「視覚は人間の情報入力の80%」説の来し方と行方 加藤 宏 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 要旨:「人の情報入力は視覚から8割と“いわれる”。」,だから,「視覚を失うことはほとんどの情報のない世界に生きることになる」は妥当か。これらフレーズの出どころをたどろうとすると引用元が明記されていない場合が多い。広く語られることの多いこの視覚優位について,この言説の出処と科学的根拠をたどってみた。さらに,人口に膾炙したこの言葉がなぜその根拠についてあまり疑問にも付されず繰り返し引用され再生されてきたのか,そして,人間への情報入力の問題をどのように考えるべきなのかを考察する。 キーワード:視覚優位,五感,情報量 1.はじめに 「人が得る情報の八割から九割は視覚に由来する」「感,覚にはヒエラルキーがあり,五つのうちもっとも『優れた』感覚は視覚」,という感覚における視覚優位の言説は視覚障害について紹介した一般書ではよく見かけるフレーズとなっている[1]。視覚障害者心理について書かれた代表的テキストにも,「われわれの生活のなかで90%近くが視覚に依存すると“いわれている”(引用符は引用者による)」[2]という記述が見られる。教科書にも書かれているフレーズなので,視覚障害者の特質等について書かれた学生のレポートにも頻出する冒頭の決め台詞ともなっている。しかし,不思議なことに,この「視覚8割超説」には,先の一般書をはじめ教科書にも具体的数値の根拠となる元の論文が示されている例をほとんどみない。科学的根拠に基づき記述されるべき教科書や専門書にも出典が明示されない記述が繰り返されているということ自体,異例ともいえる。出典がわからないまま流通されるお決まりのフレーズへの「違和感」と「抵抗」を示すかのように,この説の出典の問い合わせをまとめたQ&Aのサイトが,全国の公共図書館連合で運営する「レファレンス協同データベース」に存在する[3]。本論では,視覚8割超説の語られ方の諸相と具体的数値の根拠について考察する。 2.「視覚8割の語られ方」 「視覚8割説」は,広く取り上げられる割に,具体的数値算出の根拠を示した引用文献が示されないまま,その言説が広く流通している例の典型である。同様な例には,「人は脳の10%しか使用していない」という言説があるが,こちらは,「神話」であり,科学的根拠はないという注釈とセットに語られることも多いので,影響力はより小さいと考えられる[4]。視覚承応優位説は,基本的な文献が単純に視覚8割超説と言っても,実はその数値や表現は微妙に異なる。以下にその代表的バージョンを示す。 2.1 「8割説」の基本文献先のレファレンス協同データベースに依れば,視覚8割超説の出処は2つの文献にたどり着くとされる。もっとも代表的な文献が1972年出版の「産業教育機器システム便覧」[5]である。もう一方の出典元は「屋内照明,のガイド」(1978出版)[6]である。いずれも1970年代の出版で,視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の感覚の五感ごとにその全感覚入力に占める比率がパーセントで示されている。しかも,2出典で感覚ごとの比率の数値は異なり,2点とも数値の元となった文献は示されていない(表1)。「産業教育機器システム便覧」では視覚は感覚入力の83%を占めるとされるが,この文献の目的は教育方法としての視覚情報の優位性と視覚映像提示機器の有効性を示すために他の感覚と比較することが目的となっている。教育方法が目的なので,講義や体験的学習の違いにも触れられている。今日でいえば単なる座学では修得の効果は薄く,種々の感覚情報チャネル活用したアクティブ・ラーニングこそ取り入れられるべき教育法であると述べているにとどまる。一方「屋内照明,のガイド」では「人間の5官の情報能力」として,感覚により情報摂取能力には差があり,視覚が最も大切な感覚(87%)であり,視覚に直接関係するものが照明であり,「良い照明」こそが,仕事や生活において重要であると語られる。しかし,それ以上に各感覚特性の違いについて触れられることはない。 2.2 神経生理学の教科書と元となった文献次に神経生理学の教科書や文献では視覚優位はどのように扱われているかを見てみる。感覚ごとの入力情報量の比較にはっきりと言及しているものには,シュミット(1980)の「感覚生理学」[7],グリフィスの「数理神経生物学」[8],塚原仲晃(1984)「脳の情報処理」[9]がある。ここでは,五感全ての入力情報への言及はなく,感覚ごとの相対的情報入力量としてパーセント値まで表示していないものも含まれる。その他,情報入力量の数値は示されていないが,感覚モダリティごとの情報の特質に詳しく言及している教科書には樋渡涓二(1976),「感覚と工学」[10]がある。塚原の教科書でと樋渡の教科書では,同じ著者の本でページによって数値が異なっている場合すらある(表1)。これら,代表的教科書の数値はシュミットのZimmermannの章の表からの孫引きであることが分かる。教科書以外の文献としては,山田(1986)が日本語で読める基本文献として引用される[11]。感覚ごとの相対的情報量の具体的な数値が挙げられている場合は,ほとんど山田を根拠にしている。しかし,山田の論文は学会誌ではなく研究所の報告書に含まれた論文で,図表を除くと1ページほどの概説である。山田の論文では,各感覚に関与する神経経路や関与する神経細胞数などが比較検討されているが,最終的な感覚ごとの通信容量については,先のシュミットの教科書のZimmermannに依拠している。