり100字(ミスタッチを除く)以上の入力速度が望ましいでしょう。また、連係入力の場合は、最低でも120字/分の速度、理想的には180字/分の入力速度が要求されます。 (2)ソフトの機能の活用 日本語を入力する際には、ソフトの機能を最大限に活用します。専門用語や頻繁に登場する言葉を単語登録しておけば、それだけ効率的に入力することができます。たとえば、発話者を明示する「先生/」という文字列を「s1」というキーワードで事前登録しておくといった工夫です。また、ATOKであれば省入力機能を活用することによって、繰り返し登場する言葉をわずかなキー操作で再入力可能です。 [ATOK(エイトック)とは:JUSTSYSTEMが開発した日本語入力システム。予測変換や省入力機能・辞書登録機能が活用しやすく、パソコンノートテイカーでの利用者も多い。] (3)LAN(local area network)の知識 パソコンノートテイクでは通常、障害のある学生のパソコンに文字データを送信しますので、パソコン同士の間でデータを送受信するための設定をおこないます。(「まあちゃん」のサイト中、「簡易マニュアル利用者用」参照) (4)話をまとめる力 1人要約入力では、話を聞きながら簡潔な文章にまとめると同時に、並行して素早く入力表示する技術が必要です。また90分を1人で入力し続けるコツ(手に負担をかけない入力方法や集中力)も身につけることが望ましいといえます。なお連係入力の場合でも、非常に速い話を文字化する際には、意味上のかたまりごとに1人で要約し、入力表示するといった工夫が求められます。 2)1人要約入力と連係入力 パソコンノートテイクにおける連係入力では、どの程度の文字量を入力表示できるのでしょうか。仮に入力速度180字/分の入力者が2人で連係した場合、おおよそ1.5倍、約270字/分の文字量を入力することが可能です。つまり、よほど早口の授業でなければ、1分間あたり250~300字ぐらいの発話速度の授業であれば、感嘆詞や間投詞を除き、語尾を省略するといった工夫により、ほぼ話の内容のすべてを文字化できることになります。と同時に、次の点を忘れてはなりません。 音声を通じた理解は必ずしも文字を通じた理解と一致しません。話しことばでは音による強調や抑揚、間を活用しますが、それらを文字化することは不可能です。したがって、ノートテイカーは話しことばと書きことばのメディアとしてのちがいを意識しなければなりません。話しことばをそのまま文字化したからといって、話しことばに含まれる情報が正しく伝わるとは限らないのです。 一例ですが、たとえば音声で「オアッス」と言ったとしましょう。聞き手は、その場の状況によって「おはようございます」を縮めて言ったのだと理解するでしょう。あるいは、東京の下町言葉「ンナコタネエ」という音声を「そんなことはない」と理解します。音声認識ソフトが音声を完璧に文字化できない理由の1つもこの点にあります。 また、話しことばでは文章化したときに句点のない、したがって一読するだけでは理解しづらいセンテンスが延々と続くことがあります。「~ですけれども」や「~が」といった接続助詞が論理的な機能を果たさず、口癖として用いられるという点も話しことばの特徴でしょう。 さらには文字情報特有の限界もあります。文字で書かれた「ばか」は、「軽蔑するような調子」や「かわいいなという気持ち」あるいは「軽い気持ち」をこめて、幾通りにも表現することができますが、その表現は「ばか」という文字からは伝わりません。要は、話しことばを書きことばにするときは、音を文字にするのではなく、意味を文字にしているということ、一つ一つの音声が一つ一つの文字に対応するとは限らないということです。そうした特徴に注意を払った上で、何よりも大切なことは利用者の要望にそって手書きのノートテイクと1人要約入力によるパソコンノートテイク、そして連係入力によるパソコンノートテイクという3通りの方法を活用することが求められます。「初めに要約ありき」でもなく、「文字量が多いほどよい」わけでもなく、要は利用者の自己選択と自己決定を可能にするサービスメニューが用意されていることこそが重要なのです。 表1 手書き・PC1人要約・PC連係入力の特徴 項目/情報量と特徴/求められる能力/ 運営上の課題 の順に示す。 (1)手書き/話しことばの約2割。箇条書き、体言止め、略号等を活用。/ 読みやすい筆記。要点と構造を理解し、構文を作成する力。/ 支援者が集まりやすいが、定期的な技術研修が欠かせない。 (2)PC1人要約/ 話しことばの4~5割。読みやすさに配慮した表示。/PCを筆記用具として使いこなす力。ある程度、要約する力。/ PC操作の習熟者を対象にノートテイク技術を指導する。 (3)PC連係入力/ 話しことばの6~8割。話しことばにそった多くの情報量。/120~180字/分の素早い入力速度。連係作業の習熟。/ 必ず2人が必要。速い話では不整文が現れることもある。 (表1 ここまで) 3)ノートテイクの評価 パソコンが伝えた内容に基づいて、利用学生は受験し、単位を取得します。そこでノートテイカーの入力した内容を評価する仕組みが欠かせません。次のような点を自己評価、他者評価を通じて確認しましょう。 (1)重要な語句を入力表示したか。 (2)意味のとりちがいや誤解がないか。 (3)文法のまちがいがないか。 (4)正しい漢字や英字等の表記。 (5)要旨を的確に伝えているか。 (6)携帯電話の音や校内放送等、その場の空気を変えるような音情報を入力表示したか。 (7)守秘義務等、ルールに基づいて活動しているか。 [参考文献:パソコンノートテイク導入支援ガイド やってみよう!パソコンノートテイク 初心者用これだけは!.PEPNet-Japan.] [参考文献:パソコンノートテイクスキルアップ!教材集 やってみよう!連係入力.PEPNet-Japan.] [参考文献:太田晴康(2006).ノートテイク(要約筆記)支援ソフトの設計と活用(静岡福祉大学紀要 第2号).] (60ページ) 16.高等教育での手話通訳の活用 執筆者:日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)事務局  ノートテイクが主流であった高等教育での情報保障支援に、最近は手話通訳による支援の取り組みを始める所が増えてきています。その背景として、聴覚障害学生から手話で情報を受けたいという声が増えてきたこと、ゼミや実習では手話通訳の方が柔軟な対応ができること、ディスカッションでは、よりリアルタイムに情報が受け取れるので、発言の機会を得やすいなどの理由があげられます。ここでは高等教育における手話通訳の必要性や、手話通訳による情報保障支援の特徴について考えてみましょう。 1)手話とは (1)手話とはどんなもの? 手話通訳について考える前に、まず手話とはどういうものかを理解しておきましょう。 手話は、ろう者の社会の中から生まれた自然言語です。他の言語同様、複雑な文法や豊富な語彙を備えており、その言語構造は日本語とは異なっています。手の動きにより「単語」や、日本語の50音にあたる「指文字」を表現し、文法にあたる部分は、手だけでなく、上体と眉や口の動きなどで表します。 手話は決してジェスチャーやパントマイムのような記号の寄せ集めではありません。また、国や地域が異なれば手話も異なり、方言や性差、世代差もみられます。もちろん、抽象概念を語ったり、ジョークや皮肉を言い表すこともできますし、手話を使って高等教育レベルの授業を行うこともできます。ただ、特殊な専門領域で、これまで聴覚障害者が進出してこなかった分野では、当然手話の語彙も未発達のままです。このことは聴覚障害者をとりまく社会の問題であり、手話の言語構造とは分けて考えなければなりません。また、現在自治体を中心にて「手話言語条例」を制定し、手話を言語として保障する動きが見られています。 [参照TipSheet 3.障害者政策の変容と差別解消法の意義] (2)手話を使う人は? 幼少時から自然に手話に触れる環境で育った聞こえない人たちは、日常のコミュニケーションに手話を使用するようになります。こうした人たちの多くはろう学校に通います。 これに対し、手話に触れる機会がなく育つ人もいます。これらの人たちは普通学校で学び、手話を使う人たちとの交流はあまりない場合が多いようです。その場合、コミュニケーション方法は一様ではありません。手話は使わずに、補聴器で音声を聞き取り、口話を使う人もいますし、社会に出てから日本語対応手話を身につけて使うようになる人などさまざまです。 そのため、個々の学生のコミュニケーション上のニーズを見極め、それに応じた手話通訳の利用を検討する必要があります。 [参照TipSheet 8.聴覚障害教育におけるコミュニケーション方法、9.聴覚障害学生のコミュニケーション方法] 2)手話通訳とは (1)通訳とは? テレビなどで、自分の知らない国の言葉を日本語に訳して伝える通訳者を目にする機会がありますね。ここでは、まず、通訳とはどんな作業なのか考えていきましょう。 通訳が必要となるのは、異なる言語を用いるもの同士がコミュニケーションを行う場合です。通訳者はお互いが話を理解できるように、双方の間に立って一方の言語を翻訳して他方に伝えます。 図1:通訳過程のイメージ 起点言語である日本語のメッセージを理解する→メッセージを翻訳する→目標言語である手話のメッセージを表現する (図1 ここまで)    通訳には、双方の言語を理解する力と表現する力を備えていることはもちろんのこと、理解したメッセージを瞬時に別の言語に的確に翻訳する技術が必要です。そのため通訳者は、高度な知識と技術が要求されます。メッセージを正確に理解するために、日ごろから社会情勢に目を向け、幅広い知識を備えていなければなりませんし、瞬時に言語を翻訳できるための技術研鑽も欠かせません。 そして、通訳者に課せられた守秘義務を遵守することも大切です。通訳の性質上、特異な場に存在することになることが多く、普段は耳にしないような情報を知ることになります。通訳者として知り得た内容は、決して他に漏らさないことになっています。 (2)手話通訳の特徴 手話通訳者は、ろう者の手話を日本語に変換して聴者に伝え、聴者の日本語を手話に変換してろう者に伝えるという双方向の変換を行っています。 この時、音声言語間の通訳と大きく異なる点が1つあります。それは、手話通訳者は話されたメッセージだけではなく、周囲の「音」情報も含めてろう者に伝えているからです。つまり、手話通訳者は、聞こえる者が耳から得ている情報を、すべてろう者が目で見てわかる言葉にして伝えているのです。そのために、手話通訳者は常にろう者から見える位置に存在している必要があります。 [参照TipSheet 12.情報保障の手段] (3)高等教育における手話通訳 高等教育機関は、将来の研究者となる者を育てる場です。講義内容は専門分野に特化し、最先端の情報を取り扱うことになります。学生は授業を受身で受講するだけではなく、みずから研究や発表を行うための自発的な勉強が多くなります。そして、試験やレポートをこなし単位を習得しなければなりません。 手話通訳者は専門分野の授業を理解して、手話に変換する力はもちろんのこと、学生がそこで何を学ぼうとしているのかを知り、必要な情報を漏らさず確実に伝える技術が求められます。 また、事前に渡された資料を読み込み、通訳に臨む前に自分で関連事項を調べたり、勉強できる学力も備えていなければなりません。通訳する授業の形態もさまざまですので、状況に応じた柔軟な対応も必要になってきます。 このように、高等教育機関で通訳を行うためには、とても高いレベルの技術が必要になります。 [参照TipSheet 17.手話通訳による支援1、18.手話通訳による支援2] 3)手話通訳を利用した授業 では、高等教育機関で手話通訳による情報保障を行うには、どのようなことに注意して進めればよいのでしょうか。 (1)手話通訳派遣の手順 まず、通訳者を依頼する方法を検討します。依頼の方法は地域の派遣機関に依頼する、または学内で独自に通訳者を探すなどがあります。詳しくは「手話通訳による支援1・2」のTipSheetで解説していますので、各大学・機関の方針等を考慮して検討して下さい。 通訳の依頼方法が決まれば、あとはノートテイクなどによる情報保障と同様に、利用学生から要望のあった科目に通訳者が配置できるようにコーディネートを行っていきます。通常は1コマを2人の通訳者で担当します。担当教員には聴覚障害学生への理解と配慮を求める働きかけを行います。 授業が始まる前までに、教員と利用学生、支援担当者は、支援に入るまでにどんな準備が必要か、どういう方法で授業を進めたらいいのかをあらかじめ話し合っておきます。特に授業を担当する教員には、通訳を見ながら授業を受ける学生への資料提示の方法や、話し方の工夫が必要なこと等、できるだけ具体的に説明しておくとよいでしょう。あわせて通訳者への事前の情報提供についても協力をお願いできるとよいですね。 [参考文献:大学教職員のための地域通訳依頼ハンドブック―よりよい連携をめざして―(2015)日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan).] [参照TipSheet 11.授業における教育的配慮、24.学期はじめのコーディネート業務] (2)手話通訳者への情報提供 手話通訳を効果的に利用するには、授業を行う教員だけではなく、利用学生と支援担当者それぞれにもさまざまな準備が必要となります。以下、具体的な内容を列挙します。 (1)概要をつかむための資料の提供  ①授業のシラバス…授業全体の概要をつかむために必要です。  ②テキスト…使用しない場合は、授業の内容を理解するための関連書物があるかどうか確認します。  ③当日使用する資料等…事前に提出してもらうようにあらかじめ担当教員に依頼しておきましょう。 (2)理解の手がかりへの配慮  ①打合わせの確保…専門に特化した科目では、資料の内容を通訳者が理解するための支援も必要になります。できるかぎり、事前に打ち合わせ時間を取り、ある程度授業内容を把握した上で通訳できる体制を整えます。  ②進行の確認…映像教材の使用、パワーポイントの有無等の情報は、通訳者にとっては通訳の方法を考える上での大事な情報になります。