p.31 第3章 事例編  事例編には、みなさんが、大学に進学したら遭遇するかもしれない場面をいくつか集めてみました。初めからしっかり読んでもよいし、興味のあるところだけを拾い読みしても構いません。  読んでいると、「へぇ、こんなことが起こるかもしれないんだ。大学に行くの、やめようかなぁ」と憂鬱な気分になるかもしれません。でも、大丈夫、心配する必要はありません。  この事例編は、「お守り」みたいなものです。読まなくても済むような大学生活になることを祈っていますが、この先、たとえ、「困ったなぁ」「どうしたらいいだろう」と思うようなことが起きても、ここに解決のヒントが載っているから安心!・・・今は、これだけ覚えておいてください。  なお、多くの大学では、障害学生支援の担当窓口があります(基礎編2 p.21)。その場合、合理的配慮の申請やその内容についての話し合いは、通常、担当窓口を通して行います。でも、ちょっとイメージがわきにくいと思いますので、事例では、あえて(実際とは違って)、担当の教員と直接やりとりをするような設定にしてあります。 事例編 p.32  対象者:高校生、大学生、社会人 p.32 事例編 事例1 バスケットボールは危ないからダメ?! <事例>  体育の授業で、バスケットボールの受講希望を出したところ、ホイッスルの音が聞こえなくて危険だから、聴覚障害学生は受講できないと言われました。 【不当な差別的取扱いと正当な理由】  基礎編でも学習したとおり、障害者差別解消法は、「不当な差別的取扱い」を禁止しています。同じ学生であるにもかかわらず障害を理由に受講をさせないことは、不当な差別的取扱いにあたります。なので、この事例でも、単に「聴覚障害があるから受講できない」と言われたのであれば、それは不当な差別的取扱いになるでしょう。ただし、もし受講を拒むことに「正当な理由」があれば、ここでの取扱いは「不当な」とまでは言えなくなり、法律が禁止する不当な差別的取扱いにはあたらないことになります。  つまり、聴覚障害学生が「障害のない学生とはちがう対応をされる」ことによって不利益を受けたと感じた場合は、大学側に「正当な理由」があるかないかで、その対応が法律の下で禁止されるかどうかが決まります。 【「危険だから」は正当な理由になる?】  では、「ホイッスルの音が聞こえなくて危険」という理由は、正当な理由にあたるでしょうか。  バスケットボールの試合では、開始や終了のほか、反則があったときなどに、審判がホイッスルで合図をします。聴覚障害があると、ホイッスルの音には気づきません。ですから、聴覚障害のある学生が、障害のない学生と同 じ条件でバスケットボールの試合に参加することは、たしかに危険な側面もあるかもしれません。  しかし、ホイッスルが鳴ったことを、その都度、先生や他の参加者から、肩をたたく、手で合図するなど、別の方法で知らせてもらうことができれば、 p.33 大きな問題もなく、試合に参加できるはずです。このように障害のある人が障害のない人と同じように参加できるための工夫を、「合理的配慮」といいます(基礎編1 p.9参照)。 →基礎編 p.9  この事例の場合、学生は、大学に対して、合理的配慮を求めることができます。そして合理的配慮の提供によって危険な状況が避けられるのであれば、もはや「危険だから」という理由で受講を拒むことは正当な理由として認められないでしょう。「危険だから」という一般的・抽象的な理由だけでは、正当な理由とはいえないからです。  これに対して、大学側がさまざまな手を尽くしても充分な配慮を提供することができなくて、本人や他の学生への危険性がなくならない場合で、かつそれが、誰が見ても具体的にはっきりしているのであれば、正当な理由として認められるでしょう。 【合理的配慮との関係】  では、学生の申出に対し、大学が合理的配慮を提供しない場合はどうでしょう?障害者差別解消法の下では、不当な差別的取扱いのみならず、「合理的配慮の不提供」も禁止されています。障害者にとって参加が難しくなる困難(バリア)がある場合、個々の場面でその困難を取り除くこと(バリアフリー)が必要です。そうした個々のバリアフリーを怠ることを「合理的配慮の不提供」といいます。これは、不当な差別的取扱いとともに、法律上の差別にあたります。これらの2つの差別は、ひとつの事例のなかで同時に問題になることがあります。たとえば、(1)合理的配慮の不提供が背景にあって、それが不当な差別的取扱いを引き起こしている(事例1 p.34のマンガのような例)、(2)一見すると合理的配慮らしきものは提供されているが、その内容が適切ではないために不当な差別的取扱いにもなっている(事例7 p.52のマンガのような例)、といった具合です。ですので、事例1のようにバス ケットボールの受講を拒まれた場合は、合理的配慮の問題を考慮に入れたうえで考えることが大切です。 →事例1 p.34 →事例7 p.52  どのようにすれば、合理的配慮を求めることができるのか、合理的配慮としてどこまで求めることができるのかについては、事例2~9で詳しく説明します。 →事例2~9 p.35 p.34 4コマ漫画 <1コマ目> シラバスを読んでいた聴覚障害学生が、バスケットバールの講義を見つける。 (あ!バスケットボールあるんだ!やった!) ところが・・・ <2コマ目> メールで問い合わせるとこんな返事が。 「バスケットボールは危険なため、受講は、できません」 (え!?バスケって、取れないの?)と驚く聴覚障害学生。 <3コマ目> (そんな・・・)と戸惑いの表情を浮かべさらにメールで聞いてみる。 質問「なぜ、聴覚に障害があると、バスケットボールが受講できないのですか?」 返ってきたメールには 答え「ホイッスルの音が聞こえなくて、危険なため受講できません」 とあった。 <4コマ目> 憂鬱な表情で(今まで、バスケ、やってきたんだけどなぁ・・・)と悶々とする聴覚障害学生。 今までは、ホイッスルが鳴ったら周りの人が肩をたたいて教えてくれていたのだ。 p.35 事例編 事例2 大学の授業には教科書がない!!! <事例>  私は高校まで一般校で学んでいて、主に教科書と参考書で勉強してきました。大学でもそれで大丈夫だと思っていましたが、大学の授業は教科書がないものも多く、板書も時々しかされないので、理解ができません。どうしたらよいのでしょうか。 【情報保障としての合理的配慮】  大学の授業では、しばしば、授業担当の先生の研究で得た情報が出てきます。高校までの教科書に載っていたような、どこでも容易に入手できる情報とは限りませんから、授業で提供される情報は、口頭での説明も含め、できるだけ漏れなく取得したいところです。  聴覚障害のため、先生の説明を聞き取ることが難しい場合、情報を目から取得することで、授業内容を把握することができます。具体的には、手書きノートテイクやパソコンノートテイクなどにより文字情報に変換したり、手話通訳を用いたりすることが考えられます(これらを「情報保障」といいます)。  大学は、学生からの申出があれば、学生との対話を経て、合理的配慮を提供しなければなりません。障害者差別解消法は、障害のある学生をとりまく社会的障壁の除去のために、合理的配慮を提供するよう、大学に求めているからです。事例2であれば、上記に挙げた情報保障の導入が問題になるでしょう。 【合理的配慮を受けるための「意思表明」】  ただし、ここでのポイントは、社会的障壁があるというだけで、自動的に合理的配慮が提供されるわけではないということです。聴覚障害者といっても、聞こえ方はさまざまですし、支援の内容も支援を求める場面も異なります。なので大学は、どのような合理的配慮を誰に提供してよいかわかりません。 p.36 ですから、合理的配慮が必要であることを、障害者が自分で申し出なければなりません。これを「意思表明」といいます。  これまでの暮らしでは、もしかしたら、「●●してほしい」といちいち言わなくても、周囲が察して、助けてくれていたかもしれません。困っている状況に誰も気づいてくれないときは、「自分は聞こえないのだから、仕方ない」とあきらめてしまっていたかもしれません。  けれども、障害者差別解消法のもとでは、原則として障害のある学生が主張しないかぎり、合理的配慮は提供されません。具体的にどんな配慮ができるかは、障害のある学生と大学との対話のなかで明らかになっていくものですが(事例3の解説を参照)、学生自身も、どのような配慮があれば、障害のない学生と同じように参加できるのかなど、自分のニーズをあらかじめ整理しておくことで、対話をより円滑に進めることができるでしょう。 →事例3 p.38 →実践編ワーク2~ p.74 【「意思表明」を行う時期】  事例2は、入学後、しかも、授業が始まってから、社会的障壁に気づいたわけですが、それ以前から社会的障壁が分かっている場合、「意思表明」は、もう少し早い時期、たとえば、入学試験に合格した後に行うこともできます。  このためには、オープンキャンパスの機会などを利用して、大学の状況を充分把握しておくと良いですね。 p.37 4コマ漫画 <1コマ目> 大学の講義場面。正面で教員が何か話している。ホワイトボードに A→B→C とだけ書かれている。情報保障なしで受講し、驚く聴覚障害学生。 (大学の授業って板書がほとんどない・・・。) <2コマ目> 教科書を読んでみても(どうしよう~。よくわからない・・・)と戸惑った表情の聴覚障害学生。しかし、ここであることを思い出す。 「そういえば!!」 <3コマ目> (何か、困ったときのためにための冊子をもらったような・・・)と考えながら、本棚を探る障害学生。 