海外研修プログラムの理念と視覚障害支援:中国研修報告1 佐々木健,周防佐知江 筑波技術大学 保健科学部 保健学科 鍼灸学専攻 要旨:2017(平成29)年3月,鍼灸学専攻の学生5名と教員2名は中華人民共和国(以下,中国)で海外研修を行った。今回の海外研修プログラム作成にあたっては,ユネスコ憲章の理念を参考にして文化理解を重要な学習目的に設定した。特に異文化理解を重視した。異文化に対する偏見や誤った情報は,正しい理解を妨げるものである。そこで,中国訪問前に,中国に関する正しい知識を得ることを目的として事前学習を実施した。一方,移動と情報の障害は,出会いと交流を妨げるものである。実際に,中国での活動は移動支援と情報支援が重要であった。中国研修を経て,異文化理解が個人との偏見のない出会いの先に形成されるものであることに気づかされた。異文化理解教育と共に人間理解教育の必要性を認識した。 キーワード:異文化理解,ユネスコ,中国,事前学習,視覚障害 1.はじめに 平成28年度,鍼灸学専攻の学生5名は中華人民共和国(以下,中国)で海外研修を行った。本稿ではこの研修の事前学習と学生の障害支援について報告する。科目名称は「異文化コミュニケーションK・L」である。中国研修として12月から参加者募集を開始し,翌年3月に実施した。訪問先の長春大学とは大学間交流協定を締結しており,このような短期海外研修を相互に受け入れている。最近では平成27年度に長春大学の学生2名を受け入れた。ここ数年の本学鍼灸学専攻と中国との交流は,大学間交流協定校である北京連合大学とも行っている。平成28年度に北京連合大学教員3名の視察,平成29年度に同学学生3名の研修を受け入れた。 2.実施の概要 2.1 期間平成29年(2017)年3月14日〜3月24日(10泊11日) 長春市 3月14日〜3月22日上海市 3月22日〜3月24日 2.2 計画立案の学内組織国際交流委員会,保健学科鍼灸学専攻 2.3 受け入れ校長春大学特殊教育学院 2.4 訪問都市と主な見学施設中国の2都市を訪問し6施設を見学した。@AEについてはあん摩実習を含む。 @長春大学,A長春中医薬大学病院,B偽満州皇宮,C徳苑(以上,長春市)。D上海中医薬博物館,E感智盲人保健会所(以上,上海市)。 2.5 助成および奨学金学生1名は筑波技術大学基金の助成を,学生4名は独立行政法人日本学生支援機構(JASSO)の奨学金(海外留学支援制度・協定派遣)を活用した。この奨学金を活用するためには前提としてJASSOが定めた成績要件が満たされていなければならない(前年度の成績評価係数が2.30以上)。 2.6 参加学生と引率者参加学生数5名,引率教員数2名(執筆者)の7名のグループで中国を訪れた。学生5名の所属と性別は以下の通りである。所属:学部3年次1名,学部4年次4名性別:男子4名,女子1名 3.異文化コミュニケーションの学習計画 3.1 異文化理解学習計画を作成するにあたって異文化理解が重要な目標になると考え,ユネスコ憲章[1] [2]の理念を参考にした。ユネスコ憲章は,日本がポツダム宣言を受託し,中国で満州国が消滅した終戦の年1945年に採択されたものである。前文において次の理念が語られている。「戦争は人の心の中で生れるものであるから,人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは,人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり,この疑惑と不信のために,諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。」この理念には戦争を回避し,平和を実現するために自文化と共に異文化・異民族を理解することの願いがこめられている[3]。この理念を踏まえて学習計画を作成した。海外での体験学習のみならず,事前の知識学習,事後のまとめと発表の学習を含めて総合的で連続的な学習になるように考えた。 4.事前学習 4.1 事前学習 4.1.1 中国語の講師による事前学習本学中国語非常勤講師の李立冰先生による事前学習を二回実施した。一回目の事前学習は,簡単な中国語を覚える内容とした。基本的な挨拶,氏名を中国語で発音,自己紹介,役立つ単語,これらの会話や発音について指導を受けた。先生からは中国の「まあまあくうくう(馬馬虎虎)」と言う表現を教えて頂いた。これは中国研修を前にして緊張している私達へのプレゼントであった。この言葉を唱えると,なんか気が楽になるのである。沖縄の「なんくるないさ」と同義語のようで興味深かった。二回目の事前学習は,先生を囲んでフランクに話し合う機会を作りたかったので昼食時に学食に集まって行った。「長春大学の学食でも同じようにテーブルを囲んで食事を楽しんでいるだろう」と話しても,まだイメージが湧かないようだった。話は自然と食文化が中心になった。ある学生は先生に中国の食べ物が口に合うか心配だと相談していた。「選んで食べれば大丈夫。どうしても食べられなかったら向こうの先生に相談しなさい。