触手話通訳を含む聴覚障害者のための情報保障体制に関する一考察 ─ 学術企画のコーディネート実践例から ─ 大杉豊,須藤正彦,細野昌子,宇都野康子,松藤みどり 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 要旨:最近では聴覚障害者が学術企画に参加することが増えてきた。情報保障手段である手話通訳やパソコン要約筆記は一般的になってきているが,今後は聴覚障害者と共に盲ろう者が参加することにより,触手話通訳が情報保障手段として加えられる場面が増えてくると思われる。本稿は手話通訳,パソコン要約筆記,触手話通訳の3種類からなる情報保障のコーディネートを,企画立ち上げからフィードバックまで時系列に振り返る。また会場の状況により顕在する問題点にも焦点を当てた。聴覚障害者および盲ろう者が関わる学術企画におけるより良い情報保障のコーディネートの提言をする。 キーワード:情報保障,高等教育機関,盲ろう者,触手話通訳,コーディネート 1.はじめに 筑波技術大学障害者高等教育研究支援センターでは「障害者高等教育拠点」事業の一環として,語学教育に関するアカデミック・アドバイス活動を2011年に開始しており[1],2017年度は9月9日に「聴覚障害学生の語学教育のイコールアクセスを考える」という企画を,筑波大学東京キャンパス文京校舎119講義室にて実施した。従来の一般公開企画においては,聴覚障害のある参加者を想定して手話通訳及びパソコン要約筆記[2]の情報保障配置を行なってきたが,今回の企画では盲ろう者が講師の一人として参加することになったために,本人の希望により触手話通訳の配置も合わせて行うことになった。すなわち,手話通訳,文字通訳,触手話通訳の3種類による情報保障を円滑に行うことを求められたことが今回の企画の特徴である。もう一つの特徴は,企画を実施した会場が,奥行きの狭い代わりに横幅の広い部屋であり,さらに机と椅子が固定式であったために(図1),情報保障のセッティングに工夫が求められた点にある。以上二つの特徴を鑑み,3種類の情報保障担当者・団体,講師,関係者と連絡を取り合って,当日の情報保障が円滑にいくよう,全体を見据えつつ準備していく業務としての「情報保障コーディネート」を7月15日に設けることを確認し,本稿の筆頭著者が担当した。本稿では,3種類からなる情報保障のコーディネートを,情報保障計画から事後のフィードバックまでの流れで時系列に振り返り,会場の状況により顕在する問題点にも焦点を当てて,最後に聴覚障害者および盲ろう者が関わる学術企画におけるより良い情報保障のコーディネートの提言をする。 図1 幅広,固定式机・椅子の会場 2.情報保障計画: 第一に取り組んだ作業は「情報保障計画」の作成であった。主催者(本稿著者)と情報保障担当者・団体の間で共有すべき情報を記載して,準備の進捗状況をお互いに確認できることが情報保障計画の作成目的である。スライド9枚となった情報保障計画の記載内容は情報保障担当者・団体の名前と連絡先,参加者と情報保障対象者,会場レイアウトなどの共通事項と,各情報保障で異なる個別事項で構成される。本企画への参加申込時に情報保障ニーズの有無を記入する欄を設けたために,一般申込者の内少なくとも2名が手話言語ベースの聴覚障害者であることを事前に確認できた。発表者及び主催者の中にも同様に手話言語をベースとする聴覚障害者が数名含まれ,さらに発表者の一人が視覚及び聴覚に障害があり本企画では触手話通訳を希望 していることを計画に記載し,聞こえる者も合わせて全ての参加者が情報保障の対象になることを明記した。他の共通事項としては,ディスカッションの時とフロア(一般参加者)から発言がある時の手順を記載している。各情報保障で異なる個別事項については,下見結果及び各情報保障担当者・団体との連絡調整結果を踏まえて確認事項を記載した。手話通訳関連・ 聞取り,読取りそれぞれの位置に関すること・ 各発表への対応人数に関すること・ 交替者の待機場所に関すること・ マイクの種類に関すること文字通訳関連・ 入力スペースの位置に関すること・ スクリーンとプロジェクタの位置に関すること・ 電源の場所に関すること触手話通訳関連・ 通訳の位置に関すること・ 交替者の待機場所に関すること・ 盲ろう者の発表時の動き方に関すること会場レイアウトについては,以上の確認事項を踏まえて,幅広,固定机・椅子の特徴がある会場で発表者の立ち位置,情報保障担当者の配置,聴覚障害のある参加者の座る位置の確保を視覚的に確認できる図面を作成した。この図面では,発表者がメインスクリーンの下手側に立つことを基本とし,スライド資料を映し出すメインスクリーンの上手側に文字通訳の出力結果を出すスクリーンを設置し,近い位置に文字通訳担当者が4名座って作業できるスペースを確保している。