日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク「新たな時代のニーズに対応したモデル事例構築事業」の取り組み 萩原彩子1),中島亜紀子1),白澤麻弓1),石野麻衣子1),平良悟子1),磯田恭子1),吉田未来1),三好茂樹1),河野純大2) 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 障害者支援研究部1)筑波技術大学 産業技術学部 産業情報学科2) 要旨:筑波技術大学に事務局を置く日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(以下,PEPNet-Japan)は,聴覚障害学生支援に積極的に取り組んでいる全国の高等教育機関(以下,大学等)および関係諸機関間のネットワークであり,2017年8月現在23の連携大学・機関で構成されている。PEPNet-Japanでは,2013年度から新たな課題に対して先進的な実践事例を生み出すため「新たな時代のニーズに対応したモデル事例構築事業」を実施してきた。事業では2017年度までに3つのテーマを取り上げ,情報保障者の主体性醸成に向けた研修会の開催や聴覚障害学生の意思表明を促す関わりについての丁寧なインタビュー調査等,聴覚障害学生支援の新たなモデル事例の創出とその成果の発信に取り組んできた。 キーワード:聴覚障害学生,障害学生支援,モデル事例創出 1.はじめに 2004年10月に,本学の呼びかけで結成された日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(以下,PEPNet-Japan:ペップネットジャパン)[1]は,聴覚障害学生支援に積極的に取り組んでいる全国の高等教育機関(以下,大学等)および関係諸機関間のネットワークとして,2015年8月現在,本学を含む23の連携大学・機関によって構成されている。設立当初より本学に事務局が置かれ,現在は本学「聴覚障害学生支援・大学間コラボレーションスキーム構築事業」の一部として運営している。現在は,障害者差別解消法の後押しもあって障害学生支援の体制を構築する大学等が徐々に増え,聴覚障害学生を取り巻く環境は向上しつつある。しかし,障害学生支援のすそ野が広がると同時に,新たな課題も顕在化してきた。PEPNet-Japanは,長きに渡り聴覚障害学生の高等教育支援に必要な教材の開発および知識・技術の蓄積・普及に努めてきたが,従来行われてきた支援方法では十分な対応ができない場面での支援方法の確立や,法律に則った全学的な支援組織作り,支援担当教職員の専門性の向上なども,より充実した支援のために取り組むべき課題であろう。そこでPEPNet-Japanは,2013年度からこうした新たな課題に対して,複数の大学・機関がともに先進的な実践事 例を生み出していく「新たな時代のニーズに対応したモデル事例構築事業」に取り組み,その成果を広く発信してきた。以下に本事業としてこれまで取り組んだテーマとその概要を記す。 表1 採択されたテーマおよび主幹校・機関 2.事業テーマ 本事業の開始当初は,今まさに解決策が求められている問題について多くの大学等にとって有益な成果を発信していくため,事業テーマをPEPNet-Japanの連携大学・機関からの応募制とし,その中から連携大学・機関関係者の投票によって決定する方法をとってきた(2013〜2014年度および2016年度)。また,応募者がそのテーマの主幹を担うこととした(その後,2017年度以降のテーマについてはPEPNet-Japan運営委員会で協議を行って決定する形に変更された)。表1にこれまで採択されたテーマおよび主幹校・機関を記す。 3.各テーマの成果 採択されたテーマのうち,2016年度までに実施した2テーマについて以下に報告する。 3.1 2013〜2014年度「情報保障者における主体性の醸成を目指したマネジメント」2013〜2014年度はみやぎDSCが主幹機関となって,2年間にわたって表記テーマで取り組んだ。 3.1.1 テーマの背景聴覚障害学生への情報保障は,支援学生の他,地域の手話通訳者・要約筆記者(以下,地域通訳者)が主な担い手となっている。本テーマは,支援学生および地域通訳者といった従来の情報保障者の確保に関する実践事例を整理するとともに,情報保障者の主体性の醸成に向けたモデル事例を実践的に検討・集積することで,情報保障者活動の全国的水準の向上につなげていくことを目的として実施した。 3.1.2 活動内容本テーマの実施にあたっては,支援学生と地域通訳者がそれぞれ異なる課題を抱えながら支援活動を行っていることを鑑み,2つのWGを立ち上げてそれぞれの課題解決ならびに事例収集に取り組んだ(表2)。