他には、グループでの話合いをするような場合も事前に伝えておくとよいでしょう。  ③他の学生への依頼…ゼミなど学生が発表する時には、周囲の学生にも資料の提出に協力してもらいましょう。作成が間に合わない場合は、途中経過や過去の発表原稿でも構いません。完璧な資料でなくてもよいので、通訳者が事前に勉強できる手がかりとなるものを提示することを心がけましょう。  ④利用学生との打ち合わせ…利用学生が手話による発表を行う場合は、前もって通訳者に資料を渡し、できるだけ事前に打ち合わせをしましょう。発表は内容だけでなく、使用する言葉も評価の対象になってきます。自分が使いたい用語や言い回しを確認しておくことで、通訳もスムーズに行うことができます。  ⑤引継ぎ…授業は連続して行われます。次回の通訳者へ当日の内容と次回の予定などの引継ぎを忘れずに行いないましょう。 4)よりよい情報保障を行うために このように、利用学生に他の学生と同じ情報を伝えるためには、多くの準備が必要になります。どれもよりよい情報保障のためには欠かせないサポートなのです。日々の業務の中ですべてをこなすのは大変なのですが、利用学生の学ぶ環境を保障するということを何よりも尊重し、コーディネートを行っていければと思います。 [協力:早稲田大学障がい学生支援室] [参考:「手話文法研究室」http://slling.net/ 市田泰弘] (63ページ) 17.手話通訳による支援1(大学への登録制度) 執筆者:日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)事務局 最近、聴覚障害学生の情報保障支援のために、手話通訳を取り入れる高等教育機関が増えてきました。ノートテイクによる支援体制はある程度整い、次は手話通訳、と考えていらっしゃるところも多いのではないでしょうか。 ここでは、そんな高等教育機関において手話通訳を確保し、配置していく方法やその手順について説明していきます。 1)手話通訳者の確保 手話通訳者を確保するには、大きくわけて二つの方法が考えられます。 (1)派遣機関に依頼する方法 一つ目は、各地域で手話通訳者の派遣を行っている公的な機関(聴覚障害者情報提供施設や聴覚障害者団体等)に申込む方法です。 派遣機関では国が定めたカリキュラムに基づいて養成した通訳者を登録し派遣を行っており、高等教育機関の申し込みに対しては、有料で一定の技術を有した通訳者を派遣してもらえます。機関の所在地は、役所の障害福祉課などに問い合わせればわかるでしょう。派遣にあたっての費用は各団体が独自に定めていますので、確認しておくとよいでしょう。 ただし、派遣機関に十分な人数の通訳者が確保されていないなどの理由で、大学の授業のように毎週決まった時間に連続して行われるものに対しては派遣してもらえない場合があります。入学式や講演会などの行事であれば利用しやすいのですが、授業への派遣依頼となると現状では難しい面があります。また、毎回同じ通訳者が派遣されるとは限りませんので、授業ごとにあらためて引継ぎを行うなどの必要が生じる場合もあります。 [参考:大学教職員のための地域通訳依頼ハンドブック―よりよい連携をめざして―(2015)日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan).] (2)高等教育機関で通訳者を確保する方法 最近、増加しているのは、高等教育機関で独自に通訳者を探し、学内で雇用したり、複数の通訳者に登録をしてもらい、高等教育機関が直接通訳者本人に依頼できるようにする方法です。 この方法であれば、毎回の授業に派遣が可能になります。また、決まった通訳者を同じ授業に配置することで通訳の質を高めていくことができますし、何か問題が生じた時も派遣担当者が利用学生、通訳者の情報を持っていますので、容易に解決につなげることができます。 では、どのようにして通訳者を集めたらよいでしょうか。  ・通訳に派遣されたことのある通訳者に、個別にお願いする  ・通訳者間の紹介や利用学生からの情報  ・手話通訳養成の専門学校等で紹介してもらう  ・手話通訳者の団体に依頼する いずれにしても、地域の派遣協会とも十分に相談しながら、情報を収集したり、支援担当者自身のネットワークを生かして呼びかけてみるとよいでしょう。また、高等教育機関における通訳には高い専門性が必要で、誰にでもできる訳ではないので、いかしにて通訳者の質を見極めるかが大切になります。 大学によっては、学内の手話サークルの学生等が、高度なスキルを習得し、通訳を担っている場合もあります。中には技術が高く、信頼できる通訳者として活躍しているケースもありますが、一部の支援学生に過度の負担を強いることにもなりかねませんし、いずれは卒業してしまうことを考えると安定した支援者の確保につながりません。やはり、大学として支援体制を構築していくためには、手話通訳士等の資格を持つ専門の通訳者を確保していくことが望ましいと言えます。  [参考:「全国手話通訳問題研究会」 http://www.zentsuken.net/ ] [参考:「日本手話通訳士協会」 http://www.jasli.jp/index.html ] [参照TipSheet 1.高等教育における聴覚障害学生支援] 2)支援の実際 具体的な派遣の方法を知るために、ここでは早稲田大学障がい学生支援室の取り組みを紹介します。早稲田大学では2006年に障がい学生支援室を開設し、2014年度には発達障がい学生支援部門も設置されました。聴覚障害者1名、聴者3名のスタッフが情報保障支援のコーディネートを行っています(2016年現在)。 コーディネータの志磨村早紀氏に、具体的な支援室での活動についてお伺いしました。尚、登録制度開始時点の情報については以前のTipSheetに掲載しておりますので、あわせてご覧下さい。 [参考:早稲田大学障がい学生支援室 https://www.waseda.jp/inst/dsso/information/ ] 以下、早稲田大学障がい学生支援室の例 (1) 登録制度のスタート 支援室開設以前は、地域の派遣機関にお願いして手話通訳者を派遣してもらっていました。 しかし、授業のたびに通訳者が変わり積み上げができないこと、通訳者の質が学生の求めるものに合わない等が問題になってきました。そこで、学内で手話通訳者を登録し、利用学生の依頼にあわせて通訳者を派遣する方法を行っています。 支援室の担当者の知り合いや、口コミで通訳者を募り、希望者には、学内の支援制度の説明を行い、1年間の期限で登録をしていただいています。通訳者の中には毎回異なった場で通訳するよりも定期的な場での通訳を望む方もいらっしゃるようですね。 登録制にしたことで、通訳者の方々に大学側の方針や学生のニーズに合わせて柔軟な対応をしてもらえますし、利用学生からの感想を通訳者の方々にフィードバックすることも可能になっています。また、通訳者の技量もつかめますので、コーディネートも学生の意見や要望に合わせて進められています。2015年度は、前期週5コマ、後期週1コマの授業で手話通訳者を派遣しました。授業以外にも式典やイベントなどで通訳者を派遣することもあります。 (2)通常のコーディネート 一年間の流れは概ね次のようになります。こうした調整の流れは、利用学生や通訳者にも知らせて情報共有できるようにしています。  ①前期、後期それぞれ授業が始まる前に、利用学生から手話通訳の依頼を出してもらう。  ②授業の日程に合わせ通訳者の手配を始める  ③学部の担当教授に手話通訳がつくことを知らせる。こうすることにより、学部全体から理解や支援が得られやすくなるメリットがある。  ④授業担当の先生に、支援室で作成している『教員ガイド』を渡し、授業時の配慮や通訳のために必要なシラバスや資料、関連書物の提出をお願いする。  『教員ガイド』・・・障がい学生を受け持つことになった教員全員に配布。聴覚障害の基本的な知識とサポート時の状況、授業を行う時に必要な注意事項等が詳細に記載されているもの。  ⑤通訳者が決定し、授業が始まるまでの間、授業の資料だけではなく、関連した情報もできるだけ通訳者に提供する。例えば教員の話し方の特徴、パワーポイント中心の進め方をする、など。ささいなことでも通訳者にとっては助けになる場合もある。  ⑥時間があれば通訳者と利用者で反省会を行ってもらい、次回の授業でもっとよい支援ができるようにお互いが意見を出し合い工夫できるようにしている。  ⑦通訳者には月に1回報告書の提出をお願いしている。それをもとに謝金の計算を行っている。  ⑧利用学生には報告書の提出は求めていないが、学期開始前後に定期的に面談を実施する。ここで要望や感想などを聞いて、通訳者にフィードバックしている。  ⑨・⑩一年の授業が終わり2月に入ると、通訳者の方々へ次の年度への継続を依頼し、登録してもらう。 (3)通訳を利用した学生から 「話している人を見ながら同時に字幕情報を得るのは難しいですが、手話通訳だと話している人を見ながら手話も見られます」 「授業の中で取り残されずに、学生達と先生の雑談や『笑い』を共有できました」 「パソコン通訳では伝わりにくい先生のお話のニュアンスを汲み取って授業に参加できました」 「パソコン通訳だとキーボードを打ち込む音が補聴器に入り雑音になることもあるが、手話通訳はそういうのがないので授業に集中できます」 「対話型授業で、学生達が順番なしに意見を言う場面がありましたが、そんな時でも手話通訳者が即座に対応してくれたので安心して臨めました」   (4)コーディネーターから 「利用学生には手話通訳とパソコン通訳それぞれのメリット・デメリットを説明し、講義の内容や形式を考慮して学生本人の希望に合ったものを選択してもらいます。例えば手話通訳は対話型授業では即時性が確保されるというメリットがあります。その一方で、難しい専門用語が多い講義では指文字の連続となり、読み取る学生本人の負担となることもあります。様々な情報保障の役割を理解し、その上で使いこなしてほしいと考えています。」   3)最後に ご紹介したのは、先進的な取組みの1例ですが、大学の実情に応じてさまざまな進め方が考えられると思います。学内だけで支援を行おうとせず、地域の資源を積極的に活用したり、近隣大学機関との情報交換や連携を行うなど、工夫して支援を進めていくこともできるでしょう。高等教育機関の中で手話通訳の存在が自然になる日も、そう遠いことではないかもしれません。協力:早稲田大学障がい学生支援室 (66ページ) 18.手話通訳による支援2(手話通訳スタッフの雇用) 執筆者:金澤貴之(かなざわ たかゆき)  大学での授業スタイルの多様化と、より多くの情報取得を希望する学生の増加により、手話通訳による情報保障の提供を検討する大学が増えてきています。そうした中、地域の手話通訳者のみならず障害学生支援部署のスタッフとして手話通訳者を雇用し、授業での情報保障支援を担っている事例があります。 ここでは、先駆的に手話通訳者をスタッフとして大学で雇用し、手話通訳による支援を提供している群馬大学の事例をもとに、支援の実際を見ていきたいと思います。 1)手話通訳者の雇用に至る経緯と業務内容 (1)雇用の背景 群馬大学では、平成16年4月に大学院(教育学研究科)に手話通訳を必要とする聾学生が2名入学したことをきっかけに、全国で初めて授業の情報保障業務を担う手話通訳者の雇用に至りました。大学院生の場合には、ディスカッション中心の授業が行われること、修士論文指導等を十分に行うためには、地域等外部からの手話通訳者の派遣を続けるよりも手話通訳のできる職員を雇用するほうが適切だろうという判断があり、学内職員として手話通訳者を雇用することになりました。 (2)学内体制について 手話通訳者を雇用するにあたり、まずは学内の規定準備を進めました。雇用の基準は「手話通訳士又はそれに準ずる資格を有する者」とされています。学内の立場としては学務部学生支援課の非常勤職員として雇用されています。一方で、学生に対する教育・支援などを適正かつ円滑に行うことを目的とした全学組織「大学教育・学生支援機構」の学生支援センター内 障害学生支援室の専門支援者(以下、サポートルーム職員)という立場で、障害学生支援のコーディネート業務と共に手話通訳の実務を担っています。 (3)現在の業務内容とスタッフ数 現在サポートルームには、原則期間雇用職員1名、パート雇用職員3名の計4名の職員が勤務しています。手話通訳ができる職員は、期間雇用職員1名とパート雇用職員1名の計2名です。手話通訳業務以外の時間には、パソコンノートテイクのコーディネート業務も担当しています。聾職員も1名従事しており、手話通訳利用学生への支援コーディネート業務を主に担っています。 2)学生のニーズ把握と地域手話通訳者の活用 手話通訳に対する学生のニーズに対応するために、実施している取り組みを具体的にまとめます。 (1)手話通訳の派遣決定 群馬大学には7名の聴覚障害学生が在籍しています(平成27年度現在)。そのうち3名の学生が手話通訳による支援を利用しています。手話通訳支援を実施する授業は、学生の要望を受けて調整・決定し、派遣をしています。授業内容によってはパソコンノートテイクなど他の支援方法のほうが良いのでは、という相談を職員からする場合もありますが、基本的には学生からの要望を尊重して派遣しています。 手話通訳による支援の場合、授業中の状況に応じた柔軟な対応ができますので、授業形式としてグループ討議や実技が含まれるもの、学外学習、実習等への派遣が多くなっています。平成27年度は、講義8科目、ガイダンス等単位に含まれない時間、教育実習計33日間(3年生2回、2年生3日間)で手話通訳による支援を行いました。 (2)地域手話通訳者の活用 手話通訳者を派遣する授業の全てを2名の職員が担うことはできませんので、地域の手話通訳者の方にも多くの依頼をしています。依頼方法は、群馬大学に登録している手話通訳者に対してサポートルームから直接打診をし、決定することとしています。 通常の講義スタイルでの授業への支援は地域の手話通訳者に依頼し、サポートルーム職員はゼミやディスカッションの多い授業での通訳を担っています。しかしながら、手話通訳者のスキルにより支援利用学生が得られる情報量は大きく異なってきますので、下記のような配置の工夫をしながら慎重にコーディネートをしています。 [参考:群馬大学障害学生サポートルーム http://syougai.hess.gunma-u.ac.jp/ ] 1.専門性の高い授業の場合には、2名とも高度な手話通訳スキルを習得しているベテランの通訳者を配置しています。ですが、こうした手話通訳者の人数は限られていますので、ベテランの通訳者2名を配置することが難しい場合には、1名は必ずベテランの通訳者を、もう1名はある程度通訳経験を積んでいる方か、または通訳経験の浅い方を配置するように、ペアの組み方に工夫をしています。 2.同じ授業を担当する手話通訳者を固定して配置することで、授業内容の理解を深めてもらいながら質の高い手話通訳が提供できるように工夫をしています。 3.手話通訳者にはそれぞれ得意・不得意な分野がありますので、授業の内容に応じて得意分野を考慮して配置をしています。例えば音楽の授業の場合、リズムを掴むのが得意な手話通訳者に依頼するようにしています。   授業終了後には手話通訳者に報告書を提出してもらいます。報告書の内容をもとに、通訳者の授業への対応や手話表現などに課題があると思われる場合には、利用学生に確認を行い、改善方法の検討を行っています。また、必ず年に一度は手話通訳者への研修会を実施し、より良い支援提供に向けた研鑽を行っています。 なお、学外で行われる教育実習での手話通訳は、当日の流れや実習内容の把握、どのような場面で手話通訳が入るべきかを把握するために、必ずサポートルーム職員を1人配置して通訳をしています。実習への支援終了後には、手話通訳者と利用学生と合同で反省会を行い、次の実習に活かせるようにしています。 3)支援の実際 ここではサポートルーム職員による手話通訳業務がある日の1日の業務内容を紹介します。 8:30~10:00  出勤、パソコンノートテイカーの派遣調整、必要に応じて聾職員に対する通訳 10:00~10:20  授業の通訳に向けた準備 10:20~11:50  2限目の授業にて手話通訳業務 11:50~12:30  通訳に関する反省会、報告書の作成 12:40~13:40  昼休み 13:40~17:15  パソコンノートテイカーの派遣調整、渉外関係の連絡対応、学生対応、支援使用機器の管理・メンテナンス、必要に応じて聾職員に対する通訳、翌日以降の授業の通訳に向けた準備 手話通訳業務がない日には、学生との面談やパソコンノートテイカー養成講座開催の準備等も行っています。また、聾職員に対する通訳業務も通常業務の中に含まれています。1週間あたりおおよそ7~8時間を、授業での手話通訳業務や聾職員への手話通訳業務、通訳に向けた資料内容の学習等事前準備の時間に充てています。 また、聴者の職員が手話通訳を担うだけではなく、聾講師が担当する授業での情報保障を、聾職員や聾学生が担当したこともあります。具体的には、聾講師の手話を読み取り、パソコンで文字にして表示する通訳を行いました。 こうした職員による手話通訳支援提供のメリットと注意点についてまとめます。 <メリット> (1)安定した手話通訳を提供できる。また、地域手話通訳者への研修機会が提供できることに加えて、大学の求める手話通訳ニーズに合わせた通訳環境を用意できる。 (2)職員が手話通訳業務を担うことで、聴覚障害学生と周囲の学生との関係や学生のニーズ把握が容易となり、支援に活かすことができる。また、普段から関わっている職員が通訳を担うことで、聴覚障害学生との信頼関係を形成しやすい。 (3)聾職員がいることで、手話が当たり前にある環境がサポートルーム内にもでき、聴学生はマイノリティの立場を経験、聴覚障害学生はロールモデルとしての聾職員を見る機会になる。 (4)専門性の高い授業など、同じ手話通訳者が対応したほうが好ましいケースに対応できる。 <注意点> (1)手話通訳業務を担う職員の、頸肩腕障害など心身の負担を考慮し、1日あたり・1週間あたりの通訳時間の管理や定期健診の導入などが必要である。 (2)学生がサポートルーム職員の手話通訳に不満を抱いた時に、それに対応するための環境が必要になる。 (3)利用学生側がサポートルーム職員に依存心を持ちやすくなり、地域の手話通訳者に求めない要望やニーズを職員に求めてしまう例も出てくる。 (4)サポートルーム職員の手話通訳技術に関する研修機会の提供が必要であろう。 4)最後に 手話通訳は文字による通訳とは異なり、どのような内容に翻訳されているかが授業担当教員には分かりません。だからこそ、通訳の質の保証をしていくためには、単に地域の手話通訳者に依頼をするだけではなく、手話通訳技術を有する、または手話通訳を評価することができる職員が常駐し、支援のコーディネートを担うことが重要だと考えています。それは同時に、聴覚障害学生がコミュニケーションストレスを感じることなく、安心して支援室に相談に来ることができる環境作りに繋がります。そこには手話を母語とする聾職員の存在も重要だと考えています。 これからの合理的配慮の提供に向けて、手話による支援を求める学生に対応できる大学が増えて手話通訳の活用が広がり、高等教育での手話通訳実践事例がさらに発信されていくことを期待したいと思います。 [参考文献:「手話の社会学―教育現場への手話導入における当事者性をめぐって」金澤貴之著.生活書院.] (69ページ) 19.通訳者の健康障害とその対応 執筆者:垰田和史(たおだ かずし) 1)はじめに 手話通訳者が通訳する事に関連して生じる健康障害に頸肩腕障害(けいけんわんしょうがい)という職業病があります。ノートテイクやパソコンノートテイクに関しても、腰痛や同様の障害が発生します。ここでは、手話通訳者の健康を守るために、手話通訳者や関係者に必要とされる基本的な知識と予防対策について解説します。   2)頸肩腕障害とは 頸肩腕障害は、手指や腕、肩、頸部の筋肉や関節などに痛みを生じ、進行すると物が持てなくなったり腕が動かせなくなったりする病気です。病気の進行に伴い、精神的にもイライラ感や不眠感や抑うつ感などの症状がでることがあります。初期段階の肩頸のこりや腕のだるさなどの自覚症状は睡眠や休息で回復しますが、十分な疲労回復がはかれない状況が続き、肩や腕や頸部の筋疲労が蓄積していくと、強いこりや痛みを生じ、生活にも様々な影響がでるようになります。手話通訳に関連した症状としては、指や手がうまく動かなくなり手話表現が下手になったり、手話通訳後に手や指が震えたりするようになります。日常生活では、タオルが絞れなくなったり、茶碗やものをよく落としたり、ドライヤーを持って使い続けることが苦痛になったりもします。クーラーや扇風機の冷気や風で気分が悪くなることもおきます。   3)手話通訳における頸肩腕障害問題の経過 我が国の手話通訳者に頸肩腕障害の発生が初めて報告されたのは1984年に札幌市の嘱託通訳者の事例です。札幌市で初めて設置された専任手話通訳者として、多くの通訳や手話講座での指導を担当する経過の中で発症しました。当時、手話通訳者の心身の負担について十分に解明する事ができなかったことや、手話通訳者の健康状態についての調査などが行えなかったこともあり手話通訳による職業病として適切な対応がとられませんでした。1988年に滋賀県の聴覚障害者団体事務所で働く手話通訳者が重度の頸肩腕障害を発症したことを契機に全国規模の調査が行われ、各地の手話通訳者が同じ健康障害で苦しんでいる事が判明し、予防のための研究や取り組みが始まりました。2004年には、手話通訳者の健康を守るためのガイドブック「みんなでめざそうよりよい手話通訳」(略称「よりパン」)が発行されました。現在では、手話通訳は頸肩腕障害を発生しやすい職業として、手話通訳者を雇用する事業主には特別な予防対策が厚生労働省より指示されています。なぜ手話通訳者は頸肩腕障害になりやすいのか 手話通訳者の体の使い方の特徴には、手話動作に関る筋の使い方と、通訳に関わる頭の使い方があります。手話通訳者に頸肩腕障害が発生しやすい理由を、筋の負担と、頭を使うことに関して生じる負担(中枢神経系への負担)とに分けて解説します。 (1)身体的負担 手話では手や指や腕だけでなく、口の動きや表情も表現方法として用いられます。手指の動きや表情等が聴覚障害者の視野の中で同時に示される必要があり、手話通訳者は、手指を胸の高さで動かすために、腕を宙に浮かした状態で手話動作を行うことになります。しかも、同時通訳なので話し言葉の早さに合わせて、手指や腕を高速で動かし続けます。 私たちは、何か仕事をしていて疲れてくると自然に仕事のペースを落としたり、ふと一休みしたりして疲労の回復をはかります。少し休むことで疲れた体は元気を取り戻し、仕事を続けることができます。また、この休憩は健康障害の予防にとっても大切です。しかし、手話通訳者は同時通訳を行っているため、腕や肩の筋が疲労し「だるさ」や「痛さ」や「しびれ」などのサインを発していても、話し手が休憩するか通訳者が交代することがない限り通訳を止めることができません。こうした手話通訳の特性が筋の過度の疲労を招き頸肩腕障害を発症させます。 (2)中枢神経系への負担 手話通訳者は、「聞き取り」通訳と「読み取り」通訳という性格の異なる通訳を行います。「聞き取り」通訳とは、音声語を聴き取って手話に通訳することです。「読み取り」通訳は、手話を目で観て、音声語で表現する作業です。いずれの通訳も同時通訳ですから、高度で高密度な脳(中枢神経)の働きが必要です。 実験的に「聞き取り」通訳中の通訳者の疲労を調べてみると、10分を過ぎると急速に疲労が強まっていきました。中枢神経が疲労すると「言葉がうまく置き換えられない」とか「聞き漏らす」「読み落とす」状態になります。この段階で、少し休憩できれば疲労が蓄積することはないのですが、一度通訳が始まれば手話通訳者の疲労の状態に合わせて休憩を取ることは困難になります。その結果、中枢神経の疲労が進行します。慢性的に中枢神経が疲労すると、不眠になったり、気持ちが落ち着かなくなったり、イライラ感を生じたり、ものが考えにくくなったり、気持ちがふさぐような精神状態になっていきます。   4)手話通訳者の健康を守るための注意事項 手話通訳者の健康を守るために、通訳者や通訳利用者などが知っておくべき注意事項を示します。 (1)手話通訳作業に関する注意 手話通訳者の頸肩腕障害を予防するためには、長時間の連続した通訳をなくし、一日の作業量を適切に管理して過労を防ぐ必要があります。講演の通訳では20分程度で交替することになっています。あらかじめ通訳内容がわかっている授業でも、1時間を越えて一人の通訳者が行うことは負担が大きすぎるため、交代で通訳にあたる必要があります。「読み取り」通訳の場合は「聞き取り」通訳以上の中枢神経系の疲労負担となります。 一日の通訳限度量は、通訳内容や一件あたりの通訳時間により変動します。一般的な目安は、一人の通訳者が1日に担当する件数は2件程度で、長時間にわたる通訳や内容が難しい通訳、緊張度の高い通訳は1日1件です。 通訳者がとる休憩については、心身がリラックスできる条件が必要です。聴覚障害者が同席している場では、聴者との会話であっても手話を交えることや、周囲の聴者同士の会話も手話で伝えることが通訳者のルールになっているので、聴覚障害者と聴者が同席する場での休憩は手話通訳者にとっては休憩にならないことがあります。また、通訳を交替で行っている時、休んでいる通訳者は、交替後スムーズに通訳ができるよう話を傾聴していたり、手話表現を視ることに神経を集中させていたりするので、十分な休息にはなっていません。長時間に及ぶ通訳の場合は、通訳者の休息を保障するために3人以上の通訳者が担当すべきでしょう。 その他、手話通訳者に通訳内容をあらかじめ伝えて学習・準備できるようにすること、会議などで複数の者が同時に発言することがないように事前に司会者や参加者の協力を求めること、会話が早すぎないよう配慮を求めること等も通訳者の負担を軽減する上で大切です。 (2)手話通訳環境に関する注意 手話通訳者が椅子に座り、聴覚障害者に面して通訳するようにすべきです。机などを間に挟むと、不必要に腕を上げて通訳しがちになり良くありません。冷風にさらされた場所での通訳や、騒音や周囲の話し声などで音声が聞き取りにくい場での通訳や、照明が暗かったり、逆光での通訳も負担を大きくします。手話通訳者の健康を守り、質の良い通訳を保障するためにも、通訳者にとって通訳しやすい環境が大切です。   (3)健康管理に関する注意と雇用主の責任 頸肩腕障害の初期症状は腕や肩のだるさやこりなどの一般的な筋疲労症状で始まるため、検診を通じて心身の状態を把握し、予防や疲労回復をはかるための指導や通訳量の調整などを行う必要があります。手話通訳者がプロであってもボランティアであっても、手話通訳を依頼する大学や教員は手話通訳者の健康に関して配慮する責任があります。雇用主は労働安全衛生法に基づいて手話通訳者の健康を守る責任があります。障害者総合支援法に関連した「意思疎通支援事業実施要項」では手話通訳者など意思疎通支援者の頸肩腕障害を予防するための特殊検診の実施を指示しています。手話通訳者の利用頻度が高い大学は、手話通訳のコーディネートについて専門研修を受けた職員等を準備することも必要です。 [参考:厚生労働省ウェブサイト「意思疎通支援」 http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sanka/shien.html ] (4)手話通訳者の自己努力 頸肩腕障害は筋の疲労が原因で生じるので、手話使用前後にストレッチ体操を行うことは予防に効果があります。また、体操で筋肉をほぐし新鮮な血流を筋肉に流し込むことは、予防や疲労を回復させる効果があります。ゆったりとした気持ちで体操をすることは精神的な緊張も解きほぐす効果もあります。お風呂で体を暖めた後にストレッチ体操することは心身の疲労回復に大きな効果が期待できます。手話通訳者向けのストレッチ体操のDVD教材も出版されていますので、正しいストレッチ体操の行い方を身に付けて下さい。手話通訳者の心身の負担は、周囲の人たちに理解されにくいので「よりパン」を利用して、手話通訳への理解をすすめましょう。 5)おわりに 正しく理解していただきたいのは、手話通訳が健康に有害なのではなく、過度の手話通訳が健康を害するということです。