聴覚障害学生の日本語に関する困難点の分析(1)~「もらう・くれる」「いただく・くださる」に関して~ 脇中起余子 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 障害者基礎教育研究部 要旨:筑波技術大学における1年次必修科目「日本語表現法A」と「日本語表現法B」の中で,聴覚障害学生の日本語に関する困難点を,特に「もらう・くれる」と「いただく・くださる」に焦点をあててまとめた。「あげる」と「もらう」について,助詞は適切に扱えるが,ウチソトとの関連で正否が適切に判断できない学生が相当数見られた。また,「くれる」について,助詞が適切に扱えない学生が相当数見られ,このことが「くださる」や「いただく」における助詞の誤用につながっていると思われた。 キーワード:聴覚障害者,日本語,授受構文,ウチソト,敬語 1.はじめに 聴覚障害児・者における日本語獲得の難しさは,補聴器や人工内耳が進歩した現在においても指摘されている。筑波技術大学の聴覚障害学生は,筆者の前任校(ろう学校高等部)の生徒と比べると,日本語の力が高い学生が多いが,ろう学校生徒と共通する課題を残す学生も見られる。本稿では,ある年度に筑波技術大学で「日本語表現法A」と「日本語表現法B」(聴覚障害学生対象,1年次必修科目)を担当する中で感じた日本語に関する課題を,特に「もらう・くれる・いただく・くださる」に焦点を当ててまとめる。以下のデータは,同意書が得られた学生に関するものである。 2.「あげる・もらう・くれる」文の理解 「あげる」「くれる」「もらう」と視点やウチソトとの関連については,久野(1978)などが論じている。脇中(1984)は,「~が~に」と「~に~が」を混ぜた授受構文の理解状況について,小学生の聴児は加齢に伴って完全正答に近づくのに対し,小学生の聴覚障害児は,小学校高学年でも「もらう」と「くれる」の理解が難しかったことを報告している。 2.1 方向と助詞の関連の理解 問題1は,物や行動の方向を正しく判断できるか(主語や目的語となる人物と助詞の関連を理解しているか)を調べる問題である。 問題1)祖母が孫の本の代金を払った時(私は,祖母と孫のどちらとも同じぐらい「身内」とする),使える文を全て選べ(複数回答可)。注1)  ( )ア)孫は,祖母に本を買ってあげた。  ( )イ)孫は,祖母に本を買ってくれた。  ( )ウ)孫は,祖母に本を買ってもらった。  ( )エ)祖母は,孫に本を買ってあげた。  ( )オ)祖母は,孫に本を買ってくれた。  ( )カ)祖母は,孫に本を買ってもらった。 正答は「ウ」と「エ」,「オ」の3つであるが,この3つ全てを選んだ者は,46名中4名(9%)のみであった。表1に示したように,助詞が適切に使えているかはさておき,「あげる」を使った文を両方とも選ばなかった者は3名(7%),「もらう」を使った文を両方とも選ばなかった者は5名(11%),「くれる」を使った文を両方とも選ばなかった者は20名(43%)であったことから,日頃の生活の中でも,「くれる」を使う頻度は,「あげる」や「もらう」に比べて低いと思われる。「あげる」を使った文を選んだ43名中42名(43名の98%)が,また「もらう」を使った文を選んだ41名中39名(41名の95%)が,助詞を適切に選べていた。その一方で,「くれる」を使った文を選んだ26名中4名(29名の15%)しか助詞を適切に選べていなかった。注2) 表1 問題1の結果(%は46名に対する比率) 2.2 ウチソトとの関係の理解 問題2)( )に入る自然な文を全て選べ(複数回答可)。「今朝ここにあった本がない。どうしたの?」「(  )。田中さんには,お世話になったからね」  ( )ア)母が田中さんにあげたのよ。  ( )イ)母が田中さんにもらったのよ。  ( )ウ)母が田中さんにくれたのよ。  ( )エ)田中さんが母にあげたのよ。  ( )オ)田中さんが母にもらったのよ。  ( )カ)田中さんが母にくれたのよ。 問題2では,本は「母」から「田中」に渡っている。方向だけを考えると「ア」と「ウ」,「オ」があっているが,ウチソトも考えると「ア」だけが適切である。表2に示したように,「あげる」を使った「ア」と「エ」とでは,38名(83%)が正答の「ア」だけを選んでいた。その一方で,7名(15%)が両方を選んでいた。「もらう」文では,物の方向からするとあっているが,ウチソトからすると不適切となる「オ」を選んだのは17名(37%)であったことから,3~4割の者がウチソトとの関連を理解していないことになる。「イ」と「オ」の両方とも不適切であるとして選ばなかった者(正答者)は,27名(59%)であった。「くれる」文では,物の方向からするとあっているが,ウチソトからすると不適切となる「ウ」を選んだのは11名(24%),物の方向が逆になる「カ」を選んだのは 5名(11%)であった。これは,問題1の「くれる」文で助詞を適切に使えない者が相当数見られたことと関連していよう。「ウ」と「カ」の両方とも不適切であるとして選ばなかった者(正答者)は,30名(65%)であった。