医療を学ぶ視覚障害学生の為の「しゃべる」医療教材の開発と有用性の検討 白岩伸子,周防佐知江,大越教夫 筑波技術大学 保健科学部 保健学科 鍼灸学専攻 要旨:本学部では,医療を学ぶ視覚障害学生の自主学習教材として,Power Point教材をタブレット端末やスマートフォンで配布し,各自の見やすい文字サイズ,白黒反転などの機能の利用を進めてきた。しかし,その教材中の図表については,拡大することで全体像がつかめなくなる,図の説明をたどることに長時間かかるなど,学習に十分利用されていない現状がある。そのため,音声をリンクさせた微小な2mm四方のドットコードを図全体に刷り込み,音声ペン(G-Speak®)で触れて再生する新規教材を作成した。従来の録音再生シールに対応したペン型ボイスレコーダーとは異なり,ドットコードを広い範囲に組み込むことができるため,音声をリンクさせたい部位を図上で自由に設定することが可能になった。また普通紙にドットコードを印刷できるため,音声教材の準備が比較的短時間で大量にできることが確認された。本教材を用いた60分の自己学習後の小テストでは,少数例での検討のため明らかな有意差は認めなかったものの,若干の改善傾向が認められた。また教材使用後のアンケート調査では,使いやすさ,音声の明瞭さ,説明の内容,学習に役立つかについて前向きな回答が得られた。「図の中で音声を聞くことができる為,以前のように付箋をずっとたどって説明を探す必要がなくなった」という意見もあった。今後はさらに,点字使用者への対応として触図や立体図への応用,また複数の音声をリンクできることから内容を歌にする「うたう」教材の開発など,様々な可能性を検討している。 キーワード:視覚障害学生,音声教材,ドットコード, G-Speak® 1.はじめに 本学保健科学部は,視覚障害学生を対象とした鍼灸師,理学療法士などの医療専門職を養成する学部であり,国家試験対策としても重要な臨床医学の情報量は膨大で,学生にとっては最も理解が難しい分野の一つである。とくに,視覚障害者にとって図表による学習については,全体像の把握が困難であり,理解が不十分なままであった。また,難解な医学用語の習得には楽しめる教材の工夫が求められている。本学部では,視覚特別支援学校専攻科をはじめ医療を学ぶ視覚障害者への教育法の開発に努め,PowerPoint教材をタブレット端末やスマートフォンで配布し,各自の見やすい文字サイズや白黒反転などの機能を最大限に利用してもらう方法,ペン型ボイスレコーダーに音声説明を加え,触図や解剖学の立体模型と一緒に使用する教材などを開発し,学生教育に取り入れている。上の成果等は筑波技術大学テクノレポート等や他の論文・学会等に報告している(代表者 大越教夫,視覚に障害をもつ医療系学生のための教育高度化改善事業 科研費基盤研究(C), 2008~2016)[1]~[7]。 しかし,図表についてはPowerPoint教材も拡大することで全体像の把握が困難になる,図上の説明文を拡大しながら見るのは大変である,など視覚障害学生にとって十分に活用されてはいない現状がある。また,難解な医学用語を自学するための工夫が必要とも思われる。 本研究の目的は,視覚障害学生の授業内容の理解を向上させるための図の音声解説システム(「しゃべる」医療教材)の開発およびその有用性を検証することである。 2.対象 対象は鍼灸学専攻2年に在籍する学生で,神経内科学期末試験の不合格者3名,および成績不良だった2名(いずれも墨字使用者)であり,神経内科学の学期末補講の一環として行った。 3.方法 3.1 材料本学使用の神経内科学のパワーポイント教材,音声をリンクできるドットコードを普通紙に刷り込み音声ペンで再生するためのソフト(GM Authoring Tool,Sound Linker)(グ リッドマーク社(株))[8]を用いた。また,ドットマークを普通紙に印刷するプリンターには,C3100P(コニカミノルタジャパン(株))を使用した。音声情報作成には,音声創作ソフトCEVIO Creative Studio S「さとうささら」(CEVIO社)を用いた。 3.2 音声教材の作成神経内科学パワーポイント教材「運動障害のみかた」および「感覚障害のみかた」の説明文をそのまま合成音声ソフトにて音声情報化した。また,教材に含まれる図の説明をやはり音声情報化した。例えば,神経細胞の構造の各部位の図上に「神経細胞体」「樹状突起」「軸索」「神経終末でニューロンをかえシナプスを形成する」などをリンクしたドットコードを組み込んだ。錐体路の解剖図では,図上に「大脳皮質運動野」「内包後脚」「中脳大脳脚」「橋底部」「延髄錐体で対側へ交叉」「脊髄前角」などをリンクしたドットコードを組み込んだ。 3.3 ドットコードの印刷神経内科学パワーポイント教材「運動障害のみかた」および「感覚障害のみかた」に上記の音声をリンクしたドットコードを入力し,専用の印刷機で普通紙に印刷した。G-Speak(グリッドマーク)(図1)をドットコードが印刷された範囲に当てることで,リンクした音声が再生される教材が2種類作成できた。 図1 G-Speak®[8] 3.4 実施方法音声教材による学習効果を確認するため,5人の学生を2群に分け,まず「運動障害のみかた」をA群(ドットコードなし n=3),B群(ドットコードあり,n=2)で,60分間自習した後,その内容に関する10問の小テストを施行した。次に「感覚障害のみかた」をA群(ドットコードあり,n=3)で60分間自習した後,その内容に関する10問の小テストを施行した。B群(ドットコードなし)なし)は残念ながら施行できなかった。また,音声教材に関するアンケートを実施した。 表1 音声教材自習後の正答数(10問中) 4.結果 表1に,自習後実施した小テストの結果を示した。図2では,教材①の学習後の小テストの結果を示す。少数での実施のため,有意差は明らかではないが,若干音声教材後の平均点が高い傾向が見られた。図3では,同じA群中で音声の有無による小テストの結果を比較したが,明らかな改善は認めなかった。図4にこれらをまとめた結果を示すが,今回は,正答率には音声教材の有無による有意差は認められなかった。