音声スピーカーは会場備付のものの他に置き型のスピーカーを準備し,必要に応じて使えるようにしてある。手話通訳者は聞取り時に発表者の下手側に立ち,読取るときは最前列に座る形とし,その下手側に触手話通訳者と対象者が座るように配置している。手話通訳者及び触手話通訳者の位置の後ろ一列は予備として空けておき,これら以外の席を一般参加者向けとした。聴覚障害のある一般参加者は手話言語をベースとしていることから手話通訳を見やすく,また文字通訳の画面をも視野に入れられる位置として会場の中央になる席二列を確保している。今回は盲ろう者のニーズにより,本人の前側でなく左側に触手話通訳者が座ることになったため,机・椅子が固定されていても通訳者が円滑に交替できるような配置とした。なお,触手話通訳者が発表者及び手話通訳者の音声を直接聴きやすいことも考慮に入れている。 図2 事前に作成した会場レイアウト図 3.連絡調整 前項で述べた情報保障計画は準備の進捗状況によって更新されて行くので,草案の段階,下見前の段階,下見後の段階で情報保障担当者・団体に送付し,準備の進捗状況や確認・調整の必要な事項を共有するようにした。情報保障計画から派生して別に作られた資料には,当日時間割表,下見事前資料,下見結果資料がある。当日時間割表(エクセル表1枚)は時間の記された縦軸に合わせて司会,発表,ディスカッションなどの進行区分を記載し,横軸では講師等の漢字表記と読み方,所属機関名,テーマ・内容,提出資料の有無,使用言語の種類,情報保障の動きの項目を設けて,詳細を一覧で確認できるようにした。提出資料は要旨とスライド原稿,読上げ原稿(任意)の3種類について準備を依頼し,それらの有無を確認して,発表者ごとに振られた番号のフォルダーにて資料を閲覧できるようデザインした。手話通訳者からの提案で,当日の事前に行う打合せの時間割も作成して,当日時間割表に記載した。下見に関する資料では,会場の照明,音響,映像などの設備,情報保障者の位置関係の確認をすることを目的に作成したチェックリストを下見に持参して,確認及び修正事項を反映させたものを情報保障担当者・団体と共有した。写真も含めてスライド25枚となった下見結果資料に記載された約30個に上る確認事項は大別すると次の大項目に整理できる。・ スクリーン(スライド・パソコン筆記)の位置・発 表者の位置・演台・演壇の高さ ・手話通訳(触手話通訳含む)担当者の位置・演壇の高さ・ 文字通訳担当者の位置・ 質疑応答の際の動線・ 通訳者が手元でon-offできるスイッチのあるワイアレス・マイクなど ・その他小項目の例として,スクリーンの位置に関する確認事項をあげる。・ 司会・講師のスライドを出すスクリーンは中央のものを使う。 ・スクリーンの横幅が広いので,下見時に実際の画面の幅を確認する。 ・文字通訳用のスクリーンは上手に設置する。このスクリーンが参加者全員から見えるよう,角度に留意する。 ・スクリーン上のスライドや文字が読めるよう窓のブラインド・室内照明を調節する。横幅が広く,机・椅子が固定されているという会場の条件があるために,企画当日の準備時に留意すべき事項を記載している。 発表者から要旨,スライド,読上げ原稿が集まった段階で,手話言語表現の確認が必要と思われる単語のリストを作成し,手話通訳者及び触手話通訳者に連絡した上で,手話言語表現例をビデオ撮影した動画をインターネット上にアップロードして通訳者が直接手話言語表現を確認できるようにした。単語数は32個に及び,聴覚障害学生の語学教育をテーマに扱う本企画では,「リスニング」「スピーキング」「リーディング」「ライティング」「抑揚」「リズム」「音声認識」「合理的配慮」「意思の表明」「チューター」などの単語がリストアップされた。情報保障コーディネート担当者自身が手話言語学を専門分野とする手話言語使用者であるためにこの作業は手際よく進められた。本企画の事前準備において情報保障コーディネート担当として実施した連絡調整に関する業務としては,発表者への情報保障等に関する説明である。「発表者へのお願い」という資料(スライド6枚)を作成し,企画の基本情報のほかに参加者の人数と内訳,発表者の位置と情報保障,会場レイアウト,フロアから発言がある時,お願い事項を記載している。この資料では主に次の点を発表者に伝えている。 ・手話通訳,触手話通訳,文字通訳の3種類の情報保障が同時に進められること ・情報保障の関係で発表者の立ち位置や動線が限られていること・発 表時に留意していただきたいこと例えば盲ろう者の参加については「盲ろうの参加者はスライドを見ることができません。