聴覚障害学生の日本語に関する困難点の分析(2)~語彙ネットワークの緊密化に関して~ 脇中起余子 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 障害者基礎教育研究部 要旨:筑波技術大学における1年次必修科目「日本語表現法A」と「日本語表現法B」の中で,聴覚障害学生の日本語に関する困難点を,「語彙ネットワークの緊密化」に焦点をあててまとめた。降水確率の数値は雨の強弱を表すと解釈した学生が2割前後見られた。台風の予報円において「円の大きさは台風の強さを表す」と解釈した学生が少なくとも3割見られた。「菱形は台形と言えるか」「正方形は長方形と言えるか」などについて,定義が示されると正答率が高まったが,これらの文章問題に完全正答することとベン図が描けることは別物であった。「障害者が使える設備」や「火気厳禁」のピクトグラムについて,絵の具体的特性にとらわれ,対象者や行為の範囲を広げたり抽象度を高めたりすることが難しい例が相当数見られた。これらは,従来から指摘されている聴覚障害者の抽象的思考の困難さと関連すると思われた。 キーワード:聴覚障害者,日本語,語彙ネットワーク,ベン図 1.はじめに 「語彙ネットワークが緊密である」というのは,語と語の関係を正しく理解している,ある語が他のいろいろな語や事象と結びついている,ある事柄を考えたあと他の事柄と照らし合わせて正否やその可能性を検討する,などの意味がある。日本語の力がある人は,日本語単語の意味を知っているだけでなく,語彙ネットワークが緊密なものとなっている。例えば,「大人」や「子ども」は,場面によって意味が異なる。「中学生の兄が大人料金」と聞いて「兄はまだ大人と違う」と言った人や,「パパったら子どもなんだから」と聞いて「パパは大人だ」と言った人は「,子ども」や「大人」の概念が狭いことがうかがえる。それらの語と「料金」「幼児性」などとの関連を理解することも,「語彙ネットワークの緊密化」の例の一つである。筆者は,筑波技術大学で「日本語表現法A」と「日本語表現法B」(聴覚障害学生対象,一年次必修科目)を担当しており,「語彙ネットワークの緊密化の大切さ」を折にふれて伝えているが,本稿では,この語彙ネットワークに関して,授業中感じた課題やエピソードをまとめる。なお,以下のデータは,ある年度で同意書が得られた学生のデータである。S群は産業情報学科の学生を,D群は総合デザイン学部の学生を意味する。S群は,入試で数学が課せられている。 2.「降水確率」について 「降水確率」の意味を,以下の4つの選択肢から選ぶ問題によって尋ねた。「①降水確率30%」や「②降水確率70%」について,以下のどの解釈が正しいか?(京都府南部とする)a「雨の強さを表す(①は弱い雨で,②は強い雨)」b「京都府南部の地域の面積の何%で雨が降るかを表す(①は30%,②は70%となる)」c「(午前か午後の)半日の何%の時間だけ降るかを表す(①は30%,②は70%となる)」d「①は,『雨が降る』くじが3本,『降らない』くじが7本あり,それを引くような意味。②は,『雨が降る』くじが7本,『降らない』くじが3本あり,それを引くような意味。」筆者がろう学校高等部で教鞭をとっていた時の経験から言うと,「d」と答える生徒は少なく,「a」すなわち「降水確率の数値は雨の強弱を表す」と解釈する生徒が多いが,筑波技術大学では,表1に示したように,73%の学生が正答できていた。誤答した学生に「高校の時,確率について学習したでしょう」と投げかけたところ,「確率,ああ,くじが当たる確率などがあった。だから,降水確率と言うんだな」と反応した学生と反応が薄い学生が見られたことから,一部の学生に おいて,日常会話で聞く「降水確率」の「確率」と高校で学習した「確率」の乖離を感じさせられた。 表1 「降水確率」に関する問題の結果 3.台風の「予報円」について 図1 台風接近の時の天気予報で 台風の予報円に関する画像(図1を参照)を示して「,円が右へ行くほど大きくなっているが,どういう意味か?」と尋ねた。筆者がろう学校高等部で尋ねた時は,「台風が強くなる・大きくなる」という回答が非常に多く見られた。筑波技術大学では,「台風が近づいている」「移動先」など正否の判断が難しい回答が多かったが,「進路を予測している」のように正答と判断できた者は,S群が12名(39%),D群が7名(50%)であった。明らかに「台風が大きく(強く)なる」という意味で回答したと判断した者は,S群が12名(39%),D群が2名(14%)であった。筆者が「日本の南で発達して風速が一定以上になると台風と呼ばれるようになり,勢力が弱まると低気圧に変わる。