視覚80%超説をたどるとたった一つの文献にたどり着くことが分かった。Schmidtの「感覚生理学」に引用されているZimmermannの1978年の論文である[12,13]。そして,日本語で書かれた神経生理学分野での解説等で引用文献が示されている場合は,ほとんど山田の論文からの孫引きとなっていた[14,15]。 2.3 引用される場合の問題点視覚情報8割説の代表的な引用のされ方の例では,“五感による観察のうち視覚は83% を占めており(ここに引用文献番号),視覚は観察において欠かせない重要な感覚であるといえる.”[16]とあり,ここでは看護師の病室見回り時の観察行動における視覚活用と経験年数との関係を「見落とし」,「見過ごし」,「先入観」の観点から分析している。視覚情報の「見落とし」指標には眼球運動が用いられている。この実験はモニターに映し出された模擬患者の画像を見せられた場合の看護師の視線を記録しているので,病室見回り行動における聴覚等の他の感覚情報の関与は検討されていない。他の例では,一般に視覚優位と考えられているが,触覚のような感覚こそ注目されるべきではないかという反語的文脈で言及される例である[17,18,19]。 3.算出の根拠 問題となるのは,数値算出の根拠である。これについては,グリフィス[8]やZimmermanの論文あるいは,これを解説した論文に頼るしかない。その概略はこうだ。まず,感覚ごとの感覚受容器の数,次に受容器の反応を信号として脳に伝える求心繊維の数,神経細胞の平均放電頻度が求められ,これを乗じて感覚ごとの脳への毎秒あたりの総入力情報量が求められる。人の視覚の場合は,感覚細胞の1秒当たりの平均発火頻度を実験から35.5と推定すると,人では220ビット/秒/細胞の発火が2×10の6乗の軸索を通して,全視覚路について4.4×10の8乗の入力が脳に入ることになる。ただし,平均発火頻度の推定値の変動を考慮すると10の8乗から10の9乗ビットと評価するのが妥当としている[8,p.106:20,p.861]。この推定を感覚ごとに行い,5官の合計を求め,感覚モダリティごとに相対評価した値が視覚については80%や90%を占めているということになる。 4.残された問題 シュミットでは,感覚ごとの相対情報容量だけではなく,精神物理的通信容量の推定値も求められている。こちらは,視覚については読速度,聴覚に関しては言語理解に関する心理学的課題のパフォーマンスから推定された[22,23]。この場合,視覚は40ビット/秒で聴覚は30ビット/秒と算出されている。これらの値には100万倍ほどの差があり「感,覚器官が伝える情報の100万分の1だけが意識に現れる」と表現されている[24]。そして,この差は知覚作用と統覚作用(心的な内容を明瞭に意識する作用)の差を表すものとして説明されている。また,別の推定では人間が一時に処理できる情報の限界を7ビットとし,さらに一組のビットを他の組から区別する最短時間を1/18秒として,1秒間に人は最大126ビットの情報を処理できるので,他者の話を理解するのには毎秒40ビットの情報を処理する必要があるので,人は同時に3人までの話を理解できるとされている[25]。いずれの例もたとえ100万ビットから1000万ビットの情報が毎秒脳に流れ込んでいたとしても人はその数万分の1のたかだか100ビットの情報しか意識できない。これは,ほとんどの情報が脳で処理されていたとしても,それは無意識の世界の中での話ということを意味する。逆にいれば,ここに心理学において無意識の世界を考えることの意義が生じているともいえる。 5.今後の展望 視覚8割説をたどると40年近くの以前の神経生理学の教科書にたどり着くことは分かった。しかし,この文献が訂正されることもなく,その後も引用され続けていることは,視覚優位説そのものには,その後のあまり大きな収穫はないと考えられる。そして,たとえ視覚が情報入力の8割以上を占めたとしても,その情報のうち我々の意識に上るのは,その100万分の1というのが,むしろその後加わった主な知見と言える。ここでは,視覚の圧倒的な入力情報量という優位性は後退し,感覚情報を活用するとは,人が意識に上すことができる情報としてどの情報源を瞬間瞬間に選び取るかという問題に変換されているとも考えられる。事実,最近の感覚研究は,五感の全てを活用し融合しながら,いかにリアリティを現出させるかというバーチャル・リアリティやコミュニケーション研究のための感覚センサーや感覚デバイスといった研究方向での成果が著しい[26]。もうひとつの流れは,意識に上らない,いわば失われた情報の脳内での行方に関する研究がある。京コンピュータで有名な理化学研究所は,「京」の力をフルに生かして10兆個の神経回路のシミュレーションに成功した[27]。発表によれば,シミュレーションは小型霊長類の全脳に匹敵すると言われているが,これは人の脳の回路の1%にしか相当しない。しかも,人の脳の1%が1秒で処理している情報を「京」は,40分かけて計算し,世界記録となった。意識に上る感覚の世界では視覚は圧倒的に優位とは言っても,意識に上らない世界では,どの感覚情報が生存のための情報として活用されているかなどは,まだ全くの未知の問題なのである。 6.まとめ 「視覚8割」については,それなりに科学的根拠があるはずと考えていた。ただし,視覚は本当に8割を占めるのか,なぜ他の感覚は数%に過ぎないのか。そもそもモダリティの異なる感覚をひとつの次元で比較できるのかと考え,筆者自身は,このフレーズを授業等で語ったことはなかった。