適切な配慮のもとで、手話通訳者が健康に不安なく通訳できることを願っています。 [参考文献:「手話通訳者の健康管理マニュアル」 全国手話通訳問題研究会編 図書出版文理閣] [参考文献:「体をほぐしていきいき仕事」 全国手話通訳問題研究会発行] [参考文献:「みんなでめざそうよりよい手話通訳」 全国手話通訳問題研究会発行] (72ページ) 20.補聴援助システム 執筆者:立入哉(たちいり はじめ) 1)「補聴援助システム」とは? 補聴援助システムとは、聴覚障害児・者の聞こえの向上または代替するシステムを指しています。補聴援助システムは、1:話し手の数・聞き手の数や、場面設定という分類と、2:音響情報の伝達・代替方法による分類の2通りの分類ができます。このように、用途や場面に応じて、いろいろな補聴援助システムが考えられています。 【表1】補聴援助システム=使用場面による分類 (1)1人の話し手→1人の聞き手(親子の会話や授業) (2)1人の話し手→多数の聞き手(ろう学校など) (3)多数の話し手→1人の聞き手(家族での会話) (4)多数の話し手→多数の聞き手(会議場面など) (5)音を出す電化製品→聞き手(テレビの音を聞く) (6)電話(テレ・コミュニケ-ション) (7)感覚代行機器(振動式時計など) 学校や大学などの教育機関では、教員の声をよりきれいに聞くためのシステムが求められるでしょう。 (表1 ここまで) 【表2】 補聴援助システム=伝達・代替方法による分類      (1)磁気誘導システム(ループシステム) (2)FM補聴システム (3)赤外線補聴システム (4)Bluetooth(ブルートゥース) (5)有線(外部延長マイク利用など) (6)拡声装置(音場増幅式補聴システム) (7)感覚代行機器 この中でも特に用いられる頻度が高いのは、ループシステムと、FM補聴システムです。(注1) (表2 ここまで) [注1:このほか、デジタルワイヤレスシステムを活用した補聴システムも活用されつつある。どのシステムについても、効果的に活用するためにはシステムの特性を理解し、使用上の配慮事項に十分留意することが必要。] [参考:フォナック Rogerシステム http://www.phonak.jp/products/roger/ ] 2)「補聴援助システム」の効果とは? 「補聴援助システム」は、以下の2つの目的で使用されます。 (1)周囲の雑音をできるだけ排除して、聞きたい声をよりきれいに聞こえるようにする(SN比の向上:注2)。 (2)部屋の壁などに反射した音によって、音が曇ったりしないよう、できるだけクリアな音で聞こえるようにする(残響時間の短縮)。 ここでは、こうした補助援助システムのうち、特に学校現場で用いられることの多いFM補聴システムについてより詳しく解説します。 [注2:SN比とは、雑音と音声との比であり、この値が大きいことは、より周囲の雑音より音声が強いことを示しています。] 3)「FM補聴システム」とは? 「FMシステム」は、FMマイクとFM受信機のセットの2つで「システム」となっています。これはちょうどラジオ局とラジオ受信機の関係に似ています。 話し手(教室では教員のことが多い)がFMマイク(FM電波の発信元=ラジオ局)を持ち、声を電波に乗せて流します。これを、聴覚障害学生が装着している小型のFM受信機(FMラジオ)で受け、鮮明な声を聞こえるようにするものです。 4)「FM補聴システム」の種類 話し手が装着するFMマイクには、ブームマイク型、タイピン型、卓上型の3種類があります。 (イラスト説明:ピンマイクの装着法と書かれたイラストには、胸元にマイクを着けている様子が書かれている。ブームマイクの装着法と書かれたイラストには、片耳に掛けたヘッドセットから口元にマイクが伸びている様子が書かれている。) 補聴器ユーザーが使用するFM受信機には、補聴器の下に接合するものと、首にネクタイのようにかける物の2種類があります。 外部入力端子がない補聴器で使用する場合は、補聴器のスイッチをTかMT(Tコイル)にあわせて使用するとよいでしょう。 (イラスト説明:2種のFM補聴器について説明しているイラスト。「タイループ型FM受信機」の説明は、男子学生の首元にネックレスのように下げられている受信機の様子が書かれている。「オーディオシュー+FM受信機」の説明は、耳かけ型補聴器が書かれ、その先端部分に接続されているオーディオシューとFM受信機の絵が書かれている。) 5)「FM補聴システム」の使い方 まずは発信側のFMマイクを使用できる状態にします。特にマイクの位置に気を配ってください。口元からの距離が遠い場所に付けたり、マイクの向きが口元とはよその方向に向いていると、声を集音できず効果があがりません。Yシャツの場合は、上から第1ボタンと第2ボタンの中間ぐらいが理想的な装着位置です。 次に受信機=補聴器側の設定が必要です。受信機や補聴器の設定はそれぞれの器種によって異なります。補聴器ユーザーの方に操作はお任せください。 使用開始前に、学生にマイクを通して話しかけ、電波がちゃんと送られていることを毎回確認してください。FMマイクの電池が切れていることも意外と多いのです。 6)「FM補聴システム」の使用上の配慮事項 (1)FMシステムは魔法ではありません FMシステムの使用により、確かに音は届くようにはなりますが、そのことと会話内容がわかることとは別次元です。聴覚障害学生の多くは、「音が歪んで聞こえる」という特徴がある感音難聴を有しています。FMシステムを用いることで、音は確かに鮮明になりますが、だからと言って完全に聞こえるようにはなりません。やはり、一般的な聴覚障害学生に対する話し方の配慮は怠らないでください。  [参照TipSheet 11.授業における教育的配慮] (2)周りの声が聞こえにくくなることもあります FMマイクはいわば補聴器のマイクを長く延長したようなものです。FMマイクを装着している人の声は聞こえやすくなりますが、装着していない周囲の人、例えば、授業中の学生からの質問は聞こえにくいままです。FMマイクを装着している人が、質問内容を復唱すること(例えば、「質問内容は・・・・・ということですね。いい質問ですね。」と言うこと)が大切です。 7)その他の補聴援助システム 上に挙げたFM補聴システム以外にも様々な補聴援助システムがあります。例えば、下記のような時に使用できるシステムが用意されています。 (1)CDやテレビの音を明瞭に聞き取りたい (2)携帯電話で会話をするとき明瞭に聞き取りたい  CDやテレビ、携帯電話と補聴器を、【表2】に示した「ループシステム」「FM補聴システム」などの各補聴援助システムを使って直接つなぐ方法があります。 (3)人工内耳と組み合わせて使いたい  補聴援助システムは人工内耳の方にも使用できます。 (4)テレビを字幕付きで見たい  地デジ対応テレビでは字幕機能が内蔵されています。 (5)普通の目覚まし時計だと、朝起きることができない  ベルの代わりに振動する目覚まし時計があります。 (6)呼ばれても気づかず応(こた)えられない 離れた場所から振動で呼び出せる装置があります。 補聴器を使用していても、音の聞こえは学生によって異なります。どんな補聴援助システムが使いやすいのか、必ず学生とよく相談して、一番よいシステムを選ぶとよいでしょう。 (75ページ) 第4章 障害学生支援体制の構築と運営について理解する 聴覚障害学生への支援を円滑に進めるためには、学内の体制を構築すること、また年間スケジュールに合わせて日々必要とされるコーディネート業務を行っていくことが求められます。支援体制の構築や運営方法についてのトピックスをまとめています。 21.支援体制の組織化のプロセス  全学的な支援体制を構築する意義や組織に必要とされる要素、体制構築までの流れについて、例を挙げながら解説しています。 22.聴覚障害学生支援におけるコーディネート業務  聴覚障害学生への支援提供に不可欠なコーディネート業務について、業務内容やコーディネート体制のあり方についてまとめています。 23.入学当初のサポート  聴覚障害学生への支援準備の中でも、特に入学前から入学直後までの期間に必要となる支援やコーディネートについて、具体的に紹介しています。 24.学期初めのコーディネート業務  聴覚障害学生支援の要ともなる学期初めの時期のコーディネート業務について、実施スケジュールや各業務の内容やポイントについてまとめています。 25.障害学生支援の財源について  障害学生支援を行うにあたり必要となる財源について、公的な財源に関する基本的な知識と、予算確保に対する考え方について述べています。 26.支援体制の見直しのプロセス  障害学生支援の体制がより大学現状や社会状況に合った機能的なものとするため、体制の維持・見直しの方法や考え方について述べています。 (76ページ) 21.支援体制の組織化のプロセス 執筆者:岩田吉生(いわた よしなり) 全学的な支援を行う意義と必要性 大学・短期大学等の高等教育機関(以下、大学等)における聴覚障害学生の在籍数が増えるに伴い、新たに情報保障や相談対応などの各種支援を行う大学等が着実に増加しています。しかしながら、聴覚障害学生が在籍するすべての大学等において充実した支援が行われているわけではなく、聴覚障害学生の在籍実績のない大学等では十分な支援が行われない場合もあります。 大学等で学ぶ聴覚障害学生は、情報保障等の支援がないと、授業が理解できない・実験や実習等でうまく活動できない等、様々な点で困難を感じます。そこで、大学等に支援を求めたいと思っても、聴覚障害学生本人は何から伝えれば良いのかさえ分からず、要望を伝えられないまま過ごしているという状況も多く見られます。また、聴覚障害学生への支援を、友人や家族、限られた教員らが個々で行うのは、負担が大きく限界があります。 大学等には、聴覚障害学生が他の学生同様に学ぶことのできる環境を整える責任があり、障害者差別解消法の施行により法的義務が課されています。つまり、障害学生支援に関する学内の規程・要項等を策定し、全学的な支援体制を運用していく義務があると言えるのです。 他の大学等の事例の活用  全国的には、PEPNet-Japanの連携大学等を始めとして障害学生への支援体制を立ち上げ、運営している大学等が多数あります。近隣で聴覚障害学生の支援を進めている大学等があれば、障害学生支援担当部署に連絡し、必要な情報を入手することができるでしょう。また、PEPNet-Japanの事務局でも、支援体制の立ち上げについて、随時相談・サポートを行っているので、連絡してみてもよいでしょう。 [参考文献:資料集合冊「聴覚障害学生支援システムができるまで」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)] 支援体制の組織  支援体制の組織に関しては、大学等の規模により、教員中心・事務組織中心等、様々なパターンがみられます。一例として、ある大学の組織図を示します(図1)。 構成員は、障害学生支援のコーディネートを担当する事務職員を中心として、聴覚障害学生、支援者、執行部・教員・他の事務職員等の大学職員らで組織化され、各担当員がそれぞれの役割を担います。 執行部が支援体制の組織化の意思決定を行い、学内の意伝達は、コーディネーターが在籍する部署の事務職員を中心として聴覚障害学生・支援者・教員・関係部署に図られます。支援業務は様々な部署にまたがることが多いので、支援体制の全学的な組織化が必要となります。中には、障害学生支援に係わる部署以外に、支援室や支援センターなどを立ち上げる機関もあります。 また、コーディネーターは事務職員が他の職務と兼任するケースが多いのですが、過度の負担を課さない合理的配慮の支援業務を考慮すれば、聴覚障害学生支援に精通した専門性のある専任職員を配置した方が望ましいといえます。 図1 機関内の組織図の例(この図は「聴覚障害学生支援システムができるまで 第2集」 I大学の組織図を参考にして作成した) [以下、図の説明:中央に「教務課・学生課・障害学生支援センター等の事務職員(コーディネーター)」があり、次のような部署や人との関わり方が矢印で示されている。 各学部・各研究科事務室:連絡・調整 聴覚障害学生:環境整備・コーディネート・相談 学内の関係部署:各種要請・連携 支援者:派遣・養成の手配 各学部・研究科事務室から教員に対して:配慮依頼 教員から聴覚障害学生に対して:配慮の実施 支援者から聴覚障害学生に対して:支援の提供 図の説明ここまで] 予算 学内で聴覚障害学生の情報保障支援を推進していくためには、予算の確保が重要です。ノートテイクを実施する場合、まず支援者養成の研修経費や、支援で使用する消耗品等の購入、支援者への謝金などを確保しなければなりません。また、OHCやノートパソコンによるノートテイクを行う場合には機器購入の予算も必要となります。さらに、学外から手話通訳やパソコンノートテイクの支援者の派遣を要請する場合は、派遣団体の規程にあわせた謝金と交通費を予算化しておく必要もあります。 大学等によってその方法は異なりますが、支援体制に応じた予算措置と予算確保の取り組みが必要となります。 [参照:TipSheet25 障害学生支援の財源について] 支援体制立ち上げの流れ (1)聴覚障害学生の入学前 1)オープンキャンパスおよび入試説明会 最近は、多くの大学等で、受験生とその保護者・高校の進路指導教員を対象としたオープンキャンパスが開催されています。また、入試課職員が、全国の主要都市を回り、入試説明会を開催することが一般的になっています。このオープンキャンパスおよび入試説明会では、大学等の概要の説明を行うとともに、受験生の個別の相談にも応じています。聴覚障害のある受験生の参加の申し出があれば、入試課を中心とした担当職員は、可能な限り、情報保障の支援を行う必要があります。また、聴覚障害学生の受験生が参加した場合、現在の障害学生支援の状況について説明しておく必要があります。学内で、聴覚障害学生支援の実績がなく、担当部署の職員がその場で適切な説明ができない場合は、後日当該の受験生に改めて回答することを伝え、学内で新年度に聴覚障害学生が入学した際の支援体制の在り方について検討します。 