「くれる」文では「,もらう」文と比べて「,どちらも不適切」とした者の比率が高く現れたが,これは,問題1で「くれる」文を全く選ばなかった者が多かったことと関連すると思われる。 表2 問題2の結果(%は46名に対する比率) 問題3)自然な文を全て選べ(複数回答可)。「この風船,どうしたの?」  ( )ア)「店の人が娘にあげたのよ」  ( )イ)「店の人が娘にくれたのよ」  ( )ウ)「店の人が娘にもらったのよ」  ( )エ)「娘が店の人にあげたのよ」  ( )オ)「娘が店の人にくれたのよ」  ( )カ)「娘が店の人にもらったのよ」 問題3では,物は「店の人」から「娘」に渡っている。方向だけを考えると「ア」と「イ」,「カ」があっているが,ウチソトも考えると「イ」と「カ」が適切である。表3に示したように「,あげる」を使った「ア」と「エ」は,両方とも選んではいけないが,32名(70%)が「ア」を選んでいた。両方とも選ばなかった者(正答者)は13名(28%)であった。授業中に,「友達が私に本をあげた」や「ア)店の人が娘にあげた」は,方向からするとあっていても,ウチソトからすると不自然になると説明すると,かなりの者が「初めて聞いた」と驚いていた。「もらう」文では,「カ」を選び,「ウ」を選ばなかった者(正答者)は,39名(85%)であった。その一方で,6名(13%)が両方とも選ばなかった。「くれる」文では,「イ」を選び,「オ」を選ばなかった者(正答者)は,17名(37%)であり,逆に,「イ」を選ばず,「オ」を選んだ者は12名(26%)であった。両方とも選んだ者は8名(17%)であり,両方とも選ばなかった者は9名(20%)であった。これらの結果から,授受構文において助詞と方向の関連は理解していても,ウチソトとの関連を理解していない例が相当数見られることがうかがえよう。 表3 問題3の結果(%は46名に対する比率) 夏の期末試験前にウチソトとの関連や「くれる」文と助詞の関係を再度解説し,問題3を期末試験で再度出したが,その結果を表4に示す。期末試験において,正答率は高まっているものの,「あげる」文では15名(33%)「もらう」文では8名(18%)「,くれる」文では13名(29%)の学生が,まだ正しく選べていなかった。このことから,聴覚障害学生にとってこれらの理解は相当難しいことがうかがえよう。 表4 期末試験における問題3の結果(%は期末試験受験者45名に対する比率) 2.3 「もらう」と「くれる」の違いの理解 「私は彼に本をもらう」と「彼は私に本をくれる」は同じ意味になるという言い方がよくなされるが,実際は,例えば「イチョウの木は毎年実を落としてくれる」は言えても,「イチョウの木に毎年実を落としてもらう」は言えない。「頼んでいないのに,送ってくれた」と「頼んでいないのに,送ってもらった」を比べるとわかるように,「くれる」は,頼んでいないのにそうしてくれたことをありがたく思う場合に多く使われるようである。そこで,問題4と問題5を作成した。 問題4)適切な文を全て選べ(複数回答可)。 めまいを起こしてかがみこんでいると,  ( )ア)通行人が救急車を呼んでくれた。  ( )イ)通行人に救急車を呼んでもらった。 問題5)適切な文を全て選べ(複数回答可)。  ( )ア)母のことばは,私を落ち着かせてくれた。  ( )イ)母のことばに,私は落ち着かせてもらった。 表5 問題4と5の結果(%は46名に対する比率) 表5に示したように,「くれる」文の「ア」だけを選んで完全正答したのは,問題4では41名(89%),問題5では31名(67%)であった。これらの結果から,1~3割前後の者が「AはBにもらう」と「BはAにくれる」の微妙な違いをまだ理解していないと思われる。 2.4 期末試験における校正問題の結果 期末試験で,以下の問題Aを出題した。 「くれば」や助詞が不適切であることがわかるかを調べる問題である。結果を表6に示す。敬語の使用は指示していないが,敬語を使って答えた例が見られた。問題文では「くれる」を使っているが,「もらう・いただく」や「~してほしい」を使って書き換えた者が20名(44%)見られた。「くれる・くださる」を使った14名のうち9名(14名の64%)が助詞を適切に使えていなかった。これらの結果も,「くれる」における助詞の使い分けの難しさを示していると言えよう。 次の文(盲ろう体験に関する文)を校正せよ。問題A)みんなに盲ろう者を理解してくればと思う。 表6 期末試験における問題Aの結果(%は期末試験受験者45名に対する比率) 3.「いただく」「くださる」の難しさ 学生の文を見ると,「先生が教えていただく」「先生に教えてくださる」のような助詞の誤用がよく見られる。そこで,授業中に,「もらう」の敬語が「いただく」で,「くれる」の敬語が「くださる」であることを指導し,期末試験で,「敬語を使って書き直せ。他,おかしなところがあれば直せ」という問題Bと問題Cを出した。  先輩より課長や部長が目上であり,「私」だけが聴覚障害者である。「私」が同じ会社の先輩に「新しい職場はどう?」と聞かれて話した以下の内容を,敬語を使って書き換えよ(『ですます調』のままで良い)。問題B)部長にやり方を聞いたら,そばにいた課長に筆談で教えてくれたので,うれしかったです。