「あった!」 <4コマ目> 「聴覚障害学生サポートブック」を読みながら(なるほど~。とりあえず、まずは、支援室に相談してみようか・・・)と、少し落ち着いた表情の聴覚障害学生。 p.38 事例編 事例3 パソコンノートテイクじゃ満足できない! <事例>  入学前相談で、支援担当部署から「これまでの聴覚障害学生はパソコンノートテイクの支援で十分だったので、パソコンノートテイクを配置したい」と言われました。他大学に進学した先輩の話を聞くと、ディスカッションのある授業ではノートテイクが追いつかなくなる心配があります。何より、自分も発言しディスカッションに参加するには手話通訳が必要だと考え、手話通訳をつけてほしいと伝えましたが、「そこまでの予算がないから難しい」と断られてしまいました。 【合理的配慮の義務と内容】  障害者差別解消法の下では、障害のある学生から配慮の申出(意思表明)があれば、国公立大学は「合理的配慮を提供する」義務(法的義務)、私立大学は「合理的配慮を提供するよう努力する」義務を負います(努力義務)。このため法律上は、国公立大学と私立大学で扱いが異なるのですが、私立大学でも誠実に対応しなければならないことに、かわりはありません。その理由は、基礎編1の「すべての大学に適応されるの?」(p.10)、解説編の「法律の適応範囲は?」(p.132)を参照してください。 →基礎編p.10 解説編p.132  合理的配慮の内容は、原則として、学生と大学との話し合いによって決まります。学生側からの要求がそのまま、合理的配慮の内容になるとは限りません。大学側が学生の要求を無視して、一方的に合理的配慮の内容を決める のでもありません。 【「建設的対話」による決定】  障害のある学生には、障害のない学生と同じように学ぶため、十分な配慮を受けたいというニーズがあるでしょう。しかし、大学にもさまざまな事情があります。 p.39  たとえば、配慮にかかる費用は、大学が負担します。大学の資金は、大半が授業料や施設費など学生から納付されたものです。なので、そのすべてを障害学生支援に使うことはできません。また、授業の内容を大幅に変えたり、一度に何人もの支援者が必要となるような配慮も、提供が難しいことがあるでしょう。このため合理的配慮の提供にあたっては、このように大学にとって「過重な負担」とならないなど、いくつか考慮すべき要素があります(詳しくは、事例4~8の解説、解説編を参照)。 →事例4~8p.42 解説編p.140  そこで、学生と大学が、お互いにとって納得のできる配慮内容を決めるために話し合うこと、しかも、単なる話し合いではなく、「今の条件のもとで、最善の配慮」を実現するため、それぞれアイデアを出し合うことを「建設的対話」といいます。  ちなみに、「今の条件」の中には、後で状況が変わってくるもの(次年度に新たな予算がつくなど)もあるかもしれません。そのため、合理的配慮の内容を考えるときには、短期的な内容だけでなく、中長期的な計画についても考えてみることが大切です。また、いったん合理的配慮が提供された後も、事例9p.56建設的対話を継続することが必要になる場合もあります。この点については、事例9の解説(モニタリング)を参照してください。 →事例9 p.56 【「建設的対話」のコツ】  そもそも「対話」とは、考えや、価値観、立場が異なる人との意見や情報の交換です。「対話」の結果、立場を超えて意気投合し、意見の一致をみることもあるでしょうが、必ずしもそうなるとは限りません。  大事なのは、双方が相手の意見を正確に理解したうえで、お互いにとって「受け容れられる」結論に至ることです。そのためには、まず、自分の意見をしっかりと相手に伝える必要があります。  実践編のワークシートを使って考えを整理すると、よいでしょう。 →実践編ワーク2~ p.74 【「手話通訳」の必要性をしっかり伝える】  事例3の場合、学生が手話通訳を求める理由は二つあると考えられます。  一つは、「ディスカッションでは、パソコンノートテイクが追いつかない」可能性があるから、もう一つは、「手話で自由に発言がしたいため」です。これに対し、大学もまた、過去の経験から「パソコンノートテイクで十分」と考え、「手話通訳の費用は出せない」と答えています。ここで終わってしまっては、「建設的対話」にはなりません。  一つめの理由については、実際に、パソコンノートテイクでディスカッションに対応している例があれば、見学させてもらうとよいかもしれません。 p.40  入力者の技術が、考えていたよりも高い場合もあります。司会を置くなど、先生や周りの学生の配慮で、うまく議論に参加出来るかもしれません。  しかし、二つ目の理由はどうでしょう。パソコンノートテイクでは、他の人の意見を理解することは出来ても、自分の意見を伝えることができません。