ニュースでは,いつ『台風でなくなった』とよく聞くか」と尋ねると,「東北地方を過ぎた頃」という答えがあり,「東北地方で円が最大,つまり非常に強くなって,その後急に台風でなくなるというのはおかしくないか」と尋ねた時,「なるほど」という顔をした学生と無反応の学生が見られた。例えば,近畿地方に上陸する直前とその2~3日前とで近畿地方付近の円の大きさが違うことに気づいている学生は少ないようであった。 表2 台風の予報円が右に行くほど大きくなる理由 [正答] 進路の予測台風(雲・風域・雨の範囲)が大きく(強く)なる(成長する),台風の成長を予想している。その他(台風が近づく,移動先,風が弱まる,周りの空気をまきこむ,風が分散する,高気圧が大きくなる,など)白紙回答D群14名 7名50% 2名14% 4名29% 1名 7%S群31名12名39%12名39% 4名13% 3名10%全員45名19名42%14名31% 8名18% 4名 9% 4.図形認知に関して 後期の「日本語表現法B」では,データを与えて,「目的と仮説,方法,結果,考察,今後の課題」の流れで論文の文章を書く練習に取り組ませている。その時に使うデータは,S群では数学と関係がある「図形認知」が,D群ではデザインと関係がある「ピクトグラム」が,学生にとっては関心が高いだろう,また,自分たちが取り組んだ問題のデータのほうが興味をもてるだろうと考え,「図形認知」や「ピクトグラム」に関する問題を作成して学生に取り組ませた。学生には文章作成に専念してもらうために,データのまとめや図表作成は筆者のほうで行った。以下「図形認知」,のデータをまとめる中で感じた語彙ネットワークの緊密化に関する課題をまとめる。 4.1 集合的関係を考える力 ある語とある語の集合的関係を考えることは,文章作成に不可欠である。例えば,「鉛筆や文房具を買う」「エイズや性感染症について学ぶ」などの表現は,「ミカンや果物を買う」と同じようなものであり,不適切である。小関(1995)は,「平行四辺形を長方形や菱形,正方形を除く平行四辺形としてとらえる段階Ⅰ」と「平行四辺形は長方形や菱形,正方形を含むとわかるが,それらの間の関係をまだ理解しない段階Ⅱ」,「相互関係を理解する段階Ⅲ」の比率を障害のない子どもを対象として調べ,中2~3でも段階Ⅲに至った者は5%にすぎないことを報告しており,図形の名称間の関係を理解することは,障害のない中学生でも難しいことがうかがえる。「図形認知」問題では,「(正方形でない)菱形」(以下「ただの菱形」と記す。他の図形についても同様)などを示して「これは四角形(台形,平行四辺形,長方形,菱形,正方形)か」と尋ねる文章問題を定義なしの条件で実施し,その1週間後に定義ありの条件で実施した。定義を示さない条件において,正答率が60%以下であった問題は,表3に示した6問であった。 表3 図形認知の文章題の正答率の変化 仮説を考えさせた時,多数の学生が「定義が示されると正答率が高まる」という仮説を提起していたが,6問の平均正答率は,S群では22%から77%に,D群では10%から54%に上昇したことから,「台形」「菱形」などの語を知っており,典型的な図形(「ただの台形」など)であれば「これは台形」などと正しく命名できるにもかかわらず,「これは台形と言えるか」などの文章問題の正答率は,定義の呈示の有無によって大きく変わることがうかがえる。すなわち,正しく命名できることと他の語との関係を理解することは別物である。また,定義が示されても,S群は平均して23%の問題に正答できず,D群は平均して46%の問題に正答できなかったことから,かなりの者が定義を見ても「これは~と言えるか」の判断が難しいことになる。例えば「これ(ただの菱形)は台形か」では,「台形の定義は,一組の向かい合った辺が平行な四角形である。菱形は,この条件を満たしているから,台形と言えることになる」と考えることが難しいのである。 4.2 ベン図を考える力① 定義を示す条件で文章問題を実施した直後に,ベン図を描く問題を実施した。その結果を表4に示す。定義ありの文章問題で完全正答した者は,S群が11名(37%),D群が4名(31%)であり,そのうちベン図が正し く描けた者は,S群が6名(完全正答者の55%),D群が1名(完全正答者の25%)であったことから,定義ありの文章問題に完全正答することとベン図が正しく描けることは別物であることがうかがえる。文章問題で完全正答したにもかかわらずベン図が正しく描けない学生が正答に至るために,どのような経験や指導が必要か,関心がもたれる。 表4 ベン図が描けているかに関する結果 4.3 ベン図を考える力② 図2 2つの集合の関係図(ベン図) 上述の定義ありの文章問題やベン図を描く問題を実施した日の1週間後に,図2に示したような「2つの集合の関係図(ベン図)」を用いて学習を行った。