聴覚障害のある受験生は、入学を希望する大学等を選定する際に、案内・パンフレット、ホームページ、入試募集要項等を参考にしています。そのため、各大学等の職員は、各種コンテンツに障害学生支援の説明を記述したり、入試募集要項に受験の際の相談窓口や配慮事項について記述しておきましょう。 2)聴覚障害学生の入学試験前後 ①入試相談会 聴覚障害のある受験生が、入学試験において不利になることがないよう、試験を受ける上で必要な支援を提供しなければなりません。受験を希望する聴覚障害のある受験生に対しては、事前に入試相談会を開催して、受験生本人から具体的な支援内容について要望や質問ができる場を設けます。入試相談会は、障害学生支援担当部署や入学予定の学部教員など、入学後に直接関わりを持つことが見込まれる担当者が同席することが望ましいです。聴覚障害学生の各種支援を具体的に検討するのは入学決定後ですが、事前に学内の教職員に周知を図る方が早期に対応しやすいでしょう。 ②入試出願書類 入試出願書類に「聴覚障害」の記述がある受験生がいた場合、入試時には配慮の申請がなくても、入試課職員は配慮の必要性を本人に確認しておく必要があります。その際、他の関係部署にも周知を図っておきましょう。 (2)聴覚障害学生の入学の決定前後 1)入学手続きの際の対応 入学手続きの際に、聴覚障害学生から入試課職員に、入学後の支援に関する質問や要望が出されることがあります。このとき、入試課職員が聴覚障害学生支援について把握していないと、質問及び要望の内容をその場で把握できません。その場合、入試課課長や他の関係部署に連絡が伝わらず、各課での十分な支援の検討ができません。そのため、聴覚障害学生・保護者・高校の進路指導担当教員からの質問や要望は、入試課職員が詳細に記録しておくか、場合によっては、学生から要望書等を提出してもらうのも良いでしょう。 2)支援体制構築の検討 聴覚障害学生の入学が決定した後、入試課は、再度、他の関係部署に連絡を行います。その後、執行部は入試課および他の関係部署と会議を開き、具体的な支援体制構築の検討を行います。検討を行う際には、事前に聴覚障害学生に、入学後の修学支援に関するニーズを十分に尋ねておくようにしましょう。支援体制構築に関して、各関係部署で早急に検討すべき基礎的事項を表1に示します。   表1.支援体制構築に関して、聴覚障害学生入学前に早急に検討すべき基礎的事項 執行部 障害学生支援委員会などの新設、もしくは教務委員会や学務委員会内の部会の設置の検討、支援担当部署の設置・担当職員の配置など 財務課 情報保障者の謝金・情報保障の備品や機材の購入資金など 教務課 入学ガイダンスや講義の情報保障・実習等の配慮など 総務課 入学式の進行と情報保障の検討など 学務課 支援学生の募集の方法・学生寮の入寮場合は備品や機材の検討など 保健管理センター 聴覚障害学生の聴力の把握・心理カウンセリングなど 学生が在籍する学部・専攻の教員 聴覚障害学生の担当教員の決定、聴覚障害学生の指導の在り方の検討など 支援体制構築に関しては、学内の様々な部署が係わることになります。そのために必要なこととして、まず第一に各種業務を統括する関係部署を決めておきます。その際には、障害学生支援業務を行う担当職員を配置することが重要です。 第二に、事務職員だけでなく、教員に対しても各種委員会などで聴覚障害学生の入学に関する報告を行い、周知を図っておくことです。障害学生の入学に関して理解のある教員がいれば、授業における修学上の問題点を発見し、その問題への対応を考えておくことができます。授業における情報保障の制度を検討していくには、授業を担当する教員の意見は必要不可欠なのです。 参考文献:「資料集 聴覚障害学生支援システムができるまで 第2集」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan) (79ページ) 22.聴覚障害学生支援におけるコーディネート業務 執筆者:土橋恵美子(つちはし えみこ)・倉谷慶子(くらや けいこ)・中島亜紀子(なかじま あきこ) はじめに 学内で障害学生の支援を進めるためには、障害学生のニーズを把握し、これに応じたサービスを提供するとともに、全学的な支援体制の向上につなげるための「コーディネート」が重要な要素となります。障害者差別解消法では、障害者本人からの意思表明があった場合に合理的配慮を提供することを求めており、障害学生と対面する支援担当者の役割は、これまで以上に大きくなると言えます。聴覚障害学生支援には多くの人的資源を必要とする特性がありますが、そのコーディネート業務とは一つひとつの授業における支援者の手配にとどまらず、大学全体の体制づくりを視野に入れた調整を行うことが必要です。ここでは、聴覚障害学生支援に求められるコーディネート業務の具体的な内容と実際の設置形態、担当者に必要とされる資質や条件について述べていきます。 コーディネートの業務 聴覚障害学生支援には、人材、時間、資金の確保と調整が欠かせません。ここに、ある大学でコーディネート業務を担う専任職員が実際に行っている業務の内容を整理してみます。 ①利用学生のニーズ把握 障害の程度や教育歴によって、学生のニーズは異なります。3人の聴覚障害学生がいた場合、Aさんには全ての授業をノートテイクで保障する、Bくんには残存聴力を活用しやすくするために補聴環境を整えるとともに、希望に応じてノートテイクを併用する、Cくんには希望する授業にのみ手話通訳で保障する、などというように支援方法がまったく異なることもあります。また、一人の学生でも授業の形態によって求められる支援方法は異なりますし、さらに学年が上がり支援利用の経験を積むにつれて、ニーズは変化していきます。個々の聴覚障害学生に的確な支援を実施するためには、丁寧にニーズを把握することが重要です。 ②情報保障者の養成と維持 情報保障者の多くは4年間で卒業していく学生であるため、常に養成を続けることが必要となります。また、力のある積極的な学生を指導者として育てたり、支援を利用する聴覚障害学生が積極的に養成に関わったりすることで、情報保障者のスキルアップやモチベーションの維持を図ることが大切です。 ③情報保障者のシフト作成と派遣 利用学生が支援を希望する時間および希望する情報保障手段に応じて、誰をどの授業に派遣するかを決定していきます。この時、時間の都合のほか、支援技術や支援経験を考慮して配置します。授業開始後は利用学生、情報保障者双方から様子を聞き、支援が円滑に行われているかどうか確認します。支援上問題が生じた場合は、状況を把握した上で改善方法を提案することが必要です。 ④教職員や学生の理解啓発 教職員や学生の中には、聴覚障害学生と関わった経験のある人とない人とで、理解に温度差があります。このような格差をなくすため、FD/SD研修会で障害学生支援をテーマに取り上げたり、多くの教職員が参加しやすいよう教員会議と組み合わせて研修会を企画したりして、学内の理解啓発に努めます。また、学外で開催される研修会についても積極的に案内し、支援担当者に限らず他部署の職員や管理職に参加を促すことで大学全体の意識改革につなげます。 ⑤年次計画と予算の作成 設備・機器備品・人件費・委員会・行事・広報など支援に関わる費用全般を把握した上で、年間の予算計画を立てて、申請します。必要な予算を計画的に獲得することにより、次年度の運営の充実を図ることができます。 ⑥支援ネットワークづくり 量的、質的な情報保障のニーズを満たすために、必要に応じて地域資源を有効に活用します。また、円滑に支援を進めるには、学内の各部署との連携体制が必要です。担当者一人がすべての業務を抱えるのではなく、ネットワークを形成することが、支援の充実につながります。   [参照 TipSheet21 支援体制の組織化のプロセス] コーディネーターの設置形態 では、このようなコーディネート業務は、大学内でどのように行えばよいのでしょうか。前項にあげた業務の幅広さや障害者差別解消法への対応を考えると、しかるべき部署に専任の職員をおいて対応するのが望ましいと言えます。平成24年に文部科学省「障がいのある学生の修学支援に関する検討会」報告(第一次まとめ)の中で、担当部署の設置と適切な人的配置の必要性に言及されたことを受け、支援に関する専門的な知識や、手話通訳、ノートテイク、パソコン要約筆記等の支援技術を持った人材が、専任コーディネーターとして配置される例が徐々に増えています。また、もともと専門性を有していない人材であっても専任職員として設置することで、学内外の様々な部署や人材と連携を図り、ネットワークの中心となって支援を運営している例もあります。 一方で、学生課などの事務職員が他業務と兼任でコーディネートを担っているケースもあります。この場合、当面の支援は立ち上がるものの、担当者には時間の制約があり、体制の維持発展に関わる業務には手が及ばない状況となることが多いようです。また、次項で述べるように学外の機関を活用して情報保障支援を運営している例もありますが、この場合も、学内に何らかのコーディネート機能が必要になります。なぜなら、外部機関の協力があったとしても、学内に支援体制がなければ、利用学生の卒業や担当職員の異動などをきっかけに、それまで蓄積してきた支援ノウハウが消滅してしまう可能性あるからです。どのような形態で支援を運営する場合も、大学が主体となって支援を担う体制であることは、欠かせない条件と言えます。 [補足 平成28年文部科学省「障害のある学生の修学支援に関する検討会」報告(第二次まとめ)においても、障害学生支援を主な職務とする専門性のある教職員やコーディネーター等の必要性について明記されている。] (1)外部機関による情報保障者の養成・派遣 コーディネート業務のうち、情報保障者の養成や派遣の一部を、外部機関の協力を得て実施している例があります。例えば、関東地域にある聴覚障害学生支援団体で、個々の大学や利用学生の状況に応じて情報保障者養成の講座を企画していたり、京都の大学コンソーシアムでノートテイク講座を開催したりしています。また、地域の通訳者派遣協会や要約筆記サークル等に、情報保障者の派遣を要請して人材不足に対応したり、養成講座や理解啓発講座の講師派遣を利用している大学もあります。 こうした外部機関との連携は支援担当者にとって大きな支えとなります。ただし、支援の方向性や考え方を大学が定め、それを各機関にきちんと伝えて連携体制を構築することが大切です。 (2)学生支援グループとの協同によるコーディネート 手話サークルやノートテイク支援グループなど、学生主体の組織が支援活動の調整を担っている例もあります。学生主体のグループは利用学生にとって身近な存在であり、学生同士の繋がりによって支援技術を引き継いでいくことができます。 しかし、本来専任職員を置いて対応するほどの業務を、学生が学業と両立させて行うのは多大な負担となり、利用学生のニーズに対応しきれない場合も少なくありません。安定した支援体制のためには、学生活動だからこそ蓄積できたノウハウが損なわれないように配慮しつつ、大学との協同で実施することが重要です。これらの例として、学生課や支援室などが支援の主体となった上で、学生支援グループを組み入れた支援体制を実現させている大学が増えています。 次表に、設置形態ごとの特性をまとめます。 [表の説明:設置形態ごとに、「利点」「 問題点」「 工夫点」の順に記載] 専任職員:利点:大学生活全般を見通した、長期的計画的な支援の遂行が可能 問題点: 業務が集中し、負担過重になりがち 工夫点: 部署間の連携を図り、各部署に担当者を置くことで、負担が分散される 兼任職員:利点: 学内の関係部署との連携が図りやすい  問題点:支援に関わる業務に、多くの時間を避けない  工夫点:学内外の専門家から助言を得たり、外部機関のリソースを活用したりする 学生グループ:利点: 支援学生にとっても学びの機会となる 問題点: 学業との両立は大きな負担  工夫点:教職員が状況に応じ役割分担を調整することで、学生の負担が軽減される 外部機関:利点:ある程度の支援が比較的短期間で整う 問題点: 学内に支援やコーディネートのノウハウが蓄積されにくい 工夫点: 学内に担当者を置くことで、支援の状況を把握でき、情報保障の課題解決や質向上に繋がる。 コーディネーターに求められる資質と条件 以上に挙げたように、聴覚障害学生の支援コーディネートは多岐に渡る業務を内包しています。特に重要とされるのは、支援体制を俯瞰し全体を調整すること、そして、学生の教育上のニーズを引き出し効果的な支援とつなげることです。コーディネーターはこれらを担う専門職であると言えます。これらの役割を果たしていくために、コーディネート担当者にはどのような力が求められるのでしょうか。具体的には、支援担当部署の各スタッフや学内の各部署に役割を分担する調整力、教職員や障害学生のニーズや意見を引き出しながら体制を運営していくコミュニケーション能力、情報収集をして必要な人材や設備を確保していくネットワーク形成能力、障害者差別解消法など障害学生支援に関連する法律の知識や法に基づく支援の運用能力などが、必要な資質であるといえるでしょう。特に、障害学生との合意形成を経て支援内容を決定していくプロセスが重視されますが、この中でコーディネーターの果たす役割は大きいと言えます。 また、質の高い支援を提供していくためには、自身が通訳の技術を持っていなくても、情報保障の質を見極め評価できるように知識を蓄えることが必要です。常に利用者の立場を理解しニーズを引き出そうと努める姿勢、新しい情報や知識を求めて研修会などに積極的に参加し、他大学や他機関との情報交換を密にしていく姿勢を欠かすことがはできません。 支援体制の発展・維持には、担当者の積極的な働きかけに負うところが大きいのが事実です。支援体制の課題を的確に把握し、大学内外のネットワークを活用して改善にあたっていく担当者の動きが、サポートの成果に大きく影響していることはいうまでもありません。   終わりに 聴覚障害学生が主体的にサポートサービスを活用し、一学生として自分らしく当たり前の学生生活を継続できるよう、卒業後を見据えつつ支えた業務遂行が、コーディネーターに求められています。その役割が理解されることによって関係者のネットワーク化が進み、よりきめ細かな支援の普及に努めることが、当面の課題と言えるでしょう。 (82ページ) 23.入学当初のサポート 執筆者:土橋恵美子(つちはし えみこ)・倉谷慶子(くらや けいこ)・中島亜紀子(なかじま あきこ)  入学決定後のサポートの流れ 学生生活を送る上で支援が必要な学生に対し、支援体制を構築するためには、入学前から十分な準備を進めていくことが重要です。特に聴覚障害学生への支援には、支援担当の職員やノートテイカー、手話通訳者など人的資源が必要となるため、早めの準備と対応が肝心です。入学決定時から授業開始に向けて、一般的には以下のようなスケジュールで支援体制の方向性が固められます。 表 サポートに関する打ち合わせ事項や実施内容 [注:◎は支援に欠かせない最優先事項、○はより良い支援のために必要な事項] 入学の決定~入学式 支援担当者(学部教員や学生課職員、支援専任職員など)の決定(詳細は「学期初めのコーディネート」シート参照) ◎他大学における支援や情報保障に関する情報収集 ◎サポートに関する打ち合わせ ・障害の程度、コミュニケーション方法、ニーズの把握、身体障害者手帳の有無確認 ・入学式やオリエンテーションのサポート方法の確認 ・履修の概要説明  (打ち合わせの内容を受けて) ◎支援の実施体制の決定 ○支援者の募集・養成の手配 → 養成講座の実施 ○学外の支援者派遣団体、聴覚障害者支援団体などとの連携体制作り ○履修に関する情報提供、相談対応の開始 ○学生用啓発パンフレットの作成・配布 ○教職員の配慮事項、ガイドブックの作成・配布       ◎入学式や説明会、オリエンテーションでの情報保障の手配(手話通訳、パソコン要約筆記、ノートテイクなど) 入学式 ◎入学式や説明会での情報保障の実施 オリエンテーション期間 ◎オリエンテーション期間の情報保障の実施 ◎授業時の配慮内容確認 → 教職員への周知 (詳細は「授業における教育的配慮」シート参照) ◎履修に関する相談対応(語学・ゼミ・実習・実験・ビデオ他映像使用授業での対応や代替措置、免許・資格取得関係など) ◎支援者のシフト作成 → 周知 ○一般学生への理解啓発 ○支援者の養成 授業開始 ◎支援者の派遣 ○利用学生及び授業に合わせたサポート内容へ改善 ○支援者と利用者の懇談会の開催                     入学前の打ち合わせ 入学決定後に行う、各部署の担当者と利用学生の顔合わせを兼ねた打ち合わせは、入学後の支援の方向性を決定する上で大変重要な機会です。なぜなら、支援の方法は障害の種別や程度で一概に決まるものではなく、ニーズに基づいた対応が必要になるからです。入学前から支援体制や予算が整備されていたとしても、支援の内容や方法は一人ひとりの学生と向き合って決めていく必要があります。この打ち合わせでは、支援に関わる様々な立場の人が集まり、情報の共有と支援内容、方法の確認を行います。このとき、学部長や支援委員会委員長、学生課長など、支援に関する決定権をもつ立場の教員も同席し、支援内容について合意を得ながら進めていくことが大切です。 また、初めて聴覚障害学生の支援をする大学の場合は、可能であれば他大学で聴覚障害学生支援を担当している教職員や有識者の同席のもと、情報交換を行ったり、助言を得たりすることも有効です。さらに、聴覚障害学生にとっても、大学での授業がどのように行われるのかイメージしにくい場合が多いので、できれば事前に授業の様子を見学してもらうと良いでしょう。 打ち合わせの主な内容は、教職員側から履修登録の方法や制度、支援についての説明と、聴覚障害学生の障害の状況・ニーズの確認などです。学生は、高校生までの間に支援を受けた経験が少ない場合が多いので、どのような支援が可能か、他大学ではどのような方法で行われているかなど、大学側から具体的な情報を提供して本人からの意思表明を促すことで、支援の開始が円滑になるでしょう。 また、聴覚障害学生自身がその場での話し合いに参加できるよう、手話通訳者やノートテイカーをつけたり、筆談を交えて確実に伝わるよう進行方法を工夫します。また、聴覚障害学生が自分のニーズを整理して伝えやすくなるように、あらかじめ相談する内容を文書で伝えておくなどの配慮も必要です。 履修に関する配慮 授業における支援は情報保障者の配置だけではありません。履修申請時の調整や配慮によって、学びやすい環境を整えることが必要な場合も多く、語学やゼミ、実験、実習など授業形態が複雑な授業では特に重要になります。以下はその具体例です。 ・語学のリスニングやスピーキング授業をリーディング・ライティングへ振り替えて申請できるようにする ・個別指導、チューター制度などを紹介する ・授業担当教員との事前打ち合わせを設定し、必要な配慮や授業の進め方について確認する ・授業担当教員による配慮事項として、文字資料の提供や授業方法の事前確認が必要である事を周知徹底する このほか、複数の聴覚障害学生が同じ科目を履修する場合、できるだけ同一のコマを履修するように調整し、情報保障者を共有できる状況をつくることもあります。 入学式での情報保障 入学式は、人生の節目の機会です。聴覚障害学生が周囲の学生と同様に祝福と励ましの中で大学生活をスタートさせるためには、情報保障が欠かせません。入学式のような行事の場合は、地域の手話通訳者や要約筆記者の派遣制度が利用できる場合が多くあります。大学内で情報保障体制を組むことができない場合は、行政、社会福祉協議会、情報提供施設等に派遣依頼の相談をするとよいでしょう。 式典の情報保障では、手話通訳者の立ち位置や照明、パソコン要約筆記の機材の配置や表示方法など、関係者との打ち合わせが不可欠です。当日会場で情報保障に対応する担当者を決めておくとよいでしょう。また、式次第や式辞の原稿を前もって情報保障者に渡しておくことで、事前に準備することができ、円滑な情報保障が可能になります。式典を担当する事務部署と事前に連絡調整を図ることが大切です。 [写真:式典で、手話通訳とパソコン要約筆記がスクリーンに投影されている様子] [参考 特定非営利活動法人 全国聴覚障害者情報提供施設協議会 http://www.zencho.or.jp/] オリエンテーション 授業開始までに行われる新入生を対象とした一斉オリエンテーションでは、学生にとって大切な情報がたくさん提供されます。多くの場合、詳細な資料が用意されますが、口頭で伝えられる細かな情報こそ、学生生活にとっては重要であることが多いので、聴覚障害学生のニーズに応じた情報保障を用意し、これから始まる学生生活(履修、登録、授業、課外、教職員との関わり、施設・設備の利用など)について、きちんと伝えられる手段をとります。このような行事でも、地域の手話通訳および要約筆記派遣制度を利用できる場合があります。 また、全ての新入生が集まるこの機会は、理解啓発のためのチャンスでもあります。学内に障害学生を支援する体制があること、様々な学生が共に学んでいること、支援を担う学生を募集していることなどを伝えたり、パンフレットやガイドブックを配布するなどして、サポート体制の周知を図ります。聴覚障害学生本人から、サポートの状況や支援者の必要性をスピーチしてもらう方法をとっている大学もありますが、その場合には学生本人の意志や心理的な状況を十分把握した上で行います。 配慮の依頼 聴覚障害学生への配慮といっても個々の学生の育ってきた環境や障害の度合い、コミュニケーション方法によってニーズは様々です。 聴覚障害学生の中には、支援の必要性や有効性に気づいていない場合も往々にして見られます。学生生活の中で聴覚障害学生自らが支援に関心を持つ機会をとらえることも、周囲の配慮といえるでしょう。(TipSheet23「聴覚障害学生の意思表明とその支援」参照) 聴覚障害学生の意向が見えたところで、履修している授業に出席する際、最低限必要となる配慮事項については、教職員に周知しておきたいところです。内容については聴覚障害学生本人と確認して作成します。たとえば、試験やレポートに関する告知は板書する、FM補聴器を使用する学生の場合はマイクをつけてもらう、などです。これらの事項は聴覚障害学生の負担を軽減するためにも、支援担当職員から伝達するのが望ましいですが、学生と教員が直接話をするのも理解と協力を得るきっかけにもなるため、状況に応じて直接的な関わりをうながすことも必要です。 また手話通訳やノートテイク、パソコン要約筆記の支援が実施される場合には、支援者に対する事前資料の提供が情報保障の質を高めることに役立ちますので、配慮に加えたい事項です。(TipSheet24「授業における教育的配慮」参照) 教員への依頼や連絡は、教務課や学部事務室が担当するケースが多いようですが、非常勤講師へは教員間の依頼がよい場合もあります。学生課と教務課とで役割分担が明確な場合は、聴覚障害学生と教員とのスムーズなパイプ役となれるよう、担当者同士が連絡を密に取り合い、情報の共有に努めることが大切です。 手話通訳やノートテイクといった情報保障支援が効果的なものとなり、さらに支援体制を充実させていくためには、こうした教職員側の理解と配慮等の基本的な環境整備が不可欠となります。   [参照 TipSheet10 聴覚障害学生の意思表明とその支援 TipSheet11 授業における教育的配慮] (85ページ) 24.学期初めのコーディネート業務 執筆者:日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク事務局 はじめに 新年度の始めや後期の開始前は、聴覚障害学生への授業支援に関わる準備や調整の業務が集中します。ここでは、その具体的な業務内容と運営のポイントについて述べていきます。なお、特に新入生に対する年度当初のコーディネート業務については「入学当初のサポート」シートも併せて参照してください。 「障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針」の中で、障害者から社会的障壁の除去が必要との意思の表明があった場合には、実施に伴う負担が過重でないときは、必要かつ合理的な配慮を行うことが求められています。学期初めのコーディネート業務では、この①意思の表明(ニーズの把握)と、②合理的な配慮の実施と③その準備を行うことになります。 [参照 TipSheet23 入学当初のサポート] 聴覚障害学生のニーズの把握 授業における支援の方法については、聴覚障害学生のニーズに基づき、教職員による配慮と情報保障支援、の両方の視点をもち、どのような支援・配慮が必要かを授業ごとに見極めることが大切です。ニーズ把握のための打ち合わせ方法や工夫については「入学当初のサポート」シートで具体的に述べています。 教員による配慮や環境整備 (1)教職員への働きかけ 教職員への働きかけには2つの側面があります。1つはすべての教職員に知っておいてほしい障害についての説明や基本的な配慮事項で、これらは書面やパンフレットにまとめて一斉に周知すると効果的です。2つ目は、聴覚障害学生が履修する授業の担当教員に対する授業ごとの配慮依頼で、これは学期初めのコーディネート業務と密接に関わります。聴覚障害学生個々の状況と授業の内容や進め方に応じ、情報保障支援の役割や教員が配慮すべき事項などを伝えます。コーディネーターを通し書面などで伝える方法のほか、聴覚障害学生本人から、具体的な依頼事項を直接伝えることで、教員との距離が縮まり相談しやすい関係に発展することが期待できます。 枠囲み 文書での一斉依頼:板書やレジュメなど視覚的な教材を活用してください。 個別的・具体的な依頼:専門用語は、聞いただけでは表記がわからずノートテイカーが書けないので、板書してもらえますか?               全学的な働きかけと個別的な関わりのよい面を生かしながら、教員との協同で支援に取り組むことが望ましいでしょう。 年度当初に、聴覚障害学生支援に関するFD/SD研修を実施するなど、全学的に取り組む大学も出てきています。 (2)授業担当教員との打ち合わせ 個別的な対応の1つとして、授業担当教員と聴覚障害学生、支援担当職員が事前に打ち合わせを行うのは効果的な方法です。特に、講義形式以外の授業形態や専門性の高い授業の場合は、事前打ち合わせを行うことで、受講に際しての課題を共有し必要な支援方法の検討が可能になります。 <教員との事前打ち合わせが有効な授業例> ・実験や実技など実習を伴う授業 ・語学の授業 ・学生による議論や発表を伴う授業 ・教室外の場で実習などを行う授業 ・支援者が十分な予習を必要とする専門的な授業 等 <打ち合わせ事項> ・授業の進め方の確認 ・聴覚障害学生の情況とニーズの確認 ・配慮や工夫が必要となる場面・状況を把握 →状況に適した情報保障手段、支援方法の検討 情報保障支援の準備 (1)募集から養成まで  情報保障支援を必要とする授業がどのくらいあるのかを把握できたら、ノートテイカーやパソコンノートテイカーなどの支援者を確保します。情報保障支援者の養成は、実際には必要数を見越して前年度末(前学期末)のうちに実施しておくことが望ましいですが、無理な場合は、支援が速やかに開始できるよう、学期初めのできるだけ早い時期に実施します。オリエンテーションの場や資料配布を通して、参加者を広く呼びかけるとよいでしょう。 ノートテイクやパソコンノートテイクを行うには、一定の知識と技術が必要とされ、支援に関する講義と実技を組み合わせた初心者講習会を実施する例が多くあります。時間的な余裕がない場合には最初にごく基本的な講習を短時間で行い、学期中にスキルアップの機会を設けるなどして補填することも可能です。 (2)登録 養成した人材が速やかに支援活動に入るため、講習のあとにすぐ登録してもらえるよう登録用紙や手続きの説明を準備しておくとよいでしょう。支援担当職員は、一人ひとりの技術の習得度を把握しておくことも大切です。 <登録時の記入事項> ・所属、学年、専攻 ・空き時間 ・履修済みの外国語、専門科目、資格関連授業など ・これまでの支援経験(情報保障手段、担当授業) ・その他得意分野 ・連絡先(メールアドレス、緊急時の連絡先) (3)支援者の配置(シフト作成) 情報保障が必要とされる授業に、支援者を配置します。登録時に得た様々な判断材料をもとに、時間の都合だけではなく支援者の特性を活かせるような配置を検討します。