触手話通訳者に資料を提供していますが,スライドに関連して話される時は,話が終わる時に適切な間をおくなどのご協力をお願いいたします。」,手話通訳者の位置については「発表者の右隣に立つ手話通訳者は発表者と同様前方を向いているため,発表の様子を把握するのが難しい状況にあります。発表者がスライドを指差して『この部分』『ここから』などと言うときは,手話通訳者がきちんと把握できるようご留意ください。」と記載している。お願い事項の結びとして「情報保障は情報保障者だけで進めるものではありません。発表者も含めて参加者の皆さんで一緒に進めるものと考えております。当日は開場前に情報保障者と打合せをしていただくなど,ご協力をよろしくお願いいたします。」と記している。 4.当日の調整 企画当日は情報保障計画と当日時間割表に沿って準備を進めたが,大きな変更が3点生じた。変更の一点目は盲ろうの発表者と触手話通訳者の座る位置である。前述の通り今回は3名の触手話通訳者が盲ろう者の左隣に座って通訳する方法としており,通訳者がスムーズに交替できるようにするために,3脚ある固定式椅子の中央ではなく、右端の椅子から通路を挟んで隣の椅子にすぐに移動できる形の調整を行った。二点目は,聴覚障害のある発表者が手話通訳だけでなく文字通訳の画面も見たいという理由から,発表者用の席から移動して一般参加者席に座るという変更,三点目も同じ理由で聴覚障害のある一般参加者の一人が文字通訳の画面に近い席へ移動することになった。これらは全てが,幅広,固定机・椅子という会場の条件に原因を認める想定内の変更であった。 図3 当日の調整結果を示す会場レイアウト図 5.事後のフィードバック 企画終了後に情報保障担当者・団体から寄せられたフィードバックから主なものを抜粋する。(括弧内は著者加筆)手話通訳者 ・講師の先生方からのご協力のおかげで,大変気持ちよく仕事ができ(た)。・ (盲ろう者の)読取りでは触手話通訳チームのご協力を(いただいた)。・ 椅子と机が固定されている教室は使いにくかった。・ 講師との打ち合わせの時も,向かい合って座りたかった。 触手話通訳者 ・休憩時間は,盲ろう者の集まりでは1時間に10.15分取っています。・・・もう少し頂きたかった。・ 3人体制にしていただけて良かった。 ・他のチームと共に事前から連絡を取り合い,コーディネートしていただくような体制は,盲ろう通訳ではまだ珍しいのではないか。文字通訳団体・ 固定椅子は使いにくい。・ 登壇者のスクリーンは通訳者全員からよく見えることが望ましい。 ・登壇者によって,マイクが遠いのか声が聞き取りにくい方が(いた。) ・時間的に余裕を持って資料をお送りいただけて(助かった。)幅広,固定机・椅子という会場の悪条件に対するフィードバックが多く寄せられる一方,触手話通訳を含む情報保障担当者・団体の間で,この会場に関する情報も含めた各種の情報保障に関する調整確認事項をお互いに把握できるよう,事前に連絡し合って準備してきたことに対する評価も寄せられた。後日主催者(本稿著者)間で行った振り返りでは次の点に整理された。 ・会場の位置によって手話通訳,文字通訳が見にくかった。幅広・固定机・椅子という条件の会場は聴覚障害者の情報保障を実施するに不向きである。 ・発表者によって音声が聞き取りにくいケースがあった。情報保障担当者にとっては音声の聞取りが命なので,音声の大きさ等を確認する担当をおくべきである。 6.おわりに 障害者の社会参加が拡大する中で,学術会議に聴覚障害者が参加するケースも珍しくなくなってきている。国際ユニヴァーサルデザイン協議会情報保障委員会が2005年にまとめた「聴覚障害者への情報保障のあり方調査」報告[3]では,講演会,セミナー,会議など各種イベントの情報保障ガイドラインを作成するための基礎調査として,聴覚障害者の情報保障に関するニーズの的確な把握が試みられている。調査結果として,イベント会場内における講師,手話通訳者,スクリーンの位置と聴覚障害者の視覚範囲の関係性の重要性が指摘されている。本稿では,手話通訳とパソコン要約筆記に加えて触手話通訳も配置する学術企画における情報保障コーディネート業務を時系列に振り返り,幅広,固定式机・椅子という会場の状況により顕在する問題点にも焦点を充てて,情報保障コーディネート業務の重要性を強調している。とくに,手話通訳,パソコン要約筆記,触手話通訳に携わる技術者や団体は分野ごとに異なる取組みの歴史があるため,それら背景を理解した上での連絡調整が不可欠である。また,多人数を対象に行える手話通訳とパソコン要約筆記と異なり,触手話通訳は,盲ろう者一人ひとりに対応して配置する必要があるために,今後増えてくる盲ろう者の学術企画への参加を見据えての情報保障マニュアルの整備が喫緊の課題と言えよう。 