なお,活動成果の詳細は[2]および[3]を参照されたい。 表2 各WGの活動内容 「支援学生を対象とした合同企画WG」では支援学生がより主体的に支援に関われるようになることを目的とした研修プログラムの検討を行い,その成果をもとにモデル研修会を実施した(5大学より10名が参加)。また,「地域通訳に関する理解・啓発WG」では地域通訳の利用に関する実態調査を実施し,その結果をもとに大学教職員を対象としたハンドブックを作成した。 図1 冊子(左)「学生同士がつながる支援コミュニティ作り」,(右)「大学教職員のための地域通訳依頼ハンドブック」 3.1.3 事業メンバー本テーマ実施にあたり協力いただいた事業委員は表3の通りである。主幹機関であるみやぎDSC4名の他,2大学・1機関から7名の協力を得て実施した。 表3 事業委員(2013〜2014年度) 3.2 2016年度「聴覚障害学生の意思表明支援―支援担当教職員の役割を中心に―」2016年度は関東聴覚障害学生サポートセンターを主幹機関とし,表記テーマに取り組んだ。3.2.1 テーマの背景障害学生への支援の提供においては,障害学生からの意思表明に基づいて合理性が判断され,関係者の合意の下で実施されるが,聴覚障害学生の場合,大学入学以前に支援の乏しい環境で過ごすことが多いため,自らの支援ニーズに無自覚であることが多く,本人からの意思表明をうながす支援が必要となる。しかしながら,大半の支援環境においては,聴覚障害学生の意思表明プロセスにともなう支援が十分ではなく,本人のニーズに即した支援に至らないことが課題とされている。そこで,聴覚障害学生の意思表明支援における支援担当教職員の役割を確認することを目的として,本テーマに取り組んだ。3.2.2 活動内容本テーマでは支援担当教職員を対象としたインタビュー調査の他,以下の活動(表4)を通して聴覚障害学生への意思表明支援のあり方を模索した。なお,活動成果の詳細は[6]および[7],[8],[9]を参照されたい。 表4 活動内容 活動内容 支援担当教職員を対象としたインタビュー調査 ワークショップの開催 冊子の作成「聴覚障害学生の意思表明支援のために」(図2,[10]) まず,聴覚障害学生を積極的に受け入れ支援を実施している6校の大学の教職員を対象としたインタビュー調査を実施し,意思表明支援のきっかけや促し方などを明らかにした。また,ワークショップは高等教育機関において障害学生支援を担当している教職員を対象とし,全国各地から計41名(スタッフ等含む)の参加があった。大阪国際大学の木村真人先生による基調講演「大学生の援助要請行動のプロセスから考える障害学生支援」の他,グループディスカッションを行い,聴覚障害学生が意思表明に至るまでの背景等を感じてもらうことができた。最後に,本テーマの成果をまとめた冊子では,聴覚障害学生の意思表明をどのように促しかつ支えるべきか,支援担当教職員へのインタビューを通じて収集されたさまざまな取り組みや関わりの事例をふんだんに盛り込むとともに,聴覚障害学生が抱える多様な背景についても丁寧に解説している。 図2 冊子「聴覚障害学生の意思表明支援のために」 3.2.3 事業委員本テーマ実施にあたり協力いただいた事業委員は表5の通り。主幹機関である関東聴覚障害学生サポートセンター4名の他,4大学から4名に協力を得て実施した。 表5 事業委員(2016年度) 所属氏名 (○は代表,代表以下五十音順,肩書きは当時) 関東聴覚障害学生サポートセンター ○吉川あゆみ 関東聴覚障害学生サポートセンター 甲斐 更紗 関東聴覚障害学生サポートセンター 有海 順子 関東聴覚障害学生サポートセンター 益子 徹 宮城教育大学 松ア 丈 立命館大学 木谷 恵 大阪教育大学 池谷 航介 愛媛大学太田 琢磨 4.まとめと今後の課題 2016年度4月に障害者差別解消法が施行され,我が国の聴覚障害学生支援は大きな転機を迎えた。しかしながら,大学等からの支援が十分に得られず,思う存分学べる環境にない聴覚障害学生が日々もがき苦しみながら大学生活を送っている現状が残念ながらまだ残されている。また,法律の施行に伴う新たな課題はまだこれから明らかになってくるだろう。PEPNet-Japanは2018年度から,より多くの大学・機関と連携できるよう,新体制になる予定である。新体制でのより強固な全国ネットワークのもと,本事業では聴覚障害学生支援のホットトピックを取り上げ,モデル事例の創出に取り組んでいきたい。そして多くの大学等に広く成果を発信することで,全国の大学等に貢献していきたいと考えている。最後に,本事業にご協力いただいた事業委員の皆様,ならびに申請してくださった連携大学・機関の皆様,インタビューや研修会等にご協力くださった方々に厚く感謝申し上げたい。