舞台演劇に特化した手話通訳技術に関する一考察 萩原 彩子(筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター) 1.はじめに 2020年オリンピック・パラリンピック東京大会を見据え、文化庁が文化庁文化審議会(2015)の中で「文化芸術活動の公演・展示等において、高齢者、障害者、子育て中の保護者、外国人等が文化芸術を享受しやすいよう、施設のバリアフリー化、字幕や音声案内サービス、託児サービス、利用料や入館料の軽減など対象者のニーズに応じた様々な工夫や配慮等を促進する。」と述べるなど、聴覚障害を含む障害者の舞台芸術活動への参加機会拡大が期待されている。また、その一つの手段として舞台芸術分野における手話通訳ニーズの高まりも予想される。 舞台芸術、中でも舞台演劇の手話通訳を考えた場合、複数の登場人物の台詞をわかりやすく表現する技術や、手話通訳と舞台を照らし合わせながら鑑賞しても視覚情報の混乱が起きないように配慮する技術などが求められることが想定される。例えば、筆者が平成28年度に本研究の一環として行ったイギリス視察2)で、舞台手話通訳者Jeni Draper氏は、舞台手話通訳者に求められる技術として、時間的な制約内での翻訳技術、複数の俳優(キャラクター)間の話者の明確化、音楽や効果音等のガイド(要約は筆者)を挙げていた。しかしながら現在のところ我が国では、そのような舞台演劇に特化した手話通訳(以下、舞台手話通訳)技術を学ぶための養成・研修カリキュラムは未だ整備されていない。 そこで本研究では、実際に我が国で行われた先駆的な舞台手話通訳から特徴的な技術を取り上げ、それらを洗い出すことで、舞台手話通訳技術養成・研修カリキュラムの検討の一助とすることを目的とする。 2.方法 (1)分析対象 平成28年7月に実施された「舞台手話通訳つきモデル公演『朝にならない』ダイジェスト版DVD」(発行:特定非営利法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク(TA-net))を分析対象とした。 当該公演は舞台手話通訳のモデル公演として実施されたものであり、映像素材が研究等で自由に利用可能な状態で広く配布されたものである。手話通訳は、自身も演劇人であり、大きな演劇公演での舞台手話通訳を含めた演劇関係の手話通訳を多数経験している通訳者が担当した。これらのことから、舞台手話通訳の先進的な事例として分析対象とした。 公演が行われた劇場はプロセニアム形式で、一部を前にせり出してアクティングエリアを八角形に設定していた(Fig.1)。手話通訳者(1名)はアクティングエリア外の上手に立って通訳を行った。登場人物は3人で、3人の対話を中心に話が展開する内容であった。 また、舞台手話通訳では通訳者があらかじめ台本を入手できる場合とそうでない場合が想定されるが、当該公演は舞台手話通訳のモデル公演ということもあり、通訳者は事前に台本を入手し、稽古にも数回参加する形で準備が行われていた。 DVDには本編をまとめた映像と観客へのインタビュー映像が収録されており、そのうち本編部分15分12秒から、舞台手話通訳として特徴的と思われる3場面を抽出し、分析を行った。 (2)分析方法 分析対象とした3場面について、役者の台詞・動作、効果音・音楽、通訳者の手話・動作を時間経過に沿ってできるだけ細かく記述する方法で、筆者がトランスクリプトを作成した。 分析にあたっては、通訳者の訳出内容や訳出方法について、演劇の内容との関係や、一般的な通訳方法との違いに着目した。 (3)倫理的配慮 対象とした映像は研究等で自由に利用可能な状態で広く配布されているものであり、著作権等の問題は発生しないことを発行者に確認した。さらに、手話通訳者および出演者に対しては、協力は任意であり、得られたデータは本研究のみに使用すること、個人情報の匿名化、あわせて映像の使用について説明し、紙面による同意を得た上で分析を行った。 3.結果と考察 抽出した3場面について、分析した結果を以下に示す。なお本文中で使用しているaとは役者(actor)の意味であり、3人の登場人物をa1、a2、a3とした。また、起点談話である役者の台詞を日本語で記述し、あわせて、動作のうち手話通訳と関係のあった動作のみカッコ書きで記述した(Table.1)。通訳者の表出については手話を日本語の語彙ラベルをもとに単語レベルで記述し、手話通訳として意味のある動作についてはカッコ書きで記述した(Table.2)。なお記述にあたっては吉川他(2012)3)を参考にした。 (1)場面①:役者のフィジカルな特徴を反映させた手話通訳 同時に複数の通訳者が登壇する舞台手話通訳もあるが、スペース、予算等の関係で登壇する通訳者が1名になる場合が多いと思われる。その場合、1名の通訳者が複数の登場人物の台詞を通訳する必要があり、会話の入り組んだ舞台演劇ではより話者の明確化を意識した手話通訳が求められる。 ここで取り上げる場面①はa1が初めてa2、a3の前に姿を表し、ノーブルかつ高圧的に自己紹介を行うシーンである。分析の結果、通訳者は以下の流れで通訳を行っていた。 まず通訳者は効果音(風の音)と同時に下手に立つa1に視線を向ける。a1が登場した後、通訳者は視線を正面に戻し、あごを上げて背筋を伸ばし、姿勢を正した(Fig.2)。これはa1の特徴を捉えたものであり、それを反映した通訳を行うことで、話者の明確化をはかっていたと考えられる。 (2)場面②:視線の誘導  聴覚障害のある観客が手話通訳を通して舞台の内容を知るためには、当然手話通訳を見なければならないが、手話通訳を見続けると役者を見ることができない、というジレンマが生じてしまう。