効率よく進めるため、各種条件を入力して支援者のマッチングを行うソフトウェアを開発して、シフト作成に活用している大学の例もあります。 また、支援者が過度の負担を負うことなく活動し、聴覚障害学生が利用しやすい支援を運営していくためには、必要最低限のルールを設ける必要があります。以下に具体例を挙げます。 1)支援者の勤務体制に関すること 例 ・原則として90分の授業を2人で担当する ・支援活動は、1日1人1コマまでとする ・支援活動は、週に1人2コマまでとする 2)連絡体制に関すること 例 ・体調不良等で支援をキャンセルする場合には、支援担当職員と利用学生に連絡をする ・利用学生から遅刻の連絡があった場合は教室内(又は教室外)で待つ シフトを作成した後は、支援者と利用学生それぞれに、決定した内容を伝えます。授業数が多い場合には情報量も膨大になるため、書式を定める等漏れなく連絡をとる工夫が必要です。 授業開始後のコーディネート (1)授業における情報保障支援の運営 支援者の配置が決定して授業支援が開始すると、支援担当職員の仕事は一段落したと思われがちです。しかし実際には、次に挙げるような細やかな対応や調整を積み重ねていきます。特に、初回の支援の前後に丁寧な対応を行うことが、その後の円滑な支援につながります。 本来のコーディネート業務は、支援者を配置してからがスタートであると言えます。 <初回の支援の際に必要となる対応> 【授業前】 ・支援者への連絡(授業内容、教室、時間、利用学生についての情報提供) ・利用学生への連絡(支援者と支援方法について) 【授業後】 ・支援者・利用学生からの報告把握、面談の実施 ・状況に応じ、教員への配慮依頼、支援者の配置変更、情報保障手段の変更などの対応     <毎回の支援で必要となる対応> ・休講、欠席、遅刻等の緊急連絡対応 ・機材の貸出、管理(通訳用パソコン、補聴援助機) ・支援者からの報告確認、勤務状況の管理 ・利用学生、支援者、授業担当教員からの相談対応など です。 (2)聴覚障害学生のニーズの把握と対応 支援の利用経験を重ねる中で、聴覚障害学生の意識やニーズは変化していきます。本人の情況と支援内容が合っているか、こまめに声掛けをしたり、定期的に面談するなどして、ニーズを引き出す機会を設けましょう。(TipSheet10「聴覚障害学生の意思表明とその支援」参照) 時には支援方法を見直す必要が生じるかもしれません。大切なのは、その時々に応じ、必要かつ合理的な支援は何か、どんな支援なら実施可能なのかを、聴覚障害学生と大学側とで共有できるしくみと関係作りです。 (3)次学期に向けて 日々の支援を運営しながら、同時に長期的な計画を進めていくことも必要です。学期末に支援者と聴覚障害学生との懇談会を企画したり、ノートテイクのスキルアップ講座の実施、教職員研修の実施、追加予算の申請、他大学からの情報収集など、支援内容や体制の発展も視野に入れて、少しずつでも準備を進めるとよいでしょう。 [参照 TipSheet10 聴覚障害学生の意思表明とその支援] 支援担当者の留意事項 支援に関わる業務は、細やかな対応が求められ、かつ毎日続いていくものです。1人の職員が抱え込むと、出張や休暇で不在の際に支援が機能しなくなってしまうため、日ごろから複数の担当者で情報共有することが大切です。こうした連携が、安定した支援体制への第一歩となります。 (88ページ) 25.障害学生支援の財源について 執筆者:金澤貴之(かなざわ たかゆき)・日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク事務局 支援体制の立ち上げに必要なこと 障害者差別解消法施行に伴い、障害学生支援に関する体制整備や学内予算の確保等を進められている大学も少なくないでしょう。障害学生への支援にあたっては、1つの担当部署が有する予算ではなく、全学的な枠組みの中で障害学生支援に係る予算を拠出することが求められます。本シートでは、聴覚障害学生支援に係る予算がどの程度になるのか、公的な財源にはどのようなものがあるのかについてまとめます。 障害学生支援の難しさの1つとして、まだ予算が確定していない時期から支援体制を構築しなければならないという点があげられます。特に初めて聴覚障害学生を受け入れた大学の場合、早急に支援体制を作り上げつつ、予算申請の作業を進める必要があります。 まず、入学手続きをした者の中に聴覚障害学生がいることが分かった時点で、速やかに本人と連絡を取り、必要な支援内容についてのヒアリングを行い、具体的な支援方法についての確認を済ませるようにします。推薦入試や大学院生の場合など合格発表が秋頃の場合には体制準備に時間的な余裕があるかもしれませんが、3月に合格が決まる場合は、1ヶ月の間に支援の準備を整えなければなりません。 入学予定の聴覚障害者本人と相談の上で、必要な支援体制についての学内検討が済み次第、4月の入学式やオリエンテーションに間に合わせるために、速やかに支援者を募ると同時に、年間に必要な予算を確保する必要があります。履修する授業のコマ数が確定するのは実際には入学後になりますので、まずは概算として3月までに予算案を作成し、予算確保に関する依頼を学内、あるいは学部内の障害学生支援を担当する委員会に提出しておくことが重要です。 支援者の養成・確保が難しい場合には、地域の要約筆記団体や手話通訳者団体に協力を依頼する方法も考えられます。その場合、学外支援者への謝金金額は学生支援者のものとは異なると思いますので、無理のない予算額を確保する必要があります。 また、特に初年度、配分額が確定されるまでは、必要な物品等を購入することができず、苦労することがあります。そうした問題を最小限にするために、できれば配分決定前の予算執行を認めてもらうよう、学内の合意を取り付けられると良いでしょう。 公的な財源について 高等教育機関に学ぶ障害のある学生のための支援の経費については、設置形態により大きく異なっています。 補助の額は状況によって異なりますが、2つの点に注意を払っておくことが必要です。1つは、支援に必要な額が十分に予算化されるとは限らないということ、そしてもう1つは、聴覚障害学生が入学してきた時点ですぐに支給されるわけではない、ということです。 1人の聴覚障害学生が受講する講義にノートテイクで情報保障を行おうとする場合の予算について考えてみましょう。半期に週10コマの講義を受講したとすると、時給900円の謝金として、90分の講義に2名の支援者を配置した場合、1年間の謝金総額として81万円が必要になります。これに加えて、コーディネート担当者の雇用経費や通訳用パソコン等の費用も必要でしょうから、聴覚障害学生1人に対し、年間120万程度の予算は必要になるでしょう。 こうした高等教育機関に学ぶ障害のある学生のための支援経費について、設置形態ごとに見ていきます。 (1)私立大学の場合 私立大学の場合、日本私立学校振興・共済事業団の経常費補助金において、障害学生が在籍していたり支援体制を整備したりしている場合は増額措置が取られています。平成23年度までは、「特別補助」として障害学生数および各大学で実施している支援の内容によって金額が増減する形が取られていました。平成24年度申請分からは、障害学生支援は一部の大学が行う特別なことではなく、どの大学も取り組むべき課題であるとの考え方から、障害学生に関する増額措置は「一般補助」の中に位置付けられています。さらに、平成25年度申請分からは下記の金額に増額されています。 具体的な増額措置としては、一つ目に在籍する障害学生の人数に応じた増額があり、学生一人あたり160万円となっています。通信教育部の学生については、平成28年度より一人あたり100万円に改訂されました。二つ目は、障害のある学生に対する具体的配慮の取り組み状況に基づく増額で、8つの区分について、配慮に取り組んでいる場合は1区分あたり50万円の増額となっています。取り組みの記述がより具体的になっていますが、補助の対象となる取り組みは概ね従来通りとなっています(表参照)。 ただし、経常費補助金の一般補助は、各配分額に「補助率(1/2)」と、大学全体の取り組み状況に応じた「増減率」を乗じた金額となります。例えば障害学生が1名在籍している場合の実際の補助金額は、160万円×1/2=80万円で、これに具体的な配慮の実施状況やその他大学全体の状況によって増減が生じるという計算になります。 (参考:日本私立学校振興・共済事業団 私学振興事業本部ホームページ http://www.shigaku.go.jp/s_haibunkijun.htm) 表 私立大学経常費補助金の配分基準 [注:以下、番号と区分名のあとに 取組例] 1. 相談員の配置   カウンセラーやコーディネーター等を配置する等、相談体制を整備している。 2. 授業等の支援の実施   移動介助者や手話通訳者等の配慮、障害に応じた必修科目の内容の振り替えや履修上の配慮、定期試験における別室受験や点字による出題など、授業にかかる支援を行っている(施設・設備に関する配慮は除く。)。 3. 生活支援の実施   通学支援や保護者との定期面談など、学生生活全般にかかる支援を行っている(施設・設備に関する配慮は除く。)。 4. 自立に対する支援の実施 就職先の開拓や就労にかかるサポート、資格の取得やスキルの習得など、自立を促す支援に取り組んでいる。 5. 施設・設備に関する配慮 施設をバリアフリー化している。または、点字パソコン、情報機器・支援機器等の設備を整備(導入)している。 6. 入学志願者に対する配慮 入学志願者に対する事前説明などの配慮や、特別入試の実施、別室受験や点字による出題など、入試等にかかる配慮を行っている。 7. 教員に対する配慮事項の周知及び徹底 全ての教員を対象として、障害のある学生について配慮・支援する事項等の周知徹底を行っている。 8. 学内支援者の育成 障害に関する基本的理解や基礎的な支援技術の習得といった障害理解に関する授業の開講など、大学教育の一環として支援者の育成に取り組んでいる。 [参考 日本私立学校振興・共催事業団 私学振興事業本部ホームページ https://www.shigaku.go.jp/s_haibunkijun.htm] (2)国立大学法人の場合 平成24年度以降、障害学生支援はすべての大学が取り組むべき課題であるとの考え方に立ち、予算配分のあり方もそれ以前の方法から大きく見直しが図られてきました。現在も国は同様の考え方に立ち、国立大学法人については、障害学生支援に関わるものを「一般経費」の枠組で交付しています。障害学生数や必要な支援が年々変動する状況であっても、運営費交付金に組み込まれた金額で不足する場合は大学が責任を持って必要な予算措置を行い、支援体制を整備・充実させることが求められています。 なお、平成24年度から平成29年度まで、一般経費の中に「障害者向け情報発信促進等経費」という項目があり、一定の条件を満たせば、障害者の受入や相談に従事する教員を1名配置するための経費が交付されていました。上記の期間中にこの経費の交付が開始された大学については、平成30年度以降も一般経費に組み込む形で、教員1名分の人件費に相当する経費が交付されています。 [補足 公立大学に対する国からの基盤的経費支援制度は平成14年度に廃止され、障害学生支援に関する名目での助成も現在は行われていない。公立大学の財政は、公立大学法人については地方公共団体から拠出される運営費交付金、その他の公立大学の場合は各設立自治体の予算に含まれており、障害学生支援に必要な予算はこれら財源の中に位置づけ、運用していくことが求められる。] 予算確保に関する考え方 ここまで公的な財源について話を進めてきましたが、留意すべき点は、「配分された補助金の範囲で障害学生への支援を行おう」という考え方はそぐわない、ということです。単に予算が足りないことを理由として入学を拒否したり、支援を実施しないという判断を行うことは合理的配慮の不提供につながります。また、求められた支援を提供することが費用面で「過重な負担」となるかどうかは、1部署のみの予算枠で決定するのではなく、全学的な規模で議論されるべき事項です。障害学生の有無に関わらず、全学的に障害学生支援の体制について、十分な検討と必要な対応を進める必要があります。 また、予算が比較的潤沢にある教員が障害学生の担当教員となった場合、教員個人に割り当てられた予算で経費を工面しようとするケースが見られます。こうした方法は、差し迫った問題を乗り切る際には仕方の無い手段かもしれませんが、あくまで「一時しのぎ」的な方法で行われるべきものであり、継続的になされる方法として取られるべきではありません。たまたまある教員が担当になれば聴覚障害学生支援の必要経費が支出され、他の教員が担当になったら支援がなされないということが起きてくる可能性もあります。したがって、支援のための経費は組織的な責任の下で支出されなければなりません。 予算を申請するためには、その時々で、しかるべきポジションの人から、しかるべき組織に対して、説得力のある書類が提出されなければなりません。そのためにも、組織を良く理解しておくことが重要だと言えます。障害学生支援の財源を確保していく作業と、障害学生支援の組織化を図っていくこととは、まさに表裏一体の関係であるといえるでしょう。 (91ページ) 26.支援体制の見直しのプロセス 執筆者:岩田吉生(いわた よしなり) 支援体制の見直しの意義と必要性 大学・短期大学等の高等教育機関(以下、大学等)において聴覚障害学生が在籍し、合理的配慮の理念に基づいた情報保障や相談対応などの各種支援を行う機関が増加しています。大学等においては、障害学生支援室等の関係部署を中心として、支援を立ち上げ、運営を進める中で、支援体制の充実を図る必要があります。 (1)全学的な支援体制の見直し 1)合理的配慮に基づいた支援体制の見直し 大学等では、障害学生支援に関する意思決定機関(障害学生支援委員会、教務委員会、学生生活委員会等)にて、定期的に、支援体制の規約、支援担当部署の担当職員の決定、予算とその運用、学内の関係部署との連携体制などの支援体制の検討を行う必要があります。 また、合理的配慮の提供に関わる支援体制として、障害者差別解消法等に基づいた支援体制の見直し、支援窓口と専任職員の明示、障害学生の不服申し立ての対応の在り方の見直しを図ります。   