7.謝辞 筆頭著者が学術企画の情報保障コーディネートを担当するにあたり、国際的な学術企画の情報保障コーディネーターを経験している高木真知子氏より貴重な示唆を頂きました。また本稿執筆にあたり白澤麻弓准教授(本学障害者高等教育研究支援センター)に適切な助言を頂きました。心より感謝申し上げます。 参照文献 [1] 筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター:-聴覚・視覚障害学生のイコールアクセスを保障する教育支援ハブの構築-「障害者高等教育拠点」事業報告書(平成22.26年度), 2015. http://www.tsukuba-tech.ac.jp/repo/dspace/bitstream/10460/1486/5/309.pdf(2017年11月21日) [2] 本稿では,一般的な用語として「パソコン要約筆記」を用いる一方,実際にこの種類の情報保障を担当した団体による呼称として「文字通訳」を用いている。 [3] 国際ユニヴァーサルデザイン協議会情報保障委員会:聴覚障害者への情報保障のあり方調査, 2005. https://www.iaud.net/library/pdf/IAC_report_050526.pdf(2017年11月21日) A Study on Information Support for the Deaf and Hard of Hearing People, Including Tactile Sign Language:-A Practice of Coordination in Academic Sites- Yutaka OSUGI, Masahiko SUTO, Masako HOSONO, Yasuko UTSUNO, Midori MATSUFUJI Research and Support Center on Higher Education for the Hearing and Visually Impaired,Tsukuba University of Technology Abstract: Recently, an increasing number of the deaf and hard of hearing people are participating in academic sites like a symposium. Nowadays, sign language interpretation and computer assisted real-time translation are commonly accommodated in such academic sites for information support. However, participation of deaf-blind people, along with the deaf and the hard of hearing, creates the additional necessity of tactile sign language interpretation. This paper reviews coordination, timeline and planning of three types of information support: 1) sign language interpretation, 2) computer assisted real-time translation, and 3) tactile sign language interpretation. It also focuses on problems clarified related to the environment of the venue. Finally, this paper will propose an improved coordination for information support in academic sites where deaf and hard of hearing people as well as deaf-blind people participate. Keywords: Information Support, Higher Educational Institutions, Deaf-blind Persons, Tactile Sign Language, Coordination