また,アンケートを集計した結果を図5に示した。教材の使いやすさは,5人中3人が,音声の明瞭さは5人中4人が,「強くそう思う」「やや思う」としていた。また,説明の内容は,5人中全員が「強くそう思う」であった。学習に役立つかは,5人中4人が,「強くそう思う」「やや思う」だった。今後も教材として使用したいかについては意見が分かれた。音声教材についての感想,意見としては,「ペンをタッチするところが狭いと探しにくい」「ペンを当てるところは広い方がよい」との意見が挙がった。また,「ペンが反応しないところもあった」「図の説明をもっと詳しく入れてほしい」なども挙げられていた。「図を見る際に,図の中で音声を聞くことができるため,以前のように付箋をずっとたどって説明を探す必要がなくなった。図を見る際に用いたい」という感想もあった。拡大読書器で拡大する学生もいたが,その場合はドットコードが墨字部分にかぶさるため文字についてはかえって読みにくくなる,という意見もあった。 図2 教材①学習後の小テスト(10点満点)結果 図3 A群での小テスト結果の比較 図4 60分間自習後の正答率 図5 音声教材に対するアンケート調査結果 5.考察 神経内科学の授業に用いているPowerPoint教材の中で,図表部分は,拡大することで全体像がわからなくなる,また図上の説明文をたどることが難しい,などのため十分に活用されないままであった。それをさらに発展させるため,音声をリンクさせた微小な2mm四方のドットコードを図全体に刷り込み,音声ペンで触れて再生するグリッドマークの技術[8]を教材へ導入することを試みた。大妻女子大学の生田らは,このグリッドマークの技術を応用して,特別支援学校や通常小中学校など各々の学校現場で,知的障害や自閉症等で生ずる生徒一人一人の困り感へ対応した教材作成に取り組み,教育実践を行っている[9]が,視覚障害教育における実践は我々が調べ得た範囲ではまだ行われていない。従来の録音再生シールに対応したペン型ボイスレコーダーとは異なり,ドットコードを広い範囲に組み込むことができるため,音声をリンクさせたい部位を自由に設定することが可能になった。また,普通紙にドットコードを印刷できるため,音声を組み込んだ教材の準備が比較的短時間で大量にできることが確認された。本教材の試用については,少数例,短時間の試用での検討であり,学習効果についての有意差は明らかではなかったが,若干の改善傾向も認められた。また,アンケート調査の結果によると,教材の使いやすさや音声の明瞭さは概ね良好で,説明の内容は全員が適正,学習の役立つかどうかも概ね良好な回答だった。今後も教材として使用したいかについては,意見がわかれたが,今後さらに検討を加えていくことで,有効な教材として利用できると考えられた。感想としては,図上で音声の説明が聞けるのがとてもよいというものが見られた。またタッチする範囲が広い方がわかりやすい,拡大読書器の下では,ドットコードが墨字と重なりかえって見づらいという意見もあり,今後の教材作成の参考になった。本教材は,墨字使用者については,図表についての授業理解を深める一つの方法として有効に使用できるかと思われる。今後は,図表の利用が極めて困難な状況にある点字使用者に向けて,触図や3Dプリンターを用いた立体模型などに音声を組み込むシステムを検討中である。今回の試用を元に,適切な教材を選び,新教材をさらに作成することを検討している。また,音声ペンには複数の音声がリンクでき,内容を歌にすることも可能であるため,「しゃべる」に加えて「うたう」教材を作ることも考慮している。それによって,難解な医学用語を楽しみながら学習することができる教材が作成できる可能性もある。 6.結語 合成音声ソフトにより作成した音声情報を,Power Point 教材に組み込んだ音声教材は,少なくとも墨字使用者の,特に図表の理解を深める方法となり得る可能性が示唆された。今後はさらに,点字使用者に対する図表理解へ向けた方法や,合成音声で「うたう」教材なども検討していきたい。 謝辞 本研究は,学長のリーダーシップによる「競争的教育研究プロジェクト事業」として実施した。 参考文献 [1] 周防佐知江,鮎澤聡,近藤宏,他.弱視教育における汎用データベースソフトウェアの活用.第58回弱視教育研究全国大会群馬大会抄録集.2016; p.28-29. [2] 成島朋美,周防佐知江,加藤一夫.医療技術を学ぶ視覚障害学生に対する自主学習用教材作成の取り組み ─音声対応触図教材の作成と試用─ 筑波技術大学テクノレポート 2016;23(2):13-17. [3] 周防佐知江,成島朋美,白岩伸子,他.医療技術を学ぶ視覚障害学生に対する自主学習用教材作成の取り組み ─病理学,替え歌自主学習用教材の試作─ 筑波技術大学テクノレポート 2016;23(2):7-12. [4] 成島朋美,周防佐知江,舩山庸子,他.医療技術を学ぶ視覚障害学生に対する自主学習用教材作成の取り組み ─音声による視覚障害補償機能を有した上肢筋模型の試作─ 筑波技術大学テクノレポート2014;21(2):40-44. [5] 周防佐知江,成島朋美,舩山庸子,他.医療技術を学ぶ視覚障害学生に対する自主学習用教材作成の取り組み ―音声による視覚情報保障機能を有する経穴暗記カード― 筑波技術大学テクノレポート2013;21(1):49-52. [6] 舩山庸子,池宗佐知子,成島朋美,他.医療技術を学ぶ視覚障害学生に対する自主学習用教材作成の取り組み ―ペン型タッチ式レコーダーを利用した骨格筋の暗記用カード― 筑波技術大学テクノレポート 2013;21(1):43-47. [7] 池宗佐知子,成島朋美,東條正典,他.骨模型へボイスペンを利用した解剖学自主学習の試み 筑波技術大学テクノレポート2011;18(2):7-10. [8] Grid Onput, グリッドマーク.http://www.gridmark.co.jp/gridonput.html. [9] 生田 茂,大島 真理子,葛西 美紀子,他.