口話のできる学生の場合は、自分の声で発言することもできますが、日常的に手話を利用している学生の中には、発言も手話で行いたいと思う人もいるでしょう。この点、手話通訳をつければ、自分が発言したいタイミングで、ディスカッションを止めることなく、自由に参加することができます。  このようなニーズがある場合、事例3では、特に、二つ目の理由を示して理解してもらうことが重要になります。 【次善の策も考える】  要求に対し、大学から「難しい」と回答された場合でも、諦めず、柔軟に、いろんな可能性を示して交渉することが必要です。  事例3であれば、文字情報をスクリーンにうちしだして、参加者全員が見られるようにした上で、発言したいときは文字を打ち込むとか、自分の意見を紙に書いて隣の人に読み上げてもらうなど、ディスカッションに参加するための方法はいくつかあります.また、まずは予算内でどうしても必要な場面のみに手話通訳を付ける方法もあるかもしれません。このため、話し合いの前に、次の一手、二手を考えておくと良いでしょう。  そして、大学に「今は」難しいと言われても、「今後」実現するために、来年度は予算を付けてもらうなど、少し長い目で見た合理的配慮のあり方を合わせて考えてみましょう。 p.41 4コマ漫画 <1コマ目> 聴覚障害学生が、パソコンノートテイクを受けながらディスカッションに参加している。パソコンの画面に目を落とす学生。他学生の一人が発言をしている。 (ぼくは、入学前相談の結果、パソコンノートテイクを使って、授業を受けることにしました。でも・・・) <2コマ目> ディスカッションのテンポが速く、パソコンノートテイクの入力者が焦っている。 聴覚障害学生がパソコンの画面と発言者を見比べて、今パソコンに表示されている人と、目の前で発言している人が違うことに気付く。(え?あれ?しゃべっている人がちがう・・・)と混乱する聴覚障害学生。 (ディスカッション等のある講義では、ノートテイクが追いつかないこともあります) <3コマ目> 支援室の扉を見ながら(手話通訳が、ほしいって言ってみようかな?)とふーっとため息をつく障害学生。 <4コマ目> 意を決して支援室を訪れた障害学生。 職員から筆談で「何か困ったことがあったの?」と聞かれ、聴覚障害学生は(ん~)と考え、「手話通訳を付けてほしいです」と書いて伝えた。 p.42 事例編 事例4レポートを書いていないのに点数がもらえる?! <事例>  教員免許を取るために必須の授業で、実際の授業の映像を見てレポートを書く課題が出されました。ところが、教員には「授業の映像に字幕がないので、君は平均点を加点する形で代替する」と言われました。 【障害者差別解消法の目的】  障害者差別解消法は、障害者に対し、障害のない者と均等な機会を保障することを目的としています。授業で提供される合理的配慮は、障害のある学生が、障害のない学生と同じように学ぶために必要な措置です。  決して、障害のある学生を特別に優遇するものではありません。 【機会の平等】  事例4では、他の学生がレポートを書かなくてはいけないのに、聴覚障害のある学生に対しては、レポートが免除されています。しかも、他の学生は、レポートの出来に応じて、点数が与えられます。レポートを提出していなければ、当然、点数はつかないはずですが、教員は「平均点」を与えるというのです。  「レポートを書いていないのに、点数が与えられる」というのは、一見他の学生よりも「有利」な扱いを受けているように見えるかもしれません。しかし、レポートを書いていたら、とてもよい点数がついたかもしれないのに、「平均点」しかもらえないのは、「不利」な扱いといえるでしょう。このように、他の学生との間で不公平な結果になるような措置は、合理的配慮とはいえません(合理的配慮の要素としての「障害のない学生との機会の平等」)。 →解説編 p.140 p.43 【建設的対話で、別の「配慮」を提案】  事例4では、合理的配慮として、授業の映像を見ながら、「どんな場面なのか」「どんなやりとりが行われているのか」を文字で伝えてくれる人がいれば、おおよその内容は理解できるでしょう。これで不十分な場合は、事前に映像を借りて支援担当部署で文字起こしを行い、これを活用する手もあります。もちろん、映像に字幕さえつけてもらえれば、聴覚障害のある学生も、他の学生と同じように、レポートを書くことができます。  もし、教員からこのような申出があったら、他の学生と同じようにレポートを書き、評価を受けるために必要な「配慮」を求める方向で、交渉してみましょう。 p.44 4コマ漫画 <1コマ目> 聴覚障害学生が支援室の職員に筆談で相談している。 学生は「レポート提出課題用の動画に字幕がないので、私は平均点にするって言われて・・・」と書いて伝える。 