続いて,4~5名ずつのグループに分かれ,討論しながら「四角形,台形,平行四辺形,長方形,菱形,正方形」のベン図をホワイトボードに描かせる取り組みを行った。これらのグループは,1週間前に実施した問題に対する回答状況を見て,筆者が学生に偏りが出ないように分けたものであり,1週間前に実施したベン図の問題の正誤は,学生たちに知らせていない。グループ討論をしてもなお正答に至らなかった場合,筆者が解説する予定であった。ある学生は「正方形を長方形と言ったらダメじゃないの」 と言ったが,他の学生から「辺の長さと関係ないから,4つの角が直角だったら長方形と言ってかまわない」と説明され,自説を撤回した。そして,図2の「カラスと鳥」などの関係図を参考に,いろいろな図を試行錯誤しながら組み合わせており,その結果,全てのグループで正答に至った。この結果は,筆者の予想や期待を上回るものであった。議論を経て正答に至った学生と教師から正答を解説された学生とで,その後の定着の度合いに違いがあるかどうか,関心がもたれる。 5.ピクトグラムに関して 4.と同様に,筆者が「ピクトグラム」に関する図表を作成する中で感じた「語彙ネットワークの緊密化に関する課題」を,以下にまとめる。井上(2012)は,聴覚障害のない大学生54名と聴覚障害学生83名に対していくつかのピクトグラムを示し,その意味を尋ねて両群の違いを考察している。井上(2012)は,聴覚障害学生に見られた全般的誤答傾向として,「シンボルが表す範囲の判断がずれた誤答」などを掲げている。「火気厳禁」のピクトグラムで「マッチ使用禁止」という回答や,「障害者が使える設備」のピクトグラムで「車いす(用~)」や「障害者用トイレ」などの回答は,聴覚障害学生において有意に多く見られたという。 筆者は,前任校のろう学校で,聴覚障害児は,具体的思考が多く,抽象的思考が苦手な例が多いことを感じてきた。例えば,「デッド」と「スペース」の意味を調べ,「デッドスペース」を「お墓のあるところ」と解釈した例が見られる。筑波技術大学で実施したところ,「火気厳禁」を表すピクトグラムで「,マッチ禁止」「火をつけるな」「火遊び禁止」のような狭い意味での回答をした比率は,S群で26%,D群で46%であった。そこで,図3のような画像を用いて,「火をつけたタバコを持ってくることはOKか」と尋ねたら,ほぼ全員が否定した。次に,「何かと何かをこすりあわせて火花を散らすことは?」「火薬を置くことは?」と尋ね「火気厳禁」,にはいろいろな意味があることを伝えた。「障害者が使える設備」のピクトグラムについて「車,いす」という語があり,「障害者」という語がない回答を行った比率は,S群が72%,D群が77%であり,これは井上(2012)の結果と近似していた。そこで,図4に示したような画像を用いながら,対象者を「車いすの人」から視覚障害者や聴覚障害者をも含める概念に広げると「身体障害者」になり,さらに広げると「障害者(精神障害者などを含む)」になることを伝えた。そして,「高齢者・妊婦・子ども」も含めるとどんな語になるかと尋ねると,「年金をもらっている人」などの不適切な回答があり,「社会的弱者」という語がなかなか出てこなかった。そこで,筆者が「社会的弱者」 という語を紹介すると,「見たことがある」とうなずく学生が多かった。次に,「場所を広げてみよう。まず,『トイレ』と答えた人が多かったが,トイレだけか?」と問いかけると,「駐車場にもある」などの答えが返ってきた。「トイレや駐車場をまとめると,どんな語になるかな」と問いかけて,正答の「障害者が使える設備」を紹介した。また,「この設備は障害者限定ではないので,高齢者や妊婦も使ってよい」と言っている店があることも紹介した。 図3 「火気厳禁」のピクトグラム 図4 「障害者が使える設備」のピクトグラム 図5 「広域避難場所」のピクトグラム 「広域避難場所」のピクトグラムについて,「穴や落とし穴に注意」「マンホールに注意」と回答した比率は,S群が53%,D群が46%であった。そこで,図5に示した画像を用いて,「『落とし穴に注意』という回答が多かったが, このような意味のピクトグラムは必要か? 必要な場所はどこか?」と尋ねると,首をかしげる学生が多く見られた。「『マンホールに注意』の意味のピクトグラムは必要か? 町中でマンホールのふたが開いていて,周りに柵が置かれていないのを見たことがあるか?」と尋ねたら,否定する学生が多く見られた。筆者が「『水たまりやぬかるみに注意』という回答もあったが,このほうがまだわかる」と言って,正解の「広域避難場所」を紹介すると,「わかりにくい」という声があがった。以上の例から,絵の具体的特性にとらわれ,対象者や行為の範囲を広げたり抽象度を高めたりすることが難しい学生が相当数いることがうかがえた。