最新の情報処理技術を活用した手作り教材の制作と教育実践―国内外の共同研究者との協働の取り組み― Handmade original contents using new information communication technologies and school activities ―Collaboration with domestic and foreign schoolteachers― 人間生活文化研究 Int J Hum Cult Stud. 2016;26:239-262. Creating “Speaking” Teaching Materials for Visually Impaired Students in Medical and Health Technology SHIRAIWA Nobuko, SUOH Sachie, OHKOSHI Norio Course of Acupuncture and Moxibustion, Department of Health, Faculty of Health Sciences,Tsukuba University of Technology Abstract: In our department, PowerPoint teaching materials are distributed along with tablet terminals and smartphones as self-learning instructional materials for visually impaired students studying medical and health technology. We have been promoting the use of functions such as the conversion of font sizes and black-and-white inversion, which make it easier to use for each student. However, charts that are provided in the teaching materials are often not fully utilized for learning because one cannot comprehend the whole picture by enlarging it; additionally, it is more difficult to find footnotes in the picture by enlarging. For this reason, we created new teaching materials by imprinting a microscopic 2 mm square dot code linked with sound throughout the figure; students can touch it with the voice pen (G-Speak®) for playback. Unlike a conventional pen-type voice recorder that corresponds to one seal, the dot code can be incorporated into the figure according to its shape, so it is now possible to select the shape corresponding to the incorporation of voice technology. In addition, since dot codes can be printed on plain paper, it has been confirmed that preparation of sound teaching materials in large quantities is accomplished easily in a short period. This research looks at the results of 60 minutes of self-study by five students who used this technology; although there was no significant improvement, findings pointed to a tendency toward improvement. Further, the post-test questionnaire showed positive responses regarding ease of use, clarity of voice, contents of explanations, and usefulness for learning. An additional qualitative response was as follows: “Because you can hear the voice in the figure, you do not need to find footnotes in the figure all the time as before.” In the future, we will be studying various possibilities, such as an application to tactile figures and stereoscopic drawings for Braille users and the development of “singing” teaching materials using a function that links multiple sounds to create content songs. Keywords: visually impaired students, “speaking”teaching materials, dot code, G - Speak®