職員は「ふむふむ」と読んでいる。 <2コマ目> 聴覚障害学生は続けて「興味のある授業なので私もきちんと提出したい・・・」と職員に伝える。 職員は「なるほど!」とうなずく。 <3コマ目> 支援室職員が、聴覚障害学生を連れて授業担当教員の研究室にやってくる。 (コンコン)と研究室の扉をたたき、「すいません、支援室です」と言いながら顔を出す職員。一歩下がった位置に聴覚障害学生がいる。 担当教員の頭の上には大きな「?」マークが浮かんでいる。 <4コマ目> 職員が教員に「先生の授業について相談させてください」と伝え、障害学生も紙に「よろしくお願いします」と書いて教員に伝える。 p.45 事例編 事例5 聞き取れないとダメ? <事例>  私の在籍する大学には、必修の授業で英語のオーラルコミュニケーションがあります。私は聞き取れないので、パソコンノートテイクをつけて学びたいと伝えましたが、教員に「それじゃオーラルコミュニケーションにならないじゃないか」と言われ断られました。 【「語学」の壁】  聴覚障害のある学生が直面する問題の一つが、「語学」の授業です。  語学の授業では、通常、文法を学び、「リーディング(読む)」「リスニング(聞く)」「スピーキング(話す)」「ライティング(書く)」の4技能を身につけることが重要視されます。「聞く」「話す」が授業内容や評価対象に含まれる場合、聴覚障害のある学生は社会的障壁に直面することになります。 画像:外国人の教員から英語を教わり「えーと」と考えている聴覚障害学生。 p.46 【「リスニング」「スピーキング」を回避】  センター入試など、リスニングテストが実施される場合、事前に申請することで、リスニングが免除されることがあります。  リスニングは、確かに語学力を評価するうえで、重要な項目の一つではあります。しかし、不可欠の項目ではありません。実際、センター入試でも、英語以外の語学試験には、リスニングテストが含まれていません。「リスニング力が高ければ、語学力も高い(と推測できる)」とはいえるでしょうが、語学力は、リスニングテスト以外でも、はかることができます。少なくとも、「リスニングができなければ、語学力がない」とはいえません。  授業の方法や内容、評価項目に「社会的障壁」が含まれる場合には、合理的配慮として、「代替措置をとる」などの変更を求めることができます。他の学生が情報を聞き取るところを「パソコンノートテイク」を利用し、情報を文字で読み取る、というのも、必要な変更にあたります。多くの授業では、そのような変更をしても、まったく問題が生じません。 【教育の本質は変更できない】  事例5のような「オーラルコミュニケーション」という授業では、どうでしょう。  オーラルコミュニケーションにとって、リスニングやスピーキングは欠かせない要素です。コミュニケーション自体は、文字を書いたり、読んだりすることでもできますが、授業の目的が「オーラル(口頭)」でのコミュニケーションをとることなのであれば、「相手の話を聞きとって話す」ことが必要です。パソコンノートテイクを使い、相手の話を「文字で読み取る」と、授業の目的の本質部分が変わってしまいます。教員が、「それじゃオーラルコミュニケーションにならないじゃないか」と断ったのは、そのせいでしょう。  そのように授業の本質に変更をもたらすような措置は、合理的配慮として認められません(合理的配慮の要素としての「本質の変更不可」)。 →解説編 p.141  では、聴覚障害学生の場合、どのように授業目的を達成すればいいのでしょうか?  この場合、交渉の方向としては、二通り考えられます。  一つは、「オーラルコミュニケーション」という授業に代え、別の(「リスニング」や「スピーキング」を求めない)授業を受講することで、単位を認めてもらうものです。事例5の大学では、オーラルコミュニケーションが必須科目になっています。けれども、「この授業を履修しないと、当該専攻のカリキュラムを終了したとは言えない」と言うほど、重要な意味を持つかどうかはわかりません。少なくとも、一般教養の英語であれば、他の方法に p.47 代替しても差し支えない場合が多いでしょう。これらは、大学(学部)が公表している「カリキュラムポリシー」や「ディプロマポリシー」によっても変わってきますので、一度検討をしてもらうとよいでしょう。  もう一つは、「オーラルコミュニケーション」という授業の中で、別の方法での履修を認めてもらうものです。単純に考えると、オーラルコミュニケーションという授業の目的は、「英語の音声を聞き取って声で話す」こととなるでしょう。けれども、この授業を通して本当に身に着けてほしいのは、単に英語を聞き取れたり、話せたりするかではなく、英語を使って人とやりとりができるかということだと思います。