カップ麺等のいろんな食品もあります」と助言を受け安心したようだった。「中国では食事の時にお湯を飲む習慣があり,食堂には必ずお湯入りポットがあります。生水よりもお湯です」という話も興味深かった。実際に中国のホテルでは,朝食会場に大きなお湯入りポットがあった。学生は「まだ寒い時期でうれしかった」と感想を述べている。中国に関して事前に知る学習は重要であった。中国研修への興味関心を高めると共に,海外渡航への不安を和らげ,研修チームとしての集団の意識を高めた。また,鍼灸学専攻の学生は医食同源という中国医学の概念を知っており,この四字熟語を生み出した食文化への空想をたくましくした事前学習でもあった。 4.1.2 大村善永と満州国研修で訪れる長春市には旧満州国の遺構が多く残っている。中国では偽りの国であったという歴史認識から偽満州国と表記されている。長春大学構内には満州国時代の建物があり現在でも校舎として使われている。今回の研修では偽満州皇宮を訪れる。そこで,満州国の時代に活躍した大村善永[4] [5]という人物に焦点を当てた事前学習を行った。学生と文献[4]の抄読会を企画した。以下に要約した内容を示す。大村善永は満州国時代に満州の盲人福祉に貢献した人物として知られている。大村は幼少期から中学まで満州で育った。17歳の春に日本に戻り旧制高校に入学する。勉学に励んでいたが急性網膜症を発症し全盲になった。その後,紆余曲折を経るが点字と出会い関西学院に入学した。大学を卒業後,横浜訓盲院で教職に就くも,1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発する。横浜訓盲院の大多数の職員が戦争賛成の中,戦争に反対し辞職した。そして,子供時代の思い出の地,満州に渡って視覚障害者の福祉事業に邁進する。満州における業績は,視覚障害者の実態調査,失明予防運動,奉天盲人福祉協会の設立,盲学校(視覚支援学校)の設立(啓明学園),自助団体の設立(盲人団)である。当時,満州にはイギリスの宣教師が設立した女子盲児施設があったが,男児のものはなく,大村は男子盲学校として啓明学園を設立し園長を務めた。開校時の入学者数は5名,3年後に27名の在籍との記録が残っている。教育内容は,国民学校教育課程に準拠し,点字,音楽,園芸,小動物の飼育と共に上級ではあん摩術を教育している。敗戦の色が濃くなる1945年5月には,失明軍人が増えたことにより軍の要請を受けて満州鉄道の休憩所を利用した「奉天失明軍人教育所」を開設した。しかし,戦後,大村は満州を立ち退かなければならず,終戦の翌年(1946年)に日本に引き揚げてきた。満州で大村が行った福祉事業は戦争に翻弄されたといえる。その後の大村は牧師として生きた。 5.学生への視覚障害支援 5.1 学生への移動支援全盲の学生1名は,既知の慣れた場所は白杖を使って単独で歩行できる。学生にとって中国は未知の場所であり慣れる時間的余裕もない。大学構内はもちろん,ホテル内,飲食店,スーパーマーケット(超市)等,引率教員らが提供するガイドヘルプ(sighted guide)を利用した。また,別の弱視の学生1名も,必要に応じてガイドヘルプ(sighted guide)を利用して快適に移動することができた。引率教員は宿泊ホテル到着後すぐに,要望に応じた個室および館内のファミリアリゼーションの時間を設けた。目的は特に研修期間中を通して宿泊室では学生が一人でバス,トイレ,手洗い等を利用でき,快適に動き過ごすことができるようにすることである。長春大学から斡旋を受けた宿泊ホテルは大学へ歩いて行ける距離に位置していた。通学での特に印象的な出来事としては横断歩道の一件が挙げられる。この横断歩道は,研修期間中に何回も渡らなければならなかった。私達は横断歩道を渡る際,歩行者と車は,交通信号に従って進むか止まるかを判断するものと思いこんでいる。しかし,長春大学に通う路に交通信号機はあったが,その指示に従っている人も車も少数であった。現地の人達は平然と車の間をすり抜けて赤信号でもどんどん渡っていく。車は車で青信号でも止まらない。この街では実は日本人の私達の方が危険な存在なのではないかと気づき目が醒めた。我々は明らかに交通信号機に依存している。ここでは歩行者が横断歩道を前にして確かめるべきことは信号ではない。信号の前でその事を深く胸に刻み込まなければならないと焦った。うまく渡れるかどうかはその時の人と車の関係性を即座に見抜くことにかかっている。学生達は「最初,この現実に面食らった」と言う。横断しようとする者は,行きかう人と車の数,混雑度,移動速度などの刻一刻と変化する度合いを見計らって動かなければならない。私達も渡るタイミングを計って車の間を縫うように早歩きで横断した。普段は単独歩行が可能な弱視の学生であっても,ここでは皆で固まって一気呵成に渡った。大概は長春大学の方々に誘導して頂いた。これはたいへんに重要なsighted guideであった。学生全員が「印象に残る異文化体験」だったと感想に述べている。長春では学外学習に伴う施設への移動は,すべて大学側が用意したバスで行った。