2)FD・SDの研修会の開催 一般に、聴覚障害は、様々な障害の中でも理解しにくい障害であると言われています。補聴器を使っている難聴の学生の仲には、相手の声を聞き取ることのできる学生もいれば、困難な学生もいます。手話を使うろうの学生もいれば、手話が分からない学生もいます。そのため、聴覚障害学生が求める授業等における情報保障の方法も様々で、手話通訳を希望する学生もいれば、ノートテイクまたはパソコンノートテイクによる文字情報を求める学生もいます。聴覚障害学生は、大勢の聴者に囲まれながら、不完全な情報取得の環境で学んでいることについて、FD(ファカルティ・ディベロップメント)またはSD(スタッフ・ディベロップメント)の研修会を開催し、教職員が理解を深めておく必要があります。   3)支援担当部署の担当職員の研修体制 聴覚障害学生支援については、2016年に障害者差別解消法等の法律が制定されたことを受け、これまでの運営体制の見直しを図る必要もあるでしょう。また、新たな情報機器や支援システムの開発が進むなど、年々進化を遂げています。そのため、支援担当部署の職員は、国や法律の動向理解と支援機器の活用について専門性向上を図るために研修会等で情報を得ることが求められます。 4)聴覚障害学生の危機管理 地震や火災等の災害時においては、聴覚障害学生は情報弱者となる可能性が高いため、普段から危機管理体制を見直し、非常時の聴覚障害学生の対応を検討しておく必要があります。具体的には、災害時における警報ランプ等の機器の設置や、聴覚障害学生へのメール等を活用した周知方法、避難の方法等を確認しておきます。 5)支援体制の情報公開 平成22年6月の学校教育法施行規則の改正により、平成23年4月から各大学等において教育情報の公表を行う必要がある項目が明確化されました。この改正の趣旨は、大学等が公的な教育機関として、社会に対する説明責任を果たすとともに、その教育の質を向上させる観点から、公表すべき情報を法令上明確にし、教育情報の一層の公表を促進することです。 これに伴い、大学等の障害学生支援に関しても、HPを開設し、①障害学生の受け入れに関する姿勢・方針、②入試における配慮の内容、③大学構内のバリアフリー状況、④入学後の支援内容・支援体制(窓口の設置状況、授業等における支援体制、教材の保障等)、⑤障害学生の受け入れ実績(入学者数、在籍者数、卒業・修了者数、就職者数等)、⑥障害学生支援部署の場所とアクセス方法、⑦障害学生支援部署のスタッフの人数と構成、⑧障害学生支援部署の連絡先(e-mail、TEL&FAX)などを公開する必要があります。 [参考:学校教育法施行規則第百七十二条の二 http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0100/ にて検索可能] (2)聴覚障害学生に対するサポートの見直し 1)聴覚障害学生の健康管理 学内の保健管理センター等と連携して、支援担当部署の職員は、聴覚障害学生の聴力を把握する他、聴覚障害学生の心理面の配慮、修学や学生生活の相談に応じます。そして、聴覚障害学生の相談内容と個別指導計画を記録・管理していきます。 2)聴覚障害学生のエンパワメントの育成 聴覚障害学生の中には、修学上の問題があったり、心理的に厳しい状況にあっても、誰にも悩みを相談できない学生もいます。聴覚障害学生によっては、単位をかなり落として留年を考えなければならない状況にさらされて初めて、情報保障の申し出をするケースもあります。また、情報保障者や関係する教職員との円滑な人間関係を継続させるスキルが低く、トラブルを生じさせてしまうこともあります。 そのため、周囲の教職員・学生が聴覚障害に関する理解を深める機会を設ける機会を作ることと同様、聴覚障害学生自身も、自己の障害を理解し、聴覚障害に関わる困難とその対応方法を身につけていく必要があります。また、聴覚障害学生が、円滑に学内の障害学生支援のサービスを活用する方法を身につけることも重要です。支援担当部署の職員は、聴覚障害学生の心理に配慮しながら支援を進め、聴覚障害学生が自己の障害認識を深め、エンパワメントを育成していきます。 3)聴覚障害学生と支援学生の交流の場の提供 聴覚障害学生は、他の聴覚障害学生、支援担当部署の職員、支援学生らとの信頼関係を深めるために、交流場所(部屋またはスペース等)を設置することが望まれます。聴覚障害学生や支援学生が、空き時間に交流室に寄って、お茶を飲みながら、談笑する中で互いに理解をし、時には職員を交えながら障害学生支援に関する情報交換や話し合いを行うことができます。また、障害学生支援の関係者が定期的に一同集まり、支援内容に関する検討会・情報交換会を開くことも必要です。 4)情報保障手段の選択肢の拡張 聴覚障害学生は、授業等における情報保障を受けたり、他の聴覚障害学生、支援担当部署の職員、支援学生らとの関わりを深める中で問題意識が高くなり、その方法や支援体制に対する要望が変化していきます。また、講義の内容によって情報保障の方法を変えてほしいという要望を申し出るようになっていきます。大学等においては、ノートテイクによる情報保障支援を進めているところが多いですが、聴覚障害学生のニーズに対応して、パソコンノートテイクや手話通訳等の情報保障を実施できるよう検討していく必要があります。 (3)支援学生に対するサポートの見直し 1)支援学生の情報保障技術の養成 支援学生に対して、情報保障に必要な知識と技術を身につけるため養成講座を開講する必要があります。講座の回数や時間は様々な例がありますが、最低2~3時間、できれば1日~3日間の集中講座で行います。講師は、専門的な知識と技能を身に付けた学内の教職員が担当する方法や、近隣の大学等で情報保障を行っている機関の教職員に依頼をしたり、地域の情報保障者派遣サービス団体のスタッフに依頼する場合もあります。 また、定期的に支援学生を集めてスキルアップ研修会を開催したり、長期休業等を利用して中級・上級編の養成講座を開講することも効果的です。 2)支援学生のネットワーク作り 聴覚障害学生と個々の情報保障を行う支援学生は、情報保障に関わる活動を通じて、顔を合わせ、意見を交わす機会があります。しかし、大勢の支援学生が一同に集まって、授業等における情報保障に関する方法や工夫などの情報を共有し、今後の支援活動に活かしていけるような空間・時間がない場合もあります。障害学生支援部署等の担当職員は、この点に配慮しながら、情報保障者のネットワーク作りにも力を注ぐ必要があります。 3)支援学生に対する有償性 授業等における情報保障に関わる活動に対して、支援学生にその対価として謝金や交通費を支払っている大学等が増えています。しかし、現在も支援学生に無償の支援を継続して求めている大学等もあるかも知れません。 情報保障の支援学生の元々の動機が無償のボランティアであっても、謝金が支払われるシステムであれば、 ある程度の専門性が問われる活動として取り扱われるようになります。聴覚障害学生も、無償よりは有償の活動の方が、支援学生に対して要望を伝えやすい状況となります。大学等は、障害学生支援に関わる予算を確保し、支援に関わる学生へ適切な対価を支払えるようにシステムを構築していく必要があります。 (4)地域の他機関との連携 1)聴覚障害学生支援システムの評価 聴覚障害学生支援システムを学内の中で推進させるだけでなく、他機関との情報交換や比較を行うことで現在の課題を整理できます。そのため、全国規模、もしくは地方ブロックにおける大学等の聴覚障害学生支援システムに関する情報交換会を開催し、大学等同士で聴覚障害学生支援システムの情報交換や評価をし合う場を構築していく必要があります。また、聴覚障害学生支援システムに関わる様々な評価項目を確認し、評価マニュアル等を作成していくことも検討するべきです。 2)学外関係機関との連携 地域における学外の関係諸機関との連携が必要です。地域の大学等との連携のみならず、情報保障者の派遣団体、聴覚障害者団体との関係を深め、情報保障者派遣の協力体制を構築することも検討しておきましょう。また、聾学校・難聴学級などの教育機関、聴覚障害児の親の会、人工内耳装用児の当事者団体等とも連携し、大学等に入学する前から聴覚障害のある生徒に対して情報保障に対する知識や問題意識を高めておくことも今後の課題です。 3)地方ブロックにおける拠点校・拠点組織の必要性 PEPNet-Japanでは、全国的な大学間ネットワーク構築とともに、連携大学・機関を核として、地域ごとの大学・機関同士の連携を促すための「地域ネットワーク形成支援事業」を実施しています。2012年度に関西地区・東北地区の連携事業、2013年度に北海道地方の連携事業、2014年度に東海地区の連携事業、2015年度は沖縄地区の連携事業などを進めました。 地方においては、PEPNet-Japanの連携大学・機関等を始めとして、聴覚障害学生支援に関する拠点校・拠点機関を設置し、地域性に合わせた大学間の連携体制が構築・運営できるように検討を進めています。必要に応じて、近くの連携大学・機関に問い合わせをしてご活用下さい。常に聴覚障害学生支援に関する最新の情報を得るようにしましょう。 (94ページ) 教材のご案内 PEPNet-Japanで開発した教材を一部ご紹介します。詳しくはPEPNet-Japanのウェブサイト(http://www.pepnet-j.org)をご覧下さい。 支援体制構築に関連する教材 ・Access!聴覚障害学生支援①~④(DVD教材)  ※支援体制構築からキャリア支援までをDVDでまとめています。 ・一歩進んだ聴覚障害学生支援【生活書院 2300円】  (書店でお買い求め下さい) ・学生同士がつながる支援コミュニティづくり  ―支援学生の「主体性」を引き出すマネジメント―(ダウンロード版) 情報保障に関連する教材 1.パソコンノートテイク ・パソコンノートテイク導入支援ガイド「やってみよう!パソコンノートテイク」指導者版・初心者版(冊子配布) ・パソコンノートテイクスキルアップ!教材集「やってみよう!連係入力」(冊子配布、練習用DVD付) ・“いつでもどこでも”の情報保障の実現に向けて-遠隔情報保障事業成果報告書-(冊子配布) 2.手話通訳 ・大学での手話通訳ガイドブック―聴覚障害学生のニーズに応えよう!―(冊子配布、DVD付) ・大学教職員のための地域通訳依頼ハンドブック―よりよい連携を目指して―(冊子配布) 3.手書きノートテイク ・大学ノートテイク支援ハンドブック 【人間社1600円】 (書店でお買い求め下さい) ・ノートテイカー養成の手引き  ―ノートテイカー指導者養成講習会資料(ダウンロード版) この他、Webコンテンツや様々な教材・報告書も公開していますので、あわせてご覧下さい。 ・聴覚障害学生支援FAQ ・はじめての聴覚障害学生支援 ・実践事例アイディア集 ・遠隔情報保障コンテンツ集 (奥付) 執筆者紹介(50音順) 石原 保志(筑波技術大学 副学長/障害者高等教育研究支援センター教授) 岩田 吉生(愛知教育大学 障害児教育講座准教授) 太田 富雄(福岡教育大学 障害学生支援教育センター教授) 太田 晴康(静岡福祉大学 学長) 大沼 直紀(筑波技術大学 名誉教授・元学長) 金澤 貴之(群馬大学 教育学部障害児教育講座教授) 倉谷 慶子(関東聴覚障害学生サポートセンター コーディネーター) 白澤 麻弓(筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター准教授) 垰田 和史(滋賀医科大学 社会医学講座衛生学部門准教授) 立入 哉 (愛媛大学 教育学部教授) 土橋恵美子(同志社大学 学生支援センター障がい学生支援コーディネータ) 中島亜紀子(筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター助手) 根本 匡文(筑波技術大学 名誉教授) 松岡 克尚(関西学院大学 人間福祉学部教授) 松﨑 丈 (宮城教育大学 特別支援教育講座准教授) 三原 岳 (公益財団法人 東京財団研究員) 三好 茂樹(筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター准教授) 吉川あゆみ(関東聴覚障害学生サポートセンター コーディネーター) 磯田 恭子(筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター助手) 日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan) 平成27年度コンテンツ整理ワーキンググループ  岩田 吉生(愛知教育大学 障害児教育講座准教授)  松﨑 丈 (宮城教育大学 特別支援教育講座准教授)  三原 岳 (公益財団法人 東京財団研究員)  ※改訂にあたっては、ワーキンググループの皆様にご意見を頂きました。 ※所属・肩書は2017年3月時点 トピック別聴覚障害学生支援ガイド―PEPNet-Japan TipSheet集(改訂版)― 発行日:2017年3月30日 初版     2018年12月30日 2版 編 集:日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)     磯田 恭子(筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター助手)     中島亜紀子(筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター助手)     白澤 麻弓(筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター准教授) 発 行:筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター     〒305-8520 茨城県つくば市天久保4-3-15     TEL/FAX 029-858-9438 ISBN:978-4-905362-17-3 本事業は、筑波技術大学「聴覚障害学生支援・大学間コラボレーションスキーム構築事業」の活動の一部です。