こう考えると、聴覚障害学生の場合、LINEや Twitter、チャットなど、リアルタイムでやりとりができるツールを使って話をする方法でもよいでしょうし、場合によっては身振りやジェスチャーなど、より幅広い手段を使う形も、授業の本質を変更するものではないとして許容されるかもしれません。  いずれにしても、学部や担当の先生が何を大切にしたいかによって取れる手段(代替措置)は変わってくるので、改めて授業やカリキュラムの本質について検討してもらうことが大切でしょう。 画像:聴覚障害学生がパソコンでチャットをしている。 p.48 事例編 事例6 情報保障は授業だけ?! <事例>  学内で就職活動に関するセミナーが開催されることになりました。参加をしたいのですが情報保障がついていません。そこで支援担当部署に派遣を依頼したところ、情報保障者の派遣は授業を想定しているため、対応できないと言われました。 画像:就職活動用の黒い革のカバンと黒いパンプス。 【本来的業務への付随】  障害者差別解消法上、大学が合理的配慮の義務を負うのは、「その事務又は事業を行う」場合に限られます。大学は、その事務・事業とは関係のない配慮を提供する必要はありません。つまり、大学は、その本来の業務に付随するかぎりにおいて、配慮を提供する義務を負っているのです(合理的配慮の要素としての「本来的業務付随性」)。 →解説編 p.141 【大学の業務】  では、大学の「業務」とはなんでしょう。「授業をする」ことが「業務」であることは明らかです。事例6で、大学側が「情報保障者の派遣は授業を想定している」と言ったのは、そのせいでしょう。しかし、それだけなのでしょうか。  大学と学生は、契約を結んでいます。学生は、学費の支払いと引き換えに、大学で教育サービスを受けることができます。  大学は、学生との契約にもとづいて、学生に専門的な知識を授け、それを応用する力を養うため、「授業、実習及び実験等の教育活動」を通して教育役務(サービス)を提供し、それに必要な施設等を利用させる義務を負う、 p.49 と述べた最高裁判決があります。ですから、「授業をする」だけでなく、たとえば「図書館等の施設を使わせる」ことなども大学の業務なのです。 【就職セミナーは大学の本来的業務?】  では、就職セミナーはどうでしょう。かつては、「就職は自分の力で行うものだから、関知しない」という大学も少なくなかったでしょうが、最近の大学は、就職支援に力を入れています。大学で学んだことを社会で活かすこと、まさに、知識を応用することができるよう、サポートすることも、大学の務めだと認識しているからです。このように考えると、学内で開催される就職セミナーもまた、大学が提供すべき「教育役務」、つまり、本来的業務に含まれると考えてよいでしょう。  大学の本来的業務がどこまで及ぶかは、具体的にみていくと判断が難しい局面もでてくるかもしれませんが、基本的に、大学が一般の学生に対して提供している環境は、障害のある学生への合理的配慮の対象になる、ということができます。 画像:就職セミナーのポスターを見て、(参加したい・・・)と思っている聴覚障害学生の後ろ姿。 p.50 事例編 事例7 先生の好意はありがたいけれど・・・!? <事例>  学術英語のリーディング・ライティングを行う授業の受講を希望したところ、教員から、授業時間には参加しなくてもよいので、別の時間に1対1で対応し、単位を与える形はどうかと言われました。先生が私のことを考えてくれ、ありがたい気持ちがある一方、私としては、パソコンノートテイクを活用しながら、できるだけみんなと一緒に授業を受ける方向を模索したいと思っています。 【合理的配慮と事前的改善措置】  合理的配慮は、障害者一人ひとりのニーズに応じた調整や変更です。そうした調整や変更は、社会的障壁を除去するためのものなので、合理的配慮とは個々のニーズに応じたバリアフリーだといえます。  そして、合理的配慮は、特定の障害者個人からの「意思表明」があってから、建設的対話を経て提供されるものです(事例2と3の解説)。これに対して、不特定多数の障害者を想定して、あらかじめ環境を整備しバリアフリーにしておくこと、または、さまざまな人のニーズに対応するためにユニバーサルデザインにすることを、事前的改善措置といいます(解説編 141ページを参照)。 →解説編 p.141  少しわかりにくいかもしれませんので、こんなふうに考えてみてください。お店で売られている服は、たいてい、S・М・Lというサイズに分けられています。この場合、あるサイズは人によって小さすぎたり、大きすぎたりする場合があるでしょう。これに対して、できるだけ多くの人が着られることを想定した「フリーサイズ」があります。この「フリーサイズ」はユニバーサルデザインの発想に近いかもしれません。