しかし,ある時卒業生から社会人大学院生として論文をまとめているが,「視覚8割超説に論文の中で言及したいのだが,元論文が分からないので教えて欲しい」という電話を受けた。つまり,視覚障害者教育の文脈の中では,当然のごとく語られるこのフレーズは疑問を抱かれながらも再生産されてきたということであろう。結局,その卒業生は文献が分からないので,論文の中での言及は取り消した。今回,「視覚8割」説をたどり,「8割」の科学的根拠が判明した訳ではないが,出処として引用すべき文献だけは示せたことを卒業生に伝えたい。 参照文献 [1] 伊藤 亜紗.「目の見えない人は世界をどう見ているのか」,光文社,2015. [2] 石田久之,視覚障害の心理的影響,佐藤泰正編著,「視覚障害心理学」,学芸図書,1988. [3] レファレンス協同データベース,レファレンス事例詳細,埼玉県立久喜図書館提供,http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000181979. (平成29年8月2日取得) [4] Scott, O., Lilienfeld, D., Lynn, S.J., Rushio, J. & Beyerstein, B.L.: The top ten myths of popular psychology.:https://ruscio.pages.tcnj.edu/files/2016/08/Lilienfeld-et-al-2010-S-Top-Ten-Myths.pdf, (平成29年8月10日取得) [5] 教育機器編集委員会 委員長石川淳二編 : 「産業教育機器システム便覧」,第1版,日科技連出版社,4,1972. [6] 社団法人照明学会編「屋内照明,のガイド」,電気書院,1978. [7] Schmidt, R.F(Ed): Fundamentals of Sensory Physiology, Springer-Verlag, New York, 1978, 岩村吉晃(他訳),Schmidt編「感覚生理学」,金芳堂,1980. [8] Griffith, J.S.: Mathematical Neurobiology, Academic Press, London, 1971, 塚原仲晃・佐藤敏輔(訳),グリフィス「数理神経生物学」,産業図書,1973. [9] 塚原仲晃(編)「脳の情報処理」,朝倉書店,1984. [10] 樋渡涓二,「感覚と工学」,共立出版,1976. [11] 山田雅弘,各感覚における神経情報処理の共通点・相違点,電子技術総合研究所調査報告,215,18-25.1986. [12] Zimmermann, M.: Neurophysiology of Nociception. In: International Review of Physiology, Neurophysiology U. Poter, R.(ed.) 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[27] 理化学研究所,「京(けい)」を使い10兆個の結合の神経回路のシミュレーションに成功−世界最大の脳神経シミュレーション−,http://www.riken.jp/pr/topics/2013/20130802_2/(平成,29年8月14日取得) 表1 五感の相対的情報量研究例 Origin and Future of the Theory that Humans Have Obtained80% of Information Input from Vision KATOH Hiroshi Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Disabled,National University Corporation, Tsukuba University of Technology Abstract: It is said that 80% of people’s information input is from vision. So, is vision lost from living in a world with little information? When trying to trace the source of these theories, the original sources are not specified in many cases. I have followed the origins of this discourse and the scientific basis for this visual advantage, which is widely advocated. In this study, I examine why these ideas that have become familiar to the population have been repeatedly cited and reproduced without much doubt about their origins; then, I discuss considerations regarding the problem of information input received by humans. Keywords: Visual dominance, Five senses, Information content