また,研修会や事業会議で毎回非常に質の高い情報保障を行って下さった文字通訳,手話通訳の方々にも深く御礼申し上げる。 参照文献 [1] 日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク.日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワークホームページ. ( cited 2017-8-10) ,http://www.pepnet-j.org/ [2] 五十嵐依子,萩原彩子,松崎丈,他.地域通訳依頼における大学教職員の関わり方に関する検討.日本特殊教育学会第53回大会発表論文集;2015.P22-23 [3] 松崎丈,前原明日香,佐藤晴菜,他.支援学生における情報保障活動の動機及び継続に関する研究.日本特殊教育学会第53回大会発表論文集;2015.P22-22 [4] 松崎丈,佐藤春菜,前原明日香,他.学生同士がつながる支援コミュニティづくり―支援学生の「主体性」を引き出すマネジメント―,第1版.国立大学法人筑波技術大学(茨城県つくば市),2015. [5] 松崎丈監修.大学教職員のための地域通訳依頼ハンドブック−よりよい連携を目指して−,第1版.国立大学法人筑波技術大学(茨城県つくば市),2015. [6] 有海順子,甲斐更紗,吉川あゆみ,他.聴覚障害学生の意思表明を促す支援担当教職員の働きかけ―支援担当教職員へのインタビュー調査から―. 日本特殊教育学会第55回大会発表論文集;2017.P1-28 [7] 益子徹,有海順子,甲斐更紗,他.大学における聴覚障害学生の意思表明支援.日本特殊教育学会第55回大会発表論文集;2017.P6-2 [8] 甲斐更紗,白澤麻弓,吉川あゆみ.聴覚障害学生の意思表明支援.支援担当教職員の役割とは..日本特殊教育学会第55回大会発表論文集;2017.自主シンポジウム4-1 [9] 吉川あゆみ,甲斐更紗,有海順子,他.聴覚障害学生の意思表明を促す支援者の役割とその支援プロセスの検討−大学の支援担当教職員に対するインタビュー調査分析を通して−日本社会福祉学会第65回秋季大会抄録集;2017.P329-330 [10] 吉川あゆみ,有海順子,甲斐更紗,他.聴覚障害学生の意思表明支援のために―合理的配慮につなげる支援のあり方―.国立大学法人筑波技術大学(茨城県つくば市),2017. Project Report of PEPNet-Japan.Creating Model Cases for Supporting Deaf and Hard of Hearing Students. HAGIWARA Ayako1), NAKAJIMA Akiko1), SHIRASAWA Mayumi1), ISHINO Maiko1), TAIRA Satoko1), ISODA Kyoko1), YOSHIDA Miku1), MIYOSHI Shigeki1), KAWANO Sumihiro2)1) Division of Research on Support for the Hearing and Visually Impaired,Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Impaired, Tsukuba University of Technology 2)Department of Industrial Information, Faculty of Industrial Technology,Tsukuba University of Technology Abstract: The Postsecondary Education Programs Network of Japan (PEPNet-Japan) is the collaborative network among 23 pioneer universities that supports deaf and hard of hearing students (2017/08). PEPNet-Japan provides many materials and training seminars about supporting these students. In this report, we focus on describing outcomes of the project in which we created model cases for supporting students who are deaf and hard of hearing. Keywords: Deaf and hard of hearing, Disability support services, Creating model cases