手技療法により負荷される機械的伸展刺激が体細胞に与える影響の解明─ 手技療法エビデンスの細胞生物学的探求 加藤一夫 筑波技術大学 保健科学部 保健学科 鍼灸学専攻 キーワード:伸展刺激,ストレスファーバー,接着斑,手技療法 1.はじめに 細胞が受ける機械刺激的には伸展力,圧力,摩擦力などが挙げられる。手技療法(指圧・マッサージ)により外界から与えられた機械的な刺激は,皮膚や筋肉に伝えられ,その刺激が細胞内のタンパク質の変化や活性化を起こすと考えられるがその詳細はほとんど解明されていない。あらゆる細胞は機械的な刺激を与えられると何らかの応答を示すことが知られている。例えば,音を感じる内耳の有毛細胞や,血管の内皮細胞は,それぞれ音や,血流刺激に応答し,細胞の形を変えることが知られている。また,筋肉繊維を構成する筋紡錘も機械刺激に対する応答を起こし,細胞の形の変化や収縮を引き起こすことが知られている。しかしながら,手技療法において皮膚や,筋肉に刺激を与えた時の細胞レベルの応答や,細胞の形態変化に関してはほとんど研究されていない。本研究は,手技療法における細胞の応答を細胞学生物学的に解析することにより,手技療法の機械的刺激が,細胞に与える分子生物学的影響を明らかにし,手技療法が体細胞に与えるエビデンスを明らかにすることを目的とした。 2.方法 本研究では手技療法でマッサージ刺激を受けるであろうと考えられる培養系の線維芽細胞 (マウスNIH 3T3),筋原線維細胞(ラット骨格筋myoblast;L6株),血管内皮細胞(ウシ血管内皮細胞)および平滑筋細胞(ラット平滑筋細胞;P53LMACO1)を用いて周期的なストレッチ(stretch)(以下,伸展刺激とする) を与えることにより,細胞の形態変化,細胞内の細胞骨格系タンパク質の活性化の状態を解析した。伸展刺激に伴う形態と機能活性の変化を解析するため,汎用細胞伸展装置(STB.140; ストレックス株式会社製)を使用して持続的な進展刺激を負荷した。伸展装置を用いて,細胞を一定時間(30分から2時間程度)周期的 に伸展することにより細胞の形態変化,発現タンパク質の変化を経時的に調べた。また,接着斑の構造の変化と構成タンパク質のチロシンリン酸化の変化を蛍光顕微鏡法を用いて解析した。接着斑を構成するタンパク質の多くはチロシンリン酸化を受け,そのチロシンリン酸化のレベルによって機能が活性化することが知られているので,特にチロシンリン酸化タンパク質の活性化に着目し研究を進めていく。チロシンリン酸化のレベルは,伸展刺激を与えた細胞をチロシンリン酸化タンパク質を認識する抗体を用いて蛍光顕微鏡法で観察を行った。抗チロシンリン酸化タンパク質抗体 (PY-20; BD Transduction Laboratories, NJ)で蛍光抗体法により染色し,細胞の初期の伸展,極性形成時のタンパク質のリン酸化タンパク質の局在を観察した。 ストレスファイバーの可視化にはFITC-labeled phalloidin (Cytoskeleton, Denver, CO)を用いた。観察には,通常の蛍光顕微鏡 (IX-70 Inverted epi-fluorescent microscopy; Olympus,Tokyo) を使用した。 3.結果と考察 線維芽細胞( マウスNIH 3T3),筋原線維細胞(ラット骨格筋の myoblast;L6株),血管内皮細胞(ウシ血管内皮細胞)および平滑筋細胞(ラット平滑筋細胞;P53LMACO1)に周期的な進展刺激(8%の伸展率で,1分間に30回)を30分,1時間,3時間,6時間にわたって周期的に負荷した。その結果,線維芽細胞に周期的な伸展刺激を与えると3時間程度で細胞内のストレスファイバーの若干の増大が認められたが,細胞の形態の大きな変化は認められなかった。また,線維芽細胞の接着斑の分布はコントロールの細胞とほとんど変わらなかった。血管内皮細胞,平滑筋細胞では,伸展刺激を与える前と後で,大きな細胞の変化は認められなかった。しかしながら興味深いことに,筋原線維細胞に 周期的な伸展刺激を与えると,30分程度後から細胞の形態が丸くなり始め,2時間程度でほぼ円形を示すようになった。その際,チロシンリン酸化タンパク質は,円形になった基底面にまばらに局在するようになった(図版1参照)。また,チロシンリン酸化タンパク質の染色強度は,コントロールの細胞で観察された接着斑での染色性に比べて低下しているのが観察された。 4.まとめ 手技療法による体への刺激が,我々の体の細胞へと影響を与え,有効な効果を与えることは広く知られているが体への刺激がどのように細胞に伝えられ,また,細胞を調節し,効果を生み出すのかはほとんど明らかになっていない。 特に,手技療法の刺激は体の広い範囲にわたって施術が行われるため,細胞のうち何が最も効果を受け,また,細胞がどのように応答するのかは全く分かっていなかった。本研究により,様々な培養系細胞のうち,筋原線維細胞が進展刺激に対して著しい応答を示し,形態的な変化を30分程度で引き起こすことがわかった。また,その際,チロシンリン酸化タンパク質の活性が接着斑で低下することが明らかになった。本研究は,平成28年度 筑波技術大学 教育研究等高度化推進事業(競争的教育研究プロジェクトA) 研究費により行われた。 図1 伸展刺激負荷後の筋原線維細胞の形態変化F-actinを染色する FITCファロイジン(a, c, e)とanti-PY20(b, d, f) による2重染色像を示す。筋原繊維細胞は通常は,紡錘状に細長く伸展し,細胞内には長軸方向にそって,よく発達したストレスファイバーが観察される(a)。基底部との接着面には接着斑がストレスファイバーの末端に局在し,チロシンリン酸化タンパク質が局在している( b)。伸展刺激を負荷後,1時間でストレスファイバーは消失し,細胞体が円形に変化する( c)。その際,チロシンリン酸化タンパク質は基底面にまばらに局在するようになる( d)。伸展刺激を負荷後,6時間後においてもストレスファイバーは消失し,細胞体が円形に変化する( e)。その際,チロシンリン酸化タンパク質も同様に基底面にまばらに局在するようになる(f) 。c と e の矢印は伸展方向を示す。 a と b; 伸展負荷なし(Control) c と d; 伸展負荷後1時間 (1hr) e と f; 伸展負荷後6時間 (6hr) スケールは20μm