その解決策の1つとして、場面②では、通訳者が自らの視線を使って、観客の視線を役者に誘導する場面がみられた。 場面②は、a1が証拠となる写真をa2に投げつけながら迫るシーンで、いつの間にか話に関係のなかったa3も参加してa1とともにa2に写真を投げつけるという、コミカルな動きのあるシーンになっている。 その動きに注目させるためか、通訳者はa1が台詞を発するより前に次の台詞まで通訳し、a1の台詞より先に表出を終わらせてから、自らの視線をa1に向けることで、内容を通訳しつつ、自然に観客の視線を誘導していた(Fig.3)。通訳者が事前に台本を入手し、なおかつ舞台上の役者の動きまでも知ったうえでタイミングを合わせて通訳しなければこのような方法は難しく、それだけ舞台手話通訳では台本はもちろん、役者たちの動きを事前に把握しておくことが重要であるといえよう。 また、視線の誘導は舞台手話通訳以外の手話通訳でも、話者に注意を向けたい場合などに行われる方法ではあるが、通訳者が話者に手のひらを向けたり、「見る」という手話表現を使ったりすることなく、ただ舞台に視線を送る方法で観客の視線の誘導を行っているところも特徴的であった。不必要な手話表現・動きを避けることで、台詞との混同を避けたり、舞台の雰囲気を壊したりしないようにとの配慮ではないかと考えられる。 (3)場面③:効果音の通訳  舞台演劇では、音楽や効果音の音情報が時に重要な意味を持つ。舞台演劇に限らず、通訳者は音情報もできるだけ通訳するよう努めなければならないが、舞台演劇では台詞の掛け合いがスピーディであったり照明が暗転したりと時間的な制約が大きく、台詞に加えて音情報のすべてを通訳するのが困難な場合がある。そのため、話の展開により重要な意味のある音情報を取捨選択し、時間的な制約の中でそれを的確に表現する必要がある。  場面③はa1、a2、a3が3人で言い争ったあと、その原因となった人物からa2に電話がかかってくるシーンで、携帯電話の着信音が重要な意味を持っている。 通訳者はa1の台詞を表現したあと、着信音を「/電話が鳴る/」という手話で表現し、そのあとまたa1の台詞を通訳している(Fig.4)。 この着信音を通訳しなければ、次のa1の台詞「電話ですよ!」の意味が伝わりにくくなるために、台詞にはない「/電話が鳴る/」を加えたものと考えられる。 ここで着目すべきは、「/電話が鳴る/」の手話表現は右手で表出されているが、右手を除く上体や表情はその前のa1のRSを保っていた点である。ここでもし第三者(ナレーション)視点で「/電話が鳴る/」と表現・解説してしまうと、次のa1の台詞「電話ですよ!」のためにまたa1にシフトすることになり、時間がかかり不自然になってしまう。 これも、通訳者が事前に台本を読み込み、役者の動き等を把握できているからこそできる通訳であるといえよう。 以上、3場面における手話通訳の特徴を述べてきた。いずれについても、他の通訳場面ではあまり見られない、舞台演劇特有ともいえる技術が用いられていた。 そして、このような手話通訳を実現できたのは、通訳者が事前に台本を読み込み、あわせて舞台の進行や役者の動きを把握できていたからこそであると言える。つまり、舞台手話通訳では通訳者の事前準備がより重要であり、そのためには、通訳者の努力のみならず、舞台制作側からの台本提供や稽古の見学等、お互いの協力関係が欠かせないといえよう。また、時間的な制約がある中で的確な手話通訳を行うには、通訳者は進行や動きを把握するだけでなく、そのどの部分が重要なのかを取捨選択する必要があった。今回の通訳者は自身も演劇人であり、「舞台演劇」というものの作り方・見せ方を理解していたからこそ、劇中で重要となる台詞や動きのポイントを理解することができたのではないかと推測される。  さらに、今回みられた手話通訳の特徴は、前述した舞台手話通訳者Jeni Draper氏の言葉(舞台手話通訳者に求められる技術)と重なる内容であった。このことからも、今回取り上げた3点が舞台手話通訳で重要な技術の一部であることがうかがえた。 4.今後の課題  今回は対象映像の一部を分析し、舞台手話通訳に特化した技術を洗い出すことを試みた。今後の課題としては、今回分析した場面は映像の一部であったため、さらに対象場面を広げて分析を進める必要がある。また、今回は筆者から見た特徴を挙げるにとどまったが、今後は手話通訳を担当した通訳者へのインタビュー調査により通訳者として工夫した点をさらに明らかにするとともに、用いられていた通訳技術に関する聴覚障害者からの評価も行っていくことが不可欠である。 謝辞 本研究はJSPS科研費16K16740の助成を受けたものである。また、特定非営利法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク(TA-net)から多大なるご協力をいただいた。ここにお礼申し上げる。また、本研究に快く協力いただいた通訳者、役者の皆様にも感謝の意を表したい。 文献 萩原彩子(2017)イギリスにおけるアクセシビリティ公演ならびに舞台芸術手話通訳に関する視察報告.筑波技術大学テクノレポートVol.24 (2),39-44. 文化庁文化審議会(2015)文化芸術の振興に関する基本的な方針(第4次基本方針).文化庁. 吉川あゆみ他(2012)大学での手話通訳ガイドブック―聴覚障害学生のニーズに応えよう!―.筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター.