舞台演劇に特化した手話通訳技術に関する研究 -手話通訳者へのインタビュー調査から- 萩原 彩子(筑波技術大学) 1.はじめに  2020年オリンピック・パラリンピック東京大会を控え、障害のある人々の文化芸術活動の高まりが期待されている。例えば、2018年6月に公布、施行された障害者文化芸術法では「3基本的施策」として、「国及び地方公共団体は、障害者が文化芸術を鑑賞する機会の拡大を図るため、文化芸術の作品等に関する音声、文字、手話等による説明の提供の促進(中略)等の障害の特性に応じた文化芸術を鑑賞しやすい環境の整備の促進その他の必要な施策を講ずるものとすること」との記載があり、今後の取り組み拡大が期待されている。  この流れを受け、今後我が国の文化芸術分野における手話通訳ニーズが高まっていくものと思われる。しかしながら文化芸術分野における手話通訳、とりわけ舞台演劇における手話通訳(以下、舞台手話通訳)については、必要な技術もまだ充分に明らかにされておらず、現在のところは担当する手話通訳者の力量によるところが大きいと言わざるを得ない。  そこで本研究は、先駆事例の舞台手話通訳を取り上げ、手話通訳担当者が感じた工夫点および困難点から、舞台演劇に特化した手話通訳技術を明らかにすることを目的に実施した。   2.方法 (1)対象  平成28年7月に実施された「舞台手話通訳付きモデル公演『朝にならない』」(主催:特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク、発行:株式会社アステム、1時間07分)を対象事例とし、そこで手話通訳を担当した通訳担当者1名を調査対象者とした。  なお、当該公演は舞台手話通訳のPRのためのモデル公演として実施されたものであり、映像素材は研究等で自由に利用可能な状態で販売されている。また通訳担当者は、自身も演劇人であり、大きな演劇公演での舞台手話通訳を含めた演劇関係の手話通訳を多数経験している。これらのことから、舞台手話通訳の先進的な事例として調査対象とした。  また、公演が行われた劇場はプロセニアム形式で、通訳担当者(1名)は舞台上、アクティングエリア外の上手に立って通訳を行った。登場人物は3人で、対話を中心に話が展開する内容であった。また、通訳担当者は事前に台本を入手し、稽古にも数回参加する形で準備が行われた他、自身が俳優であるろう者2名による数回の手話監修体制がとられていた。 (2)調査手続き  調査対象者に対し、半構造化面接法を用いたインタビュー調査を行った。質問内容は、①通訳上工夫した点、②通訳上苦労した点や困難点、③その他通訳を振り返って思うこと、の3項目であった。調査対象者は調査対象映像を視聴しながら、①~③について回答したい場合挙手し、映像を止めてその都度口頭で回答をすることを映像終了まで繰り返した。調査にかかった時間は2時間35分(映像の視聴時間含む)であった。 (3)倫理的配慮  対象事例の映像は研究等で自由に利用可能な状態で販売されたものであり、著作権等の問題は発生しないことを発行者に確認した。また、本研究は筑波技術大学研究倫理委員会の承認を得て実施した(承認番号H29-5)。 (4)分析方法  分析にあたってはKJ法を用いた。まず筆者がインタビューの音声データから逐語録を作成して精読し、意味のある最小単位のまとまりを抜き出してラベルとした。それらを本研究のリサーチクエスチョンに照らし合わせ、カテゴリーを生成し、カテゴリー同士の関係性を検討して図解化および文章化した。 3.結果  インタビューの逐語録から、67個のラベルが抽出され、22の小カテゴリーが生成された(表1)。次にそれら小カテゴリー同士の類似性から、10の中カテゴリー、さらには3の大カテゴリーが生成された(表1)。以下に大カテゴリーおよび中カテゴリーの図解化(図1)および文章化の結果を記す。  [表1 舞台手話通訳における手話通訳の工夫点と困難点に関するカテゴリー]  対象者である通訳担当者は、通訳担当者の立ち位置や照明、服装について、いずれも「舞台の世界観を壊さない」ことを前提とした“舞台演出との協働”を目指していた。また“手話通訳の監修”とあわせて、舞台手話通訳を行う【環境整備】を行っていた。  そのうえで【手話通訳・翻訳技術】として、該当する一般的な手話単語がない場合や英語のセリフの翻訳など“翻訳の難しい単語やセリフへの対応”には苦労しながらも工夫を凝らして対応していた。また登場人物の手話表現を事前に設定するとよかったという振り返りもあった。さらには、より適切な手話語彙の選択や役者の演じる感情に沿った通訳・翻訳に注力しつつ、複雑なロールシフトへの対応に困難を感じながらも、“サブテキストも含めた的確な翻訳・通訳”を行おうとしていた。“話者の明確化”では複雑なロールシフトへの対応に苦慮しながらも、役者の動作を取り入れた通訳・翻訳をすることで補っていた。あわせて効果音などの“状況通訳”に工夫を凝らし、“アドリブへの対応”に苦慮したことが挙げられた。テンポの速い会話部分では“進行に遅れない通訳”のために通訳する箇所を取捨選択することで対応していた。なお、本研究の対象事例では通訳担当者は台本を事前に入手し、手話への翻訳と練習を重ね、さらには稽古にも数回参加して本番にのぞんでいた。そのため「手話通訳」よりも「手話翻訳」と呼ぶのが適当とも思われた。しかしながら舞台演劇は「生」であるという「現前性」ゆえに、毎回まったく同じに演じられることはない。また、アドリブを含めたハプニングの可能性もあり、通訳担当者はそれに対応しなければならない。「翻訳」か「通訳」かの非常に微妙なラインでの行為であると考え、カテゴリーの名称は「通訳・翻訳技術」とした。  併せて、【舞台上のふるまい】における工夫点や困難点では、観客の視線の誘導を図る工夫と、「間」の間のふるまいの難しさといった“意識的なふるまい”の重要性を挙げていた。また無意識に行っていたふるまいや癖について“自身への気づきと反省”があった。  大カテゴリー同士の関係性としては、【環境整備】のもとに【手話通訳・翻訳技術】と【舞台上でのふるまい】が行われており、【環境整備】を下支えとした。また【手話通訳・翻訳技術】と【舞台上でのふるまい】は相互に影響しあっていることがうかがえた。  [図1 カテゴリー概念図] 4.考察  本研究では、先駆事例の舞台手話通訳を取り上げ、手話通訳担当者が感じた工夫点および困難点から、舞台演劇に特化した手話通訳技術を洗い出した。その結果、舞台手話通訳特有と思われる技術がいくつか示唆された。  ここで、演劇そのものを構成する要素について整理しておきたい。安藤隆之(1999)は演劇の動的成立要件として「演技、上演行為」、「観衆」「リアルタイムで共有される時空間」を挙げている。このことを踏まえると、聴覚障害のある観客に手話通訳を通して演劇を十分に体感してもらうためには、舞台手話通訳も上記要件と切り離されてはならず、通訳担当者は常にそれらとの関係を維持しながら舞台手話通訳を行う必要があると考えることができる。  このことから考えると、【環境整備】で挙げられていた「舞台の世界観を壊さない」というキーワードも、まさに上記要件との関係性の維持の必要性を表しているといえる。手話通訳の見やすさだけを考えた立ち位置や照明、衣装では、舞台の世界観を壊してしまいかねないため、関係者との十分な協議のうえ、両者が成立しうる「落としどころ」を探っておく必要がある。  【手話通訳・翻訳技術】では、講演会など一般的な通訳場面にも共通する部分はもちろんあったが、“サブテキスト”を理解した通訳・翻訳という点がキーワードであった。なおサブテキストとは、台詞の文字には現れていない、裏に流れているもうひとつの意味を指す。サブテキストを的確につかむためには通訳担当者の理解力が求められる他、演出担当者との共通理解が重要になる。先に挙げた【環境整備】とも共通するが、ここでも演出担当者との協働が求められるといえる。  またもう1つ、話者の明確化もキーワードとして挙げられる。本研究では、“複雑なロールシフトに対応”できる技術とともに、“役者の動作を取り入れた通訳・翻訳”をすることで話者の明確化を図っていることが明らかになった。特に“役者の動作を取り入れた通訳・翻訳”については、現在我が国で取り組まれている「手話通訳者養成カリキュラム」には含まれておらず、特別なトレーニングの場が求められるだろう。  さらに【舞台上でのふるまい】で挙げられていた“観客の視線を誘導する視線の送り方”や“「間」の間のふるまい”といった点も特徴的であり、これについても現行の手話通訳者養成カリキュラムには含まれていないことから、別途トレーニングの場を設けることが望ましいといえる。  ただし、これらの技術を発揮するためには、そもそもの内容をサブテキストも含めて的確に理解する力が求められ、演出関係者とも共通理解しておくことが前提となる。つまりは先に述べたその舞台で繰り広げられる「演技、上演行為」、「リアルタイムで共有される時空間」を通訳担当者は充分に把握し、的確に解釈しながら通訳を行う必要があるといえる。また「観客」についても、他の要件と聴覚障害のある観客が切り離されることがないよう、常に両者の架け橋であらねばならない。そう考えると、舞台手話通訳者も舞台の構成要素であると言っても過言ではないだろう。 5.今後の課題  今回は通訳担当者を対象としたインタビュー調査について報告した。本研究では、これに留まらず、その舞台手話通訳を利用した聴覚障害者3名へのグループインタビューも実施しており、現在分析中である。そこで得られた結果を、今回の調査結果と照らし合わせて、両者の比較を行うことが今後の課題である。  また、今回明らかになった手話通訳技術のうち、特に手話通訳者養成カリキュラム等で学ぶことの少ない“複雑なロールシフトに対応”や“役者の動作を取り入れた通訳・翻訳”、“観客の視線を誘導する視線の送り方”、“「間」の間のふるまい”に関するトレーニングの提供や方法の開発が望まれる。さらには、舞台手話通訳における手話監修との協働についてもさらなる実践が必要であろう。   6.おわりに  本研究はJSPS科研費16K16740の助成を受けたものである。また特定非営利活動法人シアターアクセシビリティネットワーク(TA-net)から多大なる協力をいただいた。ここにお礼申し上げる。 7.引用文献  安藤隆之(1999)演劇とは何か.文化科学研究,第11巻1号,1-16.  川喜田二郎(1967)発想法-創造性開発のために.中央公論社.  厚生労働省大臣官房障害保健福祉部企画課長通知(1998)手話奉仕員及び手話通訳者の養成カリキュラム等について.  田中博晃(2013)KJ法クイックマニュアル.外国語教育メディア学会関西支部メソドロジー研究部会2012年度報告論集,102-106.  文化庁(2018)障害者による文化芸術活動の推進に関する法律の施行について(通知).