長春空港からホテル,ホテルから長春空港の移動も大学のバスを利用させて頂いた。上海では民間のレンタルバスをチャーターして移動した。 5.2 学生への情報支援  5.2.1 通訳と音訳点字使用者1名以外の4名の学生は墨字(拡大文字)を使用している。しかし研修中は読むことよりも音声通訳された日本語を聞くことが多かった。こちらからの質問や意見は中国語に音声通訳された。通訳者のお蔭で情報を共有する時間を多く持つことができた。私達が訪問することが決定してから,受け入れ側の長春大学では通訳者として日本語を専攻する学生2名(晴眼者)と,その学生を指導する日本語教員1名の3名の方々が私達のために準備を進めていたと聞いている。講義,実習,学外見学のいずれの学習場面でも,学生は2名,3名の2グループになることを原則として,それぞれに長春大学の学生1名が通訳に入った。学習状況によっては日本語教員の先生が通訳に加わって3グループ体制で学習を進めた。授業内によっては見たものの形や実技での手の動きなどを実況中継の様に言葉にして伝える音訳が必要である。音訳は視覚障害者が利用する情報支援の一つである。同行援護における代読は音訳である。見たままの様子や画面表示の内容を音声にして伝える支援であり,海外研修においては日本にはない初めて見るものが多く重要であると感じた。言語通訳は基本的に音声を音声に訳するものであり,通訳者が音訳まではうまくできないこともあり,適宜,引率教員が音訳に入った。5.2.2 通訳者との交流 長春大学の学生2名はその日の授業や見学先に合わせて前日から事前準備をして臨んでいることが伝わってきた。分からない日本語は私達に質問をすることをためらわなかった。音訳やsighted guideについての質問もあった。その熱心で真摯な姿勢は,彼らの日本語学習者として,かつ通訳者・支援者としての態度と誠意が素晴らしいものであると充分に感じさせるものであり,私達の心を打った。通訳の方々を含む長春大学の方々には長春空港で出迎えて頂いた出会いの時期からいろいろとお世話になった。バスへの荷物の積み下ろし,ホテルでのチェックイン,教室や学外見学施設までの道案内,朝昼晩と共に食事をしながらの会話,買い物や電車の乗り方の案内‥等。これらすべての不安のない潤いのある活動に通訳は必須であった。通訳者である長春大学の学生と本学の学生は同じ大学生ということもあり,両国の学生達はよく一緒にいて冗談も交わし笑いが絶えなかった。本学学生は寄宿舎に招かれたりもした。休日は共に大学の体育館でスポーツを楽しんだりもしたという。短期研修プログラムであるにもかかわらず期待していた以上の成果があり驚きであった。また,長春大学の学生は,風邪をひいて休んでいた本学学生のために食べ物を買ってホテルまで持ってきた。私達は皆,感激した。このような心温まる交流は本学学生の研修をより熱心なものに引き上げたといえる。 6.学生の感想 6.1 報告会の発表から「研修前には漠然としていた中国のイメージが,この研修で経験や出会った人から具体的にイメージできるようになった。」「長春大学の学生や先生からそれぞれの郷里の話を聞く機会があった。食べ物やそれぞれの地域によって食べ物も気性も異なっていた。中国の文化と言っても一括りにできるものではない。考えてみれば日本でも地域によって郷土料理があり県民性に違いがあるし,同じ地域でも家族によって異なっている。文化は実は一人一人,異なっていることに気づいた。」「長春と上海は全く別の都市でした。」6.2 レポートの記述から有意義の極みを堪能し,研修を終え,中国より帰国。まるで別の人生を歩いているかのような11日間を体感。 今回の旅の目的の一つは,異国で育つ人の心を垣間見ること。とても素敵な人たちとの出逢いのおかげで,その目的は十分に達成。偶然産まれ落ちる場所が異なるだけで,男なら男,女なら女,感性や考え方を含め,心はみんな同じものを持っている。研修の間は,中国にいるはずなのに,何故か自分や日本や日本語のことばかりについて省みる日々。遠い国に来ていてさえ。長春やそこで出逢ったみんなのおかげだと思います。(鍼灸学専攻3年 川淵大成) 7.おわりに 今回の海外研修プログラム作成にあたっては,ユネスコ憲章の理念を参考にして異文化理解を重要な学習目的に設定した。ユネスコ憲章が異文化理解に注目する理由は,それが戦争を抑止する有効な道筋であるからである。そして海外研修は異文化理解を図る有効な体験学習の機会だと考える。私達は異文化を,他国や他民族の異質な文化であると上下の関係で理解すべきではなく,自文化も他文化も個々に異なる文化であると平らな関係で理解すべきであると考えた。異文化に対する偏見や誤った情報は,正しい理解を妨げるものである。そこで,中国訪問前に,中国に関する正しい知識を得ることを目的として事前学習を実施した。一方,移動と情報の障害は,出会いと交流を妨げるものである。実際に,中国での活動は移動支援と情報支援が重要であった。中国研修を経て,異文化理解が個人との偏見のない出会いの先に,そして人と人の誠実な交流の先に形成されるものであると気づかされた。