けれども、もし既製品のサイズが自分の体型に合わず「ぴったりの服が着たい」というニーズがある場合、少し丈をつめたり、サイズ調整をお願いしたりすることもあるでしょう。合理的配慮は、こうした個別のニーズに基づいた調整といえます。 p.51 【意向の尊重】  合理的配慮は、なにより障害者本人の希望に添ったものとなることが大事です(合理的配慮の要素としての「障害者本人の意向尊重」)。  先ほどの例でいえば、本人が「袖を少し短くしてほしい」しか言っていないのに、「こうしたほうがカッコいいはず」と他の部分も勝手に変更してしまうようなもので、これはおかしなことです。同じように、合理的配慮でも、本人の意向に反するような配慮は、たとえ他者からみてよりよいものであっても、基本的には認められないのです。  事例7の学生は、「パソコンノートテイクを利用して、みんなと一緒に授業を受けたい」と思っています。 1対 1で個別指導を受けるほうが学習内容の理解は深まるかもしれませんが、それでは、本人の意向に反してしまいます。このため、基本的には本人の意向に則して、よりよい支援方法を話し合っていくことが大切です。  ただ、1対1の方が、理解が深まる場合もあるかもしれませんし、先生がそのように提案する背景には、パソコンノートテイクに対する懸念などがあるのかもしれませんので、お互いに気持ちを話し合って、納得の上で支援方法を決めましょう。 p.52 4コマ漫画 <1コマ目> ある日、聴覚障害学生の元に一通のメールが。英語の担当教員からだった。 「リーディング、ライティングの講義には参加しなくてよいので、別時間に一対一で・・・」 という内容に、スマホ片手に驚く聴覚障害学生。 <2コマ目> 腕を組んで悩ましい表情の聴覚障害学生。教員と一対一で話す場面と、教室でパソコンノートテイクを受けながら、他受講生と楽しそうに講義を受ける場面を思い浮かべている。 (先生はわざわざ私のために時間をとってくださるみたいだけど、私はみんなと一緒の方がいい・・・) <3コマ目> まだまだ悩む聴覚障害学生。腕を組み思い悩んでいる。 (でも、ことわってもいいのかなぁ~?印象が悪くなるんじゃあ・・・) <4コマ目> 支援室に相談し、支援室の職員と英語の担当教員に意思を伝えることにした聴覚障害学生。担当教員、支援室職員、本人が同席して打ち合わせしている。 筆談で「みんなと一緒に」と本人が筆談で伝え、職員からも笑顔で「彼女としては、みんなと勉強したいと思っています」と伝える。 担当教員ははっとして「まぁ、私ったら勝手に・・・」とつぶやくのだった。 p.53 事例編 事例8 マイクをまわすのは負担になる? <事例>  グループディスカッションのある授業で、発言時にはFM補聴援助システムのマイクを回してほしいと教員に依頼したところ、活発な議論ができなくなるので対応できないと言われました。 【負担が過重でないこと】  障害者差別解消法上、大学が合理的配慮を提供しなければならないのは、「(社会的障壁の除去の)実施に伴う負担が過重でないとき」に限られています(合理的配慮の要素としての「非過重負担」)。 →解説編 p.140 【合理的配慮の提供に伴う負担】  では、「実施に伴う負担」とは何でしょう。  一つは、経済的な負担です。合理的配慮の提供には、多くの場合、費用がかかります。手話通訳やパソコンノートテイク、手書きノートテイクをつければ、通訳者等に報酬を支払わなければなりません。音声認識ソフトなどの機器を導入すれば、その購入や管理の費用が必要です。大学の規模によっては、その負担が重すぎることもあるでしょうし、たとえ大きな規模の大学であったとしても、予算のすべてを障害のある学生のために費やすわけにはいきません。合理的配慮の提供は大学の義務ですので、その費用は大学が負担するべきものですが、あまりにも高額な場合は過重な負担になる可能性があります。  二つめは、物理的または技術的な実現可能性です。たとえば、英語でディスカッションを行う授業にパソコンノートテイクをつけてほしいと要望があった場合、ノートテイカーには、かなり高い英語能力が求められます。大学によっては留学生や外国語学部の学生に依頼してこのような支援を行っている例もありますが、 p.54 そのような人材が簡単には見つけられない大学もあります。  三つ目として、事業への影響を考える必要があります。例えば、授業の目的達成を損なうような大換え措置は、合理的配慮として認められません。他の学生や教員に具体的な危険性や大きな不利益をもたらすことが明らかな配慮も、合理的配慮といえないでしょう。このように、配慮の提供によって事業の目的・内容・機能が損なわれる場合は、事業への(マイナスの)影響の程度が著しいため、過重な負担にあたります。  