これらは,従来から指摘されている聴覚障害者の抽象的思考の困難さと関連すると思われる。 6.終わりに 語彙ネットワークが緊密な人は,いろいろな語を既にもっている概念と結びつけてネットワークをさらに緊密なものにしていく。 聴覚障害児は抽象的思考が難しいとよく指摘されるが,具体的思考から抽象的思考へ移行するためには,ある語の意味の記憶のみならず,他のいろいろな語との関連の理解が必要であり,「語彙ネットワークを自ら緊密化させる力」は大切なものとなる。その意味で,筑波技術大学の学生には,興味・関心の幅を広げる努力をさらに求めたいが,そのためにどんな指導が効果的か,今後も模索していきたい。 参照文献 井上征矢.聴覚障害者に分かりやすいピクトグラム ~聴覚障害者の視点を加味した案内用図記号修正の提案~.日本感性工学会論文誌.2012;Vol.11.No.4;p.563-571.小関照純.子どもの図形認知と論理.In:日本数学教育学会編.数学学習の理論化へむけて.産業図書(東京),初版.1995;p.45-54. Analysis of Difficulties for Hearing Impaired Students Regarding the Formation of Japanese Vocabulary Networks WAKINAKA KiyokoDivision for General Education for the Hearing and Visually Impaired,Research and Support Center for Higher Education for the Hearing and Visually Impaired,Tsukuba University of Technology Abstract: I focused on the formation of Japanese vocabulary networks and analyzed the difficulties for hearing impaired, first-year students taking the mandatory subjects Japanese A and Japanese B at Tsukuba University of Technology. About 20% of the students misunderstood the numerical value of the probability of rain as showing the strength of the rainfall. At least 30% misunderstood that the size of the circle of a typhoon in a weather forecasting model showed the strength of the typhoon. Regarding some questions, for example, “Is a rhombus a trapezoid?,” “Is a square a rectangle?,” etc., the correct answer rate increased when definitions were given. However, the ability to answer these problems correctly did not necessarily translate into the ability to construct a Venn diagram. When students looked at pictograms of “utilities for the disabled” or “fire forbidden,” they tended to be drawn by the specificities of the picture; further, it was difficult for them to broaden the scope of concerned persons or objects and increase the level of abstraction. These problems relate to difficulties of hearing impaired students in terms of abstract thinking, which has already been pointed out in previous research. Keywords: Hearing impaired, Japanese vocabulary networks, Venn diagram