このことから大学間交流が交換留学で実施されてきたことの重要性を感じる。今回の中国研修を通して,海外研修プログラムの真価は異文化理解にあり,具体的には人との出会いにあることを実感し確信することができた。今後も継続すべき課題として,異文化理解教育と共に人間理解教育の必要性を強く認識している。 参照文献 [1] 日本ユネスコ国内委員会.国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章)/The Constitution of UNESCO. 文部科学省ホームページ,( cited 2017-8-15) http://www.mext.go.jp/unesco/009/001.htm [2] United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization. UNESCO Constitution. UNESCOホームページ,( cited 2017-8-15) http://portal.unesco.org [3] 中村 耕二.多文化共生社会を目指す国際理解教育 : 21世紀に求められる地球市民教育,甲南大学国際言語文化センター,甲南大学機関リポジトリ,( cited 2017-8-15),https://konan-u.repo.nii.ac.jp [4] 室田 保夫.大村善永研究ノート : その生涯と事績.関西学院史紀要,(19), 2013, (7-52) [5] 大村善永著,谷合侑監修.三死一生: 大村善永自叙伝.盲人たちの自叙伝 ; 24.大空社.1998 Philosophy of an Overseas Study Trip Program and Visual Disability Support:China Study Trip Report 1 SASAKI Ken, SUO Sachie Course of Acupuncture and Moxibustion, Department of Health, Faculty of Health Sciences, Tsukuba University of TechnologyAbstract: From March 14 to 24, 2017 (11 days), five students and two faculty members of the acupuncture and moxibustion course visited China (Changchun, Shanghai). In preparing for this overseas study trip program, we set cultural understanding as an important learning purpose with reference to the philosophy of the UNESCO Constitution. We believed cross-cultural understanding to be important. Prejudice against and misunderstanding of different cultures interfere with correct understanding. Therefore, before the visit to China, we availed the opportunity to obtain accurate knowledge about China. However, movement and information access difficulties interfere with encounters and exchanges. In fact, mobility and information support were important for conducting activities in China. After the overseas study trip to China, we realized that our cross-cultural understanding was formed by encountering people without prejudice. We returned home with confidence that education about personal understanding in foreign countries is as important as education about cross-cultural understanding. Keywords: Cross-cultural understanding, UNESCO, China, Prior learning, Visually impaired