なお、本誌は、機会の平等(事例4)の解説、本質の変更不可(事例5の解説)、本来的業務付随性(事例6の解説)などを、過重な負担とは別に説明していますが、これらについても過重な負担の一つととらえる考え方もあります。 【マイクを回すと、活発な議論が出来ない】  事例8では、教員が「マイクを回すと、活発な議論が出来なくなる」と話しています。上に述べた三つ目の「過重な負担」にあたる、というわけです。確かに、手を挙げて、あるいは、手さえ挙げずに、すぐに発言できれば、やりとりはテンポ良く進むでしょう。他人の発言が終わるやいなや反論を始める、場合によっては、他人の発言をさえぎって発言するようなことは、挙手をしてマイクを回す方式ではありえません。  しかし、「活発な議論」とは何か、何のために「議論」をするのか考えると、マイクを回す方式が授業の目的・内容・機能を損なわせるとは言えないでしょう。「他人の発言をさえぎって発言する」ことは一見、「活発」かもしれませんが、マナー違反でもあります。議論は、他人を言い負かすために行うものではありません。シンポジウムや大きな会議では、マイクを回して発言するのが一般的ですが、それによって議論の質が低下しないことは明らかです。 p.55 4コマ漫画 <1コマ目> 講義の終わりに、担当教員が「次回からグループディスカッションです」と発言。教室内はざわざわとした雰囲気に。 <2コマ目> 講義終了後、聴覚障害学生は担当教員に筆談で「FMマイクをお願いします」と伝える。 しかし先生は気まずそうに両手をバツにし、「あ!そういうのは、議論のさまたげに」と返答する。 <3コマ目> 落ち込んだ表情で支援室を訪れた聴覚障害学生に、「ん?何かあった?」と訪ねる職員。 <4コマ目> 聴覚障害学生からの相談を受けて、支援室職員が担当教員を訪ねる。職員は明るい表情で「先生、むしろ学生がきちんと考えて発言する効果もありますよ」と説明する。 先生は頭に手を当て面目なさそうな顔で「すいません、思い込みでつい・・・」と答える。 p.56 事例編 事例9 見直してほしいけど・・・!? <事例>  演習にパソコンノートテイクがついています。しかし、ディスカッションが盛り上がると、話者の交代が早くなり、また発言も重なるため、入力が追いつきません。できれば、ゆっくり議論を進めてもらうようみんなにお願いをしたいのですが、すでに資料を事前にもらったりと、協力してもらっているので、これ以上の負担をかけてもいいものか、迷っています。 【合理的配慮の内容の見直し】  事例9では、事例1~8とは異なり、すでに合理的配慮の内容が決まり、提供が始まっています。しかし、現状では、その合理的配慮(パソコンノートテイク)では、演習の授業での社会的障壁が十分に除去できていない、というわけです。  合理的配慮の内容は、適宜、モニタリングして見直す必要があります。多くの場合、合理的配慮の内容を決める時点では、授業が開始していません。ですから、実際に、合理的配慮の提供が行われた後に、その配慮がニーズに合っているか、社会的障壁の除去に適切な方法であるかを点検するのです。 【見直しの理由】  「見直し」の理由はさまざまです。障害の状況が変化する(それに伴い新たなニーズが生じる)こともあるでしょうし、この事例のように、合理的配慮が状況に適していない場合もあります。あるいは、教員の側で、合理的配慮の提供を始めたが、どうも実施に伴う負担が重すぎる(事例8の解説)という場合もあるでしょう。 →事例8 p.53 p.57  学生、教員のいずれの要請にもとづく場合であっても、一方的な主張によって変更するのではなく、建設的対話(事例3の解説)を経て、双方が納得のいく内容に見直すことが必要です。  まずは、実践編のワークシートを使って、今、提供されている合理的配慮について評価してみましょう。どこに不具合があるのか、どうすれば改善されるのかを自分で整理したうえで、話し合いにのぞむとよいでしょう。 →事例3 p.38 →実践編ワーク3-2 p.96 画像:資料を目の前に、内容がわからずにはてなマークがたくさん浮かぶ聴覚障害学生。 p.58 4コマ漫画 <1コマ目> ディスカッション場面。「○○だからですよー」という他学生の意見に対して、「あ!はい!」と挙手する別の学生。 <2コマ目> その学生がマイクを持ち「○○ですが、□□が△△なので、やはり××ではないのですか?」と発言する。それに対しすぐさま「はい!それは!・・・」と発言が続く。 <3コマ目> 聴覚障害学生は、パソコンノートテイクと周りの様子を見比べて、(へ?今○○君がしゃべって・・・あれ?)と混乱している。 パソコンノートテイクをする支援学生は、焦った表情で入力しながら、心の中で(追いつかなくてすいません・・・)と思っている。 <4コマ目> この状況に聴覚障害学生は(「ゆっくりしゃべってもらう」とか、これ以上、お願いしてもいいのかな~?)と腕を組んで悩んでいる。