問題C)課長は,呼んでも気づかなかった時,肩をたたいて教えてもらいました。 3.1 問題Bの結果 問題Bでは,「1)聞いたら」「2)いた」「3)くれた」の3つの動詞を敬語に直す必要がある。なお,「いる」の尊敬語として「おられる」は不適切という意見が見られるが,宮内庁作成文書にその使用例が見られることなどから,本稿では,「おられる」は正答とみなした。3)について,「部長に筆談で教えてくれた」は,敬語を使わない場合「部長,が筆談で教えてくれた」あるいは「部長に筆談で教えてもらった」とする必要があるが「,くれる」は,「頼んでいないのに。ありがたい」という場面で使われることが多いことから,「Aに尋ねたら,そばにいたBに筆談で教えてもらった」より「Aに尋ねたら,そばにいたBが筆談で教えてくれた」のほうが自然に感じられる。それで,問題Bでは,正答として,「部長にやり方をお尋ねしたら,そばにおられた課長に筆談で教えていただいたので,うれしかったです」より「部長にやり方をお尋ねしたら,そばにおられた課長が筆談で教えてくださったので,うれしかったです」のほうが自然に感じられるであろうが,期末試験では,「いただく」を使って書き換えた文章を減点の対象としなかった。問題Bについて,表7に示したように,学生45名のうち,2名(4%)がほとんど白紙回答,あるいは大幅に変更した回答を行っていた。 残りの43名について,1)~3)の3つとも敬語に直そうとした者は7名(16%)であり,そのうち助詞と敬語が正しく書けていたのは3名(7%)であった(うち1名は,他のところで違和感があったが,正答に含めた)。「1)部長に聞いたら」は,「部長にうかがったら」「部長にお聞きしたら」などと直す必要があるが,敬語に直さなかった者は23名(51%)であった。「2)そばにいた課長」は, 「そばにおられた課長」「そばにいらっしゃった課長」などと直す必要があるが,敬語に直さなかった者は22名(49%)であった。一方,「3)課長に教えてくれた」は,助詞が適切かどうかにかかわらず敬語に直さなかった者は3名(7%)であったことから,半数前後の学生は,文末の動詞のみを敬語に直せばよいと思っていたことになると思われる。「3)課長に教えてくれた」について,「くれる」を用いて回答した3名は,全員が「部長が教えてくれた」のように助詞を適切に直せていたが,敬語に直さなかったという点で,期末試験では正答とみなさなかった。「くださる」を用いて書き直した者は27名であり,そのうち助詞を適切に使えなかった者は11名(27名の41%)であった。「もらう」を用いて書き直した者は皆無であった。また,「いただく」を用いて書き直した者は13名であり,そのうち助詞を適切に使えなかった者は2名(13名の15%)であった。したがって,授業の中で「くれる」の助詞の使い方や「くれる」の敬語は「くださる」であることを強調したにもかかわらず,「くれる」文における助詞の難しさは,「くださる」文において残されていたと言えよう。 表7 問題Bの結果 3.2 問題Cの結果 問題Cの正答としては,「私が呼ばれても気づかなかった時,課長は,肩をたたいて教えてくださいました。」などが考えられよう。「課長は,私が呼ばれても気づかなかった時,肩をたたいて教えてくださった」と「課長には,私が呼ばれても気づかなかった時,肩をたたいて教えていただいた」は,従属節を省くと,「課長は,肩をたたいて教えてくださった」と「課 長には,肩をたたいて教えていただいた」になるので,正答となるが,「課長は,私が呼ばれても気づかなかった時,肩をたたいて教えていただいた」は,従属節を省くと「,課長は,肩をたたいて教えていただいた」になるので,違和感を感じる文となる。なお,従属節の「呼んでも気づかなかった時」では,「呼んでも」の主語は「課長」で,「気づかなかった」の主語は「私」なので,短文の中で主語がころころ変わっている。それで,「呼ばれても気づかなかった時」のほうが自然であろうが,この従属節をどう書き直していたかに関する分析は,本稿では除外する。学生の回答を見ると,主節の主語や目的語を省いた回答も多く,正否の判断を迷うものが見られた。表8に示したように,「肩をたたいて教えてくれる」について,一般的には「肩をたたいて教えてくださる」のように「くれる」だけを敬語に直せばよいが,「肩をたたいていただき,教えてくださる」のように「たたく」のところで敬語を用いた者が6名(13%)見られた。 表8 問題Cの結果 「くださる」を使って書き直した者は15名(33%)であり,全員が「課長は,~くださった」のように助詞を適切に扱えていたのに対し,「いただく」を使って書き直した者は16名(36%)であり,その半分の8名が「課長は~いただいた」のように明らかに助詞を適切に扱えていなかった。これは,問題文において,「課長は」と「くれた」の間に従属節があり,「くださった」や「いただいた」の主語を考慮に入れなかったことによるものが大きいと思われる。したがって「,課長( )肩をたたいて教えていただいた」のように短い文による問題では正答できても,主語と「いただく」の間に従属節などが入ると,正答できるとは限らないことになるであろう。実際の会話では,「呼ばれても気づかなかった時,肩をたたいて教えてくださった」のように,従属節と主節の両方で主語や目的語が省かれる場合も多い。従属節と主節の主語が一致しているか,途中で他に長い句が入ってくるかどうか,「頼んでいないのに,してくれた」という気持ちがあるかどうかなどによっても,自然に感じる度合いが変わってくるが,このことの理解は,聴覚障害学生にとっては非常に難しいと思われた。 4.終わりに 友達から私に本が渡された時,「友達が私に本をあげた」は,方向からするとあっているが,ウチソトも考えると不適切になると説明した時の「どよめき」は,筆者にとっては衝撃的であった。他にも,「私は本を読みたがる」は自然な言い方であると回答した学生や,(小説形式ではなく,一般的な作文で)「友達は悲しかった」より「友達は悲しんだ」「友達は悲しそうだった」のほうが適切であることを理解しない学生が多く,「聴覚障害者は,物理的・客観的な事実にしか目を向けない傾向があるのか」と感じさせられた。このウチソトの難しさが,敬語の難しさに輪をかけていると思われる。ウチソトと関連する日本語の指導のためにも,一人称的思考や遠近感を伴った文章作成のための教材開発の必要性を感じさせられた。 注 注1)ウチソトの点で主語の人物と目的語の人物の間に全く差がない場合は「くれる」は使いにくいので,この問題の表現(「私は,祖母と孫のどちらとも同じぐらい「身内」とする」)は不適切であった可能性がある。別の年度に,「祖母が孫の本の代金を払った意味になる文を全て選べ」に変えて出したところ,「くれる」文で両方とも選ばなかった比率は,表1の「43%」より若干低くなっていたが,それは,この学年における全体的な正答率が若干高かったことと関連するかもしれない。 注2)別の年度に,「甲が乙に~をあげる」「甲が乙に~をもらう」「甲が乙に~をくれる」のそれぞれで,物の方向は「甲から乙へ」と「乙から甲へ」のどちらであるかを尋ねたところ,聴覚障害学生は,「あげる」と「もらう」ではほぼ全員が正答したが,「くれる」では過半数の者が正答しなかった。したがって,「くれる」文で助詞が適切に使えない聴覚障害学生が毎年相当数いることがうかがえる。 謝辞 同意書を書いてくださった学生や保護者の方々に厚くお礼を申し上げます。 参照文献 久野暲.談話の文法,第1版.大修館書店(東京),1978 脇中起余子.聴覚障害児の授受構文理解の発達的特徴について,ろう教育科学誌.1984;26(2);p.97-110. Analysis of Difficulties for Hearing Impaired Students Regarding Japanese Verbs That Express Giving or Receiving WAKINAKA Kiyoko Division for General Education for the Hearing and Visually Impaired,Research and Support Center for Higher Education for the Hearing and Visually Impaired,Tsukuba University of Technology Abstract: Ageru, morau, and kureru are Japanese verbs that express giving or receiving. Itadaku and kudasaru are Japanese honorific verbs that express giving or receiving. I focused on these verbs and analyzed the difficulties encountered by hearing impaired, first-year students taking the mandatory subjects Japanese A and Japanese B at Tsukuba University of Technology. Particles for using ageru and morau were easy, but particles for using kureru were particularly difficult. Making appropriate distinctions by considering “inside-outside” was particularly difficult. These difficulties appeared to be the source of misuse of Japanese honorific verbs that express giving or receiving. Keywords: Hearing impaired, Japanese verbs that express giving or receiving, Inside-outside, Japanese honorific verbs